がじゅまるの樹の下で。

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宇江城グスク

2013年09月15日 | ・琉球史散策/第二尚氏

久米島の宇江城(うえぐすく)グスク。

国指定史跡になっています。

標高310mの宇江城岳の山頂にあるグスクで
沖縄で1番高い場所にある山城になるそうです。

山のてっぺんにちょこんとあって、
周りにはその姿をさえぎるものもなくて、
勝連グスクを彷彿させるのですが

その高さの迫力のためか、
勝連グスクよりも孤高のグスクという感じがしました。

最初見つけた時はテンションあがったわー(笑)

グスクのすぐ手前まで車で登ります。

宇江城グスクは伊敷索按司の長男が築城。

一の郭まで登るとその見晴らしは絶景かな絶景かな。

父ちゃんの伊敷索グスクよりも
立地も規模も威厳があって立派な気がする(^^;

まさに権威者の城という感じでした。

奥に見えるは航空自衛隊のレーダードームとアンテナ。

見下ろした湿地帯には雨柱がくっきり。

この時も散策している間に
どんどん雲が迫ってきました。

ころころお天気が変わる久米島でした。

さて、こんなに立派な宇江城グスクですが、

1510年頃、尚真の久米島討伐で落城。

その際、按司は幼き我が子を重臣・堂之比屋に託します。

そののち、久米島が王府管轄になり、
幼児が按司の跡目を許されると、
堂之比屋は幼児を殺し、王府には病死したと告げ、
代わりに自分が城主(→総地頭職)になることを許されます。

堂之比屋が喜び勇んで島に帰ると、
乗っていた馬がつまづき落馬。
自身の刀の鞘が抜けて刺さって死んだ

という話もあるそうな。

で、実は戦死したと思っていた宇江城按司が生きてたとか、
伊敷索按司が道楽息子だったために追放してた
“上江城按司の実の兄(本当の長男)”が跡を継いだとか、

とにかくその落城とその後については謎で
とりあえず「太史(たいし)」氏として子孫は続いたそうです。

参「沖縄戦国時代の謎」(比嘉朝進著)

 

実際、グスク前に太史氏明記の碑が立ってましたよ。

 


ちなみに宇江城グスク・按司は
仲城グスク・按司とも。
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雲に迫られる宇江城グスク遠景。

雲がスゴイ迫力(^^;)


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