断捨離が中途半端な状態なまま、しっちゃかめっちゃかな私の部屋…
ある程度年代順には並んでいるのに、何冊かの筋書と資料が行方不明。
もう、いっか~と諦めかけたところ、出てきました!!
平成11年7月の筋書!
昼の序幕が南総里見八犬伝。円塚山の場と玉返しの里庵室の場。
さすがにこれは三代目出てませんが、昼の中幕に奴道成寺踊って
三幕で一本刀土俵入演って、夜が伊達十!
平成11年というと1999年。三代目は1939年の12月生まれですから
還暦を迎えようというこの年に、こんなハードな責任興行を打っていたんですねー。
何気ない数字の符号だけれど、伊達十を復活して初演したのが昭和54年4月明治座
1979年。そのちょうど20年後の1999年。
歌舞伎座の七月が「猿之助奮闘公演」となって29年目。そして伊達十9演目!
翌2000年が30周年!
2003年(33年目)が最後となってしまったけれど、“三代目が33回”で
その責を終えた…というのが、後付だけど、猿之助さんが舞台に立たなくなってから
何度も、そんなことを考えたりした。
伊達十も99年が区切りとなったのが、なにか意味があったのかなー。
戸部銀作さんが「猿之助丈の復活物への挑戦」というタイトルで記事を寄せられており
「團子」時代の三代目のエピソードも。
昭和61年7月(6演目)までのバージョンは大喜利に
「累道成寺」がついていたらしい?
凄い舞台を観たということは記憶にあるけど
この所作事ついていたの覚えてないな~。
ただ、現在のようにお白州で終わってはいなかったような
もっと派手な終わり方だったんじゃないかな?と
その後観たときに思った?
ただいま検索したところ
長谷寺鐘供養(大喜利所作事「垂帽子不器用娘」)
というのがついていたらしい…!
熱い、くどい、しつこい(笑)と言われていた「猿之助歌舞伎」
これでもか、これでもか、まだある、まだある~!!と
高揚感で巻き込まれていた劇空間、復活通狂言の数々。懐かしいな~。
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ある程度年代順には並んでいるのに、何冊かの筋書と資料が行方不明。
もう、いっか~と諦めかけたところ、出てきました!!
平成11年7月の筋書!
昼の序幕が南総里見八犬伝。円塚山の場と玉返しの里庵室の場。
さすがにこれは三代目出てませんが、昼の中幕に奴道成寺踊って
三幕で一本刀土俵入演って、夜が伊達十!
平成11年というと1999年。三代目は1939年の12月生まれですから
還暦を迎えようというこの年に、こんなハードな責任興行を打っていたんですねー。
何気ない数字の符号だけれど、伊達十を復活して初演したのが昭和54年4月明治座
1979年。そのちょうど20年後の1999年。
歌舞伎座の七月が「猿之助奮闘公演」となって29年目。そして伊達十9演目!
翌2000年が30周年!
2003年(33年目)が最後となってしまったけれど、“三代目が33回”で
その責を終えた…というのが、後付だけど、猿之助さんが舞台に立たなくなってから
何度も、そんなことを考えたりした。
伊達十も99年が区切りとなったのが、なにか意味があったのかなー。
戸部銀作さんが「猿之助丈の復活物への挑戦」というタイトルで記事を寄せられており
「團子」時代の三代目のエピソードも。
昭和61年7月(6演目)までのバージョンは大喜利に
「累道成寺」がついていたらしい?
凄い舞台を観たということは記憶にあるけど
この所作事ついていたの覚えてないな~。
ただ、現在のようにお白州で終わってはいなかったような
もっと派手な終わり方だったんじゃないかな?と
その後観たときに思った?
ただいま検索したところ
長谷寺鐘供養(大喜利所作事「垂帽子不器用娘」)
というのがついていたらしい…!
熱い、くどい、しつこい(笑)と言われていた「猿之助歌舞伎」
これでもか、これでもか、まだある、まだある~!!と
高揚感で巻き込まれていた劇空間、復活通狂言の数々。懐かしいな~。
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