後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「白鳥は人に懐く、仲良くなった不思議な体験」

2024年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム
白鳥は人に懐く野生の鳥のようです。今日は私自身が白鳥一家と仲良くなった不思議な体験をご紹介したいと思います。
日本で見られる白鳥は冬になると遥々シベリアのアムール河の河口付近から飛んで来ます。しかし幾羽かの白鳥は日本に棲みついています。春になってもシベリアに飛んで行かないのです。
私が霞ヶ浦でヨットをしていた頃、そこで白鳥の4羽の一家と仲良くなったのです。それは不思議な体験でした。
白鳥は霞ヶ浦だけでなく猪苗代湖や屈斜路湖など全国の湖や川に沢山来ます。白鳥のいる風景は日本の冬の風物詩です。
さて仲良くなった4羽の一家は夏になってもシベリアに帰らないで霞ヶ浦にとどまっていたのです。
当時私は土浦港にヨットを係留していました。その係留していた岸壁から湖沿いに600mほど歩いた芝生のところに2007年の春から白鳥4羽がいたのです。
 
1番目の写真は2羽の親の白鳥の写真です。子供2羽はすでに巣立って沖に遊びに行って姿が見えません。2007年の晩秋に撮った夫婦の白鳥です。
白鳥は草食性なので岸辺の草を食べていました。
この写真に草原の向こうに黒っぽい堤防のようなものが写っていますが、そこは浮島になっています。4羽の白鳥一家は夜になると寝る浮島です。野犬や野良猫の行けない安全なねぐらです。
白鳥の夫婦は離婚なしで一生そいとげるそうです。成程、2羽の大きな白鳥の夫婦が何時も仲良くしています。人間に慣れていて、傍に行っても平気です。何度も白鳥の夫婦の傍により話しかけて遊んでいました。この白鳥一家とはは2007年12月から2013年と末まで6年間仲良くしていました。
私どもが沖でセイリングを楽しんで係留する岸壁に帰ってくると4羽の白鳥がお帰りと言って迎えてくれます。
2番目の写真はそんな4羽の白鳥をヨットの上から撮った写真です。
好奇心が強くて船の傍に寄ってきて何か話しかけてきます。残念ながら白鳥語は理解出来ないので、何を言っているのかは分りません。
ある時ヨットに泊まりました。そうしたらその夜にこの4羽の白鳥が遊びに来ました。
3番目の写真はその時の写真です。家内が手を伸ばしてパンを食べさせています。
キャビンの中で作った夕食を食べた後で、後ろの甲板で夜景を楽しんでいたら来たのです。いろいろ話しかけると分かったように首を振ります。それでつい話し込んで1時間以上も一緒に居ました。
さて上で「4羽の白鳥一家」としきりに書きましたが、それは夏と秋に間だけで晩秋から初冬になると親鳥だけの2羽になってしまうのです。
子供の2羽は毎年親を離れてシベリアのアムール河の河口付近に飛んで行ってしまうのです。
夫婦の白鳥だけが残って毎年2羽ずつ子供を育ていたのです。
私は2011年、75歳の時ヨットを止めました。霞ヶ浦へも行かなくなりました。しかしあの4羽の白鳥一家が気がかりで2013年11月に車で霞ヶ浦に行きました。白鳥一家が巣にしていた浮島の傍に行ったのです。
そしたら同じ草原に4羽の白鳥一家が居たのです。4羽の白鳥一家に近づくとただ小首をかしげてくれるだけです。それが久しぶりに会った私への挨拶なのでしょう。
あの白鳥の夫婦に最後に会ったのは2013年です。その後も子供を育てて元気にしていると思っています。それにしても美しい白鳥一家と仲良くなったのは不思議な体験でした。
 
今日は私が霞ヶ浦でヨットをしていた頃、白鳥の4羽の一家と仲良くなった不思議な体験をご紹介しました。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「白鳥などの渡り鳥のロマン」

2024年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

冬の日本の風物詩はシベリアから渡って来るハクチョウ、ツル、カモ、ガン、カモメなどの冬鳥が湖沼河川に群れ遊ぶ風景です。国境を自由に越えて、はるばる4000キロメートルくらいも飛んで来るそのロマンを感じ心が楽しくなります。
私はカモメ類は漁港に棲んでいて冬になると内陸の湖や川に飛んでくると思っていました。しかし冬鳥、夏鳥、留鳥、漂鳥などの分類を調べてみると大部分のカモメ類は日本とシベリアの間を渡っている冬鳥なのです。毎年毎年、悪天候の中長距離を飛んで来ることを想像すると胸が締め付けられる感慨も覚えます。

1番目の写真は霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。私の車を覆うように沢山のカモメが舞っていました。

2番目の写真もは霞ヶ浦の岸辺を飛んでいるカモメが群れです。

岸辺の地面には鳩の大群がまかれた餌をしきりについばんでいました。
さて日本各地に渡来する冬鳥の詳しい種類と名前は検索すると出ていますので詳細は省略します。

しかし日本に来るハクチョウはコハクチョウで、オオハクチョウは霞ヶ浦にはほとんど来ません。カモ類はマガモ、カイツブリなどなど数種類が大群で飛来します。カモメも数種類が来ているようです。
それらの渡り鳥の群れ遊ぶ光景を見ると私はロマンを感じます。それは鳥たちが数千キロメートルの海を越えて飛んでくるからです。春になると、本州から北海道、そこで一休みして、サハリンの渡り、大陸側のアムール河の下流の湿地帯でまた一休みします。そしてさらに北に向かいカムチャッカやその付け根のシベリアの大地で夏を過ごします。
最後の写真にその経路を示します。

