後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、冬枯れの農村の写真を撮りに行く」

2020年01月31日 | 日記
今日は快晴でしたが寒風が吹きまくり文字通りの冬日です。何故か冬の農村風景を眺めたくなりました。
東京の西北の郊外に広がる「あきる野市」にはまだ農村らしい風景があります。少し遠方ですが中央高速道路を使えば1時間です。
行って見たら、冬枯れの田圃が淋しそうに広がっています。向こうには暗い森が見えます。その上の空には冬の白い雲が流れています。
写真を撮っていると手が寒さで痛くなります。嗚呼、今は冬の大寒なのだと骨身に沁みました。
そして吹きまくる風はあくまで新鮮です。農村地帯の空気はすがすがしく美味しいのです。
身も心も洗われたような気分で帰って来ました。
あきる野市の農村地帯の写真をお送りいたします。





「美しい白鷺の姿を眺めて戦後の飢餓時代を思い出す」

2020年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム
何故、白鷺の姿を眺めて戦後の飢餓時代を思い出したのでしょうか?
その説明は後にして、まず美しい白鷺の姿の写真をご覧下さい。
初めの2枚は昨日撮った写真で、後の3枚は、https://ja.wikipedia.org/wiki/白鷺、からお借りした写真です。









さて何故、白鷺の姿を眺めて戦後の飢餓時代を思い出したのでしょうか?
現在の日本人には考えられないことです。
戦後の日本は食料難の時代でした。餓死する人も絶えませんでした。飢餓の時代だったのです。
その飢餓の時代には不味いカラス以外は野鳥も捕って食べました。鴨や雉や山鳥は勿論、罰当たりの人は神社の鳩まで捕って食べました。鳩はフランス料理で使われるくらい美味しいそうです。
美しい白鷺が全国で見られるようになったのは食料難の時代が過ぎてからと私は思い込んでいます。食べなくなったから白鷺が増えたと思い込んでいる私です。この思い込みは間違っているかもしれません。
この思い込みは私がシジュウカラやメジロやスズメを焼き鳥にして食べた強烈な経験があるから出来たのです。
少しそのいきさつを話しましょう。
戦後すぐの頃、少年だった私は近所の「不良のあんちゃん」に可愛がられていました。不良のあんちゃんの子分だったのです。
この「あんちゃん」は裏山でシジュウカラやメジロやスズメを捕る名人でした。
棒の先に強いねばり気のあるとりもちを巻きつけて裏山の雑木の枝に取り付けるのです。そうするとシジュウカラやメジロやスズメが簡単に沢山捕れるのです。
小鳥の羽を取り去って、割いて、竹串に刺してイロリの火で醤油をつけながら焼くのです。それは実に美味しいものでした。特にスズメは美味しかったのです。
こんな経験をしたので、戦後は白鷺も食べてしまったのだろうと想像しているのです。
私を可愛がってくれた「不良のあんちゃん」は美味しい焼き鳥を食べさせた後、何処かに消えてしまいました。それ以来、杳として消息がわかりません。器用で、その上子分を可愛がる性格ですから、それなりに幸せな一生だったと信じています。

美しいい白鷺の姿を見るたびに「不良のあんちゃん」に可愛がられた少年の頃を思い出します。イロリの火で醤油をつけながら焼いた小鳥の美味しかったことを思い出すのです。
その経験は私に不良少年に対する暖かい気持を持たせたのです。この世の不良少年は必ず優しい気持ちを持っていると信じているのです。

親鸞は歎異抄のなかで、「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」と書いています。
不良少年は学校の成績が悪くて非行をするものです。先生の敵です。しかし私は不良少年に恩義を感じています。この世に元来悪い人などいないのです。
美しい白鷺の姿を見るたびに不良のあんちゃんの一生が幸多かれと祈っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、水ぬるむ池に遊ぶ鳥たちの写真を撮りに行く」

2020年01月30日 | 日記
清瀬市の金山緑地は柳瀬川沿いの湿地です。東西に池が連なっています。
その池に冬になるとシベリアから鴨たちが渡ってきます。シラサギもカラスも水場に遊びに来ます。
今日も快晴で気温も18度まで上がり春が来たような陽気です。
午後から水ぬるむ池に遊ぶ鳥たちの写真を撮りに行きました。
鳥たちのいる水辺は駐車場から少し遠いので家内に写真を撮りに行って貰いました。私は車から椅子を持ち出して、
高い土手の上で暖かい光を浴びながら近くの池の水面を見下しています。水面に青空と白い雲が映っています。
遥か遠い池のそばで家内が熱心に鳥たちの写真を写しているのが見えます。









「しみじみと自然を愛し花を眺めれば幸せになる」

2020年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム
自然の風景は美しい。そして四季折々咲く花々を眺めるとその美しさに魅せられます。
しみじみと自然を愛し花を眺めれば幸せになれると私は信じています。
ですから海や山や湖の風景を求めてあちこちに行きます。四季折々の花々を求めて野山をそして花畑や花園を探しに行きます。
とにかく自然をしみじみ愛します。すると足もとを流れる小川の水に魅了されます。一面に苔むした庭にも大自然を感じます。
冬の木枯らしに舞う落ち葉も何かを語っています。そして一面の原野が雪に覆われている光景にも息を飲みます。遠方に碧く輝いている雪山にも何故か感動します。そして四季折々に咲く花々は自然の美しさを引きたててくれます。

考えてみると自然を単純に愛すと幸せになると確信するようになったのは70歳を過ぎてからでしょうか?
それ以前は体力もあり山々に登ったり、海でヨットを楽しんだりしました。しかし高齢になると山に登れなくなり、ヨットも出来なくなります。ただ自然の風景や花々を眺めるだけになります。
静かに眺めていると自然界の息づかいが聞こえてくるように感じられるのです。それは地球の悠久な息づかいなのです。
自然と人間が一体になると感じる瞬間が時々あります。何の恐れも苦しさも無い幸せな瞬間です。これが単純に自然を愛せば幸せになるということなのでしょうか。

