淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「Hasta luego!」

2011年05月31日 | Weblog
 ちょっと疲れました。

 自分の人生の、何をどうしたらいいのか、どう生きていけばいいのか、限られた人生をどうやって走っていけばいいのか、そんなことが自分でよく判らなくなっちゃいました。

 いい加減で気まぐれな人間なので、またすぐここに戻って来るかもしれませんが、とりあえず暫くの間、このブログ休ませてください。

 それでは、みなさん。
 さようなら。

 必ず、再開します!







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「Suck It and See」

2011年05月30日 | Weblog
 土曜日の日中は遠出、夜は仕事がらみの飲み会で中心市街地、そして日曜日は朝から用事があって市内を駆けずり回り、夜はソウルメイトの一人と郊外にあるショッピング・モールの珈琲ショップで待ち合わせ、2時間近く2人で話し込んだ。
 本当に久しぶりに、スポーツジムで軽くランニングも行った。太ってたけど・・・。

 某新聞における、某仕事関連の記事に大きなショックを受け、暫しの間、立ち直ることが出来なかった。
 まあいいけどね・・・。
 気持ちを切り替え、これからは鉄壁の守りを貫くぞと、心に深く誓う。

 迎えた月曜日の朝。
 温帯低気圧に変わったけれど、台風二号の影響で市内は雨を含んだ激しい風に見舞われている。
 昨夜もまたほとんど眠れない夜を過ごした。

 12時ごろ、不意に睡魔が襲って来たので、「おおっ、いい感じ、いい感じ」と思い、そのまま眠りにすーっと落ちたのだけれど、数時間後には目が覚めてしまい、そこからまた色んな事が浮かんでは消え、消えては浮かび、やがて白々とした朝を迎えた。

 書き始めた小説も忙しさにかまけて止まったままだし、普段から早めに仕事を切り上げて、なるべく夜は家で書き物をしたり本を読んだりジョギングに勤(いそ)しみたい、出来るだけ自分の時間を持ちたいなんて宣言したのに、その誓いのほとんどは瓦解しているに等しい。

 仕事に関する煩わしさは益々増えていて、ふとした瞬間、頭の中から湧き上がってくる。
 でも唯一の救いは、若手の同僚の一人から「頑張って!」との熱くて長いメッセージを貰ったことと、上司から「めげずに頑張ろう」と励ましの言葉を頂いたことだろうか。
 フルマラソンで、途中のエイドから美味しくて冷たい水を貰ったようなものだ。

 こうしてまた曖昧模糊とした日常が続いてゆく。
 何も変わらず、何も変えない。
 ただ、漠然と時間だけが過ぎてゆく。
 そして、そのあとに残るのは、してこなかったことへの耐え難き後悔だけだ。

 今日も風と雨が吹き荒れる中、タクシーを飛ばして市内の何箇所かを往復した。
 お昼は、オフィス近くの生協で熱々の「たこ焼き」と、パン屋さんで出来立てのパンを買い求め、部屋で淋しく頬張った。

 1階の部屋の窓の外に伸びている痩せ細った樹木が、激しい風に揺れている。
 あまりにも部屋の中が寒いので、少しの間、ストーブを点けて暖を取ってしまった。
 それにしても寒い・・・。

 ここまで袋小路に陥ってしまったら、起死回生の大逆転を狙うしか脱出の手立てがないのではないか。
 劇的に今の生き方を思い切って変えないと、いずれ取り返しのつかない事態になってしまうようでとても怖い。

 すべてを投げ出し、新たな再出発を図るべきか?
 それとも、このままの態勢を維持しながら、自分のやりたいことをコツコツとやるべきなのか?
 まだ迷ってる。凄く迷ってる。

 いずれにしても時間がない。
 このままでは自分自身の心が壊れてしまいそうになる・・・。

 午後になっても風は収まらず、雨も止むことなく降り続いている。
 タクシーを飛ばして某所で打ち合わせ。それが終わってまたオフィスまで引き返す。
 仕事の合間にも色んな事をくよくよ考え、また無為な一日が終わってゆく・・・。

 ああ、駄目だ、駄目だ。こんなんじゃ、駄目なんだってば!
 こうやって日々を遣り繰りしている間に歳を取って、いずれこの世界からも見放される日が必ず訪れるんだ。

 後悔だけはしたくない。
 変えろ。変えろって。変えちゃえって。
 何もかも、すべてガラガラポンして、初めから全部やり直せって!

 そういえばもうすぐ、「アークティック・モンキーズ」の最新作「Suck It and See」がリリースされる。
 変化球なしの、直球勝負のロックが聴きたいなあ。生きる力が欲しいなあ。

 だってお前、ロックに生きるんだろ?
 いつまでも、そのスピリットを忘れずに生きてくんだろ?
 キース・リチャーズみたいに、自由奔放に、好きなことをやって生きたいんだろ?

 だったら・・・。





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今週の週刊誌は「新潮」がダントツで面白かった!

2011年05月29日 | Weblog
 一昨年の冬、越後湯沢から新幹線に乗って大宮に向かっていた時、数列前の席に座っていた中年男性が、「週刊大衆」のグラビア・ヌードを堂々と広げて見ていたのを目撃した事があった。

 別に、誰がどんな本や雑誌を読もうが関係ないし、どうでもいいことなんだけれど、新幹線って座っている座席の角度によっては別の席の車窓に映ったりするので、ちょっと厄介なのだ。

 何人かの乗客が困ったような顔をしていたし、女性のひとりは苦笑いを浮かべていた。
 当の本人は、そんなことも分からずに、一心にそのグラビア・ヌードに見入っておりましたが・・・。

 どの週刊誌を読んでいるかで、何となくその人柄が解っちゃうことってよくある。
 「週刊大衆」とか「週刊実話」を読んでいる人と「週刊朝日」や「週刊文春」を読んでいる人って、やっぱりどことなく醸し出す雰囲気が違うし、「アエラ」と「週刊ダイヤモンド」と「サンデー毎日」でも微妙な違いが見て取れる。

 それは女性にも言えることで、電車の中で「美ストーリー」とか「クレア」なんかの雑誌を読んでいる人と、「女性自身」や「週刊女性」を読んでいる人って、雰囲気や服装さえ随分異なっているような気がする。

 で、今週の週刊誌。
 ダントツで「週刊新潮」が面白かった。
 『被災民が泣いている! 義援金1300億円を届けぬ「日本赤十字」の怠慢』(ほんと、何なのこれ?)、『原発を致命的に拗らせた元凶 国難に混乱で対処した指導者「菅直人総理」という度し難き人災』、そして『【ワイド】儚き夢の請求書』と、いつものようにこの週刊誌らしい、少しシニカルに、反体制チックでありつつ右っぽい論調路線を貫いている。

 僕がよく読む週刊誌は、「文春」と「アエラ」と「新潮」である。
 たまに「現代」や「ポスト」も読むけれど、何と言っても先に掲げた3誌に勝る。
 それほどセンセーショナル(他の雑誌に比べたらかなりのセンセーショナルではあるけれど)でもなく、それでいて「痛いところをついて」くる。

