ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
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りゅーとぴあ能楽堂「マクベス」大阪公演観劇報告

2006-02-20 08:38:32 | りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ
マクベスな日々…也子さん編

私の、笑也さん演じるマクベス夫人の第一印象は「魔女の親玉」(^^;)…。
元々メイクもいつもよりつり目気味のようですが、
その立ち上る雰囲気が怖くて。

出端はそうでもないんだけど、
夫からの手紙を読んでるうちに声がなんとなく変わってきたかなー
と思ってたら、正面に立ったその目の表情がもう「魔女」。
マクベスからの手紙を読むうちに夫が描いた妄想が伝染して
人が変わってしまったみたい。
人間が持つ権力への羨望のなんと強いことかと思わせる。

最後の一押しが足りないマクベスに
自分の性根を注いでやろうってとこなんか、
性根どころかマクベスに取り憑いて代わりに王殺しまでしそうな迫力。

でも、これってマクベスがわざと夫人に後押しさせるべく
手紙を書いたんじゃないかなーという気もして。
右近さんのマクベスを見ているとそんな気になった。
三人の魔女に王冠を予言され王殺害を思い描くけれど、
こんな大仕事、自分一人で実行を決めるのは恐ろしい。
誰かに後押ししてもらいたい。そんな、罪悪感を半分にし
たいって気持ちがあって妻に手紙を書いた。そう見えた。

右近さんのマクベスってすごく人間的。
荒野の真ん中で、甘い予言をエサに心弱い人間をカモる魔女達に
まんまと引っかかった彼。(これって一種のキャッチセールス?)
彼女たちの期待通り(?)に人生を転がり落ちていった。
(ちなみに、魔女はカモる相手は誰でもよかったのか?
彼でないとダメだったのか。
カモって何がしたかったのか。人の不幸を見たかっただけ?)

後半、王位を守るために次々と殺人を犯すけれど、
その姿に「暴君」の残酷さは見えず、抜き差しならない状況に
やけくそで対応しているような人間の哀れさがあった。
そんなに悪いヤツには見えなかったな。(なんか応援したくなるタイプ)
却ってマルカムやマクダフの方が保身的で小狡いヤツに見えた。
(危険な状況に妻子を置き去りにしたマクダフ、
あれは絶対未必の故意だ。2時間ドラマなら保険金殺人かと疑うところだわ。)

笑也さんのマクベス夫人は本当に怖い。
殺人に二の足を踏む夫を叱咤とささやきで陥落する
その緩急・強弱のついた言葉の数々は、
リズムを持って繰り出されているが故に反論を差し挟む隙がない。
マクベスに寄り添って悪事をささやく様は、
まるでイブにリンゴをすすめる楽園の蛇のよう
で、悪意に満ちた微笑みは怖い。けれど魅惑的。
きっとこの人なら、
ホントに一旦やると言ったら我が子でも殺めてしまうだろう、
そう思わせる強さと恐ろしさがあった。
身中には野望が渦巻いていて、でも氷のように美しい。
そんなマクベス夫人。

ところでこの物語、マクベス夫人が恐ろしくて美しくなければ
完成しないのではないか、という気がした。
彼女が欲に目が眩んだタダの女だったら、
それにそそのかされて大罪を犯すマクベスの存在感も小さくなってしまい、
後半の罪に罪を重ねる様子も最後の悲劇性も薄らいでしまうような…
マクベス夫人は、夫を良心の呵責から引きはがし、
人殺しをさせるまでに引っ張っていかなければいけない。
夫人の言葉を聞いて、マクベスが人殺しをする決心をしたも
のもっともだと思わせる大きな力を持っていなければ中途半端になる。
だから、マクベス夫人は美しくて恐ろしい魔女でなくてはいけないように思った。

私が一番好きな場面は、
マクベスが王を刺した次の瞬間に橋がかりから現れるマクベス夫人の独り語り。
恐ろしい計画を実行に移してしまった戦きと、
それを凌駕する、王冠を目前にした高揚、
そんなものが綯い交ぜになった感情が溢れた語りは、
最後の「~生かそうか、殺そうかと」で最高潮になる。
この声を聞いてゾクッとなった。
(夫が人を殺すのワクワクして待ってるんだもん、怖いって。)

