後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ドイツ人の真摯な反省として有名な演説、「荒野の40年」、その(1)

2015年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von Weizsäcker、1920年4月15日 - 2015年1月31日)は、ドイツの第6代連邦大統領(在任:1984年 - 1994年)でした。
彼は敗戦40周年記念日に西ドイツ連邦議会で以下の演説をしました。それは「40年の荒野」と題し、ドイツ人の反省と謝罪として世界中で有名になりました。その演説は世界各国で出版せれています。勿論、日本でも岩波書店から『ヴァイツゼッカー大統領演説集』として出版されています。
これは西洋人の良心的な告白であり悲しみに満ちた独白です。
いろいろな意味で感動的な演説なので何回かに分け連載としてご紹介いたします。
http://www.asahi-net.or.jp/~EB6J-SZOK/areno.html よりの転載です。
 『荒れ野の40年』 (1985)    ヴァイツゼッカー
 5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。
 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 銃殺された人質を思い浮かべます。
 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。
 はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
 死者への悲嘆、
 傷つき、障害を負った悲嘆、
 非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
 空襲の夜の悲嘆、
 故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、 捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆――こうした悲嘆の山並みです。
 今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
 人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。
彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。
 暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。
 歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪――これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。
 この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。
 シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。

 目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。
 良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
 一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。 (続く)

そして写真はヴァイツゼッカーさんです。

戦争を絶対にしない決心の為に(3)西洋人の十字軍と植民地の罪

2015年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は現在の西洋人は十字軍(1096年ー1272年)によるイスラム教徒の殺戮と近代のアフリカやアジアの植民地の罪をほとんど反省していないことを書きます。その上で日本人は今後どうするのかという問題に幾つかの考え方を示したいと思います。
この様な深刻な話は読みたくないという方々の為に間もなく日本中に咲くコブシの花の写真をお送りします。九州の別府のそばにある志高湖の丘のコブシの花の写真です。写真の掲載してあったブログは「志高の風」で、別府の高原にある志高(しだか)の地の四季の風(たより)が掲載してあるブログです。(http://shidakanokaze.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-9ceb.html です。





前回の記事は「戦争を絶対にしない決心の為に(2)日本人は真摯に反省すべき」という
題目でした。それに対して真剣なコメントを38件も頂きました。
その中の幾つかには次の質問がありました。欧米人とともに6年間ほど共同で研究の仕事をした経験から私自身の見解を書き、質問に対するお答えとします。
(1)キリスト教徒である西洋人は十字軍によるイスラム教徒の殺戮を反省しては謝罪しているのか?
答えは否です。
(2)西洋諸国による近代のアフリカやアジアの植民地化政策の罪を反省し、謝罪していますか?
答えは否です。
さて上の答えの「否」は多くの西洋人は反省も謝罪もしていないという意味で、勿論、良識ある西洋人は謝罪まではしませんが反省しています。それでは(1)と(2)についてもう少し補足説明をいたします。
(1)の十字軍の罪は先のローマ法王のヨハネ・パウロ2世は正式に反省を発表し謝罪しました。そしてイスラム教の最高指導者を訪問して反省と謝罪を伝えたのです。これはヨハネ・パウロ2世だけが行ったことで、キリスト教の歴史はじまって以来、初めての謝罪なのです。
(2)の植民地の罪については現在のほとんどの西洋人は一切罪悪感も感じていません。ですから国家として正式に謝罪はしていません。
オランダの植民地だったインドネシアが長年くりかえしオランダ政府へ謝罪を要求し続けましたがナシのツブテです。
西洋人が謝罪しない理由は幾つかありますが、彼らの文化には「罪は個人が犯すもので、関係の無い個人や団体としての国家は謝罪すべきでない」という考え方が根底にあるからです。
もう一つの理由は「武力の強い国が弱い国を植民地にしても、それは当たり前のことだったので今更反省したり謝罪する必要は無い」という考えが根底にあるからです。
勿論、上の考え方へ対して良識的な人々は必ずしも賛成していません。
さて日本人がよく西洋人を十字軍のことや植民地のことで声高に非難します。その効果を考えたことがあるのでしょうか?西洋人は自分の考えを変えません。そして日本を憎み、韓国や中国の味方に追いやるだけなのです。
そして西洋の植民地政策を非難すれば日本に併呑された韓国や満州国を作られた中国がその屈辱を思い出してますます反日的な態度をとるのです。
このように書くと必ず朝鮮併呑は李朝に頼まれたからしたことだと言う人がいます。満州国を作って中国のその地方の工業を進歩させ経済的に豊かにしてあげたと言う人がいます。それは正しい側面でもあります。しかし大多数の朝鮮の人や中国人はそれを憎んでいるのです。日本のやり方を大歓迎した人もいました。朝鮮を併呑したときに韓国の初代大統領になった李承晩たちが上海に逃れ、朝鮮の亡命政権を樹立していたことを日本の学校では教えません。
日本は戦争を避けるために軍備を怠ってはいけません。しかし日中友好や日韓友好は戦争の可能性を少なくするのです。戦争防止の保険のような役割をするのです。いたずらに中国が憎い、韓国人も憎いという感情に押し流されて日本の安全を犠牲にしてはいけません。
賢い外交政策が軍備を補強するという鉄則を最近の風潮には消えてしまっているようです。困ったものです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)