後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

訓練の重要性(3)科学的思考訓練の欠如している東京電力広報担当者達

2011年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

原子炉の全電源喪失で水素が多量に発生し建屋が爆発でコナゴナに吹き飛びました。この現象は科学的に説明すべき内容です。

ところが説明にあたる東京電力広報担当者達の科学的思考訓練があまりにも薄弱なために説明に厳密性がありません。曖昧模糊としています。

その事が東京電力の情報隠蔽体質と連動して国民に根強い不信感を植え付けてしまったのです。

科学的思考訓練とは自然現象の原因と結果の関係を明快に説明しようとする訓練です。

原発の冷却水が何故有効に炉心を冷却出来なかったか?その原因を科学的に推定します。そして推定の正しさや間違いを検討します。そのような態度が始めから無いのです。

次に、炉心へ外側から注水した水は核燃料を溶解や懸濁させながら建屋の地下室に集まると仮定するのが正常な科学的思考です。そのような説明もありません。

また、毎日、何トンの注水をし、そのうち何トンが地下室に集まるのか推定するのも科学的思考です。

次に、地下室から毎日何トンの汚染水を汲み上げて浄化し、そのうち再び何トンを注水に使っているか計算し、公表するのが科学的な態度です。

この単純な数値を発表すると、毎日、原発工場の地下の土の中へ漏れて行く汚染水の量が計算できます。毎日の注水量から汲み上げている汚染水の量をさし引いた量が、地下の土中へ漏れている水の量です。

昨日、1号炉、2号炉、3号炉の全てが100度以下の冷温停止状態になりました。これは予想以上の大きな成果です。

しかし、汚染水は相変わらず漏れ出しているのです。その量を発表しようとしないから情報隠蔽と批判されるのです。

福島原発の原子炉から漏れている汚染水の対策について科学的に明快な発表がありません。

私は現在の放射能汚染水の漏れの様子を大げさに描いた図面を下に示します。

下の図のギザギザの醜い上下の線が、汚染水の漏れの様子をマンガ的に描いたものです。

勿論、全くの憶測で描いた概念図ですので漏れの個所は間違っていると思います。しかし現在何が起きているかを概念的に理解するのには大変分かり易い図面と自負しています。

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水漏れは、3月11日の大地震とその後の水素爆発で、あちこちに出来た割れ目や小さな穴から起きている筈です。

このような状況ですから、すべての割れ目や小さな穴を溶接して密閉する事は殆ど不可能に近いと思います。

全ての原発炉の冷温停止に成功した昨日からは以上のような汚染水の漏れる状況を科学的にそして定量的に発表すべきと信じます。

それが発表されると国民は少し安心するのです。

蛇足ながら付け加えると、汲み上げる汚染水が注水量より多い日もある筈です。大雨の降った翌日は雨水が地下室へ沁み出して、地下室の水位を上げる筈です。その現象も含めて長期間の観察が必要なのです。

このようにして原発のトラブルの一つ一つを科学的に説明して行くことが信頼回復に繋がります。東京電力側の誠実な、そして科学的な説明を期待しています。(続く)

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高速増殖炉もんじゅの重大トラブルを解決しました

2011年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Pn2011062401000365ci00031 昨年の夏に核燃料棒を出し入れする装置が炉内に落下して、制御不能の状態で停止していた高速増殖炉もんじゅのトラブルが今年の6月24日に解決しました。

落下していた装置の引き上げに成功したのです。その引き揚げ後の写真を示します。

詳しい経過は、http://matome.naver.jp/odai/2130620158324944101 に御座います。

このような重大ニュースはもっと大々的に報道して貰いたいと感じました。

まずは明るいニュースなのでご報告いたします。(終り)

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都立薬用植物園の秋の花々の写真を撮りに行ってきました

2011年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

この季節は紅葉にも早すぎるし、花も少なく淋しい季節ですね。そこで今日は小平市の中島町にある都立薬用植物園http://www.tokyo-eiken.go.jp/plant/yakuyo001.htmlへカメラを持って出かけました。

しかしそこも花々は終わっていて、僅かに残った花が少しだけ咲いていました。大切なものを拾い集めるような気落ちで写真を撮って来ました。

お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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秋の甲斐駒山麓、そして人々のなりわい・・・私は農村の人々を尊敬します

