後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教の宗派間の争いはありません

2010年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は小金井市にある10の宗派の違う教会が一緒に集まり、お祈りをする会がありました。午後2時30分から1時間、カトリック小金井教会で山本量太郎神父様の司式で行われました。21世紀はキリスト教の分裂ではなく、協力と統一の世紀にすべきという山本神父様の力強い説教がありました。ヨハネ・パウロ2世が目指した緒宗派の統一運動です。小金井市にはプロテスタント系など、10以上の教会がありますが、その中の10教会の牧師様と信者が一堂に集まったのです。このような事は小金井の歴史上で初めてのことです。

このブログでは佛教やキリスト教のことをいろいろな角度から書いてきました。そこで今日も宗派の違う教会の牧師様や信者が集まったらどういうふうになるか興味がありました。もっとありていに言えば興味本位の取材のつもりで出かけました。

ところが、そんなことを忘れるほど感動してしまいました。集まった人々が一緒に讃美歌を歌うときの嬉しそうな声が会堂に響きます。兎に角、身が踊るほど楽しかったのです。

楽しかった理由を、雑な喩え話で説明します。田舎の実家へ何年ぶりかで帰ります。夜に幼馴染や親しかった親類の人々が集まってきます。自然にお酒を飲み始めます。昔話を賑やかにします。昔よく唄った歌や民謡を一緒に歌います。毎日働いている都会での悲しみや苦労がスッかり忘れてしまいます。昔の楽しい日々に還るのです。

宗派の違うキリスト信者と一緒にお祈りをするとこのような昔から親しかった人々と一緒に宴を囲むような楽しさが身を包むのです。都会で働くときの何とない肩身の狭さが無くなるのです。そうです。キリスト教信者は昔からの馴染みだったのです。昔から親しかった幼馴染だったのです。不覚にも思わず涙がこぼれそうになりました。

以前からキリスト教が日本人の根着いているか?という問題を論じた記事を何度か掲載しました。今日の緒宗派合同での礼拝会で私は日本人の心に深く根着いていると実感しました。それは理論や理屈では証明できない感情の問題でもあったのです。

下に合同祈祷会の様子と、それに続いて1時間ほど行われた懇親会の様子です。

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この記事を読む人は愛されます

2010年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

この記事を読む人をイエス様は愛して下さいます。パウロという使徒がコリント教会の信者へ送った手紙の一部の文章です。

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愛は忍耐強い。

愛は情け深い。

ねたまない。

愛は自慢せず、高ぶらない。

礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。

不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

愛は決して滅びない。・・・・・・・中略・・・・・・

信仰と、希望と、愛、この三つは、何時までも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上の文章はキリスト教が「愛」の宗教だということを明快に示しています。

パウロは以前はサウロという名前の男で、キリスト教弾圧に活躍していたのです。それがイエスの教え、愛の教えに心奪われ、キリスト教徒になってしまった人です。深い知性と卓越した行動力の持ち主だったのでキリストの教えを広める活動で大きな活躍をしました。そのために新約聖書には彼の手紙が多く紹介されています。簡潔で、分かり易い、そして力強い文章です。この短い記事を読んで下さった人へイエス様の慈しみがあるようにお祈り申し上げます。(終り)


最近の若者は、、、

2010年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

私は日本の若者を偉いと思う。誇りにさえ思っている。と書くと若者に媚びを売ると非難する人々が多い。しかし本当にそう感じています。

どういう所が偉いと思うか?一言で言えば、最近の若者は人を差別しないのです。

学歴や貧富の差や年齢に関係なく、人間を人間として話をし、親切にしてくれます。

いきなり話が飛びますが、48年も前の1962年に初めてアメリカへ留学したときの驚きを思い出します。アメリカの物質的な豊かさに吃驚しました。実はそれだけでは無かったのです。初めて打ち明けることですが彼等の道徳的な態度に感激したのです。人を見かけによって差別しないのです。アジアから行った栄養の悪い貧しげな私を一個の人間として丁重に扱ってくれたのです。

その頃の日本は身分社会が厳しくて、縦社会が徹底していたのです。縦社会は人間の個性を否定します。個人の独創性を嫌います。社会的な身分をまず確かめます。そしてその身分にしたがった取り扱いをするのです。