3番目の写真は渡り鳥の飛ぶ経路です。

なおハクチョウ・カモ類の飛来経路及び移動状況については、
http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/bird_flu/migratory/migration_route.html をご覧ください。

 新潟県で越冬していた1羽は3月中旬から下旬の間に越冬地を出発して北海道に渡りました。サハリンを経由後オホーツク海を越え、5月中旬にロシア東部に上陸しました。内陸部を北上して6月上旬にロシア北東部の湿地帯に到着して春の渡りを終えました。その白鳥は9月下旬に秋の渡りを開始し、オホーツク海を縦断後アムール川河口付近を経て、10月下旬に日本に到着しました。
 北海道で越冬していた2羽は4月下旬から5月上旬にかけて春の渡りを開始しました。1羽はサハリン、1羽はサハリンとアムール川中流部を経てオホーツク海を縦断しました。

サハリン経由の1羽は5月中旬、アムール川経由の1羽は6月上旬にそれぞれロシア・マガダン州に上陸しました。その後内陸部を北上し、6月上旬から下旬にかけてコリマ川河口付近の湿地帯に到着して春の渡りを終えました。

2羽は9月下旬から10月上旬にかけて秋の渡りを開始し、10月30日の時点で、1羽はサハリン北東部沿岸、もう1羽はアムール川河口まで南下してきています。
このように渡りの経路は鳥によって違います。しかし概略は日本とシベリア北部の間を行ったり来たりしているのです。
そこには日本とロシアの国境がありますが鳥たちは一切お構いなしに悠々と飛んでいるのです。何か人間の愚かさを感じざるを得ません。
ご興味のある方は参考資料もご覧ください。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料========
東京近辺でも見られる!関東甲信越主な白鳥の飛来地7か所;
http://find-travel.jp/article/27418
特別天然記念物に指定されている白鳥は、現生の空を飛ぶ鳥の中では最大級の重量を有しています。 日本には越冬のために渡ってきて、北海道や本州の湖沼、河川等で過ごすのです。晩秋から初冬に渡来し、春には飛去してしまいます。今や越冬場所が少なくなりましたが、その希少な場所をご紹介します。
1.白鳥の郷(千葉県)
印西市本埜村の田んぼの中にある白鳥の郷です。オオハクチョウとコハクチョウが1000羽以上飛来してきます。
2.瓢湖(新潟県)
新潟県阿賀野市にある瓢湖は人造湖なんです。しかし!貴重な湿地ということでラムサール条約にも登録され、国際的にも重要な湿地と認定されています。そして飛来数は・・・ものすごい数らしいです。もう、白鳥だけではないく水鳥も!後ろから右・左からとどんどん飛んでいくさまが見られます。
なので、時間のない方でも遭遇のチャンスはかなり期待できますよ。東京から少し遠いいですが行って見て見る価値は大です。飛来数最大5000羽には驚きです。
3.白鳥の里(茨城県)
茨城県潮来市の北浦湖岸の白鳥の里です。渡りをしないコブハクチョウも住み着いているので、昼間行ってもコブハクチョウは観られますね。白鳥は餌の米など持って岸辺に行くとワンサと鳥達が集まってきます。集まるというより、囲まれてしまします。
4.川島町(埼玉県)
5.安曇野犀川白鳥湖(長野県)
6.山中湖(山梨県)
7.千波湖(茨城県)



「豊かな野鳥たちに囲まれている日本人の幸せ」

2024年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

私たち日本人は豊かな野鳥たちに囲まれています。美しい野鳥たちに囲まれています。しかし毎日が忙しくて美しい野鳥たちに気がついていません。

そこで今日は自然界に身を置いて美しい野鳥たちと一緒に遊んでみようと思いました。

1番目の写真は自分で撮った写真です。霞ヶ浦の沖には無数の水鳥が列を作って遊んでいる光景です。

春になるとアムール河のさらに北へ渡っていく白鳥やカモメやカモの群れです。
私たちはこんなにも多くの野鳥たちに囲まれて住んでいるのです。
多くの人々はこの豊かな自然に囲まれていることに気がついていません。しかしバードウオッチングを趣味にしている人々はこの豊かな野鳥の世界を楽しんでいるのです。
その様子は、「日本野鳥の会」のHP(http://www.wbsj.org/about-us/summary/about/ )に明快に紹介してあります。
そしてhttp://www.dia-net.ne.jp/~ubird/Report/Rprt2007/Rprt0703.html には霞ヶ浦の隣の牛久沼での観察結果が次のように出ています。
2007/3/11(日)~3/17(土) 牛久自然観察の森にて、