2011年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

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実りの秋です。稲穂が垂れ、栗が実り、いろいろな農作物が豊かに収穫される季節です。

長野県と山梨県の県境になっている甲斐駒岳の東側に武川村が広がっています。現在は市町村合併で北杜市武川町といいますが、江戸時代から武川米で有名な豊かな農村です。

昨日、その収穫の季節の風景を撮って来ました。

人々の心がゆったりしていて家々も立派です。沢山の種類の花々を植えています。

農協直営の農産物の販売店に行く武川米の新米をはじめ、穫れたてのいろいろな野菜を売っています。和風の野菜だけでなくズッキーニやルバーブ、ルッコラまで売っているのです。

その農産物を買ってきて家で食べていると、それを作った人々のなりわいが自然に分かってきます。その上、私の山の中の小屋に近い牧畜地帯の人々とは35年間もお付き合いしてきました。親切で心暖かい一家でした。30頭くらいの乳牛を飼っていました。朝早く一升瓶に入れた搾りたての牛乳をおばあさんが届けてくれました。

その生活を知れば知る程、私は農村の人々を尊敬するようになりました。

土を相手に黙々と努力するのです。4月から11月にかけていろいろな農作物を収穫します。米は9月下旬です。その上、乳牛や鶏を飼っている人々は365日の間一日も休みが取れません。朝昼晩と餌をやらなければなりません。旅行など出来ないのです。

武川村は低い土地に広がる水田地帯と高地の畑作・牧畜地帯に分かれます。高地では牧畜と畑作の両方を並行して行なっています。養鶏、肉牛、乳牛の他にいろいろな野菜を生産しています。

高度成長前までは水田地帯の農家は有名な武川米のお陰で金持ちでした。高地の畑作と牧畜をして居た人々は貧しげでした。はじめは稲作農家と畑作・牧畜農家は厳密に分かれていました。

しかし高度成長の頃から水田地帯の若者が都会へ行ってしまいます。高地の畑作・牧畜農家の人々が下に広がる水田の仕事を手伝いはじめます。そのうち後継者の居ない水田農家の田を借りて稲作もするようになりました。

現在では高地の畑作・牧畜地帯の人々も水田地帯の人々も同じように豊かになり、家々の周りには花々を植え、悠々とした生活ぶりです。特に最近は洒落た家に建て替えています。農家ですが別荘風な家もあります。しかし土を相手に相変わらず営々と農作物を作っています。

庭の雑草も取るのが苦手な自分から見ると農作物を作る人々は天才のように輝いて見えます。自分では絶対出来ない仕事をしている農村の人々をつい尊敬してしまいます。そして現在は心の底から深く敬愛しています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人

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久しぶりに山の小屋へ行ってきました

2011年09月29日 | 旅行記

今日は空が抜けるような晴天です。山の小屋が朝から呼んでいます。家内と一緒にブラリと行ってきました。

先週降った大雨が上流の山林に豊かに貯えられているので庭の小川の水量が何時もの何倍もあります。流れる水音が背後の雑木林に木霊して美しい音を響かせていました。

清流のそばのテーブルで家内と昼食を楽しみました。静かにしていると小川の中を岩魚が敏捷に泳いでいます。

もう蝉の声もありません。新鮮な空気と水音だけです。人間界から隔絶されたような森の奥です。小屋の写真はこの記事の前の記事にありますので、ここでは庭の小川の写真だけを示します。上から二番の写真は橋に木の枝が掛かって堰となり「沈下橋」になってしまった様子です。

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別荘を持つことの厳しさと覚悟すべきこと・・・湿気とカビと虫対策

2011年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

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別荘を持つことを憧れる人々も多いようです。 憧れているのは良いのですが、持ってみると現実の厳しさに辟易する人も多いようです。別荘地のある市町村の役所との関係も面倒なものです。私は上の写真にあるような ”山作業用の小屋” を1973年から所有していて毎年24回位通っています。上の写真の小屋は別荘ではありません。近所には「別荘」と「一般住宅」と「小屋」が散在しています。この三者の違いは地方自治体の規則で、役場が一方的に決めています。不動産税の金額が違います。

