後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

山林の中に小屋を作る方法(4)

2007年12月31日 | うんちく・小ネタ

@小屋の位置と庭の造り方の関係を考え楽しく作る!

前回のような手順で公道のある山林を100坪から1000坪の広さで購入したとすます。その後どのように小屋を作るかは各人各様で良いのです。

今回は理想的な小屋の作り方と庭の造り方の一つの例を示そうと思います。

鬼家雅雄さんの小屋の作りかたは多くの人々が羨むような進め方と思います。

鬼家雅雄さん自身のことはご本人のブログ:

http://park23.wakwak.com./~satoyama66/ に詳しく出ています。

鬼家さんとは平成4年以来のお付き合いです。心優しく、すなおで、そしてかなりのロマンチストです。このご性格が小屋の構造、配置と庭の小川と池の様子に反映し訪れる人の心を和ませます。

東側に谷川、そしてなだらかな日当たりの良い斜面、それに続く1000坪ほどの雑木林の平地。まずプレハブの生活用の母屋を作ったそうです。それからが実に面白いのです。まず母屋のそばに3階立ての見晴らしの良い小部屋を作り無線交信の趣味の場所にしました。その下に暖炉のある部屋も作りました。

その次が母屋から数メートル離して木工の趣味の広い部屋を鉄筋コンクリートで自作しました。この部屋の2階は広い夏用の寝室と鉢植え用の屋上にしました。

母屋の2階と趣味の部屋の2階をつなぐアーチ形の天空にかかる橋を作りました。

Photo_3 ここに示した写真がこの天空の橋です。この橋を渡るときの爽快感が素晴らしいのですが、渡り切ったところにはガラス張りの小部屋があり陽が明るく射し込んでいます。夕日を見ながらビールを飲む部屋だそうです。

Photo_4 この写真が天空の橋の向こうの小部屋を示しています。

小部屋の右手奥には種々の草花を育てる鉢植え用の広い屋上が広がっています。

Photo_7 この写真では冬なので鉢植えは無くただ広い空間があります。その向こうに夏用の寝室の窓が見えます。

Photo_5 谷川へ続く斜面には水芭蕉を植えた池と谷川の向こう側にはこの写真のような大きな池を作り魚を放してあります。青サギやカワセミが魚を取りによく来るそうです。

母屋には冬用の居間と風呂部屋があります。白い玉石を敷き詰めた水洗トイレの部屋もあります。

鬼家雅雄さんは始めのプレハブの母屋以外は全てご自分で少しずつ作ってきたそうです。

Photo_8 この最後の写真の示すように人里はなれた山林の中に植物栽培や木工の趣味を楽しむ部屋をゆっくり作りあげました。天空の橋を行き来しながら春夏秋冬の季節の移り変わりを悠々と見下ろしています。55歳くらいで早めに引退し、山林の中に引っ越してきました。

山林の中に小屋を作る場合の理想的な作り方でないかと長年考えていましたのでご紹介しました。(続く)


八ヶ岳アウトレット風景15点のフォトアルバム

2007年12月29日 | うんちく・小ネタ

Dscn0685

時々アウトレットへ行く。家人は店の中で楽しそう。小生は店の外を散策しながら建物群の風景を楽しむ。疲れればコーヒー店で窓の外を眺めるともなくゆったりした時間をすごす。御殿場の大型アウトレット、八王子南大沢のアウトレット、軽井沢の大型アウトレット、千歳空港そばのレナという大型アウトレットなどはそれぞれ特徴があり散策に心地よい風景が広がる。