さて今日は日本に咲く花々のことを書きたいと思います。日本原産の花々と海外から渡来して来た花々なのかを考えてみたいと思います。
花のお好きな方は多いと思います。しかし日本原産の花か、海外から渡来してきた花かを正確にご存じの方は少ないと思います。
私は昔から日本原産の花に興味があったので調べてきました。ある時、本格的な文献を発見したのです。
それは慶応大学、磯野直秀名誉教授の発表している「明治前園芸植物渡来年表」です。(http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13125 です)
これは完璧な研究論文です。信用出来る内容です。
いろいろな時代に日本に渡来した花々が明快に示してあるのです。
下にその一部をご紹介いたしますが、是非原文をご覧下さい。植物学の素人にも簡単に理解出来る素晴らしい文章で書いてあります。
(1)奈良、平安期
梅、菊、ボタン、シャクヤク、アサガオ、シモクレン、ケイトウ、ジュズダマだどなど。
(2)鎌倉期
ナンテン、フヨウ、ムクゲなど。
(3)室町期から安土桃山期
スイセン、ホーセンカ、ジンチョウゲ、ヒガンバナ、ローバイ、ソテツなどなど。
(4)江戸時代(17世紀)
シュウカイドウ、サルスベリ、レンギョウ、ハクモクレン、オシロイバナ、エニシダ、ヒマワリ、などなそ。
(5)江戸時代(18世紀)
キョーチクトウ、ハボタン、ニチニチソウ、など。
(6)江戸時代(19世紀)
ノボタン、ダリア、オジギソウ、コスモス、カンナ、キンギョソウ、スイートピー、パンジー、ラベンダーチューリップ、ゼラニュームなどなど。
この研究論文の圧巻は30ページから39ページにわたる数百種の渡来園芸植物の年号別の一覧表にあります。
慶雲2年(705年)から始まって、明治1年(1968年)のそれぞれの年号に渡来した園芸植物の名前が明記してあるのです。それはこの研究者のライフワークと言っても過言ではありません。

驚くことにわれわれが普通日本古来の植物と思っていた梅も柿もナスも皆渡来植物なのです。
是非ご覧下さい。そして植物がこの地球上を移動して繁茂する不思議をお考え下さい。
そして驚いたことに花屋さんで売っている花々の大部分が外国からやって来た花なのです。
それではと「日本原産の花」を検索しましたところ「お花の写真集」というホームページがありました。日本原産の花々の写真が沢山掲載されています。もっとも日本原産といっても東南アジアや中国、シベリアにもある花々です。日本だけの固有種ではありません。
その中から幾つかの写真をお送り致します。
 
1番目の写真がマンサクです。2番目の写真はテッポウユリです。
 
3番目の写真はハナショウブです。4番目の写真はフヨウです。
 
5番目の写真ははアジサイです。6番目の写真はカラスウリです。
 
7番目の写真はナデシコです。8番目の写真はオミナエシです。

さてそれでは日本にだけ生育している固有植物の花は何でしょうか?
日本の固有植物(http://d.hatena.ne.jp/naturalist2008/20110520/1305903018)というホームページには日本の固有な花の写真が掲載されて」います。
それを見ると、キンラン、エビネ、クマガイソウ、ウラシマソウなどとあまり数多くないことが分かります。
さてついでに桜について調べてみました。桜の原産はヒマラヤです。
『万葉集』には色々な植物が登場しますが、桜もその一つです。しかし、中国文化の影響が強かった奈良時代は和歌などで単に「花」といえば梅をさしていたそうです。万葉集においては梅の歌118首に対し桜の歌は44首に過ぎなかったのです。その後平安時代に国風文化が育つにつれて徐々に桜の人気が高まり、特に江戸時代になると「花」とは桜を指すようになったと言われています。
サクラの原産地はヒマラヤで、現在、ヨーロッパ・西シベリア・日本・中国・米国・カナダなど、主に北半球の温帯に、広範囲に分布しています。
桜で日本に自生するものとしては5から7種類ほどが認められており、これらの変性や交雑などから数十種類の自生種が存在するそうです。現在、広く植えられているソメイヨシノは江戸末期の改良種です。
このような花々の海外からの渡来の歴史を知ると時代によって日本人が眺めていた花の風景が変わって来たことが分かります。
年年歳歳、花相似たり、歳歳年々、人同じからず、と言います。しかし時間をもっと長い視野で考えると年年歳歳、花同じからず、となるのです。何故か地球の悠久の歴史が感じられます。
自然を愛するためには理屈がいりません。
自然の風景を単純に愛せば幸せになれると私は信じています。
四季折々の山林の風景を愛しています。林の中をじっと眺めます。樹木そのものも美しいですが背景に碧く輝く雪山が見えると一層美しく見えます。
そして四季折々いろいろな所に咲く花々に心が奪われます。本当に幸せな気分です。
こうして今日も何事もなく流れ行きます。老境の平穏な一日です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、春の陽気に誘われて梅の花の写真を撮りに行く」

2020年01月29日 | 日記
今日は4月のような陽気で16度まで気温が上がりました。
この暖かさと青空に誘われて、小金井公園の梅の花の写真を撮りに行って来ました。
たった一本だけ開花していた白梅の花の写真をお楽しみ下さい。









日本人とアイヌ人の先祖は同じ縄文人であった!

