後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

毎日雨で憂鬱なのでタイ、チェンマイの明るい写真をお送りします

2009年09月30日 | 写真

趣味人倶楽部での友人のGaku さんは 「 wooたんのチェンマイ通信」 というブログ(http://gaku404.exblog.jp/)を書いています。チェンマイ近辺のいかにも明るくのんびりした風景写真も沢山掲載されています。このところ日本列島に不連続線が停滞して毎日雨が続いていて憂鬱です。そこで一気に明るい気分になるような写真をGaku さんのブログから転載しました。皆様もご気分が晴れたら嬉しくおもいます。(終わり)

追伸:Gakuさん転載させて頂き有難う御座いました。

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ブログのアクセス数について、そして読者の方々へ感謝!

2009年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は、皆様へこのブログの過去2年間のアクセス数をご報告して、心から感謝したいと思い書きます。

このブログは2007年の11月に始めました。今日までの積算アクセス数は146,159件です。他に「中古ヨットの選び方写真集」というアルバムへのアクセス数が91,842件あり、同じく「山林の中の小屋」というアルバムへ25,000件ほどのアクセス数がありました。

ブログ本文だけのほぼ2年間のアクセス数を700日で割ると大体200位になります。2年間の毎日の平均アクセス数がやく200件ということになります。ところが年月が経るごとに次第に増加しているようです。

この数日は突然変異なのか特に多いのです。9月24日は254件、25日は525件、26日は388件、27日は1416件、28日は418件、29日は385件でした。ここ一周間の毎日の平均が520件くらいです。

こんな数字は初めてです。今まで毎日の週間平均は320件位のことは何度もありましたが、520件は初めてです。

アクセス数が増えて大変嬉しく思います。

このような詰らないブログを読んで下さる皆様へ心からの感謝をお送りいたします。そして貴重なコメントをご投稿して下さった方々へ心底から感謝いたします。有難う御座いました。

皆様のご支援のお陰でこのブログも続けて行く勇気と情熱が湧いてきます。

今後もどうぞご支援のほどをお願い申し上げます。 藤山杜人


田中一村の絵画世界

2009年09月29日 | 写真

田中一村の絵を前にして私は言葉が出ません。ご覧下さい。出典は、http://www.ne.jp/asahi/yoshida/gaia/tanaka/frm.htm です。このHPを書いている方の文章もぜひお読みください。そしてこの方のHPの全て:http://www.ne.jp/asahi/yoshida/gaia/index.htm の数々の随筆も是非お読みください。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人

註:田中一村、1908年ー1977年、69歳で没。以下の出典はWikipedeaより。

1955年の西日本へのスケッチ旅行が転機となり、奄美への移住を決意する。1958年、奄美大島に渡り大島紬の染色工で生計を立て絵を描き始める。だが、奄美に渡った後も中央画壇には認められぬまま、無名に近い存在で個展も実現しなかった。

没後に南日本新聞NHKの「日曜美術館」の紹介でその独特の画風が注目を集め、数年前から全国巡回展が開催され、一躍脚光を浴びる。鹿児島県は奄美大島北部・笠利町(現・奄美市)の旧空港跡地にある「奄美パーク」の一角に「田中一村記念美術館」を2001年オープンした(館長宮崎緑)。生誕100年にあたる2008年には、奈良県高市郡明日香村奈良県立万葉文化館[1](館長中西進)で「生誕100年記念特別展 田中一村展―原初へのまなざし―」が開催された。

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国分寺より古い関八州三大不動の高幡不動の散策

2009年09月29日 | 写真

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9月26日に高幡不動と裏山の高幡城跡を散策して来ました。広い境内では数台の車を並べて交通事故除けのお払いや、多くの信者を堂内に上げて護摩を焚いていました。なにか凄く庶民の為に色々なことを多角的にしているようです。商売繁盛と言えば失礼になりますが、兎に角人気の高いお寺です。その上、梨のたたき売りの屋台などが出ていて活気のあるお寺です。

関東三大不動は征夷大将軍が関八州を支配していた頃の大宝年間の701年より以前に創建されたと言われています。またの言い伝えでは奈良時代に行基菩薩によって開基されたとも言います。いずれにしても武蔵の国の国分寺が完成したのは760年以降ですから、それより古いお寺です。3不動とは高幡不動、成田の新勝寺、埼玉県、加須の總願寺の3つです。すべて不動明王を本尊にしていて、人々へ取りつく悪鬼や不運や事故を追い払ってくれます。