その48年前の体験以来、日本の人々が何時アメリカのように個人を差別なく大切にする社会になるのか?と悲観的に、そして冷笑的にさへ見下していたものです。

所が4年前に仕事を止め、インターネットを通うしていろいろな若者と交流してきました。損得に関係しない平等なお付き合いです。そして大発見をしたのです。日本の若者は既に何十年も前から個性を大切に生きていたのです。縦社会の悪い洗礼を受けないで独自の人生観を切り開いて生きているのです。そして世界中へ行って活躍しています。アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスだけでなくインド、タイ、ネパール、インドネシア、韓国、中国、中近東諸国、アフリカ諸国、南米諸国で日本の若者が誠実に活躍しています。日本の政府や大会社が派遣したのではない人々です。自分の信念で滞在し、働いているのです。そいう人々も偉いと思います。誇りに思います。

私が最近の日本の若者を偉いと思う理由が御分かり頂けたと思います。

しかし自分の恥もつでに書いて置きます。1962年にアメリカで私が差別されなかったので、「アメリカ人は人間を差別しない」と長い間信じていました。しかしキング牧師の黒人差別へ関する演説をテレビで見てから気が付きました。1962年に留学した私の目には黒人が見えなかったのです。当時のアメリカはそのような社会だったのです。オバマさんが大統領になったとき私は何故か深い安堵感にとらわれました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


東京地方の12チャンネルの「美の巨人達」の熊谷守一画伯の紹介に感動しましたので、、、

2010年01月30日 | インポート

只今終りましたテレビ番組のことを書いて恥ずかしいのですが、東京地方の12チャンネル、午後10時から30分の「美の達人達」で熊谷守一を紹介していまた。彼の一生の間の画風の変化の裏にある血の滲むような深い思索がよく描いてありました。彼の「馬」という題目の絵画をお送り致します。おやすみなさい。

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ヨットの係留地の移動に行ってきました

2010年01月30日 | 写真

霞ヶ浦のヨットの係留用の杭を太いものに打ち込み直す作業がありました。茨城県の県庁の土木課の事業です。先週から他に動かしていたヨットを新しい杭打作業の終わったもとの係留地へ移動すす作業を家内と2人でしてきました。

上の写真は先週から臨時に係留していた所で、下が杭打作業が終わった本来の係留地へ移動完了したあとの写真です。

ついでに妻と一緒に船体の外側、特に喫水線に近い所の外側に付着したドロを長い柄を付けたブラシで1時間ほど洗って来ました。白い船体になりました。

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美しい絵を描いていらっしゃる方のブログをご紹介いたします

2010年01月30日 | 写真

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2年ほど前からネットの上でお付き合いをさせて頂いている方に「めいこ」さんという方がいらっしゃいます。「80歳の生活」というブログを書いていらっしゃいます。

掲載される絵がほのぼもとして心温まる素晴らしい絵です。平成16年から数多くの絵が掲載されていますが、今日はその中から4点をご紹介いたします。

上から順に、「初夏の上野」、「華やかな法事」、「新しいお皿」そして「池袋の家・女学校」という題目の記事の挿絵です。

お楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。(出典:http://hyoutannjima.hp.infoseek.co.jp

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

「華やかな法事」という今年1月の記事も以下に転載させて頂きます。

「華やかな法事」
 平成二年の二月に夫が亡くなったが、家が神道なので、五年毎に法事をしている。いつも神主さんにお祭りをして頂いてから、近くのレストランで簡単に食事をしていた。平成二十二年二月は、二十年目に当たるので、極寒を避け、同じような法事を十二月にするつもりでいた。
 しかし、長男はこの五年の間に癌などの大病を二回もしているし、丈夫だった次男までがこの十月、心筋梗塞で入院。私を含め、病気がらみの者が三人もいて、みんなが元気な顔で揃っている今、この二十年祭は何時もより盛大にしようと考えた。

 新宿のあるホテルを候補として、次男とその娘の三人で試食にゆく。コース料理を注文したが、食事のあと、料理も場所も何にも印象に残るものが無い。これではつまらないと、今はやりの外資系ホテルも覗いたが、作りは豪華だが、なんとなく気分にそぐわない。孫娘からどうせ派手にやるなら、東京の中心の方にあるホテルにしたらと意見が出て、私たちの車は、東京の中心へと向かって走った。車中、私はいろいろと思いを巡らす。