2020年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人とアイヌ人はまったく違う民族だと思っている人が多いと思います。
それは大きな間違いです。最近の考古学やアイヌの歴史研究の成果を知らないで誤解しているだけです。
最近の研究によると日本全土に暮らしていた縄文人が後の鎌倉時代ころに和人とアイヌに分かれただけなのです。
今日はこの事実を箇条書きに整理して説明したいと思います。

(1)縄文人が和人とアイヌに分かれた事情
縄文時代の終りごろまで日本列島は同じ様に狩猟、採集にあわせて畑作農耕で暮らしていました。
ところが紀元前400年−前300年ごろから本州南部、四国、九州に住む人々の多くが稲作を主にした農業へ移行していったのです。
水稲の生産性は各段に良いので狩猟、採集をしなくても暮らしていけるようになったのです。
一方、本州の北部と北海道では水稲栽培が困難なために狩猟・漁猟・採集を主とした生活文化が存続していたのです。
すなわち本州南部、四国、九州では弥生時代になっても本州の北部と北海道は縄文時代だったのです。
北海道の縄文時代の文化はオホーツク文化の影響を受け、8世紀ころに「擦文(さつもん)文化」に移行し12世紀−13世紀まで続いたのです。
この「擦文文化」は北海道の全域に展開し,津軽半島や下北半島にも伝承されました。
そして13世紀には擦文文化から「アイヌ文化」へ変わっていったのです。このころから和人とは異なる所謂、アイヌ文化とアイヌ民族の形成が始まったのです。14世紀以降アイヌ文化は本格的に発展していったのです。
15世紀になると津軽半島の十三湊(とさみなと)を本拠としていた安東(安藤)氏が南部氏に追われて北海道南部の渡島半島に逃亡し自分の領土とし、アイヌが支配していた河川の流域や海岸線に勢力を広げて行ったのです。そして松前藩も出来ました。このような状態は明治維新まで続いたのです。
以上を要約すると縄文人が13世紀ころの鎌倉時代に和人とアイヌ民族に分かれて、それぞれが独自の文化を発達させて行ったのです。
ですから日本人とアイヌ人の先祖は同じ縄文人だったのです。

(2)富士山も神も北海道の8割の地名もアイヌ語起源の事実
この事実は明治時代に東京帝国大学の言語学の教授であったバジル・ホール・チェンバレン教授によって証明されたのです。彼は英・アイヌ・和語辞書を作った学者です。
とりわけ北海道や東北の地名には、アイヌ語に漢字を当てたものが数多くあるのです。彼は富士山や利根川や能登半島もアイヌ語だとも指摘しています。
そして現在、北海道の地名の8割ほどがアイヌ語をカタカナや漢字で表現した地名であるのです。
札幌も稚内も石狩川もすべてアイヌ語の地名を漢字で書いたものなのです。
北海道に数多く見られる地名には「内」や「別」が含まれること多いのです。これは、それぞれアイヌ語で川を意味する「ナイ」「ペツ」に当て字されたものであり、「内側」「別れる」の意味は持ちません。同じように「幌」は「大きい・広い」を意味する「ポロ」の当て字ので、「幌」の字の持つ意味とは関係はありません。
現在の日本人は意外にこの事実を知っていません。なお詳細は2018年06月27日掲載の「日本人の先祖はアイヌ人(1)富士山も神もアイヌ語」という記事に出ています。

(3)北海道と都北地方にあった同じ縄文文化

旧石器時代と縄文時代は北海道と東北地方はアイヌ人の祖先による同じ文化圏だったのです。
北海道と東北地方から出土する石器と縄文土器が 共通な形をしているのです。
煩雑な説明は後回しにして、まず写真でこの様子を示します。

1番目の写真は縄文時代に繁栄した青森県の三内丸山遺跡の復元、展示です。一般に縄文時代は原始的な狩猟、採集で生活をしていた約12000年間です。
この青森県にある遺跡には大型家屋があり、整然と並んだ小型住宅があり、食料貯蔵用の高床式倉庫群があり、祭祀用の神秘的な巨大柱があり、整然とした墓地もあります。それは小さいながら一つの王国のようです。残念ながら文書だけは存在していなかったので、その王国の統治組織や社会階組織は全く不明です。
しかしそれは弥生時代や古墳時代の地方の豪族の領地支配の歴史へと繋がる社会と文化だったのです。

2番目の写真は北海道から出土した国宝の中空の土偶です。北海道の函館市臼尻小学校付近から出土した多量の精巧な土偶です。高さ41・5センチメートルもある大きな土偶です。下の2枚と共に2012年6月に私が撮った写真です。この国宝の詳細は、函館市縄文文化交流センターを検索すると出ています。

3番目の写真はこの国宝の土偶の説明板です。1975年に発見されたことなどが書かれています。

4番目の写真は同じ函館市臼尻遺跡から出て来た土器です。北海道から出土する縄文土器は円筒形をしたもので、同じような土器が北東北地方からも出てきます。

5番目の写真も同じ函館市臼尻遺跡から出て来た石器です。

これらの北海道から発見された縄文時代の土器や石器は青森県の三内丸山遺跡で発見された土器や石器と全く同じだったのです。
つまり旧石器時代と縄文時代は北海道と東北地方は同じ文化圏だったのです。
なお詳しくは2018年06月28日 掲載の「日本人の先祖はアイヌ人(2)アイヌ人の作った東北の縄文文化 」をご覧下さい。
ここで視野を広げて四国と九州まで考えてみましょう。数多くの縄文土器は四国と九州の全域から出て来ます。離島の八丈島からも出てきます。縄文文化は日本列島の隅々まで栄えていたのです。沖縄だけは違っていたのです。
現在、多くの人々がアイヌと日本人は違う民族だと思っています。しかし日本人とアイヌ人の先祖は同じ縄文人であったのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「日本の神道、仏教、キリスト教の混淆と生長の家」