 週刊誌の面白さって、そこにあるんじゃないだろうか。
 余りにもスキャンダラスでもいけないし、単に読者を煽るだけでもいけない。
 反権力でありながら、読者に阿(おもね)ることなく、自らの主義・主張を正々堂々と貫く。この姿勢が誌面から漂ってこなくてはならないのである。

 もちろん、だからと言って、すべての書かれた記事を鵜呑みにしてはいけない。
 読者は読者で、冷めた視点でジャーナリズムを見定める必要があるからだ。
 所詮、たかがマスコミである。
 所詮、たかが役所であり、所詮、たかが購読者であり、所詮、たかが人間であるのだから・・・。

 どうせみな「他人の不幸は蜜の味」なのだ。
 人間ほど怖いものなど存在しない。
 嫉妬深くて、強欲で、いつも他人を蹴落とすことだけを考えている。

 そんな中、今週の「新潮」でキラリと光っているコラムがあった。
 「福田和也の世間の値打ち」である。
 今週は、詩人の北村太郎氏を取りあげていた。

 北村太郎氏は、作家ねじめ正一氏の最高傑作「荒地の恋」の主人公としても有名だ。
 僕は、この小説「荒地の恋」は、恋愛小説(と呼べるかどうか異論もあるだろうけれど、あえてそう言いたい)として後世に名を残すほどの作品だと思っている。
 北村太郎氏と、詩人田村隆一氏の妻との凄まじい不倫話が「荒地の恋」では展開されてゆく。

 今回のコラム、「福田和也の世間の値打ち」ではその周辺の話が軽いタッチで綴られてゆくのだが、こういうエピソードをすんなり読めるのもまた週刊誌を読む楽しみの一つである。

 とにかく今週は「週刊新潮」が面白い。
 340円出して、それなりに楽しめるものなんて、ほかにないんじゃないかなあ。






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「西村賢太」の芥川賞受賞後の第一作、「寒灯」を読んだ。

2011年05月28日 | Weblog
 とにかく、西村賢太のこれまで書かれて来た私小説については、本屋さんで見つけてせっせと買い求め、ほとんどの作品をその日のうちに読み通してきた。

 私小説というくらいなので、書かれているその内容はほぼ事実なのだろう。
 悲惨極まりない。
 恥ずかしくなって、赤面してしまうことさえある。

 では何故、赤面してしまうのか? 何故、西村賢太の小説を読んで恥ずかしいと感じるのか?
 それは、そこに自分自身を投影するからだ。

 それは別に、西村賢太がぐでんぐでんに酔っぱらい、見知らぬ人間と路上で大喧嘩をして、翌日気がついたら真っ裸にされ公園の隅っこで倒れていたのを警察に保護されたことからではない。
 あるいはまた、西村賢太が風俗に勤める女性にのぼせ上り、頻繁に通い詰め、高級ブランド品を贈りまくり、せっせと肉体労働で稼いだ金をすべて風俗嬢に使い果たし、何百万円も騙し取られて、結局振られてしまったことでもない。

 それから、母親や姉に借金しまくり、三畳間のアパートを転々と移り、ほとんどの家賃を踏み倒したからでも、アルバイト仲間の一人が首都圏近郊の郵便局に勤めた事を知った西村賢太が、突然その郵便局に出向いて彼を呼び出し、一万円をむしり取ったからでもない。

 その無礼極まる行為、滑稽で間抜けで救い難いまでの行状、人生に対する無念や怨念や諦めや、他人に抱くコンプレックスや嫉妬や憎しみや卑下や、女への凄まじいまでの愛憎や性への執着や依存が、程度の差こそあれ、読んでいるこちら側にまでひしひしと痛いくらいに突き刺さってくるからなのだ。

 誰だって、舌を噛み切りたくなるほどの屈辱や恥ずかしさ、笑ってしまうほどの耐えがたい過去の鈍痛を背負って生きている。
 ただし、そんなことは親しい人間にさえ明かせず、自分の中で封印してしまう事を自らに課している、ただそれだけのことなのである。

 西村賢太は、自分の恥部をおおやけに晒すことで、辛うじて自分自身を保っている。
 そういう気持ちの100分の1ぐらいは、馬鹿な自分にもよく分かる。

 今回の、西村賢太芥川賞受賞後の第一作、「寒灯」もまた、これまで何度も書かれて来た「秋恵」と「貫多」の悲惨で滑稽な同棲生活を綴ってゆく。
 この一連の同棲シリーズが、とにかく滅茶苦茶面白い(他人の不幸を笑っているようで申し訳ないけれど)。

 今回は、年の瀬の2人に纏わるちょっとしたエピソードである。
 やっと手に入れた恋人、秋恵との同棲生活。
 夕食の合間に、秋恵から「年末年始に独りで実家に帰りたい」との提案を受けた貫多が、離れたくないとの思いから「実家に帰るのは認めない」と怒り出し、いつもの壮絶な喧嘩が繰り広げられてゆくという短編私小説である。

 西村賢太は、よく食べ物の描写をその小説の中に導入する。
 これがまた巧い。
 今回の「寒灯」には、カレーとお蕎麦が出てくる。
 そして、この二つが小説そのもののいい隠し味になっている。

 2人の喧嘩の掛け合いが今作もまた凄まじく、何とも言えない複雑な気分に陥ってしまう・・・。
 しかしながら、最近の西村賢太の小説、ちょっとワンパターン化してきたようにも思うので、秋恵と貫多の破局前後のエピソードを早く読ませてもらいたいものだ。

 別の小説の中で、西村賢太は、秋恵との度重なる喧嘩で暴力沙汰を起こし、やがて秋恵に別の男性が現れることを予感させていた。
 別れ話のエピソードはこれまでも読んだけれど、その後を描いた小説はまだないのではないか。

 その辺りの顛末を是非読みたいのである。
 ・・・って、こういうリクエストも、ちょっとなんなんですが・・・。





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イギリスの注目新人「ジェイムス・ブレイク」のファースト・アルバムにはひんやり感が漂う。

2011年05月27日 | Weblog
 朝方は少し雲が出ていて風が冷たかったけれど、日中は陽が差して青空が広がった。
 今日は金曜日。
 明日仕事が入っていても、なんとなくウキウキしてしまう。

 今日も相変わらず一日忙しかった。
 昨日も、夕方から某商店街組合総会後の懇親会での挨拶を命じられ、急いで駅前の某ホテルへと駆けつけた。
 挨拶原稿に目を通している暇もなく、壇上で最近のトピックスを披露して、周りの方々への名刺交換と挨拶をし、ウーロン茶で乾杯してからすぐ懇親会会場を後にした。

 テーブル席に並べられた美味しい料理の数々にお腹の虫がグーグーと鳴ったけれど、次の重要な打ち合わせが控えていたので仕方がない。
 そのまま、近くにある某施設での打ち合わせへと小走りで向った。

 今日も、市内何箇所かを駆け巡り、なんたら役員会だの、なになに委員会だの、ほにゃらら総会だの、忙しく顔を出す。
 移動の途中、同じ組織で働くI氏と暫しのロック談義。
 「あのアルバム聴いた?」とか「あのアーティストさあ」とか「あのコンサートってさあ」とか、音楽の他愛無い話で盛り上がる。
 こういうひと時が一番和む。

