後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「たった一人の山」の著者の浦松佐美太郎氏のお嬢様から投稿がありました

2011年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

2010年4月6日に掲載した記事で浦松佐美太郎著、「たった一人の山」という名著をご紹介しました。それが今日、著者のお嬢様から下の様なご投稿がありました。

とても嬉しく思いましたので以下にご紹介します。そしてついでに、記事、「浦松佐美太郎著、「「たった一人の山」」について」を再掲載致します。

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父の本にまつわる、心温まる甲斐駒の山小屋での描写、ありがとうございます。 父の著作がいつまでも、自然を愛する方々に読んでいただければ幸いです。

浦松佐美太郎三女浦松清子
米国ニューハンプシャー州在住

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浦松佐美太郎著、「「たった一人の山」」について」

日本が好きで8年も在住していたイギリス人のウエストンが、上高地に入り穂高や槍へ登った頃からヨーロッパ流の「登山」が広まったと言われています。

旧制の中学生や高校生のヨーロッパへのロマンチックな憧れもあって、登山が流行になるのです。それは昔からあった修験道者の登山とは違うものです。

浦松佐美太郎も戦前に一ツ橋を卒業し、ヨーロッパに渡り、数々の山を単独登攀をします。独りで山をみつめ、自分の心をみつめ、命をかけて苦しい登攀をするのです。青春の苦悩を山々と語り合いながらいやして行くのです。この本は昭和を通して多くの学生に読まれ、山岳文学不朽の名著と言われています。

私は暇になると本棚のある2階へ上がり、昔読んだいろいろな本を取り出して見ています。その中から現在の若者にも読みやすく理解しやすい本を選んでこのブログで紹介して来ました。今日は浦松佐美太郎著、「たった一人の山」を推薦したいと思います。分かり易く言えば、1901年生まれ1981年死亡の浦松さんがヨーロッパや日本で登った山々の登山記録です。単独で登りながら考えたことが書いてあります。ロマンチックな青春の日々の苦しみと歓びが描いてあります。昭和の若者の青春が活き活きと描いてあります。戦争とは無縁な青春です。昭和という時代へ大きな影響を及ぼしたのです。

話は飛びますが、私は1974年に、上の写真の甲斐駒の7合目の粗末な山小屋の棚の上でボロボロになったこの本に会いました。年老いた主人が言います。「冬場以外は毎週、週末になると夜行列車で来て、登って来る若い技師さんがいました。日本鋼管の技師さんでした。その人が置いて行ったのです」と言うのです。日本鋼管は私が学生のころ工場実習をした製鉄会社です。偶然とは言え、急に親近感が湧き、詳しい話を聞きました。山小屋の主人が目をしばたたきながらボソリボソリと説明してくれました。「その技師さんは50歳の頃病気で死んでしまい、二度と登っては来なかった。2、3年して会社の仲間が登って来て、この本を受け取ってくれと置いていったのです。それが彼の遺言だったそうです」

製鉄所は技師でも昼夜3交代で徹夜の当番があります。そして徹夜明けと週末の休みをつなげれば川崎から甲斐駒へ夜行列車で往復出来たのでしょう。私の知り合いのある重工業の技師も毎週のように夜行列車で上高地へ通っていたそうです。彼も定年の前に病気で亡くなりました。お葬式に行った時、上高地通いのことを聞きました。浦松佐美太郎さんの本は技術系の人にも大きな影響を与えていたのです。

今日、読み返してみて懐かしさで心が一杯になりました。そして現在の若者にも面白い本かもしれないと思い、ここで紹介しました。ネットで検索すると出版社や値段が出て来ます。ネットでも購入出来ます。広く読まれた本なのであちこちの図書館にあると思います。読んで損する本ではありません。若者の皆様へご参考になれば嬉しく思います。(終り)


