joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『HPクラッシュ』 ピーター・バローズ(著)

2006年06月11日 | Book
2004年1月に日本で出版された『HP(ヒューレット・パッカード)クラッシュ 「理想の企業」を揺るがした1億ドルの暗闘』を読みました。原著は2003年なので出版後すぐに翻訳されたのでしょう。アメリカ・アマゾンでの原著へのレビューを見ると、どれも長い文章が並びますが、概ね好意的に迎えられています。

私がこの本を手に取ろうと思ったのは、先日紹介した“Good To Great”の中で“Good To Great Company”の例の一つとしてHPが取り上げられていたことと、一年ほど前に私が購入したプリンタがHP(psc1315)だったからです。一万円ほどのエントリー・モデルで外観も安っぽく不具合もなくはないですが、いつも横にいるのでなんとなく愛着はあります。

この本は、そんなHPが2000年に入ってから行ったコンパックとの大型合併の際に取締役メンバー間で起きた内部対立を追ったものです。“Good To Great”では触れられていませんが、hpは90年代に入ってそれまでの成長カーブを描けなくなり、深刻な停滞を余儀なくされていたそうです、その時事態の打開策としてCEOに起用されたのが、若干44歳のカーリー・フィオリーナでした。

本の中心は、女性として異例の若さでアメリカを代表する企業のCEOに抜擢されたフィオリーナと、創業者の息子ウォルター・ヒューレットとの間で起きた合併を巡る衝突劇に置かれています。単純に言えば、外部から来たフィオリーナが業績停滞を打開するためにコンパックとの合併を実現しようとしたのに対し、ヒューレットが独自の民主的・共同体的な社風・文化をもつhpを守るため合併を阻止しようとした事件を追っています。

この物語を読めば、ライブドアが起こしてきた騒動と似通った点があるのに気づきます。つまり、地道に職人的に技術開発を行ってきた日本の企業文化に対して、同じ技術を基盤とするはずのIT企業は技術開発よりもマーケティングと株価を重視した戦略を取っているのですが、hpで起きた騒動も基本的にはこの二つの新旧文化の対立だったということです。

hpという会社は、善意の塊の人間が頭で描いたような企業が実現した一つの“奇跡”でした。利益よりも技術者の情熱を尊敬すること、部下が上司に意見を言うことが許されるだけでなく求められさえする民主的な社風、社員に対する手厚い福利厚生、各部門の独立性、報酬の平等性… このような社風から、給与は高くないのにhpに忠誠を誓う技術者が多いことでもhpは90年代まではシリコン・バレーの象徴だったといいます。多くの社員が引退するまでhpに残ることを希望し、実際にそうしてきました。このようにまるで日本企業以上に共同体的な文化を作りながら、日本企業とは違い各人の個性・自立性という欧米の価値観をも尊重した企業、それがhpでした。

「ふたり(ヒューレットとパッカード)が会社をつくったのは、仲間と働く喜びのためであり、気の合うエンジニアが楽しんで働ける場所をつくるためであり、技術を通じて世の中に貢献するためだった。「利益は本来、経営の目的でも目標でもない。本来の目的や目標を実現するための手段が利益なのだ」(パッカードの言葉 引用者)。」(70頁)。

また創業者のパッカードは、あるとき経営学者のホールデンという人と話し合ったとき、次のようにも述べたそうです。

「「経営陣の責任とは何か?」という問いを提示したのち、ホールデンはこう論じた。「経営陣は株主に対して責任を負う。それがすべてだ」。パッカードは反論した。「まったくちがっていると思う。経営陣は従業員に責任を負い、顧客に責任を負い、地域全体に責任を負う」」(70頁)。

この会話はマズローの『完全なる経営』が出版される30年近く前の1942年のものです。

hpの成功した過程を、著者は次のように描きます。例えば製品開発について。

「hpのエンジニアはアインシュタイン流ではなく、トーマス・エジソン流に考えるよう訓練された―最短期間に最大の利益をもたらすアイデアを追求するためだ。…稼いだ利益を研究開発に再投資することで新たな市場を創造し、アメーバさながら果てしなく自己増殖を繰り返した。電圧計だの調和波分析器だの電圧波形計測器だの、いかめしい名のついた新製品がつぎつぎに登場する。エンジニアがこうした何とか装置を発明するたび、少数の管理職で経営チームをつくって自由に事業を構築させた―ただし採算のめどがたっていることが条件だ。こうした計器製品は、数年で二億ドル市場に成長する例も珍しくなかった。信頼性の高い計器には割高に価格を設定できたので、hpは荒稼ぎした」(74頁)。

