joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「個人技の南米」という幻想

2006年06月28日 | スポーツ

ジュビロ磐田の名波選手がコラムで、おそらく誰もが漠然と感じていたことを明確に文章にしてくれていて、「そうなんだよなぁ」と思ってしまいました。それは、サッカー先進国の選手のパスワークと日本チームのパスワークとの違い。

足下でボールをもち、1対1で仕掛けてきた相手に対しては、今の日本の選手は簡単には取られない技術を持っています。

例えば2000年のオリンピックで日本はブラジルと対戦しましたが、そのとき僕が感じたのは、「日本は個人技が主体で、ブラジルは組織が優位だな」ということでした。よく「個人技の南米」と一昔前に言われましたが、その場合の個人技とは何なのか、じつは私(たち)はよく分かっていなかったような気がします。

2000年のオリンピックでのブラジルとの試合では、日本の選手は局面局面で1対1では相手の選手をかわしてボールをキープできていました。それだけ見ると、日本の選手の技術はブラジル選手以上でした。

日本の選手の個人技の高さは、日本に来日した元ブラジル代表や他の海外のスター選手も認めるところでした。つまり、一人でボールをもちリフティングしたりフェイントしたりといった技術では、おそらく日本のサッカー選手は十分一流なのではないでしょうか。

しかし、例えば元ブラジル代表のドゥンガは日本の選手に対して「テクニックは上手いけどやたら難しいことをするな」という印象をもったそうです。

そうした日本のサッカー選手に対し、2000年のブラジル戦ではブラジルの選手は1対1の局面になるのを極力避け、つねに数的優位になるようにボールを囲もうとしていました。

また攻撃でも、ブラジルの選手というのは一人で相手DFを突破したりはしません。むしろ彼らはつねに数人でパス交換しながら、絶対ゴールできる状況を作りだそうとします。これは2000年も2006年も変わらないブラジルの傾向だと思います。

名波選手はブラジルの選手たちのパス回しについて次のように述べます。ちょっと長くなりますけど、私にとってはとても参考になる指摘です。

「彼らはただパスを回すのが巧いんではなく、パスした後のサポート、フォロー、これらの絶妙なタイミングを常に考えて動いている。だから、次から次へとオプションが倍増し、パスの出し手はゴール近くになればなるほど多くのカードを持つことができるんだ。人もボールもよく動いている状態の理想の形だと思う。
反対に日本の中盤は、パス回しならば決してブラジルには劣らないはずなのに、パスをした後のサポート、カバーがないためにそれぞれが、来たボールを流していて、結果的には人が動かないでボールを回そうとする。だから、ミスも多く、うまく機能しない。これが両チームの決定的な違いだと思う。」

「ブラジル代表のパスワークは、サポートやカバーが次々に出てくる。パスというのは、そういう動きや気持ちを潤滑油にしてスムーズに流れるもので、前回も指摘したように、自分のパス、というのではそれがどんなに素晴らしいパスでもパスとはいえないんだ。それを受け取る選手、つないでフォローしていく選手がいて始めて「パス」になるんだということを、今日のブラジルの中盤を目の前で見た選手たちは忘れないで欲しい。」

日本には中田や中村や小野以外にも、才能豊かな「パサー」が昔から沢山現れていたそうです。しかしその多くは才能を開花できなかった。評論家でプロのコーチの資格をもつ湯浅健二さんはその原因を、才能があるために、自分のパスや足下の技術に固執して、自分自身が走ることをわすれるからだと述べています(例えばこのコラム)。

以前中田英は、プロに入る前のインタビューで、「サッカーは試合時間の9割以上はボールに触れていないから、その時間にどれだけ効果的な動きをするかが重要だ」と高校生の時点で語っていました。湯浅さんも同様のことを述べています。

「いいパス」をするのは、才能があればそれほど難しいことではないのでしょう。またそれで点が決まれば気持ちいい。

しかしサッカーの試合の90分でそんな決定的な瞬間はわずかです。そんな瞬間をじっと突っ立って待っていても、試合から消えてしまいます。

むしろパスを出したければチームメイトからパスをもらえる位置に自分から走らなければならない。またパスを出しても、すぐに自分からまた動いて次のパスをもらう動きが必要に本来はなります。

「決定的なパス」では、相手DFの裏をかくのは一回きりで、それに失敗すれば終わりです。しかし、自分たちのチームメイトと何度もパスを回しながら前に進むと、相手DFは、「次もパスを出すのか、出すとすれば誰に出すのか、それともシュートを打ってくるのか」といろいろ考えなくてはなりません。このあたりの事情を名波選手は「パスした後のサポート、フォロー、これらの絶妙なタイミングを常に考えて動いている。だから、次から次へとオプションが倍増し、パスの出し手はゴール近くになればなるほど多くのカードを持つことができるんだ」と述べています。

ブラジルの選手は、自分が11人のうちの1人にすぎず、自分と周りとの連携を増やすことで自チームの選択肢を増やしていきます。

それに対して、単に「才能」があるだけの「パサー」は、1本パスを出せばもうプレーを止めてしまうので、相手DFは迷うことはありません。そのパスに対応すればそれで済みます。

ブラジルの選手に個人技があるように見えるのは、彼らは思いもがけないような形で他の選手とパスワークをするから。予測できない動きで連携を行います。その意外な連携を見て、その場の「閃き」でプレーしているように見えます。たしかに「閃き」なのでしょうが、あくまでその「閃き」は他のチームメイトと共有された「閃きであって、まるでテレパシーで意見交換しているみたいなパスワークです。

それに対して日本の選手のパスは、自分の才能を見せるだけの個人的なパスにすぎず、まわりの選手との連動もありません。「世界」との戦いで中田が「キラーパス」をしなくなったのも、それは結局は効果的ではないとどこかの時点で考えたからなのではないかと思います。

ジーコ監督は「日本はフィジカルを鍛えるべき」と言っていて、それはそうかもしれないけど、ジーコ自身が知っているブラジル独特のチームプレーを日本に導入する必要性は感じなかったのだろうか?


涼風

参考:「日本代表における「組織」と「個」の不幸な関係」『ふぉーりん・あとにーの憂鬱』 「組織」と「個」を対立させる日本サッカー関係者の考え方への疑問が出されています。