大地震・大津波・・・でも何事も無かったように静かな湖畔の風景

2011年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

何年か前の事ですが、津波が利根川を遡って霞ヶ浦まで来ました。岸壁を僅かに越える程度でした。今回はもっと水位が上がってヨットの係留ロープが切れたのではないかと心配していました。常磐高速道路の通行規制も無くなったのでヨットの係留ロープを見に行きました。4本とも異常なしで、水位が大きく上がった形跡がありました。東北地方の惨状を思うとヨット遊びなどする気になれず、家内と桜川の堤や湖畔を散歩しました。湖畔は何事もなかったように早春の陽射しの中に静まりかえっています。まだ冷たい風が頬をなでて行きます。

そんな風景写真をお送りします。皆が元気になりますようにお祈りいたします。

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日本サクラソウの花を見て日本が元気になりますように!

2011年03月31日 | 写真

日本サクラソウは江戸の人々に愛されてきた花で、さいたま市、荒川沿いの田島ケ原が自生地として国指定の天然特別記念物になっています。この花を見て日本人がみんな元気になりますようにお祈りいたします。

日本サクラソウは毎年4月になると可憐な花が咲かせます。花の色は淡い桃色で、咲いているのを恥じているように草の陰に隠れています。楚々とし、控え目な風情が日本人の美意識に合致しているようです。栽培し品種改良されたものは沢山ありますが、原種の素朴な良さは捨てがたいと眺め入りました。

日本サクラソウは花屋さんで鉢植えのものを何度も見ました。しかし、自生地に他の草葉に混じって静かに咲いているのを見て、実に日本的な美しさに感動しました。サクラソウを見ながら、1時間も田島ケ原を歩き回りました。

撮影場所;さいたま市荒川沿いの秋が瀬公園南端のサクラソウ公園 田島ケ原にて、

撮影日時:2010年4月20日午前11時から12時。

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福島原発の深刻な事態の意味と解決方法

2011年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

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福島原発では深刻な事態が続いていますという報道がマスコミに流れています。しかし何が起きていて、何故それが深刻なのか説明がありません。あってもやたら専門用語が出て来て分かりにくいのです。

福島原発の状態を私も深刻な事態だと思います。その理由は以下の2つです。

(1)本来存在していてはいけない発電用建物の床に、炉心核燃料を含んだ強い放射能を持った水が多量に発見された事実です。

この事実は炉心冷却用の海水や真水が別の建物の床に流れ出している事を示しています。大変な事態です。

(2)本来水は存在してはいけない配管や配線用のトンネルの中に炉心から漏れた海水や真水が多量に充満していたのです。配管や配線の故障を監視するため人が歩いて入れるようなトンネルです。それをトレンチなどという専門用語を用いるから誤魔化されるのです。(こういう誤魔化しが沢山ありました。)

この事実は炉心冷却用の海水と真水が、原発の敷地の低い部分に大量に流れ出している事を示しています。大変な事態です。

漏れ出した場所は上にある図面の、左の原子炉格納容器の底の部分の配管の繋ぎ部分が割れ、炉心冷却用の海水や真水が建物の外へ流れ出したのでしょう。そして、右側の発電用の復水器の底の部分の配管から流れ出したものとも思います。流れだした箇所は複数あり、その全ては最後まで分からないと考える方が今後の対策上良いと信じます。

さてこのような事態は何故深刻なのでしょうか?2つの理由があります。

(1)本来水が存在していてはいけない配管・配線のためのトンネルへ、炉心からの水が流れだしていた事実は 当然海水の中へ炉心の水が多量に流れ出している事を示しています。それなのに、「海水へ流れた証拠は無い」 と誤魔化しています。水は低きに流れるというコトワザは素人でも知っています。

(2)炉心からの水が海水を汚染しているのに 「炉心冷却のための水の注入」を止める事が出来ないのです。近辺の漁業が壊滅します。これは大変深刻な事態です。

さてこの深刻な事態の解決方法は素人にも分かります。炉心から流れ出る汚染水を可能な限り回収しながら、本来の冷却水循環装置を修理する事です。可能な限りという意味は一部は海へ必ず流れるという意味です。

