後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

アウトレットにも春が来ました!

2015年03月13日 | 写真
今日は東京の西の郊外では一番最初に出来た八王子の南大沢アウトレット・モールに行きました。10年ぶりくらいです。婦人の服売り場は春真っ盛りのような色彩が溢れていて花壇のようでした。いつもは花々の写真を撮りに行きますが、今日は服売り場を花園と思って写真を撮って来ました。家内はバッグや服や輸入食品などを楽しそうに買っていました。
アウトレットにはご婦人方の洋服売り場の他に、洒落たレストランもカフェもスーパーマーケットもあります。花売り場もあるし、その上広い駐車場もあります。とにかくいつ行っても楽しいところです。
それにしてもアウトレットとはどんな意味で、その歴史はどのようなものなのでしょう。以前から気になっていたので調べてみました。
以下は、http://ja.wikipedia.org/…/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83…
からの転載です。
・・・・アウトレット(outlet)とは、本来は水や煙などの排出口をあらわす言葉で、この場合は「工場から直接出てきたもの(ファクトリー・アウトレット)」を意味する。日本では、アウトレット=中古品、そして、アウトレット=展示品、規格外商品としても使われていた。1985年(昭和60年)に開催されたつくば万博跡地を再利用したショッピングモールが始まりとされる。
もともとアメリカの流通業界において、ブランド・メーカーの衣料品やアクセサリーなどの、流行遅れ商品や通販のクーリングオフ品、実用上は問題のない欠格品(いわゆる「半端もの」「訳あり品」「棚ずれ品」など)を処分するために、工場や倉庫の一角に「アウトレットストア」と呼ばれる在庫処分店舗が存在していた。
これが転じて、複数メーカーの直販店舗を一堂に集め(モール化)したものをアウトレットモールと呼ぶようになった。多数のブランドや業種を揃えた利便性で購入者の選択幅をモール全体として提供している。
アウトレット店舗には、メーカーなどが自社企画品や自社生産品の直接販売を行う「ファクトリー・アウトレット」と、小売店がメーカーから仕入れた在庫品を販売する「リテール・アウトレット」の2種類がある。「ファクトリー・アウトレット」では通常、販売するブランド名を掲示しメーカー直販を明示する。
アウトレットモールの多くは、高速道路や幹線道路沿いの郊外、観光地に立地している。・・・・

そして日本全国のアウトレットの一覧表が出ています。以下にその一例として関東地方のアウトレットの一覧表を示します。
1、大洗リゾートアウトレット(茨城県東茨城郡大洗町)〈八ヶ岳モールマネージメント〉
2、あみプレミアム・アウトレット(茨城県稲敷郡阿見町)〈三菱地所・サイモン〉
3、那須ガーデンアウトレット(栃木県那須塩原市)〈西武プロパティーズ〉
4、佐野プレミアム・アウトレット(栃木県佐野市)〈三菱地所・サイモン〉
5、三井アウトレットパーク 幕張(千葉県千葉市美浜区)〈三井不動産〉
6、三井アウトレットパーク 木更津(千葉県木更津市)〈三井不動産〉
7、酒々井プレミアム・アウトレット(千葉県印旛郡酒々井町)〈三菱地所・サイモン〉
8、ビッグホップガーデンモール印西(千葉県印西市)〈住商アーバン開発 → 京阪流通システムズ〉
9、三井アウトレットパーク 入間(埼玉県入間市)〈三井不動産〉
10、レイクタウンアウトレット(埼玉県越谷市)〈イオンリテール → イオンモール〉
11、ヴィーナスアウトレット(東京都江東区)〈ヴィーナスフォート → 森ビル〉
12、三井アウトレットパーク 多摩南大沢(東京都八王子市)〈三井不動産〉
13、グランベリーモール(東京都町田市)〈東急モールズデベロップメント〉
14、三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド(神奈川県横浜市金沢区)〈三井不動産〉

