我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

1945年のアメリカ国軍隊による無差別大量虐殺行為をうけて

2010年10月01日 | 歴史

 

 

 

 1945年のアメリカ国軍隊による無差別大量虐殺行為をうけて、わが国 日本国は昭和帝の大権を発動して、鉾を収めました。アメリカによる 国際法違反の憲法改定は、ひろく国民に知られるようになりました。しかし、支那の共産党政権の確立がこの終戦と裏腹だったことはあまり知られていません。アメリカのヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の余波に乗じて出来た政権が、支那チュウゴク共産党政権だったのです。判りやすく言えば棚ぼた政権なのです。

 共産主義カルト理論で幻惑して、実は地方の金持ちから強奪を繰り返していただけの、ゴロツキのあつまりが、かの共産党なのです。彼らの謂う、『解放』とは強奪のことです。ですから彼の国は今でもその強欲で凶暴な獣のしっぽを残しているのです。共産党専制が彼らの憲法の第一に掲げられています。

 彼らにホンモノを作ることは出来ません。彼らに出来ることは、奪うことか、盗むことだけです。

 そのどろぼうが、嫦娥 2号を滑稽、オッと違った国慶節の景気づけに打ち上げました。そもそも動機が不純です。

 

 
 
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  お国の為の、日銀砲。 

  ドルの畠を吹き飛ばし、円の畑の地ならし。

 と見る こともできる。と書いたのは、9月17日です政府が為替に介入したのが、15日でした。

 日銀砲の轟火は、開戦の合図なのだが。【わが郷 17日投稿記事】

 『貴方の愛国主義っていうのは、国家の主のためのものであって、けっして市民のためのものではありません! 』

 天下の有名コメンテイターの恩義氏から、ご指摘を頂きました。はてな、と思ったのは、現在の昭和憲法の下では、日本国の主権者は、国民であったゲナ。『主権在民』とはかの、サヨクにとっては麗しき教条であります。我が郷では、[愛国]という言葉は適当ではない表現と考えています。そもそも[愛]とは、上から目線の感情や意志をこめた物言いの言葉です。愛玩品とか愛犬、愛猫のタグイです。

 国家は日本人の郷土であり、われわれ日本人を守り育ててくれる父母のようなものです。父母の子への愛とは云いますが、子が父を愛すると云ったら不敬です。どうしても愛の字を用いたかったならば、敬愛とすべきです。

 お話がズレました。

 日本国のために、為替で円が安い方が為になるのなら結構なことです。しかし日本国が輸入することもあると考えれば、片手落ちです。輸出の企業主だけの考えを斟酌すれば、『円安が良い』となるのです。輸出品の製造に携わる人々の賃金評価を考えれば、円高が良いに決まっています。

 家電や自動車その他の事業主が、円安にこだわるのは、無能だからです。

 その上、外国の業者などに阿る、いやしい心根があるからです。

 輸出の事業主の役割は、心血を注いで作った製品を、『より高く売る。』まさにこのことなのです。

 無能なればこそ、ヌケヌケと『円安が良い。』 などと、寝言が言えるのです。

 

 そのうえ、マヌケだからこそ、日本国の宝『産業技術と資本』をやすやすと、支那のドロボウや強盗に捧げ尽くして、恬として恥じないのです。

 支那は「あしき隣人」「法治主義通らぬ」 国なのです。そのような国とつきあって、『戦略的互恵関係』などと言っているのは、低脳で売国な経営者なのです。ひとたび「毒ギョーザ」事件のようなことが起これば、関連した企業は甚大な損害を被ります。 

 

    まだ未完成ですが、よろしかったら覗いていって下さい。 

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