淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

僕の大好きな映画監督の一人である、イングマル・ベルイマンが亡くなった・・・。

2007年07月31日 | Weblog
 これまで、一体何本の映画を観て来たのだろう。

 子どもの頃、ほとんど毎週、というか新しい映画が封切られるたびに、家族と一緒に映画館まで足を運んだものだ。僕は映画館というそのハコ自体もまた大好きなのだ。
 
 たった独りで映画館に足を踏み入れたのは、拙い記憶を辿ってゆけば(勿論、記憶はいつでも嘘をつくものだけれど)確か小学校4年生の頃だと思う。
 独りで家から3キロほど離れた場所にあった「歌舞伎座」という映画館ではなかったか。そこは当然今では跡形もなくなっていて全く別の建物が建っているけれど、僕は独りそこまでの道を歩き、スティーヴ・マックイーン主演の「遊星からの物体X」(だったと思う。間違ってたらごめんなさい。ジョン・カーペンター監督の映画じゃなくてね)を観に行った。

 「歌舞伎座」という少し変わった映画館、そこに昔、詩人で劇作家で映画監督でもあった、かの寺山修司が住んでいたという話を聞いたのは、当然それから何年も経ってからの話ではある・・・。

 それから映画館への小さな旅が始まった。
 中学・高校では頻繁に学校帰り映画館に立ち寄ったし、それは東京に住んでいた時分も同様だった。もう完全に生活の一部なのである。
 「ぴあ」とか「シティ・ロード」(懐かしいなあ!)を買い求め、マーカーでチェックをし、首都圏の映画館を随分回った。なので、東京都内の映画館にとどまることなく、横浜や川崎や千葉の映画館まで足を運び、必死になって地元の映画館を捜し歩いたものだった

 そしてそこで、本当に数多くの映像作家たちに出会った。尊敬すべき大好きな監督たちもたくさんいる。それはこのスペースのみでは到底言い切れるものではない。それほど語るに足るべき作家たちが、僕の中で息づいてきたのである。

 その中の一人に、スウェーデンの映画監督、イングマル・ベルイマンがいる。

 新聞報道で、そのイングマル・ベルイマン氏が30日、スウェーデン南部にあるフォラ島の自宅で死去したということを知った。
 今年89歳だったことも新聞で知った。勿論、かなりの高齢であることは知っていたけれど。死因も不明ということだった。
 僕は死亡記事に対して軽いショックを受けてしまった。

 僕がイングマル・ベルイマンの映画を意識的に観るようになったのは、彼の名声がすでに高くなってしまった後のことだ。
 しかし、正確に言えば、イングマル・ベルイマンの名声は、初期の作品が次々と発表されてゆく時点において、もう巨匠の域に達していたわけで、1918年にスウェーデン南部にあるウプサラという場所に生まれ、ストックホルム大学を卒業後、映画製作を本格化させ、「危機」という46年の作品で監督デビューしたわけだけれど、55年に発表した「夏の夜は三たび微笑む」で、映画評論家たちからすでに高い評価を得ていることから、その意味でも早咲きの人だったのである。

 彼の代表作と世間で認知されているのは、「第七の封印」、「野いちご」、「処女の泉」、「沈黙」(63年)辺りだろうか。
 しかし、彼の作品は初期の傑作群だけにあるわけではない。後期においても積極的に映画を発表し続け、「秋のソナタ」など素晴らしい映画も数多作っている。

 個人的に傑作だと思っている作品は、まず「野いちご」である。
 この映画に対しては、その後、様々な監督たちが、尊敬と敬意を持って模倣し、そして心からのオマージュを捧げている。
 その一人がウディ・アレンである。ウディ・アレンの作品の中には、ベルイマンが宿っている。

 イングマル・ベルイマンの映画は、そのどれもがひんやりとした冷たい質感で覆われていて、死や老いや孤独が漂っている。それから「神」や「信仰」という内面的な問題も。

 僕が最も衝撃を受けた彼の作品。それは、1982年に発表した「ファニーとアレクサンデル」である。
 僕は、この5時間にも及ぶ大長編映画「ファニーとアレクサンデル」を映画館で観終え、そのラスト近くで映し出されたある数シーンに対して凄い衝撃を受け、しばし言葉を失い、呆然をその場に立ち尽くしたことを、今でも鮮明に思い出すことが出来る。