2020年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム
私は日本という国を愛しています。かなり熱烈な愛国者です。
そんなこともあって日本のことをあれやこれやと考えています。
今日は日本の神道、仏教、キリスト教の混淆の事実を少し説明し、そこから自然に生まれた「生長の家」という団体の考え方をご紹介したいと思います。
私自身は一神教のカトリック信者ですが日本の宗教の良さも理解しています。日本の愛国者なのですから日本人の宗教も愛しています。
さて、まずはじめにキリスト教と神道と仏教の混淆の様子を示す写真を見てみましょう。
これらの写真は五島列島生まれの写真家、峰脇 英樹さんが Face Book に最近掲載したものです。

1番目の写真は 長崎市下黒崎町枯松頭にある枯松神社です。
枯松神社は禁教時代に外海地方で活動した日本人伝道士バスチャンの師であるサン・ジワン神父を祀っています。この珍しいキリシタン神社は外海のかくれキリシタンの聖地のひとつです。
神社といっても鳥居はなく、小さな社殿がひっそりとあるだけです。厳しい弾圧の中、信仰がばれないように神社としてカムフラージュしたなごりなのです。

2番目の写真はこの神社での合同慰霊祭の写真です。
この合同慰霊祭では、2000年より毎年11月3日に行われています。
サン・ジワンとその信仰を守り続けた先祖たちの霊を慰める祈りの行事です。特徴的なのは、現在のカトリック信者と仏教徒、そして旧キリシタン(かくれキリシタン)が一堂に会して祭りを行うことです。
カトリック教会による慰霊ミサやかくれキリシタンの代表によるオラショ奉納など、緑深い山林の小さな神社を前に行われる儀式はとても神聖で神秘的な雰囲気が漂うそうです。

3番目の写真は「﨑津三宗派御朱印帳」を出している熊本県天草市の 普應軒です。
このお寺は元禄年間(江戸時代中期)に創建された曹洞宗のお寺で釈迦如来が祀られています。
ここで最近、有名になっているのが「﨑津三宗派御朱印帳」です。キリスト教と仏教と神道という3つの異なる宗教の御朱印を一冊の御朱印帳として発行しているのです。キリスト教に御朱印制度はありませんから非常に珍しいものです。

4番目の写真はこの「﨑津三宗派御朱印帳」です。
キリスト教の御朱印は世界遺産のカトリック崎津教会の神父さまが墨書しています。神道の御朱印は﨑津諏訪神社の神主さまが墨書しています。

5番目の写真はカトリック崎津教会を取り囲む天草市の崎津集落の写真です。

これらの写真はキリスト教と神道と仏教の混淆の様子を示しています。
この様な日本人の宗教の混淆から自然に生まれたのが「生長の家」と考えられます。
以下は2014年11月05日 に掲載した「生長の家」の関する記事の抜粋です。
・・・「佛教とキリスト教の関係」(生長の家の創始者谷口雅春先生著『真理』より)

「肉体の健康は、食物の摂取や、煙草や酒の節制からも得られるが、精神の健康は聖賢の書物を暇ある毎に読むことによって得られるのである。そのために私は好んで、聖書を読み、仏典を読んで基督の心、釈迦の心に、より多く触れることにつとめているのである。しかしこれ等の聖典はいずれも意義深遠にして、普通の人にはその真義に到達し得ないために、私は現代人に一層より分かり易く書きたいと思ってそれをよくよく噛みくだき、ダイジェスト(消化の意)し、現代人に解りやすくして読者に送っているのである。それがこの全集『真理』である。」 ・・・

いかがでしょうか。「生長の家」は日本の宗教事情から生まれた独創的な考え方です。日本の特徴を示す文化の一部です。大切にしたいと思います。
私はネットの上で幾人かの生長の家の会員と友人になっています。そしてその方々からコメントも頂きました。
ところがそのコメントの日本語が丁寧で礼儀正しいことに感動しました。とても教養のある日本人なのです。
日本には本当にいろいろな宗教団体があるのですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「超大国アメリカに増加する飢餓問題」

2020年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム
平和な日本で幸せに暮らしている多くの人々は外国のことなどあまり関心がありません。しかし外国といってもアメリカは日本へ大きな影響を与えていますからその国情を知ることは非常に重要です。
そこで今日は世界中に米軍基地を置いている超大国には貧困層が増加し続けている事実をご紹介したいと思います。
日本も貧困層が増加していますので深く考えるべき問題なのです。
アメリカの貧困層や飢餓問題に関連して今日は(1)アメリカの軍事力、(2)アメリカの教育、(3)貧困層や飢餓問題、の三項目について順をおって説明したいと思います。

(1)世界中に展開するアメリカの軍事力
アメリカ軍の兵員は208万人と報じられています。そのアメリカ軍の陸海空の通常戦力と核戦力は世界のどの国をも圧倒していることは明白です。
アメリカ軍は陸海空軍・宇宙軍及びアメリカ海兵隊の常備軍ほか、アメリカ沿岸警備隊を含めた6軍からなっています。
これを支える軍備の概略は次のとおりです。
人口 : 3億2662万5791
兵員 : 208万3100
航空戦力 : 1万3362
戦闘機 : 1962
戦車 : 5884
主要艦艇 : 415(空母20隻)
以上のような軍備などの軍事予算は毎年 6500億ドル位と言います。
アメリカ軍の強大さに圧倒されます。
アメリカ軍は全世界を占領しているようなものです。
この趨勢は日本、ドイツ、イタリアなどが第二次世界大戦で敗北したことと、1991年にソ連が解体した歴史が作ったのです。
この膨大な軍事力を支えるお金はアメリカ人の税金から来るのです。従ってアメリカ人は金持ちなのです。飢餓問題なんて存在しないと思うのが当然です。
しかし飢餓問題が増大し起きているのです。
その原因はアメリカの教育と人々の考え方にあるのです。少し説明しましょう。

