淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「24」のキーファー・サザーランド主演のホラー映画「ミラーズ」を観た。

2009年01月31日 | Weblog
 基本的に映画は何でも観るのだが、どちらかというとホラー映画だけはちょっと苦手なほうだ。

 僕は物凄い怖がりで、その昔、当時のガールフレンドと京都に旅行した際、京都駅の複合ビルにあったアミューズメント・パーク内のホラーハウスに2人で入ったまではよかったものの、その余りの怖さに身が竦み、とても恥ずかしい醜態を晒したことがある。

 ホラー映画に限らず、普通のアクション映画でも、突然大音響が鳴り響いたりガラスが割れて凶悪犯が雪崩れ込んで来たりするシーンに出くわすと、シートから3センチは飛び上がる。
 ほんとに困ったものである。

 映画「ミラーズ」は、2003年に製作された韓国製ホラー映画「Mirror 鏡の中」をハリウッドがリメイクしたものだ。
 日本のホラー映画も含め、アメリカのハリウッド、よほどネタが切れているのだろう、次々とアジアのホラー映画をリメイクしまくっている。

 人気TVシリーズ「24 TWENTY FOUR」のキーファー・サザーランド扮する夜警警備員が、大火災で焼け残ったニューヨークのビルの管理を任され、そこで呪われた「鏡」の謎に挑むというホラー・サスペンス映画。
 廃墟の巨大なビル内を巡回中に、鏡に触れたことから、キーファー・サザーランドの家族を含め、得体の知れない恐怖が次々と降りかかる。
 監督はアレクサンドル・アジャ。よく知らない。

 元ニューヨーク市警刑事であるキーファー・サザーランドは、同僚を誤って射殺したことから停職処分となり、アルコールに溺れ、妻や子どもたちとも別居中の身だった。
 ある日、大火災で閉鎖されているビルの夜警中、何故かそこだけ美しい光沢のまま残されていた巨大な鏡に引き込まれ、焼けただれた女性の姿を見てしまう。
そしてそれ以来、周囲では奇怪で凄惨な出来事が起こり始める・・・。

 まあ、よくあるホラー映画の範疇を超えるものではない。
 特に新味があるわけでも、衝撃的な結末(ちょっとしたオチは用意されてはおりますが)が待っているわけでもない。

 「24」のキーファー・サザーランドが主演でなければ、普通の平凡なホラー映画で終わっていただろう。やはり、主役が引っ張る映画というものも確かに存在するのだ。
 それに今回、僕は1センチも飛び上がることなく最後まで映画を観ることが出来た。

 それって、喜んでいいんだろうか?
 それとも、映画を観続ける人間の一人として、とても悲しむべき事態なんだろうか?





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「キース・リチャーズの不良哲学 なぜローリング・ストーンズは解散しないのか」を読む。

2009年01月30日 | Weblog
 「みんながキースにこう言うの。ヘイ、キース調子はどうだい? これがミックだったら、誰もこんなふうに声をかけないでしょうね」
 プリテンダーズの女性ヴォーカリストである、クリッシー・ハインドの発言だ。

 でも、僕の想像はちょっと違う。
 もちろん、彼女の言葉は実際にローリング・ストーンズのミック・ジャガーやキース・リチャーズとの交流の中から生まれた、本当の生の声だろう。
 僕なんて、当たり前のことだけれど、CDやライブや映像や雑誌や本でしか彼らを知らないわけで、そこから知りえた単なる想像・妄想の類いに過ぎないのだから。

 でも、何となくミック・ジャガーよりもキース・リチャーズのほうが、表面的、社交的、うわべ上という意味においては、取っ付きにくい感じがしてならない。
 多分、初対面で話す機会が訪れたり、何かのパーティで挨拶を交わしたりしても、ミック・ジャガーなら、自分の感情を殺し、愛想笑いを浮かべて、その場をやり過ごす気がする。
 つまり、心の奥はあくまでクールで、他人に対しても醒めているのではないか。

 キース・リチャーズは、お世辞や社交辞令が苦手だと思う。
 口下手で、表面上は仏頂面を浮かべていても、心の中は意外と熱い。そんな気がしてならないのだ。
 建前の嫌いな、本音だけで生きている、とても素直で純粋な男であるがゆえに、その日の感情の流れに忠実なだけだということである。
 想像ですよ、想像。

 この本を読むと、その辺りがよく垣間見えて微笑ましい。
 麻薬中毒とそれに伴う逮捕劇、それから、初期のメンバーだったブライアン・ジョーンズとの確執、そして彼の恋人との奪い合いなど、本人やストーンズのメンバー、恋人、友人、スタッフなどの膨大な証言をもとに、年代順に編纂し、その素顔の実像をあぶり出してゆく・・・。
 
 僕は、この「キース・リチャーズの不良哲学 なぜローリング・ストーンズは解散しないのか」を、毎晩、眠る前に楽しみながら少しずつ読んでいった。 
 先に、この本と同時発売された「ミック・ジャガーの成功哲学」から読んだので、二人の性格の違いや、生き方の違いがよく解って面白い。

 別にこの本のタイトルのように、彼の不良哲学を、声を張り上げながら語っているわけではない。
 彼の生い立ちと、ローリング・ストーンズにおける公私での波乱万丈の生き方を、この本は音楽シーンの変遷とともに綴ってゆくのである。

 彼は一人っ子で、若いときの両親の離婚もあったのか、母親に溺愛され、他人より自由な青春を送ることが出来たようだ。
 つまり、それがブルースやR&Bへの深い愛着やストーンズへの思いへと繋がってゆく。