 「ファニーとアレクサンドル」以降、彼はテレビと演劇に活躍の舞台を移し、最終的に5度の結婚の末に8人の子どもを残し、彼らもまた、現在では、監督、女優、俳優、TV監督として活躍しているらしい。
 ベルイマンは、結局40本以上の作品を残し、20世紀を代表する映画界の巨匠と呼ばれたまま、ついにはこの世を去ってしまった。
 僕はその全ての作品を観たわけではない。何本か見逃している作品もある。

 それをこれから時間を掛け、じっくり向き合ってみたいと思っている。




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「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」NO.44

2007年07月30日 | Weblog
 自民党が歴史的な敗退。民主党が大躍進。
 昨夜、というより、もう時計は月曜日を回っていて、深夜の各局「参院選報道特別番組」を、チャンネルを節目節目で変えながら観続ける。

 テレビ朝日は、相変わらず田原総一郎の独善的な采配が濃すぎてお腹がいっぱい。日本テレビもコメンテーターに凝り過ぎていてイマイチ食指が伸びません。
 フジテレビとTBSが、中々面白く今回の参院選を分析していたように思う。

 それはそれとして、安倍政権は続投表明したのだとか。そうなると、近いうちに解散総選挙があるという話も俄然現実味を帯びて来る。

 結局、朝方までTVの報道番組に釘付け。
 眠い。
 しかもまだ月曜日だぜ!



 

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「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」NO.43

2007年07月29日 | Weblog
 映画館で、初めて「エヴァンゲリヲン 新劇場版 序」の予告編を観た。
 いい。凄くいい。
 勿論、あくまでも予告編に過ぎないわけで、本編そのものの出来は今のところ何も言えないが。

 宇多田ヒカルがバックで歌う「Fly Me To The Moon」もアレンジが秀抜で、本当に素晴らしい曲に仕上がっている。彼女が歌う主題歌とともに、この曲もまた大ヒットするのは確実だろう。

 監督の庵野秀明は、事情通によればかなり悪戦苦闘を強いられているようで、未だ映画自体も完成していないのだとか。
 こうなると、おさらいの意味も含めて、テレビ版と劇場版のアニメをもう一度観たくなってくる。

 9月1日全国一斉公開!
 観てえっ! 一刻も早く観てーっ!



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「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」NO.42

2007年07月28日 | Weblog
 数時間しか眠っていない。
 昨日の酒がまだ残っている。頭も体も重い。
 朝から風が強く、時折り強い通り雨。

 眠い目を擦って仕事に出掛ける。書類を整理し、メールをチェックする。出張中に進んでいた様々なプロジェクトに関する書類を読もうと思うのだけれど、言いようのない無気力感と脱力感に襲われ、鞄の中に書類を仕舞ってオフィスを出た。

 しっかし、俺は一体何を求め、何を成し、何処に向かって歩いていこうとしてるのだろう。自分で自分が解らなくなる。途方に暮れる。

 午後。憂鬱な空の下、車に乗って「国際芸術センター青森」で今日から開催される「土俗と神話」展。
 落ち着いた雰囲気の素晴らしい彫刻展になったと思う。

 でも、焦燥感だけはまだここから去ってはくれないけれど・・・。



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「夏の秋田へ-」②

2007年07月27日 | Weblog
 真夜中、余りにも怖くて恐ろしい夢に目が覚め、びっしょりと汗を掻いたので、夜明け前にシャワーを浴び、再び眠りにつく。
 起床したのは朝の7時半。眠い。

 ホテルの朝食を採り、ロビーで9時前に全員集合。秋田市内の視察に出る。
 天候は曇り。蒸し暑い。
 昼食を全員で採って駅前解散するまでに何回かの携帯音。仕事にプライベートにと。
 お昼は、秋田駅東口の高層ビルの最上階。秋田市内が一望出来る。去年の秋に来た時は、このビルのホテルに泊まった事をふと思い出す。
 晩秋だった。もうそろそろ一年になるのかあ。

