後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
反対のご意見やコメントも歓迎します。

昭和天皇の全国行幸、昭和21年から29年

2008年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

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老人になると少年のころが無性に懐かしくなる。昭和11年に生まれたので、昭和天皇が懐かしい。

立川市の昭和記念公園の花みどり文化センターの中の昭和天皇記念館を訪れた。

展示はいろいろある。昭和21年から29年にわたる全国の津々浦々へ行幸なさったたときの白黒写真のスライドが大写し画面で、ゆっくりと流れる。筆者が住んでいた仙台市へいらした時のもある。小学6年生の秋であった。小旗を振ってお迎えした。展示のスライドは全国各地の人々の群れに囲まれた天皇のお姿が映っている。みな貧しげな服装であるが、顔が明るく輝いている。

この時ほど昭和天皇を身近に感じたことが無い。全国の都道府県をすべて巡幸された。沖縄県以外は。

沖縄では基地反対運動などで騒然とした時代が長く続く。そんな中で天皇の訪問は政治的に慎重にならざる得ない。ついに 昭和62年、沖縄国体の時、沖縄訪問の予定が決定する。しかし残念にもご病気で取り止めになる。

その時、代理でいらした皇太子に託した沖縄県民への手紙も展示してある。沖縄上陸作戦に民間人が巻き込まれ、悲惨な地上戦が3ケ月も続いた。そんな沖縄への切々たるお気持ちがあふれた文章である。人間性豊かな天皇であった。終世、沖縄訪問を願いつつ果たせなかった。

また展示室右手上には6枚の大型液晶画面があり87年のご生涯の映像が出る。

晩年にテレビ記者と会見したときのお元気な御声をかなり長時間聞くことができる。これは係の人に申し出て、是非お見逃しなく。

展示室の中央には昭和10年から52年までご愛用になられた箱形ベンツ乗用車が磨きあげて飾ってある。たびたび新聞写真でみた懐かしい乗用車です。

館内は撮影禁止なので入口のドアーと受付のところの2枚の写真以外は記念館のホームページ、http://www.f-showa.or.jp から引用しました。 下の列の左から2枚目は87年のご生涯の折々のお写真、3枚目は生物研究室の様子、4枚目は公務用の机、5枚目は昭和3年のご即位の折の行列の一部の様子です。

撮影日時;7月31日午前11時頃 (終わり)

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たまにはパスタを、

2008年07月31日 | 食・レシピ

026_2 暑い日が続きますね。毎日、昼食は冷たいソーメンに天麩羅少々。でも、たまにはパスタが食したくなる。

駐車場が日陰で、並木の見えるお店へ行ってきました。(昨日の写真で、2人分です)

昼食は簡便なパスタをどうぞ。(終わり)

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外国体験のいろいろ(58)間違った作品も大歓迎のアメリカ文化

2008年07月31日 | 旅行記

日本ではどんな分野でも正当的な作品だけが尊重され、間違っている作品は厳しく拒否される傾向があります。間違いに目くじらを立て、許さないのです。でも間違いの作品の中に何か貴重なものがある場合も有ります。間違いを検討し、許す寛容性に欠ける文化と言えば言い過ぎでしょうか?
 
