洗礼を受けたおかげで私は孤独に旅立った人々の冥福を祈れるようになりました。何故か理由は分かりませんが、それは良いことの一つではないかと思っています。
説明の難しい問題なので昨日、小平墓地と多摩墓地で撮ってきた写真を示します。
1番目の写真は都立小平墓地にある児童養護施設で幼くして此の世を去った子供たちの慰霊碑です。
2番目の写真は子供たちの慰霊碑は昭和26年3月に東京都が建てたと書いてある石碑です。
そして慰霊碑の右隣には祀られている子供達の名前を彫った石板があります。
3番目の写真は都立多摩墓地にある都内の無縁仏の合葬墓です。
4番目の写真は都立の「養育院」で亡くなった身寄りの無い人の墓です。
5番目の写真は「養育院」の説明板です。養育院は窮民救済を目的とした施設で、江戸時代の基金である七分積金を引き継いだ東京都の組織です。
私は静かで緑豊かな多摩墓地や小平墓地をよく散歩します。
その折には子供たちの慰霊碑や「養育院」の身寄りの無い人の墓で幸薄く亡くなった人々の冥福を祈ります。
神さま・お釈迦様は亡くなった子供一人一人を平等に愛しています。
多摩墓地の身寄りの無い人の墓には「倶会一処」と書いてあります。
倶会一処 とは、浄土教の往生の利益の一つです。 阿弥陀仏の極楽浄土に往生したものは、浄土の仏・菩薩たちと一処で出会うことができる、という意味です。良い言葉ですね。
そんなことを考え亡くなった子供たちや身寄りの無い人たちのあの世での幸せを祈るのです。
洗礼を受ける前はそんな心境にはなれませんでした。しかし現在は洗礼を受けて良かったと思うのです。小平墓地で。多摩墓地で。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料====================
(1)東京都の児童養護施設;http://児童養護施設の入所理由.com/category6/entry61.html
東京都には児童養護施設が63ケ所あります。
その2例だけ示します。
東京サレジオ学園
所在地:187-0021 東京都小平市上水南町4-7-1
TEL:042-321-0412 FAX:
HP:http://www.salesio.or.jp/
創立年月日:1946年4月
入所定員:106名
生長の家神の国寮
所在地:186-0003 東京都国立市富士見台2-39-1
TEL:042-572-8770 FAX:042-573-9205
HP:http://www.kamino92.or.jp/outline.htm
創立年月日:1945年11月
入所定員:52名
(2)東京都養育院について;http://www.tmghig.jp/hospital/about/sub03.html
健康長寿医療センターの歴史は、1872年(明治5年)10月15日の養育院創立までさかのぼる。養育院は、ホームレスや病者、孤児などの窮民救済を目的とした、病院、乳児院、孤児院、養老院などの機能を併せ持った施設で、江戸時代の基金である七分積金を引き継いだ営繕会議所の事業として行われた。
養育院は当初、本郷加賀藩邸跡(現在の東京大学)の空長屋に設置された。その後、上野(現在の東京芸術大学の校地)、神田、本所、大塚と移転を繰り返し、関東大震災後に現在の健康長寿医療センターのある板橋に移転した。
養育院は、明治22年に当時の東京府に移管され、昭和47年には、養育院の附属機関として東京都養育院附属病院が設立された。その後、同病院は、昭和61年東京都老人医療センターに改名された。
平成11年12月、東京都養育院条例が廃止され、養育院の名称が消滅し、老人医療センターは、東京都(知事部局)高齢者施策推進室の所管となった。「東京都健康長寿医療センター」が現在の名前です。
養育院のその後;http://blog.goo.ne.jp/kenmatsu_fs/e/97fdc476ed909c7f3ddf10432aef33c3
明治以来、近代資本主義の進展の中でその推進役として中心的な存在であった渋沢栄一翁が中心になって運営してきた施設で、途中から公立の施設になっていた。弱者、貧者を公が救うことは甘やかしに過ぎないという声がその当時から寄せられたと言うが、渋沢翁は敢然とこれに対抗し、この施設を守り続けてきた。だが、その渋沢翁も既に亡く、戦後には地元板橋区からも追い立てられ掛けたりしながら、関係者の方々の熱意により養育院は維持され続けてきたのだが、石原都知事の時代に廃止されることが都議会で決められてしまった。
その跡地には、東京都健康長寿医療センターという施設が出来ている。そして、正に最後まで養育院があったその場所に、このセンターの新館の建設工事が行われて、2013年6月1日に新センターがオープンした。その中に、養育院と渋沢栄一の業績を記念したコーナーが造られているというので、見に行ってみた。