皆様のお住まいの地域のアウトレットも楽しい所と思います。暖かい春の日にはお出掛けになるのも良いと存じます。









モンゴル民族をもっと知る(5)中国領内のモンゴル人の大量殺戮

2015年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム
中国とモンゴル国の国境に沿って「内モンゴル自治区」があります。中国の領土であり、如何にも中国政府がモンゴル民族を尊敬し、保護しているように見えますが実態はモンゴル人を中国人化してモンゴル文化を抹消しようとしているのです。
その方法は多数の中国人を移住させモンゴル人の比率を少なくする政策です。
自治区内のモンゴル人は約400万人と推定されていますが、自治区内の総人口の80%は漢民族になっているのです。こうしてモンゴル民族の比率を小さくする政策を進めているのです。
モンゴル民族を弱体化するもう一つの方法はモンゴル民族を弾圧する方法です。
数十万人と推定される大規模な虐殺が文化大革命の間に行われたのです。
1966年に開始された文化大革命で、内モンゴルへの中央からの弾圧が行われたのです。1966年7月12日、小平は内モンゴル自治区主席であったウランフを呼び出し、「分裂主義者」「地域国粋主義者」などと攻撃して失脚させたのです。殺戮はその後で始まったのです。
そして1969年には内モンゴル自治区に軍政が施行され、「内モンゴル生産建設兵団」という軍隊が送り込まれます。1970年には内モンゴル自治区は廃止され周辺各省により分割されたのです。
1966年から1976年にかけて、中国政府は内モンゴル自治区(南モンゴル)、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)、青海省(チベット)、甘粛省、東北三省(満洲)に先住していた全てのモンゴル人に対して「分裂主義者」などの罪名のもとで70万から80万人を投獄し、5万人から十数万人を殺害したと言われています。
毛沢東が死ぬと、1979年になり内モンゴル自治区は再設置され、ウランフも名誉回復されたのですが、少数派になったモンゴル人の漢化が進行しつつあるのです。
この様に中国領内のモンゴル人は受難の連続で、とても日本へ渡って相撲の関取になれるような社会的環境にはないのです。
このモンゴル人の受難の記録は、内モンゴルから脱出し、日本国籍を取り、静岡大学の教授になっている楊海英さんが2009年に本にしています。
楊海英著、『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』です。この本は司馬遼太郎賞を受賞しました。この本のことは友人の竹内義信さんが教えてくれました。
至柔の優柔不断日記 http://gogensanpo.blog109.fc2.com/blog-entry-34.htmlから以下の文章を転載させて頂きます。
・・・・きょう、楊海英著『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』上・下(岩波書店、2009年)を読み終えました。著者は日本在住の内モンゴル出身モンゴル人研究者で、モンゴル名をオーノス・チョクトと言います。本書は14人のモンゴル人の証言を中心にして、文革中に内モンゴルで起こったモンゴル人に対する虐殺の実態を明らかにしています。僕はこの本を読んで初めて、内モンゴルで凄まじい虐殺が行なわれていたことを知りました。チベットやウイグルの民族運動に対する弾圧はいまや世界的に有名になりましたが、モンゴル族に対する弾圧はほとんど知られていません。それはなぜか? それは、内モンゴルに民族問題がないからではなく、声を上げることのできるモンゴル族エリート層がほとんど全員殺されてしまったからなのだそうです。深刻な被害をこうむったからこそ、情報が出てこなかったのです。・・・・
そして著者の楊海英さんは『墓標なき草原(上,下)』に寄せる思いとして、以下のように書いています。
・・・・ 「20世紀を震撼させた十大歴史的事件」の一つに,中国の文化大革命が選ばれたことがあります.世界に激震を与えた文化大革命の実態はまだ完全に解明されていませんが,その中にモンゴルなど少数民族の大量虐殺が含まれていることはまぎれもない事実です.
 18年間にわたって資料を集め,多くの人びとに会ってインタビューをしてきました.調査中には被害者たちと一緒に泣きました.インタビューの記録をもとに原稿を書き上げる途中も涙が止まらなくて何度も中断しました.被害者たちの怒りと悲しみを冷静に振り返り,歴史的な事実だけを活字にまとめるのは長い道のりでした.
 「モンゴル人大量虐殺事件」は,日本の殖民地支配に対する間接的な清算でもあるのです.日本の近代史が中国の文化大革命に落とした影を読み取っていただければ幸いです.・・・・
以上のような事実はほとんどの日本人が2009年にこの本が出版されるまでは知らなかった事実だったのです。共産党独裁の闇の奥深さに言葉もありません。共産党独裁の闇の奥深さに言葉もありません。共産主義は人格を破壊するのです。少数民族の虐殺を平気で行えるのです。

心を静めて、内モンゴル自治区の草原に咲く花の写真をお送りして、この稿の終わりとします。写真の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/29743269.html…です。(続く)