joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「次がどこであろうと、ここから去り、次に向かう」 『日本サッカー…』『葉っぱのフレディ』 

2006年06月27日 | Book
スポーツ・ライターの増島みどりさんが、ブラジル戦後にピッチに座り込んだ中田を観察しながら、次のように述べています。

「確かに中田は動けませんでした(ブラジル戦終わりの時間)。しかし、それは「わずか」10分ほどです。彼が全力で走りきったのは、あの90分でも、今大会270分でもない。ユース代表に入った95年から実に11年にも渡たるひとつの時代を駆け抜けたのです。にもかかわらず、それだけ大きな何かにわずか10分ほどでけりをつけて、涙をふいて立ち上がった姿こそ、「戦う」ことだと思いました。次がどこであろうと、ここから去り、次に向かう、そういうことです。サッカーとは、スポーツとはそういう移り変わりに生きるものだ、と彼は悟っているのでしょう。

長かった時代が終わり、しかしすぐに始まっている何かのために前を向くこと。中田選手があの短い時間で、実に偉大で、美しい表現をしたことに私は心打たれました。言葉にできないほどの無念や失望、充実に試合終了から11分でけりをつけ、切り替えてみせたあの姿は、忘れられません。」

「コラム「俺がピッチで倒れたら…」~走り続けた中田英寿」


サッカーの試合は、ピッチにいる個々人にとってのゲームであるのと同時に、そのチームに関わった選手・スタッフと、それを取り巻くサポーター・社会をも巻き込んで行われます。

試合をしているのはピッチ上の選手だけなのですが、そこに至るまでには個々の選手のサッカーを含めた人生があり、また選手同士の葛藤もあると思います。

サッカーはチームスポーツですが、例えば野球よりもずっと中心選手の意向でチームが構成されやすいスポーツです。中心選手が監督に「俺はこの選手とやりたい」「あの選手はいらない」と言えば、それに監督が従う場合もあると聞きます。それは、その中心選手なりに客観的に判断しての場合もあるし、個人的な趣味で中心選手によって排除される選手もいます。

体育会系の部活動をした人はよく知っているように、スポーツ選手の素顔というのはとても意地汚いものです。勝ち負け・上手い下手がダイレクトに現れるスポーツでは、そのチーム内での序列はハッキリし、同じ仲間と言っても中心選手が他のメンバーを虫ケラのように扱ったりすることも珍しくありません。

そこまで低次元のことはなくとも、いずれにしても個々の選手の思い入れとは別に、サッカーという組織スポーツは、個々人のサッカーへの情熱とは別の論理によって動いていきます。それは監督のサッカー観であったり中心選手のサッカー観、あるいはその社会のサッカー観によって左右され、現場の選手はそのサッカー観に引きずられて、ある選手はメンバーに選ばれ、別のメンバーは排除されます。

そこで働いているのは、必ずしも監督や中心選手の趣味ではなく、むしろサッカーの歴史的な発展の論理であり、その論理に沿う沿わないで活躍できる選手とそうではない選手が選別されていきます。

そこでは才能がありながら活躍できない選手がいるなど不条理なことも起きますが、そうしたことも含めて、しかし全体的にはサッカーは客観的な歴史として展開していきます。

「彼が全力で走りきったのは、あの90分でも、今大会270分でもない。ユース代表に入った95年から実に11年にも渡たるひとつの時代を駆け抜けたのです。にもかかわらず、それだけ大きな何かにわずか10分ほどでけりをつけて、涙をふいて立ち上がった姿こそ、「戦う」ことだと思いました。次がどこであろうと、ここから去り、次に向かう、そういうことです。サッカーとは、スポーツとはそういう移り変わりに生きるものだ、と彼は悟っているのでしょう。」

個々人のサッカーへの情熱などお構いなしにサッカーの歴史は進んで行きます。日本代表は10年近く中田に率いられて進歩し、多くの選手が日本代表に情熱を傾けてきましたが、そんな人々の思い入れなど無視するかのようにサッカーの歴史はブルドーザーのように日本のサッカーへの思い入れを踏み潰してサッカーの発展の歴史を歩んでいきます。

たしかに日本のサッカーは進歩しているのでしょうが、そんな局地的な進歩など世界のサッカーの歴史にとっては無であったかのように、ブラジルの選手たちはいかにもブラジルらしい、昔からのブラジルスタイルで日本のサッカーを粉砕していきました。彼らにとっては本番前の練習であるかのように。ブラジルの選手たちにはこれから世界のサッカーの歴史を発展させる役割が始まるかのようであり、日本戦はそのためのウォームアップだったかのようです。

しかし、日本には日本のサッカーの歴史が存在することは否定できません。世界の歴史の発展から見てどれほど小さなものであろうと、日本という辺境の地でもたしかにサッカーの歴史は動いていきます。

また日本がいくら無視しようと、アジアのサッカー小国でもサッカーの歴史は動いています。

日本代表の歴史の中にも、不条理にもその歴史から弾き出された才能ある選手がいたかもしれません。しかしそうした選手たちの思いや、あるいは他のアジアのサッカー選手の思いなど簡単に踏み潰して日本のサッカーの歴史は進んできたし、これからも進んでいきます。そこでは勝者が日本のサッカーの歴史を作ってきたし、作っていきます。

しかし日本国内でのそうした勝者も、世界のサッカーの歴史の発展の前では簡単に踏み潰されていきます。

こうして多くの敗者の屍を大量に残しながら、歴史というブルドーザーは発展という途を進んでいきます。

これはサッカーだけではなく、歴史というものがそのように多くの民の死を作り出しながら、存在し続けるものが発展の証として歴史として構成されていきます。

構造改革でどれほど多くの人が不遇な状況に追い込まれようと、そのような敗者の思いを踏み潰しながら、歴史は進み、残った者が歴史の発展の証人として存在していきます。そのような不条理を多く生み出しながら、歴史は歴史として〈発展〉していくとされます。

そのような歴史の不条理さにもかかわらず、また歴史に生きる人々は「次がどこであろうと、ここから去り、次に向か」っていきます。多くの人の無念さを後に残しながら、それでも歴史は人々を前へと駆り立て、さらに歴史を構成するよう動かしていきます。

歴史という何か巨大な動きは、それ自体が客観的なものとして存在し、人々の生をブルドーザーのように踏み潰していきます。その客観的な歴史の動きの中で、個々人の主観的な歴史は翻弄され続けます。歴史のこうした客観性と主観性との相克の中で、それでもなお歴史は人々に歴史を作るよう強いて行きます。「次がどこであろうと、ここから去り、次に向か」わせるのです。

これを歴史哲学というのなら、この歴史哲学を鮮やかに教えてくれた本の一つが後藤健生さんの『日本サッカーの未来世紀』です。

またサッカーではないですが、人の生と死と、それでも進む歴史との葛藤を同じように描いているのが、『葉っぱのフレディ―いのちの旅』です。

この二冊は、とても似たもののように私には感じられるのです。


涼風