ふぇみにすとの雑感

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なぜアメリカの大学は卒業率が低いのか

2007-12-08 12:42:22 | 大学関係
一年半ほど前に、『「アメリカの大学は卒業が難しい」神話』というエントリを書いた。それに関連するが、アメリカの大学の卒業率について。

「アメリカの大学は入学は簡単だが卒業が難しい」という説のサメ[トとしてよく使われるのが、アメリカの大学における卒業率の低さだ。最近は50%近辺だという。(5年前のデータだと、平均51%となっている。)しかも、傾向として、卒業率が落ちてきているようだ。

ある意味、典型的な「卒業率の低さ」に関する説明は、以下のようなものである。
「米国大学スカラーシップ協会」サイトより引用。)

アメリカでは大学の卒業率は50%を下回ると言われています。
しかも6年以内に卒業する割合ですので、いかに卒業が難しいことか想像できると思います。
卒業率の低さは「勉強しているか、していないか」に尽きます。


要するに、「アメリカの大学は勉強が大変だから卒業率が低い」というものだ。

私が現在いる州立大学は、まさにこの平均値をいくような大学で、卒業率は50%、一年次を終わり、夏休みの後二年生として帰ってくる学生は70~75%くらいらしい。

「勉強が大変だから」卒業率が低い説は、実はアメリカのいわゆるエリート大学のほうが卒業率が高いことを考えると、苦しいものがある。Ivy Leagueなどの私立エリート大学、エリート系リベラルアーツカレッジなどのほうが、勉強も大変なはずだが、卒業率も圧涛Iに高い。私が昨年度までいたシカゴ大学(私立)のほうが、今のモンタナ州立大学に比べ、卒業率も高く、ドロップアウトする学生もどうみても少なかった。私立大学(とくにリベラルアーツ系)のほうが、クラスのサイズを小さくキープしやすく、きめ細かい指導がしやすいということも原因だろうと思う。

モンタナ州立大学は、州の法律上、入学希望者は基本的に全員入学させる状態になっている。つまり、このシステムだと、大学の勉強をする準備ができていない状態の学生たちもはいってくることになる。この層の学生たちが、勉強についていかれずに、落ちていってしまうという事態はあるし、実際、とくに入門レベルの講座の場合、学生を落とすということはよくあることのようだ。
(シカゴ大学や、州立のトップ校のひとつ的な位置づけだったミシガン大学でも、落とすというのはよほどのことがない限り滅多にありえなかった。)

この状況のため、こちらのブログに書かれている、以下のような理由づけがでてくる。

これは決してプログラムの内容的に卒業が大変だからではなく、
卒業できる可能性が低い人も受け入れているという事情があるからなのだ。


これは一理あるのだが、しかしながらモンタナ州立大学の卒業率が低いのは、「勉強の準備ができていない」学生が多いからという理由だけではなく、むしろ違う理由があるようだというのを最近きいた。その理由がしぼりきれずに、大学側は学生が離れていくのを止める方策がとれずに、困っているというのだ。
学生が減る=授業料収入が減る、だけに、大学経営的立場からすれば深刻な問題である。しかもモンタナ州は少子高齢化がすすんでおり(リタイヤした人たちが移り住む場所になり、若者は出て行ってしまう)、高校を卒業する学生数が年々減少傾向にあるという。

モンタナ州立大学の場合、一年生を終えて2年次で大学に戻ってこない学生たちの成績は、実はA≠ゥらBくらいの学生が多いのだという。ということは、成績が悪いから落ちていくのではなく、戻ってきたくないから戻ってこない学生たちが実は多いということだ。この学生たちをどうやって大学にひきとめるか、が問題になっているようなのだ。

