後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

帆船カティサーク、帆船日本丸、そして私の帆舟、その一

2018年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム
帆船にはロマンがある。その姿を見ているだけで心が豊かになる。風という自然現象に従って大海原を走る。自然と一体なのだ。
たまにはそんな帆船の話を書いて楽しんでみたいと思う。昨日、帆船Cutty Sarkのラベルのついたスコッチを傾けながら記事の構想が浮かんで来たのです。
連載の第一回目はイギリスで復元、公開展示してある帆船Cutty Sarkを、そして第二回目は横浜に係留公開してある帆船日本丸を簡略にご紹介し、最後に自分が乗っていたクルーザーヨット(帆舟)をご紹介したいと思います。

帆船の構造は簡単に言えば船体に高いマストを建てて何枚もの帆を上げて風の力を掴み航海する構造になっています。
マストと帆に何本もロープが付いていて、風の強弱に従って上げたり降ろしたりするのです。
風の力だけでは港への出入りが不便なので小型の蒸気機関かジーゼルエンジンが補助的についています。

さてカティサーク(Cutty Sark)は19世紀に建造されたイギリスの快速帆船です。

1番目の写真はイギリスで復元され展示してあるCutty Sarkです。船体の中央に蒸気機関の煙突が立っています。その右脇に船を推進させる内輪の白いカバーが見えます。
このCutty Sarkは中国からイギリスまで紅茶を輸送する「ティークリッパー」として活躍しました。
いかに速く一番茶をイギリスへ届けるかを競ったのです。
カティサークは現存する唯一のティークリッパーとしてロンドン近郊のグリニッジで保存展示されているそうです。

当時、イギリスの国民的な飲物である紅茶をいかに新鮮なまま届けるかに高い関心が集まっていたのです。最初に届けられたその年の一番茶は高値で取引され、船主や船長は莫大な利益と名誉を得ることができたそうです。
紅茶輸送のための快速船ティークリッパーが多数建造されましたが、Cutty Sarkはその中の一隻だったのです。
ティークリッパーは外洋で高速が出せるよう、通常の帆船に比べ前後に細長い形状をしていました。港湾内で小回りの利かないこのような船型が可能となった背景には、蒸気機関を積んだためと考えられます。
しかし可能な限り多量の紅茶が積めて、外洋で高速が出る設計が難しいのです。その為には蒸気機関を小さいものにし、石炭も少ししか積みません。出来るだけ大きな帆を何枚も張らなければなりません。
それは外洋帆船レースの技術の粋です。だからこそ快速船ティークリッパーのCutty Sarkはイギリス人の夢と希望だったのです。
Cutty Sarkを復元し展示してあるのは、それがイギリス人の誇りだからです。

それではもう少しCutty Sarkの構造を見てみましょう、

2番目の写真は3本のマストと長い横桁(ヤード)の写真です。
この写真で一番目が行くのはロープ類です。ロープ類は使用目的別にハリヤードとかステイとか固有の名前がついています。
このロープ類は帆船の命です。
2番目の写真を見ると3本のマストに横になった帆桁(ヤード)が何本かずつついています。
ゴチャゴチャした写真なので大型帆船の構造は一瞬にして分かるというわけにはいきません。
しかしロープ類は次の2種類しかないのです。
1)マストをしっかり立てるため船体へ固定したロープ類(クルーザーではステイとシュラウドと呼ぶ)
2)何枚もの帆を上げたり、向きを変えるためのロープ類(クルーザーではハリヤードやシートと呼ぶ)
大型帆船ではロープ類が多数ついていますが、このように2種類だけに分類出来ます。
なおこの二番目の類には横桁(ヤード)の上下や向きの調整をするロープも含んでいます。

さて、どのロープを引くとどうなるか?一切心配無用です。甲板上の装置は全て人力で動かすのです。分からない時は手で引っ張ってみて、何処が動くか見れば簡単に理解出来るのです。

閑話休題。カティサークという船名の由来をご説明して終りといたします。

3番目の写真はカティサークの船首像の写真です。
カティサーク (Cutty Sark) とは、スコットランド語で短い (Cutty) シュミーズ (Sark) を意味するそうです。
ロバート・バーンズ (Robert Burns) 作の詩「タモシャンター」Tam o' Shanter に登場する魔女に由来すると言われています。
農夫のタムが馬にのって家路を急いでいると、悪魔や魔法使いが集会をしているところに出くわします。そこでタムは、カティサークを身にまとった若くて妖艶な魔女に魅了され、思わず立ち止まります。そのとたん、にわかに空が暗くなり、魔女たちがタムを捕まえようとしました。タムは馬にまたがり、命からがら逃げ出します。カティサークの魔女は馬の尾をつかまえたものの、尾が抜けてしまったため、タムは逃げのびることができたのでした。
3番目の写真のカティサーク号の船首像はカティサークを身にまとった魔女であり、その手には馬の尾が握りしめられているのです。
スコットランドの話には怖いものがありますね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

貧乏な家に生まれた故に一生不幸な人、そうではない人

2018年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム
櫻花を見ると人はいろいろなことを想います。そのあでやかな美しさを愛しながらも、悲しい思い出が湧き上がる時もあります。家族と一緒に花見をして楽しかったことも思い出します。
悲しいと言えば貧乏な家に生まれたために一生不幸だった人のことを考えています。また
貧乏な家に生まれたが、一生幸せだった人のことを考えています。
神様は何故このように不公平なのでしょうか?
今日はこのような謎を書いてみます。
その前に今年撮った桜の写真をご覧ください。いろいろな角度と構図で撮った写真です。櫻花の淋しさ、華麗さ、奥深い美しさ、あでやかさを表現したつもりの5枚の写真です。

