ある読者から
「競走馬の一生は残酷ではないか?」
という質問がありましたので、
以下、私の考えを、公開回答として、述べます。
まず、これについては、
私は、誰よりも、
若いころからずっと考えています。
そして小説にも書きました。
また「自分が馬だったら」とか、
そういうことも常に考えています。
ところで、
話は全然変わりますが、
この世で一番幸福な生き物は?
・・・という研究で、
「豚ではないか?」という答えを出した学者がいます。
なぜかと言うと・・・
豚は毎日、好きなだけ、食べものを食べ、
ある日、殺されるけれど、
その苦痛は一瞬。
人間にも「おいしい」と言って、
食べてもらえる・・・
食肉は考え様で、
もしも食べるのが、立派な人間なら、
むしろうれしいことではないかと考えます。
つまり生き物というのは、
「死は必然」なのであって、
・・・生きているうちに、
どのように生きるか?・・・・が一番重要です。
馬の場合は、
野生で生まれても、
いつか、狼やライオンに食べられるか、
骨折などをして、野垂れ死にするか・・・
そういうことを考えたとき、
競走馬の生き方は、
100%幸福とは言えないまでも、
生きるに値するのではないか・・・といつも考えています。
野生に生きていた場合、
全速力で走ることは、
余りありません。
でも競走馬になれたら、
緑のターフを、
思いっきり走ることができる。
たぶん、どの生き物よりも、早く走ることができる。
これは馬にとって、相当な快感だと思います。
また野生だと、
アブやダニやその他の小昆虫に
体を噛まれたり、
いろいろなアクシデントも多いでしょう。
競走馬は、
そういうこともあまりなく、
厩務員に、いつもブラッシングをしてもらえます。
またケガした場合も、
治療してもらえます。
競馬は確かに経済のスポーツですが、
でも総合すると、
うつ病や精神病や神経症・・・
そして糖尿病やガンだらけの人間と、
どちらが、いい生き方なのか?
・・・・私は判断に迷います。
長生きだけがひとつの価値ではなく、
ある意見では、
木も、30年で、切られたがっている・・・・と言われています。
早く切られた木は、
すぐに成長し、
病気にも罹らず、
葉っぱをいっぱい茂らせて、
楽しそうです。
遅く切られた木は、
生命力がないので、
そこからは、何も生えてこないそうです。
人間もそうで、
現世で、あまりにいろいろ苦労して長生きした人間は、
なかなか霊界から、
生まれ変わることは難しい。
ネットの馬の記事は、
「早死」を、ものすごい罪悪のように書いていますが、
それは違うと思います。
生物は、
生命力のあるうちに死に、
また生まれ変わるのが、
理想だと思います。
結論を言うと、
競走馬の一生は、ケースバイケースで、
全馬がものすごく幸福とは言えませんが、
総合して考えると、
また「長生きが良いこと」という先入観も捨てると、
平均すれば、「それほど悪い一生とも言えない」と考えます。
そして私たちは、
彼らの一生をより良くするために、
馬があっての競馬であることを、
常に、訴えないといけません。
またJRAの競馬でも、
藤沢調教師や引退した岡部騎手の言うような、
「馬中心主義」が、
少しずつ浸透していると思います。
競馬を、愛している人・・・
競馬から勇気をもらっている人・・・は、
無数にいます。
JRAに馬を預けるには、
毎月60万、必要です。
その60万で、馬も、
おいしいものをたくさん食べ、
走るのが、イヤになるときも、そりゃあるでしょうが、
適当に走って(笑)、
死を迎えるときまで、
できるだけ、
楽しい一生を過ごしてほしいと思っています。
そして人間たちも、
馬の幸福のために、
努力してほしいと思っています。
最後に・・・
私がもし、
来世で、競走馬になるとしたら、
私はOKと言うでしょう。
数年で殺されるかもしれませんが、
緑のターフを思いっきり走るのは、
やはり、ものすごい快感だと思うからです。