後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

やっと小金井公園のソメイヨシノ櫻も咲き出しました

2015年03月27日 | 写真
先程、小金井公園へ様子を見に行きましたら数本だけチラホラ咲いていました。ソメイヨシノは遅咲きなので街路樹のピンクの八重桜はもう満開です。
一番後の写真がその八重桜で初めから4番目までの写真は小金井公園のソメイヨシノです。この調子ですと満開は来週の火曜日や水曜日くらいになりそうです。
この近所には小金井公園の他にも武蔵境の桜堤団地の桜、井之頭公園の桜、国際キリスト教大学の桜、国立市の大通りの桜、神代植物園の桜など沢山の桜の名所があります。来週には一斉に絢爛と咲き出すと思います。
来週いっぱいは花見で右往左往する心算です。
咲き出した桜の今日の写真をお楽しみ下さい。









鎌倉霊園の丘に立ちて、あちこちの墓地や霊園のことを想う

2015年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム
もう昔々の昭和15年の頃の初夏の夜の情景を私は鮮明に憶えています。私は4歳の幼児でした。仙台の鹿落ち坂を大学生だった叔父に肩車をしてもらって登っていた時の情景です。左下の広瀬川から河鹿蛙の鳴き声が美しく響いていたのです。それは不思議な心地よい声でした。あの世から聞こえてくる美しい音楽のようだったのです。しいて例えれば夏の夕暮れに林の奥から聞こえてくるヒグラシ蝉の声のようなのです。この情景は私の心に棲みついて、何度も思い出しています。
私は幼かったので広瀬川に鳴き声の美しいカジカという魚が棲んでいてその魚が鳴いていると長い間信じていまし。しかしそれはカジカガエルという蛙だったのです。
この叔父にはその後私が結婚したあとも家内と共に随分と親切にして貰ったのです。そして叔父夫婦は私共の事をいつまでも大切にしてくれたのです。昨日、鎌倉霊園にある叔父夫婦のお墓参りをして来ました。下がそのお墓の写真です。

この墓に眠る叔父夫妻の思い出を書きつづれは長くなりますので止めます。
それよりも墓地や霊園にこれから申し込もうとしている皆様の為にご参考になるようなことを少しだけ書いてみたいと思います。下は鎌倉霊園の丘の上から見下ろした写真です。

鎌倉霊園のHPにはこんなことが書いてあります。・・・・歴史と文化の香り高い古都鎌倉。朝比奈峠の丘陵地帯に55万平方メートル(約28万坪)の広大な敷地を有し、開園以来半世紀の歴史を刻む格式ある公園墓地です。・・・・

私はあちこちの墓地や霊園をよく散策します。それが好きなのです。しかし広さ28万坪の丘陵にある霊園には驚きました。兎に角、広いのです。霊園内を墓参り客専用のバスが巡回しているのです。
私がよく散歩するのは多磨墓地や小平墓地、そして数多くのお寺の墓地です。
多磨墓地や小平墓地は都立の墓地です。しかし鎌倉霊園は内藤石材店が造成した民営の霊園です。そのHPは、https://www.naitou-sekizai.co.jp/lp_kamakura/ です。この内藤石材店は広い墓地や霊園を4つも作って、管理している大きな株式会社なのです。
それはさておき、墓地や霊園を申し込むときには「全国公営墓地」とか「宮城県の民営墓地」とかいろいろなキーワードを考えて検索すると詳しい情報がたくさん出ています。
昨日、鎌倉霊園の丘に立って、自分の知っている数多くの墓地や霊園のことを考えていました。そしてこの広大な霊園にある無数のお墓に眠る人々のことを想っていました。
ここは宗派にこだわらない霊園です。無宗教の人も沢山眠っています。残された子供が父母の眠る場所としてお墓を作るのです。それは親子の自然な情愛なのです。
お釈迦様は死んでもお墓を作るなと言って、自分の遺骨は弟子たちに野原に捨てさせました。はるばるインドに旅をしてお経を沢山持ち帰った玄奘三蔵法師も唐の長安で亡くなったとき弟子たちへ遺骨を荒れ野に捨てさせました。
しかし鎌倉霊園の丘には無数のお墓が広がっています。
お釈迦様の言葉の意味を想いながらも、親子の絆や情愛の強さを感じるのです。そんな想いで鎌倉霊園の丘にしばし立っていました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)