1番目の写真は櫻花の淋しさを表現したつもりです。小川の上に差し掛かっている一枝の咲きかけた桜を橋の上から見下ろして撮った写真です。

2番目の写真も櫻花の淋しさを表現したつもりです。背景に黒い太い幹を写して咲きかけた花が弱々しく頼りなげに見えています。

3番目の写真は背景を青空にして満開の花の華麗さを表現したつもりの写真です。

4番目の写真は枝垂れ桜です。枝垂れ桜の並木の奥の方まで写した写真です。並木の奥深い美しさを表現したつもりです。

5番目の写真は明るい春の陽に輝く櫻花のあでやかさを表現したつもりの写真です。
このように桜は写真の撮り方によっていろいろな表情を見せてくれます。
昨日は花吹雪の美しい光景を何度も見ましたが、花吹雪の風景を写真に撮るは難しいのです。

さて今日の本題に戻ります。
貧乏な家に生まれて一生不幸だった人と、一生幸せだった人の実例です。
私のよく知っている過疎の村に貧しい家に生まれ不幸な人が一人で住んでいました。その近くに一軒の別荘がありました。その別荘の主の話です。
その別荘の主は過疎の村の一人暮らしの人の生活を助けるボランティアを20年間もしていたのです。
一人暮らしの人の家の周りの雑草を取り、車で買い物に連れて行き、遠方の病院にも車で送迎していたのです。
私は過疎の村の一人暮らしの人と別荘の主の両方を良く知っていました。
ところがある時、別荘の主が20年間も続けていたボランティア活動を突然止めてしまったのです。
別荘の主に聞けば、「彼には一切感謝の気持ちが無いのです。何をして上げても感謝しないのです。私は勝手にボランティア活動をしているから、それでも気にしてませんでした。ところがある時、「役所の福祉課の人や病院の人には感謝したほうが良いよ」と意見したのです。
そうしたらいきなり怒り出して絶交だと言うのです。
私は別荘の主が正しいと言いました。
後で別荘の主は長いメールをくれました。そのメールによると別荘の主も貧乏な家に生まれて大変苦労したそうです。
「しかし幸せな一生でした」と書いてあるのです。貧乏に生まれ育つと周りの人が必ず少し助けてくれるのです。その時は心を込めて、「ありがとうございます」と言いました。
このように感謝すると周りの人はもっと助けてくれるのです。親切な親類のお陰で大学まで卒業出来たのです。
貧乏な家に生まれて一生不幸だった人と、一生幸せだった人の別れ道は感謝するか、しないかです。これが彼の長いメールの結論でした。

神様は何故このように不公平なのでしょうか?
他人へ感謝出来る人と出来ない人を作るのです。これこそ最大の不公平です。

話は飛びますが、先日、「幼児の言語障害と老人の会話能力を改善する言語聴覚士の活躍」(2018年03月23日掲載)という記事を書きました。その中で対人関係がうまく作れないアスペルガー症候群という発達障害のひとつをご紹介しました。
コミュニケーション能力や社会性、想像力に障害があり、感謝も出来ないので対人関係がうまくいかない障害のことです。アスペルガー症候には知的障害の症状はないので、周りからは「変人」と思われがちです。
これは子供が生まれる前の胎児の間に脳の機能の成長が正常でないことで起きます。いろいろな発達障害の一つです。
発達障害は治療法が困難なのです。しかし周囲の人間がどのような対応をしたら本人が幸せに暮らせるかは解っているのです。

他人へ絶対感謝出来ない人はひょっとするとはアスペルガー症候なのかも知れません。本人の罪ではないのです。
本人へ説教しても、それを理解出来ないのです。無駄です。本人を一層不幸にするだけです。
神様におまかせするしかないのです。

風に散る桜の花吹雪を見ながら、私は深い溜息をつきました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

東京にある国際キリスト教大学の桜とレンギョウの花々

2018年03月29日 | 写真
今日は東京都三鷹市大沢にある国際キリスト教大学の桜とレンギョウの花々の写真を撮りに行きました。この大学の敷地は戦争中にゼロ戦をさかんに作っていた中島飛行機の北半分の土地でした。南半分は中島飛行機の関係者が作った富士自動車、すなはち現在のスバル自動車の工場になっています。そんな歴史を思い出しながら写真を撮って来ました。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









北朝鮮核廃絶ドラマの回り舞台が急に動き出す

2018年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム
実にドラマチックな急展開です。北朝鮮核廃絶の回り舞台が急に動き出したのです。
金正恩氏が列車で北京を訪問し、習主席と会い北朝鮮の非核化を約束したのです。

1番目の写真は金正恩夫妻と習近平夫妻の昨日北京で撮った写真です。
ここでBBCニュースを見てみましょう。
『金正恩氏が訪中 習主席と会談』2018年03月28日,BBCニュース(http://www.bbc.com/japanese/43564784)
中国中央テレビ(CCTV)は、金委員長と習主席が夫人たちを伴って会う様子を伝えた
中国と北朝鮮の国営メディアは28日、北朝鮮の最高指導者、金正恩朝鮮労働党委員長が中国を訪問していたと報じた。
報道によると、金委員長は李雪主夫人と共に25~28日に訪中した。金氏にとっては2011年に最高指導者となって以来、初めての外国訪問となる。
金委員長は4月に韓国の文在寅大統領と、5月にはドナルド・トランプ米大統領と会談する予定で、今回の訪中はこれに向けた準備とみられている。
新華社によると、金氏は会談で非核化への強い決意を表明し、「米韓が北朝鮮の努力に友好的な態度で応じ、平和的・安定的な雰囲気を作り出し、前向きで歩調が合った平和実現に向けた措置を取れば、朝鮮半島の非核化問題は解決できるだろう」と話したという。
北朝鮮国営の朝鮮中央通信(KCNA)は今回の訪問を、北朝鮮の主要な友好国である中国との相互関係を深める「一里塚」だと表現した。
また、習主席が北朝鮮への招待を受け入れたと報じている。
金委員長の訪中は、今年初めに始まった南北関係の緊張緩和が先月の平昌五輪でさらに進展し、北朝鮮をめぐる外交が活発になるなかでの最新の動きとなった。
北朝鮮がミサイル発射実験を繰り返し、米国との激しいやりとりが続いていたが、トランプ大統領は先月、金委員長による首脳会談の要請を受諾。実現すれば、現職の米大統領としては初めて北朝鮮首脳と会談することになる。
(英語記事 China and N Korea confirm Kim Jong-un visit)