簡単に言えば「別荘」は豪華なもの、「一般住宅」はいわゆる別荘地ではない「宅地」に建てた住宅風の別荘です。小屋は山作業や農作業をするための道具置きや、宿泊に使うものです。電気・ガス・水道がついて居ません。しかし電気だけは電動工具のために必要なので引いて良いようです。上の写真の小屋を見に来た役場の人が、「これは山仕事用の小屋という種類になります」と言って山を降りて行きました。当時は周りは鬱蒼とした山林で、電気もありませんでした。成程、山林の中を散策する他、何もすることのない所です。それは現在でも同じですが。

しかし近所の丘に登ると甲斐駒や八ヶ岳の雄大な風景が広がっているので豪華な別荘や別荘風住宅が沢山建つようになりました。30年も通っていると別荘の持ち主とも親しくなり、色々な話や愚痴を聞いてきました。

まず第一に泊まりに行く場合は自宅から布団や衣類を車に積んで持って行く必要があります。湿気を含んだ空気が別荘の中にしみ込んで、布団はシットリと湿っています。カビも生えます。別荘に布団を置いておくと着いたら早速、布団乾燥機で乾燥し、カビを叩いて落とす作業があります。

カビの匂いはみじめな匂いです。布団だけでなく壁から床まで掃除をしてカビを落とします。不動産屋さんは購入の時、「ここは高原で湿気の少ないところです」と強調します。しかしどんな高原でも梅雨の時期と夏の間の湿気は高いものです。夏は気温も上がるのでカビが繁殖します。虫が住みつきます。家の中にカマドウマや得体の知れない虫がいっぱい住み着いています。

別荘番の人を雇って置かない限り、カビと湿気と虫との戦争を避けることが出来ません。

賢い奥様族はこの事態をあらかじめ、よく聞いて、知っています。ですから別荘へは絶対に行かず、素敵なホテルに泊まります。それでもロマンチストの夫が別荘を買うと言えば反対はしません。しかし自分は一緒に別荘に行きません。行けばカビの匂いの中で眠る羽目になります。この苦労は「別荘」でも「一般住宅」でも「山作業の小屋」でも全く同じです。

小屋へ遊びに来てくれる別荘の持ち主が、延々とカビの話をします。夏の間来なかったら、新品の畳の上に6cm位のカビが生えていたとも話していました。夏の間は電気代を気にしないで除湿機と冷房装置を連続運転して帰る人もいます。

下の写真は時々、家内と一緒に泊る「小屋」の様子です。電気だけはあります。別荘を購入することをお考えの方々のご参考になれば嬉しく思います。(終り)

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何度見ても感激する田中一村の絵画世界

2011年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

田中一村画伯の絵画は何度みても圧倒されます。

田中一村の絵を前にして私は言葉が出ません。そこでこのブログでは何度も繰り返しご紹介しています。そして感動的なHPをご紹介いたします。是非、ご覧下さい。ここに掲載した絵画の出典は、http://www.ne.jp/asahi/yoshida/gaia/tanaka/frm.htm です。このHPを書いている方の文章もぜひお読みください。そしてこの方のHP:http://www.ne.jp/asahi/yoshida/gaia/index.htm の数々の随筆も是非全てをお読みください。感動すると存じます。

註:田中一村、1908年ー1977年、69歳で没。以下の出典はWikipedeaより。

1955年の西日本へのスケッチ旅行が転機となり、奄美への移住を決意する。1958年、奄美大島に渡り大島紬の染色工で生計を立て絵を描き始める。だが、奄美に渡った後も中央画壇には認められぬまま、無名に近い存在で個展も実現しなかった。

没後に南日本新聞NHKの「日曜美術館」の紹介でその独特の画風が注目を集め、数年前から全国巡回展が開催され、一躍脚光を浴びる。鹿児島県は奄美大島北部・笠利町(現・奄美市)の旧空港跡地にある「奄美パーク」の一角に「田中一村記念美術館」を2001年オープンした(館長宮崎緑)。生誕100年にあたる2008年には、奈良県高市郡明日香村奈良県立万葉文化館[1](館長中西進)で「生誕100年記念特別展 田中一村展―原初へのまなざし―」が開催された。

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自分のブログへ不愉快なコメントが来ないようにする秘訣

2011年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

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(この挿絵の出典:ことめのHP: http://www.ac.auone-net.jp/~kotome/