説明の難しい問題なので昨日、小平墓地と多摩墓地で撮ってきた写真を示します。
1番目の写真は都立小平墓地にある児童養護施設で幼くして此の世を去った子供たちの慰霊碑です。
2番目の写真は子供たちの慰霊碑は昭和26年3月に東京都が建てたと書いてある石碑です。
そして慰霊碑の右隣には祀られている子供達の名前を彫った石板があります。
3番目の写真は都立多摩墓地にある都内の無縁仏の合葬墓です。
4番目の写真は都立の「養育院」で亡くなった身寄りの無い人の墓です。
5番目の写真は「養育院」の説明板です。養育院は窮民救済を目的とした施設で、江戸時代の基金である七分積金を引き継いだ東京都の組織です。
私は静かで緑豊かな多摩墓地や小平墓地をよく散歩します。
その折には子供たちの慰霊碑や「養育院」の身寄りの無い人の墓で幸薄く亡くなった人々の冥福を祈ります。
神さま・お釈迦様は亡くなった子供一人一人を平等に愛しています。
多摩墓地の身寄りの無い人の墓には「倶会一処」と書いてあります。
倶会一処 とは、浄土教の往生の利益の一つです。 阿弥陀仏の極楽浄土に往生したものは、浄土の仏・菩薩たちと一処で出会うことができる、という意味です。良い言葉ですね。
そんなことを考え亡くなった子供たちや身寄りの無い人たちのあの世での幸せを祈るのです。
洗礼を受ける前はそんな心境にはなれませんでした。しかし現在は洗礼を受けて良かったと思うのです。小平墓地で。多摩墓地で。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料====================
(1)東京都の児童養護施設;http://児童養護施設の入所理由.com/category6/entry61.html
東京都には児童養護施設が63ケ所あります。
その2例だけ示します。
東京サレジオ学園
所在地:187-0021 東京都小平市上水南町4-7-1
TEL:042-321-0412 FAX:
HP:http://www.salesio.or.jp/
創立年月日:1946年4月
入所定員:106名
生長の家神の国寮
所在地:186-0003 東京都国立市富士見台2-39-1
TEL:042-572-8770 FAX:042-573-9205
HP:http://www.kamino92.or.jp/outline.htm
創立年月日:1945年11月
入所定員:52名
(2)東京都養育院について;http://www.tmghig.jp/hospital/about/sub03.html
健康長寿医療センターの歴史は、1872年(明治5年)10月15日の養育院創立までさかのぼる。養育院は、ホームレスや病者、孤児などの窮民救済を目的とした、病院、乳児院、孤児院、養老院などの機能を併せ持った施設で、江戸時代の基金である七分積金を引き継いだ営繕会議所の事業として行われた。
養育院は当初、本郷加賀藩邸跡(現在の東京大学)の空長屋に設置された。その後、上野(現在の東京芸術大学の校地)、神田、本所、大塚と移転を繰り返し、関東大震災後に現在の健康長寿医療センターのある板橋に移転した。
養育院は、明治22年に当時の東京府に移管され、昭和47年には、養育院の附属機関として東京都養育院附属病院が設立された。その後、同病院は、昭和61年東京都老人医療センターに改名された。
平成11年12月、東京都養育院条例が廃止され、養育院の名称が消滅し、老人医療センターは、東京都(知事部局)高齢者施策推進室の所管となった。「東京都健康長寿医療センター」が現在の名前です。
養育院のその後;http://blog.goo.ne.jp/kenmatsu_fs/e/97fdc476ed909c7f3ddf10432aef33c3
明治以来、近代資本主義の進展の中でその推進役として中心的な存在であった渋沢栄一翁が中心になって運営してきた施設で、途中から公立の施設になっていた。弱者、貧者を公が救うことは甘やかしに過ぎないという声がその当時から寄せられたと言うが、渋沢翁は敢然とこれに対抗し、この施設を守り続けてきた。だが、その渋沢翁も既に亡く、戦後には地元板橋区からも追い立てられ掛けたりしながら、関係者の方々の熱意により養育院は維持され続けてきたのだが、石原都知事の時代に廃止されることが都議会で決められてしまった。
その跡地には、東京都健康長寿医療センターという施設が出来ている。そして、正に最後まで養育院があったその場所に、このセンターの新館の建設工事が行われて、2013年6月1日に新センターがオープンした。その中に、養育院と渋沢栄一の業績を記念したコーナーが造られているというので、見に行ってみた。