 移動中の車の後部席で運転しているI氏と談笑しながら、晴れ渡った空を眺めた。
 仕事をこのまま途中で投げ出して、ぶらりと八甲田山中の露天風呂にでも入り、真昼間から冷たいビールでも呑んだら美味いだろうなあ・・・。

 近頃「パブ・ロック」に夢中だというI氏に向って、「最近、注目してるアーティストはさあ、やっぱジェイムス・ブレイクだよなあ」と僕が彼に問い掛ける。
 そうなのだ、このイギリスの新人アーティスト中々いい。

 「ロッキング・オン」や「ミュージック・マガジン」などの音楽雑誌で大絶賛していて、僕も関心を寄せていたのだけれど、実際に「YouTube」のPVを観て、益々興味が湧いてしまった。
 アルバム・ジャケットもアートっぽくて秀抜だ。

 ジェイムス・ブレイクは、イギリスのクラブ・ミュージックシーンで注目を浴び、ダブステップ、いわゆるリバーブレーターがかかったエレクトロニクスでサンプリングを駆使した音楽を造り出す。

 霞が覆ったようなボーカルを、細切れなサンプリングによって重層的に絡め、ひんやりとした、そして静謐な世界感をアルバムの中で繰り広げてゆくのである。
 どこにもないような音世界。
 それでいてとても懐かしい、奇妙な安住感が漂う。

 真夏の太陽の下で聴くような音楽じゃない(別に聴いたっていいんだけど・・・)。
 ヨーロッパの、どこか小さな街の黄昏どき、冬の始まりの木枯らしが石畳を駆け抜け、道行く人たちはみなコートの襟を立ててそれぞれの家路を急いでいる・・・。
 そんな風景を、旅先のホテルの一室から独り淋しく、ぼんやり眺めている。

 そこにこのアルバムが静かに流れ出すと・・・。
 余りに切なくて、死にたくなるかもしれない。

 でも、聴けば聴くほどジェイムス・ブレイクの歌の根っこには、ソウルとかR&Bとかゴスペルとかの黒人音楽が息づいているのがよく分かる。
 確かに、表層的には暗くて憂鬱なサウンドのように見えながら、プリミティブで肯定的な部分も垣間見られるのだ。
 僕が買ったのは輸入盤なので、今後発売される日本盤にはライナーノーツも入っているだろうから、歌詞を読めばまた別の要素、解釈が発見できるかもしれない。

 このジェイムス・ブレイクのファースト・アルバム、真夜中に独りで珈琲を飲みながら少しヴォリュームを下げて静かに聴いていると、ひたすら気持ちいい。
 こういう種類の気持ちよさって、久しぶりだ。

 ほんと、音楽って深いよねえ。
 
 




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「松任谷由美コンサート2011」5月24日火曜日、青森文化会館公演に行く。

2011年05月26日 | Weblog
 風が強いけれど、とてもいい天気。
 2011年、5月24日火曜日の青森地方。
 やっとこの街も暖かさを実感出来るようになってきた。

 スーツ姿のままだったので、ネクタイだけは外し、少しラフに見えるようにと着込んできた薄紫のストライプが入ったシャツの第二ボタンまでを開ける。
 今夜は「松任谷由美コンサート2011」in青森。

 それにしても、これまでいったい何回観ただろう、ユーミンのコンサート。
 青森公演はその全てを観てきた。
 ほかにも、盛岡、仙台でのアリーナ・コンサート、それから横浜アリーナでの大規模な「シャングリラ」、新潟苗場スキー場で毎年開催されている「苗場プリンスホテル」での深夜ライブ・・・とにかく出来うる限り足を運んできたように思う。

 アルバムもすべて持っているし、限定発売されて今はとっくに廃盤となってしまった、大変貴重な「DA・DI・DA」ライブも大切にCD棚にしまってある。
 確か、昔どこかのCD中古店で、この「DA・DI・DA」ライブのCD、一万円程度で売られていたのを見たことがある。

 僕のこれまでのベストは、突然、巨大な竜に乗って現れた「水の中のASIAへ」時でのコンサート、それから最近では「VIVA! 6×7」コンサートあたりだろうか。
 あまりにも観過ぎたので、記憶が曖昧な部分もあるのだけれど、毎回様々な趣向を凝らし、観客側の度肝をぬいてきたことだけは確かだろう。

 例えば苗場でのコンサートも、そのライブ自体より、その時の季節や周辺での出来事なんかが微かな記憶の糸に絡まり、ひとつの大きな懐かしい思い出となって甦って来る。

 新潟の冬の情景・・・苗場のゲレンデに降り積もるとても大粒で美しい雪・・・キャンドルの淡い灯り・・・それに絡まるユーミンの歌声・・・ラスト近くに歌った「ブリザード」・・・コンサート翌日に越後湯沢駅へと向うバスの中から眺めた新潟の透き通るような真冬の青空・・・そんな断片が、思い出として甦って来るのである。

 こういうところにも、コンサートの楽しさって隠されている。

 5月24日火曜日の夜6時半から始まった「松任谷由美コンサート2011」青森文化会館公演。
 会場に30分近く早く到着したので、事務室を覗き、顔見知りのスタッフと暫しの雑談。
 ユーミンのコンサートって物凄くステージ演出に力を入れているので、場合によっては後片付けのため、翌日の朝方まで掛かることがあるんだとか。スタッフのみんなも大変な苦労を強いられているわけだ。

 コンサートに訪れる人たちの年齢を見ると、やはり高齢化は避けられないようだ。
 ユーミン自身のアルバム・セールスだって「天国のドア」や「LOVE WARS」
の頃の高セールスはもう望めないだろうし・・・。
 それでも、親子連れのファンが多いことにはちょっとビックリした。

 コンサートは約10分遅れでスタート。
 パーカッションも加わるコーラス3人を含めた10人編成で、バックには大きな映画館が聳え立つ。

 ユーミンが登場し、その1曲目は「ひとつの恋が終わるとき」。
 最新アルバム「Road Show」の1曲目でもある。僕も大好きな曲だ。
 ステージ上のユーミンは厚手のコートを着込んで傘も持っている。
 何組かのカップルが劇場の前を歩き、雨の中、映画が始まるというシチュエーションなのだろう。
 前半、ユーミンの得意とする、都会的でミディアム・スローのメローなナンバーが綴られてゆく。

 バックスクリーンに、アジアン・テイストなフォト、それから夏の海が映し出されてゆくのと同じくして、ユーミン自体も「脇役でいいから」を歌ったり「春よこい」を歌ったりしながらステージ衣装を変えてゆく。
 途中で着替えた着物姿も中々よかったです。はい。

 ラストは、当然に定番の「ディスティニー」、そして名盤アルバム「昨晩お会いしましょう」から「カンナ8号線」。
 全員が総立ちで大歓声を送っている。
 僕の席は前から11番目の一番左端だったので、全体ステージがよく俯瞰出来なかったのだけれど、それでも前の方ということもあってその表情はよく掴めました。

 アンコールが2回。
 これも大好きでよく聴いている「コインの裏側」がアンコール曲1曲目。
 この曲も新作「Road Show」の中の素晴らしい一曲であると思う。これからも歌い続けられるアンセムだろう。

 最後の最後は「やさしさに包まれたなら」のアコギ・ヴァージョンでしめてくれた。
 観客も全員で大合唱。
 約2時間半のコンサートで、これまでのユーミン・ライブとすればそれほど大掛かりなものではなかった。
どちらかというと渋めで、とても大人っぽいシックな演出もあってか、落ち着いた趣の感じられるステージとなった。

 こういうコンサートも悪くない。
 色々あっていいんじゃない?