天皇の命令で作った国分寺はすぐに荒れて、縮小してしまいましたが、3大不動は庶民の信仰と経済的支援によっていつの時代も栄え続きました。最近も境内には豪華絢爛たる五重の塔が建設されています。同じ庶民の素朴な信仰にささえられて存続している長野や飯田の善光寺とは雰囲気が違います。高幡不動や成田不動は賑やかで活気があるお寺ですが飯田や長野の善光寺は静かな祈りのお寺です。皆様はどうのようにお感じになっていらっしゃいますでしょうか?  例によって家内が写真を撮りましたので数枚掲載いたします。

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茶道での偽物と本物の間の色々な品々

2009年09月29日 | うんちく・小ネタ

抹茶をたててゆっくり飲むのが好きです。父方の祖父が田舎のお寺の住職だったので抹茶を飲む習慣を持ったのかと思います。家人がお茶を習っていたこともあり、お付き合いで飲む機会も度々あります。しかし堅苦しい作法は省略です。

この前の記事で、「「開運!なんでも鑑定団」で偽物が多い本当の理由」 という文を掲載しましたところ、茶人の せんしゅうさん から興味深いコメントを頂きましたので以下にご紹介します。

せんしゅうさん は趣味人倶楽部というSNSのマイフレンドです。以下の文章を読むと、偽物か本物かと単純に言えない色々な品々が存在することが理解できます。偽物と本物の明確な定義をしなければなりません。その問題はもう少し考察を深めてから別記事でしたいと思います。何方か、ご意見を頂ければ嬉しく思います。

====せんしゅうさんから頂いた「茶道具の真贋の色々な事情」====

絵画についての深い洞察に感心です。
参考までに・・・茶道具については多少趣が違うようです。一般的には、30万円以上のものでは(有名店では50万以上の価格になると)、贋作があり、やはりお金儲けのためです。あまり市場価格が安いと、手間賃が出ません。
ただ、京焼色絵の茶碗などは、依然350年前の仁清、乾山の真似をして現代有名作家が作っており、未だにそれを超える作家が出ていません。茶人もそれを承知で購入しているので、贋作ともいえません。
有名な魯山人の作品では、自作と言っても工房の職人が作陶していたので、没後短期間ですが、残された本物の印を使い、工房の人が作って売ったものもあります。これは実質的には本物ですね。
陶磁器以外でも、有名な茶道具作家では一子相伝なので、芸術的な力が無く、代作をしている場合も僅かですが見られます。
私が持っている蒔絵道具で、力量がある専門作家に見てもらったら、それはその先生の友人が有名茶道具作家の下作をやっていて、問屋筋から流されたのではとの推測、でも本物よりも出来がよいとの評をもらいました。
消息ではかなり複雑で、茶聖といわれる利休は没後100年から高名になっていきますが、そのため茶人たるもの利休筆跡の一つでも持たないと一流ではないという風潮になり、自筆の写し物が大量に作られました。鑑定団に出ている鑑定者の師匠にあたる方は、現存する利休自筆はせいぜい10点、あとの8001000点は自筆ではない(但し代筆は幾分ある)、と言っていました。
また大名家では、先方に宛てた手紙を借用して写しを作り、先祖の記念に所蔵してきたので、それも放出されて社会には出回っています。悪意の贋作ではありません。
儲けるための贋作以外に、そんな事情も背景にはあります。

====せんしゅうさんのプロフィール=========

茶道、茶花、ハイキング、旅行、温泉、グルメ、陶芸、古美術、蒔絵、絵画、美術館、ドライブ、文筆、クラシックが趣味です。昔は役者で伝統演劇の舞台に出てました。東京・上野駅そばの茶道に縁があるお寺、徳雲院の茶室で茶道教室を開いています。
毎月定例茶会も開催(於:新松戸)、また茶道の心を磨く「茶道の心を味わう研究会」を指導し(於:上野駅傍の徳雲院にて)、茶席のメインテーマやお客様を迎える心を表現した床の間の墨蹟を紹介することもやっています。
日々はもっぱらボランティアです、フィリピンの少数民族の子供たちを支援するNGOに参加、今は専門分野のボランティアや地域づくりNPOの仕事も。 
茶道の心は思いやり、茶道は日本文化を総合したもの、その心を会得することで、心安らぎ、円熟した自分作りが進みます。
現代社会は合理性、効率化、ストレスの場です。茶道の世界は、不合理、非効率、癒しと安らぎの場です。ぜひ一緒に茶道を嗜んでいきたいですね。