夫は相当裕福な暮らしの中に育った。昭和初期、撮った写真をみると、上野にある岩崎邸に似た大きな洋館の建物の前に、着物姿の姉二人を交え、父母の周りに兄弟十人が並んでいる。直ぐ上の兄と六歳離れている末っ子の夫は小学校の制服を着ていて特別に小さい。
 子どものころ、夫は兄達から「先祖は泥棒で牢屋にも入ったんだぞ」と、そんな話ばかり聞かされていたそうだ。先祖は坂本竜馬のころ、土佐から出てきて成功し、大きく財をなした。しかし一人いた息子が早くなくなり、政治家の甥を養子に迎えた。夫の父親にあたる。当時、家の前には専属の交番があり、執事の家があったそうだ。
 連れ添った義母から聞いた話では、父親は商売が下手でだんだん家が衰退していった。何千坪もあった土地や貸家はだんだん減って行く。戦争の末期には空襲で家が焼けた。それに加えて、頼りにしていた長男が、終戦直後病気でなくなったので、夫はゼロからの出発となった。
夫は私と一緒になって、中流サラリーマンとして暮らしをするより、もっと違う選択もあったと思うが、三人の兄が結核で亡くなり子の無い兄が二人いるので、伴侶は健康を第一の条件としていたそうだ。
品性の無い人に頭をさげるのを嫌がり、世間離れをした性格だったので、社会に出て苦労も多かったのではないかと思う。考えているうちに、新しいホテルより、戦前からあって夫もよく知っている、宮城近くの帝國ホテルがふさわしい気がしてきた。この日、このホテルの下見をしてから、法事部に申し込んだ。

――――中略――――――

 私の家には、初めての身分不相応な法事をしたと思うけれど、それだけ、悔いのない良いことをしたような気がした。(終り)


荻野誠人さんの「心の風景」というHPをご紹介いたします

2010年01月29日 | うんちく・小ネタ

荻野誠人さんは「心の風景」というHPを発表していらっしゃいます。

美しい日本語で書かれた誠実な随筆が沢山掲載してあります。でひご覧になって頂きたいと思い、ご紹介いたします。

http://www.bekkoame.ne.jp/i/gb3820/

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ようこそ!『心の風景』へ 

このHPは、心のあり方や生き方などを追究した作品を発表し、自由に学び合う場です。心を大切にする人たちの温かい仲間の輪を広げていくことを目標としています。


心を静かにさせる湖の風景写真をお送りします

2010年01月29日 | 写真

霞ケ浦という名のように霞がかかった風景をよくみます。1月21日の朝に湖上に出て見ると、そこにはかすんだ暗い雲が広がっていました。神秘的な風景です。そのような風景のお好きな方のために写真をお送りいたします。

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私はこの小さなコンピューターのお陰で毎日、深い幸福感を実感しています

2010年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

この小さなコンピューターを毎日使っています。お会いしたこともない人々と心の交流ができます。自分の利害や恩返しを考慮に入れない純粋な心の交流です。ネット上でのお付き合いは虚構な空しいものと思っている人も居ます。しかしそのような態度では幸福感は実感できません。相手が見えないからこそ感動が深いのです。昨日も幸せを実感した体験をしましたので皆様へご報告致します。

今年から確定申告をコンピューターで武蔵野税務署へすることにしました。手順が必要です。まず市役所に行って、「住民基本台帳カード」というICカードを貰ってきます。次にコンピューター専門店へ行って東芝製の「接触型ICカードリーダライタ」という小型のデバイスを買って来て、自分のこのパソコンへ接続します。

この準備は武蔵野税務署側のコンピューターとこの手元のコンピューターをつないで自分の住民台帳情報を送り、これからこのパソコンで確定申告をしますという事を認識・記録してもらうためにする初期登録という準備です。