北朝鮮のこの急な外交方針の変化をもたらした原因はトランプ大統領の軍事的脅迫です。
航空母艦打撃群という艦隊を3つも同時に北朝鮮沖に派遣して、今にも北朝鮮を攻撃するような態勢を見せつけたのです。こんな狂気のような過激な軍事的脅迫は従来の歴代のアメリカの大統領はしなかったのです。アメリカが北朝鮮を攻撃し、海兵隊が上陸し平壌を急襲すれば金正恩独裁体制は一挙に崩壊します。なにせトランプ大統領は狂気のような激しい性格です。
流石の金正恩委員長も恐怖におののきました。

2番目の写真はアメリカの航空母艦打撃群です。

3番目の写真は高速航海中のアメリカの航空母艦です。
北朝鮮の沖に展開する3群のアメリカの航空母艦打撃群を見て金委員長はミサイル発射と核爆発実験を止めました。
そして核兵器廃絶をし、代わりに北朝鮮の独裁体制をアメリカに保証してもらおうと決断したのです。
しかしこの核兵器廃絶にはいろいろな順序と行程があります。北朝鮮にとって有利な条件で核廃絶を段階的に進めなけらばなりません。
そこで北朝鮮はまず中国を訪問して、核廃絶の条件闘争で中国の支援と援助をお願いしたのです。
4月には韓国の文在寅大統領と、5月にはドナルド・トランプ米大統領と会談する予定です。
その前に中國の習近平主席を訪問して中国の顔を立てたのです。次はロシアのプーチン大統領と会うのが筋です。
こうして北朝鮮は中国とロシアの後ろ盾を得て、4月に文在寅大統領と、5月にトランプ米大統領と会談するのです。

実にドラマチックな急展開です。北朝鮮核廃絶の回り舞台が急に動き出したのです。
ここで一日本人として私の受けた2つの衝撃を書かせて下さい。
1、トランプ大統領の露骨な軍事的脅迫がこんなにも有効だったことに衝撃を受けてます。
見たくないものを見てしまった感じです。トランプ大統領の狂気的な性格が極東の平和をもたらす情勢なのです。
それを否定したい人々は国連の決議による国際的な経済制裁で北朝鮮が屈服したのだと主張します。しかしその見方は残念ながら間違っていると言わざるを得ません。北朝鮮は従来、最貧国でありながらミサイルと核兵器を開発してきたのです。
2、北朝鮮を取り巻く外交の急展開に日本だけ取り残されていることに衝撃を受けてます。
日本は全くつんぼ座敷にいるようです。北朝鮮を取り巻く外交の急展開について行けないのです。これこそ日本外交の弱点なのです。
日本の政治では「根回し」が重要です。今回のように急展開が起きると根回しの時間が無いのです。
日本だけ取り残されます。拉致問題解決など忘れ去られるような情勢です。安倍総理しっかりして急激な変化に対応して下さい。
森友学園問題だけが重要なのではありません。野党の政治家たちももう少し国際的な視野も持って下さい。困ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


満開の小金井公園の櫻花の下で弁当を食べる

2018年03月28日 | 写真
今日は本当に満開でした。家内が作った散らし寿司の弁当を娘もまじえてゆっくり食べて来ました。
平日なのでベンチも空いていて桜を見ながら弁当を食べるのは格別でした。
目を細めて見ると桜花が横に広がり春霞のようです。
写真をお楽しみ頂ければ幸せです。









満開の枝垂れ桜の写真をお送りします

2018年03月28日 | 写真
広い多摩墓地には桜の木が沢山植えてあります。満開の桜のトンネルが何本も縦横に走っています。
春の陽に輝くソメイヨシノの並木は圧巻です。
その桜並木の中に一筋だけ枝垂れ桜だけを植えた道があります。
満開の枝垂れ桜を撮ったばかりの写真をお送りします。お楽しみ頂けたら嬉しく思います。