 この本で特に印象的な箇所は、ミック・ジャガーと電車の車両で出会い(前からちょっとした顔見知りではあったのだが)、ミックが偶然持っていたレコード・ジャケットに目がいって、そこから交流が育まれ、遂には世界最強ロック・バンド「ローリング・ストーンズ」が生まれたという、その感動的な出会いのくだりだろう。

 「死んでから伝説になるくらいなら、生きてるうちに伝説って呼ばれたいね」
 キースの言葉だ。名言である。





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素晴らしいライブだ! 山下達郎「コンサート・ツアー2009」に行って来た。

2009年01月29日 | Weblog
 山下達郎を初めて知ったのは、1975年に当時のエレック・レコードからリリースされたアルバム「SONGS / Sugar Babe」だった。

 今はもうないエレック・レコードは、吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸、ケメなど、70年代を怒涛の如く席巻したフォーク・ロックグループの大御所たちが在籍していた、名門レーベルの一つである。

 僕は、このシュガー・ベイブと呼ばれたバンドのデビューアルバム「SONGS」をレコード店で買い求め、ほんと、毎日のように聴いていた。
 作詞と作曲のほとんどを、グループの山下達郎と大貫妙子が書いていて、どの曲も素晴らしい出来映えだった。

 ところが当時は、このような都会的なサウンドは異端児扱いで、ロックといえば、R&Bやブリティッシュ・ハード・ロックをベースにしたグループが大半を占めていて、LAやロスのウエストコースト・サウンドや、ポップでホットなブルーアイド・ソウルのようなジャンルが台頭するには少しまだ少数派だったように思う。

 山下達郎と大貫妙子という、のちの大物ミュージシャンも、バンド「シュガー・ベイブ」だけに関しては、大きな評価もセールスも上げられないまま、結局は解散の憂き目をみることになってしまう・・・。

 僕は、それ以来の、長~い、長~い、熱狂的なファンである。
 彼のすべてのアルバムを持っているし、LP全盛時にブートレットで発売された超プレミアの幻のレコードも、竹内まりやと山下達郎が結婚パーティで身内の人間のみに配ったと言われている(真偽のほどはよく解りませんが)超レアなベストCDも持っている。

 こんな事を長々と書いたのは、今回のコンサートで、ステージから達郎本人が観客に向かって、「実はお願いがあります! 今回のコンサートの模様を、インターネットや皆さんのブログなどで公開しようとする人も中にはいるかもしれませんが、出来れば、ネタバレになるような事はコンサート・ツアーが終了するまでなるべく控えてくださるよう、ご配慮願います!」と言ったからである。

 それに3月には、八戸市公会堂でのコンサートもまだ控えているようなので、男と男の約束で(でって、別に個人的に約束したわけじゃないけれど)、ここではコンサートの具体的な内容等については書かないことにする。

 ただ。ただひとつ。
 今回の全国コンサート・ツアーは、新作アルバムを引っ提げてのツアーではないので、曲はこれまでのヒット曲のオンパレードになっていて、その意味ではとてもラッキーなコンサートであったといえるのではないか。

 それに。それになんと。
 あの、コンサート嫌いの竹内まりやが、初めての日本縦断コンサートを来年か再来年に敢行するらしい!
 そして、その中に「青森市」が選ばれているのだとか! これはニュースである!
 多分、生で観ることが出来る最初で最後の竹内まりやとなるのではないか。

 そして、当然今回の山下達郎のライブも素晴らしいものだった。
 なんたって、3時間である。
 ぶっ続けでプレイし続け、ラストは全員総立ちの、必殺の名曲オンパレード!

 かっこいいのなんのって、あなた・・・。





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「1月の盛岡からー」

2009年01月28日 | Weblog
 盛岡のホテルのベッドで目を覚ます。
 時計は朝の7時30分。
 「北ホテル」7階の部屋の窓のカーテンを開いたら、見事な朝の青空が飛び込んできた。

 しばらくぼんやりと、眼下を早足でオフィスへと急ぐ通勤者たちを眺めていた。県庁とか市役所に通う人間たちだろうか。

 ホテルの2階で朝の洋食を頼み、珈琲を飲む。
 朝日、読売、産経、日刊スポーツ、サンスポに一通り目を通し、部屋に戻って身支度をし、チェックアウトを済ませ、また車に乗り込んだ。
 マイナス6℃! 

 山下達郎をまた大音響でかけながら、盛岡インターチェンジから東北自動車道に乗り、今度は青森方面へとハンドルを切った。

 素晴らしい快晴!
 岩手山がくっきりと青の世界の中に浮かび上がっている。
 雲ひとつない、完璧な青空である。何もかもが透き通っている。

 車を飛ばしながら、山下達郎から今度は昨日と同じくまたアイズレーブラザーズ。
 ホットなソウル・ミュージックって、快晴の空によくマッチする。

 周りの木々が真っ白な雪の花を付け、爽やかな朝の太陽の光にキラキラと輝き、遠くの山々は青い空を背景にその勇姿を誇っている。

 美しい。
 まるで、精巧なカラー写真を空一面に貼り付けたみたいだ。

 青森県内に入っても、そこから青森市内に入っても、一向に空は完璧な青さを僕の目の前に見せ付けている。
 青森中央インター料金所で4,100円を払って高速を出た。
 昨日まで降り積もった雪が、激しい勢いで溶けている。
 家に着いたのは午前11時過ぎ。
 そのまま背広に着替え、ネクタイを締め、今度は歩いて仕事場まで。

 案の定、オフィスに着いたら、連絡を乞うとのポストイットが何枚もパソコンのディスプレイに貼られていて、何本かの電話が掛かる。
 こうしてまた、いつもの日常の波に吸い込まれてゆく・・・。