ところが途中まで順調に流れていた操作が突然ある所で止まってしまったのです。「住民基本台帳カード」を「接触型ICカードリーダライタ」へ差し込んでコンピューターに読み込んでもらうステップがどうしても成功しないのです。いろいろ操作を変えて1時間ほど試みましたがダメです。暗然たる気分になりました。思い余って国税庁の電話相談につなぎました。03-5638-5171か0590-015-901です。

東芝製の「接触型ICカードリーダライタ」がうまく作動しないというトラブルの相談を申し込みました。菊池さんという若い男性が電話の向こう側に出ました。言語明瞭ですがすがしい声で話します。要するに私のこのコンピューターに入っている色々なソフトと東芝製の「接触型ICカードリーダライタ」とのマッチングが悪くて認識できないと言います。そしてマッチング操作をいろいろ変える試みを私に指示してくれると言うのです。このパソコンのデスクトップを見ながら、彼の指示に従って操作して行きます。6、7回違う方法を取りましたが成功しません。物事に飽きやすく、途中で放り出す性向のある私が2時間近く続行したのです。そして最後に試みた方法が成功して初期登録が完了しました。喜びのあまり電話の向こうにいる菊池君を抱きしめて感謝したくなりました。私は昨日から幸福感に包まれています。

菊池さんは電話でコンピューターの多種多様なトラブルを解決するプロとしての専門知識を持っています。プロですから当然です。しかしそれだけなら感動しません。彼は飽きやすい老人の心を掴み、私を大切にして教えてくれたのです。私へ仕えてくれたのです。

操作が失敗する度に彼はいいます。「有難う御座います。ご苦労様でした。では次の方法をして見ましょう」と確信を持って言うのです。途中でやめないで下さいというニュアンスで明るく言うのです。初期登録が成功した後で、彼の上司へ感謝の気持ちを伝えようとしました。「そのお心遣いは嬉しく思います。でもその必要はありません」。それが彼との会話の最後でした。

イエス様は人に仕えられるよりは、人に仕えよ。と教えました。私は単純なキリスト崇拝者ですので、「ああ彼の行いはイエス様の教え通りだ!」と感動しました。

そうです。私はネット社会から離れないのは時々このようにしてイエス様に会えるからなのです。虚構の社会だからこそ人間の善意や勇気が一層輝いて見えるのです。人間の素晴らしさの向こうにイエス様が見えるのです。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


江戸時代や明治の雰囲気漂う植物園ー小石川植物園ー

2010年01月28日 | 写真

幼いころは動物園が好きでしたが、高齢になるのしたがって植物園が好きになりました。旅先でも時間があればよく植物園を訪問し、静かな時間を過ごします。

私の記憶では、寺田寅彦の随筆に小石川植物園が出てきます。子供とドングリの実を拾いながら亡くなった妻を偲ぶ場面が出て来ます。去年は妻も一緒に楽しくドングリを拾ったのに、その妻は病死して今は居ない。ドングリを一個一個拾いながら若い妻の面影を偲んでいる場面を思いだします。何十年も一度行って見たいと思いつつ74歳になってしまいました。

いろいろな植物園に行きましたが小石川植物園ほど淋しく古い感じがする所はありません。小石川養生所のあった所です。

江戸時代の御薬園や明治時代の植物学研究所の雰囲気が残っているようです。

江戸や明治の頃を想いながら下の写真をご覧頂ければ嬉しく思います。

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あなたはネット社会とのかかわりを何時お止めになりますか?(1)

2010年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

「ネット社会とのかかわり」という意味を分かりやすく言いますと、ブログやホームページを書いてコメントを頂き、他の方々と心の交流をするということです。そして趣味人倶楽部やBYOOLのような社会人ネットワークの入会して、会員の方々と心の交流をすることです。

自然や人生に対する感じ方や考え方で共鳴し合える人々を見つけ、人生の充実感を掴むことです。それはネットを情報伝達の道具として便利に使うこととは別です。道具として使っている限り生活が益々便利になり別に困ることは一切ありません。

しかし実際に会ったことの無い人々と心の交流をすることはそんなに簡単な事ではありません。深く考える時間が必要です。文章を書くのに長時間がかかります。写真も添えて自分の考えも分かりやすくします。写真を撮って、掲載するまでいろいろな手間がかかります。しかし心の交流が出来たときの喜びは大きなものです。交流できた方々のことは忘れられません。ところがそういう方々が時々ネット社会を止めて行きます。実名も住所も知らないまま居なくなるのです。ショックです。