石山 望著、「老いの効用」、そして私の読後感

2018年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム
思い切って、電話の番号を丁寧に押した。でも、内心は心配であった。
何しろ、最後に話してから30年くらいは経っている。どういう対応をされるであろうか。電話番号が変わっているかもしれない。または、状況がコロリと違っているかもしれない。全く、知らない人が出てこられるかもしれない。
お目当の人が出てこられても、会話を拒否されるかもしれない。いいところ、会話はできても、非常に冷たい反応が返ってくるかもしれない。
私、日本を出てから42年。
しかし、その前の京都での数年間は、口にするのも憚られるほど、実に荒んだ生活をしていた。
その時は、阪急沿線の東向日に住んでいた。別に勤めていた訳でもないのに、四条河原町までの定期を買い、夜な夜な、繁華街に繰り出し、飲み歩いた。そして、終電車に乗り遅れると、4時間くらいかかって、歩いて帰った。
まあ、タクシー代など持っていないし、また、そんな生活をしていた自分を懲らしめるという意味もあったであろう。
その様な泥沼の生活に身を任せるということには、勿論それなりに理由があった。一生に一度の大恋愛があったのもこの頃のことである。酒は昼からでも飲んでいたし。
当然のことながら、そういう生活を送っていれば、いろんなところで、帳尻が合わなくなるものである。
人様に、そしてこの自分に嘘をつき、自分をまっすぐに見つめるということをしないで、いつも酒で、頭をボヤ〜ンという状態にしていた。
それやこれやで、失敗に失敗を重ね、人様に多大のご迷惑をおかけした。挙句、自ずと「あの人は、訳のわからない人」という風評がたってしまい、多くの方が私の許を去って行かれた。事情はわかるけれど、とても寂しかった。
「四面楚歌」とは、正にこのことである。
その時、私の悩みを打ち明けられる人など、どなたもおられなかったので、無期限のヨーロッパ放浪の旅に出ることにした。人生を一からやり直すために、、。
今日お電話したのは、私がその頃に知っていた女性である。
女性といっても、彼女その時まだ中学生。可愛らしく、またしっかりした子であった。
私の不埒な私生活とは裏腹に、私、この子の家庭教師をしていた。
彼女のみならず、彼女の兄弟二人の面倒も見ていたので、彼女のご家族とは縁が深いということになる。
このご家族の皆様には、いろいろお世話になった。また、ご迷惑をおかけもした。
今、手をついて謝りたいくらいであるが、ご両親は遠におられない。
しかも、私、その後、突然、日本を離れ、帰って来なかったのであるから、皆様、さぞ、訳のわからない思いをされたことであろう。
嬉しいことに、今日、彼女と喋る前に抱いていた「懸念」は「杞憂」に終った。彼女、とても喜んでくれた。
彼女、目下60歳。結婚歴があり、ご主人はだいぶ前に亡くなったのだという。また、私も知っている彼女の兄は、若年性の認知症で、施設に入っておられるのだそうである。
もちろん、私、これらのことは何も知らなかった。驚いた。
時は流れ、人生は流転する。
人は必ず老い、機能は劣化する。しかし、その代り、いろんなことが鮮明にわかってくるというのも事実である。これが、「年を取る」ということかも知れないと、私は密かに思っている。
今年もまた、日本に帰る。実に久しぶりに、枚方に行き、彼女に会うのを楽しみにしている。お兄さんを連れ出し、食事に行く。
私、毎年日本に行くのは、いろんな方々にお会いするためである。このように「旧交を温め」、「懺悔」そして「近況報告」をするためである。
近年、非常に永い空白の年月を経て「旧交を温めた」方が他にも何人かおられる。何れも京都でのこと。私の懸念に反し、どなたも、私との再会を殊の外喜んで頂いた。今年もまたお会いする。どなたも、何がしかの問題を抱えておられるけれど、一所懸命に生きておられる。
「年を取る」ということには、悪いことばかりあるのではない様である。(終り)
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私の読後感;
石山 望さんはインターネットで知り合った方です。何度も私の記事に好意的なコメントを下った方です。親しくなりました。
礼儀正しく知性にあふれた紳士です。長らくイギリスに住んでいます。人間的に信頼し、東京でも何度かお会いしました。
上の石山さんの文章を読むと、嗚呼、生まれ育った京都を離れイギリスに行って良かった。本当に良かったと思います。
彼はイギリスに行ったおかげで幸せになれたのです。京都を離れなかったら彼の人生は不幸だったでしょう。イギリスの文化が彼を救ったのです。
彼の書く文章は日本の文化を鏡のように映し出します。イギリスの文化を写しだします。
私の趣味は比較文化人類学です。それで石黒さんへは何度かこの欄にご寄稿を頼んで来ました。
以下もそのようなものの一例です。抜粋だけをお送りします。
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石山 望著「ノーベル賞のカズオ イシグロ、 石黒一雄さんのイギリスでの評価」
2017年11月29日 掲載

先日、ニューズで知ったのですが、カズオイシグロ(Kazuo Ishiguro, 石黒一雄)さんが、文学部門で、今年のノーベル賞をもらわれたとのこと。
まずは、おめでとうございます。
この方、日本人ですが、5歳の時、家族と一緒に渡英。それからずーっと、62歳の今まで、英国住まいですから、国籍は英国ですし、思考様式も気質も、ほぼ英国人のそれです。奥様も英国人です。
でも、ご本人は、日本人の部分が少しあると仰っています。まあ、さしづめ感性がそうでしょうね。
代表作そして出世作「日の名残り(The Remains of the day)」で、ブッカー賞(日本の芥川賞にあたるもの)も貰っておられますし、当地では、よく知られた作家ですので、今度の受賞は、驚くに当らないというところでしょうか。
従って、彼の受賞に対する国民の反応も、淡々としたものでした。
その日のTVニューズでも、イシグロさんの受賞のことに関しては、最後の方に、アナウンサーが少し述べただけという、。
一体、この国では、ノーベル賞受賞者が出たからといって、あまりとやかくは言いませんね。ましてや、ノーベル賞受賞者を、神様扱いにするということは決してありません。
私、英国のこういうところは、とても好きです。・・・以下省略
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さて今日の挿し絵代わりの写真は文章の内容とは関係ない「江ノ電」にまつわる風景写真です。先日、鎌倉生まれの家内が懐かしがって撮った写真です。
石山さんの文章を読んでいると昔の日本人の善さが滲み出ているような感じがします。それで私は古風な江ノ電の風景写真を思い付いたのかも知れません。江ノ電は昔の電車で鎌倉から江の島へ行く電車です。終点は東海道線の藤沢駅です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










日本人と欧米人の違い、心に思う光景の違い

2018年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人と西洋人は異なる文化なのだから、違うのが当たり前だ。何を今更とお思いになりますでしょう。でもまあ読み流して下さい。
今日は子供のころから心に抱く「宗教的な光景」の違いを明らかにしてみようと思います。
この違いを明確に認識して、お互いに尊敬しましょうというのが今日の記事の主張です。
続編には欧米人と日本人との完全に共通した「家族愛」と幸せな国際結婚について書きます。

さて日本人は子供の頃から神社のお祭りに行きます。練り歩く御神輿を見物します。そして家族揃って墓参りに行きます。
これらのことで見る光景は宗教的光景として人々の心に焼き付いています。そして観光で訪れた奈良や京都の寺の光景や本堂に祀られている如来や菩薩などの仏像の姿も心に抱いています。実際に見たことの無い人でもテレビや雑誌の写真で何度も見て、知らず知らずのうちに心に焼き付いています。

一方、西洋人は子供の頃から教会のある村や町の風景を見ています。教会の中の祭壇とその後ろの十字架の光景を見ています。
クリスマスには家族揃って楽しい食事をします。サンタクロースが寝ているあいだにプレゼントを持ってきてくれます。
教会の日曜学校で遊びます。聖書の勉強もします。このようなことを通うして子供の頃に見た光景は心に焼き付いて一生忘れません。
キリスト教を信じていない西洋人もこのような光景を本やテレビを通うして知っています。そしてあたかも自分も見たように心に抱くようになります。
そして西洋人が心に抱く宗教的な光景はそれだけではありません。もっと奥深い意味のある宗教的光景です。復活祭にまつわる宗教的光景です。
もとより私は正真正銘の日本人ですからこれから書くことは単なる推量に過ぎません。しかし私は毎週教会のミサに行くカトリックなので推量出来るように感じるのです。