フランスやアメリカから原発事故の専門家が到着しています。事故現場の復旧作業員も多数準備が出来たようです。あとは長期戦の体制をしっかり作って根気良く汚染水の回収に努力すれば解決です。しかしその間に循環式冷却装置の修理も並行して行わねばいけません。

しかし全体的に考えると鎮静化の方向へゆっくり向かっています。

今日は福島原発の復旧作業に従事している全ての人々の健康をお祈り致します。危険な放射能を浴びないようにお祈り致します。藤山杜人


戦後日本の技術至上主義の挫折と原発絶対安全神話の崩壊

2011年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

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水素爆発で無残に吹き飛んだ原子炉建屋の姿こそ技術至上主義の挫折を如実に示しています。第二次大戦に日本が負けたのは工業生産力の差、特に技術レベルの差と言われました。戦後の復興は、まず重工業を復興し、自動車産業、電気産業、の増産と品質改善の努力をしました。その結果、日本の工業製品は品質が最高になり世界中へ輸出されるようになりました。日本の技術力が国を豊かにしたのです。その結果、日本には全てのことの中で技術だけが重要だという技術至上主義が蔓延していたのです。

その一つの結果として日本の技術を用いれば絶対に安全な原子力発電所が作れるという思い上がりが出来てしまったのです。

しかし人間の技術には必ず欠陥と限界があるものなのです。その事を一番良く知って居たのは技術者本人でした。高温と高圧を取り扱う工場には大事故が必ず起きるのです。過去の工業の歴史がそれを証明しています。

しかし原発推進派の政治家や経営者は技術者の言う事を本気で注意深く聞こうとしませんでした。技術者もあまりしつこくは言いません。

その結果が今回の福島原発の大惨事になったのです。

戦後の日本に蔓延していた技術至上主義の完膚なきまでの挫折です。そして原発の絶対安全神話の崩壊です。

これから日本はどうするのでしょうか?賢い日本人は必ずや復活すると信じています。今後、折にふれて大地震・大津波災害と原発事故災害の復興についていろいろな視点から考えて見たいと思います。ご意見が御座いましたなら是非コメントとしてお送り下さい。よろしくお願い申し上げます。


こんな時にヨットをしている人は非国民!!?

2011年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、テレビで聞いた事です。湘南でヨットをしている若者へ対してある中年の男性が「非国民!」と叫んでいたそうです。

私も26年以上、ヨットを趣味にして来ましたが、東北地方の被災地で苦しむ人々の事を思うとヨットなどする気になりません。全ての贅沢な趣味をしないようにしています。ですからヨットをしている若者へ「非国民!」と叫ぶ気持ちはよく分かります。

しかし絶対にそんな声を上げてはいけないと信じています。若者がどのような気持ちでヨットをしているか?他人には分かりません。例えば一緒に組んで国体のヨットレースに出た友人が津波で死んだのかも分かりません。死んだ友人の写真をマストに張り付けて、ヨットを走らせながら友人の冥福を祈っているいのかも知れません。

ヨットをしている人は誰でも自然の猛威を知っています。それだけに津波や地震の災害に傷つくものです。J182さんから頂いたコメントの一部を下にご紹介致します。

=======J182さんから頂いたコメントの抜粋==========

私は、阪神大震災を、被災地の真っ只中で体験しました。半年ほどして生活も落ち着き、ヨットハーバーに行きましたが、なぜか罪悪感を感じ、20年以上続けていたヨットをやめました。復活するまで7年ほどかかりました。今また、いい天気だと被災地の人に申し訳なく思い、仕事していて申し訳なく暮らしています。胸が一杯になって震災関係の映像を、長くみることができません。

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「非国民!」とか「国賊!」という言葉は究極の差別用語です。言われた本人の方が言った人よりも本当の愛国者だったりするのです。

そんな言葉を使わないで心を寄せ合って東北・関東の大津波被災者や福島原発事故の被害者へ心からの支援を送りたいと思います。

贅沢は止しましょう!贅沢は敵だ!などと言わないで下さい。言わなくても心ある人は静かに贅沢を止めます。戦後えいえいと築いて来た民主主義や自由な社会を壊すような言動はしない方が良いと思います。皆様はいかがお考えでしょうか?