◆間違った論文が印刷公表される
 実験をして、その結果にもとづいて論文を書く。これが日本の大学の理工系の研究の主な研究方法です。ごく少数の研究者のみが実験抜きで理論だけで論文を書きます。しかし一生の間に一つくらいは実験をしないで理論だけで論文を書いてみたい。
 1980年に「溶融した化合物の伝熱、電気伝導、イオン移動の関係」についての理論的な論文を書いてアメリカの学会誌へ投稿しました。印刷公表される前に厳重な審査があるので有名な学会誌です。しばらくして審査結果が返ってきました。
 「この論文は非常に重要な問題を提案している。しかしその解答の数式には大きな間違いがある。新しい重要な問題を提案しているので、この論文は訂正なしでも即刻印刷公表すべし」
 その後いくら検討しても数式の間違いは見つからない。訂正なしで返送した。普通は掲載の順番待ちで6ケ月後くらいに印刷公表される学会誌が、まさしく即刻、翌月に訂正なしのまま掲載した。数式の間違いを自分で見つけたのは3年後。
 どの学会誌でも審査員は匿名である。審査結果に感動して学会誌の事務局へ手紙を送った、「非常に公平な審査結果を頂いたので審査員へ御礼の手紙を出したいので、住所・氏名を教えてください」
 クリーブランドにある大学のクレーガー教授であった。さすがに有名教授。「審査結果が素晴らしかった、感動したのでお礼状を差し上げます」と、航空便を送る。
 教授からは感謝してもらってうれしいという一行の返事がきた。その後、一度は会ってみたいと思ったがチャンスが無いまま何年かが過ぎた。
 ◆日本の学会誌の論文審査は全く異質
 日本の学会誌とアメリカの学会誌へ数多くの論文を投稿してみると審査の基準が全く違うことに驚く。日本の審査基準はまず、実験が精密に行われているか? その次に関係分野の過去の外国の論文を漏らさず読んで理解しているか? そして解答に少しの間違いも無いか?の3点に重点が置かれる。他の審査項目もあるがこの三点が重要視される。
 実験の精密さは研究者の実験技能による。職人としての技能の優劣である。関係の内外の論文を細大漏らさず読んでいるか否か?これは広範な知識の有無の審査であり研究の独創性とは無縁のことである。
 最後に解答の中のささいな間違いも許さない。小さな間違いでもあると、即刻、論文を却下する。取り上げている問題の重要性など考えない。大学の入学試験を始めとする日本の試験の採点方法と完全に一致している。受験戦争に勝った育った日本人研究者からは自然に支持される。誰も不思議に思わない。
 アメリカの学会誌の審査基準は、まずある分野の研究にとって新しい重要な問題を提案しているか? それを証明する理論的方法や実験方法が独創的であるか? 論文の結論として、どんな自然現象がどの程度に予測可能であるか? という3点が重要な審査基準になっている。もちろん、審査項目は他にも数個あるがこの三点が重視される。
 問題の提案の内容は新しい問題であることはもちろんであるが、もう一つその問題が関係する自然現象の解明にとって本当に重要であるか否かも慎重に審査される。
 アメリカの学会誌の投稿論文の審査基準は、提案されている問題の創造性・重要性、理論的解答方法や実験方法の独創性、そして自然現象の予測の可能性の三点が重要である。
 日本の学会誌の審査基準とは全く異質のものであることが明白である。
 「本来、人間の持っている独自の考えかた、独創性」は黄色人種も黒人も白人も同じである。が、それを発揮しやすい社会制度の有無や教育制度・内容によって大きな相違が生じる。文化の相違である。
 どちらが良いかはそれぞれの民族の自由であるが、独創性の違いの由来はお互いに良く
理解して置くことが重要ではなかろうか?
 ◆10年後にクレーガー教授に会う
 クレーガー教授に一度は会ってみたいと思いつつ、チャンスが無いまま年月が過ぎた。しかし、ついに十年後の1990年に、オハイオ州立大学で会えた。クリーブランドの大学を引退しオハイオの大学の客員教授で夏の三カ月だけ来ていたのだ。自己紹介の後、「クレーガー先生、1980年に私の投稿論文の審査をしてくれたのを憶えていらっしゃいますか?」「ああ、良く憶えているよ。審査結果に感動してお礼状をくれたので特に憶えているよ」「日本では見られないような審査結果でしたので感動したのです」「そうですか?あの審査結果の報告の形式はアメリカでは普通で、アメリカ人からはお礼状なんて来ません」
 聞けばオハイオでは小さな論文を一つだけ書けば良いので毎日ゴルフに行っているとのこと。ただ車が無いのでタクシーで通ってるという。
 すぐに送り迎えを申し出て三回ほどゴルフ場へ通う。四回目に、「勤務時間中に来てもらうのはやはり遠慮するよ」と丁重に断られる。あれ以来会っていないが永年の借りを返せたようで何か気持ちが良い。独創性のことを考える度にクレーガー教授のことを思い出す。
(この稿の終わり)

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宮沢賢治の作品を朗読で楽しもう!

2008年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

最近はブログの記事を書く合間によく他のブログを拝見しています。今日は質の高い朗読を発見したのでご紹介します。ブログのオーナーのmika さんは劇団ひまわり の子役から始まったプロの演劇人です。最近、宮沢賢治の「永訣の朝」と「松の針」の朗読を公開しておいでです。 http://koto-dama.cocolog-nifty.com/blog/ を是非あけて朗読をお聞き下さい。 賢治の作品には方言が混じっていて読みにくいのですが、この朗読は明解です。宮沢賢治の作品に込められている気持ちが感動的に伝わって来ます。

宮沢賢治の作品には彼の祈りがいろいろな形でこめられていて、その芸術性を深めています。

なおクライマーズハイという映画の感想文の付録に「見上げてご覧、夜の星を~・・・」の歌があります。坂本九ちゃんの活き活きとした童顔が生き返って歌っています。

印象的な朗読の他に、動画や歌があります。

ブログは実に多種多様ですが、音声を主にしたブログは珍しいだけでなく、その質の高さに感動しましたので、ここでご紹介します。(終わり)