 今夜は、青森市文化会館で待望の「山下達郎コンサート」がある。
 これから春先に掛けて、怒涛のコンサート・ラッシュなのだ。
 松任谷由実、井上陽水、鈴木雅之・・・。
 まあ、だから何なのさと言われても、あのう、あれなんですが・・・。はい。





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「1月の盛岡へー」

2009年01月27日 | Weblog
 朝から激しい雪が降っている。
 大きな牡丹雪なので、ひょっとしたらかなり積もるかもしれない。

 午前中にオフィスでの仕事を切り上げ、所用で盛岡まで。
 高速道路を含め、約200キロの旅。
 夜いつも独り、車を停めてCDを聴いている公園の近く、「青森中央インターチェンジ」に入って、そこから東北自動車道を南下した。

 ほとんど車が走っていない。
 時折り、物凄い吹雪がフロントガラスを襲って来る。
 浪岡、黒石、大鰐弘前を過ぎた辺りから雪は小康状態に。
 視界の広い直線道路に出ると、山々を塗り込めている真っ白な雪が、鮮やかな輝きを見せて目の前に迫る。

 誰もいない日中の高速道路を走るのも、それはそれで中々爽快なものだ。
 十和田を過ぎて、秋田県境。そこから安代インター、岩手県に入った。
 灰色の空に映える堂々とした山脈が美しい。

 山下達郎のベストと最新アルバム「SONORITE」(といっても、もう3年半近くリリースしていないけれど)を大音響でかける。
 それから、アイズレー・ブラザーズ。このソウルバンド、やっぱりいいね。自然と体が動いてしまう。

 松尾八幡平を過ぎると、もう盛岡だ。
 約2時間で盛岡インターチェンジを通過した。雪がない。舗道にちょっとだけ詰まれている以外、乾いた道路が続く。

 盛岡市内に入った。
 宿泊先の「北ホテル」の駐車場に車を入れ、お腹を満たすために近くの焼肉屋にぶらりと入る。
 生ビールを続けて2杯。うめっ。
 肉を頬張り、満腹感に浸りながら「大通り」を歩く。

 風が冷たい。
 雪がないだけ、夜風がキツイ。
 所用を終え、ホテルに戻り、熱いお風呂に浸かり、そのあとはベッドに横たわり、「キース・リチャーズの不良哲学」というノンフィクションを読む。

 盛岡は、もう何度目になるのだろう。かなりの回数、この街を訪れた。
 本を読んでいるうちに眠くなり、そのまま寝てしまった・・・。





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「ブタがいた教室」。飼ったブタを生徒たちは食べるのか? この映画は面白い!

2009年01月26日 | Weblog
 わたしたちは肉を食べる。
 鶏肉、牛肉、馬肉、羊肉、それから豚肉・・・。
 それから、わたしたちは魚も食べる。
 鯛、マグロ、鰯、サンマ、それからアジにニシン・・・。

 そりゃあ、他の動物は一切食せず、すべての栄養を野菜や穀物や果物だけで採るという人も中にはいるだろうが、普通の人は人間以外の動物を殺生し、そこから様々な栄養素を摂取して生きてゆくことになる。
 多少の好き嫌いはあるにしてもだ。

 しかし。しかしである。
 わたしたちは、その美味しそうに食べる焼肉やステーキを、当然だけど原型を留めない姿で食している。残酷な解体シーンなど見なくても平気で食べる事が出来る、平和な時代に生きている。

 たとえば、ここに、心から愛してやまない愛馬が一頭いたとする。
 そしてその馬とは、人間の兄弟や子どもと接するように寝食を供にし、深い愛情と連帯感を通じさせながら暮らしているとする。
 あなたは、その馬を殺し、その肉を美味そうに食べる事が出来るだろうか? それとも、それだけは出来ないと拒否し、その一方で、高級馬肉屋でビールを飲みながら新鮮な馬肉に舌鼓を打つのだろうか?

 人間は、他の動物を殺生する事で自らの胃を満たし、明日への糧としてゆく。
 その意味において人間は原罪を負っている。
 だからこそ、人間は世の非情な食の循環をしっかりと見据え、すべての動植物に心からの感謝を込めなければならないのである。

 映画「ブタがいた教室」は、1990年、大阪の小学校で実際に行われ、一大賛否両論を巻き起こした授業内容を映画化したものである。

 ある新任の男子教師が、新6年生の担任につく。
 彼は生徒たちに、食べる事の尊さを教え込もうと、ある提案をする。
 1年後の卒業時期までに生徒たちで食べることを目的に、それまでの1年間、クラスで子ブタを飼育しようというのだ。
 先生の熱意が生徒達全員に伝わり、校長から学校でブタを飼う許可も取り付け、先生と26人の生徒たちによる子ブタの飼育が始まった。

 生徒たちは、子ブタを「Pちゃん」と名付け、昼夜を問わず、一生懸命世話して可愛がるようになる。
 そして、ついに6年が卒業する季節になり、大きく育ったブタの処遇を巡って、クラスを二分しての大議論が繰り広げられてゆくことになる。
 可愛がってきたブタを生かすべきか? それとも殺して食べるべきか?

 主演が、「感染列島」やNHK大河ドラマで人気の妻夫木聡で、監督が、「パコダテ人」の前田哲である。

 いやはや。
 ラスト近くの、クラスが真っ二つに分かれる大議論がもの凄い。
 子どもたちにセリフを与えるのではなく、自由に討論させているようにも見える。ドキュメンタリー風の映像が、鬼気迫る迫力となって観る側へと迫って来る。

 飼っているPちゃんなら食べられなくて、ほかのブタを食べるのは平気なのか? それは酷くないのか? では、Pちゃんを平気で食べる事が出来るのか? あんなにみんなで可愛がった動物を何の躊躇いもなく食することが可能なのか?
 生徒たちは泣きながら、それぞれの主張を繰り広げる。

 で、最後はどうなったかって?
 ネタバレになるのでここでは言わない。
 もう、映画館の観客たちはみんな号泣状態! 僕も不覚にも泣いてしまった。

 この映画、面白い!