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「開運!なんでも鑑定団」に贋ものが多い本当の理由

2009年09月29日 | インポート

Cafeterrace_2 テレビの番組に「開運!なんでも鑑定団」というものがあります。私はよく見ています。書画骨董を本物と信じている人が鑑定団によって偽物と鑑定される場面が多い番組です。贋作をその瞬間まで本物と信じていた出場者の落胆する様子が面白いという場面がある番組です。しかしそれだけではありません。無名の画家を発掘したり、歴史の闇に消えた芸術作品を探しだしたりもします。芸術というものに対する深い考察もあります。かなり高尚な部分がちりばめてあるので長い寿命を誇っています。それにしても贋作の多いのには驚いています。古今東西、何故そんなに贋作が多いのでしょうか?お金儲けの目的だけならこんなに多いはずが無いと信じていました。人間には何故か贋作を作りたくなる遺伝子があるようです。そんな私の疑問の解答を見つけました。この解答は私の疑問の一部だけへ答えたものですが大変愉快な理由なのでご紹介します。なんだっ亭さんのブログに書いてありました。URLはhttp://wp1.fuchu.jp/~zenshoji/d_main_t.htm です。

=====なんだっ亭館主独白============

私、体験的に思いますに、贋作の喜びは以下の3点です。
1. 贋作をしていると、その絵を少しずつ食べている ような気分になれます。
2. 贋作しなければとても見つけられないような 小さな物を発見できます。
3. 贋作ではありますが、何か美の創造に関わって いるような気分を味わえます。

以下は、生来不精な私が本業の合間を縫って描いてきたいくつかの贋作品でございます。しかしこの程度で贋作と称するなど、その道の本職の方に大変失礼かなとふと思い、以下は「模写」という、素直な表現に変えさせていただきます。

========以下省略================

これでなんだっ亭さんの話は終わります。

画家本人が模写だ!模写だ!と叫んでいます。しかし、お金儲けをしたい人々は、その叫びを無視して、模写を安く買います。そして、模写にサインや落款を書き入れて本物として他人へ高額で売りつけるのです。こうして世の中には贋作があふれるのです。

なんだっ亭さんのブログにはご自分が模写した印象派の有名画家や日本人の画家の作品が数十枚展示してあります。そして非常に愉快なのは模写する時に苦労した点が解説されているのです。絵の好きな方々にとっては抱腹絶倒しながら、描くテクニックの勉強にもなります。尚、なんだっ亭さんのご自分のオリジナル絵画も多数展示してあり、その素晴らしさに感動しました。特に天草、五島列島地方の天主堂の見える風景画は、自分がカトリック信者なので余計感動的です。是非皆様もご覧になり、なんだっ亭さんの絵画世界をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(続く)(上に挿絵として出したゴッホの「夜のカフェテラス」の出典:http://stephan.mods.jp/kabegami/kako/CafeTerrace.html


国土交通省の官僚は神様?前原大臣頑張れ!

2009年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

数年前に、私は茨城県の商工労働部長のKGさんの地元経済振興の情熱に感動して、その仕事のほんの一部を協力したことがあります。その方は中央省庁の経済産業省から出向していました。各地の県庁の種々の部局へ中央省庁から2,3年の任期で官僚が交替で出向しているのです。多くの出向者は県庁では波風立てないで、任期を無事終えて帰って行きます。

ところがKG部長は情熱のあまり県庁では前例のない新しい独創的な政策を次々に打ち出して実行していきます。県庁のお役人はいやいや協力はしますが、困ったものだと囁いています。

そして彼らが何時も褒めるのは国土交通省から出向している土木建設や運輸関係の部長さんでした。「なにしろ、国交省から県庁へ持って来るお金がKGさんより2ケた大きいのです。その上、政策は全て県庁へ任せています。神様のような人です!」と、囁きます。このセリフは何度も聞きました。当時は「つくばエキスプレス」という都心と茨城県をつなぐ新しい鉄道を建設中なので茨城県は必死で沿線活性化の政策を実行していました。頼りになるのは国土交通省の膨大な予算です。国交省のお役人が神様の見えたのも無理はありません。

その頃は中央省庁の官僚と少しお付き合いがあり吃驚するような話も聞きました。例えば、「官僚の偉さは所属する省の予算規模によって決まる」と真顔で言い放つのです。そして、「一番偉いのは国交省の官僚、農水省、外務省なととランクが下がります。一番偉くないのは環境省の役人です。文科省もダメですね」と言います。このランキングは少し違ったことを言う人もいましたが、全て獲得予算の規模で考えていました。違いは特別会計の大小まで総合的に考えるかによって生じます。外務省のランクが意外に上なのは膨大な発展途上国への援助金を持っているからだそうです。日本のODAが他国に比して大きいのは官僚と自民党の族議員の暗躍による予算獲得戦争の結果であります。決して外国の貧民層を助けようという目的ではありません。