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このブログへコメントをくれる高山氏の重要性

2008年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

高山さんという方が、このブログへ何時もコメントを下さいます。いつの間にかこのブログの共同制作者のように感じるようになりました。

何故そんな気分になるか?理由は2つです。

(1)拙文へ毎回、必ずコメントを下さいます。

このブログでは、自分の独自の意見を下手な文章で発表しています。くどくどしい長文になっています。それを全て精読して下さり、必ずコメントを投稿してくれる人が存在する。これほど励みになることは有りません。

高山さんの存在のお陰で、「コメントはくれないでも精読してくださる方々も必ず居る!」という確信が持てるようになりました。高山さんと毎回精読して下さる方々へ深く感謝しています。

(2)もう一つの高山さんの重要性。

それは小生の記事の不完全な部分を補足し、さらに内容をより豊かに展開してくれることです。

最近の例では、宮澤賢治の「注文の多い料理店」のモデルになったレストランを幾つか教えてくれました。さっそく調べて比較してみました。その作業が楽しいのです。

・・・・高山さんの文章の一部・・・・・

注文の多い料理店のモデルは、アメ横上野駅よりの今はない洋食屋さんのお店の造作だとか、花巻のレストラン精養軒だとか、中村屋だとか諸説あるようです。・・・・・・・・・・
 
そこで、小生はもう一度、賢治の文章をみてみました:・・・・・・・「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」「喰べたいもんだなあ。」

二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。

その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。そして玄関には「西洋料理店」山猫軒という札がでていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そこで色々検索してみて、岩手県の花巻市に近い、ある山の峠を越えた山村に中村家の西洋館が現存していて、それの探訪記事と写真がhttp://www.i-hatov.com/nakamurake.html に紹介してあるのを見つけました。

この西洋館がモデルになったという確証は有りません。

でも原文では、山の中に忽然と現れた西洋館と描いてありますので、どうもこの中村家の西洋館のように思われるのですが。

この探訪記事を書いた方は女性のようです。現在の当主の中村さんとの会話が読んで楽しいのです。

モデルになった西洋館の過去、現在の写真もあります。

宮澤賢治がその周囲の山村を散策してるようすも想像できます。

このように高山さんのコメントは、小生の記事をより豊かに展開してくれます。

皆様も是非コメント欄をご覧下さいますようにお願い致します。(終わり)

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外国体験のいろいろ(57)アメリカのプロ野球の楽しみ方

2008年07月30日 | 旅行記

日本でも「スポーツ観戦」へ行く人はご承知とは思います。しかしそんな経験のない方々に御読み頂くと応援席で何が起きているか?そして応援席の重要性が理解できると思います。オハイオ州での十余年まえの古い話ですが。        

@球場へ行く前にまずキャッチボールを

共同研究をしていたオハイオのラップ教授がマイナーリーグの見物へ誘ってくれた。

「午後は野球を見に行くが一緒にどうだ?」「暇だから御願いします」「それなら裏庭で

キャッチボールをしよう」「何故?」「今日はフアール・ボールがいっぱい飛んでくる一塁側のスタンド席を取ったから、グラブ持参でそれを取るのさ」「フエンスがあるから飛んで来ないと思いますよ」「低いフエンスがあるがフアールが飛び込むのさ。取ったボールはお土産になるよ」兎に角裏庭で久しぶりにキャッチボールをする羽目になる。

「ラップさん、そんな癖の悪い球ばかり投げてよこさないでよ」「フアール・ボールっていつも切れているから回転してカーブしながら飛んで来る。チャント掴まないと中学生や高校生に横取りされてしまうよ」「競争相手は中学生や子供ですか?」「そうさ。

奴等はすばしこいから球をこぼしたら即座に拾われるのさ。しっかり掴めよ」

グローブを3ケ持ってラップ教授夫妻と3人で球場へ乗り込む。

        @緊張してフアールやホームランを待つ観客席

なるほど内野のフエンスは高さが1m位しかない。周りの観客の半分くらいはグローブを持っている。外野席ではホームランを掴むためのグローブを持っている観客が見える。

「ラップさん。グローブを持っていない人は危ないじゃない?」「男は被っている野球帽で受けるし、女はハンドバックで球を避けるのさ。怪我したら本人の責任で、球場側や野球選手には一切責任が無い。それがプロ野球見物の条件さ」