しかしなんと言っても八ヶ岳レゾートアウトレットが抜群であろう。店店がなだらかな斜面の疎林の中に散在し散策が実に楽しい。洒落たレストランもいくつもある。

店の中のご婦人向けや子供用品の商品のことは皆目わからないが一番楽しいところは八ヶ岳のアウトレットです。何度も行くが行くたびに楽しい思いをする。今回は12月27日の晴天の日。流石に人影まばらでますます散策がたのしい。


zebra1192さん、コメント有難う御座います。

2007年12月29日 | うんちく・小ネタ

zebra1192さん、

毎度コメント有難う御座います。

翁は小淵沢インターも近いですが、長坂インターがもっと近くて車で10分くらです。

親指の大きな彫刻の作者は失念してしまいました。

冬の山梨、長野の観光地は閑散として淋しい風景が広がっています。どちらかというと太平洋側の気候なので晴天の日が多く、また落葉樹が多いせいか明るく陽が射し込んでいます。雪も少ないので暖房をきかせた車をゆっくり走らせていると船で春の海を巡航しているような寛ぎを感じます。そんな気分をお楽しみ頂こうと写真をお送りしています。写真が下手なのが難点ではありますが、、、

どうぞ良いお年をお迎えください。有難う御座いました。

コメント

八ヶ岳周辺には、本当に素晴らしい景観と色々な施設がありますね、小生も2回ばかり訪ねましたが、勿論シーズン中とあって、結構人も多く、やはりこのままでは何れ俗化するのではと思わされました。でも今回の貴殿の初冬の写真は、澄み切った空気と青空で、やはり都会の喧騒からは開放される別天地かと思わされます。
 ところで写真の「蕎麦の翁」は中央道の小淵沢インターをおりて近いのでは。一度行った覚えがありますが。
 フォト・アルバムの白樺林の写真の中にある親指風のモニュメントと言うか、展示物は何ですか。
 いつもブログの写真楽しませて頂きながら、下らぬコメントなんぞ臆目も無く出し申し訳ありません。
 今年もほんとに残り少なくなりました、どうかお揃いで良き新年をお迎え下さい。


外国体験のいろいろ(17)河野秋邨画伯の思い出の抜粋

2007年12月29日 | 旅行記

@画家や芸術家を支援する西欧のパトロン達の重要性

芸術家を支援するパトロンシップはヨーロッパの輝かしい伝統です。パトロン達の支援が無ければ数多くの作品は生まれません。

我が国にはその伝統が無く、パトロンの重要性を見落としがちです。しかし、日本にも少しは居ます。水戸出身の中村彝画伯を支援した新宿中村屋初代当主相馬氏はその例。傑作「エロシェンコ像」が生まれたのは中村屋のおかげです。水戸市の千波湖のほとり、茨城県立美術館の一隅に中村t彝画伯のアトリエが移設展示されている。結核で夭折した画家とパトロン中村屋との関係が生き生きと見えるようである。中村屋と中村画伯は同姓ながら血縁関係はない。また、日本の近代彫刻の扉を開いた荻原守衛(碌山)を支えたのも相馬夫妻でした。彼の作品は、29万9100余人の寄付によって建てられた安曇野の 碌山美術館に見ることができます。

 @良心的な画商の重要性

日本では画家を個人的に支援するパトロンが少ない。その代わり画商が重要な役割を担う。笠間日動画廊美術館の五階にある画家三百三十人のパレット展示がその例である。パレットには安井曽太郎、梅原龍三郎、熊谷守一、中村研一、岡本太郎、藤田嗣治らそうそうたる画伯が網羅されている。しかし、圧巻は無名の画家のパレットが多数展示してあることである。日動画廊初代当主・長谷川仁氏夫妻が若い画家を勇気づけ、支援しようとした情熱が見えるようである。

訪問した折、笠間日動画廊美術館で常設展が開催されていたが、日本・アメリカ館五階のパレット展示と合わせて見ると興味が尽きなかった。

パレットの収集展示は吉井画廊の初代当主・吉井長三氏が建てた清春白樺美術館(山梨県)のレストランの壁にもある。無名画家のパレットが、白樺派の文人・画家の手紙や出版本、絵画とともに展示してある。広大な敷地には若い画家へ格安で貸しているアトリエの集合体建築物コアもある。南アルプス連山を前に、何人もの美術を志す若者達が制作に励んでいる様子がうかがえ心楽しい。