 仕事で、それも初対面の方々との会食って、気を使うし軽い疲労感を伴うものだ。勿論、こちらからも積極的に様々な話題を持ち掛けてみるものの、人数が多いと多い分だけ会話は続かなくなってしまう。
 フランスでは、会話がふと途切れ、沈黙の時間が続いてゆくことを「天使が通る」という言い方をする。中々、粋である。
 そんな「天使が通る」昼食を終え、その場で会議は解散。それぞれ挨拶を交わして散らばってゆく。

 帰りは、どういうわけか秋田新幹線で盛岡まで出て、そこから東北新幹線で八戸、そして乗り換えて青森までというルート。
 何でこういう遠回りのコースを取ったのかは不明。切符を頂いたのは出張の数日前だし。まあ別に深くは考えないけど。

 大曲(おおまがり)の駅を過ぎる。青空が広がってきた。
 昔、全国的にも有名な大曲の花火大会に来て、その雄大な河川敷に思わず見惚れてしまった事を思い出した。
 またいつかこの街に来たいとずっと思っていた。それも花火大会のような賑やかな時期ではなく、晩秋のひっそりとした河川敷を独りで静かに歩いてみたい。一泊で来てみたいなあ。

 「こまち」号は角館にも留まった。
 この場所もまた懐かしい。
 「秋田内陸縦断ウルトラ100キロマラソン」の出発地点だからだ。ここの旅館に前泊して朝の5時スタートで、100キロ離れた鷹ノ巣まで走る過酷なレース。 これまで一勝二敗。今度こそはタイにまで持ち込みたいと思っていたのに、いきなりの大会中止。市町村合併による財政難のためだとか。再開の予定もあるようだけれど、どうなんだろう。

 盛岡に到着し、今度は八戸まで。そこからまた特急に乗り換える。
 青森に着いたのが夕刻の6時過ぎ。暑い。
 そのまま飲みに出掛けた。
 ワインにビールを飲み、最後は友人の店で一杯。しこたま酔っ払う。
 帰宅したのが午前2時。何か最近、酒漬けである。別に毎日飲んでいるわけではないのだが、一旦飲み始めると止まらない。

 ああ。いいんだろうか。
 こういう怠惰な生活を繰り返していて・・・。



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「夏の秋田へ-」①

2007年07月26日 | Weblog
 昨日の水曜日は、仲間と飲み会。
 二次会でカラオケ・ボックス屋さん。10人もの人間がひしめいて「えっ? この人誰だっけ?」状態。でも、そんな事はお構いなく、ひたすら歌を唄う。
 真夜中の帰宅。

 朝起きると酒臭い。
 冷たい水を飲んで、書類と着替えをバックに詰め、駅への道を急ぐ。暑い。
 今日は急遽、秋田への出張。

 特急列車は意外と混んでいた。窓際の席に腰を下ろし、ぼんやり車窓からの景色を眺める。
 津軽富士、岩木山が青い空を背景に悠然と聳えている。田圃の稲が美しく輝く。
 秋田へは去年の秋以来だから、およそ9ヶ月ぶりぐらいだろうか。

 約2時間30分の旅。
 新聞も本も読む気にならず、ひたすら流れゆく風景を眺める。
 お昼に秋田駅に到着。
 駅の西口に出て、繁華街の一角で食事を採る。1時からの会議なので時間がない。速攻で食べ終え、小走りに会場へ。

 東北各地を含め、甲信越、北陸の一部も加えた某会議会場にギリギリで到着。
 それはいいとして、今回いきなりの代理出席なので、ほとんど会議資料を把握していない。とほほ・・・。
 それに、昨日数分間の資料説明を受けただけなので、物凄い不安。まさか発表してくださいなんて事はないと思うんだけど・・・。