 ユーミンとはデビュー当時からの長い付き合いなんで・・・。
 







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ジョニー・デップ主演映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」。まあまあの出来だよね。

2011年05月25日 | Weblog
 あまり、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズって、食指が動かされない。
 そんなに面白い? 「パイレーツ・オブ・カリビアン」って。

 ただ、興行的には凄まじい勢いで、これまでの「パイレーツ」シリーズ前3作全世界興収は、第1作目に当たる「呪われた海賊たち」が約6億5400万ドル、第2作目の「デッドマンズ・チェスト」が約10億660万ドル、そして第3作目の「ワールド・エンド」が約9億6300万ドルという驚異的なもの。

 僕個人としては、第2作目である「デッドマンズ・チェスト」はそれなりに面白かったと思うけれど、第1作目なんてピンとこなかった。
 やはり海賊ものって、ただそれだけで観客の興味を惹き、熱き心に動かされるテーマなんだろうか。僕にはよく分かりません。

 そして、今回新たなシリーズとして甦った、ジョニー・デップ主演の映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」。
 主要キャストも一変した。

 それよりも、映画館に入って予告編を観ていたら、今回のサマーシーズンも中々面白そうな話題作が目白押しだ。
 「スーパー8」に「X-メン」に「マイティ・ソー」に「ハリポタ最終章」に「ワイルド・スピード・メガマックス」にと、とにかく観たい映画がずらりと並んでいる。

 その中にあって、あらかじめメガヒットを約束されているのが今回の「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」なのだ。
 先週末全米ボックスオフィスをネットで見てみたら、さすがである。
 「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」は約9010万ドル稼ぎ、今年最高のオープニング興収で見事首位デビューを飾ってしまった!

 しかしながら、よくよく検証すると、今回の作品は「IMAX 3D」という方法での上映となったものの、シリーズ歴代としては第3位のオープニング興収になったらしい。
 つまり、「デッドマンズ・チェスト」や「ワールド・エンド」にも及ばず、オープニング週末興収でいうと、北米地域においては、これまでの歴代第22位とちょっと期待はずれの成績に終わってしまったのだ。
 もちろん、まだまだオープニング段階なので今後の状況は解らないし、北米以外での興行成績だって当然あるわけで・・・。

 ジェリー・ブラッカイマー製作、ジョニー・デップ主演によるシリーズ第4作は、監督があのミュージカル映画「シカゴ」を撮ったロブ・マーシャル、そして女海賊アンジェリカ役としてペネロペ・クルスが加わり、これまでとは違う新たな物語へと突き進んでゆく。

 冒頭、ジャック・スパロウの相棒であるギブスを救うべくロンドンでの救出劇が描かれる。
 ジャック・スパロウはそこで、昔の恋人である女海賊アンジェリカと再会を果たし、彼女の父親である海賊黒ひげが、永遠の生命をもたらすという生命(いのち)の泉を目指していることを知る。
 ただ一人、泉の場所を知っているというジャック・スパロウは、スペインとイギリスの両海軍がその「命の泉」を見つけるべく激しい争いを繰り広げていることも目の当たりにし、あえて海賊黒ひげの懐に飛び込み「命の泉」奪還を試みようとするのだが・・・。

 それほど手に汗握るようなアクション・シーンがあるわけでもなく(もちろん、冒頭の追いかけっこシーンとか、それなりに散りばめられてはおりますが・・・)、ラストの「命の泉」の在り処での大団円まで、一応ドラマは飽きさせずには進行する。
 やはり、それはジョニー・デップそのものの存在感の凄さにあるんだろう。

 でもなあ。
 ラストの「命の泉」を発見してからの3者入り乱れての争奪戦も、特に目をみはるほどのものでもないし、第一、「命の泉」自体のセットが陳腐過ぎて苦笑いしてしまった。
 こんなに莫大な予算を注ぎ込んで映画を作っているんだもん、もうちょっと大掛かりなセットの中で、胸のすくような大活劇を見せてもいいんじゃないの?

 あまりにもあっさりと終わってしまったので、少し拍子抜けしてしまいました。
 なんかなあ・・・。
 こっちは日頃の鬱積した気分をこういう映画で発散しようと来ているんだけどなあ。てんこ盛りのアクションをお願いしているんだけどなあ。

 イマイチでした。
 「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」。






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やっぱり、浅野いにお氏の漫画「おやすみプンプン」は傑作だ!

2011年05月24日 | Weblog
 漫画をじっくりと読みたいんだけど、中々時間が取れない。
 仕事の一部がちょっと佳境に入っていて、分刻みの日程に追われているのだ・・・といいながら、土日の合間や平日の夜、しっかりとコンサートや映画に繰り出している自分もおりますが・・・。

 先週、上京した際、新宿の雑踏を歩いていたら、最新の漫画週刊誌をずらりと道端に並べ、それを安価で売っている露天商の方がいたので、まとめ買いをしようと思ったのだけれど、帰りの荷物になると結局諦めてしまった。
 残念なことをしてしまった。
 でも意外と漫画本ってかさ張ってしまうのである。

 漫画週刊誌を買おうと思いついたのには訳がある。
 最近、ほとんど漫画情報がないので、今の旬の漫画がよく解らず、もう一度連載ものを読み漁ってみようと思ったのである。

 本の雑誌「ダ・ヴィンチ」とかから最新本事情を仕入れてはいるものの、やっぱり現在進行形の連載漫画を読んで自分の目でそれを確認しないことには納まらない。
 本屋さんで漫画を全部立ち読みするのは憚(はばか)れるし、第一、そんなに時間が余っているわけでもない。

 それに漫画をじっくり立ち読みするのも、なんか落ち着かない。大好きな漫画家の連載ものを素早く眺めることぐらいなら何時もしていることなんだけど・・・。

 なので、本当に心許無い範囲での漫画ということに限って言えば、最近の傑作は、浅野いにお氏の漫画「おやすみプンプン」だろう。
 前にも途中まで読み進んでいたのだけれど、今回改めてコミック全巻を一気読みした。

 当然、寝る時間を惜しんで読み終えた。
 読む速度が人様よりも遅いので、かなりの睡眠時間を割いてしまいましたが。
 だから眠い。
 どこかに雲隠れして、ゆっくりと寝ていたいッス・・・。

 まあそれはそれとして、浅野いにお氏の漫画「おやすみプンプン」。
 素晴らしい。
 傑作漫画だと思う。
 ちょっと痛みを伴う漫画でもあるので、好き嫌いは当然あるだろう。
 
 「おやすみプンプン」は、主人公の「プンプン」、それから両親、プンプンの伯父さんだけがヒヨコのような奇妙な格好で描かれていて、その他の登場人物についてはすべてリアルな表現を用いて描写されている。

 「おやすみプンプン」を『前衛でありつつ王道である』と評した、作家、伊坂幸太郎の宣伝文は正しい。
 シュルレアリスムなのである。ポップなのである。
 それでいて絵自体がしっかりとしているから、読んでいてストレスがまるでない。

 漫画(あくまでコミックスです)ではこれまで、プンプンの子ども時代から、中学、高校、そして青春時代までが描かれてきた。
 当然、この先も続くのだろうし、成人したプンプンの人生が綴られてゆくに違いない。

 そして、この漫画の大きな流れに深く関わってきそうな人物が、転校生としてプンプンの学校にやって来た田中愛子という女性であり、それと呼応する形で、両親の離婚や伯父さんの恋愛話が語られてゆく。

 デフォルメされたプンプンの人生は痛い。
 そして哀しくて切ない。

 漫画だとなめてはいけない。
 下手な小説よりも面白くて、その先が読みたくなってしまう。
 「おやすみプンプン」、かなりヘビーな青春漫画である。

 浅野いにお、恐るべし。






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「浜田省吾 ON THE ROAD 2011 The Last Weekend」驚愕の4時間!