(2)アメリカの教育と人々の考え方
私は留学した経験があるのでアメリカの教育現場の実態を知っています。
一番驚いたのはアメリカの教育では弱肉強食の精神の重要性を教えていることです。アメリカの学校では落第と強制退学が頻繁に行われています。努力しても成績があるレベルより上がらなければ自動的に落第です。
アメリカの大学では入学者数の半分くらいしか卒業出来ない大学もあります。多くの学生が成績があるレベル以上に上がらないで強制退学されるのです。
アメリカの教育の現場は弱肉強食なのです。
私にも机を並べていた級友が2人消えてしまった経験がありました。成績が上がらず強制退学になったのです。
そんな教育なのでアメリカの社会も弱肉強食になるのです。
当然、貧困層が増大し飢餓問題が起きます。その実態を見てみましょう。

(3)アメリカに於ける貧困層の増大と飢餓問題

アメリカの納税者のトップ1%の所得が国民所得に占める割合は、1980年に11%だったのが、2018年では20%を超えているのです。
そして、下層半分のアメリカ人の所得が国民所得に占める割合は、1980年は20%だったが、2018年では12%に減っているのです。
言い換えれば、アメリカでは富裕層はますます裕福になり、中間層や貧困層はより貧しくなっているのです。
アメリカは根っからの資本主義の国です。昔から共産主義を徹底否定し、自由経済・自由貿易をしてきました。その副産物が今日の貧困問題とも言えます。
「成功したものは大金を手にし、失敗したものはどん底」。これが資本主義の根底にあるものですが、現在のアメリカの現状を見てみるとよく分かります。
貧困層が増大すれば飢餓問題が起きます。
アメリカでは、約7人に1人が食べることに困り、食事の援助を受けているのが現状です。 
非営利組織(NPO)フィーディング・アメリカ(Feeding America)が発表した調査報告書によれば、日々の食事を補うために配給所などを利用する人が増加しており、しかも、あらゆる層にまたがっていると言います。
アメリカ国民の4600万人以上が生きていくために食事の援助を受けていると報告書は述べています。
内訳は子供1200万人、高齢者700万人、ワーキングプアや兵士の家族、失業者、大卒の若者など数百万人だそうです。
例えばかつては自動車大国アメリカの“背骨”であった街、デトロイトを見てみましょう。
自動車産業で栄えたこの街は人口が半分以下まで減少しました。
雇用が減り治安も悪化し、暴力犯罪率は 全米第2位になり、“最悪級のスラム都市”に転落したのです。
路上にはホームレスの列、絶え間ない銃声。希望なの無い、誰も住みたがらない街になったのです。
何度も書きますがアメリカ社会は弱肉強食の精神が重要だと信じている社会なのです。
その精神がアメリカを世界一の超大国にしたのです。
同時にその精神がアメリカの貧困層を増大させ飢餓問題がますます大きな問題にしているのです。
困った問題です。日本もいずれアメリカのようになるのでしょうか?

今日の挿し絵代わりの写真は記事の内容に関連した写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


1番目の写真はアメリカ海軍の所有する空母20隻のうちの一隻の写真です。

2番目の写真は私が昔留学したオハイオ州立大学の中心部分です。

3番目の写真はオハイオ州立大学のアメリカンフットボールのスタジアムです。

4番目の写真は取り残された“最悪級のスラム都市”デトロイトの様子です。出典は、https://heapsmag.com/detroit-revival-bicycles です。

5番目の写真はロサンゼルスの中心地から車で1分でホームレスだらけのスラム街です。写真の出典は、https://ameblo.jp/urban-x059/entry-12418763239.html です。
ビルだらけの中心地から車でわずか1分でホームレスだらけ、ゴミだらけ、落書きだらけのスラム街へ行けるのです。

「今日の日記、武蔵国の国分寺の写真を撮りに行きました」

2020年01月26日 | 日記
今日は寒い曇り日でした。午後に武蔵国の国分寺の写真を撮りに行きました。
国分寺がこの場所に出来たのは3Kmくらい南に武蔵国の国衙があったからです。現在の府中市の大國魂神社の隣りに国衙の建物があったのです。
写真を撮りながら悠久の時の流れを考えていました。
初めの写真は昔の国分寺跡の礎石です。
2枚目以下の写真は現在の国分寺です。万葉植物園が境内にあります。冬枯れで花も葉も枯れていました。再建された国分寺は昔の国分寺跡の北に約300mの所にあります。
今日撮って来た写真をお送りいたします。










「今日の日記、初春の菜の花の写真を撮りに行く」

2020年01月25日 | 日記
午前中は「悲しい離婚にまつわる私の迷いと混乱」と題する記事を書きました。
午後に三鷹市の「花と緑の広場」へ菜の花の写真を撮りに行きました。もう満開で急に春が来たような気分になりました。
一度、家に帰ってからスーパーに食料品を買いにいきました。
一日中、曇り日でした。
春を告げるの菜の花の写真をお楽しみ下さい。









悲しい離婚にまつわる私の迷いと混乱

2020年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
私どもと家族的な付き合いをしていたアメリカ人夫妻がいました。親友でした。それがある時離婚します。そうしたら奥さんの方から悲しい手紙が何度も来たのです。幼い子供をつれてアメリカ中を行商をしながら流浪の旅をしているというのです。せつせつと悲しみを書いて航空便で送ってくるのです。彼女は数学が得意の細身の美人でした。それだけに悲しさが一層深く感じたのです。
それ以来、私は離婚は悲しいものだという固定観念を持つようになりました。
そんなことを思い出しながら最近、世界各国の離婚率などを調べています。そうしたら各国の離婚率が1980年ころから下がっている国が多いのです。
もともと他の国より離婚率の高さで際立っていた米国は、1981年の5.27をピークに、低下し始めたのです。
英国も同様のパターンで低下方向に推移しています。ドイツと日本は米国に大きく遅れて2000年代にピークに達し、低下に転じています。
離婚は悲しいものだと思っていた私は何となく安心しました。
しかしもっと調べて行くと、結婚しない男女が増加し、その子供、なわち「婚外子」が驚く勢いで増えている国々があることが判明したのです。
「婚外子」が多いのはスウェーデン、ノルウエイ、などの北欧の国です。そして「婚外子」が非常に少ない国は日本、韓国、トルコなどです。
この様子を次の図面が明快に示しています。