  実際に会った  画家とパトロンの思い出

1961年、河野秋邨氏の個展がアメリカ全土を巡回開催された。すべて畳二畳ぐらいの大作で、色彩豊かな南画が数十枚も展示されているのは圧倒的だった。

オハイオ州のコロンバス市での展覧会の折に河野秋邨氏へ毎日、日本食を供した縁で巡回個展のパトロンであるイエーガー氏にも会えた。イエーガー氏は言う「京都で河野氏の南画を見て、アメリカ人にもぜひ見てもらいたいと思ったのです。コロンバスだけでなく、全米の町へも巡回展示します。その費用は私が個人的に出します。好きな画家を経済的に支援するのは楽しく、誇らしいものです」このような個人達が欧米のパトロンシップの輝かしい伝統を育てて来たのでしょう。

清春美術館は吉井長三氏の善良なパトロンシップのお陰で建設された。蕎麦の翁のパトロン達は多数の蕎麦好きの人々です。翁で蕎麦をゆっくり食べながら何時もこんな感慨にふける。(清春美術館と翁の記事やその関連のフォトアルバムの補足としての抜粋、再録です)


蕎麦の翁と清春白樺美術館の両方に行こう!

2007年12月29日 | うんちく・小ネタ

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蕎麦の「翁」は休みでした。修行中の若者が4人汗をながしながら駐車場の整備のため土運びをしていました「蕎麦は相変わらず天麩羅など載せないのですか?」「蕎麦は蕎麦だけで楽しめるように何も添えていません」「この力仕事は蕎麦修行の一部ですか?」「そうです。親方の下で我々4人が修行しています」「広島のほうへ引っ越した創始者の高橋さんはお元気ですか?」「お元気です」、なんとすがすがしい若者達であろうか。

翁のほんの200メートルの東には武者小路実篤や志賀直哉たちの白樺派が企画した美術館が立っている。銀座の吉井画廊の主人、吉井長三氏が建てた清春白樺美術館である。岸田劉生の麗子像や高村光太郎の作品や妻、智惠子の不思議な美しさに彩られた油絵などがある。ルオーの多数の絵のコレクションもある。この美術館を見て、少しストイックな気分になってから翁の蕎麦を食べるとその香り、鮮烈な美味が一層深く味わえる。いつもそんな順序で両方に行く。Photo_3 Photo_5 清春美術館の支援者は吉井さん、蕎麦の翁の支援者は蕎麦好きの多数のお客です。

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山林の中に小屋を作る方法(3)

2007年12月28日 | うんちく・小ネタ

Photo_4 前回は山林を購入する場合の注意事項をいくつも挙げました。しかし特に重要な項目は3個です。(1)山林、雑木林の真の所有者を探す。(2)法務局出張所へ所有者変更の登記をして地目を山林から宅地へ変更する。(3)購入予定地まで車が入れる公道が有るか否か確認する。

現役の若い方々は仕事が忙しく、自分でこれら3項目を実行するのは至難の業でしょう。そこでお薦めする一番良い方法は信用出来る現地の不動産業者を探してそこから山林を購入する方法です。どうしても2、3度は現地へ行き数軒の不動産業の社長と直接話合う必要があります。

こちらの家族構成や購入する目的や予算の範囲などを礼儀正しく聞いて、すぐに適切な物件を案内してくれる社長ならかなり信用して良いです。こちらの話もろくに聞かず自分の売りたい物件を無理に勧めるような社長とは止めましょう。

山林は所有権者とは別に村人が薪を取ったり茸を取ったりして来ました。そこには公道として馬車道があったのです。現在は消えて分からなくなっていても公道はいつでも誰でも通行して良い道です。車の上がれる幅は十分あるものです。こんな歴史的な諸々の山林事情は東京や横浜の不動産業者には分かりません。