新訳聖書の非常に重要な場面は、印象深い演劇の場面のように欧米人の心に焼き付いています。
キリスト教を信じない欧米人でも幼少の頃からさんざん見聞きした場面です。
その重要な光景は、クリスマスの楽しい光景の他に、復活祭にまつわる3つの宗教的光景です。
 次の3つです。
(1)棕櫚の葉を振った多くの人々に歓迎されて、イエスがエルサレムに入城する場面。
(2)人々の歓迎にもかかわらず、イエスは捕まってローマ総督のピラトの裁判にかけられ、十字架上で死ぬ場面。
(3)墓に葬られたイエスが生き返って、弟子達の前に現れ話をする場面。
一昨日のミサは復活祭の一週間前の日曜日のミサだっのでです。その理由で上の(1)と(2)を再現しながらミサが進行しました。
まず教会の屋外に全員が集まって(1)の場面を再現しました。

1番目の写真は侍者と神父さん達が列を作って会衆の真ん中へ入って行く場面です。

2番目の場面は次の聖書朗読の後で皆が聖堂に入って行く場面です。棕櫚の葉を振った多くの人々に歓迎されて、イエスがエルサレムに入城する場面を再現した場面です。

以下は聖堂に入る前に、屋外で朗読する聖書の一部(マルコ11・1~10)です。

一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。
「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」
二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。
二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。
二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝(現在は棕櫚の枝という事になっている)を切って来て道に敷いた。 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」

会衆が聖堂に入った後は何時もの順序でミサが進行します。そのミサの光景を3枚の写真で示します。





ミサの式次第はいつもと同じですが、新約聖書の朗読は以下のように、ピラトの裁判の光景のマルコ福音書の15・1~39を朗読します。

夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。
ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。
そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。
ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。
ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。 さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。
そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。
祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。 祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。
そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。
群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」
ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。
ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。 そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、 「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。 また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。
このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。
没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。
こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、 15:30十字架から降りて自分を救ってみろ。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。 ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

以上、簡単に纏めると欧米人の心に焼き付いている光景はクリスマスにまつわる楽しい光景がまずあります。
そして復活祭にまつわる以下の3つの場面の光景があると思います。
(1)棕櫚の葉を振って多くの人々に歓迎されてイエスがエルサレムに入城する場面。
(2)人々の歓迎にもかかわらず、イエスは捕まってローマ総督のピラトの裁判にかけられ、十字架上で死ぬ場面。
(3)墓に葬られたイエスが生き返って、弟子達の前に現れ話をする場面。

このように西洋人が一生心に焼き付いている光景は日本人とは非常に異なります。まずこの違いを明確に理解することが大切だと思います。そしてお互いを尊敬し、愛し合えば平和な世界になります。

今日は一例として日本人と西洋人の心に抱く宗教的光景の相違を示しました。
このような違いは日本人と韓国人ともあります。中国人ともあります。そしてイスラム教国の人々やキリスト教国の人々や仏教国の人々にも違いが厳然とあります。
この宗教的な心の中にある光景の違いをまず認識し、その違いを尊重し、愛し合えば世界が平和になると信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「単純に桜の写真を楽しみながら選びました」

2018年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は「キリスト教は何故『愛の宗教』というのか?」という難しい記事を書いて疲れてしまいました。
そこで昨日の午後に国立市の桜が沢山咲いている大通りで撮って来た数多くの中からどれを掲載しようかなと楽しみながら選びました。
この大通りはJR国立駅の南口から南に真っ直ぐ延びる幅の広い道で、車道と歩道の間が広くとってあり、そこに桜が植えてあるのです。
この大通りを挟んで一橋大学のキャンパスが広がっています。それでこの道を「大学通り」とも呼んでいます。
まだ3分咲きですが、写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。
高い歩道橋を登って駅方向の写真を撮るのは毎年、家内の役目です。私は下の横道に車を一時駐車して待っています。
ここに示す5枚の写真は家内が撮ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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それにしても昨日の記事を短縮して、読みやすくして以下にお送りします。
「キリスト教は何故『愛の宗教』というのか?」
キリスト教は仏教とあまりにも違います。仏教と非常に違うので理解出来ません。当然、信じることも不可能です。
キリスト教が理解出来ないのは、それが愛の宗教だからです。
神が人間を愛しています。イエス様も人々を愛しています。人間は神やイエス様を愛します。
キリスト教では神やイエスや人間の絆は愛で結ばれているのです。このようなことを信じられますか?
このような考えは仏教にはまったく存在しません。仏教国の日本人に理解出来ないのは当然ではないでしょうか。
私はカトリック信者です。毎週、日曜日には教会のミサに行きます。
それでは私は神やイエス様が愛して下さっているという実感を何時も持っているのでしょうか?
答は、否!です。
しかしイエス様に愛されているという感じは時々持てます。例えばミサの中で、神父さんが「イエスの体」と言いながらパン片を私の手にくれる時に感じます。
その上、神父さんが私を信じ、大切にしてくれると、私は「イエス様が私を愛している」と感じます。
愛してくれれば、当然自分もイエス様を愛し、その教えに心を寄せます。
カトリックでは神父さんを通うしてイエス様の愛を実感するのです。神の愛を感じるのです。
愛されていると感じれば人間は相手を愛します。
これがキリスト教が「愛の宗教」と言われる理由なのです。
宗教は無理に信じてはいけません。他人に無理強いしてはいけません。自然体で考え、信じられる人が信じれば良いことです。
私は絶対にキリスト教を他人へお薦めしません。
そして私は信じて初めて「キリスト教は愛の宗教だ」という意味が理解出来たような気がします。
世の中には信じないと理解出来ないものもあるのですね。