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TBS新ドラマ「ラブシャッフル」。これって本当にあの野島伸司の脚本なの?

2009年01月25日 | Weblog
 前回までのTBS金曜日夜10時ドラマ枠は、東野圭吾原作の推理ドラマ「流星の絆」だった。
 「流星の絆」は面白かった。ここ数年のテレビドラマの中にあって、数本の指に入るほどの傑作だったと思う。
 それも、原作を読んでいても面白かったというくらいだから、さすが脚本家の宮藤官九郎、腕前の違いを視聴者の前にきちんと見せ付けてくれた。

 そして、その次の番組もまた、超有名脚本家である野島伸司の新作品ということになった。期待するなというほうが無理である。早く観たくて心は躍る。

 とにかく、野島伸司、これまで数多くの傑作ドラマを作ってきた。
 「101回目のプロポーズ」、「愛という名のもとに」、「高校教師」、「ひとつ屋根の下」、「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」、「プライド」、そして最近では「薔薇のない花屋」。
 どれも素晴らしいドラマである。

 僕が好きなのは、「101回目のプロポーズ」、「愛という名のもとに」、そして「高校教師」。
 この3本は完全にハマってしまった。

 今回の最新作ドラマ「ラブシャッフル」は、男女4組によるラブコメディだ。
 玉木宏、香里奈、松田翔太、DAIGO、小島聖、貫地谷しほり、それから谷原章介と、今旬の若手俳優たちを並べ、テーマ曲に「アース・ウインド&ファイアー」の「FANTASY」を使うあたり、確かにさすがではある。

 玉木宏が一流企業のコネ課長。貫地谷しほりが、社長令嬢でその婚約者。香里奈は、フリーの通訳で父が外交官。DAIGOが、成金だけれど恋愛依存症の草食系男子と、それぞれ個性的なキャラを持つ若者たちによる恋人交換ゲームの顛末が、ドラマの中で描かれてゆく・・・。

 ところが。
 ところが、第1回目を観ただけの感想だけど、会話がまったく弾まないのである。
 ラブコメなので、出演者たちの会話の妙と掛け合いが命。それが上手く噛み合わないのだ。古臭いネタを多用したギャグだし・・・。
 するとドラマはどうなるか?
 白ける。スピード感が失せる。人物たちが活きてこない。笑いが起きない。

 本当に、このドラマ野島伸司が脚本を書いているのだろうかとさえ、疑いたくなった。
 意外と、コメディドラマは苦手なのかもしれない。若者たちの描き方は上手い作家なのだが・・・。
 
 互いに訳ありの男女4組が、恋人同士をシャッフルして新たな恋を仕掛けることで、本当の愛を見つけていこうとする内容だとは思うのだが、コメディの部分が盛り上がらないと、ドラマ自体がどんどん失速してしまうわけで。

 野島伸司、これからが正念場かも。
 確かに、第2話は1話より面白くなってはきたけれど・・・。
 まだまだドラマの先は長い。一発大逆転を期待したい。
 




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「Time To Make Up Your Mind」

2009年01月24日 | Weblog
 昨日までの早春のような天気と打って変わって、今日の土曜日は朝から雪が降り続く真冬日となった。
 明日は大雪になるのだとか。この極端な寒暖の差が今冬の特徴なのかも。

 昨夜は残業を8時前に切り上げ、そのまま帰宅した。月曜日から集中して頑張ろうと自分で自分に言い訳する。

 仕事が溜まっている。
 上からたくさんの課題が降りて来ていて、来週までに整理しないと間に合わないのだ。本当は徹夜覚悟もありなのだが、アイディアが全然浮かばない。
 ルーティン・ワークなら、かなりの量だとしても時間さえ何とか貰えればこなす事も可能だろうけど、先がまったく見えない、一から自分で創り上げてゆく作業は心底しんどい。

 真夜中何度か目を覚ます。
 結局、熟睡出来ずに、朝も布団に潜ったままで何時間も目だけは閉じていた。

 朝。パンと珈琲とハムエッグを頬張り、トレーニング・ウェアに着替え、ボクシング・ジム。
 朝のトレーニング・ルームは猛烈な寒さ。
 いつものように柔軟体操を行い、腹筋と腕立て伏せ、そしてグローヴをつけてシャドー・ボクシングに打ち込みに縄跳び。
 約2週間ぶりに体を動かしたので、重いのなんの。いつもの半分の時間で切り上げた。きつい。

 ジムを出て、そのまま市内西部地区にあるショッピング・モール「ガーラタウン」内の「温泉」まで車を飛ばす。
 外はマイナス5℃。かなり冷えている。道路はツルツル。

 露天風呂に浸かる。
 気持ちいい。
 岩を枕替わりにして全身を伸ばし、灰色の空を仰いだ。
 空から際限なく雪が落ちてくる。
 胸から下が熱くて、顔だけが冷たい。この感じがいいんだなあ。
 
 風呂から上がって体重計に乗ったら、減量する前の体重よりはまだ少ないけれど、それでも一番落ちた時よりも3キロ近く増えていた。
 まずいなあ。明らかに運動不足である。真冬は外を走れない、これが効いてくる。