やがてプレーボール。投手がたて続けに投げ込む。「ラップさん。日本では1球、1球慎重に投げるよ。キャッチャーのサインは見ているの?」「スポーツは何でもスピードが命。

のろのろ投げていたら面白くなくなるのよ」「分かった。賛成だね。しかしフエンスが低すぎて怖いよ」「怖いから皆が投球や打球から目を離さない。観客全員が集中して野球に参加しているような気分になるのさ」ライナー性のフアールが怖くて打球から目を離せない。次第に球場全体に一体感が育ち応援の声が合唱のようになる。何故か分からないが、自分も陶酔感に溶け込んで皆と一緒に野球を楽しむ。

         @応援の練習から始まるバスケットボール観戦

いつも上品に小さな声で話すセムラー教授が「今日、オハイオ州立大学の天下分け目になる試合を見に行かない?」と誘ってくれた。バスケットの大学リーグではいつも上位で有名な大学である。「ところでゴトーさんは応援の英語を知っていますか?」「日本の学校では教えないので想像もつかないです」「それなら教えますよ。オハイオが良いプレイをしたら周りの人に合わせて、Go!Go!と叫べば良い。拙いプレイをしたら、Boo,Booと騒げば良いのさ」「分かりました。ゴー、ゴーとブー、ブーですね」「何か発音が変だが、まあいいよ」行った室内球場は既に超満員。やがて試合が始まる。いつもは紳士で静かに話すセムラー教授が野蛮な大声を上げて叫んでいる。隣の小生も小さな声で「ゴーゴーとかブーブー」と叫んでみる。すると途端に何が良いプレイで何が悪いプレイか理解出来る。

バスケットの試合の内容が体でわかり昂奮して来る。なるほど応援で大声を上げるのが

スポーツ観戦の醍醐味だと分かる。試合後「セムラー先生、応援の時なにか分からないことをいっぱい叫んでいましたね。どんな内容です?」「いやあ、参ったな。とても説明できないような下品な英語だよ。君には教えられないよ。勘弁してくれ」

スポーツを輸入するとき、そのルールや競技規則、そして運営組織は容易に輸入出来る。

しかし観客の楽しみ方はその国の特有の文化に密着していて輸入が難しい。スポーツの面白さを半減して輸入しても普及しない場合も多い。

明治維新以来、政治、経済、産業、教育、そしてスポーツなど全てを欧米から輸入してきた日本がその重要な部分を輸入していない場合もあつ。目に見えにくい側面を理解すれば西洋のことがもう少し分かる。中国や韓国、そしてアジア諸国との交流においても同じである。目に見えない部分を理解する努力が重要ではなかろうか。

(下の挿絵は、長嶋さんと同世代の家人が載せてほしいと申しますので・・・・)

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町の夕焼け空

2008年07月29日 | 写真

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夕焼け空が綺麗なので近所を歩きまわりながら数枚撮ってきました。町なので建物や電線が邪魔になり空を大きく撮れないのが残念でした。撮影日時:7月28日午後6時から7時、撮影場所:東京都小金井市内、撮影者:Mrs.藤山

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ウナギの蒲焼とライン河

2008年07月29日 | 食・レシピ

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土用丑の日の頃になるとウナギの蒲焼を食べることが多くなる。ところでウナギの蒲焼を活きウナギから自分で作れるであろうか?

1969年11月にドイツのスツットガルト市に住み着いて、よく農民市場で野菜を買っていた。ある日、生きたウナギを水槽に入れ売っているではないか?ライン河で取れた天然ウナギだ。売っている人に料理法を聞く。ブツ切りにしてウナギのスープ(アールズッペ)にするか塩味の燻製にして食べろと教えてくれる。

日本のウナギの2倍くらい太いものを一匹買いカバヤキを作ることにする。せっかくなので日本人の男性を招待し、カバヤキでドイツビールを楽しむ会をすることにした。

ところが料理が一向に進まない。まず頭を取っても胴体が動いて一本のまま裂いて2枚に下ろせない。

そこで、20cmくらいのブツ切りにして、完全に動かなくなってから2枚に裂いた。しかしウナギの背骨は3角形で切り出せない。2枚下ろしのまま蒸して身を固める。

そうすると竹串が打てる。竹串はデパートで売っていた。串を打ったあとは蒲焼にする。醤油、ミリン、砂糖を混ぜウナギに漬け、耐熱皿に載せてオーブンで焼く。

何度もタレをつけ、ひっくり返しながらオーブンで丁寧に焼き上げる。タレが焦げて台所中にウナギの蒲焼の匂いが充満する。お客が「いい匂いですねー」と台所を覗きにくる。オーブンを開けて、誇らしげにウンチクをかたむける。

いよいよカバヤキ・ビールパーティーの開始。焦げ目のついた分厚いカバヤキを数枚大皿に盛り付けて運ぶ。串はついたままにする。雰囲気を盛り上げるために。

琥珀色のビールをなみなみと注いで、ライン河の天然ウナギのために乾杯!