 マーフィーの法則は正しかった。
 そうなると思うと、必ずそうなる。不安は的中。名指しで「発表をお願いします!」「げっ!」

 参加者の方々は、それぞれ所属している組織のトップの皆様なので、専門用語を駆使しながら滑らかな発表に終始する。
 こちらは、もう自分で何を言っているのか支離滅裂。恥ずかしい。帰りたい。
 胃が痛くなるような、数時間に及ぶ有意義な会議は、それでもやっと終了。とても疲れました。

 懇親会が、場所を秋田の川端地区に移して開催。
 皆さん、各組織のトップの面々なのでこちらも緊張してしまい、中々酔えない。なので二次会はパスさせていただき、独りホテルまでトボトボ歩きながら帰る。

 ホテルの部屋でミネラル・ウォーターを飲みながらテレビ。
 7階の窓に秋田市内の夜景が映る。持参した本に目を通す事もなく、ベッドに寝そべってTBSのドラマ「肩ごしの恋人」。
 何もヤル気が起こらない。

 真夜中、悪夢にうなされて目が覚める。寝汗でびっしょり。何なんだ、この異様な夢の内容は・・・。心の奥底にこびり付いている、言いようのない黒い塊が時々こういう姿が現われるのだ。
 俺は病んでいるんだろうか。



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「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」NO.41

2007年07月25日 | Weblog
 29日投票日の参議院選挙、自民党と民主党が各地で激しく競り合っている。
 このままいくと、自民党40議席割れもあるとのマスコミ報道。
 新聞の全国各地域における終盤状況を眺めてみたら、現時点では軒並み大接戦。特に東京は、元テレビ朝日の丸山珠代が予想に反して大苦戦を強いられているらしい。
 もしも自民党大敗となれば、安倍総理の退陣、国会解散もあるかも。そうなると当然総裁選挙も・・・。

 この国は変われるのだろうか。
 でも、変化って、単に「自民党」政権から「民主党」政権へのシフトだとしたら、それは余りにも淋しすぎる。
 根本的な何か、根源的な何か。進歩って、体力と知力が必要なのである。




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「独り、海に往(ゆ)く-」

2007年07月24日 | Weblog
 車の外気温度計が30度を超えている。
 快晴の空に夏の太陽がギラギラ輝き、直線道路の先が陽炎に揺れて熱波がとぐろを巻いているようにも見えた。

 夏休み。
 所属する組織は、夏休みが9月までで4日間取れる仕組みになっていて、それはお盆時期に連続で取ってもいいし小出しに取っても別に構わない。勿論、仕事に支障をきたさない範囲でという、当たり前の条件があるけれど。
 スケジュール表を見たら、ちょうど24日は比較的空いている。これを逃がしたらもう夏休みなんて取れないかもしれない。ということで少し早めの夏休み!

 海に往く。
 独りで車に乗って、何も考えずに夏の海で泳ぎたい。そう思ったのである。

 朝の9時過ぎに出発。
 バスタオルにサンオイルにビーチサンダルに海水パンツに・・・。
 途中(って別に行く当ても決めてないので何を持っての途中なのかは自分でもよく分かりませんが)、ミネラル・ウォーターと毎日新聞をコンビニで買い求め、当てもないまま海を探す。
 積み込んだCDは、竹内まりや「Denim」、UA「BEST」、マーヴィン・ゲイ「I WANT YOU」、ビートルズ「サージェントペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」、ラヴェル「ボレロ」。

 ひたすら東方面に向かって車を走らせる。
 イメージとしては、波が適度に高く、太平洋岸に広がっている砂場。そんな感じの場所がいい。何度か仕事関連の連絡が携帯に入ってくる。
 やだなあ。電源切っちゃおうかなあ。仕事の事は一切合財忘れてしまいたいんだよなあ。

 お腹が空いてきたと思ったら、ちょうどお昼。
 車を適当な駐車帯に留めて、車内でサンドイッチを頬張る。ちょっと外に出て伸びをしたら、猛烈な日差しが襲って来た。これは絶好の海日和だ。早く海を見つけないと。

 やっと太平洋岸に出る。
 適当に車を横付けして、黒い海水用のパンツに着替え、バスタオルやサンオイルなどを入れたバックだけを持って、裸のまま海に出る。

 真っ青な空と海! 熱い太陽! 白い波! 海鳴り!
 漂流してきたらしい丸太ん棒を見つけたので、その上に腰を下ろし、太陽の光を全身に浴びる。

 広い砂の海岸には何人かの人。
 ビキニ姿の女性二人組、4人の若い男性、それと、中年の男性が一人で砂浜をジョギングしている。サーフィンをしている男性もいた。あとは、独りで甲羅干しをしている人がぽつりぽつり。平日なんてこんなもんだろう。

 海に入った。
 波が高いから、悠々と大海原を泳ぐという感じではないけれど、それでもやっぱり気持ちいい! 最高である! 何も考えない!