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文部科学省の29日の東北、関東、甲信越の放射能測定値は安心材料!

2011年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝の読売新聞の29ページ目にある文部科学省の29日の東北、関東、甲信越の放射能測定値は異常ありません。ここ数日大きな変化はありません。

平時より高い値の都市は福島市、いわき市、仙台市、水戸市などですが、東京を含めて他の地方はOKです。まずは安心できる値です。

原発事故現場の汚染水の事を必要以上に心配する必要はありません。


全国の54基の原発の脆弱な津波対策と付近の住民の心の準備

2011年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

経済産業省は北海道から九州で稼働中の54基の原子力発電装置へ対して緊急に津波対策を指示し、1ケ月以内に津波対策を完了するように求めています。しかし1ケ月間では根本的な津波対策は難しく、再び、大津波が起きた場合は福島原発の事故のような事故が繰り返されると思います。そこで自分が住んでいる土地から50km以内に原子力発電施設がある場合にはどのような心の準備をして置いた方が良いかを考えてみました。

(1)東北地方で大地震が起きたから暫くは起きないという考えは危険です。過去の地震の記録は1000年くらい前までしか明確に分かっていません。地質学的には1000年なんていう短い期間は一瞬の事であり、その間の地震発生の統計学的な研究や確率論は全く無意味です。それは科学的に全く意味の無い事です。ついでに言えば地震発生の原因をプレート滑り込みによる応力蓄積という説以外にも原因があると考えるのが科学的な態度です。例えば中国大陸の奥の四川大地震はどのような原因で起きたのか誰も説明出来ません。東京湾や日本海で大津波が発生するかも知れないのです。そのような想定外の自然現象へも心の準備をして置きましょう。

(2)大津波が付近にある原発工場を襲ったら、冷静に避難の準備をして置きます。津波の前に地震があります。その時、原発の緊急停止装置が動き、炉の核反応を停めます。しかし津波で原発が停電になったか、冷却装置が流されてしまったかをラジオ・テレビの報道に注意します。水素爆発までは数時間から数日ありますから、まだ実際に避難しない方が良いのです。避難する時持ちだす重要な水、食料、日用品、現金、貯金通帳、カードなどの非常用袋を手元に置いておきましょう。

原発事故の避難は長期になる場合もありますから重要書類は持ちだす準備をします。

(3)冷却装置が止まってしまったら、炉心から水素が漏れ出し、いずれ建屋に充満して水素爆発が起きます。その時、炉心近辺の冷却用の配管や配線が爆発の衝撃で壊れれます。水素爆発で放射能を持ったヨウ素やセシウムが空中に放散されます。

ここまできたら自主避難を始めれば良いのです。初めの水素爆発で、少しは放射能を浴びますが、短期間なので健康に害は無い筈です。充分落ち着いて車でゆっくり逃げます。逃げる前に各地方自治体の避難所を確かめて置きましょう。

(4)今回の政府の指示は半径20kmは全員避難、半径30kmは自宅待機という内容でした。これはあくまでも一つの目安と考えて、テレビで発表される風向きを毎日見て危険度を自分である程度判断しながら避難します。原発が風上にあり長時間それが変わらない場合は逃げ足を早めましょう。その反対の時は落ち着いて逃げます。

(5)自宅に忘れ物をした時は取に戻りたいものです。しかし放射能が降り積もっているかも知れません。短気を起こさず暫時、時の流れを待ちましょう。

それともう一つ怖いのは風評被害です。生活物資が届かなくなります。この事実にも心と物の準備もして置きましょう。

以上のように書くのは現在、福島県の人々の苦しんでいる状態を多くの人々に深く理解してもらい、全国の人々が福島県の人々を応援するように願っているからです。

そして東日本大地震・大津波で被害を受けた全ての人々へ全国の人々が現在以上に支援、応援することを祈っています。

今日も地震・大津波そして福島原発事故による全ての被害者が再び元気に立ち上がるようにと心からお祈り申し上げます。

季節がめぐれば、野山に下のように花も咲きます。皆で元気になりましょう!

