joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『「死ぬ瞬間」と死後の生』 E. キューブラー・ロス(著)

2006年06月30日 | Book
エリザベス・キューブラー・ロスの講演録を集めた『「死ぬ瞬間」と死後の生』 を読みました。以前読んだ彼女の自伝『人生は廻る輪のように』と内容はかなり重複しています。そもそも、末期患者と深く接して行く中で、ある時期から彼女の考えはかなり固まって、おそらくどこで話すことも内容は同じなのではと思います。彼女にとっては、新しいことを言うよりも、目の前にいる人に関わることが大事なのですから。

この本を読むと、キューブラー・ロスという人や彼女のメッセージの魅力は、現れてくる現実に対してただただ自分に正直になって取り組みなさいというものだということが分かります。

彼女のメッセージには、末期患者に献身的になること、人は臨死体験ですでに死んでいる親しかった人と出会うこと、人は誰でも自分固有の仕事を課されて生まれてきたのであって、その任務を終えると死に向かうことなどが打ち出されます。その過程で、人は、他人に援助を与え他人から受け取ることの大切さを学ぶと言います。

これらのメッセージ自体は、たしかに重要なことかもしれませんが、多くの「スピリチュアル・リーダー」たちが無数の本で言っていることと同じです。

キューブラー・ロスの魅力は、そうした洞察に至った彼女の徹底的な自分への正直さにあると言えます。べつに彼女はグルになりたかったわけでもないし、ベストセラー作家になりたかったわけでもなく、また無理してキリストのようになりたかったわけではないと思います。

彼女も人間ですから、多少の名誉欲はあったかもしれません。しかしだからといって、表面的にきれいごとを並べ立てる講演家ではおそらくなかったのではないかと思います。

ある末期患者の家族の子供を自分の家に呼んだとき、彼女はその子供にコーラとドーナツを差し出したというエピソードがあります。些細なエピソードですが、なぜか僕にはこれが一番印象に残りました。彼女はその話をするときに聴衆に対して、「もしそんな子供たちに、“健康にいい”飲み物なんて差し出したら、子供たちはどんな気持ちになりますか?ただでさえ家族が深刻な状況にある子供たちに“健康にいい”食べ物なんて差し出して、子供たちの心が開くと思いますか?」と言います。

ホントその通りだ。気分的に滅入っている子供たちを助けたいとか言いながら、そんな子供たちに砂糖や化学調味料がロクに入っていない健康オタクの食品なんて差し出したら、子供たちは不気味な館に来てしまったように締め付けられてしまう。

キューブラー・ロスは、無意味に善意をふりかざすこともないし、“いい人”を演じることもない。ただ彼女は、死の間近にある人と対等に接しようとしただけだと言えます。その結果彼女は、人間には自分の死期を予知する直観力が誰にも備わっていること、死までに克服しなければならない課題が誰にもあること、死は悲しむべきことではなく、ただその人が取り組むべきレッスンが終ったに過ぎないこと、闇雲な延命治療はそういう人間にとってもつ生の意味を忘れさせてしまうこと、などを悟っていきます。

すでに直感的に自分の死期を知り、同時に死ぬまでに周りの人にメッセージを残したいと思っている患者がいる場合には、キューブラー・ロスは患者がその任務をやり遂げることができるよう手助けをします。

また、そういう患者の家族が抱える感情的な葛藤にも彼女は目を向け、家族が患者の死を受け入れることができる状況を整えようとします。

彼女にとっては死の近くにいる人は憐れむべき存在でもなんでもなく、死を前にしてやるべき課題が残っているか、あるいはすでにやるべきことを終えて死後の世界へ入っていくかという選択肢がある人に過ぎません。

このように徹底的に患者と対等な立場に立てるというのも、おそらく彼女が生まれながらにもって生まれてきた特異なパーソナリティでしょうし、同時に私たちが学ばなければならないものなのでしょう。