または組織構築について。

「成長につれて官僚主義がはびこるのを怖れ、創業者はいくつかのルールを定めた。これがさらに、その後四十年間の成功につながる基礎になった。まず、会社を部門別に分割することを決めた。それぞれに幹部チームを任命し、独立企業と同様に、経営に責任を持たせる。これで中小企業的な感覚が制度的に定着し、やる気のある若い管理職が自由に腕を振るえるポストが大量にできた。元幹部、ジョン・ラッセルによると、会社が成長を続ける限り「将来のキャリアについてあれこれ思い煩う必要はなかった。時期がくれば、お呼びがかかった」(強調は引用者)」(75頁)。

しかし、この物語の興味深いところは、このような絵に描いたような理想の企業が停滞していった事実です。

一方で“市場原理主義的”に短期的な利益のみを求めるビジネスが脚光を浴びる一方で、本屋の経営の書棚に行けば、お金儲けに走るのではなく、自分のやりたいことを実現して社会に貢献することが結果的に企業の繁栄につながることを説く“経営哲学”の書籍が多くあります。hpはまさに後者のタイプです。しかも、そのような理想を実現しながら、同時に莫大な利益をも達成してきた企業でした。

良心的な人々にとっては、hpのような企業の存在は、お金儲けだけを追い求めることは悪いことで、人の役に立つことが結果的に自分に還ってくるという道徳を説くさいの格好の材料でしょう。

しかしそのhpは実際にはコンピュータの出現とともにそれまでの利益の伸びを達成できなくなっていました(もっとも、赤字化したわけではありません)。

コンピュータビジネスの勃興は、hpの停滞の原因となりました。著者によれば、それまでの“計器”の開発とコンピュータの開発の性格の違いを指摘します。

「コンピューター事業で求められるアプローチは、従来のhpのそれとはまるで別だった。計器事業の場合、少人数のグループが数十万ドル程度の予算で新製品を開発する。ところが本格的な新型コンピュータを開発するには数百万ドルかかるし、他にいくつもの作業を並行しなければならない。基本ハードウェアを構築する一方で、CPUを開発し、ソフトを設計し、ディスクドライブを組み立てなければならない、また計器事業なら、新製品ができたらカタログに一頁追加して、他の製品と同じように一般エンジニア向けに販売すればいい。とろこがコンピューターでは、高給取りのセールスマンと一流マーケター部隊を顧客の大企業に送り込み、IBMをはじめライバル企業をさしおいて契約を取ってこなければならない」(93頁)。

計器とコンピューターとのこの違いが、結果的に1999年のカーリー・フィオリーナのCEOへの招聘へとつながることになります。コンピューター・ビジネスへの進出はhpでは60年代から始まりますから、その時点でフィオリーナとの出逢いの種は蒔かれていたとも言えます。

また、平等・民主主義を社是とする文化もhpの足枷となっていました。創業者たちにとって社員を大事にすること、彼らの意見を聞くことは、利益を上げるという企業の現実的な目標と一貫した行為でした。現実的だからこそ、社員・技術者の情熱を尊重し、彼らが働きやすい職場を作ることの大事さを創業者は意識していました。地域への貢献や社員への福利厚生を大事にしたことと、利益を上げることは、創業者達の中では不可分に結びついていました。

しかしそれが“hpウェイ”として強調され持て囃される頃になると、現実的に仕事を行い利益を上げるという部分が忘れられ、上司と部下の対等性・地域貢献・福利厚生といった口当たりのいい枝葉ばかりが意識され、会社の中に停滞感がはびこることになりました。

基本的に技術者向けの計器開発を行っていたhpは、コンピューターを売る場合には、機械のメカニズムを知らない素人に売り込むために、大衆のニーズの変化に敏感に反応することが求められます。しかし業界向けの商売をおこなっていたこの会社には、消費者のニーズに対応する能力が欠けていました。

こうした状況を改革するために迎え入れられたのが、やり手セールスウーマンとして評判を得ていたカーリー・フィオリーナでした。

この本にはhp関係者への豊富なインタビューが収められていますが、フィオリーナへのものはありません。それは、著者が以前から彼女に批判的な記事を書いていたためだと推測されています。

たしかに著者は彼女に対して感情的に反発していることが文章から浮かび上がっていますが、それでも著者は最大限の想像力を発揮して彼女の長所もつねに指摘しようと心がけています。しかし、その長所・彼女への周りからの賛辞の言葉のすぐ後には、「しかし実際のところは…」といった感じで彼女への否定的な評判が取り上げられます。

簡単に言えば、技術者中心の会社だったhpに対して、それをマーケティング本位の会社に換えるために呼ばれたのがフィオリーナであり、彼女は自分に求められた目的をただ実践しようとしていました。