2011年05月23日 | Weblog
 大勢のひとたちで「横浜スーパーアリーナ」付近が溢れ返っている。立錐の余地もない。
 まだ外は明るい日差しが降り注いでいて、汗ばむほどだ。
 コンサート・スタッフたちがハンドマイクを手に持ち、「歩道に上がってくださ~い!」と大声で叫び続け、当日券の立見席を求めて会場の脇でも多くのファンたちが列をなしている。

 2011年5月21日、土曜日、「横浜スーパーアリーナ」。
 浜田省吾コンサート、「ON THE ROAD 2011 The Last Weekend」。
 会場は当然満員。
 席はスタンドの一番後方で、やっとステージが見渡せる程度の距離しかなかったけれど、バックの大型スクリーンが設置されているから、そんなことは別にどうでもいい。浜田省吾のコンサートに参加出来るだけで幸せだ。贅沢なんて言っていたら罰が当たる。

 開演を待つ間、会場内にはBGMでビートルズやボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が流れ、それに合わせて場内の観客たちが手拍子まで打っている。
 コンサートが始まる前なのに、会場が一体となってBGMに合わせ手拍子するなんて異常な盛り上がりだ。

 コンサートは、異様な熱気にドームが包まれる中、定刻より10分間遅れてのスタート。
 突然、場内の照明が消え、巨大スクリーンに過去の「ON THE ROAD」ツアーのロード・トラックが映し出されると、観客から「うおおおおーっ!」という大音響が鳴り響き、遂に浜田省吾がステージの中央に登場した。

 1曲目の「ON THE ROAD」の出だしのフレーズを聴いただけで、もう涙が溢れ出し、前が見えない。
 隣の人に泣いているのを悟られないよう、そっと頬を拭った。いい歳をした大人が恥ずかしい。
 でも、いいんだ。構うもんか。

 地鳴りがするみたいに、ドーム全体が揺れている。本当に揺れている。
 アリーナ席もスタンド席も全員が総立ちでジャンプし、拳を上げ、手拍子を繰り返し、そして大声で歌っている。全曲、歌っている。

 他のビッグ・アーティスト同様に、光の洪水と大型スクリーンでの楽曲に合わせた映像構成など、確かに大掛かりなステージ演出ではあるものの、そこに埋没していないところが浜田省吾の凄さでもある。

 少し音程が崩れる箇所もあるにはあったけど、それらを凌駕している図太くて骨太の声質と、楽曲自体の力強さ(それはやはり何といっても、浜田省吾の作る素晴らしい歌が持つ年輪としなやかさだろう)が、聴くものすべてに圧倒的な迫力で押し寄せて来る。

 とにかくヒットパレードの雨あられ!
 ベスト・オブ・省吾浜田である。
 中盤、いきなり「悲しみは雪のように」が入り、そこでもまたまた感涙。

 「もうひとつの土曜日」も「片思い」もアコギで演奏した。「恋のかけひき」も「終わりなき疾走」も「MONEY」も「愛の世代の前に」も「詩人の鐘」も熱唱した。
 ひとつの大きな山場は、やはり「J-BOY」である。

 浜田省吾がステージの上から観客に向って問い掛ける。
 君にとって、この未曾有の難局を乗り越える、そのための「SHOW ME YOUR WAY」って、いったい何なんだと。

 フレーズを聴いただけで、また涙が溢れ出る。
 しっかし、泣くなあ。何なんだ俺は・・・。
 もうここまで来ると、観客全員が興奮状態で、天井が抜けるかと心配になるほどの大歓声。

 アンコールまでで、もう既に3時間が過ぎている。
 これまで観てきた数多くのコンサートの中で、3時間を超えたステージは、「山下達郎」と、津軽円形劇場での「ドリカム」と、2008年「サザン・オールスターズ」が横浜スタジアムで豪雨の中において繰り広げられた無期限活動停止と30周年を記念したライブ、これのみだ。

 浜田省吾、凄い。凄過ぎるよ!
 さすが、日本の最強最高の50歳代!
 疲れないの?
 ほとんど声の張りが変わっていないのである。6時に始まったコンサート、もう既に時計は9時半を回っている。
 このままいくと、4時間?

 アンコールなのか、アンコールだけで既にワンステージやっているのか、もう何が何だか解んない。
 全員が大声で叫び、大声で歌い、大きな素振りで体を動かし、時には拳を高くかざし、両手を叩いている。
 前席の女性の何人かが、スローな曲になるとハンカチで涙を拭いていた。
 そういう自分も何度が泣いてしまったけれど・・・。

 最初は、独りぼっちでコンサートに来ている手前もあって、少し遠慮気味に叫んでいたんだけど、最後の頃は大声を上げて一緒に歌っている自分がいた。

 「家路」のイントロが流れて来た。
 ミスチルの桜井氏が浜田省吾を敬愛していて、一緒にステージでこの「家路」をジョイントしていた映像を見たことがあった。

 もう解ったよ。うん、もう解ったから。
 涙が溢れて、拭いさることもしたくない。どうでもいいや、もう。

 生きてゆくよ、辛くても。
 腹を括るしかないんだろう、これからは。
 そんなことを考え、ステージの浜田省吾に心の中で話し掛ける。

 そんな俺を、滑稽で愚か者だと笑わば笑え。
 そんな批判なんて屁でもねえ!
 俺は俺の好きなように生きてやる。
 そんなもんだろ、人生なんて! 







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「なし崩しのTOKYO 2011春」から4日後の東京、その二。

2011年05月22日 | Weblog
 土曜日の夜の横浜の街。
 既に時計の針は10時を回っている。
 怒濤のコンサートが終了し、物凄い人でごった返している歩道を独り歩く。

 「横浜アリーナ」から新横浜駅へと続く道沿いの飲み屋さんの店員が、「うちの店では今、浜省の曲だけを掛けてま~すっ!」と叫んでいて、そこまでするんだと思ったら、その商魂のたくましさに少し笑ってしまった。

 今夜の宿は横浜のホテル。
 近くのコンビニで「アサヒスーパードライ」とパストラミポークのクラブサンドを買ってホテルへと帰る。

 8階の部屋に入り、クーラーをつけ、バスタブにお湯を溜め、缶ビールを飲む。
 最高のひととき!
 コンサートの余韻がまだ残っている。
 なんと、約4時間にも及ぶ凄まじいまでのライブ!
 凄い。凄過ぎる。

 日本人50代最大最強の男と誰かが言っていた。浜田省吾。
 そのコンサートの全貌はあとで詳しく!
 でもチケットを取って頂いた、僕の大切なソウルメイト。ありがとう!