ブログを書いていると不愉快なコメントを連続的に貰ってショックを受けたり、人間が嫌になりブログを止めてしまう人々が居るといいます。現実に私もネット生活が嫌になり止めてしまった人を知っています。

ところが、私は4年間のブログ体験の中で不愉快なコメントを貰った経験はほんの少数で、圧倒的多数のコメントは好意的で、愉快なものばかりです。元気が出ます。勇気づけられます。人間が好きになります。

手術入院の時などは手術の怖さが和らぎました。結果的に言えば、「ブログ生活は愉快で楽しい」と言えます。そうでなければ飽きやすい私が、毎日ブログを書きながら4年間も続かなかったと思います。

この自分のブログへの不愉快なコメントを避けるために、私は初めから心がけていることがあります。

秘訣といえるかも知れません。その幾つかを書いてみます。

(1)まず内容が一番重要です。読んでくれる人の心が安らぎ、明るい気分になり、元気になるような内容の文章や写真を掲載します。人生を暗く感じさせるような内容のものは一切出さないようにします。

(2)色々な外国や宗教の体験的な話を書いて、人間に共通な善い性格を説明します。共通でない悪い考え方は書かなくとも想像して頂けます。国籍や宗教の違いによる対抗心も自然に消えるような書き方をします。

(3)ブログでは敬語や丁寧語を使います。読んでくれる人々を尊敬しているのです。ですから自然に敬語が出てきます。

しかしコメントを下さる方が丁寧な言葉を使はなくても気にしないようにしています。それはその方の言語能力の問題であり、自分の問題ではないのです。

(4)ブログ世界やその他のネット社会ではお互いに容姿が見えません。人間の悪い側面も見えません。従って、私は全ての人は人格者と仮定してお付き合いをします。全ての男性は美男子であり、全ての女性は素晴らしい美人と想定してお付き合いをします。

当然、敬語や丁寧語が自然に出て参ります。実社会ではないので、そうのように仮定してお付き合いをしても自分に害はありません。

(5)掲載する文章や写真の「内容そのもの」を重視するあまり、美しい文章や上手な写真にするところまで手が届きません。下手な文章です。拙い写真です。

そこで他のブログを書いている方々へ御願いして写真や絵画をお借りして、転載させて頂いています。そうするとこのブログも華やかに飾ることが出来ます。

今日の挿絵の白鳥の飛んでいるイラストも虹河琴女(にじかわ ことめ)さんから2年前にお許しを得て、使わせて頂いています。

(6)以上のように心がけて居ても、たまには実に不愉快千万なコメントが来ることがあります。その対策としてコメントは自動公開にしないで必ず自分の承認の後に公開する方法を取ります。その上、ここが重要なポイントですが、不愉快なコメントは即刻削除して忘れることにします。

世の中には色々な人が居るものです。と軽く受けて、引きずらないことが肝要です。不愉快なコメントに対しては即刻、断固とした処置を取ります。連続するようなら法律的措置をとる決心をしています。

このような心がけを私は2人の別々のアメリカ人から学びました。この二人は私に報酬を払って日本国内の技術動向の調査を依頼してきたのです。メールだけの指示で私は誠心誠意働きました。充分な調査報告書を数回ずつ送ったのです。実に気持ちの良かった仕事でした。

2人とはメールの交換だけで仕事をしました。断片的な報告を送ると、私を褒め、勇気づける内容のメールを即刻寄こします。多彩な内容のメールでした。こちらも本気になって徹底的に調べ上げメールで報告しました。

アメリカ人は容姿、国籍、宗教の違う人間をメールだけで本気で働かせることが出来るのです。一歩進んだネット社会を見る思いでした。その内容はこのブログで別の記事としてご紹介しました。ウオルフ博士とマリア・ソコラッテー先生とのことです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と、楽しいネット生活をお祈り申し上げます。

 藤山杜人

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3日3晩の七転八倒の風邪が治りました・・・しかしガンが再発しました