しかしそれはhpのそれまでの歴史を顧慮しない強引で独裁的なやり方であり、そのためフィオリーナは著者から批判的に見られていると言えます。

数万人規模のレイオフを行い、技術者の権限を廃止し、マーケティングを中心に組織を編成し、なるべく大きな(無茶な?)額の利益見込みを掲げることで株価を上げようとし、独裁的に方針を打ち出し、自分のやり方に異を唱える者を排除する彼女のやり方は、hpの文化とはあまりにもかけ離れたものでした。

この本は、フィオリーナがコンパックとの合併をめぐるヒューレットとの裁判で勝訴した2001年の時点で終わっています。

著者は基本的にフィオリーナに批判的なスタンスを一貫して採っています。それはおそらく彼自身がアメリカの企業文化をおかしいと思い、その中で独自性を保っていた“hpウェイ”が見直されることを望んでいることから来ています。そんな著者にとってフィオリーナは、短期的な利益(あるいは利益報告)のみを追い求め、そのためにはまわりの社員の人格をも顧みない行動を取るエゴイストに映ったのではないかと思います(もっとも、公平を期すために著者はつねに彼女の他人に対するユーモアのセンスや時に見せる優しさにも触れています)。

この本を読んだ後でネットを見ると、フィオリーナは2004年に業績と株価の低迷から、取締役会から退任を言い渡されたそうです。ヒューレットと彼女との対立は合併がhpの企業価値を高めるか否かを巡って争われ、法律上はフィオリーナの勝利に終わりました。しかし皮肉にもフィオリーナはその数年後に業績低迷の責を負わされたのです。

しかしフィオリーナ自身にどれだけ問題があろうと、hpが消費者本位の大衆向け製品で改革を迫られていたことは事実でしょうし、それは今も変わらないはずです。重要なのは、技術者本位だった企業をどうすればマーケティングに対応できる企業にできるのかという問題は残ります。

そうした組織上の問題にもっと踏み込めば、この本はもっと面白くなったかもしれません。フィオリーナ一人に責任を負わせるには、問題は多すぎたような印象があります。




参考:「HP-コンパック買収の裏側に迫る」CNET Japan  フィオリーナの側からコンパックとの合併を取材した『私はあきらめない―世界一の女性CEO、カーリー・フィオリーナの挑戦』(私は未読)の著者とピーター・バローズとの同時インタビューです。

   「フィオリーナ会長辞任に思う、HPとソニーのたどる顛末」[R30 マーケティング社会時評]

ドイツ・コスタリカ戦 2006

2006年06月10日 | スポーツ
ドイツの左サイド、シュヴァインシュタイガーはいいですね。パスセンスがあるわけではないですが、突進力があるというか。あとフェイントをかけて相手DFを抜く場面も何度かありました。シュート力もある。まだかなり若かったと思うので、これからのドイツを担う存在なんでしょう。バラックの後継者として、インターナショナル・レベルの選手になるのかもしれません。

ただドイツの困ったところは、このシュヴァインシュタイガー以外には“才能”を感じさせる選手がいないこと。バラックもいつ戻ってくるのやら。

コスタリカは組織プレーがかなりゆるゆるのチームでしたから、今回の試合ではドイツの実力はまだ分かりません。ていうか、このチームに2点も取られたのはかなり不安材料かもしれません。

強豪国ならまだこの段階は慣らし運転が許されますが、今のドイツはこれから急激に伸びる保証はない気がする。決勝トーナメントでどれだけ変貌できるか。

それはともかく、さすがというか、上から見ているとなんとまぁ芝生のきれいなピッチだし、スタンドも壮観な眺めのアリアンツ・スタジアムです。

涼風

アンソニー・ロビンズのメッセージ 3

2006年06月10日 | 日記


3.聞いたことを全て信じてはいけない。持っているものをすべて使ったり、眠りたいだけ眠ったりしないように。


「聞いたことを全て信じてはいけない」

うーん、これはよく聞くアドバイスですね。同じようなことですが、前世療法で有名なブライアン・ワイス医学博士さんは、「魅力的に現れる人ほど警戒しなさい。相手の言うことはすべて自分の心で確かめなさい」と言っています。

例えば村上世彰さんは読売新聞でコテンパンに批判されています。僕もメディアが伝える村上さん像を見て、やり方がまずかったと思う。

大企業メディアでは村上さんは完全な悪人にされている。でもネットで探すと、彼のファンドにはアメリカの大学も出資していて、村上さんの運用で上げた利益を通じて留学生のための奨学金を支給できているそうです。村上さんは同じことを日本の大学にももちかけていたそうです(「村上氏は本当にプロ中のプロだった。」『貞子ちゃんの連れ連れ日記』6/6・7

もちろんそれとは反対の、他人を思い通りにコントロールしようとするエピソードもよく聞くわけですが、彼のしたこと全部が全部ダメだったとみなすと、私たちは何も学んでいないわけなんですね。