この図の出典は、、http://honkawa2.sakura.ne.jp/1520.html です。
さてこの図を注意深く見てみましょう。
一番婚外子の多いのはチリでその割合は2016年に73%もいたのです。メキシコは70%でした。フランスは2016年の婚外子は60%でした。続いて、ノルウエイが56%、スウェーデンが55%です。
イギリスは48%、アメリカは40%、ドイツは36%です。
これと際立って対照的なのが韓国の1.9%と日本の2.3%とトルコの2.9%です。
この図面にイスラム教の国々のデータはありませんがトルコなみに低いと想像出来ます。

以上を纏めると世界の多くの国々では婚外子が非常に増加しているのに韓国と日本は極端に少ないのです。

ここで結婚や離婚をどのように考えるべきか私は迷い出しました。結婚して幸せな人生を送る。離婚は悲しいものだという私の固定観念が木端微塵になってしまったのです。私の考えは混乱したままです。
シングルマザーでも幸福に暮らしている女性もいます。私の親友のスウェーデン人は同棲していますが結婚していません。子供が出来ないのでアフリカの子供を養子にして一緒に住んでいました。
私の考えは混乱したままです。今日の表題の「悲しい離婚にまつわる私の迷いと混乱」はこの様な事情で生れたのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

トランプ大統領弾劾の理由のウクライナ疑惑とは?

2020年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム
ウクライナのガス会社をめぐる疑惑、https://ja.wikipedia.org/wiki/ドナルド・トランプとウクライナ論争

オバマ大統領の副大統領で、2020年の大統領選挙への立候補しそうなのは民主党のジョー・バイデン氏である。

その次男であるハンター・バイデンは、2014年から2019年まで、ウクライナの天然ガス会社であるブリスマ・ホールディングスの取締役を務めていた。
同社は、2016年までに何らかの疑惑を抱えウクライナ検察当局の捜査対象となっていたが、父親のバイデン副大統領がウクライナを訪問した際に同国の検事総長を罷免するよう要求すると、まもなくウクライナ議会は検事総長を罷免したのです。
その結果、この会社は、検察当局からの追及を免れていたのです。
2019年7月25日、トランプ大統領は、ウクライナへの軍事支援を進めているタイミングでゼレンスキー大統領と電話で会談します。
トランプ大統領は秘密裏にバイデン親子のウクライナにおける活動について捜査するよう要請しました。
ところが同年8月頃、電話会談の内容が何者かの手で明るみになったのです。
ナンシー・ペロシ下院議長を始めとした民主党議員らは、職権乱用であるとして大統領の姿勢を一斉に批判し始め、今回の弾劾になったのです。
私は父親のバイデン副大統領もウクライナに対する内政干渉を行ったのは非難すべきと思います。と同時にトランプ大統領も職権乱用をしたのです。
アメリカとウクライナの権力者はどろどろした見苦しいことをしていたのです。
日米関係にも同じようなことがあるのでしょうか?政治の世界には秘密があるのですね。

トランプ大統領弾劾裁判の国際情勢へ及ぼす大きな影響

2020年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム
トランプ大統領弾劾裁判では共和党議員の反対によりトランプ大統領の無罪という結論を出します。民主党は敗北します。
しかし敗けると分かっているのに何故、民主党はトランプ大統領を弾劾追訴をしたのでしょうか?
追訴の理由が明快でないのも民主党の弱点です。
追訴の理由はウクライナ疑惑と、それにからんだ権力乱用と資料提出を断って議会の調査を妨害したというのです。多くの日本人は追訴の理由のウクライナ疑惑が理解出来ないのです。これを理解するために下記の昨日の報道記事を注意深くお読み下さい。

「トランプ弾劾裁判、これからどう進むのか」、https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/01/post-92208.php
米上院で審理が始まったドナルド・トランプ米大統領の弾劾裁判は3日目に入り、米東部時間の22日(日本時間23日)、まず検事役を務める弾劾管理人(下院民主党が選出)が冒頭陳述を開始した。
弾劾管理人は、トランプ訴追の理由であるウクライナ疑惑の内容を述べる。そしてウクライナ疑惑にからんだ権力乱用と議会の調査妨害だ。陪審員役の上院議員はまる1日、弾劾管理人の陳述を聞くことになる。

・・・中略・・・
アメリカ史上弾劾訴追された大統領は、アンドリュー・ジョンソン、ビル・クリントンに次いで、トランプで3人目。トランプの弾劾条項2項目は昨年12月に下院で可決された。民主党議員はほぼ全員が賛成、共和党議員は造反者ゼロで全員が反対した。
弾劾の核心は、トランプが今年の大統領選で勝利するため、不公正なやり方でウクライナの助けを求めたかどうかだ。トランプはウクライナへの軍事援助と同国のゼレンスキー大統領との会談を棚上げにして、ジョー・バイデン前副大統領とその息子で、ウクライナの天然ガス会社ブリスマの役員を務めていたハンター・バイデンに関する捜査開始を発表するようウクライナに迫ったと、民主党は主張している。・・・

この記事を分かり易く書き直すとトランプ大統領は先の大統領選挙で対抗馬のバイデン前副大統領の悪事をウクライナ政府が暴露するように不正な圧力をかけたという事です。

バイデン氏は前のオバマ政権の副大統領で民主党中道派を代表する大物政治家でした。上院議員としては当選回数7回、議員生活36年を誇ったベテランでトランプ大統領の有力な対抗馬でした。