それがネット社会の虚構性を示していて淋しいのです。

最近、私は自分がネット社会を止める可能性も考えています。まあ、色々な理由がありますが、面倒くさく感じることもあるのです。虚構性に疑問を感じる時もあります。

人間は変わるものです。何か淋しいですね。

趣味も年齢によっていろいろと変わるものです。読書も音楽鑑賞もしました。盆栽や山登りも趣味にしていた時代もありました。でも何も達成出来ないうちに飽きてしまいました。

先輩や先生に「人間は興味の対象をアチコチ変えないで一つのことに打ち込め!」、「それが立派な人生だ!」と耳にタコが出来るほど教わりました。

「変えることは不実な生き方だ!」という言い方も聞きました。

ですから趣味でも道楽でも一旦始めたら死ぬまでやる!そんな生き方をしてみたくなります。ヒョッとしてそんな生き方が美しい生き方なのかも知れないと思います。

このブログでは7人の方のブログを「推薦したいブログ」として左サイドバーに掲げています。長い間変えないで掲げています。しかし掲げた後で、多くの人々へ推薦したくなるような素晴らしいブログを幾つも見つけました。でも「推薦したいブログ」としては掲げていません。一旦決めたら変えないのが美しい人生と教わったからです。ところが広くブログを見回すと「推薦したいブログ」をドンドン変えている人がいます。毎日変えている人もいます。

インターネットの上で心の交流をするという趣味に飽きたら止めれば良いのです。気軽に考えると人生が楽になります。幸福になれますね。

先日、ヨットの趣味は体力が無くなってきたので止めるべきか?という記事を書きました。趣味人倶楽部の方々には人生の達人が多いと分かりました。体が止めろ!と言っているのなら気楽に止めなさい!という尤もなご意見を多く頂きました。

しかしそうも行かないから悩んでいるのです。 別に決心している訳ではありませんが、多分、ヨットも、ネットでの心の交流趣味も死ぬまで止めないでしょう。

さて改めてお聞きしますが。「あなたはネット社会での心の交流は何時お止めになるでしょか? 何時ネット社会を卒業なさいますでしょうか?」

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人


今年の桜の花の写真をお送りします

2010年01月27日 | 写真

江戸幕府の薬草園を明治政府は東京大学の付属植物園にしました。文京区の東洋大学の傍にある小石川植物園です。昨日、病院の面会時間の調整に時間をつぶす必要があったので散策してきました。桜が咲いていました。春に咲く桜とは違う冬桜という名前が書いてありました。今年初めて見た桜の花なので写真をお送りします。

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命の危険がともなうヨットという趣味

2010年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

帆走子さんは「ロスミナの風」というブログhttp://rusmina-2.cocolog-nifty.com/blog/を書いていらっしゃいます。内容が大変ユニークで他のブログにはあまり例のないものです。ヘリコプターや、飛行船や、飛行機のことなどと共にヨットの記事もあります。

大空とか、碧い海や風の動きがお好きなロマンチストです。以前に飛行船のことでいろいろ教えて貰いました。昨日、私も老人になったのでヨットは止めにしようと思う、という記事を出しました。ヨットを動く居酒屋くらのつもりで続けるのも良いという趣旨のコメントを頂きました。嬉しかったです。実は私も船へ這い上がれるうちは止める予定はありません。ヨットはジブだけで帆走しても楽しいものです。ジブだけなら片手で出し入れできます。帆走子さんのコメントはヨット乗りの気持ちで送ってくれたので勇気づけられました。そこでこれから帆走子さんのブログの内容を数回に分けてご紹介いたしたいと思います。転載のお許しは今朝頂きました。

今日はまず彼がヨットから落ちて、大変に危険な体験をした文章をご紹介します。彼のブログの2009年5月11日掲載記事です。その前に彼のヨット、「ロスミナ2世号」の写真と荒れる海の写真を転載します。19フィート艇で私の大好きな往年の傑作艇です。美しい艇です。

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====帆走子著、「ソロセーリングでフネから転落した」====

