joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

オランダvsセルビア・モンテネグロ ドイツ・ワールドカップの思い出

2006年06月12日 | スポーツ
隣同士の国だからというのもあるでしょうが、オレンジ軍団を見ていると98年フランス大会での彼らを思い出します。細かい戦術は分かりませんが、今回のチームも98年ととても似ているんじゃないでしょうか。

当時はベルカンプ、クライファート、オーフェルマウス、コクー、ダーヴィッツ、デブール兄弟と、素人の僕でも知っている豪華な名前が並んでいました。そのときのスター軍団に比べると名前では今回はやや見劣りするかもしれません。しかしコンピュータでプログラミングしたかのように各選手がつねにプレッシングと正確なパスをするところは前回と同じ。一人一人はワールドクラスの才能であろうのに、個が突出することなくチームの意図を優先させます。その中でロッベンだけは前線で自由にボールをもっていましたが、それもみんなの了解事項なのでしょう。

でも僕はみていてオランダは好きになれないな。なんというか、やっているサッカーがあまりにも“精確”で、人間ではなくコンピュータ(機械ではなく)がサッカーをしているみたいなのだ。チェスでもコンピュータが人間に勝つ時代からコンピューターがサッカーでも勝ってもおかしくない。

でもそのあまりにも統率の取れた完璧なチームプレーとスタンドでマス・ゲームのように一様にオレンジのシャツを着ているサポーターを見ていると、「自由の国・オランダ」というのはじつは幻想なんじゃないかと思います。

最初からプログラミングされたかのようなサッカーをするというのはオランダの強みですが、昨日の後半のように弦がゆるんだり体力が落ちたりすると臨機応変にスタイルの変化ができないのもオランダの弱点のようにも思います。

98年のブラジル戦では優勢に攻めながら決勝点を奪えませんでしたが、当時のブラジルのキャプテンのドゥンガは「オランダはずっと同じプレーばかりするから対応しやすかった」と言っていました。このあたりがオランダと対戦する国の留意すべき点かもしれません。


涼風

“Good Business” by Mihaly Csikszentmihalyi

2006年06月12日 | Audiobook


心理学者チクセントミハイが2003年に出した著書“Good Business: Leadership, Flow, and the Making of Meaning”オーディオCDを聴きました。

チクセントミハイのフロー理論とビジネスとの関係については、ソニーコンピュータサイエンス研究所代表の天外司朗さん(本名は土井利忠さん)が著書『運命の法則』の中で指摘しています。

フロー理論とは、その人にとってなにか“しっくりくる”ような分野や思わず夢中になってしまうことに関わっていて、我を忘れてその行為に没頭しているときの心理的状態を分析した理論です。チクセントミハイは60年代からシカゴ大学で“フロー”な状態についてアンケートなどを用いて分析してきました。

別のオーディオブック“Flow : The Psychology of Optimal Experience”で著者は、フロー理論について分析を始めたきっかけについて、第二次大戦での母国ハンガリーでの悲惨な状況の中で、それでも日々を過ごしていく人々を目の当たりにして、なぜこういう状況で人は生きていけるのか、こういう状況でも人が幸せを見出すとすればそれは何になのかを探求しようと思ったと述べています。

彼によれば、人はその人にとってどこかしっくりしていることをしているとき、内面が充実した感覚で満たされ、外からの刺激(食欲・性欲・金銭欲など)を求めることが少なくなります。

天外伺朗さんによれば、そのような心理的状態に人が入っていた典型的な事例が創業時のソニーの技術者たちだったそうです。当時のソニーは、市場のシェアを奪うためではなく、まさに技術者たちが自分の情熱をもてる対象に打ち込み、新しい技術を次々と開発していたそうです(昨日『HPクラッシュ』で紹介したhpも創業時からある時期まではそういう幸福な状態が続いていたのでしょう)。

また天外さん自身もコンパクトディスクの開発でフロー状態に入り、次々に難問を解決してCDの発明に至ったそうです(『光の滑翔―CD開発者の魂の軌跡』)。

チクセントミハイの“Good Business”は、こういったフローをめぐる議論を背景にして出るべくして出たのでしょう(チクセントミハイと天外さんの出会いについても『運命の法則』で述べられています)。なぜなら、「どうすれば人は幸せを見出せるか?」という問いは、現実の社会に生きる人々にとって「仕事と幸せはどうすれば結びつくのか?」という問いだからです。

この問いは“働いている”人だけに関わるわけではありません。なぜならすべての人が、たとえ自分自身は働いていないとしても、身内や社会の“働いている”人たちとの関わりで生きているからです。家庭の主婦や子供は働いている夫・父と関わって生きているし、その家族関係には夫・父と仕事との関係が大きく影響しています。

例えば不登校・イジメ・家庭内暴力といった問題を起こす子供の家庭の父親は、必ずと言っていいほど仕事での悩みを抱えているそうです。逆に言えば、人が仕事上で幸せに生きることができるなら、現在の社会の多くの問題が解決するのではないかと私は思います。

“Good Business”は“幸せに働くこと”とはどういう心理的状態を指すのかを素描した本だと言えます。これまでフロー理論を見聞きした人にとっては意外な議論は出てきません。

人がフローな状態に入っている際に見出されるメルクマールの一つは、自分がしている仕事の意味が明確になっていること。「意味」と言ってもこれはべつに深遠な思想を指しているのではなく、要するに自分がしていることは何なのかををその人が納得していること、という意味だと思います。