カバヤキを自分の皿に取り、串を抜いて食べはじめる。ところが不味い!生臭くて、泥臭くて食べられない。でもせっかく苦労したので一串は食べた。死ぬ思いで。

生臭いだけでなく、小骨が縦横無尽に入っていて食べ難い。お客は礼儀上、「うん、これはいける!」などと言ってくれる。でも顔があまりにもの不味さ、生臭さで歪んでいる。泣きそうな顔にも見える。「止めましょう! 今、チーズを色々持って来ますから」

あれ以来茫々39年の経つが、スーパーでウナギの蒲焼を見るたびにライン河のウナギと格闘したこと、生臭かったことを思い出す。カバヤキの価格の大部分は料理の技術料金だな、と深く納得する。上の写真は6月1日に諏訪湖のウナギの記事で紹介した、うな藤のカバヤキです。カバヤキが上手に出来ています。見て美味しそう。食べて、本当に美味しい。そのように作れるのは日本の伝統文化です。素人は作ろうなどど考えないで下さい。(終わり)

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田舎暮らしの困難さ

2008年07月28日 | うんちく・小ネタ

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(左は鬼家山荘で右は筆者の「山林の中の小屋」。夏の樹木に囲まれた様子)

このグログの指導者の鬼家雅雄さんが最近以下の記事をご自分のブログで発表されています。まずご一読下さい。

=========鬼家さんの記事============

私は横浜生まれの横浜育ちですが、自然に憧れて30年前に土地を買い自分で小さな家を建てました。
皆さんの中にも、定年後は田舎に土地を買い、家を建てて畑で野菜を作り、
・・・自然の中で楽しい生活を夢見ている方もいると思います。
しかし最近田舎暮らしを止めて、近所から引越して行った夫婦が3組居ます。彼らも自然に憧れ、夢を持って、この田舎に来たのだと思います。
でも、現実はそれほど甘くはありません。夫婦が健康なうちは良いのですがどちらかが病気になると最悪です。
特に、自動車の運転できる方が病気になると、田舎では生活できなくなります。
そして、夢をみた田舎暮らしも数年後には撤退することになりかねません。
定年後、田舎に住むことの難しさを見せ付けられている近頃です。

また、住みにくいこともあります。住民が老人ばかりの田舎に越してきますと、健康保険税、介護保険料など都会と違いましたもの凄く高くてびっくりします。
一人暮らしの老人についても、市は台帳の上では把握していましても、何処に住んでいるのかまでは把握していないようです。
私も後何ヵ月後に70歳になりますが、多分70歳になっても福祉関係の方は訪ねてこないと思います。
地震、台風などの災害時にも北杜市は何もしてくれないでしょうね。
閉局したアマチュア無線局の再開も考えています。

====前文を省略し、語句を少し変えました。すみません=======

小生も鬼家さんの山荘より奥の山林の中に小屋を持っていて時々泊まりにゆきます。生活の厳しさが想像以上です。何時も2泊、3泊で、大げさに言えば、命からがら逃げ帰ってきます。

小屋に着いたあと数時間は自然の美しさ、清流の眺めで感動しますが、一夜明けるとなにか疲れがたまります。電気はあるのですが、夏の樹木に囲まれていると漆黒の夜が怖いのです。隣の鬼家山荘までは真っ暗な林の中を数百メートルも手探りで行かねばなりません。

そのような所に独りでゆうゆうと定住している鬼家雅雄さんの勇気と明るさに感心しています。

田舎暮らしを計画中の方々は慎重にしましょう。一般的には田舎暮らしの雑誌や本を読んで楽しむだけがお勧めです。(終わり)

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ロシアの戦死者2450万人を忘れないようにしよう

2008年07月28日 | 国際・政治

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(鎮魂のため白い槿の花を供えます 

日本では第二次大戦の豪華な写真集や総合的な記録の豪華本が良く出版されます。しかしその編集があまりにも日本の関わった戦争にばかりに集中し、世界全体で何が起きたかという視点が無さすぎると思います。