・・・カイツブリ・オシドリ・カルガモ・コガモ・オオタカ・キジ・コジュケイ・キジバト・フクロウ・カワセミ・コゲラ・ハクセキレイ・セグロセキレイ・ヒヨドリ・ルリビタキ・ジョウビタキ・シロハラ・ツグミ・ウグイス・エナガ・ヤマガラ・シジュウカラ・メジロ・ホオジロ・カシラダカ・アオジ・ベニマシコ・ウソ・シメ・スズメ・カケス・ハシボソガラス・ハシブトガラス。以上33種。
今週に入り、ジョウビタキとマガモの姿がとても減ってきました。
ジョウビタキは春一番が吹いてから10日後に北へ向かうと農家さんが言っていたそうです。ウグイスのさえずりもだんだんうまくなってきました。・・・・

冬鳥は、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く鳥で、ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなどです。
夏鳥は、南の国から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南の国に渡って行く鳥で、ツバメ、アマサギ、オオルリ、キビタキ、クロツグミ、ハチクマ、サシバなどがいます。
春に美しい声で鳴くウグイスはほぼ全国に分布する漂鳥です。
漂鳥(ひょうちょう)は、暑さ、寒さを避けるため、夏は山地、冬は平地、と言うように繁殖地と越冬地を区別して日本国内を季節移動する鳥です。

ウグイス、ヒヨドリ、ホオジロなどが代表的である。渡り鳥との違いは、渡り鳥がシベリアから日本、というように日本国外から日本へ比較的長距離を移動するのに対して、漂鳥の場合は山地から平地に移動するなど、日本国内を比較的近距離を移動するのみです。
野鳥の世界は渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥などといろいろな鳥たちで成り立っているのです。
以下に美しい野鳥の写真を、http://www.dia-net.ne.jp/~ubird/Report/Rprt2007/Rprt0703.html からお借りして示します。

2番目の写真は日本の国鳥のキジです。
3番目の写真はヨシガモで冬鳥です。

4番目の写真はオオタカです。留鳥として周年生息するオオタカもいますが、一部のオオタカは、越冬のため南下を行います。これを鷹の渡りと言います。日本における鷹類の代表的な種で、昔から鷹狩りに使われました。鷹狩りは仁徳天皇の時代にはすでに行われていたそうです。
現在、国内のオオタカの捕獲が禁止されているため、海外から輸入されるオオタカで伝統技術の承継が行われているそうです。

5番目の写真はルリビタキです。日本では夏季に本州中部以北、四国で繁殖し、冬季になると本州中部以南で越冬します。移動の距離は長くはないのですが渡り鳥です。
この他に旅鳥という鳥もいます。日本より北の国で繁殖し、日本より南の国で越冬するため、渡りの移動の途中に日本を通過して行く鳥のことです。主として移動時期である春と秋に見られ、シギ、チドリの仲間に多いのです。


以上のように野鳥の世界は奥が深く調べれば調べるほど興味が湧いてきます。
野鳥はスズメやカラスだけではないのです。こんなことを調べ、実際に望遠鏡を持って野山に出るもの楽しいものです。
野鳥の世界に遊んでいると時のたつのを忘れます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


「日本最大の猛禽類、天然記念物、絶滅危惧種オオワシの生態と写真」

2024年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

私共は豊かな野生の鳥たちに囲まれて生活しています。渡り鳥もいますし棲み着いている留鳥もいます。日本を通過するだけの旅鳥もいます。間違って日本へやって来た迷鳥もいます。
さらに渡り鳥の一部が日本に住み着いているものもいます。例えばコハクチョウ は霞ヶ浦や牛久沼やあちこちの湖沼に少しずつ棲みついて日本で繁殖します。
さて冬の日本で見られるオオワシは大変珍しい鳥なので少し調べてみました。
日本最大の猛禽類で、1970年1月23日にオジロワシと同時期に天然記念物とされましたが今や絶滅危惧種に指定されています。(http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/bird-ohwashi_large.html )
オオワシ(大鷲)は、タカ目タカ科ウミワシ属の鳥です。
体は雌の方が大きいのです。 全身黒褐色地で、翼の付け根と尾羽、腿の羽毛が白く、嘴は濃い黄色で太くて湾曲しています。 夏はオホーツク海沿岸やカムチャッカ半島で繁殖し、冬季は北日本や朝鮮半島に南下して来きます。 海岸や河川、湖周辺周辺に生息し海面近くにいるサケやマスなどの魚や、水鳥を足で掴んで捕えます。 繁殖期には水辺の巨木に枝を集めて営巣します。このオオワシは冬の琵琶湖でも魚を獲って周囲の樹木の上で食べます。
そんな生態を23年間も続けて写真におさめた方がいます。
滋賀在住のワシタカ専門の写真家山岡和芳さんです。春から秋までは山でイヌワシ、クマタカを追い冬はびわこでオオワシ、オジロの写真を撮り続けた方です。
この山岡さんの写真はオオワシが琵琶湖の魚をどのようにして獲り、食べているか、そして夜はどんな山で過ごすかなどと生態が分かるように撮ってあります。
数枚の写真を山岡さんの「びわこオオワシ夢日記」(http://blog.goo.ne.jp/washi8008 )からお借りして示したいと思います。