 昼食を抜いて、午後は雪が降り積もる八甲田山系の麓にある「国際芸術センター青森」へ。
 森に、しんしんと雪が降る。
 真っ白な世界。静謐な時間が流れている。この場所に佇むと気持ちがゆっくり落ち着いてゆく・・・。

 帰りは、ローリング・ストーンズを大音響で聴きながら、スリップに気をつけながら山を下った。
 最近、体がストーンズを無性に欲しがっている。やっぱりいい。真冬の透き通った世界と、ローリング・ストーンズって全然交わらないって思ってたのに、意外といいじゃん。

 あとは、ひたすら部屋に引き篭もる。
 外は真冬日。マイナス5℃の世界。

 まずは溜まった新聞、それから本。そして溜まったDVD。
 それが終わったら、いよいよ初めての長編へと取り掛かろう。
 いや、ちょっと違うな。
 正確に言えば、初めて書く(いや、最後まで書き上げる)、県内で主催する文学賞以外に応募する小説ってことか・・・。





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謎解き満載のTVドラマ「トライアングル」。出演者もてんこ盛りの賑やかさ。

2009年01月23日 | Weblog
 1月から一斉にスタートを切ったテレビの新ドラマ。
 当然に、コメディ、ラブストーリー、シリアス、文芸、若者系と、それぞれ多岐に渡って作られているが、やはりそこにサスペンス・推理ドラマが加わらないと全然面白くない。

 そして今回もありました、ありました。
 フジテレビ、火曜日夜10時からスタートした「トライアングル」である。

 小学4年生になる少女、葛城佐智恵が何者かに誘拐され、雑種地の中で無残に殺害された姿が発見される。
 同級生で最後の目撃者ともなった郷田亮二は、父の後を継いで医者になったものの、何故か少女殺害死体遺棄事件が時効になったことを契機に、刑事の道へと転職する。

 それから5年が過ぎる。
 事件から20年がたち、インターポールから研修監として単身日本に戻ってきた郷田亮二は、事件当時のクラスメートによる同窓会に誘われる。
 ところが、そのクラス会に葛城サチと名乗女性が突然現れ、その女性は自らを、死んだ佐智恵の母親が一人娘の死を悲しみ、孤児院から引き取られた人間であることを告げるのだった・・・。

 出演者の顔ぶれが凄い。
 江口洋介、稲垣吾郎、広末涼子、相武紗季、堺雅人、風吹ジュン、小日向文世、大杉漣、北大路欣也などなど。

 主役の郷田亮二が江口洋介、葛城サチが広末涼子、そしてその義理の母、つまり殺された少女の母親が風吹ジュン。

 とにかく、人物が複雑に絡んで動きあう。
 なので、第一回目からちゃんと目を凝らして観ないと、訳が解らなくなる可能性がある。全員が犯人のように思え、一体、事実はどこにあるのか視聴者側も混乱してくるかもしれない。

 第一、主人公の郷田亮二の取る行動からして怪しいのだが、これは多分、視聴者を欺くためのギミックだろう(単なる拙い推理ではありますが・・・)。
 それはそれにして、かなりの謎が目の前に提示され、ジェットコースターのように乱高下してゆくのである。
 まだ「トライアングル」を観ていない人は、ドラマのホームページを開いて人物相関図を読み込むことをお勧めしたい。

 まだ序盤なので言い切る事は出来ないが、素晴らしい傑作ドラマとまでは言わないものの、それなりに火曜日の夜を楽しめる内容には作られているのでは?

 当然、ラストは驚愕の事実が判明するはずだ・・・。





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「真冬の青空」

2009年01月22日 | Weblog
 気持ちいい清々しい木曜日の朝だ。
 かなりの冷え込みだけれど、青い空が一面に広がっている。
 大寒も過ぎたのに雪も余り降らず、今のところ今冬は暖冬小雪の気配が強いようだ。
 朝食を摂りながら「めざましTV」の星座占いを何気なく観ていたら、乙女座が最低最悪の最下位。
 「乙女座の人、今日はツイていないので、早めに帰宅してください」とのアナウンス。ふーん。

 出勤のため、急ぎ足でツルツルに凍りついた道路を歩く。
 冷たいけれど、眠気覚ましに、このきりりとした外気は朝の珈琲よりも効き目がある。

 昨夜も残業で、オフィスを出たのは夜の12時を回っていた。
 白い息を吐きながら、人通りの途絶えた真冬の夜道を独りとぼとぼと帰った。
 予算関連の遣り取りや夜遅くまでの会議の連続で、体だけではなく、心も少しずつ疲弊してゆくようだ。

 家に帰り、お腹がぺこぺこで、緊急避難的にカップラーメンを啜り、お餅を焼き、お醤油に砂糖を少しだけ塗し(この食べ方が一番好きっ!)、もぐもぐと頬張った。
 真夜中1時過ぎの、独りぼっちの淋しい夕食。

 こうして残業時間が嵩んでゆくと、いかに定時に帰った時の夜の時間が貴重なのか骨身に沁みて分かって来る。

 それにしても、深夜はBS日テレの「音楽のある風景」か「旅チャンネル」を流すに限る。
 癒される。
 BGM的にテレビを流しているのだけれど、クラシック曲に世界各地の風光明媚な場所や国内の秘湯とか名所旧跡が淡々と映し出されるだけの番組をやっているのだが、疲れた体と心に、こういう番組はじんわりと効いてゆく。

 そんな中で、とてもびっくりしたのが昨日から今日に掛けての、小室哲哉関連のニュースだ。
 著作権譲渡をめぐる5億円詐欺罪の小室哲哉被告の初公判が21日、大阪地裁で開かれたらしく、その報道がメディアで飛び交っているのだけれど、何とTRFのメンバーたちにご祝儀として一人一人に1,000万円ずつ配っていたとか、もうこの世の話とは思えないエピソードが裁判の進行過程で次々に語られたらしい。