今回のトランプ大統領弾劾裁判は泥仕合に終わるでしょう。
しかし国際情勢へ及ぼす影響は非常に大きいと考えられます。
トランプ大統領の外交方針はアメリカさえ良ければ同盟国を見捨てるというものです。アメリカとの同盟関係などアメリカの経済的利益のためには弊履の如く捨てるのです。
そしてイランを軍事的に脅迫しているよう外交に軍事力を使う方針です。
このように世界の唯一の超大国としてアメリカ第一主義を外交の柱にしているのです。
このやり方に多くの国々は辟易しアメリカは孤立して行きます。
しかし民主党の外交政策は違います。外交はあくまでも円満な交渉で進め従来の同盟関係は大切にするべきと考えています。
世界中の人がアメリカ人はみんなをトランプ大統領のように利己主義者で同盟関係を見捨てる人間だと思ったとしたらとんでもない間違いです。
このメッセージを世界に発信するためにも民主党がトランプ大統領弾劾裁判を実行したのです。
アメリカにはいろいろな民族文化を背負った人々が住んでいるのです。このアメリカの多様性がこの国を超大国にしているのです。
トランプ大統領弾劾裁判の背景にはこのアメリカの多様性が厳然としてあるのです。
国際情勢への大きな影響があるのは当然ではないでしょうか。

今日の挿し絵代わりの写真は武蔵野の雑木林の夕暮れの風景です。東久留米市の黒目川の源流地の保存林で昨日撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)






まだある我が家の夫婦喧嘩の原因、写真の構図と色彩

2020年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、「こんなに考え方が違うのに離婚しない理由」という記事を書きました。
我々夫婦の考え方が大きく違う一つは日本語に関する考え方の違いです。考え方が違うので必ず小さな夫婦喧嘩になります。
考えてみると我が家の夫婦喧嘩の原因は澄みきった夜空の星のように無数にあります。
しかし毎日必ず小さな夫婦喧嘩の原因になっているものが一つあります。私の写真が原因になっているのです。

そこで今日は続編として写真の構図と色彩についての考え方の違いを書いてみたいと思います。私は毎日記事を書いて、その挿絵代わりとし写真を掲載しています。その写真のことです。
家内は私の写真が芸術的であるか否か、内容が豊かであるか否かで批評します。
一方、私は写真は記事の挿絵として撮るのです。その写真は軽い飾りであり、内容が重すぎると記事の魅力を消してしまうのです。私の写真はあくまでも「かざり」であり芸術ではないのです。
ぞれでは妻が撮った写真3枚と私が撮った2枚を掲載して意見の違いをご説明いたします。

1番目の写真は京王フローラル・ガーデンを妻が撮った写真です。ガーデンの全体がどのような感じなのか分かるように撮るのが良いと思っています。
一方、私はこの写真をネットに掲載すると小さいサイズになるので何を撮ったか分からなくなるから駄目だと言います。小さな言い争いになります。

2番目の写真も妻が撮りました。これはかなりクローズアップしてありますからネットに掲載できます。しかしこの写真の意図が分かり難いのです。妻は白いモクレンの蕾が膨らんで春もそこまで来ていると言いたいのです。このように説明をしなければいけない写真はネットの雑文の挿絵としては不適切です。せっかくですが私は使いません。妻は不服そうに頬を膨らませます。

3番目の写真はロウバイの花の盛りが過ぎる頃モクレンの蕾が白くなり咲き出す準備をしている光景を撮った写真です。妻はこういうふうに季節感がいきいき感じられる写真が良いと言います。
成程と思いますが、挿し絵代わりの写真には使いません。説明しないといけない写真は挿し絵代わりとしては失格です。挿し絵はあくまでも文章の内容の邪魔をしないような飾りでなければいけないと私は思っています。小さな夫婦喧嘩になります。

4番目の写真は私が撮った福寿草の写真です。パッと見て綺麗です。季節感もあります。この写真は何だろうと考える必要がありません。挿し絵代わりの写真として使います。これには妻も納得です。夫婦喧嘩になりません。

5番目の写真は私が撮った京王フローラル・ガーデンの一角の写真です。考える必要が無い綺麗な写真です。挿し絵代わりに適した写真です。
しかし妻はこのような園芸種の花だけが人工的に植え込んである写真は好まないと言います。はっきり言うと軽蔑します。
福寿草の写真のように自然な感じの花の写真なら良いと言います。しかしその意見は無視します。小さな仲たがいが起きます。
さて何故、妻は私の写真にいちいち意見を言うのでしょうか?
彼女には写真の構図と色彩はこうあるべきだという牢固とした信念があるのです。
妻の趣味の一つが美術館巡りや絵画展を見に行くことがにあります。
それで西洋の有名な油絵や日本画を心に刻んでいるのです。無意識のうちに心に刻んだ絵画と私の写真を比較するのです。そして私の写真の構図と色彩の配置に細かい意見を言います。
家内は若い頃、自分でも油絵を数点描いたこともありました。構図と色彩の配置は確かにオーソドックスです。デッサンもまあまあです。
しかしちっとも面白くない油絵です。はっきり言ってしまえば下手なのです。自分でも下手だと分かって、それ以来、油絵を描くのは断念しました。
賢明な決断です。そうでなかったら下手な油絵が家に溢れていたことでしょう。

私がネットに掲載する文章に、挿し絵代わりに使う写真はあくまでも飾りなのです。飾りが芸術写真になっていたら文章の内容が死んでしまいます。それでなくても拙い内容の文章なのです。挿し絵代わりに使う写真はほどほどに綺麗であれば良いのです。
そのことが理解出来ない妻が絵画と比較して意見を言うのです。毎日言うのです。
その意見の中には成程と思えるものもあるので一層困るのです。
挿し絵代わりに使う写真は「かざり」です。芸術作品ではないのです。
美しい装飾と芸術作品の違いです。美しい装飾は見て美しいと感じれば良いのです。
芸術作品には深い精神性がつまっています。見る人を考え込ませます。芸術作品の裏にある喜びと悲しみを。背後にある歓喜と絶望を。そして哲学を。

