後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

モンゴル民族をもっと知る(1)朝青竜、白鵬、日馬富士、鶴竜だけではない

2015年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、この欄ではモンゴル人のソヨルジャップの悲劇的は一生を書いた記事を4回掲載しました。(2015-02-14、2015-03-02、2015-03-03、2015-03-05)
現在、モンゴル民族はモンゴル共和国に265万 人と中国の内蒙古自治区にその2倍以上の580万人が住んでいるのです。
モンゴル人といえば朝青竜、白鵬、日馬富士、鶴竜などが日本の伝統である相撲文化を支えていることは知っていますが、その他のことはあまり知りません。私はモンゴル人のソヨルジャップの記事を書くためにモンゴル民族のことを調べました。そうしたらあまりにもモンゴル民族のことに無知だった自分に愕然としました。
モンゴルと言えば関取の他はチンギスハーンと日本へ攻め込んで来たフビライハーンしか知らなかったのです。
そこで今日から「モンゴル民族をもっと知る」という連載記事を書いてみたいと思います。
モンゴル帝国の歴史の概略から、第二次大戦中のモンゴル民族の独立戦争、そして共産化とソ連の衛星国化、ベルリンの壁崩壊後の改革開放とモンゴル共和国の成立、そして現在の経済発展の様子などを順不同に、気楽な随筆として書いてみたいと思っています。
さてこみ入った話を始める前に中国の東北部にある中国の内蒙古自治区の美しい風景写真をお送りします。写真の出典は全て、Meiさんのメモ帳(http://officemei.exblog.jp/i43 )です。









写真にある風景は自然の悠久さを感じさせます。そしてその自然とともに生きる人間の営みを考えさせます。夜になれば満天の星空です。これは中国の東北地域の大興安嶺の西に広がるホロンバイル草原です。実はこのモンゴルの領土を日本軍が占領して「満州国」の一部にしてしまったのです。日本は漢族や満州族を支配しただけでなくモンゴル人も支配していたのです。この事実は戦後の日本の教育ではほとんど教えてきませんでした。
満州国の官吏になったモンゴル人はソヨルジャップだけではありません。沢山いたと理解出来るのです。その人々と日本人との絆を考えています。そして少しでもモンゴル民族のことを知りたいと思っています。(続く)
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料:モンゴルの対日感情と力士一覧表========
2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。
相撲による交流が盛んになった今日では国民感情としても日本とは友好的関係が維持され日本より多額のODAが供与されており、日本の中古車も人気である。日本との外交関係は1972年2月24日に樹立された。
また、兵庫県但東町(現豊岡市但東町)との交流が長く、町内には、日本でも数少ないモンゴルの博物館「日本・モンゴル民族博物館」があり、交流が盛んである。
2010年4月1日より、日本国籍者はモンゴル入国に際し、滞在日数が30日以内の場合はビザが免除されることになった。
朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜の直近の横綱4名に加え、高齢での幕内初優勝を達成した旭天鵬など多くの大相撲力士を輩出し、歴代外国人力士の最多輩出国となっている。
相撲以外のスポーツではプロボクサーのラクバ・シンが日本で畑山隆則を降しモンゴル初の世界チャンピオンに輝き、その後日本のジムを拠点としていた時期もあった。
自衛隊との交流も進展しており、防衛大学校への留学生派遣や防衛省主催の各種セミナーへの参加を続けているほか、2004年には防衛大学校校長がモンゴルを公式訪問している。
                       (土十音順)

• 朝青龍明徳(史上初のモンゴル人横綱)
• 朝赤龍太郎
• 東龍強
• 荒鷲毅
• 逸ノ城駿
• 鬼嵐力
• 鏡桜南二
• 鶴竜力三郎(4人目のモンゴル人横綱)
• 旭鷲山昇(史上初のモンゴル人関取)
• 旭秀鵬滉規
• 旭天鵬勝
• 光龍忠晴
• 魁猛
• 翔天狼大士
• 城ノ龍康允
• 青狼武士
• 千昇秀貴
• 大勇武龍泉
• 貴ノ岩義司
• 玉鷲一朗
• 照ノ富士春雄
• 時天空慶晃
• 徳瀬川正直
• 白馬毅
• 白鵬翔(2人目のモンゴル人横綱)
• 日馬富士公平(3人目のモンゴル人横綱)
• 星風芳宏
• 保志光信一
• 猛虎浪栄
• 龍皇昇