1番目の写真は琵琶湖の湖北地方にある水田とオオワシの棲んでいる裏山の写真です。

2番目の写真はの写真は裏山の高い木の上に留まっているオオワシの姿です。

3番目の写真はいよいよ森を飛び立って魚を獲りに出発した光景です。

4番目の写真は琵琶湖の湖面に魚を見つけ大きく旋回して真っ逆さまに突っ込む直前の写真です。
5番目の写真は水面で魚を両足でしっかり掴んだ瞬間の写真です。

6番目の写真は魚を足に掴んで森に帰る途中の姿です。樹上でトンビなどに邪魔されながらも全て食べてしまいます。


このオオワシは1月中旬に飛来し、3月初旬まで琵琶湖で魚を獲っていますが、その後は北へ向かって何処かに飛んで行ってしまいます。
琵琶湖にいるのは1ケ月と少しだけです。このことからオオワシは渡りの途中で日本のあちこちで魚を捕食しながらゆっくり渡って行く鳥と私は推測しています。
しかしその個体数が非常に少ないのでなかなか写真には撮れないと思います。
開発による生息地の破壊や獲物の減少、羽目的の狩猟、害鳥としての駆除、鉛散弾によって狩猟された動物の死骸を食べたことによる鉛中毒などにより生息数は減少しているのです。日本では1993年に種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されているくらいです。1985年における全世界の生息数は約5,200羽と推定されていたのですが現在は非常に少ないようです。
琵琶湖で根気よくオオワシの写真を23年間も撮り続けた山岡和芳さんへ敬意を表して今日の記事の終りとします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


「渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥・・・区別して考えて見る」

2024年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

鳥の世界は奥が深いようです。いろいろ調べてみると渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥などという言葉が出て来て混乱します。

しかしその違いを簡単に言ってしまうと以下のようになると思います。

渡り鳥・・・日本を中心にしてシベリアや中国大陸北部へ渡る冬鳥と東南アジア各地に渡る夏鳥のことです。

夏鳥

主として繁殖のために日本より南の国から渡ってきて、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び越冬のために南の国に渡って行く鳥。ツバメ、アマサギ、オオルリ、キビタキ、クロツグミ、ハチクマ、サシバなど。

冬鳥

主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く鳥。ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなど。

旅鳥・・・シベリアや中国大陸北部と東南アジアやオーストリアの間の長距離渡り鳥が春と秋に日本で一休みする鳥のことです。

漂鳥・・・同じ日本内でも冬は温暖な平野にいて夏になると山地へ行く鳥です。

ウグイス、ヒヨドリ、ホオジロなどが代表的である。

留鳥・・・大体一年中同じ所に棲んでいる鳥です。

迷鳥・・・本来なら居ない土地へ迷って行ってしまった鳥のことです。珍しいのでバードウオッチングの趣味の人が集まって観察します。

しかし上の分類は本質的に大変便宜的な分類なので例外が多いと思います。

例えば渡り鳥のカモ類や白鳥類が夏になってもシベリアへ帰らずに日本で子育てしているのも多いのです。その個体は留鳥になっているのです。

それも含めて多くの野鳥の分類は、http://yamagara33.sweet.coocan.jp/kotori/yachoufile.htm にあります。

今日は以下に旅鳥の写真を示します。出典は、http://www.wbs-y.org/picture-book/wildbird/travel/index.phpです。

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1番目の写真はイカルです。

ロシア東部の沿海州方面と日本で繁殖し、北方の個体は冬季に中国南部に渡り越冬する。

日本では北海道、本州、四国、九州の山林で繁殖するが北日本の個体は冬季は本州以南の暖地に移動する。

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2番目の写真はサギの一種でチュウシャクサギです。シベリア中央部や東部で繁殖し、フィリッピンやオーストラリアにかけて越冬する。春の田圃の代掻きのとき見られる。

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3番目の写真はエゾビタキです。

夏季にシベリア南部、サハリン、カムチャツカ半島南部等で繁殖し、冬季はフィリピン、セレベス島、ニューギニア等へ南下し越冬する。

日本では旅鳥として春と秋の渡りの時期に飛来する。一般的に秋の方が通過数が多く、各地で普通に見られる。

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4番目の写真はアカガシラサギです。

インドネシア(スマトラ島北部、ボルネオ島)、カンボジア、タイ、中華人民共和国南東部、台湾、日本、ベトナム、マレーシア、ミャンマー東部、ラオス

夏季に中華人民共和国中東部で繁殖し、冬季になると東南アジアへ南下し越冬する。英名Chineseは中華人民共和国で繁殖する事に由来する。中華人民共和国南部では周年生息する。

日本では冬季に越冬のため主に南西諸島に少数飛来(冬鳥)する。兵庫県神戸市でも越冬記録がある。まれに渡りの途中に飛来(旅鳥)し、秋田県、熊本県、千葉県では繁殖例がある。

以上、日本の渡り鳥、旅鳥、漂鳥、留鳥そして迷鳥をご紹介いたしました。

 