 そして、何より胸に刺さったのが、「破たんへの道を進んでいることは分かっていた。でも、破たんする直前までKEIKOを思い切り楽しませてやりたい、思い切りぜいたくさせてやりたいと思った」というその言葉である。

 小室哲哉ほどの天才音楽プロデューサーで頂点を極めた人間でも、結局はたった一人の愛する人間のためにこういう行動を取ってしまうという事自体に驚く。
 人間はどんなに虚飾に塗れ、華やかな衣装に身を包んでいても、愚かで、しかも意外と単純な動物なのかもしれない。
 愛に溺れ、愛に傷つくだけの・・・。

 木曜日のお昼休み、雪が猛烈な勢いで溶けてゆくその舗道を歩き、いつもの「お餅屋さん」で笹もちを2個と、白い餡子もち2個、そして草もち2個買い、頭上の明るい空を見上げた。

 ちっぽけだよなあ。
 人間って奴は。




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中国の人生処世訓における名著「菜根譚」を読む。この本、本当に心が浄化される。

2009年01月21日 | Weblog
 若かりし頃、本屋の一角にずらりと並んでいた人生訓とか生きる事への励まし書とかの類いの本に対して、激しい嫌悪感を抱いていた。

 持て余し気味の若さから来る、大人たちへの反抗心や既存の体制をぶっ壊したいという気持ちが強く、いつも苛ついていて、訳知り顔で人生を説いたり、説教をのたまう評論家や物書きたちが大嫌いだったのである。

 ましてや、「一生懸命に生きろ」とか「人生の困難な壁をぶち壊せ」とか「青春は美しい」とか能天気にアジテーションしている中高年の博識ある学者や評論家たちが書き下ろした、悩める人たちへ向けたメッセージとか人生アドバイス書などは、本屋でその表紙を見ただけで目を背けていた。

 お前らに何がわかる、高みから見下ろしやがって、安全な場所から発する言葉だけの美辞麗句じゃないか。いつもそんなふうに考え、こういう本を読んだら自分も終わったな、とさえ思ったものだった。

 もちろん、今でも、そういう表層的で薄っぺらな(当然、何をもって薄っぺらだと判断するかについては、極々個人的な見識でしかないけれど)本には手も触れない。
 ただの言葉だけで、生き方や人生を語っている人間ぐらいは、こんな薄っぺらで表面的な人間でも見分けがつく。たぶん・・・。

 しかし、それでも人間は、誰にでも困難で苦しい出来事が舞い降りて来る。
 そりゃあ、生まれてから死ぬまで一切の苦悩も執着もないまま、素晴らしい充実した人生を送る人もいるかもしれないが(いないとは思いますが)。

 そんな辛いとき、僕は仏教書に巡り会った。
 そして様々な関係書を読み漁り、過去に生きた禅僧や仏教者が説いた書物のほんの先端に触れ、本当に心が穏やかになったのである。

 今でも、図書館の仏教関係書がずらりと並んでいるコーナーを覗き、何冊かの本をピックアップすることがある。
 前に比べて読む回数は減ったけれど、世の中には、長い歴史の中で同じように悩み、そして苦しみ、そこから何某かの光明や導きを見出した人がたくさんいるわけで(当たり前だけど)、そのノウハウを後世の人間たちに伝えようとして真摯に書かれた名著を読まない手はない。
 というか、そんな素晴らしい人生の名著は、語り継がれるべき宝物だし、だからこそ幾多の時代を経ても色褪せることなく読み継がれてきたのだろう。

 今、寝る前に少しずつページを捲っているのが、中国の明の末期時代に書かれた古典「菜根譚(さいこんたん)」である。
 菜根は堅くて筋が多いので、ちゃんと噛み締めて食べることで、その味わいが増してくるという意味からきている。

 当たり前だけど、原文は難し過ぎて読めるわけがない。
 今回、出版された「菜根譚」は、その原文から何篇かを取り上げ、平易な日本語で書き直されているものだ。

 仏教、儒教などがそのベースにあり、人生の無常観や道徳観が混在しているけれど、これもまたご愛嬌である。




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フジTV月9ドラマ「ヴォイス~命なき者の声~」は、主役の瑛太につきる。

2009年01月20日 | Weblog
 フジテレビ伝統の時間帯、月曜日夜9時からのドラマ枠、今回は医師・医療ものである。
 「ヴォイス~命なき者の声~」。
 主演が瑛太、共演者が、生田斗真、石原さとみ、時任三郎、それから泉谷しげると、大学の法医学研究室で学ぶゼミ5人の学生たちの姿を中心に描いてゆく。

 瑛太は、NHK大河ドラマ「篤姫」の演技によって、一皮も二皮も剥けたのではないか。今の若手の中でも一二を争う俳優に成長したように思う。
 凛々しさがある。繊細さもある。そして、少し茶目っ気も。
 つまり、一色だけに染まらない多様性があるのだ、瑛太には。
 当然、そういう変化に富む俳優だけが生き残っていけるとも言えるのだけれど・・・。

 「ヴォイス~命なき者の声~」は、一話完結方式で進行してゆく。
 ストーリーは、大学のゼミで法医学研究室に配属された5人の若き医大生が、担当教授である時任三郎と助教の矢田亜希子のもとで、変死体として運ばれてくる遺体を解剖しながら、その死因と、その奥に秘められた真実を解明してゆくというものだ。