僕も他の人と同じように村上さんには感情的に反発するし、彼のやり方が問題とされることはいいことだと思いますが、彼の目指そうとした企業のあり方自体まですべて否定されるべきかどうかは分かりません。

だから、少なくとも「識者」の人には庶民的な感情論を超えたレベルで議論して欲しいのですが、出て来るコメントはどれも「証取法の精神に反する行為だ」とか「拝金主義だ」とか、庶民と同じレベルのものばかりです。

彼のやり方に問題があるのはだれでも分かるんですよ。ただ、やり方が問題だとしても、しかし村上さんが批判した日本企業のあり方はどういうもので、村上さんがビジョンとして描いた姿はどういうもので、やり方が強引でも目指した目標の中に理に適っていたものがあるとすれば何なのか、それを言ってほしい。しかしテレビも新聞もそういう村上さんの「光」の側面について何も語らない。

啓蒙専制は、専制はたしかにまずいけど、啓蒙がすべて否定されるべきじゃないでしょ。


涼風

アンソニー・ロビンズのメッセージ 2

2006年06月09日 | 日記


アンソニー・ロビンズのメッセージです。

2.あなたの良い話し相手と結婚すること。年をとってくると、相手の会話の能力は他の能力と同じぐらい大切になる。



どうでしょう?何か感じられましたか?

大学時代の女のゼミの先生が言っていたのですが、歳をとると、異性の顔の美醜というものは気にならなくなり、その人と話していてどれだけ面白いかが重要になってくるそうです。

その先生は当時40歳ぐらいで既婚の人でしたが、僕はそういうものかなぁと思って聞いていました。

その先生が女性だったからそういうことを言ったのかなぁという気もします。男の場合は、いつまで経っても女性の顔にこだわるところがあるかもしれません。

でもそれって要するにおもちゃが欲しい感覚と同じだよなぁ、と思うぐらいには僕も異性の顔にこだわる男の習性を相対化できているように思います。

若いときはきれいな女の子をみると「この子とつきあえたらなぁ」と指をくわえて物欲しげに女の子を見ていました。しかし今では、たしかに町できれいな女性に目が行くことはあっても、「つきあえたら」みたいなことは思わないのです。感覚的に、どんなに容姿に惹かれても、それだけでは上手く行かないと思うようになっています。


涼風

朝の緑

2006年06月09日 | 絵画を観て・写真を撮って


一昨日の朝、珍しく早起きしました。お腹が減っていたので、ココアにパン1枚にオレンジを食べてもまだ満たされず、さらにロールケーキを二切れ食べました。そんなにクリームのついていない、コンビニで売っているようなパンだけれど、さすがに朝から甘いものを沢山食べたなぁという感覚(からだに脂肪が増えていくような)と罪悪感につきまとわれたので、軽くウォーキングすることにしました。

湿度も低く、陽射しも差し、空は青く、世界がオレンジ色で輝いているみたいで、まぁなんていい天気なのでしょう。

デジカメで写真を撮るようになってから気づいたことですが、日本の町では(おそらく大都市以外は世界中同じでしょうが)緑があふれています。それは町の区画整理で行政が意図的に植えたものでもあるし、元々自然の中を無理やり切り開いて家を建てたため隙間から覗いている緑でもあるし、各家庭が植木鉢に植えた花でもあります。

どの家にもじつに多くの花が世話をされているんですね。今まで知らなかったけど、日本の人の(あるいは人々の)多くが種を蒔き、水をやり、土を買ったりして花の世話をしているんですね。本当に本当に毎日毎日信じられないほどの多くの人が多くの花を世話しているんじゃないでしょうか。でなければ、歩いてあれだけ多くの花に遭遇することはできません。

朝の気持ちのいい空気と太陽の光の中で、それらの緑はとても輝いて映っていました。“What a wonderful world!”という有名な歌がありますが、あの歌もきっと朝の緑を見て書かれたんじゃないでしょうか。


時間的に学校に子どもたちが行く時間でした。大人も子供も、一人でも多くこの朝の素晴らしさを日々実感しているなら、それは素晴らしいことではないでしょうか。


涼風

Music一覧 No.1

2006年06月09日 |  (Music一覧)
これまでの音楽に関するエントリを一覧にしています。

   ・アルバム 『アイム・ウィズ・ステューピッド 』 エイミー・マン

   ・“REMINISCENCE” Bonnie Pink

   ・“Even So” Bonnie Pink

   ・“SONORITE” 山下達郎

   ・I have never listened to it.