こんな雄々しいマクベス夫人が、
マクベスがバンクォーを殺したことを察知した辺りから何故か気弱になる。
王を殺しただけでは玉座に座り続けられないことにようやく気付いて、
この先の不安な日々を思って妄想に取り憑かれる。
そういうことなのかなーと思ったが、
でももうちょっと違う捉え方もあるなと思いだした。

そそのかしたとはいえ、
自らの手で殺したわけではない殺人の罪に苛まれて心が壊れ
るような人ならば、夫の王殺しをすんなり受け入れただろうか。
(そんな目を曇らせるのが王冠の輝きだ、ということなのかもしれないけれど)
夫を止めなかったのは、
もしかしたらマクベスにかけられた魔女の呪いは手紙を介して
マクベス夫人にも取り憑き、彼女を魔女にしたからではないかと。
そして、夫が次々に殺人を犯す様を見て呪いが解け、
その罪の重さに苛まれて心を病んだ、
という見方もありなんじゃないかなと思った。

マクベス夫人の狂気の様は、
「狂った」というよりも「壊れた」という方が似合っているように思う。
夫人が、狂気の最後に「手」を求め、握りしめて落ち着くところ、
現実から乖離してしまっても夫が支えなんだと気付いてちょっとジンとした。

また、マクベスが夫人の死の知らせを受けるシーンも、胸を突かれた。
亡くなったと聞いてからの長い沈黙がたまらない。
信じられない知らせが体中を巡って思考に染み渡るまでの長い時間が、
彼にとって妻の死が如何に現実離れした出来事であるかを物語っているようで
辛くなった。(大切だったのね、鬼嫁でも…)
マクベスがホントに自己中の暴君なら、狂ってしまった妻などよくて幽閉、
下手すりゃ暗殺(何を喋るか分からないし)ってなりかねないのに、
医者に見せて治そうとするんだからやっぱりいい人なんだよね、
って思ったりして。(妻子を見殺しにした誰かさんとは大違い~)

でも、この物語に、
こんなに夫婦のお互いへの愛情が散りばめられていたとは思いも寄らなかった。
今回の観劇で新発見。

そういえば二幕目、マクベス夫妻のお付きはそれぞれ死んだ人(役柄上)
が復活してお付きになっていて、
話し方・動き共あんまり抑揚のない静かなものなので、
この夫婦が死人に囲まれて暮らしているようなイメージがあったなぁ。
(ちょっと不気味)

ラストのマクベス夫妻の道行き、
何の表情もない二人の様子(特に傘持って現れたマクベス夫人、
最後までまばたきしないので、まるで西洋風の能面みたい)に、疲れた
魂が寄り添いながらどこへ行くのか、
見る人それぞれに結末は違うのかもしれないけれど、
願わくば何もない真っ白な世界に二人で溶けてしまって欲しいな、
という思いがしたのですが…
このシーン、息を詰めて見守ってしまう。
好きな場面。だけれど、見てるとなぜか辛くなってくる。
哀しいわけではないんだけれども。なんでかな。

さて、この「マクベス」。
最初にチラシを見たときから、
ずーっと少人数(4~5人)で上演されるのだとばかり思いこんでいて、
見てたらぞくぞく人が出てきたので、結構大人数でやるんだなー
と思った次第。もっと少人数でやっても面白いんではないかと思いました。
(それこそ、マクベス夫妻と魔女軍団くらいで。二人芝居風とか。)

魔女さん達の傘、私はやっぱりボロい方がいいかな。
それか、最後のシーンだけボロくするとか。
最後のシーンはマクベス夫人の傘と魔女の傘は違う方がいいなと思うので。

魔女ソング3曲ありますが、
私は魔女音頭(太鼓のリズムで唄うやつ)が好き。
他のものも、
もっと童歌チックな旋律の方がいいんじゃないかと思ってたんですが、
聞いてるうちに、これくらいの和と洋の割合の方がいいのかなー
思うようになりました。

それにしても、笑也さんがこんな怖い女性を演じてハマるなんて、
思いもよりませんでした。もっといろいろ見たくなったなぁ。

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