がじゅまるの樹の下で。

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北山の風in読谷

2013年09月30日 | ・琉球史散策/グスク時代

タイトルを「北山の風in読谷」にしましたが、

「北山の風」の公演が読谷であったわけでも
これから開催されるわけでもありません。

ではなぜかというと…

「北山の風」でお馴染の、あの人のお墓(伝)が
読谷にあるのデス。

 

おなじみのあの人…

 

千代松こと、丘春。

 

丘春は「北山の風」では攀安知の子
という設定になっていますが、
「北山の風」の物語は尚巴志の北山討伐(1416年)と、
もっと前の時代(13世紀~14世紀初期頃か?)の北山騒動の
2つの出来事が合わさった創作物語なんですよ☆


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なので本来丘春は攀安知の子ではなくて
この北山騒動で登場する人物。

本部大主(※北山討伐時の本部平原とは別人)の謀反によって
今帰仁世の主は討たれてしまいますが
その時、乙樽は幼い丘春(千代松)を抱いて逃れます。

そして時は流れ、青年になった丘春は旧臣を集めて挙兵し、
見事に城を奪取したという話。

その丘春が今帰仁から逃れ、育った場所が、
ここ読谷だった、と。
(恩納村説、北谷説もあるようですが。っていうか転々してたのでは…)

 

 
[左]'10.10の現代版組踊北山の風初演の千代松。掲載過去記事はこちらから。 [右]'12.2の公演の千代松。掲載過去記事はこちらから


無事に本部大主から城を奪取した丘春ですが
一説によると丘春の子どもの時代にまたまた革命が起き
北山王統は怕尼芝(ハニシ)へ。
※怕尼芝=攀安知のじいちゃん。

歳をとって隠居していた丘春は
ゆかりの地読谷に再び戻り再起を図るも
ここで力尽きたのであった…

 

参「新琉球王統史2」(与並岳生著)+渡具知泊城案内板

 

お墓の前は整備されていましたが
そこに至るまでの道のりは知花グスク並(笑)
距離はもっと短いけどね。

穴の中を進んで行くと、墓前に出ました。

中に何があるか、行った先に何があるか一切分からない中で
一歩踏み出す勇気が大事(笑)
(※ハブには気をつけましょう)

それにしてもこういう天然の通路、珍しい…。

整備される前はホントに隠された墓だったんだろうね。

こっちは反対側。

こっち側からのアプローチが近道。

 

(つづく)

 

*おまけ*

丘春のお墓の手前には
渡具知大湾按司の墓もありました。

こっちも古い感じ。


  
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