中央省庁で肩で風を切って歩いている神様のような官僚は国交省の官僚なのです。

それなのに前原大臣は無駄なダム建設は止めると明言しました。無駄な地方空港の特別会計は根本的に見直すと言っています。前原さんは民主党が野党の間も、国交省の建設予算と特別会計を現地へ見に行って、色々研究してきたようです。酷い迷惑を受けた地元住民の救済は徹底的に行うべきですが、ダムや空港は無駄です。

前原大臣、頑張れ!と大声でエールを送りたいと思います。なにせ相手は自分のことを神様のように思っている官僚組織なのです。皆で応援しないと前原さんが負けてしまいます。皆様とどのようにお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人


インターネットを使って外国でビジネスを成功させる秘訣

2009年09月28日 | うんちく・小ネタ

外国でビジネスを展開する場合色々な方法がある。ビジネスの種類によってもその始め方や展開の方法が違う。しかし、どんな種類のビジネスでも事前調査が重要である。事前調査を正確に実行するには現地の人と契約してインターネットで、日本からの「指示」と現地からの「報告書」の交換の積み重ねによって精度の高い事前調査が出来る。

私はアメリカの国防省の基礎研究部門のウオルフ博士と契約して日本の基礎研究の実態調査を行ったことがある。その時、インターネットを用いて外国の実態調査はどうすれば成功するか?の秘訣を学んだ。その秘訣とは次の4項目である。

(1)初めはあまり細かな指示を出さず、現地から来る短い報告書を徹底的に褒め上げる。

(2)現地の調査担当者の個人的な意見や感想を重視すると言ってあげる。

(3)次第に調査の範囲や取材方法を具体的に、厳しく指示する。

(4)ある時点で現地を訪問し、調査担当者と2人だけで調査先を訪問し、取材する。その旅行中に、2人の間の人間的信頼を築く。

以下は1998年から2000年の3年間の私の経験です。ご参考になれば嬉しく思います。

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◎アメリカ流情報の分析の仕方

私は米政府が莫大な研究費を出している役所の仕事を三年契約でしたことがある。あるプロジェクトに関する日本の研究の現状を取材してメールで報告書を毎月提出する仕事だ。

大学や民間機関の卓越した研究者から話を聞き、その報告書をその研究者に送って間違いを訂正してもらう。了解を取った後に、米国の研究プロジェクト・マネージャーのウオルフ博士へ報告書を送る(日本のことを自慢したいので研究者を高く評価した報告書を送っていた)。マネージャーのウオルフ博士は直ぐ返事をくれ、報告書の内容を褒める。あまり褒めるので、私も本気で仕事へ打ち込んだ。

以下、ウオルフ博士が来日した際のやり取り。「こちらから送る報告書をなぜ褒めるのですか?」「米国では外部の人に働いてもらう時に褒めるのが普通で、特に変わったことではない」「私も訪問先を無責任にいろいろ褒めているが、そんな報告書でも役に立ちますか?」「すごく役に立っている。君の褒め方にはいくつかのパターンがあって、研究のレベルや内容が自ずと見えてくる。君は最後に感想を一、二行書いて来るが、それが報告書全体の半分以上の価値になっている」

@取材のときの質問の順序が重要!

日本の企業でも情報収集に外部の人を使う。私も日本の会社の仕事を何度もしたことがあるが、日本の会社は外部の人間の使い方を知らない。硬い表紙を付けた分厚い報告書の体裁を気にし過ぎて、調査中の感想や細切れの評価・意見の活用方法が分かっていない。米国ではその分析と活用方法が確立していて、外部の人間の能力を120%引き出すノウハウが存在する。

日本では専門外の人が高度な研究者を取材しても、内容が理解できないので無駄と考えられている。自分が一度も研究したことがない分野の、しかも先端的な研究をしている人を訪問しても、報告書が書けるだろうか、と。

ウオルフ博士は「質問の順序が重要」と言う。

     素人に研究内容を説明してください。自分の研究のどこが独創的ですか。

     競争相手を国内と外国に分けてそれぞれ三人挙げてください。

     その六人の研究者はどうして競争者と見なしていますか。

     現在している研究はいつ止めますか。

     現在している研究の実用的な価値をどう考えていますか。

「先ず五つの質問をして、全体の答えを六十分でお願いしますと言いなさい」「①が説明できなかったら、それ以上取材する必要はない」「これまで付き合ってきた日本人の優秀な研究者でも、不思議と④と⑤に答えられない人が多い。なぜそうなのか、君の意見を送ってくれ」

④と⑤は難問であり、三年間の契約期間、自分も訪問先の研究者も苦しんだ。日米の研究に対する価値観の相違を浮き彫りにしている質問内容ではないだろうか話はこれでお終いです。この経験から冒頭の4項目の秘訣を導きだしました。