2011年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

3日3晩の七転八倒の風邪が治りました。励ましのメッセージを多くの方々から頂き本当に有難う御座いました。心から感謝しています。

ところが今日、武蔵野日赤病院で前立腺ガンの定期検査で局所再発と判定されました。

1年後くらいに放射線治療を受けるようになると存じます。それまでは今まで通りの生活が楽しめます。

前立腺の全摘出手術を受けたのが2009年8月です。ガン細胞が完全には取りきれず少し残りました。PSA検査の値が3ケ月ごとにジワジワ上がっています。

手術の3年後の2012年秋には放射線治療を受けるようです。ただし転移しない性質のガンなので副作用の強いホルモン剤は使用しない方針だそうです。

この経過は前立腺ガンをお持ちの方々にご参考になると存じますのでいずれキチンとご報告いたしたいと存じます。

それにしても2年前の前立腺全摘出手術の前後に多くの方から励ましのメッセージを頂きました。その折のご恩は決して忘れていません。

本当に有難う御座いました。藤山杜人

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雨季が終り、晴れ上がったチェンマイの空

2011年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

マイフレのGAKUさんはご夫婦でタイのチェンマイに移住され、悠々と生活を楽しんでいらっしゃいます。写真がお上手で目の覚めるような南国の写真を時々お借りしてこのブログでご紹介しています。

今日は雨季が上がり、久しぶりに空が晴れ上がった様子の写真をご紹介します。そして、その空の下に咲いた南国らしい花の写真もお送りします。GAKUさんはご満悦で稲荷ずしとノリ巻きにビールを持参してピクニックへ行ったそうです。そんな楽しい南の国の生活をご想像しながら写真をお楽しみ下さい。

出典は、http://gaku404.exblog.jp/ です。

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訓練の重要性(2)ファミリーレストランの接客態度に感動し、涙がながれる

2011年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

私は、コンビニ店やファミリーレストランの接客態度に感動し、涙がながれそうになることが時々起きます。老人の感傷でしょうか。

理由を書くまえに、まず老人の昔話を読んで下さい。昔話といっても、1970年頃より前のことです。日本が高度成長を始める前のレストランや店の接客態度の悪さのことです。

その接客態度は悪いだけなら耐えられますが、お客を差別したのです。立派な洋服を着たお客にはへつらいます。ハンサムな男性や美人のお客にはニコニコして愛想を良くします。旅館へ行って、玄関で宿泊を申し込むと、女将が疑い深い、いやな顔をして私の足元を見ます。立派な靴を履いていたら、部屋は一応空いてはいますがと半分承諾してくれます。古靴を履いていたら満室ですとニベも無く断られます。

レストランでも見かけの良いお客へは女給が何度も近付いてサービスをします。金持なら小銭をポチ袋に入れてそっと渡してくれます。旅館でも心ヅケを多くくれそうなお客へサービスを良くします。

私はいつも貧乏そうにしていましたし、見かけも悪い男だったので何度も、何度も、そして何度も悔しい思いをしました。悲しい思いをしました。この書き方のクドさで私の恨み、つらみの深さがお分かり頂けると思います。

これこそが古い日本の文化だったのです。

それがケンタッキーやマクドナルドなどが日本へ上陸してから一挙に変わってしまったのです。アメリカの店では接客態度をマニュアルに従って徹底的に訓練します。その訓練を終了しないと働けないのです。訓練を重要視するアメリカ文化の特徴です。

さらにアメリカ流の接客訓練をしたコンビニが津々浦々に出来ると、日本の店の接客態度もガラリと変化したのです。

皆一様に親切に明るくなり、お客の見かけによって差別しないようになったのです。微塵の差別も感じられません。老人になって、その上、店の中を見るだけで出てしまっても、ニコニコしながら丁寧に送り出してくれるのです。昔はチェッとか聞えよがしに舌打ちして送りだされた事も時々ありました。舌打ちしない場合でも露骨に嫌な顔をされたものです。

ここまで書けば、何故私がコンビニ店やファミリーレストランの接客態度に感動し、涙がながれそうになるかが充分ご理解いただけたと思います。涙を流すは大げさですが、ああ日本も本当に平等な良い邦になったものだと深い喜びに満たされます。

もう止めます。気晴らしに写真を2枚。上の写真は箱根にあるオリエント急行のラウンジで出されるコーヒーセットです。その品質が良いのには感動しませんでしたが運んで来たボーイさんのサービス態度に感心しました。