   ・最近(?)のゴンチチ

   ・“sea~海” 高垣直美

   ・“3121” Prince

   ・『美ら歌よ』シリーズ

   ・『美ら歌よ~沖縄ベスト・ソング・コレクション~』

   ・最近口ずさむ歌

   ・朝はきれいな音楽

   ・感動! “Stand” Sly & The Family Stone

   ・嫌な曲は飛ばす

   ・スティービー・ワンダー

   ・モーツァルト

   ・“Water”

   ・モーツァルト

   ・クラシック 

   ・ジョージ・マイケル

   ・もう業界はいらない?

   ・“Water” by Makiko Hirohashi   

   ・プリンスについて(音楽の話など)

   ・“a day of my life” 原田知世

細かい機能が付いて壊れやすくなったエアコン

2006年06月07日 | 家電製品にかかわること

昨日、両親が三ノ宮にある家電量販店に行き、クーラーを見に行きました。正確にはエアコンですね。我が家にはもう20年以上動いているクーラー(エアコンではなくて)があって、そろそろ買い換えようかと親が思ったからです。

我が家のクーラーのメーカーはダイキンで、20年以上動き、今もとくに故障しているわけではありません。おそらく今年もちゃんと動くと思います。まぁ、それでも長く使っているので親としては買い換えようと思ったのでしょう。新しく買うにあたっても、今のダイキンのクーラーが20年以上もっているのだから、今回もダイキンにすれば大丈夫と考えていました。

しかし昨日行った店の人の話では、今のエアコンは空気清浄とか除湿とか色々細かい機能がたくさんついているため昔のものより壊れやすくなっているそうです。「10年くらいで故障する」とのこと。

ちなみに対応してもらったお店の人も家ではダイキンのクーラーを使っていて、それも25年以上動いているとのこと。そんなにいい製品を作っていたのにどうしていらんもんを沢山付けて壊れやすくしたんだダイキンさん。

また、今のエアコンはどこのメーカのモノを買っても同じみたい。つまり外面的なデザインや昨日で少し違いはあっても、内部の部品は同じ会社のモノを複数のメーカーが使っているとのこと。

こういう話はコンポを買うときにも僕も人から聞きました。

それにしてもエアコンにやたらめったら機能が付いているのも日本特有の現象かもしれないですね。例えばアルプス以北のヨーロッパではクーラーとかエアコンとかいうものはほとんどお目にかかりません。ホテルでもよほど高級なところに行かなければないと聞いたことがあります。向こうでは例え夏でも日本みたいに蒸し暑くならないので、気温が高くても室内は結構涼しい。また冬は冬でエアコンよりもよっぽど頑丈なヒーティングシステムが入っています。北ヨーロッパで北海道より寒いですから。

でも家電に細かい(いらん?)機能を付けているのは日本人の特性のような気もします。アジアやアメリカではどうなんだろう?日本人はどうでもいいのに細かい機能が付いているだけで喜ぶ性質なんじゃないだろうか。

そういえばプラズマとか液晶テレビも実は5年ぐらいしかもたないそうですね。知りませんでした。何十万も払って5年しかもたないというのも、べつに我が家は買っていないけれど、なんか空しい気がする。

でも、10万円以上のパソコンを2、3年で買い換えるのが当たり前の現代人にとっては、そんなことどうでもいいことなのかな。パソコンなんてただのツールであって、それ自体が何か喜びをもたらすようには僕には思えないのだが。


涼風

なんかヤバそう、オーストラリア戦

2006年06月06日 | スポーツ
「第1戦がその後を決める オシム監督がW杯語る 」

「2戦目となるクロアチアについて質問が出ると「初戦はオーストラリア。あんなにいいチームのことをとばして聞かないで。走れる選手、高い選手、素晴らしい監督がいる」と初戦の相手を評価した。」

「日本については攻守のバランスが大切だと強調。「誰でも技術的な選手が好きだが、サッカーには水を運ぶような役割が必要。福西(磐田)1人で水を運べるのか」との例えを使い、小野(浦和)中村(セルティック)中田英(ボルトン)ら攻撃的な選手をもてはやす報道にくぎを刺した。」

「オーストラリアの力を日本よりもやや上と見ているようだが、「日本に対し気持ちが入っている。わたしが間違っていたことになれば、うれしいことだ」と、来日4年目の同監督はエールを送った。」


うーん、僕はオランダとオーストラリアの試合を観ていないけど、なんだか相当ヤバそうな雰囲気になって来ましたね。「わたしが間違っていたことになれば、うれしいことだ」と言うことは、「オーストラリアが日本に勝つ」と言っているのと同じじゃないですか。

マルタ戦はチラっとしか見ていないけど、天気も晴れで、日本人の多いデュッセルドルフで(日本人が1万人以上住んでいる)、ドイツ戦の健闘もあって、本番でのスタメンのメンバーも決まっているし、緊張感がなかったのかな。