 海から上がったら、カラスがバックを開けてバスタオルを突付いていた。直ぐに追い返したけれど、食べ物でも探っていたのだろうか。何て頭がいいんだろう。

 あとは、ゆっくりと甲羅干し。
 ジリジリと太陽が全身を焼いてゆく。波が砂浜に打ち寄せる音が心地よい。
 もう、億劫な仕事も煩わしい悩みも一切考えない。ただこの波の音に全てを静かに委ねるだけ・・・。
 そろそろ帰ろうと体に付いた砂を払い、車に戻る。やっぱり海はいい。心底癒される。
 
 帰りもまた、もと来た道をフルボリュームでCDを聴きながら市内へと入る。
 折角なので、久しぶりにそのままスポーツ・ジムへ。
 4キロ走って、エアロ・バイクも4キロ漕ぎ、そのあと腹筋マシンをゆっくりと200回。それだけで物凄い汗。
 それから一時間「走らない脂肪燃焼」コース。

 ビリー・ブームの影響なのか、スタジオはかなりの人で埋まっている。でも、絶対、ビリーの数倍はこちらのほうが長続きできると思うんだけどなあ。
 エアロを終えて外に出たら心地よい疲労感。仕事の疲れとは全く異なる爽やかなクタビレ具合である。

 いい休日でした。いやあ、本当にサッパリしました。



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映画「神童」。これもまた同名コミックの映画化らしいけれど、これがまた中々いい出来に仕上がっている。

2007年07月23日 | Weblog
 前にも何度か書いたけれど、映画は基本的に映画館で観ると決めている。しかし、これが中々難しい。
 当然、映画館で封切られる映画の数は限られているし、全ての映画を映画館で観る事なんて物理的にも不可能に近い。
 それに最近の映画館、非常にマナーが悪いときている。何度もキレかけたし、そんなに気を使うなら、のんびりと家で誰にも邪魔されずに映画を観たほうが寛ぐに決まっている。

 しかし、しかしである。
 やはり僕は映画館へと足を運んでしまう。日常を断ち切り、非日常へと入り込む。幕が降りて場内が暗くなり、真っ暗闇の中でまったく別の世界が現われる。
 これが映画館で映画を観る醍醐味だろう。それに映画の封切りのほうが、DVDより早いしね。

 なので、映画を観るのは休日がその大半を占めることになってしまう。
 ところが、この休日がまた厄介なのである。ジョギングもしたいし、スポーツジムにも行きたい。友だちとの飲み会や会合もあったりする。本も読まないといけないし、図書館から借りている本やDVD、それからレンタル屋から借りたDVDも片付けなければならない。
 それからそれから、様々な用事や早めにやっておくべき案件もあったりする。忙しいのである、とっても。

 今回の映画「神童」も、だから同じ映画館で立て続けに観る事と相成った。
 午前中早くに用事を片付け、映画館の上映を調べ、まずは一本の映画を観て、次の「神童」の上映時間まで約1時間あったので、急いで家に帰り、昼食を採り、またまた急いで映画館へと駆けつけた。
 ふーっ。疲れる。とても疲れる。

 そんな時、折角楽しみにしていた映画が詰まらなかったり、期待はずれだったりすると、その疲労度も倍増する。何か損した気分に襲われるのである。
 だったら、あれをしておけばよかった、これをしておけばよかった。ガッカリする。

