ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も)

性悪男につきまとわれる面倒見のいい女...XPの存続を懇願するダメ男達

2013-06-10 19:17:25 | Weblog
おおお~、おもしろい!
山田君、ざぶとん30枚(^^)

性悪男につきまとわれる面倒見のいい女...XPの存続を懇願するダメ男達
http://konozama.jp/amazon_devil/2013/06/xp.html



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今後、情シスの予算が落ち込み、マーケティング部の電子化予算が上回る

2013-06-10 16:36:32 | AI・BigData
って記事、どこにあったっけ?ちょっと必要なんだよな・・・

と思って探したら、意外なこと発見!

上記の話は、


「2017年までに”マーケティング部門のIT予算”がIT部門を上回る」米ガートナーが提言する4つの破壊的なITパワーの衝撃
http://enterprisezine.jp/iti/detail/4283?p=2

に載っているんだけど・・・(以下太字は上記サイトより引用)


2017年までには、企業のマーケティング部門が支出するIT予算が、IT部門のIT予算よりも多くなるだろう。それは、他の部門でも他の業種でも同様だ

(IT部門の=情報システム部の)


ガートナーでは、今後の2年間ほどはIT部門の予算は減っていく傾向にあるという。


この2つをあわせると、表題の話になるんだけど、これが言われたのが、

「Gartner Symposium/ITxpo2012」

つまり、有名な


ビッグデータにより、これから3年のうちに36万5千人程度の新しい雇用が日本でも創出されるだろう。しかし、その数字のうち満たされる雇用の数というのは11万にすぎない。なぜなら、それに対応する適切なスキルがなかったり、人材を育成する対策が取られない場合には、その程度の数字の雇用しか満たされないことになる。

が話されたのと同じときだったらしい!
ってこと、みんな知ってた??


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WindowsXP、バージョンアップしなくとも暗号化すればOKってこと?-ほこXたて

2013-06-10 13:07:36 | ネットワーク
きのうの「ほこXたて」見てないんだけど、

ほこたて 「どんなパソコンにも侵入する世界最強ハッカーVS絶対に情報を守るネットワークセキュリティー」防御側の裏話
http://togetter.com/li/516095

を読む限り、ようするに、

脆弱性が破れても、しっかり暗号化されていれば、luminさんでも無理

ってことのように聞こえるんだけど・・・

言い換えると、

WindowsXPバージョンアップしないと、脆弱性があるので、侵入されるかもしれないけど、
暗号化をしっかりすれば、中身は見られないからOKってこと?

ま~、そりゃ~そ~ですよ。
暗号に何使ってるか、よくわかんないけど、
AES256bitとかが、そうそう簡単に破られたら、こまりますからねえ・・

なんか、政府や地方自治体は、この番組を元に、
XPでも、TrueCryptを暗号化すればOKとか、言いそうですね。
(本当は、パスワードの強度によるし、暗号化してあるからOKといっても、みんなが納得してくれるかわからない)



でもね、暗号化できて、見えないようにしても、
今度はパスワードを忘れたら
自分も永遠にみれないからね(^^;)

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ソフトウェア工学&業界の唯一最大の理論は「仕様に書けば実装可能と”思ってる”」(実際は違う)

2013-06-10 10:45:30 | そのほか
だれかヤコブソンさんに伝えて!全力でヤコブソンさんに拡散希望(^^;)
ヤコブソンさんが、SEMATで、ソフトウェア工学に対して、理論がないとして、普遍的な理論を求めてるけど、

ソフトウェア工学というか、情報工学&ソフトウェア業界における
普遍的な、そして全ての元凶は、ここからはじまる基本的な理論はある。

それが、

チャーチ=チューリングのテーゼ
(以下リンク先のWikipediaから引用)

、「計算できる関数」という直観的な概念を、帰納的関数と呼ばれる数論的関数のクラスと同一視しようという主張である。 テーゼの代わりに提唱 (ていしょう) あるいは定立 (ていりつ) の語が用いられることもある。 このクラスはチューリング・マシンで実行できるプログラムのクラス、ラムダ記法で定義できる関数のクラスとも一致する。 よって簡単にはテーゼは、計算が可能な関数とは、その計算を実行できるような有限のアルゴリズムが存在するような関数、よっておおよそコンピュータで実行できる関数と同じだと主張する。


ここで、
「計算が可能な関数」を「仕様」
「コンピュータで実行できる関数」を「プログラム」としよう。

そうすると、
「仕様化することと、プログラム化できることは同じ」→「仕様に書けば実装可能」
となる。




しかし、これは証明したものでなく、テーゼ(提唱)したものである。
そして、ここでいう「コンピュータで実行できる」というのには、
基本的な制約が無い。メモリーも、処理能力も・・・
ってことはもちろん、費用も、プログラムを書く人間の能力も!