今日の小金井公園の桜はまだ三分咲きでした

2018年03月24日 | 写真
桜の時期の小金井公園は人出が多くて駐車場に入れません。そこで今日は勇んで午前中から行きました。ところが、桜はまだまだでした。ひどく甘い言い方をすれば三分咲きでした。
それでも花見客があちこちの桜の下で花見の宴を開いています。今日は桜の花々より花見客の方が元気でした。若者の賑やかなグループの傍らで、しっとりと穏やかに花を愛でている年輩のご夫婦の姿に心惹かれました。
来週の火、水、木曜日ころが満開になるのでしょう。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。










太平洋戦争で米軍の日本上陸に備えた陸軍の戦略

2018年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム
戦後のアメリカ占領軍は日本の軍国主義を徹底的に消滅させるために新聞や雑誌の厳しい検閲をしていました。特に旧陸軍の作戦計画や勇ましい戦闘行為に関する情報は一切出版禁止の上、新聞記事も削除されていました。
例えば沖縄での敗北後の米軍の本土上陸に備えた陸軍の防御態勢も一切発禁になっていました。
それに関する情報は戦後、占領軍よって闇の中に葬られていたのです。
しかし戦後、上陸してくるアメリカ兵を竹槍で攻撃する計画だったという噂だけが流布していたのです。
ところが3月13日の記事で紹介した陸士59期生の立石 恒氏に「竹槍で本土防衛は無理でしょう」と言いましたら「いや綿密な防御戦略が出来ていたのです」と言って一冊の本を貸してくれました。

その本は、土門周平ほか著、「本土決戦ーまぼろしの防衛作戦と米軍進攻計画」光人社2001年5月13日発行、です。
まず本土決戦の防衛作戦がやっと2001年になってから公開された事実にご注目下さい。
この本には米軍の上陸が予想された九州南部と関東地方の地図があり、日本陸軍の勢力の配置と防御陣地の建設予定地が詳細な図で示してあるのです。
この図面の詳しさから著者が1945年7月の参謀本部の作戦計画の文書と地図を入手したことが分ります。
その上、アメリカ側の本土上陸計画を入手して、そのオリンピック作戦という名の九州上陸を1945年11月1日に始める計画だったと書いています。続いて、コロネット作戦という名の関東地方への上陸は1946年初頭と計画されていました。
そしてアメリカ軍の本土上陸の総司令官はマッカーサー将軍であることも決まっていました。

驚くべきことは、この米軍の本土上陸の場所を当時の陸軍参謀本部が正確に推定していたことです。
それでは九州南部の志布志湾と薩摩半島の広い浜辺の防衛体制をもう少し詳しく見てみましょう。
陸軍は志布志湾の海岸に第十六方面軍の兵力を集中し強固な陣地を構築する計画でした。火砲は、野砲14門、野山砲8門、榴弾砲24門、カノン砲24門を志布志湾を取り囲む陣地に配備して上陸して来るアメリカ軍を水際で撃退する計画でした。
そして薩摩半島の海岸線にも同様の陣地を構築する計画でした。
これに対して上陸するアメリカ軍は航空機攻撃も併用し、次のような計画でした。四個軍団の上陸部隊は一挙に志布志湾と薩摩半島に侵攻する計画でした。
これを支援するアメリカの海軍は多数の水陸両用車部隊、艦砲射撃部隊、護衛および攻撃型の航空母艦部隊が海を覆いつくす計画でした。アメリカ軍は橋頭保を確保したら九州南部を占領し、本州攻撃用の飛行場を急いで作る予定でした。
この日米の戦力を比較すると素人でもアメリカ軍が容易に九州南部を占領出来ることが分ります。

このような陸軍の防御態勢は九十九里浜と相模湾の浜辺にも構築される予定でした。あまり長くなるので省略します。
アメリカ軍の本土上陸の前に、陸海軍の参謀本部と天皇陛下が長野県松代に移転しなければなりません。その巨大な地下壕の設計図は3月13日掲載記事と写真で紹介した通りです。

こんな本土防衛計画を作っている最中の8月初旬のご前会議で昭和天皇が終戦の決断をしたのです。あくまで本土決戦を主張する陸軍大臣の意見を無視して、終戦に賛成した海軍大臣の意見を取ったのです。戦後、陸軍の防衛陣地の構築が手つかずの状態だった事実が判明して昭和天皇の決断の正しさが明らかになったのです。
たしかに参謀本部の防衛計画は綿密でよく出来ていました。しかしそれを計画通りに実行するためには陸軍に残された兵力と軍備はあまりにも貧弱だったのです。
このような事実は事実として日本民族は忘れべきではないと思います。

今日の挿し絵代わりの写真は昨日撮って来た近所の桜の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





ついに小金井桜が咲き出しました

2018年03月23日 | 写真
小金井の玉川上水の堤の桜は江戸時代から有名でした。そんなこともあり現在の小金井公園は桜の名所です。その上、小金井市のおちこちには桜がたくさん植えてあります。
昨日までの寒い雨が止んで今朝から急に暖かい晴天になりました。近所の桜がいきなり咲き出しました。
これでは市内のあちこちでも咲き出したに違いないと車で早咲きの場所を巡って写真を撮ってきました。
まだ満開ではありませんが、咲き出したばかりの桜花も楚々とした風情があります。
皆様のお住まいの地では咲き出しましたでしょうか?
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。













幼児の言語障害と老人の会話能力を改善する言語聴覚士の活躍

2018年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム
子供が生まれ次第に成長するが、言葉が話せない。母親の言葉が聞こえないようだ。両親にとっては深刻な悩みです。
私はこのような子供達を何度も見ています。この悩みに取り組むのが言語聴覚士なのです。
今日は幼児の言語障害と言語聴覚士の重要性について簡略に書いてみたいと思います。