下の写真は箱根の「山のホテル」の喫茶室です。ピアノなんか置いてある高級な所です。昔は私のような人物は敬遠されそうな場所でした。最近はサービスに差別が無い上、お客も平等に寛いでいます。その光景が私にとっては感動的だったので写真を一枚撮りました。ああ、日本は本当に良い国になりました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人

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旧懐の情を掻き立てる昔の家のたたずまい

2011年09月27日 | 写真

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子供の頃、毎年夏になると、父の実家のお寺へ里帰りしました。一家5人で行って、2週間くらいお寺に泊るのです。そこは阪急線の「能勢口」で「能勢妙見」へ行く支線へ乗り換え、山の方へ入ります。途中で下車して10kmくらい田舎道を歩いた先にある馬場という小さな部落でした。狭い盆地の部落ですが水田が広がり稲穂が夏の陽射しに輝いていたものです。

家々は水田の端の山ぎわに密集してあり、お寺はそれを見降ろすような高台にありました。

その部落にあったような古い農家を思い出させる風景があります。見る度に、旧懐の情で胸が熱くなります。今日もまた感動しました。

武蔵国分寺のそばのお鷹の道にそった古い農家です。何度も散歩に行く所ですが、行く度に昔の事が思い出されます。懐かしい思い出を楽しみながら散歩するのが常です。

今日もそんな散歩をしながら上にあるような写真を撮ってきました。

お楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。

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後期高齢者になったので民生委員の訪問をうけました・・・その感動体験

2011年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

数日前、小金井市役所から封書が来て、民生委員が訪問しますという連絡がありました。

民生委員とは昭和23年制定の法律に従って厚生労働大臣が任命する特別公務員です。無報酬ですが交通費や実費は小金井市が出します。

役目は住民の立場に立って、困った人々へ役所からの援助の申請を支援したり、困窮者の相談に乗り、建設的な解決へ向けてアドバイスしてくれることです。

要するに戦後すぐから日本にあったボランティア活動なのです。無報酬でも熱心に困った人々を助けてきたという輝かしい歴史がある制度なのです。

今日来てくれた方は40歳台の女性でした。民生委員なら信頼して、何でも相談しようと思っていました。

それにしても、こちらの個人的な悩みを相談する以上は、信頼できる人物か否かが心配です。

そこで何故民生委員になったか?前歴は何でしたか?ご主人、子供さん、両方の親は何処に住んでいますか?などと聞きました。そばに居る家内があまり伺うのは失礼ですよと注意します。

しかし本人は気にもかけずに明るい調子で何でもごく自然に答えてくれます。良い家族に恵まれ幸せに暮らしています。ウン、成程これなら信頼して悩み事も相談出来ると確信しました。

訪問先の人にまず信頼される事が民生委員としての一番重要な資格でなないでしょうか?

素晴らしい民生委員です。それでは何故民生委員にったのですかと聞きました。

「幸い、仕事をしなく良いので、地域の人々の為にお役に立ちたいと思ったからです」

立派なボランティア精神です。相当優秀な方のようなので、就職すればかなりの収入になる筈です。それを投げ打って無報酬の奉仕活動をするのです。

そして近所の地域の人々の為に活動するというのも大変重要なことです。

都会では近所付き合いが疎遠になっています。それの改善へ向けて大きな貢献をしているのです。

今日来てくれた民生委員の方の家は私共の子供や孫が卒業した小学校のそばにあります。これで私自身も近隣地域というものに親近感が強くなりました。

訪問してくれた民生委員の方に感動しましたので一文を書きました。

民生委員は全国の津々浦々に男女合わせて23万人います。あなたのお住まいの所にも必ず居ます。市町村役場に問い合わせればあなたの地域の担当委員を教えてくれます。一度ご連絡して民生委員の方にお会いして見て下さい。きっと老後の安心になります。(終り)

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訓練の重要性(1)歴史的ものの見方の訓練をすると趣味が広がる

2011年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

若い頃アメリカに留学して驚いた事が沢山ありました。

日本ではスポーツには毎日の訓練が重要ですと教わりました。

職人になるためには10年、20年の修業時代の「わざ」の訓練が無ければ一人前の職人になれないという話を聞いていました。訓練は体の動かし方の反復練習だけだと思ってアメリカへ留学しました。