 疲れていたのか、夜中に目が覚めて悶々と色んな事を考える事もなく朝まで熟睡した。珍しい。
 朝になる。
 でも疲れは溜まったままで、ベッドから起き上がるのも億劫だ。
 「朝日新聞」の日曜版を読みながらホテルの朝食を摂った。
 今日の気温は27度まで上がるらしい。熊谷方面では30度の予想気温。

 10時にはチェックアウト。
 半袖のシャツでも汗ばむほどの陽気だ。
 東京駅まで出て、まだ新幹線の時間まで時間があったので、「新丸ビル」から皇居と山手線の有楽町まで並行している道沿いをゆっくりと散歩する。

 日曜日の午前中ということもあるのだろう、道行く人も少なく、のんびりとした空気が街全体を包む。
 「エルメス」や「アルマーニ」や「バーバリ」や「プラダ」などのブランド店が軒を並べている。
 「三菱一号館美術館」でも観ようと思って歩いて行ったら閉館していて、仕方がないので中庭のベンチに腰掛け、暫しの間、気持ちいい風に吹かれていた。

 ぶらりと銀座まで歩き、シャツを数枚だけ買い求め、その足で東京駅の待合所で新幹線の発車時刻までパソコンを開いて映画を観る。
 時間が来たのでプラットホームに上がると、外は激しい雨が降っている。
 風も一転して冷たくなり、半袖だけではちょっと寒いくらいだ。

 定時に新幹線は出発。
 仙台を過ぎて、古川付近まで来ると、ちょうど鉛色の雲間から最後の心細い夕陽の光が差し込み、遠くまで広がっている田園地帯を美しい絵画のように変えている。

 目を瞑ったり、本を読んだりしながら、なんとか4時間半を耐えた。
 新青森駅に着いた頃にはもうすっかりと陽が暮れている。
 コンビニで缶ビールを買い、何本かの仕事の電話に対応しながら草臥れた躯体を引き摺って家まで帰った。

 明日は月曜日かよ・・・。






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「なし崩しのTOKYO 2011春」から4日後の東京、その一。

2011年05月21日 | Weblog
 ほとんどスキンヘッド状態だった髪が結構伸びて来た。
 今ちょうど、最近髪を伸ばし始めた「EXILE」のATSUSHIぐらいだろうか。まあ別にどうでもいいんだけど・・・。

 今週の土日は、またまた東京。
 でも今回は完全なる所用での上京である。
 ところが、突然、日曜日の夕方からとても重要な会議というか懇談会というか、とにかく出席すべき公務が入ってしまい、右往左往する破目に。

 切符も宿も一か月前から既に取っていて、今更変更はきかないし、何とか周りのスタッフで対応可能という事で、個人的な我儘を赦(ゆる)してもらった。ごめんなさい。
 
 金曜の夜、目覚まし時計を5時半に設定して眠りに就いたけれど、いつもの如く、寝坊出来ないとの緊張感から深い眠りへとは中々入ってくれない。
 何度も目を覚ましては時計を確認し、そのまま白々と夜は明けた。

 明け方、しとしとと雨が降っている。
 ジーンズとVネックの紫色の薄手のシャツ、スニーカーを履いて、パソコンを入れたバッグに着替えの下着と文庫本一冊を詰め込み、雨に濡れながら自転車に乗って青森駅まで。

 6時9分発新青森駅までの電車に飛び乗り、新青森駅から東北新幹線。
 「讀賣新聞」を読みながら車内販売の珈琲を啜っていたら睡魔が襲って来て、そのままウトウトと東京までの約4時間、無駄に過ごしてしまった。

 東京駅に降り立ち、仕事の電話が鳴り、騒がしい駅構内で少し遣り取りをする。
 どこまでも、どこまでも、仕事は付き纏って来て、決して離れてはくれないようだ・・・。

 中央線で新宿まで。
 「新宿京王プラザホテル」のロビーで待ち合わせをしていたので、ちょっと駆け足で雑踏を掻き分ける。
 もうそれだけで凄い汗。
 ビルのデジタル温度計を見たら、26度。
 甲府や北関東周辺では何と30度を超したところもあるようだ。

 お昼は、「新宿京王プラザホテル」にあるビュッフェ・スタイルのレストラン。
 お腹いっぱいになったところで珈琲にホテルのケーキで駄目押しをした。

 新宿の「伊勢丹メンズ」と「マルイ」のメンズ館を眺め、夏物を物色するも気に入ったものは特に見当たらなかった。
 その中にあって、やはり「アルマーニ」のサマースーツだけは、異様に輝き放っておりましたが・・・何せ、値段を見たら24万円。買えるわけありません。

 真夏のような新宿の街を歩いていると、汗が滝のように流れて止まらない。
 今度は新宿から今夜宿泊するホテルへと向かった。
 早めにチェックインして、少し横になりたい。
 仕事関連の電話に何度か出て、遣り取りを行い、気持ちが段々と暗くなってしまう。出口が見えない・・・。
 
 新横浜駅から数分のところにあるホテルへと入った。
 外はまだ暑そうだ。
 夕方の5時半、ホテルを出て横浜の街を歩く。
 横浜マリノスの試合が終わったのだろう、ブルーの鮮やかな服を着た地元ファンが駅に向かって歩いている。

 夕暮れの太陽が眩しい。
 信号待ちをしていたら、心地よい初夏の風が吹いてきた。
 優しい車のクラクションが風に乗って聞こえて来る。車道がきらきら光っている。舗道に競り出したカフェの円卓で中年のカップルがマグカップで珈琲を飲みながら微笑んでいる。
 いいなあ、ヨコハマ・・・。
 
 目指す「横浜アリーナ」前は物凄い人で溢れ返っていた。
 係員がハンドマイクで「車道に出ないでください」と叫んでいて、大勢の人々が当日券を求めて長い列を作っている。

 気合いが入って来た。
 「浜田省吾アリーナ・コンサート2011」。決戦場は「横浜アリーナ」。
 その詳細は、また後日!
 