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福島原発事故関連記事の訂正2ケ所

2011年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発事故関連記事の中で、ヨウ素131の半減期を30日と書きましたが、正しくは8日です。ご指摘下さいましたNTさんへ感謝します。有難う御座いました。

それからこのブログの記事で何度か「加圧水型原発」の図面を使用しましたが、福島原発は「沸騰水型原発」です。今日の記事で示した図面が沸騰水型原発の構造図です。誤解を招いたと存じますが、謹んでお詫び申し上げます。

ご指摘下さいました、旧友のKTさんへ感謝致します。有難う御座いました。

尚、この2つの間違いはこのブログの福島原発関連の記事の論旨にいささかも影響は御座いません。論議の構成と、流れにご注目して、私の言わんとしている趣旨をご理解下さいますようにお願い申し上げます。敬具、藤山杜人


大津波の動画集・・・ああ、神様はあまりにもむごすぎる!!!

2011年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

マスコミは福島原発事故の事を大きく取り上げています。しかし大津波により亡くなった方々は2万人以上です。その上、現在でも避難所で苦しい生活を続けている人が35万人以上も居るのです。街は崩壊し、瓦礫の山です。呆然とした人々は今後の生活へまだ心が向いていません。漁船も港も流されてしまったのです。

神様はあまりにもむごすぎます。この大きな災害を忘れないようにと、災害の動画集をご紹介しておきます。http://youtube-shocking.sblo.jp/article/43900370.html です。

この動画集を見ると今回の大津波は私達が背負って復興しなければならない国難と思います。

どうぞ東北の人々が1日でも早く前向きになるようにお祈り致します。


岩国、広島で見た義捐金を入れる人々・・・美しい心の絆

2011年03月29日 | インポート

今回の地震・大津波で意気消沈してしまい前から予約していた岩国や広島への旅をキャンセルしようと思っていました。しかし無傷の西日本の様子を見たら、自分の気持ちも上向きになるかと思い2泊3日の旅へ行って来ました。

行って少し元気になりました。東京から西の日本は以前と変わらぬ風景です。新幹線も自動車も元気よく走っています。その上、岩国や広島の観光地には東北への義捐金を入れる箱があります。何気なく見ていると大きなお金を老人や子供や中年の男女が入れています。岩国や広島のように離れた所に住んで居る人々も心を寄せて助けようとしているのです。店やレストランの人々も東北の災害を自分の事のように悲しんでいます。それがチョットした会話に出て来ます。ああ、人々の絆は美しいものと知りました。日本中の人々が被災した人々へ心を寄せて、支援しているのです。

東方地方は必ず復興します。日本はやっぱり素晴らしい国なのです。そんな確信を持って旅から帰ってきました。下に岩国の錦帯橋の傍にある公園に咲いていた八重桜とアンズの花の写真をお送りします。人々の美しい絆を示すような花と感じながら昨日撮ってきました。被災者の皆様、家族、親類、友人の皆様、岩国や広島の人々の美しい心をお感じ下さい。

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福島原発の何処が壊れたか?・・・もう安心だが、、、、

2011年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発で起きた現象を冷静に考えて見ると、その全体像がほぼ想像できます。地震・大津波が起きた後に起きたもろもろの現象を「起きた順序」に従って想像をまじえて整理します。この整理をすると今後起きるであろう危険な現象がある程度想像出来るので心の準備ができます。

(1)大地震によって緊急スクラム装置が作動し、核連鎖反応を停止する事に成功した。

制御棒のボロン・カーバイト棒が燃料棒の間に挿入され、核反応が緊急に停止したのです。この地震によって原子炉の配管や冷却系統は損害を受けず、正常に冷却水が循環していたと想像出来ます。女川原発や茨城県・東海村の東海原発は緊急停止後も正常に冷却を続行していたのです。