 ドラマの冒頭、法医学の定義を時任三郎がゼミ生たちに説く場面がある。
 法医学の第一義は人の死因を解明することだ。日本は異常死した遺体のうち、約1割しか解剖されていない。それでも、死者の体はその人が最後に伝えたかった言葉を語りかけていて、その法医学者にしか聞こえない言葉や声を遺族たちに繋ぐのがわたしたちの仕事なのだと・・・。
 そこから、このタイトル「ヴォイス~命なき者の声~」が付けられている。

 第一話が、人通りの少ない工事現場で両手を空に向けて抱えるようにしながら死んでいた中年男性の解剖、それから第二話が、何故か卵のパックを持ったまま道端で感電死していた男性に対する警察からの依頼による解剖というように、不思議な状況下で亡くなった遺体を解剖することで、その人間が死に至るまでの真実と、そこに横たわっている死者が発したかった本当のメッセージを探ってゆく形式となっている。

 まだ二話までしかオンエアされていないので、軽々しくはコメント出来ないけれど、少し強引に推理を行い、最終的な結論付けをしてしまうところがないではない。
 確かに、遺体解剖に伴う、法医学の世界のみで死者の真実が解明されるわけはないわけで、主人公たちが独自に警察もどきの調査に繰り出しながら真相を暴いてゆくということになるのだが、推理検証に若干無理があったりする。
 まあ、その点はドラマ上、仕方がないのかもしれない。

 しかし、この「ヴォイス~命なき者の声~」、やはり主役の瑛太につきる。
 青春ドラマの要素と、医学ものと、推理ものを混ぜて一本のドラマに仕立てたという感じだろうか。

 前回の「イノセント・ラブ」よりは視聴率が上がるのでは?
 あのドラマ、完全に後半は脚本そのものが破綻していたもんね。





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「せれすてぃある・ぶるーの街を探して」

2009年01月19日 | Weblog
 中心市街地にある老舗の本屋さんへ出向き、「ミュージック・マガジン」以外の定期購読しているすべての本を止めてもらった。
 「エスクワイア 日本版」は、創刊号からずっと定期購読し続けているので、もう数百冊にもなると思う。すべてのバックナンバーが年代順に本棚に揃えてあるから、少し名残惜しい気がしないでもないけれど・・・。

 それから新聞販売店にも電話を掛け、一紙以外、その他すべての新聞の配達も止めてもらった。
 僕は情報オタクで、新聞を常に読んでいないと不安に襲われる。これも非常に辛いけれど仕方がない。

 家にある、未見のDVDやビデオがまだ百本以上溜まっている。
 そのすべてにポストイットを貼って、テレビの前にきちんと並べた。とにかく、余り時間を掛けずにすべて観終え、いずれ全部処分してみせる。

 買ったのに、全然読んでいない本、それから買ったのにまったく目さえ通していない多くの雑誌、それらもまとめてパソコンの横に積み上げた。
 これも全部読み終えてから、処分するつもりだ。

 もう、放蕩は飽き飽きした。

 CDやDVDを片っ端から買い集め、ろくに聴きもしないでほったらかし、行きたいと思う場所には金を惜しまずに行き続け、贅沢三昧を遣り尽し、書評で興味を惹いた新刊をネットで買い漁る。

 別に清貧に生きようなんて野暮な事は言わない。言わないけれど、もういい加減にしないとモノだけが家中に溢れ、限りなく散財をし尽くすだけになる。
 そんな生活とは心底オサラバしたい。無駄遣いはもうやめた。

 昨日は一日中、ほとんど部屋に篭もってパソコンに向かい、小説を書いていた。
 完成した短編小説を読み返し、今回は賞に応募するのを止めようと思い、一旦はその考えに傾きかけた。
 こんなんじゃ駄目だ。満足出来ない。この程度の作品なんて、巷にはたくさん溢れてる。そう思ったのである。
 もっと面白くなるはずだ、もっと何度も書き直すべきだ。

 悩み抜いた末、結局、今回はこのまま提出することにした。
 自分自身に納得できないけれど、まずは全部ここで吐き出して、また新たにリセットし直そう、そう思ったのである。

 純文学にこだわって書き続けることも、もうやめにした。
 というか、まだ一度も作品にもしていないけど・・・。
 それはそれにして、これからは自分の書きたいテーマを、書きたいだけ書くことに決めた。エンタテイメントでも、恋愛小説でも、犯罪小説でも、何だっていい。書きたいものをたくさん書いていこう。
 作品にしなかったら、ただの狼少年だ。

 そして1月19日、月曜日の朝。
 何と、1月真っ只中なのに、激しい雨が降っている! 

 余分な贅肉は全部削ぎ落とし、フットワークを軽くしよう。重い荷物は投げ捨てるのだ、何もかもすべて。
 いい加減にしないと、ほんと奈落の底に落っこっちゃうぞ!
 一生、自分に悔いが残っちゃうぞ!

 やるべきこと、やっておかなければならないことがたくさんある。
 仕事が終わったら、寄り道しないで家に帰ろう。家に。





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「RETURN TO THE STARTING LINE」

2009年01月18日 | Weblog
 第140回芥川賞、直木賞が決まった。
 芥川賞が津村記久子さん(30)の「ポトスライムの舟」。
 そして直木賞には、天童荒太さん(48)の「悼む人」と、山本兼一さん(52)の「利休にたずねよ」の2作が選ばれた。

 僕はこのニュースを、残業から帰って疲れた体を休めながら眺めていたTVで知った。
 一編の長編小説も書いた事がない、そして発表さえしたことがない、僕のような根っからの怠け者人間がのたまう言葉ではないけれど、言いようのない淋しさが心の中をふっと駆け抜けて行った。

 そして、次の日の新聞インタビュー記事で、芥川賞を受賞した津村記久子さんが記者に答えている記事を読んで、僕は本当に心からの感銘を受けてしまったのである。
 彼女の答えるその真摯で生真面目な内容もさることながら、仕事で疲れ切った体を引き摺り、それでも真夜中の4時に布団から起き出して原稿用紙に向かっているという、そのことに僕は凄まじい衝撃を受けたのである。
 それも栄養ドリンクを飲みながら!