良く売れる豪華写真集は「如何に日本が華々しく戦ったか」そして「アメリカの沖縄上陸、本土焼滅爆撃の悲惨」という2つの視点のものが大多数です。しかも日本の素晴らしい戦果のページが多いのです。しかし、日本と枢軸同盟を結んでいたドイツが何をして、どのように負けたかの情報が全然付いていないのです。

ドイツがロシアへ進撃し、優秀な人間や若者の民間人を選んで1000万人銃殺した事実を日本人はあまり知っていません。この話をすると驚く人が多いのです。

第二次大戦でロシアの戦死者は1450万人。民間人の1000万人と合計すると2450万人です。これに対してドイツの戦死者は280万人、民間人の死者が230万人で合計510万人です。

戦争に勝ったロシアが2450万人死に、負けたドイツが510万人死にました。これらの数字は正確には調べようもありません。(ここで用いた死者の数の出典:http://www.geocities.jp/wdbkwy/wdyhmfwys29.html これには日本の戦死者数もでている)

日本ではドイツによる、「ユダヤ人の大量殺戮」のみがよく取り上げられますが、ロシアの民間人の大量殺戮もしたのです。その事を忘れては、歴史を理解する場合の公平性に欠けると思います。

ドイツと同盟した日本がシベリアの脅威になっていたのは事実です。そのお陰で、ドイツの侵入・殺戮を容易にしたと考えるのは自然なことです。日本の枢軸同盟のお陰で多数のロシア人が殺されたとロシア人は思っているでしょう。

シベリア抑留は日本人もドイツ人もやられました。ドイツ人のほうが多数で過酷であったそうです。

何故シベリア抑留が起きたか論理的に考える必要があります。

シベリア抑留は無理無体、無法の極み!残酷なロシアの政策!と、いくら非難しても足りないと思います。全くけしからん話です。

また戦後ロシアが頑なに鉄のカーテンを張り廻らせ東西間に緊張が続きました。

しかし、抑留も鉄のカーテンもみな2450万人の死者が原因の一つです。

共産主義は間違っています。でもロシアの冷酷な政策は2450万人の死者を忘れては理解出来ません。

こんな暗い、悲惨な人間の歴史の話の最後に、実に明るい話をご紹介します。

元日本兵の木内信夫さんがシベリア抑留中に描いたスケッチ風の絵画集がインターネットで世界中へ公開されています。http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htmです。

数ヶ国語の翻訳つきです。いろいろな国の人々から感動したという投稿が英語であります。絵画の主題は人々の友情や抑留生活中のユーモアある風景が多いのです。極限状態でも人間を信じ、ユーモアを忘れない木内信夫さんの勇気にみな感動してコメントを送るのです。ロシア人の謝罪と戦争反対のコメントはせつせつとして心にしみます。人類の善意と相互理解の可能性を信じ、明るい気持ちで筆を置きます。(終わり)

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キリストの教えを一言で言えば・・・

2008年07月27日 | うんちく・小ネタ

008 お釈迦様の教えを一言で言えば「色即是空、空即是色」と思います。ではイエス様の教えを一言でいうとどうなるでしょう?教えがいろいろ書かれた福音書全体を一言で表すことは難しいことです。しかし自分にとって一番印象深い言葉は?と云えば答えは簡単です。「汝の敵を愛せよ」です。しかし、人間にはこんなことは出来ない。ですからキリスト教は荒唐無稽な教えを強要しているように思われがちです。それで日本人はキリスト教へ距離感を持ってしまうのでしょう。

(上の写真は挿絵で今回の話とは関係有りません。カトリックの山本量太郎神父さまです)

「汝の敵を愛せよ!」を「汝の敵の気持ちを考えてみよう」と読み替えると、誰にでも実行出来ます。

1969年に、ドイツの共同研究者のP博士から聞いた話をご紹介したいと思います。

第二次大戦中、東ドイツの村にP博士が住んでいました。ロシア兵がその村を占領したとき村民全員を殺したそうです。命からがら逃げられたのは数百人中P博士独りでした。両親、兄弟、親類の全員が殺されたそうです。私が、それは大変なことですね。ロシア人を怨んで、憎いと思っているでしょう。と言いました。P博士は静かに目を伏せて言います、「ドイツ軍が電撃作戦でポーランドの国境を越え、ロシア領に攻め込んだとき、1000万人のロシア人を殺しました。それも若い男性や優秀な人を選んで。ロシアが二度と立ち上がれないように!」、そして祈るように眼をつぶりました。

会話はそれきりで、2度とこの話題を話し合うことは有りませんでした。P博士は敵を愛していたとは言えません。しかし敵の気持ちを理解しようとしていたのは確かです。この程度でイエス様は許して下さるかは分かりません。でも一歩近づこうと努力していることは確かです。

