夏になると北海道への旅に出たくなります。しかし長旅はしだいに億劫になりました。そこで去年の旅を思い出して、行った気分になっています。
北海道旅行がお好きな方々へお送りする写真集です。
昨年の夏は、女満別空港を利用した北海道の東部を巡る旅でした。
川湯に3泊し、野付湾、風蓮湖、シラルトロ湖、塘路湖、達古武湖、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖、網走湖、能取湖、などを見て来ました。それらの湖の間には広大な大地が広がり、牧場がえんえんと続いているのです。その牧場の風景が魅力的でした。
北海道の牧場は、ヨーロッパの田舎の風景によく似ています。遥かに見える牧舎や家々も何故か本州と違い欧州風です。明治時代以後、欧米から洋風の牧畜業を導入して来たためでしょう。
ここには奈良時代の律令国家も平安、鎌倉、室町時代もありませんでした。
道南の松前藩以外は江戸文化も存在していませんでした。
はるか石器時代からアイヌ民族のが散在していただけでした。
そこへ欧米風の牧畜業が広がったのです。
本州からの観光客は、屈斜路湖や阿寒湖の美しさや、大雪山の雄大さにとともに広大な牧場に見とれ、ロマンチックな気分になって帰って行きます。
それこそが北海道の魅力なのです。
今回は以下に大地に広がる牧場の写真をお送り致します。
国道に沿って上のような看板が出て来ます。しかし牧舎や家は遥か奥の方にあって、小さく見えるだけです。
晴天の夏に観光に来た人々はこの大地に生きる人々の厳しい冬を知らないで帰ります。昨年の旅では、その厳しい生活を暗示させるような雲が一瞬にして広がりました。下の写真です。
天気が悪かった故に、この大地に生きることの苦しみと喜びを深く考えることになりました。
大地をよく観察すると北海道の東部の中標津、別海、虹別、標津、釧路、根室、女満別などの地方の大地は牧畜業以外は出来ないような土地です。
水はけが良すぎて、寒冷な土地なので牧草以外が育たないようです。
そしてその牧畜業も本州では想像もつかないくらい広大な土地で大規模に牛や馬を飼わないと一家の生計を支えられないのです。下にその牛や馬の写真を示します。
東北海道では、サラブレットでなく気性の優しい道産子です。
稲作は北海道の南部の一部を除いては困難なのです。ですから本州に根付いている稲作文化は歴史的にも存在していなかったのです。
牧場以外、何も無い大地を4日間走り回っていると別の魅力を発見します。何故か本州が遠い、遠い国のように思われます。
牧草地に立ってボンヤリして来ました。ああ北海道は良いなあとしみじみ思います。そんな写真をもう少し下に示します。
牧草地には人影も牛馬の影もありません。静かに風が吹いているだけです。
そこでもっと詳しく観察するために上の写真のように牧草地を歩きまわりました。
春に耕した耕運機のわだちの跡がかすかに残っているだけで牛馬の糞が落ちていません。放牧した形跡が無いのです。
それでも根気よく探しましたらやっと乳牛が霧の中で草を食べているのを見つけました。
乳牛はいつもは放し飼いにしないで牧舎の中で飼うようです。牧草は刈り取って、冬の間に牧舎の中で乳牛に与えるのです。
下の写真がその事を示しています。牧草地の中に見える黒い点々や白い点々が刈り取った牧草の塊なのです。写真では点々に見えますが、一個の点は直径1.5メートルくらいの巨大な牧草の巻き物なのです。長さも1.5m位あり一個の重さは400kgくらいありそうです。
白い塊や黒い塊は、牧草の巻物を白いビニールか黒いビニールで包んだためです。このようにビニール布で包んで密閉しておくと、中の牧草が発酵して牛の食欲増進に役立ち、消化も良くなるそうです。
勿論、夏の間は牧草地の一部に放牧しますが、それは極く限られた面積しか使いません。
沢山の濃厚な牛乳をつくるには牧草だけでなく栄養価の高い穀類飼料を与えることが重要なのです。それで牛へ与えるトウモロコシの畑も広がっています。
それを考えながら、山梨県にある自分の山林の中の小屋の隣にあった乳牛農家の牧草地を思い出しました。夫婦で28頭の乳牛を飼っていました。200mX200m位の牧草地を持っていましたが、そこへ乳牛は放牧しないのです。
牧草を鎌で丁寧に刈り取って、束ねて、発酵させてから、冬の間に牛へ食べさせるのです。牛は春夏秋冬、いつでも牧舎の中で飼っていました。
そんな山梨県の山郷での乳牛飼育の様子を思い出しながら、北海道の広い牧草地を散歩してきました。それも北海道への旅の魅力の一つです。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)