(2)数十分後に襲った大津波で冷却システムと緊急発電機が流されたり、海水をかぶって全ての冷却水が止まってしまったのです。女川原発と東海原発は津波対策のお陰で津波襲来後も冷却系統が動いていました。

(3)炉心高温化で残留水と燃料保護管のジルコニュウムが激しく反応して大量の水素ガスが出来て、その圧力で炉心圧力容器を更には原子炉格納容器のあちこちの小さな割れや損傷から沁み出して水素ガスが建屋内に充満したのです。

水素ガスが沁み出したということは放射能物質も水蒸気と一緒に格納容器に充満したという事になります。

(4)建屋内に充満した水素ガスが大爆発したのです。この衝撃の大きさは建屋の鉄筋コンクリートのコンクリートが粉々になって飛び散り、鉄骨だけがグニャグニャになった事から理解できます。この爆発の衝撃で、原子炉格納容器と炉心圧力容器に繋がっている数多くの配管や配線が繋ぎ目で壊れてしまったと想像出来ます。

この状態で、自衛隊と消防庁の献身的な注水で外部から冷却することに成功しました。しかし水素爆発で建屋内に充満していたヨウ素131やセシウム137が大量に空中に放散されたのです。

(5)格納容器に繋がる多くの配管や配線が繋ぎ目で壊れたので、大量の外部注水によって炉心からの放射能物質が原発工場敷地や各種のトンネル内に拡散したのです。今後、原発近辺で強い放射性物質がつぎつぎに発見されるでしょう。

(6)原発近辺で強い放射能が今後発見されても大局的には安心して良い状態です。ただし復旧作業をしている人々の安全を守り、間違っても特攻的な精神が入って来ないように充分注意すべきです。今後のマスコミ発表に一々驚いたり、不安に思う必要はありません。

さてこの記事の題目にあるように何処が壊れたのでしょうか?その理解の為に沸騰水型原子炉の図面をもう一度ご覧下さい。

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ここで原子力発電という事を離れて、高温や高圧を使ういろいろな石油精製や合成化学の工場での爆発・火災事故の過去の例を振り返って見ましょう。するとその大部分の原因は配管からの可燃性ガスが漏えいして工場建屋内に充満して爆発・炎上したことが原因になっています。

今回の福島原発の水素爆発も良く似た現象です。上の原子炉の炉心圧力容器と格納容器には図面には描いていない数十、いや数百の配管や配線が貫通しているのです。その付け根の部分が割れるのです。大きな容器に、それとは成分の違う合金製の配管を溶接で付けるのです。難しい技術です。その上、水素爆発の衝撃と応力は数多くの配管付け根に集中します。割れないとしたら奇跡です。

話は飛びますが、敦賀の新型原発の「もんじゅ」は熱交換に使用していた高温の液体ナトリュウムが漏れて、水蒸気爆発をして建屋の外へ放射能が漏れた事故でした。液体ナトリュウムが漏れた場所は温度測定用のステンレス管の付け根だったのです。今後、調査が進めば原子炉のいろいろな所の割れや損傷が見つかります。それをマスコミは大げさに取り上げるでしょうが驚いたり怖がったりする必要はないのです。そのような割れや損傷は初めの頃の水素爆発で、すでに出来ていたものなのです。問題は原発周辺や東北地方の放射能の強さを毎日見守ることです。幸いこれらは最近減る傾向を示しています。もう安心して良い状態へ収束しているようです。

今日は福島原発現場で復旧作業をしている方々の安全を心からお祈りいたします。間違っても特攻精神を発揮しないようにくれぐれもお願い致します。藤山杜人


地震・大津波・原発災害は第二次大戦の敗戦とは違う・・・東京以西は無傷

2011年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

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第二次世界大戦の敗戦の時は私は小学校3年生でした。敗戦後の日本は全国にわたって焼夷弾攻撃があり、文字通りの焼け野原になっていたのです。全国の国民は平等に酷い貧困と食料難で苦難の毎日でした。それが15年間位続いたのです。

今回の地震・大津波ではそれに匹敵するような損害が出ました。しかし東京と、そこから西日本は無傷で残ったのです。ですから敗戦の時に比べて全体的にはダメージが少なかったとも言えます。