「汝の敵を愛せよ」は努力の方向を示しています。と理解すれば気楽になります。宗教は堅苦しい人生を強要していません。その逆です。そう考えると洗礼も在家出家にもあまり距離感を持つ必要がないと思います。(続く)

追記:上記の文章に対して、zebra1192 さんと、mugi さんから真摯な、そして考えさせられるコメントを頂きました。筆者の文章は、(人間が宗教を正しく理解しているかぎり)宗教へ好意的、あるいは肯定的に書かれています。しかしご両名のコメントは反対のようです。是非合わせてお読み、お考え頂ければうれしく思います。特にmugi さんは「トーキング・マイノリティ」というブログを展開して居られます。http://blog.goo.ne.jp/mugi411/ おもにインド・中東の歴史や宗教に該博な知識と独自の見解をお持ちです。合わせてこのブログもご覧下さい。

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残照の美しさ

2008年07月27日 | 写真

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残照の山々と空の美しさを写した写真を11枚ご紹介します。夏山の涼しい夕風が頬をなで、カナカナ蝉が空の色の変化に合わせるように合唱しています。

そんな時間が流れる高原をご想像しながらご覧下さい。(写真が上手ならこのような余計な説明は不要ですが・・・)

撮影日時:7月19日午後6時から7時、撮影場所:山梨県北杜市横手と白州地区、撮影者:Mrs.Fujiyama

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風の盆

2008年07月26日 | 旅行記

Owara_2007 Owara_2006

(上の2枚はhttp://www.city.toyama.toyama.jp/yatsuo/nourin/owara/ より引用)

今年も盆踊りの季節がめぐって来た。盆踊りは元来、帰ってきた先祖の霊魂を慰めるために始まったという。それにしては騒々しすぎないだろうか?

ところが数年前に見た富山県八尾の「風の盆」は静かで優雅。

帰ってきた先祖の霊魂を慰めようとする踊り手の気持ちが心に伝わる。所作が上品で、ゆっくりした音曲が八尾の町並みを流れる。胡弓の寂しげな音色。女は笠を深くかぶり決して顔を見せない。なんというつつましさだろう。姿が楚々として美しい。男は飽くまでもいさぎよい。

町の家々は軒の低い昔風の造り。人々は明かりを消して引きこんでいる。観光客だけが踊りの列を囲んでいる。誰も声を上げない。静かだ。

010駐車場は町の外の川沿いにある。観光客は高台にある八尾の町へ登って行く。この写真のように夏の夕風にゆれる街灯の列の下をゆっくりと。風の盆を以前に見た人々が混じっているのか歩き方がもう優雅になっている。帰りにこの坂を下る人々は一層静かに歩く (終わり)

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外国体験のいろいろ(56)人脈やコネを忌み嫌うアメリカ社会の倫理性

2008年07月26日 | 旅行記

就職や転職の場合、以前はコネや人脈を使うことが多かった。しかし最近の日本では転職支援の専門会社やインターネット転職情報があり、コネや人脈に頼らなくなって来た。誰にでも公平にチャンスを与えている。若者の転職の仕方は以前より倫理的な意味で前進したと思う。嬉しく思う。