現実社会では、これらの制約はある。
なので、

「仕様に書けば制限が無ければ実装可能なのかもしれないけど、現実は制限があるから無理!」

なのに、お客さんやエロい人や大学の先生・研究者は、

「仕様に書けば実装可能と”思ってる”」
(「仕様は実現化する」と”思ってる”)

ここが、諸悪の源泉なのでありま~す!




じゃあ、この理論から、ヤコブソンさんが言っているほかの理論
  ベームの構築コストモデルCOCOMO
  パーナスの情報隠蔽理論
  コンスタンティンの凝集性と依存性
  コンウェイの法則、
  ダイクストラの認知の限界の理論(GOTO文が有害)
  段階的詳細化
  メイヤーさんの契約による設計(DbC)
が、導けるというか、どういう位置づけになっているか、示してみよう。




その前に、「仕様に書けば実装可能」ということは、証明できるか?ということを、先に考える。
これは、「プログラムは、仕様を正しく充足しているか」ということを証明できるかということになる。
この「プログラムが正しい」ということは、証明できないことが、停止性問題で知られている(ゲーデルの不完全性定理のコンピューター版)
ということは、

「仕様に書けば制限が無ければ実装可能なのかもしれないけど、現実は制限があるから無理!」
だし、それ以前に
「仕様に書けいたものが実装しているかどうか、確かめることすら、現実は無理!」
っていうことになる。

この事実にひざまづき、

「そうです。無理です。だから、できるところからやっていきましょう」

というのが、アジャイル。

「無理なんだけど、制限を加えれば、仕様から実装は可能だし、正しいことを示すことも可能」

と考えるのが、今までの考え方&ソフトウェア工学




つまり、ソフトウェア工学は、制限を加えることにより、

「仕様に書けば実装可能だし、それが正しいことも言える」

ということを考えている。

この制限に関して、人間の能力に着目すると、
うん、すべてを一度に扱えないよね、だから

段階的詳細化

と考え、また、

認知に限界がある→ダイクストラのGOTO文が有害

となるし、全体が見えると、気が散って分けわかんなくなるので

情報隠蔽

しましょうかという話になる。

情報隠蔽の話とかは、コンスタンチンの凝集性とかと関係が、あったり、なかったりです。




そして、人々のコミュニケーションに限界があるので、多くの人に一度に情報伝達できないので
効率的に進まないとなると、人月の神話の話が出てるし、
人間は全てを見通せないので、いろいろな予測をしても外れる。なので、

COCOMO

が出てきても、きっちりと予測できず、果てしなく見積もり論がつづくわけだ・・・

また、考えるとき、自由に考えられないから、自分の組織を元に考えようというのは
自然な考え・・・というと


コンウェイの法則


だし・・・




ただ、実際に大事なのは、これら法則との関連ではなく、

限定をつけて、

「仕様に書けば実装可能だし、それが正しいことも言える」

ということで、ソフトウェア工学は発展しているのだが、その方向性が違うということ

「仕様に書けば」の要求工学は、
  できるだけ要求の漏れがないような方向で研究しているのに対し、
  (どちらかというと、普遍性を求めている?)

「実装可能」に関しては、
  積極的に制限を取り入れ、「こういうときには、こうやればいい」という
    パターン化、フレームワーク化をしている。
  この先、最終的にあるのは、「制限された範囲における自動化」ということになる。
  でも、SIer、エロい人、研究者は、
    なんでもできます!
  といって、無節操に無茶な拡張をするので、顧客はだまされ、現場は、デスマーチとなる。

「正しいことを言う」のは、テストだけど、
  テストは、実現可能な中で、できるだけ正しいこと、品質高いことを言おうとしている

要求と、設計・実装と、テストで、制約に対する方向が、ちょっと違うのだ。




ってなわけで、普遍的な法則をつくろうとしても、最終的には、

 「チャーチ・チューリングのテーゼ」

に行き着き、最終的に、じゃあ、

「普遍的にプログラム可能な関数は、問題に対して正しいと証明できるの?」

といったときに、停止性の問題に突き当たって・・・

普遍的なことはいえないとなる。→これが、普遍的な法則!

これは、数学の理論と同じで、「ゲーデルの不完全性定理」があるから、唯一の完全な理論というのは構築できないけど、だからといって、数学が終わるわけではなく、定理を基にして発展して言っているのと同じなのだ。




ってことを、ヤコブソンさんに誰か伝えないと、無駄なことをしてしまうように思える。

うーん、今、実名で論文は書けないので、誰か伝えてください・・・

え、偽名で書けって?、スチューデントとか?t検定か!(^^;)

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