「日本の山に棲む野生たちに会った時の写真」

2024年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム
都会に住んでいると野生動物には滅多に会いません。しかし山に行くといろいろな野生動物に会います。そして私は山梨の山林の中の小屋に何十年も通っているのでいろいろな野生動物に会っています。キツネ、シカ、サル、カモシカなどに会っています。
今日から折にふれて会ったろいろな野生動物たちをご紹介したいと思います。それは日本には豊かな自然がある証です。山々には野生動物がたくさん棲んでいるのです。
私の甲斐駒山麓の山林の中の小屋には野生の狐、鹿、猿が時々やって来ます。人を怖がらず少し遊んでから山林の中へ帰っていきます。まずそんな野生の狐、鹿、猿、カモシカの写真をお送り致します。自分で撮った写真です。
1番目の写真は山林の中の小屋に遊びに来たキツネです。人間が珍しいのか私のそばに寄って来て私をしげしげ観察して林の中へ帰って行きました。
2番目の写真は山林の中の小屋に来た野生のシカです。鹿は臆病で近くに来ません。遠くからこちらを伺ってから帰って行きます。
3番目の写真は小屋の窓近くまで私を覗きに来た猿の群れのボスです。
小屋の外では猿の大群が庭の木々に登って遊んでいます。普通は雑木林の地面に群がって木の実を拾っていますが時々は野生の猿らしく木の上に登って仲良く毛づくろいをしています。
猿は農作物を食べるので里では犬を使ったり、爆竹を鳴らして追いはらいます。しかし山林の中ではのんびり遊んでいます。木の上では一人で甲斐駒岳を眺めてのんびりと考えごとをしている猿もいます。
しかし野生の猿ですから、ボス猿が私を用心深く見張っています。
野生動物の緊張感がみなぎっていて、見ていると自分もこの森に住んでいる原始人になったような気分になります。
4番目の写真は山林の私の小屋の前に遊びに来た特別天然記念物の日本カモシカです。好奇心が強く私を何時までも見つめていました。
山林の小屋へは50年以上通っていますが日本カモシカを見たのは初めてです。猿の群れや日本鹿や狐や猪はよく徘徊していますが日本カモシカは初めてです。
日本カモシカは昭和9年(1934) 5月1日天然記念物に指定され、30年(1955) 2月15日特別天然記念物指定されました。
この動物はシカ科ではなく、ヤギに似た反すう偶蹄類ウシ科に属する日本固有種なのです。
体には白色の綿毛が密生し、その上を黒褐色または淡赤褐色で7~10cmの上毛が覆っています。群れを作らず一頭で暮らしています。つがいの関係が長く続くそうです。寿命は15年と言われています。
 
そして姿は見せず足跡だけが沢山あるのは猪の群れです。小屋の回りは時々イノシシに掘り返されて穴だらけになります。夜間に地中のミミズや虫を食べているのです。
 
5番目の写真は農作物へ甚大な被害を与えるイノシシの群れです。イノシシは農家にとっては困った問題です。この写真はインターネットからお借りしました。
その他、写真は撮れませんでしたがキジやヤマドリも棲んでいます。ケン、ケーンというキジの鳴き声が林に木霊します。
小さな動物もいます。家の中に小さな可愛いカヤネズミが入ってきたり、煙突に小鳥が丸い巣を作っていたこともありました。
このように山林の小屋に泊ると日本には野生動物が沢山棲んでいることを実感します。
 
そこで日本の野生動物のことを少し調べてみました。良い資料は環境庁の以下の2つの資料です。
「日本の野生生物」、http://www.env.go.jp/nature/yasei/pamph/index.html
「日本の動物分布図集」、https://www.biodic.go.jp/kiso/atlas/
これらの資料から分かったことをご紹介いたします。
日本にはわかっているだけで 9 万種以上の野生生物が生息しているそうです。日本の狭い国土にもかかわらず南北に長く複雑な地形と豊富な降水量や四季の変化などのお陰で多種 多様な野生生物が棲んでいるのです。
 
その上 沖縄・奄美・小笠原などの島、大雪山・日本アルプスなどの高山帯、琵琶湖・尾瀬ヶ 原などの隔離された自然環境には固有の生物が多く生息しています。従って 日本全体は固有種の割合が高くなっているのが特徴です。 哺乳類に限ってもニホンザル・イタチ・ニホンカモシカ・ニホンリス・ムササビ・ホンド モモンガ・ヤチネズミ・オキナワトゲネズミ・ヤマネ・アマミノクロウサギ・ノウサ ギなど多くの日本固有種が棲息しているのです。
追加の写真で 日本の代表的な野生動物の数例を示します。
6番目の写真は佐渡にいるトキです。羽根の色が優雅なトキ色になっています。インターンットからお借りしました。
7番目の写真はツシマテンです。テンは全国にいますが夜行性で臆病なのでめったに見ることは出来ません。インターンットからお借りしました。
8番目の写真は本州などにいるツキノワグマです。インターンットからおりしまりしました。
9番目の写真は北海道の川で鮭を捕っているヒグマです。インターンットからお借りしました。ヒグマは北海道にしかいません。本州にはツキノワグマが棲んでいます。
環境省では、これらの野生動物の保護を進めています。かけがえのない命を失 うことがないように開発に伴う生息環境の消失 を防いでいます。絶滅の危機に ある希少野生動植物について捕獲等の規制、各種開発行為の規制、生息環境の保全・復元などを行っています。
政治の世界では環境省はあまり重視されないことがあります。しかし環境省こそが日本の豊かな自然を守っているのです。感謝しています。
 
今日は沢山棲んでいる日本の野生動物をご紹介しました。そしてこの豊かな自然を守っている環境省の活動をご紹介しました。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「山に咲く恐怖のイワガラミの花をご紹介します」