ところが欧米では訓練とは知的な訓練も非常に重要視しているのです。

知的訓練にもいろいろ種類があって、科学的思考訓練、哲学的思考訓練、歴史的思考訓練、藝術観賞訓練などから宗教的訓練まで実に多種多様な知的訓練があるのです。

ケンタッキーフライドチキン店やマクドナルド店へ行くと店員の対応が機敏で優しくてとても良い感じをうけます。あれはアメリカ流の訓練方法の驚異的な成果なのです。

今回の「訓練の重要性」という連載記事では、硬軟両方をふくめた記事を何回かに分けて書き進めて行きたいと思います。

今日の第一回では歴史的思考訓練の方法を少しご説明いたします。すると、趣味の世界が急に広がる話をご紹介いたします。

訓練方法は歴史的なことが書いてある本を多数読むことから始めます。

そのとき重要な事が一つあります。ただ漫然と興味本位に読み飛ばすのではなく、自分で問題や疑問を持って読むのです。ここに書いてある歴史は真実か?何故こんな事が起きたのか?歴史は書く人の立場によってが逆の書き方がなるのではないか?書いた人を美化しすぎていないか?他の文書にも同じことが書いてあるか?

こんな問題意識を持って本を読むことが歴史的思考訓練なのです。問題意識を持って読めば、自然に自分の歴史解釈が生まれて来ます。そうすればそれが正しいか否かを調べはじめます。そこまで進めばそれは立派な、そして愉快な趣味へとなります。

実例として、ささやかな私の歴史趣味をご紹介します。

何年も前に埼玉県の秩父へドライブへ行ったことがあります。道に迷って日高市の郊外をウロウロしていたら下のような異国的な魔除けの2本の門柱を偶然見つけました。

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歴史的思考訓練のお陰で、ピンと来ました。ウン、これは昔の朝鮮と交流があったと感じました。日をあらためて再度、調査の為に訪問しました。

朝鮮半島の高句麗が新羅と唐によって滅ぼされたとき日本へ亡命したきた王族と家来たちが埼玉県西部に住みついたのです。勝手に住みつく訳には行きませんから当時の天皇から「高麗王」という称号を貰って武蔵国の領地を分譲してもらい移住したのです。

下の写真が示すように、その「高麗王」の廟所が現在でも存在しています。

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その歴史的いきさつは下の写真にある看板に書いてあります。

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これが歴史趣味の実例です。しかし、この趣味の面白さはその先にあります。自分で見つけた説明は本当に正しいのでしょうか?そして自分でいろいろな仮説を立てて楽しむ事にあります。当時の天皇から立派な称号や領地を貰うために何をしたのでしょうか?持参した金銀や宝石を出したのでしょうか?それだけでは充分ではない筈です。もっと重要なおみやげは「先進的な農業技術」や「金属の精錬技術」の提供だったと想像しています。高句麗王の家来の中に優れた農業や工業の技術者が居たようです。

この仮説の説明をクダクダ書いていると長くなりますので止めます。

しかし素人の歴史趣味というもの一つの例をご理解頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

藤山杜人

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「正論かも」さんからの正論をご紹介致します

2011年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

藤山先生。今晩は。

 何故、日本人はアメリカやヨーロッパの真似ばっかりするんでしょう。

GDPが最良の事項だとは思わないのですが、世界2位を40年間保ってこれたことは、一つの成果だと思います。

アメリカは別格だとして、ある意味世界一なんですよね。

私の考えですと、顔の彫りの深さと、体格の比較にあると思われます。 これはなかなか超えることは出来ません。

だから日本人は容姿に必死になる。

そんな哀しい人が増えているのでしょうね。

結婚は、二人が一緒に居るのが当たり前、色んなことを共感できて二人で行動するのが一番楽しい。というのが最良だと思います。

顔の好みなど一部分にしかすぎないと思います。

司馬遼太郎氏は書かれています。
<アメリカには、抜きがたい悪癖がある。
他の何一つアメリカ的条件をもたない国々に、「アメリカのようになれ」と、本気で勧めてまわることである。イラク戦争もそうでした。>と。

 少々、長くなりましたのでこのあたりで失礼致します。

・・・・・投稿 正論かも | 2011/09/26 20:06 ・・・・・・

以上は、離婚が増える原因・・・お互いを選ぶ能力が無いことに気がついていない! へ対するコメントです。強く同感しましたのでブログの本文でご紹介いたしました。

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