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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「烈風の駿河湾での豪快なセイリングの写真」

2025年05月23日 | 写真

2009年の5月2日のセイリングです。東京ベイヨットクラブのハンスクリスチャン43、Bambino号でHoota船長指揮のもと、若い女性2名を含めた総勢6人で4時間程、烈風の中を豪快なセイリングを楽しんで来ました。その時の写真です。001 019 024 027 039 043 063


「楽しい思い出のある紀伊國屋」

2025年05月22日 | 写真
紀伊國屋には楽しい思い出が沢山あります。何度も行ったのが新宿の書籍専門店や小金井と国立の食品スーパーなどです。
商品がしゃれていて店の雰囲気がチョット高級なのです。
良い商店は文化です。その国の文化を高く支えているのです。
日本のスーパーを観察すると日本の文化レベルが分かります。
終戦直後の店に比べると日本の店が清潔で綺麗になったことに感動します。
写真はスーパーの紀伊國屋の一例です。

「ベトナムのカトリック教会の写真」

2025年05月18日 | 写真
ベトナムのサイゴンの町の中心にある聖マリア大聖堂の写真と混雑している町の写真をお送り致します。聖マリア大聖堂はサイゴン大教会とも呼ばれています。
詳しくは下記をご覧ください。
https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/20130624/1372063636

「長崎のカトリック教会の写真」

2025年05月18日 | 写真
長崎にはカトリック教会がたくさんあります。
幾つかの教会の写真をお送り致します。

1番目の写真は大浦天主堂です。
大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。
聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。

2番目の写真は平戸ザビエル記念聖堂です。
禁教が解けて信徒が住むようになり1931年、大天使聖ミカエルに捧げた教会が建てられ、献堂40年にザビエル像を建て、「平戸ザビエル記念聖堂」とよばれるようになった。

3番目の写真は出津教会堂 です。
1879年に潜伏キリシタンが多かった外海の出津・黒崎地区に赴任し生涯を外海に捧げたド・ロ神父が、風の強い斜面の台地に、1882年、私財を投じて建てた質実剛健な教会です。
4番目の写真は田平天主堂です。
田平天主堂は、1886年以降、ラゲ神父やド・ロ神父が買い取った土地に黒島、外海から移住した信徒によってはじまる。1918年、信徒たちは、中田藤吉神父の奔走による寄付に助けられ、鉄川与助が設計・施工した最後のレンガ造教会を建てた。
以上、https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei より。

「感動的だった旅の思い出」(3)ナイアガラの滝

2025年05月17日 | 写真
感動的だった旅の思い出の一つにナイアガラの滝への旅があります。
若い頃にオハイオ州立大学に留学していた折りに見に行きました。オハイオから比較的に近いのです。
滝の写真をお送りいたします。写真はインターネットからお借りしました。
 

「ポーランドの聖なる木造教会の写真」

2025年05月16日 | 写真
ポーランドには木造教会がたくさんあります。写真はセンコヴェにある1520年に創建された木造教会です。
その他たくさんの木造教会は下記の紹介されています。、https://madamefigaro.jp/.../travel/231003-wooden-church.html
外観の特徴は、緩やかなカーブを描くこけら葺きの大きな屋根だ。なんとも美しい!  よく見ると、建物の内部の周りをぐるりと囲むように庇の下(軒下)に広い空間が設けられている。これは「土曜日(ソボタ)」と呼ばれている。その理由は、日曜日に遠方からミサへやってくる人々が土曜日の夜に泊まるスペースだったそうで、その名が付けられたという。モミの木を使い、釘を1本も使わずに建てられている。

「昭和の仙台の繫華街,東一番町と大町の通りの写真」

2025年05月15日 | 写真
仙台の繫華街は東一番町と大町の通りです。私は昭和11年生まれで戦後の昭和30年前後に繫華街の繫華街,東一番町と大町の通りによく遊びに行ったものです。