2024年07月18日 | 写真

山に咲く恐怖のイワガラミの花をご紹介します。
ガクアジサイに似ていますが違う植物です。大木に絡みつくと数年でその木は枯れてしまいます。そして強風の日に突然ドサッと大木が倒れて家を潰してしまう恐ろしい蔦です。
甲斐駒山麓の私の小屋の近所でも別荘が押しつぶされて大変なことになったことがありました。
それ以来家内が怖がって小屋の近くでイワガラミが松の大木に絡みつく度に取り払っています。
ある時、森の松の大木に白い花を咲かせていたのを家内が見つけて写真を撮りました。
そして田中一村の奄美の杜の絵のようだと自慢します。
それほどの写真ではありませんが珍しい花なのでお送りします。





イワガラミ(岩絡み)について、「 https://ja.wikipedia.org/wiki/イワガラミ」から抜粋しておきます。
岩絡みの学名は、Schizophragma hydrangeoides で、アジサイ科イワガラミ属の落葉つる性木本です。
北海道、本州、四国、九州と朝鮮半島に分布し、山地の岩崖や林縁に自生しています。
名前のとおり、幹や枝から気根を出して高木や岩崖に付着し、絡みながら這い登り、高さ10~15mくらいになります。
葉には葉柄があり、枝に対生し、形は広卵形で10cmほどで、葉の先端は尖り縁の鋸歯がまばらについています。花期は6月~7月で、小さなややクリーム色の両性花が集まる花序のまわりに、白色の装飾花が縁どります。装飾花は花弁状の萼片が1枚しかありません。


「アジサイはドイツでも咲いています」

2024年07月18日 | 写真

アジサイはドイツでも咲いています。
アジサイはドイツ語でHortensie( ホルテンジエ)と言い、英語ではHydrangea(ハイドランジア)と言います。
日本だけでなく欧州でも広く普及してます。いろいろな派生種があります。
水が酸性かアルカリ性かによって、花の色が変わるのは、有名な話ですね。

示した写真の出典は、https://minkara.carview.co.jp/userid/314846/blog/44079793/ です。


「アジサイの原産地は日本」

2024年07月18日 | うんちく・小ネタ

アジサイの原産地は日本で、その元はガクアジサイです。 アジサイは日本から中国にわたり、シルクロードを伝わってヨーロッパへと伝わっていき、イギリスなどで東洋の花として人気が出て、品種改良が進んだのです。
写真はアジサイの原産地、日本のガクアジサイです。


「鎌倉にはアジサイがあちこちに咲いている」

2024年07月18日 | 写真

鎌倉は古都で魅力ある場所です。そのうえ家内が生まれ育った所なので何度も訪れました。アジサイが美しい古都です。
鎌倉のアジサイの花の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/amazing/ajisai-kamakura です。

写真は順に長寿寺、円覚寺、成就院、長谷寺のアジサイです。


「日本の梅雨とアジサイの詩的な風景」

2024年07月18日 | 写真

この季節はアジサイが静かに美しく咲いています。私の家の庭にもガクアジサイ、墨田の花火なども咲いています。梅雨が降りかかり一層あざやか色です。日本の梅雨の季節の美しい風物詩です。

今日は美しいアジサイの写真をお送り致します。

1番目の写真は美しい古刹として知られる鎌倉の長谷寺のアジサイです。写真の出典は、https://clubtravelerjapan.com/article/spot/9430/ です。まったく余談ですが家内はこの近所で生まれ育ちました。

2番目の写真は山里の梅雨の季節の霧の中のアジサイです。写真の出典は、https://ganref.jp/m/tkrphoto/portfolios/photo_detail/2156726 です。

3番目の写真は滋賀県長浜市のお寺の山門とアジサイです。出典は、https://www.excite.co.jp/news/article/Jisin_29199/ です。

4番目の写真は京阪墨染駅近くの藤の森神社のアジサイです。出典は、https://kyoto3aiko.exblog.jp/13984144/ です。

5番目の写真は富士五湖の山中湖の湖岸のアジサイです。写真の出典は、https://clubtravelerjapan.com/article/spot/9430/ です。

6番目の写真は我が家のムクゲとノウゼンカズラズラ、名残りのアジサイです。

梅雨時は毎日雨で気持ちが滅入りがちです。そこで今日は色あざやかなアジサイの花の写真をお送りいたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「平安時代に創建された松島の瑞巌寺の写真」

2024年07月17日 | 写真
仙台で生まれ育ったので松島の瑞巌寺へは何度か行きました。松島の瑞巌寺は国宝で伊達家の菩提寺です。瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、現在は臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院です。
懐かしいので写真を示します。写真はインターネットからお借りしました。
写真は順に、本堂、庫裏,総門、お寺の前の杉並木です。

「東京には75の曹洞宗のお寺がある」

2024年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

現在、日本の仏教は八つの宗派があります。天台宗・真言宗・浄土宗・浄土宗真宗本願寺派・真宗大谷派・曹洞宗・臨済宗・日蓮宗です。宗派の違いによって焼香の方法や葬儀でのマナーなどが異なります。