しかし、アメリカ社会では昔から機会均等、努力すればチャンスはいつでも有る。コネや人脈を使うのは卑怯なことだ。そんな社会倫理がある。アメリカ社会にも暗部はいくらでもある。でも、以下のような体験は、現在の若者にも参考になるに違いない。若い方々のコメントを頂ければ幸いです。
 ◆黒人軍曹に教わった留学の方法
 1959年、仙台の郊外の八木山に進駐軍が通信用のアンテナを立てる。山林の伐採、整地作業を20人ほどの日本人が行う。現場監督はひとりの黒人軍曹である。通訳として3日間働いた。作業をしない軍曹と通訳は暇である。
 「キージンガー軍曹さん、アメリカへ留学したいがお金も無いし、方法も知らないし、どうしたら良いのでしょう?」「私も来年除隊して大学へ行くよ。理工学系の大学院では月謝と生活費を出しているのが普通だよ」
 「どうすれば留学先を探せるのですか?」「簡単さ、行きたい大学の教授に手紙をだすのさ。何を研究したいか明快に書くことが肝心だよ」
 「誰かそのような教授を紹介してくださいませんか?」「アメリカでは紹介無しで直接手紙を出した方が真面目に検討してくれるよ」
 数学が得意だという黒人の青年が目を輝かせ、自信に満ちて教えてくれた。学会誌で調べ、アメリカ人教授10人へ航空便を送る。3人から月謝と生活費を出してあげると返事がくる。3人からは丁寧な断り状。あとの4人はナシのつぶて。
 1960年、オハイオ州立大学のセント・ピエール教授のところへ行くことになった。しばらくして親しくなってから教授が言う。
 「インドや台湾、日本からの推薦状はウソが多くて困ったものです」「推薦状では褒め言葉だけを書くという文化なのです。それは仕方ないのです」。弁護したが分かってもらえない。
 ◆月給と研究費は自分で稼げ
 後にこのセント・ピエール教授がオハイオの材料科学の学科主任になった。1988年に客員教授として呼んでくれた。着任した最初の日に主任が言う。
 「一年間、月給は10ケ月だけ出します。2ケ月は休むなり働くなり自由にしてください。最初の一年の研究費は学科で出します。しかし二年目からは自分の月給と研究費は外部の会社や軍隊の研究所から貰って来てください」「先生、そんなことは無理です。アメリカでは人脈も無いので一年以内に外部から研究費など持って来られません」。
 セント・ピエール教授の目が静かな怒りでキラリと光り、筆者の顔を見つめながら言う。
 「古い人間的なつながりを利用して経済的な利益を得ようとしてはいけない。その考えが社会を腐敗させるのです。研究費を貰うには人脈やコネを使ってはいけません。将来の研究計画をきちんと書いて先方に送り、会う約束を取り付けて自分の研究がなぜ先方の役に立つか明瞭に説明して研究費を貰いなさい。」「手紙を送る相手の名前も住所も知らないし、昔の友人に頼んでもいけないのですか?」
 「君の研究内容に興味を持ちそうな人の名前と住所はあとで沢山教えるよ。しかし友人を使うのは止めなさい。自分の経済的利益の為に友人を使えばアメリカでは友人がいなくなりますよ」「人脈やコネが重要な国は良くないとおっしゃるのですね?」「いや、そのような文化の国も尊重します。でもアメリカは違うのです。いつも新鮮でダイナミックな社会を維持するにはアメリカでは人脈を排除しているだけなのです」
 ◆日本での就職・転職先の探し方がどのように変化したか?
 就職・転職先はどのようにして探すか?人生の一大事。
その方法がその国の文化の性質を浮き彫りにしている。両親や学校の先生に頼る。人脈やコネを使う。それが望ましい方法であると周りの人が言う。社会からも歓迎される。

第2次大戦後のしばらくは人脈やコネの重要さが戦前とあまり違わない。第2次大戦後、日本で軍隊は無くなったが、人間関係はあまり変わらなかった。
 和魂洋才を大切にして、工業技術のみ追いつき追い越せ。こんな風潮がなかったと言えばうそになる。
 しかし1990年前後のバブル経済の崩壊によってこんな日本の文化も変り出した。特にインターネットの普及が文化の変質を加速する。就職情報、転職情報がインターネットで隆盛を極める。その勢いは人脈やコネという言葉を廃語にする。
 ある人々は非常に淋しい思いでそんな変化を嘆いている。しかし、社会の公平性の前進という視点でみれば良いことではないだろうか?

就職・転職の仕方が変わったから日本の伝統文化も無くなるという議論は浅薄すぎると思う。

21世紀の日本文化の独自性は何か、老人も若者も一緒に議論出来れば良いと思う。 (続く)

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懐かしい夏の花ーノウゼンカズラ、キキョウ、ギボシ、ヒマワリなどー

2008年07月26日 | 写真

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都会の花屋さんでは色鮮やかな新品種の花が次々と売り出され、昔風の懐かしい花々はあまり見かけません。でも、「山林の中の小屋」の近辺には相変わらず澄んだ色合いで静かに咲いています。山近い高原なので空気も汚れていません。

ノウゼンカズラ、ギボシ、キキョウなどの写真をお楽しみ頂けたら嬉しいです。

花の好きな小母さんの民宿を久しぶりに訪ね、撮らせてもらいました。1973年に山林の中に小屋を作ったとき、村の人々と別荘の人々が交流会をした民宿です。

小母さんは相変わらず元気で、花々をたくさん咲かせ、民宿を続けているそうです。

ご主人は短角黒毛和牛の育成の名人で何度も優等賞をとった人でした。香りの良い牛肉の美味しいスキヤキをご馳走になりました。お元気でしたが、年老いて牛の飼育は止めていました。年々歳々、花は同じですが、人は老いゆきますね。(終わり)

撮影日時:7月20日午前10時前後、撮影場所:山梨県北杜市真原地区にて

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