1番目の写真は懐かしい繫華街,東一番町と大町の通りのです交差点です。
左はひらつか菓子で、右手前は森天祐堂、パンと洋菓子の信用堂などが並んでいた。 
2番目の写真は一番町通りと青葉通りの角です 。
写真の中のパンのひらつかは青葉通り(平行に見える通り)の北側と一番町通り(上下に通っている狭い方)の西側に位置しています。
一番町を挟んだ向かい側には以前は森裕天堂という画材屋さんです。
一番町という名称は以前藩政時代からの名称の一番丁(町ではなく)と言いました。正確には東が付いて、東一番丁、東二番丁、東三番丁、となりました。ちなみに「丁」は武士の居住地を指します。
一方で「町」は町人の居住地に使われました。片平丁、長刀丁などの武士の居住区に対し町人が住む鉄砲町、弓町、二十人町などが仙台市に現在もあります。
懐かしいのでご紹介致しました。


「アラスカ の絶景、山と水と森が織りなす壮大なパノラマ」

2025年05月15日 | 写真
アラスカはアメリカ最大で日本の4倍の広さがあります。最大の都市アンカレジや第二の都市フェアバンクスを中心におよそ70万人の人々が暮しています。
アメリカでもっとも人口密度が低い場所です。森林や氷河、フィヨルドが総面積の95%以上を占めています。
アメリカ大陸を代表する“大自然の楽園”として多くの人々に愛されています。( https://ontrip.jal.co.jp/ame/17314360 )
 

「遥かなカムチャッカ半島の咲く花の写真」

2025年05月15日 | 写真
カムチャッカ半島は極寒の地です。標高の低い場所に、日本の高山帯の植物の花が咲いています。日本の高山植物のルーツのようです。

写真の出典は、https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=441 です。
 

「八丈島の魅力」、その3「荒れる冬の海と八丈島」

2025年05月14日 | 写真

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写真を撮っている私の顔に冬の烈風が冷たい針のように刺さります。

風の音がヒューッと耳もとで鳴っています。荒れ狂う恐ろしい波音が体に響きます。寒さと豪音で骨まで震えます。

本人は冬の強風に荒れる海の様子を必死で写しているのです。しかし出来上った写真は沸き立つ波の迫力を描きだしていません。怖がっていないでもっと波のそばへ近寄って撮影すべきだったと反省しています。

200い9年2月28日から31日にかけて船の欠航の間に八丈島で写した写真7枚をおおくり致します。 (終わり) 


「ヘルシンキの美しい風景」

2025年05月13日 | 写真
1972年にストックホルム工科大学のエケトルプ教授に招待されて4ケ月滞在していた折に北欧への旅もしました。 ヘルシンキ工科大学のハイキンハイモ先生を訪問しました。寂しい北国への独り旅でした。 冷えた私を温かく迎えてくれたのがハイキンハイモ先生でした。先生は私を自宅での夕食にも招待してくれました。 
思い出すのは、その国の美しい風景です。そこでヘルシンキの美しい風景の写真をお送り致します。
夏の快晴の風景です。美しい街ですね。


「楽しいホテルの思い出(6)上高地帝国ホテルと穂高連峰」

2025年05月12日 | 写真
よく泊った上高地帝国ホテルです。家内が撮った上高地帝国ホテルの写真と残雪のある穂高連峰の写真 をお送り致します。 
 上高地帝国ホテルは1933 年(昭和8 年)わが国初の本格的高級山岳リゾートホテルとして開業しました。
 スイスの山小屋をイメージした赤い三角屋根と吹き抜けのロビーの巨大な暖炉が特徴のクラシックホテルです。
残雪のある穂高連峰が眼前に迫る眺望は上高地帝国ホテルの大きな魅力です。上高地は標高1500mで冬期は雪に覆われて通行ができなくなるので毎年4 月下旬から11 月上旬の約半年間だけ営業しています。
上高地帝国ホテルと残雪のある穂高連峰の写真をお送り致します。帝国ホテルの写真は家内が撮りました。穂高の写真は2010年7月5日午後に大正池から河童橋へ梓川沿いに歩きながら撮りました。青空の見える日でした。