そして東京には75の曹洞宗のお寺があるのです。その幾つかを以下にご紹介いたします。

恵比寿台雲寺

恵比寿台雲寺
所在地
東京都渋谷区恵比寿1-18-1

1番目の写真は台雲寺の本堂です。

東長寺結の会納骨堂 龍樹堂

東長寺結の会納骨堂 龍樹堂
所在地
東京都新宿区四谷4-24-3

杉並 下高井戸駅近永代供養付墓所

杉並 下高井戸駅近永代供養付墓所
所在地
東京都杉並区下高井戸2-21-2

曹洞宗雲居山 宗参寺

曹洞宗雲居山 宗参寺
所在地
東京都新宿区弁天町1

心源院 のうこつぼ

心源院 のうこつぼ
所在地
東京都八王子市下恩方町1970

泉岳寺

泉岳寺
所在地
東京都港区高輪2-11-1

普門山 慈眼寺

普門山 慈眼寺
所在地
東京都港区三田4-3-24

明王山 威徳院

明王山 威徳院
所在地
東京都三鷹市新川2-1-17

慈眼寺 のうこつぼ

慈眼寺 のうこつぼ
所在地
東京都港区三田4-3-24

嶺雲寺

嶺雲寺
所在地
東京都品川区東大井2-15-10

「曹洞宗の大本山、永平寺を訪ねる旅」

2024年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
兵庫県で祖父が住職をしていたお寺は曹洞宗でした。毎年夏になると仙台から一家5人で帰省し数日泊まったお寺です。曹洞宗のお寺の本山は福井県の永平寺です。そんなことを思い出したので15年位以前に私は妻を伴って永平寺を訪ねる旅に出たのです。
今日は曹洞宗の本山の永平寺をご紹介したいと思います。
曹洞宗の大本山は永平寺と神奈川県にある総持寺の2つです。それぞれ西日本と東日本を担当しています。
永平寺は1万5千の末寺を持ち信徒800万人です。曹洞宗のお寺の住職などが毎年100名以上の人が修行僧として入山してくる修行道場です。永平寺ではこの修行僧のことを雲水(うんすい)と呼びます。この雲水の修行の日課は次の通りです。 
3:30 振鈴(しんれい)~起床~
3:50 暁天坐禅(きょうてんざぜん)朝の坐禅
5:00 朝課(ちょうか)朝のお勤め
7:00 小食(しょうじき)(朝食)
8:30 作務・坐禅
11:00 日中諷経(にっちゅうふぎん)昼のお勤め
12:00 中食(昼食)
13:00 作務・坐禅
16:00 晩課(ばんか)晩のお勤め
17:00 薬石(夕食)
19:00 夜坐(やざ)夜の坐禅
21:00 開枕(かいちん)(就寝)
1番目の写真は永平寺の雲水たちです。
2番目の写真は雲水たちが雪の中を托鉢に出て行くところです。
さてここで永平寺の歴史を簡単に書いておきます。
永平寺は道元禅師が1244年に作りました。九頭竜川支流の永平寺川上流に作ったのです。他宗派の迫害があり京都には作れなかったのです。
創建以来の火災でたびたび焼失しましたがその度に再建されます。現存する多くは近世から近代にかけて建てられた建物です。
一般の拝観ルートにある建物は国の重要文化財に指定されています。それでは私どもが入った拝観ルートの建物をご紹介したします。今日の写真はすべてインターネットの写真をお借り致しました。
3番目の写真は永平寺の正面入り口の山門です。この奥の山の斜面に20棟以上の建物がある規模壮大なお寺なのです。
4番目の写真は入ってすぐ通される大広間です。写真は座禅体験コースの様子です。一般参拝の場合は座禅をしないで座って人々が満員になるまで待っています。満員になると人品卑しからぬ高僧が静かに出て来て広い寺の中の参拝コースを説明します。曹洞宗の宣伝めいた話は一切しません。感じの良い高僧でした。
5番目の写真は広い参拝コースの中で私が一番感動した階段です。仏殿に登って行く階段ですが広いうえに傾斜が絶妙で楽にのぼれます。大げさ言えば仏の慈悲が自然に感じられるような傾斜なのです。登高の緊張も少しまじる傾斜です。この階段の上に本尊を祀る1902年完成の仏殿があります。
永平寺は門や堂が回廊で結ばれた七堂伽藍から出来ています。
6番目の写真は永平寺の主要な建物の写真です。手前が入り口の山門で一番上が本尊を祀る1902年完成の仏殿です。仏殿の左右に仏殿に登って行く階段が写っています。
 
さてもう少し詳しい話をしましょう。比叡山を下りた道元は建保5年(1217年)に建仁寺へ入り、栄西の直弟子である明全に師事しました。その後道元は真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと考えたのです。貞応2年(1223年)に宋に留学します。
道元は中國の景徳寺の如浄に入門します。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したものでした。
道元は4年あまりの中国滞在を終えて帰国します。
日本へ戻った道元は初め建仁寺や興聖寺で説法と著述に励みます。しかし旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭って京都にいられなくなったのです。
迫害を避け新たな道場を築くため道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の武将、多野義重の援助で越前に行ったのです。寛元元年(1243年)のことでした。
道元は翌寛元2年(1244年)に傘松峰大佛寺を建立し、これが永平寺の開創であり寛元4年(1246年)にお寺の名前を吉祥山永平寺と改めたのです。
永平寺へは福井駅から「えちぜん鉄道」の電車に乗りました。 そして「 永平寺口駅」で下車しバスで「大本山永平寺前」まで行きました。
7番目の写真はバスの終点、「大本山永平寺前」にある門前町です。
 