例えば和田裕美さんは、新人のセールスマンに対して経営者の感覚を付けさせることの大事さを説いています。社員を単に給料をもらう存在にするのではなく、会社の経営にはどれだけのお金が必要であり、どれだけセールスをすればどれだけ会社の運転資金となり、そこからどれだけ社員に給料として回るのか、、会社におけるお金の流れをハッキリさせることで、一人一人の社員の働きが会社にとって不可欠であることを意識させます。それによって社員は自分が割り当てられた仕事の“意味”を明確にでき、“納得”した感覚で仕事に向うことができます。

べつにチクセントミハイがこういう事例を述べているわけではありません。良くも悪くもこの本は抽象的な話に終始しているので、現場で働いてる人にはじれったいかもしれません。ただ、彼の言うフロー理論の要件である、仕事に対して主体的にかかわるということと、和田裕美さんが実践していることとは結びついているように私には思えました。

また、チクセントミハイは仕事の目標をハッキリさせることの大事さも説きます。ただこの目標というのも、単に「前年比売上何%アップ!!!」という数値を指しているのではなく、むしろその仕事上の技能・力量・ノウハウの向上といったことを意味しているのだと思います。

数値ではなく技能・ノウハウの向上と言うのは、後者ではそれによって主体の「内面が複雑化していく」ということが観察されることがポイントです。「内面の複雑化」とは、その仕事に深く関わることで、技能が向上するのに応じて、能力の向上という充実感と、それに伴う生の充実感とが感じられ、自分が人間としてより高度化していくような感覚です。このような状態が目標として設定されることで、社員は自分が進むべき道を“納得”することができます。

こうした目標の設定とリンクするのが、周りがその人に対してつねにフィードバックを与えることです。周りから仕事の評価についてフィードバックをもらうことで、社員は自分が行った仕事についてより詳細で多面的な解釈をすることができ、自分が行ったことの“意味”をより正確に理解し、自分の位置を把握でき、自分の行為について“納得”した感覚を得ることができます。

これらのフローのメルクマールを見ていくと、それは社員が自分がしていることに対する“納得”の感覚を得ることだと言えるかもしれません(“納得”という言葉をチクセントミハイが使っているわけではありません)。単に馬車馬のように道具として働かされるのではなく、“納得”という主体的・能動的な感覚を社員が持ち、自分の仕事をコントロールしているのは自分であると理解できることが大事なのでしょう。

もちろんどんな仕事でも主体性・権限をもたせればいいわけではなく、あくまでその人のその時点の力量に見合った任務を与えることが重要です。言い換えれば、どんなに未熟に見える人でも、その人が自律的に行動する自由を得られるような課題を与えることが会社にとって重要になります。

また同時に、その人の力量に合った仕事でなければ、その社員は仕事から喜びを得ることができません。

“Good To Great”の中で著者のジム・コリンズは、経営にとって大事なのは仕事に合った人を採用すること、こちらからモチベイトしなくても動いていく人を選ぶことだと述べ、またその仕事に合わない人を雇い続けることは、その社員の有限な貴重な時間を奪っているのだから、そういう人は仕事から外すべきと言います。一見厳しい言葉ですが、“幸福の感覚”を分析するフロー理論の立場からは正しい指摘だと言えます。

このことは、もちろん会社の側からの解雇を一方的に正当化するわけではありません。むしろ会社には、雇った人が幸せになれる任務を与える責任があると言えます。この点から見れば、会社の目的とは利益の最大化ではなく、社員に自分の仕事への納得した充実の感覚、技能・力量の上達と結びついた幸福の感覚を与えることになります。上場による資金集めは、そのための手段です。

こう書いていて思ったのは、成果給と仕事との関係。大竹文雄さんは『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』のなかで、仕事の成果が分かりにくい若年労働者には年功賃金がよく、成果がわかりやすい管理職には成果主義がよいと述べています。

これはようするに、自分の仕事を自分でコントロールできる立場(管理職)とできない立場(若手社員)との違いと置き換えられるかもしれません。もう少し言えば、自分で自分の仕事をコントロールしているという感覚を得られている場合には、ひょっとしたら人は成果主義を素直に受け入れられるのかもしれません。スポーツ選手のように。

しかしこの“コントロールしている”という感覚は、単なる権限の問題ではなく、フロー理論の立場から言えば“どこかしっくりくる”ことをしていることがポイントになります。

人は自分の資質に合うことをしているとき幸せになれるのだとすれば、その人にとってもはやお金は重要だけど二次的なものになるかもしれません。そういう人は能力給でも年功賃金でも受け入れられます。

しかし自分にあったことをしていると思えず、どこかいつも疲れている人は、仕事の内容が自分に合っていないのにさらに成果主義ではとてもついていけないでしょう。

重要なのは成果主義か年功制賃金かではなく、その人に合った仕事を人は見つけられるか、また会社はそういう仕事を与えることができるか、のように思えます。


参考:・『楽しみの社会学』 チクセントミハイ(著)

   ・『人材は「不良(ハミダシ)社員」からさがせ―画期的プロジェクト成功の奥義 』 天外司朗(著)

   ・心理的な安心感の大切さ 『「フロー経営」の極意』 天外伺朗(話し手) 

   ・「Flow ~ 今この瞬間を充実させるための理論」『CD、テープを聴いて勉強しよう!! by ムギ』