 毎日残業に追われ、疲れた体で家に帰り、一旦暖かい布団の中で眠りに落ち、それから数時間後の明け方午前4時に起きて、そのまま小説など書き続けることが出来るものなのだろうか? 
 彼女の打つパソコンの前には「仕事があるだけ幸せだ」というメモが書かれているのだとか。
 津村記久子さんは、その芥川賞受賞時のテレビでの姿しか見ていないけれど、華奢で文学少女然としたナイーブそうな方で、とても誠実な印象を受けた。

 勿論、根性と努力さえあったら傑作が書けるとか、一生懸命頑張れば小説で賞が取れるとか、そんな能天気でアホな御託を並べているのではない。
 数日間しか時間を掛けなくても歴史に残る短編小説の傑作を書き上げる作家だっているだろうし、別に血の滲むような努力だけが実を結ぶわけじゃない。

 何て言ったらいいのだろう?
 つまり結局は、腹を括った人間、性根の座った人間が最後には勝つと言う事を言いたいだけだ。どっちつかずに、すべてをそつなくこなそうとする人間は、最後に何も残さず消えて行く、ただそれだけのことなのだろう。

 俺は一体どうしたいのだろう?
 だらだらと一日を遣り過ごし、中途半端に本を読み、中途半端に映画を観、中途半端に体を鍛え、中途半端に仕事を続けている。
 腹を括れだの、世に出たいだの、ただ頭と言葉だけでその場をしのいでいるだけではないのか。
 それも放蕩しっぱなしで!

 津村記久子さんは凄い。
 天童荒太さんも凄い。
 それから、50代で直木賞を獲った山本兼一さんも凄い。

 仕事の事を考えて日曜日の夕方になると気分が塞ぐとか、生きる事の喪失感や虚しさだとか、もうそんな気分のレベルでグダグダ言っている自分が本当に馬鹿に思えて来る。

 もうなんか人間って、途轍もなく先を行っている人間と、ダラダラと後方から汗だくになって走り続ける人間の二種類しかいないような気にもなってきた。

 俺は、その後方にさえまだ追いついていないけど・・・。
 どうすんのよ、おれ。このままで。




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吹雪舞う土曜日、青森県立美術館へ「小島一郎 北を撮る」展を観に行く。

2009年01月17日 | Weblog
 寒い。
 凍えるくらい寒い土曜日の朝。

 街にはかなりの雪が積もっている。この街も、ようやく冬本番の様相を呈してきた。
 凍った白い雪道は、ツルツルになっていて、一昨日の夜など不覚にも横転してしまったほどだ。しばらく左腕が痛んだ。

 たぶん、今週から来週、それから来月の上旬ぐらいまでが真冬のどん底だろう。
 でも、豪雪というわけではなくて、平年並みか、それ以下の積雪量という感じではあるけれど。

 車を出して、地吹雪舞う街を抜け、郊外の「青森県立美術館」まで。
 「青森県立美術館」で開催されている「小島一郎 北を撮る」に行くためだ。

 美術館の駐車場に車を停め、そこから雪混じりの吹き荒ぶ突風に抗うようにゲートまでの道を歩く。
 雪がこびり付いて、全身が真っ白になってしまった。

 入場料800円を払って、いよいよ会場内に入る。
 あいにくの天気なのか、人は疎らだ。

 僕は、小島一郎の写真から受けたその衝撃たるや凄まじく、言葉にして表すことなど不可能に近い。
 最初に見た「つがる市 稲垣付近」1960年という写真は、余りの衝撃で、ほんと、暫くの間、言葉を失い唖然としてしまった。
 その写真の拡大版が入口の真ん中にどーんと飾られている。

 何回見ても、新しい発見がこの写真にはある。
 4人の女性が、真冬の雪道を歩いているその後姿を撮っている。
 頭上には、重そうな雲間から今にも消え去りそうな白色の太陽がほんやりと映っている。
 老婆なのか中年なのか4人の村人の顔は判らないけれど、厳寒の凍える白い一本道を、まるで厳しく暗鬱な冬に向かって挑むように、抗うように、背中を少し丸めながら歩いている。

 津軽。
 厳寒の風土。
 冬に閉ざされた場所。

 すべての原点、僕にとってのあらゆる思考の源、思考形成の核、それは、小島一郎の写真の中に投影されていると言い切っても過言ではない。

 そして今回、改めて衝撃を受けた写真が、五所川原市十三「夕暮れ」という作品だ。
 これも白黒の写真で、五所川原にあった映画館なのだろう、朽ちそうな木造の小屋に剥げかけたポスターが貼ってあって、その映画館前の夕暮れ近い道を女性が独り歩いている。ただ、それだけの構図である。

 しかし、その奥底に見えてくるのは、北の大地から醗酵するヒリヒリとした冷気であり、孤独であり、怨念であり、死のような気配であり、何か人間の奥深くに宿っている、厳寒の風土からのみ生まれる氷のような意志である。

 圧倒的な作品の数々を見終え、県美のM課長としばしの雑談。
 わざわざ丁寧に出口玄関まで見送っていただいた。

 外は、まだ凍えるような寒さに身をよじっている。
 憂鬱な空から絶え間なく雪が落ちて来た。

 それにしても小島一郎。
 すごい。




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