蛇足ながら永平寺の仏殿や法堂など主要19棟は国の重要文化財(建造物)に指定されています。禅宗寺院の基本的な建物配置である七堂伽藍を残しています。建物は雄大な規模で壮麗な意匠です。山の自然と一体となって魅力的な所になっています。

曹洞宗の大本山の永平寺をご紹致しました。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「山里のお寺の子供僧になった思い出」

2024年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

誰でも子供の頃の思い出は懐かしいものです。それは人生のとっても大切なものです。今日は私がある山里で子供僧になった思い出を書いてみたいと思います。そして父の弟の孝元和尚のことも書きたいと思います。父の実家は兵庫県の田舎のお寺だったのです。

まず子供僧の写真をご覧ください。

1番目の写真は東京のあるお寺が企画した子供のお寺の生活体験の写真です。子供が袈裟を着て檀家回りに出発しようとしている場面です。写真の出典は、https://www.hongwanji.or.jp/project/report/000842.html です。

私も子供僧になった体験がありました。それは小学生の4,5年の頃、終戦直後のことでした。父方の祖父が住職をしていたお寺の小僧になったのです。夏の1ケ月の間だけ毎日意味も分からないお経を本堂で唱えるのが日課でした。
誰もお経の意味を説明しないのでチンプンカンプンの呪文のようでした。大人になってから思い出して調べました。般若心経と観音経と大悲心陀羅尼 の3つを唱えていたのです。
特に大悲心陀羅尼 はインドの古語の音を漢字で表現したものなので今でも意味が分かりません。
そのお寺は曹洞宗で兵庫県の山里の小さな集落にありました。
小高い場所に建っていたので集落の農家や水田が箱庭のように見下せました。
集落の農家は全てお寺の檀家です。家々には金色に輝く立派な仏壇があります。そんな風景写真を示します。

2番目の写真は私が夏の間だけ子供僧になった田舎のお寺によく似た寺の写真です。
正面の石段を登ると本堂があり右に庫裏がありました。左には鐘楼があり朝夕鐘の音を下の集落へ送っていました。
この写真は「山里のお寺の写真」を検索して多くの写真から選びました。非常によく似ている寺の写真を選んだのです。

3番目の写真はお寺から見下ろした集落の風景に似た写真です。
この写真は「山里の風景写真」を検索して多くの写真から選びました。
集落の家は全て祖父のお寺の檀家でした。米や野菜を寄進してお寺の一家の暮らしを支えていたのです。日本の伝統文化です。

4番目の写真は寺の本堂での法要の様子です。
私も小坊主として後ろの方に座り知っているお経を一緒に唱えました。この写真は「お寺の法要の風景写真」を検索して多くの写真から似ているものを選びました。
毎年夏のお盆に行う施餓鬼供養の写真です。近隣のお寺から僧侶に来てもらい太鼓や銅鑼を打ち鳴らし賑やかな供養でした。この写真は「施餓鬼供養の風景写真」を検索して多くの写真から選びました。

さてこの夏の間だけの小僧体験で一番印象深かったのは檀家一軒一軒を回ってその仏壇にお経を上げたことでした。
私とすぐ下の弟が子供用の墨染の衣を着ます。復員してきた叔父の孝元和尚が紫色の豪華な衣を着て小坊主二人を従えて檀家回りをするのです。

5番目の写真は京都のあるお寺で撮った子供の僧たちの写真です。当時私と弟はこんな袈裟姿をしました。子供用の袈裟は優しかった叔父の孝元和尚が仕立て屋に頼んで特に作ったものです。この写真の出典は、https://temple.nichiren.or.jp/5061018-rengeji/event/shamongo/ です。

檀家回りでは集落の家を、一軒、一軒と回りその家の仏壇にお経を上げるのです。お盆の間の重要な行事です。訪問先の家の仏壇へお経を唱えると、その後に冷たいソウメンがでます。
紫色の豪華な衣を着た叔父が気取って少しだけソウメンを食べます。どの家もソウメンを出すので少しだけ食べます。
そしてお布施を3つくれるのです。大きな紙包みの布施と小坊主のための2つの小さな紙包みの布施をお盆にのせて差出します。
どの家も同じように差出します。叔父は手を合わせて拝んで大きな紙包みを取ります。小坊主が真似をしてお布施を頂きます。

こうして私と弟は人生で初めてお金を稼ぎました。
しかし稼いだお金は大阪からから仙台までの汽車の旅で使いはたしたのです。駅駅で弟とアイスクリームを買って舐めて使い果たしたのです。
自分で稼いだお金だったので一層アイスクリームが美味だったのです。あんなに美味しいアイスクリームはその後二度と会えません。当時の東海道線で花形だった流線形の特急つばめに乗って食べたアイスクリームは私の生涯で忘れられないものになったのです。

最後に優しかった叔父の孝元和尚の思い出を書きます。第二次世界大戦の時に孝元和尚は徴兵されレマレー半島で激しい戦闘を体験したようです。しかし孝元和尚は一言も話しませんでした。敵味方双方の悲劇については完全に沈黙を守りました。

人間の悪については沈黙が賢明な場合があるのです。そのことを私は孝元和尚から学びました。いつも穏やかで優しい叔父でした。

今日は私がある山里で子供僧になった思い出を書いてみました。そじて伯父の孝元和尚の思い出も書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)