(有)大蔵建設と(株)里山ライフの社長の相川光雄さんは現地出身で八ヶ岳や甲斐駒の山麓の土地の歴史的な諸々の事情に精通しているようです。説明が明快で、土地物件の長所と問題点を素人にも分かりやすく話してくれる人です。

ここにしました写真は彼の会社の旧白州町にある支社です。ここに数回寄りました。社長が不在の時、社員と話し込んでみると皆が社長を信頼しています。社員が信用していない社長からは山林という複雑な事情を持った物件は買わないのが良いとお思います。(続く)

   


フォトアルバム「冬の陽に輝く甲斐駒、八ヶ岳」について

2007年12月28日 | 写真

Dscn0661_2 厳寒の山林の小屋に一泊。翌日は宇宙まで透き通るような晴天。車をゆっくりと走らせ、甲斐駒、八ヶ岳連峰の麓をめぐりました。清春美術館、蕎麦の翁、小淵沢の乗馬クラブ、八ヶ岳リゾートアウトレット、八ヶ岳牧場、八ヶ岳スキー場、清里の街など。夏にはあれほど賑わっていたのに、人影一つ無く深閑としていました。人声が聞こえないので、青く輝く峰峰が一層強く心へ飛び込んできます。冬の陽はあくまでも明るく輝いていますが、何か粛然とする独り旅でした。


zebra1192さん、コメント有難う御座います。

2007年12月25日 | うんちく・小ネタ

zebra1192さん、下記のコメント有難う御座いました。

ブログの良いことは本音の意見交換が出来ることと思います。こういうご自分の感じ方を今後もコメントとして送って頂ければ嬉しく思います。有難うございました。藤山杜人

コメント

流行歌とはよく言ったものです。「千の風になって」と言う歌だって、小生に言わせれば、ある日突然出て来て、アッと言う間にヒットし、今年の紅白でも歌われるのですから。確か、当初仏教関係者からは敬遠されたと思いましたが。まあ何がヒットするやら解りませんが、後世後々まで歌い継がれる歌とは思いませんが。やはり歌い継がれるのは、純粋で明るく、誰もが口ずさんだり、鼻歌交じりにでも直ぐに飛び出すものでしょう。やや独断と偏見かも。
 沖縄のお墓の立派なのにも感心しましたが、貴殿が既に生前墓を用意されているとは、実に用意周到なのに驚きです。碑名もなかなかですね。


「千の風になって」も良いのですが、、、

2007年12月25日 | うんちく・小ネタ

Photo 秋川雅史氏の「千の風になって」が全国に流れたのは2006年の紅白歌合戦

の後という。死んだ私はお墓に居ません。千の風になって飛んでいます。お墓の

Photo_2 前で泣かないで下さい。と歌う。

左上の2枚の写真は沖縄の一般的なお墓です。立派な石やコンクリ-トで家の

形になっている。死者が住んでいます。お彼岸や命日には親類縁者が集まって賑やかにお参りする。死者が千の風になって留守になっていては具合が悪いのです。

古くからの琉球文化と思うが、死者には家があり残された家族が会いたくなったらお墓へ会いに行く。死者は何時もお墓から見守ってくれている。この様式は現在でもすたれない。そばで新しい墓家を建設中であった。石も色々種類がある。

「千の風になって」は死んだ人の気持ちや希望です。家族や友人への慈しみが感じられて良い。しかし琉球のお墓の考え方も捨てがたい。

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最後のこの3枚目の写真は筆者が自分が入るために10年前に立てた墓です。墓碑銘の「風」の字は「人生は風のように過ぎ去って行った。楽しいことばかりだった。感謝の気持ちで死んでいます。」というような死後の自分の気持を表している。最後の20年以上はヨットをしていたので風のことを思いついたのかも知れない。

尚この3枚の写真は小さくサムネイル方式にしているのは、お墓の写真は縁起が悪いと思う人も居られるのではないかと思ったからです。クリックしてご覧頂ければ幸いです。(終わり)