中田英のチームに対する苛立ちはいつもメディアで伝えられることだし、他のメンバーの本音も聞かないと実際のことはわからない。

ただ、何か一つのミッションを終えるとホッとしてしまったのはあるかもしれない。でもそれは日本人だけに限らないし、オーストラリアだってオランダに健闘してホッとしてしまっているかもしれないわけです。日本はジーコと中田英の激怒でもう一度緊張感が出てきてくれるといいのだが。


涼風

『ER緊急救命室』

2006年06月04日 | 映画・ドラマ


ドラマ『ER緊急救命室』を相変わらず毎週テレビで見たり、知人からDVDを借りたりしています。

ERをずっと見ていると、“死”というものを身近に感じるようになります。“病気”ということについても“死”ということについても、それが人にとって持つ大きな意味を、このドラマを何度も何度も見ていると、今までより感じるようになります。

ERでは末期治療の問題が繰り返し繰り返し取り上げられます。延命治療が同意するかどうかがいつも大きな論点になり、そのことをめぐって医者同士が衝突もします。苦痛を伴う延命治療を倫理的に批判する医者がいれば、法律遵守の点から治療拒否を行った患者に治療を施すことを厳しく戒める医者もいます。またどう治療すべきかという点で、知らず知らずのうちに患者を心理的にコントロールして自分の思い通りにしようとする医者もいます(それはもちろん善意からですが)。

このドラマを見ていて分かるのは、病気とその人の心理的状況・家族・人間関係が密接に結びついていること。病気をもつことの原因として、患者の周囲の人間との関係・仕事との関係などがそれとなく取り上げられます。それらの人生上の問題が病気として表れる、と明示的にセリフで語ることはしませんが、淡々とした事実の描写で語ります。

また貧困と病気との問題の結びつきもいつも取り上げられます。これは州立病院だからかもしれませんが、つねに貧困に陥る人が病気にかかることの多さをこのドラマは強調しています。

また「医者」という職業に就く人たちのメンタリティの描写も鋭い。明らかに倫理観に欠けていたり、虚栄心から医療に携わるような医者も描かれていますが、そんな分かりやすい“悪人”はドラマの中心人物ではありません。

むしろ中心になるのは、倫理的な潔癖さ・完璧主義・立派な医者になりたいというエゴをもつ、普通の秀才たちです。彼らは皆一様に倫理的に正しくありたいと願い、どこかで自分が絶対正しいと思い、それゆえにまわりの人と衝突します。

そうした普通の人がもつエゴを正確に描いているからこそ、このドラマでは医者が人間臭く伝わってくるのです。

またそうした倫理的潔癖さ・完璧主義と、彼らが金銭的不安につねにさらされていることとの結びつきも垣間見えてきます。

“医者”というと高給取りであるというイメージがあり、それは実際そうなのでしょうが(日本では平均で1千万を越える程度と言われている)、かと言って悠々自適に暮らしているわけではない。

とりわけこのドラマは公立病院だからか、奨学金の貸与を受け苦学して普通か貧しい家庭から“頑張って”医者になった人物が多いので、それゆえにどこかで金銭に対するコンプレックスをもち、それゆえに金銭からを目を背けるために・あるいはこの世に金銭など存在しないかのように、人助けである医療に打ち込み、つつましい生活をし、満足に睡眠も取らない生活をします(強いられます)。

いくら高給取りでも、官僚制としての病院の中では自分の思い通りに治療ができるわけではなく(このプレッシャーはアメリカではとくに強いらしい)、レイオフの危機にも曝されています。

医者という立場の不安定さ、そこからくるストレス、それが医療の現場に及ぼす様々なネガティブな影響、どこかギスギスした職場環境。また研修医の間は日本円で300万ほどの給料でやり過ごさなければなりません。


延命医療をめぐる問題では、主にこのドラマでは患者は安らかな死を選びます。安楽死を扱う回もあります。

安楽死の問題は、なぜ人は自殺してはいけないのか、という問いとして言い換えられるでしょう。毎年のように3万人以上の自殺者が出る日本では、この問いが無効になるほど、多くの人が規範を破っています。

安楽死を否定する人には、自分で死を選ぶ人の中に一種の怠惰、生き続ける努力からの逃避というものを感じ、そこに人間の目的から外れる安易さを感じているのかもしれません。

私たちはどこかで生の目的とは人間的成長であり、人生の道を前進することであり、壁があれば克服することであり、生きる目的とは生きることの意味を見出すことであるという観念があるように思います。

安楽死とはそのような成長の機会からの逃避のように、生を肯定する人たちには思えるのでしょう。

では、安楽死とは本当にすべてがそういう安易な選択なのでしょうか?

安楽死の選択には、諦め・断念・逃避という側面しかないでしょうか?