そもそも何故このような問題を書くようになったかを説明させて下さい。
私は去年の2月から日本歯科大学の「口腔リハビリステーション多摩クリニック」という所に通っています。
老人になって、ろれつが回らなくなって会話能力が低下したからです。会話能力の改善の為に橋本久美さんという言語聴覚士の指導を受けています。
その施設の待合室で、言語障害の幼児と母親によく会うのです。一瞬、母親は私を警戒した目で見ます。私は可愛い子供さんだと考えながら子供を見ます。母親は警戒を解いて安心したように子供と遊び始めます。子供をそれとなく観察すると言葉が上手に話せません。それでも母親とはコミュニケーションが出来ています。しかし親にとっては深刻な問題です。
詳しいことは下に書きますが、子供の言語障害は成長とともに自然と治るものと、そうではないものがあるのです。
子供のテストや診察で何故言語障害が起きているか判断するのが言語聴覚士です。そしてそれぞれの症例に対して適切な対応方法を指導するのが言語聴覚士です。当然、言語聴覚士は難しい国家試験に合格しなければなりません。
ここで3枚の写真をご覧下さい。

1番目の写真は私が指導を受けている言語聴覚士の橋本久美さんです。この橋本さんは教育系の有名大学を卒業し、発達障害児童の特殊クラスの先生の資格も取得しています。「高齢者のロレツを回るようにすることは易しいことではありません。しかし適切に訓練すれば良くなるものです。明快な会話が出来るように訓練してあげます」と言って私を指導してくれています。

2番目の写真はこのセンターのスタッフの写真です。口腔リハリビでは非常に有名な菊谷武先生がセンター長です。菊谷教授は前列の中央に写っています。
この写真の出典は、http://dent-hosp.ndu.ac.jp/nduhosp/tama-clinic/ です。

3番目の写真は日本歯科大学口腔リハビリステーション多摩クリニックの建物の写真です。

さて言語障害とはどういうものなのでしょうか?
簡単に言えば、病気や交通事故、発達上の問題などで、言語や聴覚や発声や認知などの機能に障害がある状態です。
この治療は以下のように「乳幼児・学童期」と「成人」とによって違います。
【乳幼児・学童期】
うまく発音できない、また、お口の中の発音の問題からおしゃべりが上手ではない。どもってしまう。声がうまく出ない。こえが悪いなどによる、発達の遅れ・自閉症・学習障害などの治療を行います。
【成人】
脳卒中や神経疾患、腫瘍の術後、事故などの後遺症から起こる言語障害、脳機能障害(失語症や記憶障害など)、認知症にともなうコミュニケーション障害、音声障害、聴力障害などの治療を行います。

老人の私の場合は、ろれつが回らないので妻とのコミュニケーションがつかえることが時々あります。
筋肉の動きをコントロールする小脳が委縮していく一種の病気を持っているのです。歩くとフラフラします。転びやすくなります。ろれつが回らず言葉が不明瞭になります。治療法が無いので難病の指定をされています。従って介護保険の適用を受けています。
そこで会話能力を改善する訓練を受け始めたのです。

さて話をもどします。
言語聴覚士の橋本久美先生の守備範囲は高齢者特有のコミュニケーションの指導だけではありません。もっと重要なのは幼児の言語障害です。
幼児期の言語障害は単に言語能力の成長の遅れの場合が多いのです。その場合は言語聴覚士の指導で次第に改善されます。
その一方、子供が生まれる前の胎児の間に脳の機能の成長が正常でない場合があります。いわゆる発達障害による言語障害です。
この発達障害には学習障害、ADHD(注意欠如・多動性障害)、自閉症スペクトラム障害などがあります。
一般に発達障害は治療法が困難なのです。しかし周囲の人間がどのような対応をしたら本人が幸せに暮らせるかは解っているのです。
発達障害は非常に複雑です。素人の判断では間違うことが多いので言語聴覚士と専門医の指導を受けることが非常に重要なのです。

発達障害について、詳しくは  https://h-navi.jp/column/article/134 をご覧ください。
以下では私が以前に詳しく調べたアスペルガー症候群についてだけ簡単に紹介いたします。

簡単に言うと人付き合いの苦手な人や上司とすぐ喧嘩して何度も転職する人の多くはアスペルガー症候群だと言われています。
アスペルガー症候群は発達障害のひとつで、コミュニケーション能力や社会性、想像力に障害があり、対人関係がうまくいかない障害のことです。アスペルガー症候群には知的障害の症状はないので、周りからは「変わった人」と思われがちです。
結論です。スペルガー症候群には大きく分けて3つの症状があります。「コミュニケーションの問題」「対人関係の問題」「限定された物事へのこだわり・興味」の3つです。

以上のような難しい問題を仕分けして、それぞれに対応した適切な対処法を指導してくれるのが言語聴覚士なのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料============================
言語聴覚士(英: Speech-Language-Hearing Therapist (ST))は、言語や聴覚、音声、認知、発達、摂食・嚥下に関わる障害に対して、その発現メカニズムを明らかにし、検査と評価を実施し、必要に応じて訓練や指導、支援などを行う専門職である。医療機関の他、保健施設、福祉施設、教育機関などで活動している。
医療機関では、医療従事者の一員として、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、視能訓練士(ORT)と共に、リハビリテーション専門職を構成する。米国では、オーディオロジスト(聴覚療法師)とスピーチ・ランゲージ・パソロジスト(言語療法士)に分かれており、米国での資格取得には大学院修士課程以上(聴覚療法士については博士課程)の教育歴を要する。

日本においては、1997年に制定された言語聴覚士法第2条において、言語聴覚士は「厚生労働大臣の免許を受けて、言語聴覚士の名称を用いて、音声機能、言語機能又は聴覚に障害のある者についてその機能の維持向上を図るため、言語訓練その他の訓練、これに必要な検査及び助言、指導その他の援助を行うことを業とする者」として定義されている。
言語聴覚士の職務は医療にとどまらず、福祉や教育にもまたがっているため、理学療法士や作業療法士とは異なり、「医師の指示の下に」業を行う者とはされていない。