ビジネスで外国人を使っている皆様はいかがお考えでしょうか?ご感想をお聞かせ頂ければ嬉しくおもいます。(終わり)


イエスさまの優しさと厳しさ

2009年09月28日 | うんちく・小ネタ

このブログではキリスト教のことを何度も書きました。特にキリスト教は愛の宗教と理解されているのでイエス様の優しさを強調して書いてきました。なるべく多くの人々にキリスト教に親しみを持っていただけるように願っているのでそのように書きました。どんな罪人でも神に祈って悔い改めれば許される。ですからカトリックでは罪を神父様へ告白する「告解」というシステムがあるのです。現在では「告解」とは言わないで「ゆるしの秘跡」と言います。仏教のある宗派では念仏さえ唱えていれば極楽往生できると教えています。しかし仏教もキリスト教もそんなに優しいだけの筈はありません。

今日はマルコによる福音書からイエス様が弟子たちへ言った厳しい教えをご紹介します。昨日の教会でのミサで朗読した部分です。

イエスが言います、「・・・・キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその(良い)報いを受ける。わたしを信じるこれらの小さな者(弟子や信者)をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかに良い。もし片方の手があなたをつまずかせるのなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方が良い。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄へ投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方が良い。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入るがよい。地獄では蛆(うじ)が尽きることも、火が消えることもない。」

何と力強い、そして厳しいイエス様の言葉ではないでしょうか?この言葉を忘れないで毎日祈っているのが普通のキリスト教の信者なのです。私は毎日家で食事をする場合には家内と一緒に短い祈りを唱えますが、この言葉を時々思い出して 少しだけ安逸に 流れないようにしています。

外のレストランで食事をするときは、他のお客に気を使いお祈りはしません。他人の気分を害するのはいけないことですから。人々の気持の平和を乱すのをイエス様は喜ばないと思います。しかし時々、上にご紹介したイエス様の厳しい言葉を思い出しています。世界中で広く人々に受け入れられている宗教は全て「優しさ」と「厳しさ」の両方を持っているのです。宗教を信ずることはその両方を受け止めることと思っています。

厳しいことを言えば人々がその宗教から離れて行く。ですから優しいことばかり言う。これが信者を増やすには一番良い方法です。このとき、何故信者を増やそうとするかという動機が一番問題になります。迷い苦しむ人々を助けよう、安心させて上げようという目的で信者が自然に増えるのは善です。ところが信者を増やして寄付金を多く集めよう。自分の権力を増やそうという目的なら、それは悪魔の所業です。どのような宗教団体や宗派でも、この基準で観察すると善し悪しが判然と分かります。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人

挿絵がわりの下の写真は昨年落葉した多摩の横山の古道です。

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玄奘三蔵法師の遺骨へ対する信仰心の美しさと関東軍と政治家の思惑ー南京占領下で起きた人間ドラマー

2009年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

019 御釈迦さまは死は空である。お墓を作るな。仏像も作るな。偶像崇拝はしてはいけないと言い残して死んで行ったのです。そのお釈迦様を尊敬し1000年以上たってから玄奘三蔵法師がインドへ17年も滞在し膨大な数の経典を唐に持ち帰り漢文へ翻訳したのです。玄奘も死ぬ時、墓を作るなと言って死んだに違いありません。ですから遺骨は長安の東の郊外の白鹿原に葬られ、664年に風栖原へ改葬されたのです。しかし残った人々がお釈迦様の教えに背いて、669年には玄奘の遺骨を葬るために現在の西安市の南20kmの所に興教寺を建て、寺の中に5層の仏舎利塔を作り、その根元に改葬しました。

仏教の本来の教えでは遺骨やお墓にこだわるのはいけない事と思います。しかし凡俗な私は玄奘の遺骨にこだわりたいのです。彼は単なる宗教家ではありません。類まれな探検家、旅行家、文化人類学者です。不撓不屈の精神の持ち主だったのです。私はそのような彼を心底から尊敬しています。その人の遺骨が埼玉県の慈恩寺に有るのですから興奮せざるお得ません。しかしその真贋を学問的に考察すると、本物だという証明が弱すぎるようです。そのことはこのブログの9月15日に掲載した記事で説明致しました。記事の題目は「埼玉県、岩槻の慈恩寺にある玄奘三蔵法師の遺骨に関する一考察」です。

さてこの遺骨を発見したのが昭和17年に南京を占領していた関東軍の高森部隊でした。部隊長は金沢出身の高森隆介氏であったといいます。高森部隊長は日中両国の専門家に鑑定を依頼したのです。その結果、前述のように玄奘三蔵法師の頂骨であるとされたのです。(9月15日の記事参照)。