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春の宵「フレンドリーファイアーズ」が織り成す万華鏡のような音の洪水。いいんだなあ、これが。

2011年05月20日 | Weblog
 忙しい日々が続いてる。
 仕事が終わって一息つくと、「ふーっ」と大きな溜め息が洩れてしまう。
 最近はスポーツジムに行く元気も気力もなく、そのまま家の中に閉じこもる事が多くなってしまった。
そんな疲れた身体を癒してくれる大切なもの・・・そのひとつが音楽だ。

 最近何気なくTVを点け、日本の音楽を中心としたビデオクリップを24時間流し続ける「スペース・シャワーTV」と「MUSIC ON TV」を観ていたら、突然どうしたわけか、日本語の歌詞がどうにもこうにも鼻について堪らず、思わず観ていた(聴いていたというべきか)チャンネルを変えてしまった。

 どうしたんだろう?
 日本語の歌詞に乗って歌われる音楽そのものが苦痛に聴こえ、耐えられなかったのである。
 これまで、そんなこと一度もなかったのに。

 というか、ここ10年近くなら、ほとんど邦楽だけを聴いてきたといってもいいくらいで、洋楽のロックは、例えば10枚アルバムを買ったとして、そのうちの3枚程度に過ぎなかったと思う。
 それほど日本のミュージシャンが織り成す音に夢中だったのだ。

 日本語で語られ、そしてメロディに乗って歌われる曲を求めて止まなかったし、リアルに響く、日常使われる言葉から飛び込んで来る直接的なメッセージが欲しくて堪らなかった。
 ストレートに自分の心や体を刺激させたい、否、させるには、日本語で歌われる音楽が最も有効的で即時的に効いたし、自らを鼓舞させるにはどうしても必要不可欠なものだったのだ。

 ところが今は、そんなふうに、とても身近な言葉から発せられる音楽を聴くのが、ちょっと苦痛なのだ。
 週末に「浜田省吾コンサート」があるんだけど、どうしよう・・・。
 まあ彼だけは別格ですけどね。
 コンサート会場に行ったら行ったで、かなりの盛り上がりを見せるだろうし・・・。

 なので、最近はとにかく海の向こうのロック、ただそれだけを聴いている。いやいや、そんな生易しいもんじゃなくて、聴き狂っている。

 ここ数日間に限って言えば、「フレンドリーファイアーズ」だろうか。
 「フレンドリーファイアーズ」はイギリスのバンドで、数日前にリリースされたニューアルバム「パラ」があるけれど、今回紹介するのは2008年発表されたファースト・アルバム。

 どんな音楽か?
 踊れる音楽だ。
 ダンサブルで、しかも音が分厚く、ダンス・パンクと読んでいる人もいるようだけれど、ノイジーでありながら軽快で、とても明るくポップである。

 イギリスのロックって、こんなふうに知的な中にメランコリックな部分があって、どこか屈折しているところがあったりする。
 でも、そんな臭みを嫌うロック・ファンもまたいるわけで、ブリティッシュ・ロックに対して違和感を覚え、アメリカナイズされた音楽だけを好む人たちも結構多かったりする。

 「フレンドリーファイアーズ」そのものが造り出すサウンドは、今の黒人音楽や電子音楽っぽい匂いもあったりするので、かなり広い範囲のロック・ファンにも受け入れられるのではないだろうか。

 生きる事は確かに苦しくて、厭な事だけが起こってゆくけれど、「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生」である。「どうで死ぬ身の一踊り」である。「一期は夢よ、いざ狂へ!」である。

 踊って、踊って、身体を揺らし、今この狂乱を生きていきませう!
 






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アレハンドロ・アメナーバル監督による映画「アレクサンドリア」。この映画いいと思う。

2011年05月19日 | Weblog
 今日は十和田市まで遠出した。
 もちろん仕事である。

 早朝、上司へどうしても報告しておかなければならない重要案件があったので、それを行い、8時30分には仕事場を出て「みちのく有料道路」を通って十和田市内へと向かった。

 現地へはギリギリに到着。
 午前中会議は無事終了し、仲間たちとお昼は十和田市B級グルメ「十和田バラ焼き」を食した。
 その後、そのまま大急ぎでUターン。

 帰り道、ぼんやり車外を眺めていると、沿道には本当に様々なお店が看板を立て、工夫をこらしながら商売しているんだなあということを改めて実感する。
 特に、道路沿いで展開している飲食店。
 流行っていそうなお店、まったくヤル気が見えないお店、外見から必死でお客を呼び込もうとしているのが解るけど、それが空回りしているお店・・・本当に様々だ。見ていて飽きない。
 
 で、話は突然、巨匠アレハンドロ・アメナーバル監督が、4世紀エジプト、アレクサンドリアに実在したという女性天文学者、ヒュパティアの悲劇を描いた映画「アレクサンドリア」へと飛ぶ。

 監督がアレハンドロ・アメナーバル。
 これだけでも凄い。
 亡き黒澤明が、例えば新作を完成させたとしたら、それだけで大きな話題を呼ぶのと同じくらい、アレハンドロ・アメナーバルが新作を撮ったというただそれだけで、コアな映画ファンはみな興味を示すに違いない。

 「アザーズ」、「海を飛ぶ夢」を監督した、あのアレハンドロ・アメナーバルなのだ(ちょっとしつこいよね)。
 主演が、「ナイロビの蜂」や「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」のレイチェル・ワイズ。僕はあんまり好きな女優じゃないけれど・・・。

 でも、これだけでもっと日本で話題になってよさそうなものなのに、公開してもそれほどの盛り上がりを見せなかった・・・。
 なんでだろう?
 映画評論家たちは、結構高い評価をしていたような気もするのだが・・・。

 さきほどの、沿道で展開している数多くの飲食店が、流行っている店と流行らない店に分かれてゆくように、美味しい料理を常に提示していたとしても、それが即、繁盛するお店へと繋がるわけじゃない。
 それは単なる外観だったり、巧いPRだったり、お店へのスムーズなアクセス性だったりするのである。美味しいか美味しくないかが問われるとしてもだ。

 映画は、ローマ帝国崩壊直後のアレクサンドリアが舞台だ。
 女性天文学者であるヒュパティアは、宇宙の真理を解明することに一切の情熱を傾けていて、弟子の一人から受けたプロポーズにも耳を傾けることなく、ひたすら学問への道を突き進んでいる。

 ところがアレクサンドリアの街では、急速に勢力を増しているキリスト教と、古代の神々を信じている者たちの対立が激化し、遂には暴力事件へと繋がり、街は大流血の抗争に発展する。
 ヒュパティアの教え子たちや雇い入れている奴隷たちが次々とキリスト教に改宗してゆく中にあって、ヒュパティアだけが宇宙の真理の世界に没頭してゆくのだが・・・。

 アレハンドロ・アメナーバルは、絶えずカメラを空中に配し、まるで神が愚かな人間たちを傍観する如く眺める。
 何度も青く美しい地球を映し出し、そしてそこから一気にカメラを地上へと滑り落とすのである。
 鳥瞰図の視点を保ち、地上で蠢(うごめ)く愚か者たちを冷徹な視線で見降ろし続けてゆく。

 都合のいい経典の解釈、自らが信じる神だけを崇拝し、それと相反する思想や行動は徹底的に排除する、そんな冷酷で傲慢な人間たちを、アレハンドロ・アメナーバルは静かな怒りを込めて告発する。

 「アレクサンドリア」、いい映画だと思う。
 こんな美味しいレストランが道路沿いにあるのに、なんでみんな食べに来ないんだろう?
 とても不思議である。美味しいのに。






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「なし崩しのTOKYO 2011春」Ⅱ

2011年05月18日 | Weblog
 火曜日の東京。
 昨夜、新宿西口にある東京都庁近くの某ホテルに戻ったのが夜の9時。

 途中、歩道を走行していた自転車の若い男と接触しそうになり、男に「ぶっ殺すぞ、てめえ」と言われ、こっちも頭に血が上り、猛スピードで走り去る男を追いかけた。
 後ろから捕まえて引き摺り下ろし、何が何でも謝らせようとしたのだけれど、結局姿は見えずじまい。