安楽死をすべて肯定することはできませんが、安楽死を一律に否定することも、真剣な選択とは何か?成長とは何か?という問題をつきつめて考える努力の欠如があるようには見えないでしょうか。

涼風

『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 大竹文雄(著)

2006年06月03日 | Book
経済学者の大竹文雄さんの近著『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』を読みました。

この本を読んでいて、いかに自分が著者の言う「経済学的思考」に馴染めないか、その感覚に違和感をもつのかに気づきました。ただ、それはわたしの側に原因があるのだとは思います。

著者は次のように言います。

「「経済学的思考のセンス」がある人とは、インセンティブの観点から社会を視る力と因果関係を見つけ出す力をもっている人だと筆者は考える」

たしかに人は誰でもインセンティブをもっているだろうし、そのインセンティブはなんらかの結果を引き起こしているでしょう。ただ経済学は、社会と人について説明する際に、そのインセンティブにのみ着目します。その「人」を視るのではなく、視るのはあくまでインセンティブであるようにわたしは受け取ってしまいます。「人」というものが消され、インセンティブのみがこの世に存在するように記述されているように感じてしまいます。

お金が欲しいというインセンティブでも、それをもつ原因は複雑です。両親が借金まみれになったので、安定してお金が欲しいという人。父親が公務員で面白みのない人生を送っていたので自分は起業して大儲けしたいという人。母親が浪費家だったので、お金はつねじ切り詰めて使いたいという人。遺産相続で親類同士の争いが絶えなかったために、お金は災いの元だから必要最低限は欲しくないという人。自己否定のメンタリティが身につき、「お金が欲しい」けれどもホームレスに身を置く人。

一口にお金が欲しいと言っても、お金にまつわる人々の観念の背景には複雑な事情があります。しかし経済学では、そうした事情は考慮せずに「金銭を欲するというインセンティブ」と一言で説明され、そのインセンティブが社会の制度を形作る“要素”として取り出されます。そこでは、「人」が消され、社会と人ではなく、社会と“要素”(インセンティブ)のみがあるようにわたしは思ってしまいます。

これは要するに単なる言い方かもしれません。また、目的が社会制度の科学的な説明にあるのだから、目的にはインセンティブにのみ着目するのが理に適っているとも言えます。

だから、なぜわたしが感情的にこうした思考に違和感をもつのかと探ると、そもそもそのような科学的態度をもつことに対する違和感だといえます。要するに著者の責任ではなく、わたしのメンタリティの問題なのでしょう。

ただ著者は、すべての経済学者がそうなのかは知りませんが、議論の仕方は慎重で断定や独断よりもバランスを重視します。

例えばインセンティブと言っても著者は様々なことがあることを認め、金銭欲・名誉欲・安全など複数指摘しています。

わたしの最初の思い込みとは多少異なり、著者にとっての経済学とは、科学者が想定する単一のインセンティブ(ex. 「金銭欲」)である社会現象を説明して終わるのではなく、むしろその社会現象を説明するのに最も相応しいインセンティブを幾つか探ることで適合的な説明を試みる学問です。また、そのインセンティブの想定を正しいとして、だとすればより望ましい社会制度設計とは何かを提唱する学問だともいえます。

例えば著者は、年功賃金が存続してきた理由として、4つの仮説を提示する。

・人的資本理論:経験の積み重ねで社員の生産性が高まり収益が増えるので、企業は年功賃金を可能にできる。

・インセンティブ理論:社員が長期にわたって真面目に働くことへの報酬として、中高年に会社は高給を保証する。その場合、社員が若いときに稼いだお金が、中高年になって会社から返されることになる。

・適職探し理論:人的資本理論と発想は同じ。ただ、年齢を経るごとに人は適職を見いだして中高年で生産性が上がると考える。

・生計費理論:これはインセンティブ理論と同様に若い時に稼いだお金を後で返してもらう仕組み。ただインセンティブ理論が会社の側の都合から説明していたのに対し、生計費理論では労働者の側から説明する。独身→結婚→家庭といった生活スタイルの変化に合わせてより多い収入を社員が求めるため、と説明する。

これが経済学が「理論上」年功賃金が成り立つ原因として説明する四つのモデルです。この4つのモデルのどれかが正しければ年功賃金も終身雇用も日本では存続可能でしょう。しかし現実にはそうなっていないのは、このモデルを成立させない条件が今の日本社会にはあるからです。

例えば、消費者の嗜好の変化に激しい社会では、これまでの経験が役立たなくなります。そういう社会では人的資本理論も生計費理論も成り立ちません。また、同じく企業が長期にわたって存続し利益を生み続ける保証のない変化の激しい社会では、若い時にプールした利益を中高年になって返してもらうインセンティブ理論と生計費理論も成り立ちません。

