後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

真摯に反省して、軍備を強化するのが正解です

2015年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、「戦争を絶対にしない決心の為に(2)日本人は真摯に反省すべき」という記事を掲載した。それに対して少しだけ補足したいと思います。
私の言いたかったことは日本の近隣諸国への過去の武力占領という過ちを真摯に反省し、近隣諸国と友好関係を促進すべしということでした。
しかし一方で国際社会の厳しい現実を考えると、友好関係を促進しながら自国防衛のための軍備はしずしずと増強すべしというのが私の主張です。昨日の記事でこの後半が明記しなかったので誤解を招いたと思います。
あらためて軍備の重要性をここに明記します。それではどれだけ軍備を強化すれば良いのでしょうか?強化すればするほど良いのですが国家予算の適正な配分を考えるとおのずと限界があります。
そこで非常に重要になってくるのが近隣諸国との強固な友好関係なのです。
それこそが日本の安全を保障する保険のようなものです。
安倍政権のように中国と韓国と喧嘩腰なのがいけません。それではどんなに軍備を強化をしても日本の安全は保障されないのです。
国際関係では絶対に感情的にならないことが肝要です。そして経済活動や文化交流も含めて戦略的に国家の安全を深く考えるべきです。まさしく深慮遠謀すべき問題なのです。
以上、昨日の「戦争を絶対にしない決心の為に(2)日本人は真摯に反省すべき」という記事へついて補足いたしました。感情的でないコメントを大歓迎します。
この記事の挿絵の写真は今日撮って来た京王百草園のそばの山に咲いていた野梅の写真です。

西洋文化と日曜日のミサや礼拝

2015年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
西洋文化はキリスト教の影響を深く受けているとよく言われています。しかしその
影響はあまりにも広く、そして深いので、この文章の意味は分かり難いのです。しかし日本の文化は仏教の影響を深く受けていますと言えば何となく分かるような気がします。
それではキリスト教で重要なものは何でしょうか?聖書も重要ですし、聖歌も重要ですが、一般信者にとって最も重要なものは日曜日ごとのミサや礼拝式です。
日曜日ごとに教会に集まって、一緒に聖書の朗読を聞いたり、牧師さや神父さんの解説を聞きます。一緒にお祈りもします。そして聖歌を歌って終わります。この様な合同でのお祈りの会をカトリックではミサと言い、プロテスタント宗派では礼拝式と言います。
このお祈りの会の内容を理解出来ればキリスト教のことが分かります。西洋文化へ影響を与えた考え方が分かります。
それではミサや礼拝式とはどのような内容で、ミサと礼拝式の違いはどこにあるのでしょうか?答えは非常に簡単です。その前にカトリックの長崎、大浦教会でのミサの風景とヨーロッパの華麗な教会でのミサの風景の写真をご覧下さい。



プロテスタント派の礼拝式とカトリックのミサの共通なものは聖歌があって始まり、聖書の朗読を聞いて、牧師さんや神父さんの解説と説教を聞き、一緒にお祈りをすることです。
そして礼拝式とミサの決定的な違いは、ミサではイエスの体に見立てたパンの一片を神父さんが信者の一人一人の口に入れてくれたり、手の平の上に乗せてくれることです。
プロテスタント派の礼拝式では普通これはしないである特定の日に聖餐式として行う宗派もあります。
それではパンの一片とか聖餐とは何でしょうか?それを理解するためにレオナルド・ダヴィンチが描いた最後の晩餐の絵画をご覧下さい。

この絵はヨーロッパ人なら誰でも知っている有名な絵画です。イエスを囲んで12人の弟子が夕ご飯を食べている光景です。この後、イエスは反対派の訴えでローマ兵に逮捕され、十字架につけられ処刑されます。
この最後の晩餐でイエスはパンを取り、「これは私の体」と言って割いて弟子たちへ食べさせます。葡萄酒の杯を取って、「これは私の血」と言って弟子たちに飲ませます。
カトリックではミサの終わりごろに神父さんが下の写真のような白い小さなパンを取り、神に祈ってそれをイエスの肉体に聖変化させた後で、信者一人一人へ渡すのです。

このパン片の有無がカトリックとプロテスタント派の違いなのです。
イエスの肉体がパン片という神秘的なことはプロテスタント派では重要視しません。
不思議なことや神秘的なことはなるべく少なくしようと下のが宗教改革と言えば言い過ぎでしょうか。
しかし宗教には不思議なことや神秘的なことは非常に重要なのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)