ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

りゅーとぴあ能楽堂「マクベス」公演観劇記1

2006-02-03 00:01:58 | りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ
【出 演】
マクベス/市川右近
マクベス夫人/市川笑也
魔女達の盟主 ヘカテ/藤間紫(特別出演)

菅生隆之、谷田歩、市川喜之助、中井出健、
星和利、山賀晴代、松浦大樹、田島真弓、
横山愛、横山道子、塚野星美、住田彩、藤田ゆかり

作/ウィリアム・シェイクスピア
翻訳/松岡和子
構成・演出/栗田芳宏
音楽/宮川彬良
衣裳/時広真吾
製作/りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)、キョードー東京
製作協力/松竹株式会社、株式会社おもだか


りゅーとぴあ自体が総合娯楽施設(娯楽と言っては語弊があるかな?)
総合芸術施設というのは、ぼんやりとイメージにあったのですが
(広い敷地の中に、ホールや能楽堂が点在している、みたいな…)
まさか「能楽堂」がビルの5階にあるとは思いませんでした^^;

昨年夏、初めて千駄ヶ谷の国立能楽堂を訪れた際に感じた、
エントランスから醸し出される静謐への誘い的な雰囲気を味わうことなく
フツーにビルのエレベーターホールで△(上行き・笑)のボタンを押す…
という、とっても即物的な行為と共に会場に向かったのですが、
着席し(正面の席だったので)鏡板と対峙すると
す~っと澄んだ空気感と緊張感に包まれて行きました。

たぶん、他の観客にも同様の感覚を与えたのではないかと思うのですが、
開演直前には、静寂が客席を支配していました。

今回、個人的にとても興味深かったことのひとつが
「目付柱」(能舞台の構造参照)取り外されていたこと。
もう、劇空間の広がりの感じ方が全然違いました。(私の主観ではありますが)
よく、能舞台には無限の空間・宇宙や広がりがあるという言い方をしますが、
それは、イマジネーションの共有があって初めて言えることで、
物理的にというか、それこそ「即物的」な(私の)眼には、
目付柱はとっても邪魔でした@勧進帳
観る席にも(脇正面、中正面、正面)左右されるでしょうけれど。

逆に今回は、どの席に対しても、
常の能舞台とは異なる次元を提示したのではないかと思う。
この目付柱が取り外し可能なのは、
今回の講演会場の中ではりゅーとぴあだけ、との事。
それを聞いただけでも、新潟まで観に来て良かった~!!と思いました。
そして、「目付柱」のある舞台と、
とっくり見比べようと思ってます。
これは、ラストの右近さんの居所とも密接な関係があるので。
(また、↑この場の右近さんがメチャクチャ素敵なのだ!!)

勧進帳のときにはある種の制約、舞台面の分断を感じたのと相反して
(↑中正面だった…)
すごく、自由に、ひとつに繋がる大きな広がりを感じ、そして
それに気づいた瞬間、妙にワクワクしてしまいました。

照明の要素は、照度と角度だけですが、
状況と心理にピタっとハマり、ホント、「明るくする」か「暗くする」
かの単純と言えば単純な手法を繰り返しているのだけれど
ある場面でぱっと照度が上がった瞬間に、どきっ!とするほどの
インパクトを見せたり、闇だから恐怖というのではなく
逆に明るい白い光が凄みを与えたり…

SEも、常に低く垂れ込めるような雷鳴が効果的。
火急を知らせるからと云って、大音響にならない太鼓の音も

そして、音楽。
殆ど歌舞伎以外の舞台を観ていなかった私には
宮川彬良さんと聞いても、どういう方か
まったく存じ上げなかったのですが、なんと、
マツケンサンバⅡを書いた方なんですね~!!
そして、多方面でご活躍の模様。

魔女たちの奏でる旋律が、何か郷愁をそそられるような感じで
懐かしく、そして、恐ろしく
(例えば『通りゃんせ』って何か秘められた恐怖を感じません?
それと類似のものを、魔女たちの中に感じる)
でも、耳から離れません。終演後、同行者ともども口ずさんでは
魔女たちの体現する原初的な恐怖が甦り怖かった。
(話し飛びますが、この魔女の役者さんたちの仕事は素晴らしい

衣装も、モダンであり、かつstylizedされて
―それは英国式にも日本の伝統にも―いるようにも見え、
舞台と物語とよく調和していた。
(歌舞伎ファンにはサービスの?定式幕カラー(笑)の一着もあります。)

と、いろいろ述べてみましたが、とにかく、ひとことで言うと
演出が自分の生理に合っていて、とっても心地よく満足!!

―明日に(?)つづく―

追伸:時間割のお知らせ

【一幕】 1時間15分

―休憩15分―

【二幕】 1時間5分 









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