1995年 Java発表
1990年から話す
Java前史
興隆
停滞
再興
・前史
Greenプロジェクト:情報家電向けプラットフォーム
STB(セットトップボックス)
PDA
ビルジョイ(BSDをまとめた人)とジェームスゴスリン
ビルジョイはスポンサー的:viを作った人、csh
ジェームスゴスリン:Gosling Emacs,newsの作者
UNIX :Sun VS HP
GreenOS:
言語Oak
どこかに売り込みたかった→プロトタイプ スターセブン(*7)コンピューターヒストリーミュージアムにある
デモはYouTubeにある
Duke登場(DukeはJavaより古い):名前はなかった(通称Fang(牙))
日本の家電メーカー(東芝)とか行脚、3DO→採択されなかった
情報家電→Web+Applet
1993 NCSA Mosaic
Oak商標問題→Java 1994
キムコレーゼ、(Fangから)Dukeと名前決める
Sunのスローガン:Network is the Computer ジョンゲージ
Javaのスローガン:Write once run eveywhere
1995年5月23日 SunWorld 基調講演でJava発表
マークアンドリューセンがゲスト:NetScapeがサポート
JDK1.0アルファ HotJava
1.0ベータ
1996.01 Java1.0リリース
パッケージ 8個、クラス図211
91 Python
95 Ruby
95 PHP
1996.3 NetscapeNavigatorがスタート
LiveScriptがJavaScriptになる
当初:Sunマイクロシステムズ+ZDEvent共済
現在:Oracle単独開催
1996年1回 サンフランシスコ
日本での開催:2001、~4回
初代:ジョン・ケージが司会
Effective Java;Javaoneのセッションだった
Tシャツを投げる
当初はもりあがった
1997 Java1.1
内部クラス/匿名クラス
国際化
JIT(シマンテック)
1998 Java2
J2SE(バージョンは1.2)
エンタープライズ、マイクロエディションが入る
EJB、Servlet/JSP
CDC、CLDC DOJA(MIDP)
ロゴ変更:携帯で出ないから?
ビジネス用途への取り組み
Appletによる業務システム
ex) oracle ネットワークコンピューティング(1996)→失敗
問題:ネットワーク帯域、CGIパフォーマンス
サーバーサイドJava
1996年 JavaOne BOFで
jeeves
1999 jakarta Tomcat
1998 IBM サンフランシスコプロジェクト
ビジネスロジックの部品化→失敗
・標準化
1997 Microsoft提訴
独自拡張:delegate,ActiveX連携
~2004和解(SUNかつ)
1998 Java Commnity Process(JCP)
ISO,ECMAおそい
JCP:さきがけてあった
少数のエキスパート
2004 J2SE 5.0 コードネームTiger
JavaOne 2004で発表(トラの赤ちゃん)
マーク・ラインフォールドがスペックリード
EOD(Ease of Developing)
ジェネリクス:マーチンオデスキー(すから作った人)
あのてーしよん:
タイプセーフenum
コンカレント
ユニコード:奥津さん
JMX
オープンソースの台頭2000年代初頭~
TomcatがサーブレットJSPの実質RI
隆盛期のコミュニティ動向
1995 Javahouse ML(高木浩光)
1996 Javaカンファレンス(溝口先生:当時理科大)
1998 Javaコンソーシアム→3年後XMLコンソーシアムへ
2000 Ja-Jakarta Jakartaプロジェクトの翻訳
2003 Seasarプロジェクト
2006 Java-ja
2007 JJUG 丸レクに集まった人
・停滞の要因
1。Sunの業績悪化
.comバブルはじける→Oracle入り:
Java One 2009 ラリーエリソンが来る
2.Javaの方向性
関数/クロージャー
クロージャー2008あきらめる
ブライアンが出てきて2009 ラムダ
パッケージ/モジュール
2014年3月 Java8リリース
2006年 OpenJDK
Java7がターゲット
・再興期
Java8 プロジェクトラムダ
プログラミングが変わる
Java9 リリースモデル変わる
未来的には:より宣言的
JJUG 13000人