発見の翌年の昭和18年の2月に、関東軍は遺骨と副葬品一式を中国側の南京政府へ返したのです。南京政府は日本の傀儡政府で、蒋介石の政府は重慶にありました。南京政府は壮大な奉迎式典を開催し、昭和19年には南京市の玄武山に玄奘塔を建てます。この塔の建設発起人は南京政府の外務大臣の緒民誼と日本の駐支大使の重光葵がなっています。そして完成した10月に盛大な式典が挙行され、その折に分骨され(南京政府の)日中友好の証として日本仏教連合会へ贈呈されたのです。東京の増上寺に安置された遺骨が埼玉県の慈恩寺へ移動した経緯は9月15日の記事で詳細に書きました。

玄奘三蔵法師の遺骨の一部というものが埼玉県の慈恩寺の玄奘塔に祀られる間には、第二次大戦中の日本の軍隊と南京政府、そして日本の駐支大使館が深く関係した経緯があったのです。

唐の西安かた遺骨の一部を南京へ持って来た演化大師とその弟子たち。そして埼玉の慈恩寺の大嶋見道住職と見順住職の父子などの信仰の美しさに私は感動を覚えます。

しかし関東軍や南京政府、そして日本の駐支大使館(日本政府)の不純な政治的思惑が見え隠れしてゐるようで暗い気持ちになります。戦後、台湾へ退却した蒋介石へ遺骨の返還を申し出たが返すに及ばないと言われてという話も伝わっています。

遺骨の真贋と日本軍による発見は学問的には関係がありませんが、なにか一抹の不安が残ります。きっと当時は色々な人間ドラマが繰り広げられたのでしょう。日本軍の北京進駐とともに「北京原人の頭蓋骨」が行方不明になったことを連想させるので一層不安になるのでしょうか? 臭いものに蓋をしないで埼玉の玄奘三蔵法師の遺骨にもっと真摯な学問的研究がなされることを切望しています。これは私だけの感じ方でしょうか?皆様はいかがお考えでほうか?(終わり)


ブログを書いて不愉快な思いをしないで、大いに楽しむための秘訣

2009年09月27日 | うんちく・小ネタ

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(この挿絵の出典:ことめのHP: http://www.ac.auone-net.jp/~kotome/

ブログを書いていると不愉快なコメントを連続的に貰ってショックを受けたり、人間が嫌になりブログを止めてしまう人々が居るといいます。現実に私もネット生活が嫌になり止めてしまった人を知っています。ところが、私は2年間のブログ体験の中で不愉快なコメントを貰った経験はほんの少数で、圧倒的多数のコメントは愉快なものばかりです。元気が出ます。勇気づけられます。人間が好きになります。手術入院の時などは手術の怖さが和らぎました。結果的に言えば、「ブログ生活は愉快で楽しい」と言えます。そうでなければ飽きやすい私が、毎日ブログを書きながら2年間も続かなかったと思います。

ブログを大いに楽しむために、私は初めから心がけていることがあります。秘訣といえるかも知れません。その幾つかを書いてみます。

(1)まず内容が一番重要です。読んでくれる人の心が安らぎ、明るい気分になり、元気になるような内容の文章や写真を掲載します。人生を暗く感じさせるような内容のものは一切出しません。

(2)色々な外国や宗教の体験的な話を書いて、人間に共通な善い性格を説明します。共通でない悪い考え方は書かなくとも想像して頂けます。国籍や宗教の違いによる対抗心を自然に消えるような書き方をします。

(3)ブログでは敬語や丁寧語を使います。読んでくれる人々を尊敬しているのです。ですから自然に敬語が出てきます。しかしコメントを下さる方が丁寧な言葉を使はなくても気分を害されないようにしています。それはその方の言語能力の問題であり、自分の問題ではないのです。

(4)ブログ世界やその他のネット社会ではお互いに容姿が見えません。人間の悪い側面も見えません。従って、私は全ての人は人格者と仮定してお付き合いをします。全ての男性は美男子であり、全ての女性は素晴らしい美人と想定してお付き合いをします。当然、敬語や丁寧語が自然に出て参ります。実社会ではないので、そうのように仮定してお付き合いをしても自分に害はありません。

(5)掲載する文章や写真の内容を重視するあまり、美しい文章や上手な写真にするところまで手が届きません。そこで他のブログを書いている方々へ御願いして写真や絵画の転載をさせて頂いています。そうするとこのブログも華やかに飾ることが出来ます。今日の挿絵の白鳥の飛んでいるイラストも虹河琴女(にじかわ ことめ)さんのお許しを得て、使わせて頂いています。