沖縄のヨットのある風景のフォトアルバム

2007年12月24日 | 写真

Photo_10 宣野湾港マリーナ遠景、糸満美美ビーチマリーナに係留するヨット2点、万座ビーチに係留する大型双胴ヨットの合計4点を「海辺とヨット」のアルバムへ追加しました。沖縄には泡瀬に沖縄マリーナ(旧沖縄ヨットクラブ)もあり広大な敷地のマリーナがいくつもあるようです。意外に交通渋滞で泡瀬は訪問出来ませんでした。サンゴ礁の浅瀬で沖縄ではキール付きのヨットはすぐに座礁すると聞いていました。でもヨットの数は結構多いなと感じました。


zebra1192 様、コメント有難う御座います。

2007年12月23日 | 国際・政治

zebra1192 様へ、下記のコメント有難うございます。

同感です。江戸時代の薩摩藩による琉球王朝の搾取ぶり、明治維新のときの琉球処分と併合、太平洋戦争時の地上戦の凄惨なる損害、敗戦後から現在に続くアメリカによる広大な土地の占領、軍事基地化。これら全ては我々日本本土の利害を守るためになされたことです。あまりにも悲劇的な歴史展開に言葉が見つかりません。観光で行っても心から楽しめない原因になっています。

南国の緑の豊かさやサンゴ礁と白い砂洲、そしてあくまでも澄んだ瑠璃色の海の他は話す話題が有りません。人々のことに少しでも触れれば上記の悲劇への言及を避けることが出来ないでしょう。いつかちゃんとした議論を書いてみたいと思います。外国体験のいろいろ(24)のバルチック3国の話も沖縄へ少し似ていると思います。コメントを頂き、有難う御座いました。藤山杜人

コメント

沖縄に行かれた由、小生も一昨年夏に行きました、何も暑い時期にと思いますが、耐暑訓練みたいなものです。でもやはり沖縄は本土(この言い方はまずいのかも)とは何かにつけて違う様に思いました。ある意味エキゾティックなところもあり、もう一度来て見たいとも思いました。でも南部で巡った「平和の礎」とか「ひめゆりの塔」をみるにつけ、沖縄が如何に戦争の辛酸を舐めたか、県民が如何に大きな犠牲を払ったのかが、痛いほど解りました。今平和ボケしてのほほんと暮らしている我々は大いに反省すべきと思いました。「偽」の世の中なんてどう言うことなのですかね。


外国体験のいろいろ(25)

2007年12月23日 | 旅行記

◎旅人のもてなしはサウナで

北国のスウェーデンを旅すると、荒涼とした風景に夏でも心身ともに冷える。そんな旅人をもてなすのは熱いサウナである。昔からの習慣と聞く。1972年秋、ストックホルム工科大学へ三ケ月間行った折、大学のゲスト用サウナへ二度ほど招待された。

サウナは、極北の香り高い白木で内装されている。隣に談笑する部屋が付いていて、同じ白木のテーブルと椅子があり、酒を飲みながら裸で談笑する。

酒は雑穀を発酵させ蒸留した透明な強い酒。ロシアのウオッカや中国東北地方の白酒に似ている。この蒸留酒に、学生が自宅の裏庭で摘んできたラズベリーやコケ桃の実の汁を入れて風味を付け、大きなボールに入れる。それを木製の大さじで各自グラスに取る。

つまみはバルト海で捕れる小形のロブスターを真っ赤にゆでたもの。それだけである。

サウナに入る作法は、まず全員一斉に裸になる。脱衣室を兼ねている談笑部屋の隅にある籠に脱いだ衣服を入れ、バスタオルを持って入る。熱すぎると叫ぶ者、もっと熱くしようと焼け石に水を掛ける者の笑い声で大騒ぎになる。十分暖まったら談笑する部屋に出て、酒を飲み、ロブスターを割り、勝手な話をする。