一人で乗っていたヨットから転落した!
海は荒れ気味、セールは半降り、エンジンは微速前進。
あっという間にフネは1m以上も離れてしまった。

シーマンとしての恥を忍んで、死に損なった体験談を公表します。
 世のセーラーたちの安全を、切に願って・・・。

         2004年7月25日(日)は晴天で暑く、東京湾北部は風が強かった。
気象に関する注意報、警報は出ていない。ギラつく真昼の太陽がまぶしい。
 仲間のドタキャンで、私は一人で自艇ロスミナ‐Ⅱに乗り、千葉市いなげの浜沖5㎞、観潮塔付近の海上にいた。数日来の予報から、気象海象はこれ以上悪くはなるまいと判断する。
 主帆を揚げるのにかなり苦労したくらい波がきついので、前帆は安全のため揚げない。
 しかし危険なほど悪い情況とは思えず、主帆のみで飛ぶように走る。ジャジャ馬慣らしのような操縦感覚は捨てがたい。
 私はまだ豪快なオーシャンスポーツと、ワインを楽しむ余裕があった。風速10mくらいか、あたりは白波一面。

 早めに切りあげるべく、千葉港口の5番ブイ方面に向かう。キャビン内はもまれてメチャクチャだが、フネには特に異常はない。学生たちの小型艇は引き上げたようだ。
 エンジンを微速前進に入れ、風に正対し帰港準備にかかった。舵はゴムひもで結んであるが、それでも波がきつく直進してくれない。
 帆を降ろしにかかったが、風が振れて途中で引っかかった。暴れまわるフネを立直しながら、コックピットとデッキの間を何度も往復した。何度目かに引っかかった帆を解いているうち、大きい横波を食って体が右舷側に落ちかかった。

 「やばい!」と立て直そうとしたが、ワインの酔いもあって踏ん張れず、体は水中に落ちた。フネのライフラインをつかんでとにかく離れないようにしたが、次の波を食らったときはあっという間に1m近く離れてしまった。15時過ぎ、引き潮の始まる時刻である。

 微速とはいえ前進に入れてあるエンジンと、降ろしかけで半効きの主帆でフネは結構速い。ライフジャケットをつけ衣服を着たままでは、追いつけるものではない。体力の消耗する方を恐れた。こんなときに限ってフネは正直に直進し、港の奥に向かっている。

 海水は暖かく、風と波は激しいが、とにかく浮いていられる。水を飲まないように気をつけた。水を飲むと、急速に体力を失うものらしい。ライフジャケットだけが頼りだ。いつまで浮いていられるのか。幸いケガや打撲はしていない。眼鏡を失わなかったのは、ラッキーだった。

 岸からはおよそ3km、海上に浮いている標識ブイまで700m位あるだろうか。
 意を決して5番ブイに向かう。風と波は真向かいの方角になる。果たして行き着けるか、たどり着ければ助かる。
 幸い日没まではかなり時間の余裕はある。泳いでみても進んでいるのかどうか、全く判らない。少しでも疲れないように、波の静まったときを見ては「ちょっとタンマ」と休んだ。

 干潮時に入り、少しずつブイが大きく見え出した。引き潮はブイへの接近を助けてくれるが、つかまりそこなったら、沖に流されてしまう。抜き手を切る腕がだるくなった。
 およそ50分泳いで、ブイのはしごまで数10mにせまったが、自分自身に「あと100m」と何度も言い聞かせる。1回でつかまないと、再度挑戦する気力体力が残っているか。波と風を見計らって慎重に接近した。
 ブイのはしごに取りついて時計を見たら15時50分。                
      
 滑りやすいはしごを注意深く登り頂きに着いたが、海面上10mではゆれはさらに大きい。ブイの頂上は腰をおろせるくらいのスペースがあり、周囲は手すりで囲まれていて、ゆれてもつかまっていれば危険はない。問題は日没である。今日はおよそ18時半ごろ。
 フネが港内方向に無人で走っていたのは確かなので、いずれは発見され落水事故として捜索されるだろう、という希望的観測はある。幸い寒くはないが風が強く、夜間になったらどうなるか。
 作業船や釣り舟が、操舵している船長の顔がはっきり見えるくらいの近くを通過し、躍起になって手を振ったが全く気づかない。