(6)以上のように心がけて居ても、たまには実に不愉快千万なコメントが来ることがあります。その対策としてコメントは自動公開にしないで必ず自分の承認の後に公開する方法を取ります。その上、ここが重要なポイントですが、不愉快なコメントは即刻削除して忘れることにします。世の中には色々な人が居るものです。と軽く受けて、引きずらないことが肝要です。不愉快なコメントに対しては即刻、断固とした処置を取ります。連続するようなら法律的措置をとる決心が大切です。

このような心がけを私は2人の別々のアメリカ人から学びました。2人とはメールの交換だけで別々の仕事をしました。私を褒め、勇気づける内容のメールを即刻寄こします。多彩な内容のメールでした。こちらも本気になって徹底的に調べ上げメールで報告しました。アメリカ人は容姿、国籍、宗教の違う人間をメールだけで本気で働かせることが出来るのです。一歩進んだネット社会を見る思いでした。その内容はこのブログで別の記事としてご紹介しました。ウオルフ博士とマリア・ソコラッテー先生とのことです。

今日も皆様のご健康と、楽しいネット生活をお祈り申し上げます。 藤山杜人


私は美人の電話交換手に恋している青年ですー時々闇夜に逢っています

2009年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

BYOOLというSNSで毎日、小生の日記へ必ずコメントを下さる漆山 治さんという方とyokoさんという女性の方がいらっしゃいます。

今日、漆山 治さんがネット社会の魅力を説明する絶妙な短文を送って下さいました。

若い方々の為に言えば、昔の電話は必ず女性の交換手へ申し込んで、先方に繋いで貰ったのです。その交換手は例外なく美声の若い女性でした。言葉使いも上品です。そんな時代に交換手へあこがれていた若い自分を思い出しました。そのようにネット社会はお互いの容姿が見えないので楽しいのです。

=====漆山 治さんからの今日のコメント========

昔、「新青年」という雑誌があり、そこにあったコントです。「私は電話の交換手に恋をしました。どうしたら良いのでしょう?」、「闇夜にお会いなさい」

======それを受けてyokoさんのコメント=======

漆山 治さんのコメントにつられて、またばかばかしいお笑いを言いたくなりました。どうぞお許しを・・・・・

我が夫に言われたことがあります。

「君は聞き上手で、人の話をそらさないから、薄暗いところで人の相手をするのにうってつけだよ。」と。

私にとっては誉められているのか けなされているのか、複雑な心境でした。

でも当たらずとも遠からず、と言うより、ズバリ当たっているかも!

これからBYOOLで知り合った人に初めてお会いするのは闇夜に致します。(笑)

そう言えば、藤山杜人さんに初めてお会いしたのも夜でした。もう少し暗い方が良かったかもと、今になって感じて居ります。^^;;

==yokoさんとは家内と一緒にお会いしましたがまだまだ若々しい美形の方でした==

結論です。ネット社会で私は全ての男は美男子で、女性は絶世の美女と信じています。そして皆様が人格者とも信じています。ですかたネット社会は楽しいのです。皆様はどのようにお考えでしょうか?(終わり)


ネット友人と末長くお付き合いをする方法

2009年09月26日 | うんちく・小ネタ

ネットを通して、深い心の交流をした方々とは末長く友人でありたい。しかし毎日色々な方からコメントを貰います。コメントを下さって方のブログや日記を見ます。すると感動的なことが書いてあることがあります。友人として長いお付き合いをして頂きたいと思い、こちらからもコメントやメッセージを送ります。それを続けて行くと友人がドンドン増えて行きます。古い友人とは疎遠になって行きます。それでは自分の心が落ち着きません。そこで私は大切に何時までも忘れないで友人になって頂きたい方々を7人だけ決めて、「私の推薦したいブログ」として左欄にご紹介してあります。ブログを始めた頃に感動的な交流をした方々です。この7人の方は私の心の錨です。深い海底にしっかり食い込んで船が流れないように私が何処かに行くのを止めています。

鬼家(おにいえ)さん、Parismidori さん、 mikaさん、ちひろさん、玲さん、オカブさん、木内さんの7人です。是非、そのお名前をクリックしてご覧下さい。多彩な、そして心温まる写真や記事をご覧頂けます。この7人は私の心を繋ぎ止める象徴的な碇(いかり)ですので変更しません。