よく出た話題はドイツ人の悪口であった。忘れられない話として、バルト海三国の悲劇的な話があった。

@バルト3国の悲劇

スウェーデンの対岸、バルト海の東岸にかつて三つの独立国があった。エストニア、ラトビア、リトアニアである。1917年、ロシア革命が成功すると、ソ連に吸収されてしまう。1940年、ドイツ軍の電撃作戦で三国は蹂躙(じゅうりん)され、その北のレニングラード郊外までドイツ軍は攻め込んだ。

多くの難民が出る。しかし三国住民はソ連もドイツも嫌いだ。逃げる先はフィンランド、スウェーデン、ノルウエー、さらに遠く北米や南米へ。

サウナで酒を酌み交わし談笑した学生の中に、エストニアから逃げて来た学生が二人いた。当時は冷戦が厳しい状況を示し、ソ連が間もなくフィンランド国境を突破し、バルト海を渡って攻めて来るとのうわさが流れていた。

スウェーデンに来ると、ソ連の脅威が肌で感じられる。しかし、楽観的な学生はNATO軍の守りが堅いので心配ないと主張していた。こんな議論の中、エストニアの二学生は沈黙を守り、最後に一言「バルト三国は必ず独立する。そうしたら帰国する」とつぶやいた。

1989年、ゴルバチョフ書記長のおかげでベルリンの壁が壊され、やがてバルト三国はそろって独立した。その後消息は伝わってこないが、あの二人はエストニアへ帰ったと信じている。

歴史の展開は予想を超える。第一次、第二次の両大戦でその強度で有名になったスウェーデン鋼は世界の鉄鋼技術の手本になっていた。

1972年晩秋、北極圏にあるキルナ市のスウェーデン鋼の会社を訪問した。そのころ、スウェーデン鋼の技術は日本にも普及し、キルナの会社は斜陽になっていた。豪華なゲストハウスは森閑とし、お客は筆者一人。マホガニーで内装された食堂で夕食を摂っていると、中年のウェイトレスが入って来て「私はこれで帰りますが、食事が終わったら食卓はそのままにして、サウナへ是非入っておやすみください」と言う。

サウナは一段と立派である。前室には、ピンク色の強い酒とライ麦の粉を煎餅のように焼いたものがチーズともに皿に乗っている。旅人へサウナを提供するのがスウェーデンの誇らしい伝統であることが分かる。豊かな気持ちになって眠りにつく。(終わり)


常春の島・緑のアルバム

2007年12月23日 | 写真

3日間沖縄へ行きました。山梨の 小屋の周りでは、裸の木々の梢が寒風に揺れています。沖縄は気温20度以上で、緑豊かな樹木や草花が南の陽に輝いていました。なんという違いでしょう!「南の島の樹木、草花のフオトアルバム」で少し暖まって頂ければ幸いです。

下の写真は名護市にある樹齢250年のヒンブンガジュマルの巨木です。

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SHANTIAN 様、コメント有難う御座います!

2007年12月22日 | うんちく・小ネタ

SHANTIAN 様へ

大変貴重なコメント有難う御座います。3日ほど旅行に出ていましたので御礼が遅くなり失礼しました。早速この本を購入して読みます。読後また感想を掲載致します。

日本文化に一度も触れたことのない西欧人がいきなり能に感動したり、仏教の修行に飛び込むケースは知っていましたが味覚の世界にも同じことがあるのでしょうね。

とても良いご指摘を頂き感謝しています。今後もどうぞご叱正、ご批判を心底からお願いいたします。有難う御座いました。  藤山杜人

コメント

 「あくび猫」(南條 竹則 著 文藝春秋社 2000年11月刊)に、日本を訪れ、美味な蕎麦に感動するアメリカ人についての記述があります。
 本書は、ほぼ著者の体験に基づいた、「吾輩は猫である」風の作品であるため、信憑性は大変高いと思われます。
 乞う御一読。