 でも、一息入れて考えた。
 もしも喧嘩になったら、我を忘れてしまうのではないかという恐怖もまた感じてしまう。制御不能になるのではないか、そうなったら取り返しのつかない事になってしまう・・・そんな事を考え、少し冷静になった。
 自分の中に巣食っている怒りとかストレスとか、そんな真っ黒に煮え滾っているなにか、それがある切っ掛けで爆発してしまいそうなる。怖い・・・。

 ホテルにチェックインしてお風呂を沸かし、ベッドに潜り込んだのだが全く寝付けない。
 悶々とベッドの中を泳ぎ、そのうち白々と夜が明けた。

 朝の8時少し前に携帯が鳴り、ぼやけた声で10分ほど話す。
 そのあと朝風呂に入ってから、高層ホテルの最上階にあるレストランで朝食を摂った。
 くすんだ空だ。
 灰色一色に東京の街が塗り込められている。

 ホテルをチェックアウト。
 東京駅近辺へと向かった。
 仕事に関連する某者から何度も電話が鳴る。

 今日も、重いミッションを携えての交渉事。
 頭を下げるしかない。
 ひたすらこちらのコンセプトを説明し、誠心誠意交渉を続けるしか道はない。

 有楽町から東京駅方面へと歩き、「八重洲ブックセンター」近くのビル。
 アポイントを予め取っている事を告げ、担当の方とテーブルに就いた。
 重い2日目の仕事をこなし、夕方5時の新幹線でやっと帰れることに。
 出発の時刻まで少し時間がある。
 時間を潰すべく、銀座界隈をぶらぶらと歩く。
 「アルマーニ」の高級ブティック前でいつものように足を止め、夏物の男性用スーツを眺めた。

 それにしても、さすが銀座、高級ブランドの店が軒を並べている。
 よだれを垂らしながらウインドウの中の高そうな衣服を眺め、歩道を歩いていたら、雲ゆきが怪しくなってきて、いつのまにか天気は雨へと変わった。
 
 帰青する時間が迫って来た。
 何件もの仕事関係の電話が携帯に鳴る。
 ビルとビルの合間に入って、大声でそれらに受け答えする。

 やっと新幹線に乗り込んだ。
 鞄からパソコンを取り出し、シート脇のコンセントに電源コードを差し込み、ヘッドホンで前以ってダウンロードしておいた映画を観て時間を潰す。

 映画を一本観終え、真っ暗になってしまった外の景色を車窓から覗く。
 後ろの席のサラリーマン2人が、缶ビールを飲みながら仕事の話に興じている。
 窓の外を流れている漆黒の闇に重なるように、自分の疲れた顔が窓硝子に流れてゆく。

 上司らしい男が、通路側に座っている部下らしい男に向かって組織の何たるかを説いている。
 如何に人間関係が組織を動かす上で重要なのか、如何に仕事を真摯にこなしてゆくことが生きる上での糧となるのか、そんな事を、酔った口調で話してる。

 仙台を過ぎて盛岡まで来ると、車内の人影も疎らになった。
 こうしてまた、東京での2日間が終わる。
 まるで、果てしなく降り続ける雪を、次から次へと片付けているような感じがしてくる。ひたすら雪は降り積もり、片付けても片付けても、それは無くなるという事がない・・・。

 また、スーツの内ポケットに入れている2台の携帯電話が鳴り続ける。何度も何度もブルブルと震え続ける。
 そうしているうち、新幹線が新青森駅に滑り込む時刻が迫って来た。

 ただ、なし崩しに、刻だけがこうしてゆっくりと刻まれてゆく・・・。







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「なし崩しのTOKYO 2011春」Ⅰ

2011年05月17日 | Weblog
 今日と明日は東京出張。
 3.11という凄まじいまでの大災害が発生してから東北新幹線も止まってしまい、そういう意味では新幹線完全復旧後、初めての東京出張ということになる。

 結構、大きな荷物を背負っての出張だ。
 でも某かの対案を持って行くわけではない。作戦など別にない。当たって砕けろの感もないわけではない。
 だからというわけじゃないけれど、ブルーな気持ちのまま新幹線へと乗り込んだ。

 八戸を過ぎ、盛岡駅へと新幹線は走る。
 いつもなら3時間で東京駅に着くのに、地震の影響で暫らくの間は4時間ほど掛かるらしい。

 今日も天気がいい。
 車窓から長閑(のどか)な田園風景を眺めながら、ふと改めて考える。
 ようは、このままなし崩しに人生が終わってゆく事を、良しとしているのではないか。
 結局、今の自分をただ否定することで、お前は人生のバランスを保っているだけなんじゃないか。

 本当は、お前は知っているのだ。
 小説なんて最後まで書けないんだという事を。本当は、完成する気がないんだという事も。そう思い、そう信じるふりをすることで、お前はお前の均衡を保っている、それだけの事なんだ。

 だよなあ。
 また別の自分が納得したように自答する。
 今の仕事が苦しいとか何とか言っているけど、それなりの給料を貰い、それなりの地位に就き、それなりの休みだって貰ってんだろ?
 満足してんだよ、お前はお前の人生って奴に。
 正直に言っちゃえよ、今の暮らしが楽だって。
 本当はこのまま自分の殻の中に閉じ籠り、そんなふうに悩んだふりしてダラダラ生きてゆきたいって思ってるくせに。
 お前は生粋の糞野郎なんだって。糞野郎は糞野郎らしく、カッコつけずに生きてきゃいいんだ、馬鹿野郎。

 眠るでもなく、起きているのでもなく、眼を閉じたり開いたりしながら車内の大半は過ぎてゆく。
 本も読む気になれず、持参したノートパソコンを開いてダウンロードしておいた映画を一本観ていたら、アナウンスで東京駅に到着した事が告げられた。

 鉛を背負ったような気分のまま、東京駅へと降り立つ。
 何の感慨もない。
 丸の内口で降りて、皇居まで歩いた。
 少し風が強いけれど、それなりに暖かく、歩いているうちに薄っすらと汗が滲んで来る。

 某所で、お歴々を対面にしたあるヒアリング。
 約1時間半に及ぶキツイ問い掛けが続いてゆく。
 因果な商売だ。やれやれ・・・。

 それが終わり、駆け足で地下鉄に乗り、今度は青山一丁目にある某巨大メーカーへ。
 ここでもVIP級のお歴々を前にして、ひたすら低頭に額を擦り付ける。
 因果で、砂を噛むように味気ない仕事である。とほほほ・・・。

 疲れた。本当に疲れた。

 仕事を終えて外に出ると、もうすっかり陽が暮れている。
 疲れた足を引き摺って、スタッフの2人を連れだち、青山通りにある焼き鳥屋さん。
 冷えた生ビールが美味い。

 学生の頃、よくこの近辺をデートしたものだ。
 当時の最先端のファッションに身を包み、一端(いっぱし)の都会人を気取って246を闊歩していた。
 その頃、いつも空が晴れていた気がするのは何故だったんだろう?
 その頃、いつも未来に対して強気でいたのは何故だったんだろう?

 それにしても、まさかこの年になって、こんな草臥(くたび)れた姿に身をやつし、悲惨な面構えでビールを煽っているなんて一体誰が想像しただろう?

 俺なにしてんだ?
 こんなところで、俺、一体なにしてんだよ、ほんとにさあ・・・。





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