こうやって今書いていて思ったのは、理論経済学って、要するにあるモデルを成立させる条件を考えて、その条件が現実の社会でも成り立つかどうかを考える学問なんですか?これってヴェーバーが考えた「理念型」とおんなじじゃん。ヴェーバーと同じだからいいわけではないが、こうみるとなかなか有益な学問のようにも思えてきた。


この著書では、年功制崩壊の他に、未納年金や格差の問題がハイライトとして取り上げられています。これらの現象に共通するのは、団塊の世代が大きな役割を果たしていること。

年功制にしても年金にしても、若い人が稼いだ分を中高年に委譲している現実があります(それは上記の年功制モデルの理想とは違うのですが)。しかし自分達の状況が良くなる見込みのない若者・企業はこうしたシステムを維持するインセンティブをもちません。少子化もそれにより齎されます。

だとすれば、これからの社会科学の役割は、この不確実な時代でも、人間の中に残り続けるインセンティブは何なのかを探り出すことだとわたしは思います。

それは金銭的報酬ではないと、最近のライブドアや村上ファンドの事件を見ると、わたしは思わされます。単純な金銭への強欲が多くの人を動かし続ける要因になるとは思えないのです。

人々の中に残るインセンティブとは何なのか。安全なのか、勝利なのか、博愛なのか。そのことを探るには、経済学だけではない、多くの人の学問・経験・知見が必要なのだと思います。


参考:『大竹文雄のブログ』

   「経済学はじめの一冊」“404 Blog Not Found”

家々

2006年06月01日 | 日記


夜に散歩していると、様々な感情に襲われます。

建ててからニ、三十年は経っているであろうような「家」、

モジュール化された?部品を簡単に組み立てたような、壁が薄そうな現代的な「住宅」、

巨大なマンション群で構成されたコンクリートと人工的緑の「街」、

木材が腐って黒くなっている古ぼけたアパート、

一体何をして儲けているんだろうと不思議になる大邸宅、

家と家との間が比較的ゆったりしている閑静な住宅街、

新しい家と古い家がぎゅうぎゅう詰めに押し込められ押し合いへしあいしているような人間くさい町。

僕の住んでいる場所にはこういった様々な形の家が近接し、また混ざり合っています。そういう意味では不思議な場所なのかな。所得の高い人・低い人が同じ場所に住んでいる。都心にあるような高級スーパー(輸入物ばかり揃えていたりとか)もない(と思う)ので、そうした様々な階層の人たちが同じお店でお買い物していると思う。

そういう家々を見ながら歩き、そこに人間の社会生活があることを感じます。そこには、養育があり、教育があり、親と子の感情的葛藤があり、苦労があり、虚無感があり、結婚があり、通学があり、勉強があり、夢があり、挫折があり、諦念があり、喜びがあり…

いろいろなことを経ながら一つの社会的存在となり、社会的生活を営む人たちの姿を感じます。人間のパワーの強烈さを感じます。


涼風


日本対ドイツ

2006年06月01日 | スポーツ
昨日の朝は6時ごろに目が覚めました。そう、まだサッカー日本対ドイツ戦がやっていた時間です。すでにスコアは2-0でした。後でダイジェストを見ると、それまでに日本は攻撃でかなりいいプレーを繰り返していたみたい。

僕が観始めた後半20分ぐらいはドイツが前がかり攻撃していた時間帯。それを見ていて感心したのは、日本がペナルティエリア付近でボールを奪ったとき、相手が二人三人と迫ってきたときも各人がボールを奪われずにちゃんとキープして針の穴を通すようにパスを回してカウンターにつなげようとしていたこと。

中田英・中村という世界レベルの選手を中心にして、相手の数が多くてもボールを奪われずにキープできる技術の高さにはあらためて驚かされました。

元々日本のサッカー選手は足元でボールをコントロールするテクニックに優れていると言われています。中田が「今まで一緒にやった中で一番上手い」という元ヴェルディの財前は、イタリアにサッカー留学した際には同僚やコーチをその技術で驚かしたと言います。

もっと遡れば70年代後半からの日本代表メンバーの中心だった木村和司、風間、金田といった若手達はその技術力でアジアの遠征試合では観客を沸かせていたそうです。そのテクニック中心のメンバーを選んでいたのが現在の川渕チェアマンです(このあたりの事情については『日本サッカーの未来世紀 』(後藤建生 文春文庫)に詳しく書かれています)。

90年代前半では代表クラスですらサッカーの戦術を知らなかったと言われている日本ですが(同上)、足元でボールを操るテクニックに関しては70年代・80年代と暗黒期の中で着々と伝統が積み重ねられていたのでしょう。そこから小野や中村といった選手が現れたのでしょう。

その日本が屈強な体格ドイツクラスの相手でも1対1では簡単にボールを奪われないことを昨日は証明していました。

涼風