幼児と児童
乳児に対しては、出生時合併症による摂食障害、嚥下障害などが対象となる。また、児童に対しては、軽度・中等度・重度を問わず、心身の障害を抱える者が対象となる。たとえば、ダウン症候群、ディ・ジョージ症候群など、音声、言語などの認知発達に悪影響を与える障害や、脳神経損傷、小児外傷性脳損傷などのほか、経口運動障害を含む摂食障害、難聴、言語発達遅滞、さらには、注意欠陥多動性障害、自閉症スペクトラム障害などの発達障害である。

養成 - 人口当たりの有資格者はアメリカの4割にとどまる
日本における養成は、1971年に国立聴力言語センター附属聴能言語専門職員養成所(現在の国立障害者リハビリテーションセンター学院)の設置によって始まり、1997年に国家資格になり、1999年に4,003人が国家資格を取得した。その後、新たに養成課程を修了した者が言語聴覚士国家試験を受験し、毎年1,500人程度ずつ増えている。それでも、2016年現在の累計合格者数は27,274人であり、人口10万人当たり21.5人にとどまる。アメリカの人口10万人当たり有資格者数(53.9人)と比較すると、約4割にとどまる。

以上は、https://ja.wikipedia.org/wiki/言語聴覚士 からの抜粋です。

今日撮ったユキヤナギ、ショカツサイ、ポピー、レンギョウの花々の写真

2018年03月22日 | 写真
今週になったら急にいろいろな花々が咲き出しました。午後から雨があがったので車で小平墓地や近所の花の写真を撮って来ました。寒い日もありますが春は間違いなくやって来るのです。
ユキヤナギ、ショカツサイ、ポピー、レンギョウの花々の写真を順々にお送り致します。
花々の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく存じます。











老人と孤独(2)女性は年をとっても孤独にならない

2018年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム
3月17日に『老人と孤独(1)インターネットを用いて新しい友人を作ろう』という記事を掲載しました。
こんな書き出しでした。・・・人間は高齢になると祖父母や両親が旅立って行ってしまいます。それまで目をかけて励ましてくれた恩人や友人達も何時の間にかいなくなってしまいます。自分を昔から知っている人々がみな消えてしまうのです。気が付いてみると周りには知っている人がいなくなってしまいます。老人の宿命です。老人の孤独です。・・・
この記事を見た老妻がケラケラ笑うのです。私は孤独なんて一度も感じたことがありませんと言うのです。
吃驚しました。そこでいつも通っているリハビリ施設で知り合った数人の高齢の男性と女性に、「あなたは孤独ですか?」と聞いて見ました。夫に先立たれた女性が笑いながら「全然、感じません」と答えます。その他の女性も孤独なんて一切考えたことがありませんと答えます。一方男性は、「やっぱり淋しいです。孤独です」と答えます。
たった数人の答から結論を出すのは乱暴過ぎますが、女性はいくら年を取っても孤独を感じないのです。この結論は長年に渡って知り合った男女を観察してきた結果も勘案した結論です。
その上、時々、男性は「孤独でなければ独創的なものは造れない!」と真顔で言います。男性は孤独の淋しさに耐えなければ大きな仕事が出来ないと信じているのです。この考え方には疑問を感じますが、今日はそのことを書きません。

さて本題に戻って、何故、女性は孤独を感じないのでしょうか?
その原因は幾つかあります。
一番大きな原因は女性は苦しい思いをして子供を生みます。育てます。それだけに子供との絆が男性よりも圧倒的に強いのです。
子供が成長して母親のもとを離れてもこの強い絆がしっかり心の中に焼き付いているのです。ですから女性は年をとって一人暮らしになっても孤独を感じないのです。そのうち孫の出来ます。孫が遠方に住んでいてもその絆を強く感じるのです。
特に自分が生んだ子に障害があったりすると、子育てにはかり知れない苦労をします。しかしその苦労の思い出が女性の老境の支えになるのです。孤独など感じません。
もう一つの理由は女性は周囲に人々とすぐ仲良くなり愛することが出来るからです。勿論例外もありますが、この傾向は男性よりも圧倒的に強いのです。昔から、女は愛嬌と言います。ですから女性は気軽に知らない人にも話しかけます。これは自然の法則です。女性はこの自然の法則を本能的に知っているのです。ですから孤独なんて感じないのです。

さてそれでは一生独身で、子供を産んだ経験の無い女性は孤独を感じないのでしょうか?
孤独を感じないから結婚しなかったのでしょう。だから孤独を一切感じない存在なのです。こういうのを詭弁と言います。
独身の女性が孤独を感じないのは自分が子供を生める潜在的な能力があると確信しているからです。そして母や兄弟姉妹との血のつながりを強く感じているからです。孤独を感じません。
それが普通です。しかしこういう場合もあります。見かけは美しい女性ですが男性的な精神の持ち主もいます。黒柳徹子さんや兼高かおるさんなどがその例かも知れません。

ここで一休みして私が孤独を感じる風景写真を3枚示します。河口湖に何十年も変わらず係留されている孤独なヨットの風景です。

1番目の写真は広い河口湖にこのヨットだけポツンと係留されている風景です。

2番目の写真はこのヨットの係留されている桟橋から船体と富士山を写した写真です。

3番目の写真はヨットを大写しにした写真です。何時でも帆走出来るようにメインセールがとり付けてあり、青い布のカバーが掛けてあります。何十年もこのヨットの写真を撮っていますが、持主の姿を一度も見たことがありません。たまに来て一人で帆走を静かに楽しんでいるのでしょう。独りで帆走出来るような小さなジブとメインセールがついた小型のヨットです。
雄大な富士山を前にして、このヨットの小ささから何故か人間の無力さを感じます。そして人間の孤独を感じます。

さてそれはそれとして、一生結婚しない人の例をもっとあげます。
それはカトリックの神父さん達です。いろいろな修道院の修道士達です。いろいろな修道会のシスター達です。
神様とイエス様が彼等を愛しています。その愛の絆があるから孤独でありません。
佛教の僧侶も一生独身を通す人もいます。お釈迦様との絆があれば淋しくないのです。
孤独感について雑駁な文章を書いてしまいました。皆様からのご意見を頂けたら幸せです。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)