しかし被害を受け、なにもかもが大津波で洗い流された地方と、無傷のままの地方では大きな不平等が生じてしまったのです。この不平等を克服し、皆が一致団結して復興に取り組む事を祈っています。

ここに昨年撮った日々谷公園の写真をお送りします。こんな平穏な公園の残った地方は東北地方の復興へ心を寄せ合って支援するようにと祈っています。

避難所の人々は現在、寒さにこごえ、食料が不足して不自由な生活を送っています。政府は早急に仮設住宅を建て、避難所暮らしを一刻も早く解消するようにと期待しています。全国の空き家へも移住出来るような自治体の斡旋も期待しています。

それにしてもボアンティアの活躍には胸が打たれています。兎に角、復興するまでは何年でも頑張りましょう!


ある原子力研究者の真摯な反省

2011年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム
将来、日本は原子力発電をどのようにするか?大問題です。落ち着いてからいろいろな視点から国民的議論があると信じています。
その一方で、今までの原子力関係者は原発の安全性について血みどろの努力をして来た事も歴史的な事実です。
私の大学の同級生のKT君は卒業と同時に日本原子力研究所へ入所し、若い頃は原子炉材料の腐食、損傷について基礎研究をしていました。管理職になってからは経済産業省の原子力関連のいろいろな委員会に参加し、原子力発電の安全に技術者としての立場から貢献してきました。現在は引退していますが、一生、原子力にかかわった来た研究者として、技術者として、今回の事故には深く考えているようです。メールの交換をしたり、電話で話し合って来ましたが、以下のメールをこのブログ上で公開することに同意してくれました。とても真摯な考えが書いてありますので必ずやご参考になると信じています。藤山杜人
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「ある原子力研究者の真摯な反省」
藤山さん

メールをたびたびありがとうございます。ブログを専門的な観点でチェックするようにとのメッセージも拝見しています。すぐさま反応できなかったことをお詫びします。

まず、貴兄のお考えや主張に同感しています。良識ある市民の声として貴重な努力と思いますし、進んで論議にコミットされる姿勢と情熱にも敬服します。ただ、ブログについては、貴兄が感じることを率直に書く、信ずることそのままを表明するのがよいと思います。

先日書いたような個人的な仲間内の談義は別として、少しでも公的な効果を持つ言動については、私自身の思いや立場は少し異なるものであるべきと自戒しています。はっきりいえば、起こっている現実について、原子力の研究・開発と安全行政支援の半世紀の過去を背負い、重い責任の意識があります。何かを言う前に、自身が批判を受ける姿勢でものを見なければならないと考えています。モタモタしている電力関係者や、歯切れの悪い役人たち、現場感覚ゼロに近い大学の先生、みな、かつて私の属した集団の一部であり、時には後進として教育までしたことのある人材も含まれていかねません。年長者として、おなかの中では「コラッ、シッカリセイ」という苛立ちと、「辛いだろうがなんとかがんばれ」という共感に近い気持ちが錯綜します。仮に、今彼らに何かいうことが出来るとすれば、「当面色々言われるだろが、急場においては本質的な解決にとってそれらは雑音にもなる、とにかく集中してベストを尽くしてくれ・・・、すべては、危機を乗り切ってから次の段階の知恵にしよう」というのが正直な気持ちです.

状況の推移や起こっている諸問題に対する自分なりの専門的な所見はもちろんあり、当然なくてはなりません。しかし、(先のメールにも書いたように、今はあの頼りないTV報道のみが情報源です)判断の根拠となる情報が不正確すぎて、自発的な意見を述べることはかえって誤りを増幅しかねません。したがって、責任の裏付け無しに専門家として意見を述べることには、躊躇があります。専門家ないしは専門的にわかる人間として発言することは<なにを言おうが>残念ながら当事者にも市民の側にも、所詮雑音のひとつにしかならない、あるいは返って有害になることもあるだろうことをおそれるからです。でも、ただ手をこまねいていいいとも思いません。

