第2部日本人初の大リーガー村上雅則!
紘一郎雑記帳
村上雅則氏談
私はその日(9月1日)ゲームが始まると私はすぐレフト側にある
ブルペンへ行くよう言われました。
試合はジャイアンツが点を取れずに7回が終わったところで
4対0とリードされていました。8回表ブルペンに
「8回裏マッシーが行け」と電話が入りました。
既にウオームアップはしていたのですが,いざ決まると少し緊張していました。
8回裏,場内アナウンスが
「ナウ・ピッチング! ナンバー・テン・マサノリ・ムラカミ」と響きました。
ブルペンで最後の一球を力一杯投げレフトフェンスの扉を
開け場内に入っていきました。
芝生はカクテル光線に照らされ,濃い緑色のじゅうたんの上を
一歩一歩踏み締めながらマウンドへ向かいました。
4万の大観衆の中,緊張のあまりあがってはいけないと,
咄嗟に「スキヤキ・ソング」を口ずさみながらマウンドに進みました。
当時「スキヤキ・ソング」(「上を向いて歩こう」 歌・坂本九)は
全米ヒットナンバーワンになった曲で毎日のように流れていました。
監督,キャッチャーと内野手が集まり「グッドラック!」と
励ましてくれました。
スタンドの声も言葉が通じなかったのが幸いしてか
ウォーミングアップは意外と落ち着いて出来ました。
さぁ!プレイボール!サインはアウトコースの速球,思っていたとおり
私の気持ちがキャッチャーのトム・ハラーに伝わっていきました。
(日本人大リーガー投手の初めての1球の瞬間です)
アウトローへパーフェクトのストライク,そして三振,
ヒット,三振,ショートゴロに打ち取り私はデビューを
ゼロに抑える事が出来ました。
チームは2対4で負け続投は出来ませんでしたが,
日本人として初めてメジャーリーグのマウンドに立ったのです。
感激はその日より翌朝の新聞を見た時です。
各紙大きな見出しで「日本人初のメジャー・リーガー」と
書かれてあり胸が高鳴りました。
マイナー時代から一転して一流のホテル,一流のレストラン,
待遇ががらりと大きく変わりました。それだけメジャー・リーガーは
国民的英雄なのです。以上村上氏・・
村上氏の日本人が初めて大リーグのマウンドを
踏んだ時の気持ちが良く判ります。
そして9月29日大リーグ初勝利をあげたのです・が・・・
その時日本国内は東京オリンピックの最中で
大きくニュースになることは無かったのです。
しかしこの1勝が始まりで今につながるのです
次の東京五輪には野球も五輪競技に入ることになりました。
次々とスターが出て隆盛期を迎えるプロ野球ですが、
私たち野球フアンのみならず多くの人が
この村上雅則投手が日本人として大リーグで
初の1勝を挙げた32年前のことを記憶に留める事が大切でしょう。