その他に、時々私のブログで写真や文章をご紹介する印象深い方々が居ます。転載許可をお願いし、心良くご承諾くださった方々は忘れられない友人になります。ネパールに住んでいるHikarunoさん、松坂にお住まいのmachanさん、見事なミステリー作品を書いている「狼皮のスイーツマン」さん、山梨の別荘へ招待してくれた甲斐駒さん、富良野のあとみんさん、アメリカに住んでいるAmadeusさん、郡山で芸術的なパステル画を描いているVasenoirさん、水墨画のSEIKOさん、美しいイラストの ことめさん、BYOOLというSNSのhanaさん、 yoko さん、漆山 治さんなどなどは終生の心の友人です。これらの方々との交流を何度も楽しむために私は自分の古いブログ記事を開けては、写真を見たり、投稿されたコメントを読み返しています。

その上、昔に毎日勇気づけるコメントを送ってくれた高山さんとSHANTIANさんはお忙しくなってコメントが止まりましたが絶対に忘れられない友人です。

その他に趣味人倶楽部とBYOOLという2つのSNSで数多くのマイフレンドを持っています。その一覧表を時々見てはそれぞれの生活を想像して楽しんでいます。そしてマイフレンドの方々の日記や写真を見て拍手を送っています。このSNSの数多くのマフレンドも固定して変更しないようにしています。

ネットの上で出来た友人と末長く付き合う方法は、2つが鍵になります。

(1)友人の数は増加して良いが、固定し変更しないようにする、

(2)折にふれ自分の古いブログや日記を読み返して友人との交流を何度も楽しむ。そしてそのことをメッセージとして友人へ送る。

さて皆様はネットの上で出来た友人とどのようなお付き合いをなさっていらっしゃるでしょうか?

最後にフランスのParismidoriさんのブログから見事に実った今年のブドウの写真、そして玲さんの紫ツユクサの花の写真、ちひろさんのトラノオの花の写真をお送りいたします。

今日も皆様のご健康と幸多いネット生活をお祈り申し上げます。 藤山杜人

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ヨットに泊まっていると白鳥一家が遊びに来ます

2009年09月25日 | 写真

夕方にヨットを係留地へ戻し、キャビンの中で作った夕食を食べました。後ろの甲板で夜景を楽しんでいたら例の暇そうな白鳥の一家が遊びに来ました。家内が林檎を切って与えました。先方も暇。こちらもテレビもラジオも無く暇です。何となく遊んでしまいました。キャビンの中に戻り夜9時には寝てしまいました。波が船体にチャプチャプ当たる音に誘われて熟睡しました。水温がまだ夏のままらしく温暖な気温です。早朝になっても冷え込みません。

数日前に山梨県の北杜市の甲斐駒山麓の山小屋に泊まりましたが朝夕の冷え込みが厳しかったのに比較すると水辺の優しい空気にホッとしました。山小屋に泊まることもヨットに泊まることも非日常的な冒険で厳しいものです。しかしヨットの方が厳しさが少ないと思いました。山小屋では白鳥一家も遊びに来ませんし、漆黒の闇の林が風でザワザワ恐ろしげな音を一晩中立てていました。

ヨットに泊まったときの様子の写真を示します。お楽しみ頂ければ嬉しいです。(終わり)033 040 044 050 057


外国へ移住した日系人の方々へ送る写真

2009年09月25日 | 写真

今朝の午前2時、3時頃にこのブログへアクセスされた方々が234名いらっしゃいました。普通は数名ですので、これはもしかして、地球の反対側にある国々へ移住された日系人の方々ではないかと想像しています。私は昔、オハイオ州に延べ4年間住んでいました。その間、アメリカに帰化したり、永住権をとった中国系の人々やインド系の人々と親しくお付き合いをして居ました。ところが不思議にも日系アメリカ人とはお付き合いが出来ませんでした。オハイオ州にはあまり見かけないせいもあったと思います。

もしこのブログを外国へ移住した日系人の方々が見ていらっしゃいましたなら、是非、ネットの上だけでもお付き合いをしたいと思います。

アメリカへ帰化した中国系やインド系の人々の考え方は知りました。文化的には祖国の文化を誇りにして子孫へも伝えようとしています。しかし政治的にはアメリカへ対する忠誠心が強いのです。

私は観光客としても、あちこち外国旅行をしましたが、外国へ移住した日系人とゆっくり話合うチャンスがありませんでした。

このブログで、外国籍を持っている日系人の方々の、日本の文化や政治へ対するご意見をご紹介したいと思います。是非、ご意見をコメントとしてお送り頂ければ嬉しく思います。

現在、日本は秋たけなわです。以下に萩の花とススキの穂の向こうに見える富士山の写真をお送り致します。河口湖畔から撮影しました。

日本の秋を少しでも懐かしんで頂ければ嬉しく思います。敬具、  藤山杜人

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