今、原子力研究開発機構(JAEA)の要請で旧原研OB会にボランティア組織が作られつつあります。これはこちらから事故対応当事者に向かって専門的な意見を述べるとか、何かを主張するのでなく、一般の市民からの具体的な不安や質問を受けて、真摯に、かつ丁寧に答えようとする活動を目指しています。これなら私でもなんとか協力できるだろうと考えています。

最後にきわめて個人的な呟きを語ります。反論歓迎です。

今日明日の現実の問題として、東日本に未曾有の多大な人的物的犠牲が出たことに注目します。〔市民として〕もっとも気にしなければならないのは津波そのものの犠牲者がすでに莫大であ利、被害は拡大しつつあることです。今この時間にも彼らが苦しんでいることを思うと、原発問題の推移は、相対的には“Journalistic Interests”の要素が強いと考えざるを得ません。所詮はお茶の間談義、想定外の巨大津波という点で共通してはいるものの、今集中して論じるには、これら互いに次元が違いすぎる気がします。よく考えてみると、行政や科学(地震学など)の責任は、原子力の技術や行政の誤算に比べてはるかに重く問われてもよいと思います。

日本原子力学会の行った活動について、このところ、学会誌を新潟地震の時点以降に注目して読み返して調べています。あの苦い経験以来、学会も産業界も原子力発電施設の地震対策にはずいぶん力をいれて来たと思いますが、その中に「津波のツの字もない」というのはどうしたことか? というのが私の率直な感慨です。原子力技術の方の問題無しというつもりはまったくありませんが、一方で、いくら工学的な知恵を働かせ、研究開発の努力を積み重ねても、地震学、あるいは地震・津波に関する自然科学の基本的な知識や情報が不正確、ないし、大きく狂っていれば、今度のような惨事は起こって当たり前だと思うのです。そうした真に冷静な観点でこの問題のどう向き合うかがわれら科学・技術の研究をなりわいとしてきたもの全体の責任感でなければならないとつくづく思います。私は「専門家面」が出来ないでいます。

また、よくある「なぜ徹底的な防護をしないのか?」というギモンはわかりますが、エネルギー機器、施設にかぎらず、すべての産業活動<工業を軸とする、そして農業も水産業も・・・>は、たとえ公益事業といえども、(多分軍事以外は)経済性の観点と切り離せないのが現実です。こういう言い方は誤解を招くのでいいたがらない人が多いのでしょうが、すべてのこうした営みにはさまざまな局面のリスクが伴い、それを安全,<裕度を含めて>の枠組みの中でどう勘案して、厳しいTrade-offの課題を解決していくかが問題の核心だと思います。原子力必用・不必要論はすでに半世紀に近い「血みどろ」ともいうべき論戦を経て、環境問題の認識を持つ世界の主要国の多くがGOの結論を出しています。それだけに今度の惨事は大きな論理上の打撃となりますが、論理だけでは軽々しい方向転換は出来ません。<火力にもどる云々は論外です>

夜が更けましたので、この辺で一服します。相手が貴兄なので、口に衣を着せずに勝手なことを吹きまくりました。ゴメンナサイ。今日やっとガス供給が始まって自宅の風呂に入れます。厳しい10日間でした。この今も、いやな余震が来ています。・・・・・・・

KT、ある原子力研究者より・・・・・・・ 


福島原発事故はやりきれない憂鬱な気分です・・・花々の写真で気分を良くします

2011年03月27日 | 写真

絶対、放射能は漏れないと叫びながら建設した福島原発でした。それが、毎日のように炉心圧力容器から漏れ出した放射性のセシウム137とヨウ素131が空中へ放散されているのです。人間の知恵の浅はかさを見て私も落ち込んでいます。憂鬱です。

直接、実害を受けている福島県の皆様へは言葉では表せないような深い同情を感じています。

美しい花々の写真でも見れば少しは心もなごむと思い写真を数枚お送りいたします。昨年の春に、山梨県、北杜市の甲斐駒山麓で撮ってきたものです。

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