理由としては、公的には「個人的な事情」や、「経済的な問題」をあげてやめていく学生が多いという。だが、この理由が本当にそうなのかどうか、つかめていないらしい。

「経済的な問題」はたしかにあるとは思う。モンタナ州立大学は、シカゴ大学にくらべても、学生たちが圧涛Iに働いている。しかもモンタナ州の給与レベルはかなり低いので、2、3の仕事を鰍ッ持っている学生たちも多い。学費はモンタナのほうが圧涛Iに安いが、シカゴの学生たちは高い学費を払い、そんなに仕事をしなくてもよいという恵まれた階層の学生が多いということだ。モンタナは様々な階層の学生がおり、経済的な問題は当然あるだろう。

全米的な調査でも、経済的に苦しい階層出身や、人種・民族的マイノリティの学生たちにドロップアウトしていく傾向が高いとでている。これらの学生たちへの、大学からのサメ[トの少なさという背景もありそうだ。

大学の人は、このほかにモンタナという土地の文化があるかもしれない、と言っていた。基本的に田舎で、農家出身の学生も多く、「大学教育」が重要だという価値観がそもそもたいしてないのでは、というのだ。そして、州内には大学をでたからといって、よい給料がもらえ、安定している仕事などいうものがほとんどない。大学を卒業してもいい仕事もないし、子どもが実家の農業を継いだり、実家の近くで働いてもらいたいという親にとっては、むしろ大学など卒業されると、州外に出て行ってしまうのでは、、という恐れもあるのではないかという。大学を卒業しても、しなくても、得られる仕事はたいして変わらないこともあるだろう。

また、ホームシックもありそうだ。この州は大きく、数少ない街がそれぞれ遠くにあり、どこに行くにも時間がかかる。気軽に実家に帰るわけにもいかず、とくに田舎のほうの出身の学生にとっては厳しいときく。そして、この州最大のマイノリティである、ネイティブアメリカンの学生たち。生まれ育ったリザベーションから遠く離れた、白人社会である大学町で生活するのは大変で、ストレスもたまるだろう。

しかし、「モンタナ文化説」はある意味、安易な説ともいえるし、全米的な傾向の説明にはならない。経済的事情と、就職事情の悪さ、そしてマイノリティや、いわゆる"first generation"(親が大学卒ではない学生たち)や、経済的に苦しい学生たちへの、大学側のサメ[ト不足がかなり大きな原因なのではないかと思うが、、どうなんだろうか。

そして、大規模州立大学のクラスサイズの大きさ、それに伴う学生へのサメ[トの少なさも理由のひとつだろう。これは、小規模リベラルアーツにはどうひっくりかえっても勝てない。そして、教育予算がカットされ、教員数や授業数が減らされれば、ますますクラスサイズは大きくなり、常勤の教員も減り、、学生へのサメ[トがますます減り、そして学生たちは辞めていく、というどつぼ状態にはまっていっているようだ。

ついでにおまけ:
上記で言及した、「米国大学スカラーシップ協会」サイト、けっこうトンデモかも。

アメリカの成績評価
アメリカの大学は相対評価ではなく、絶対評価です。アメリカの教育システムではどこの大学に入学したのかで
はなく、どのように勉強して卒業したのかが問われます。

分かりやすく言えば仮にハーバード大学で学んだ人でも、成績がオールCであれば、リベラルアーツ系の大学でオールAを取った人より低い評価になるわけです。名門大学で優秀な学生が多いということは、A評価を得た学生が多いことを意味し、低評価の大学で優秀な学生が少ないということは、A評価を得た学生が少ないことを意味します。


大嘘なんですけど、、「リベラルアーツ系」がどこかにもよるし、リベラルアーツで超エリート大学だったらこの説も当てはまるのだろうが、、(超エリートリベラルアーツ大学は、大学院進学率などもすごく高く、トップ校大学院にくる学生もすごく多い。)ハーバードのCと、地域密着州立大学や、コミュニティカレッジのAだったら、、やっぱりハーバードのほうが評価されてしまうのではないかと思う。「ハーバード卒」は、実はものすごい学歴社会のアメリカではかなり大きな意味をもつだろう。。
そもそも「絶対評価」ってことは、全米すべての大学のコースで同じ尺度で評価されなくてはならないってことで、、ありえない。