後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

雑木林の美しい公園に行ってきました

2015年03月08日 | 写真
曇り日の寒い日でしたが冬枯れの雑木林の姿も良いと思い八王子市の「片倉つどいの森公園」に行きました。寒風が雑木林の梢を鳴らしながら吹き抜けています。例によって家内はランニングをして汗をかきながら「梢に春の兆しが見える」などと言っています。気温は8度くらいです。
広い芝生や大きな木々があり、谷底には池がありました。暖かくなったらゆっくり散歩をするのに良い公園です。
冬枯れの雑木林をしみじみと見ながら少し歩いてきました。暗い写真ですが、お送りいたします。










モンゴル民族をもっと知る(2)モンゴル共和国と内モンゴル自治区の地図を見る

2015年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム
現在、モンゴル民族はモンゴル共和国に265万 人と中国領の内蒙古自治区にその2倍以上の580万人が住んでいるのです。
その双方の地図を第一番目の写真と第二番目の写真に示します。
一番目の写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/…/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83… です。
二番目の写真の出典は、ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~yoss/W-map/InnerMongolia.html です。



そして三番目の写真は中国領内の内モンゴル自治区の詳しい地図です。出典は二番目の写真と同じです。

第一番目の地図で白鵬の出身地のウランバートルを探してみましょう。
同じく日馬富士の出身地のゴビ・アルタイ県は何処でしょう?
そして鶴竜の出身地のスフバートル県は見つけられますか?
同じモンゴル共和国でも白鵬と日馬富士と鶴竜の出身地はとても離れているのです。
続いてモンゴル共和国の南側に沿ってある内モンゴル自治区の詳細図(三番目の写真)よくご覧下さい。
一番北に広大なフルンボイル市がありその中に満州里やハイラルという街があります。そして真ん中のあたりにフフホト市があり、その北に包頭市があります。
フフホト市の隣にあるオルドス市にはジンギスカンの陵墓の成吉思汗陵があります。
一番目と二番目の地図を見ると現在モンゴル民族が住んでいる領域は本来一つのモンゴル民族の国家であるべきなのに南半分が中国に占有されている状態が明確に分かります。
ついでに昭和14年に日本軍が大敗したノモンハン事件の場所を示します。それは三番目地図ののハイラル区(町)の眞南250Kmのモンゴル共和国との国境にあります。主戦場はモンゴル共和国のハルハ河のほとりでしたが、現在の中国側にはノモンハンという小さな村落があり、そこにノモンハン事件の展示館があるそうです。その集落の周囲は一面の草原なのです。
詳しくは、http://chenyu.seesaa.net/article/194747673.htmlをご覧下さい。


これから書き進めて行く記事には、これらの地図にある地名が幾つか出てきます。それで、あらかじめモンゴル共和国と内モンゴル自治区の地図をご説明致しました。

何故キリスト教は日本人に受け入れられないか?

2015年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人の人口の僅か3%以下がキリスト教徒だと言います。カトリックに至っては0.3%以下とさえ言われています。明治維新以来、西洋文化が堰を切ったように流れ込んで来ましたがその文化の核心的な部分の宗教だけは日本人に受け入れられません。
何故でしょうか?原因はいろいろ考えられますが、今日は一つだけ取り上げてみたいと思います。
カトリックの今年の四旬節は2月18日に始まり、復活祭は4月5日です。この日程はロシア正教や東方教会では異なります。
さてイエス・キリストがローマ総督のピラトによって死刑判決を受け、十字架にかけられ処刑され、死にます。しかし3日後に生き返り、弟子たちと話をして別れ、天に昇って神の右の座につきます。
このイエスが生き返ったことを「復活」と言い、キリスト教徒はみんなこのイエスの生き返りを信じています。
一回死んだ人が生き返るなどというほど不合理な話はありません。合理的に物事を考える日本人にとってはこのような荒唐無稽なことを信仰の中心にすえたキリスト教を信じることなど出来ないのです。
復活祭の前の40日間は四旬節といい、イエスが生き返ったことの意味をいろいろ考えて、復活祭の為の心の準備をします。
この「復活」の意味と、その重要性を考える前に毎年、毎年、四旬節の頃に咲く花の写真をご覧下さい。先日撮った菜の花と白い梅とパンジーの花の写真です。





日本には四季があり、冬になると花々が死に絶えます。しかし2月、3月になり春が近づくと再び咲き出すのです。これは自然が示す生き返りの一つの現象です。
しかし動物は一回死ぬと絶対に生き返りません。
それなのにイエス・キリストだけは生き返ったのです。この約2000年前の出来事を信じる人をキリスト教徒と定義します。私は半信半疑ながらある時間帯は確信します。確信すると心が安らかになるのです。
イエスがこの世の人間を愛するあまり、もう一度生き返って弟子たちと話をしてから天に昇ったのです。そして私たちも死んでも何時かは体がよみがえるのです。肉体が復活するのです。永遠の命です。そうしてイエスキリストがもう一度やって来て最後の審判をするのです。
このような事を信じなさいと言われても無理です。ですから日本人にとってはキリスト教は受け入れられません。受け入れられない一つの理由になっています。
それは当然のことです。長年、合理的な哲学のような仏教という宗教に馴れしたしんだ日本の風土にキリスト教は合いません。そのことも静かな心で受け入るのが良いのです。先日。梅の花の写真を撮りに行った海岸禅寺の山門の脇に住職さんが書いた文章で今日の記事の終わりにいたします。
「いつも明るい心でいなさい。しかしいつも静かな心でいなさい」