 時間だけが過ぎ16時40分、太陽は大分低くなってきた。
 海上保安庁の巡視艇らしい船や大型ヘリコプター、千葉県警の小型ヘリなどが、稲毛観潮塔付近を行き来しているのが見える。やはり捜索が始まったのだろうか。
出港届にはいなげの浜、観潮塔付近としてある。
 海上保安庁機は、洋上を往復しながら次第に近づいてくる。まだかなり遠いが、こちらを向いたときに遭難信号を送り続けた。せめて鏡でもあれば、まだ日光があるので、反射信号を送る事は出来るのだが。

 何回か繰り返しているうち、突然ヘリがまっすぐこちらに向かってきた。ランディングライトを点滅させている。発見された!! 17時22分。
 私はヘリで捜索救助に従事した事はあるが、救助される方になってみると、ヘリが神様に見える。そのうち2艘のランチが高速で、まっすぐこちらに向かってきた。助かった!!

 千葉県警水上警察の巡視艇「いぬぼう」の新田艇長は大男で、ご自身もヨットマンだそうだ。
「ヨットは水警の桟橋に繋いでありますよ。損傷はありません」という。艇内を調べて、船舶検査証から私の連絡先その他を把握したらしい。すぐに雄和マリーナに連絡が行き、出港届がチェックされた。
海上の事故なので、海上保安庁の所管だそうだ。
 
  海難事故として海上保安庁千葉支部で事情聴取を受けたが、係官は親切で応対は丁寧だった。
「この電話で、まず家族に知らせなさい。こちらからすでに連絡はしてある」という。防水ケースに入れた携帯電話を、艇内に残してきたことを、今ごろ思い出した。不注意のきわみだ。

 そして、水警も海保も“海のおまわりさん”たちは粋でもある。新田艇長は「赤ワインの瓶が空いていましたな」とニヤリと白い歯を見せたのが、印象に残った。

 落水はシーマンとして恥であり、自己過信を深く反省して、今日もしぶとく生きている。

                                           (了)


天は自ら助くる者を助くー飛行場から病院へ入院したひかるのさんの事

2010年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

タイのバンコックに住んでいる ひかるのさんが ガンになり1月12日に苦しい体をいたわりながら独りで成田空港へ帰ってきました。空港では車椅子で公衆電話まで行き病院の手配をし、江東区の区役所へ行き、国民健康保険証を入手し、東京厚生年金病院にその足で入院したのです。胸に水が溜まり呼吸も苦しい体で独りでバンコックの大学病院でガンの検査を受け、ガンと分かったのがこの1月の初めでした。食欲が無く、夜も睡眠が十分にとれない体は衰弱する一方でした。体力の残っている間に一度日本へ帰り医療を受ける決心をします。

彼はそれまでの苦しい状況をブログ、http://asiancloth.blog69.fc2.com/ に詳しく書いて発表していました。それが1月11日に止まり、2週間のブランクの後の1月24日に再び記事掲載が始まりました。入院に到るまでの苦しい道行きの詳報です。

日本に家族の居ない人が成田空港に辿り着き、その足で区役所へ行き、それから病院へ入ったのです。苦しい息をしながら、休み休み歩いて、電車で移動したのです。まったく他の人の世話を受けず自分の努力だけで入院したのです。不撓不屈の精神です。その精神に感動しました。感動のあまり昨日、お見舞いに行って来ました。

天は自ら助くる者を助く(God [Heaven] helps those who help themselves. )というベンジャミン・フランクリンの言葉通り、天は彼に素晴らしい病院を与えたのです。

下の写真は東京厚生年金病院の様子です。

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今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


今日も寒いので熱帯の巨大な竹の写真をお送りします

2010年01月26日 | 写真

今日も寒いですね。そこで筑波植物園で撮った熱帯の世界一大きな竹の写真をお送りします。気持ちだけでも温まって下さい。竹と言えば1990年に、姫路女子短期大学の付属の竹だけの植物園を見たことがあります。世界中の数百種類の竹が植えてありました。竹を割ったような性格。私の憧れの性格ですが、その境地に達する前に旅立ちということになりそうです。

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