それにしても皆様の奥様は夫が撮った写真にあれこれ意見をおっしゃるでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「こんなに考え方が違うのに離婚しない理由」

2020年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム
夫婦とは何でしょう?
縁もゆかりも無い人が一緒になって何十年も暮らしているから不思議です。その上2人の考え方が大きく違う場合があるのです。
今日は我が家の場合を例にとり考え方が大きく違う実例を一つご紹介します。そしてこの大いなる違いにもかかわらず離婚もしないで60年間一緒に暮らしてきた理由を書きます。

まず我々夫婦の考え方が大きく違う一つの実例は日本語に関する考え方の違いです。考え方が違うので必ず小さな夫婦喧嘩になります。
私は言葉というものは時代、時代によって変わるので新しい言葉や外来語や変な略語を使います。よく言えば生きた言葉を使います。
しかし妻は古い日本語を大切にし、流行語を使いません。なにせ万葉集や源氏物語にある言葉が美しいと思い、昭和の言葉が美しいと思い込んでいるのですから困るのです。
流行語の一例は、私が「インスタバエする」写真を撮って来たと言います。毎日、掲載しているような美しい写真です。
こんな言葉を使う瞬間に妻は眉をひそめて、「そんな言葉は使わないでください」と言明します。
私は言葉は生きているものだから古臭い言葉を使うのは間違っていると主張します。
小さな夫婦喧嘩になります。
まだあります。会話をしていても妻の発言に意味不明の文章が出て来るのです。例えば「道路のゴミは困る」と言います。そこで私が誰が困るの?と聞き返します。すると「皆も困るし、ゴミを拾う私も困るのです」と言います。
ようするに文章の主語を省略するのです。私が何時でも主語を明確に言わなければいけないと説教します。すると妻は古い文章を引っ張り出して来て、ここにある文章には主語が書いてありません。しかし前後の脈絡から主語が誰なのか明快に分かるのです。それが日本語の使い方ですと言い張ります。
小さな夫婦喧嘩になります。
それで私は分かりました。曖昧に言うから日本語が美しいのだと分かりました。主語を明快に書き、事実関係をはっきり書いた瀬戸内寂聴さんの源氏物語に厳しい非難をする日本人がいます。源氏物語を若者にも分かるように明快に書き替えたからです。これでは曖昧模糊とした源氏物語の美しさが無くなってしまうのです。
日本語に由来する小さな夫婦喧嘩の原因はまだあります。
私は生まれも育ちも仙台です。ですから宮城県の東北弁の中で育ったので標準語の発音が言えないのです。橋と箸と端の発音が皆同じなのです。その上、宮城県の東北弁では言葉が全て濁った発音になります。例えば「学校へ行く」は「がっごうさ いぐ」となります。
「そうです」は「うだうだ」となります。
一方、東京弁を軽やかに駆使する妻がいささか蔑むように、「正しい発音をなさって下さい」と言います。
私は「東京弁が正しくて、仙台弁が間違っていると一体、誰が決めたんだ」と色めきます。どうも明治政府が決めたようです。
私は「東北弁も関西弁も鹿児島弁も沖縄弁も皆正しいのです」と主張します。
小さな夫婦喧嘩になります。

こんな事を書いていたらキリがありません。結論だけを書きます。
私の妻は伝統的な日本文化が好きな原日本人なのです。日本原人なのです。
一方私は西洋文化の影響を受けた近代的な日本人なのです。これでは夫婦喧嘩になるのは自然の成り行きです。

言葉に対する考え方がこんなに大きく違うのに何故離婚しないのでしょうか?
それは妻のお陰で日本文化の特徴が深く理解出来たのです。日本文化では明快過ぎることは忌み嫌うのです。
一番分かり易い一例は日本の宗教です。日本ではよく神仏に祈るという表現をします。
この時、神と仏は違うのですかと聞いてはいけません。神はキリスト教の神と同じですかと聞いてはいけません。佛とは観音菩薩ですか?お釈迦さまですか?と聞いてはいけません。
全ては神仏に祈る人の心の中にあることなのです。
それにしても日本の佛教とお釈迦さもの教えの違いには気になります。
ご興味のある方は次の記事をご覧ください。
「日本の仏教と釈迦の教えの違い(1)5つの具体例」(2018年05月14日 掲載記事)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)





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「日本の仏教と釈迦の教えの違い(1)5つの具体例」の抜粋です。

・・・さてそれでは釈迦の教えと日本の仏教の違いを以下に示して見ようと思います。
(1)釈迦は自分が死んだら墓を作らず、遺骨は野に捨てよと言って入滅しました。
しかし日本の仏教では先祖の墓を大切にし、お寺はお墓の管理で収入を得ています。

(2)釈迦は全ての像を拝んではいけない。仏像など作ってはいけないと教えました。
しかし日本には観音さまや薬師さまや大日如来さまの像が沢山あり、崇拝されています。

(3)釈迦は全ての殺生を禁じました。
しかし現在の日本の仏教徒はこの戒律を破っています。しかし江戸時代までの日本人も四つ足の動物は殺して食べませんでした。

(4)釈迦は妻や家族から離れて出家しました。
しかし日本の僧侶は妻帯し子供を大切にしています。お寺は世襲制で子供がまた住職になるのです。お寺の住職の世襲制は釈迦の教えとは違います。

(5)釈迦は教えの中心の「色即是空、空即是色」と「受想行識亦復如是」を本当に深く理解し信じるためには家族から離れて出家しなければいけないと教えました。
しかし日本では出家しなくても釈迦の教えが理解でき悟りの境地に入れると信じられています。・・・