 その意味でも、映画「神童」。どうだったかというと・・・。

 クラシック音楽をテーマにした、「さそうあきら」の同名コミックをTV「瑠璃の島」の成海璃子と、「デスノート」で大ブレイクした松山ケンイチ主演で映画化した映画である。
 監督は、「帰郷」を撮った萩生田宏治。

 中学生1年生の成瀬うたは、言葉を覚えるよりも先に楽譜を読みピアノが弾けたという天才少女である。
 ところが「神童」と呼ばれて育ったうただったが、体育の授業は突き指をするからと親から先生に対して抗議され、球技を含めて見学を強いられる。

 そんな生活に、うたは反感と息苦しさを覚え、ピアノへの興味も失い、苛立ちと失意の日々を送っている。
 ある日、うたはひょんなことから音大を目指して浪人中である青年ワオと出会う。
 ワオは、次も大学を落ちればピアニストになる夢をあきらめ、家業である青果店を継ぐことになっている。

 うたはワオに惹かれ、ワオの自宅に勝手に押し掛け、彼にピアノを教える。
最初は戸惑っていたワオも、うたのアドバイスのおかげで急速にピアノの腕が上がり、いよいよ受験の日もが迫って来る。
 その一方で、ウタは、何度か難聴に襲われる。そしてそれは、亡くなったピアニストの父親も罹った病気だった・・・。

 この映画いい。
 監督の萩生田宏治、直球勝負に徹し、カーブやスライダーは一切投げない。だからとても小気味いい。ギミックがないだけ、とても清々しいのである。
 まるで老練な巨匠が撮った映画であると言ったら、少し褒め過ぎだろうか。それほど、真正面から正直に演出している。

 ストーリー自体は、別に新味があるような込み入ったものではないし、少女と青年の、ピアノを通した、淡いラブロマンスでしかない。
 ところが、ディテールをきちんと撮っていて、手抜きがないので、細部まで行き届いた丁寧さが観る側にも伝わって来るのだ。

 この監督の別な作品を観てみたい。
 ラストも、得てしてお涙頂戴のベタな展開になるのがこの手の映画の通常なのに、意外とクールに、引いたような撮り方に徹しているのがまた凄い。

 掘り出し物である。



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「SPARKLE!」

2007年07月22日 | Weblog
 土曜日の夜は、仲間7人と県庁近くの寿司屋さんで飲み会。
 勿論、仕事関係一切なし! 
 東北6県を網羅している某会社の取締役に、中小企業の若社長に、県職員に、某テレビ局員に、某会社員にと、異種業種の仲間たちによる無礼講な楽しい飲み会である。
 これに、当日は不参加だった、某有名保険会社をリストラされて現在関西方面に住み込みで働いている者や、ガードマンや、運転代行者をしている者たちが加わる。

 仕事のしがらみが全くない人間同士のお酒ほど美味しいものはない。ストレスがないのである。
 だから、こちらの組織に対する容赦のない批判も当然起こる。それを真摯に受け止め、反論もする。逆に、内部からでは到底考え付かないような意見もあったりして、目から鱗が落ちる事だってある。
 このように書くと、結局仕事の話かよと思われるかもしれないけれど、そんな事は全くない。会話の大部分は、他愛無い世間話に終始する。
 でも楽しいんだなあ、これが。

 昨晩は、そのお寿司屋さんのテレビで「日本対オーストラリア」のサッカーが流れていたので、もう全員気が気でなく互いの会話どころではなかった。
 一対一から、延長戦、最後のPK戦突入と、手に汗握る物凄い試合だった。日本が制して、またまたお酒の量も増えてゆく。

 日曜日はいい天気。
 絶好のジョギング日和ということで、お昼ちょうどに外へと飛び出す。
 太陽が眩しい。まるで梅雨が明けたかのような青空が広がっている。
 海辺を走り、東部方面の大きな公園まで。今日は足も軽い。快調に飛ばしてゆく。公園を東西に貫く道路に車がびっしり連なって停車している。
 そうかあ、高校野球かあ。市営球場から時折り歓声が聞こえて来る。

 浜辺に出た。
 水着姿で肌を焼いているカップル。子ども連れの夫婦が、波打ち際ではしゃいでいる。遠くに貨物船が見えた。
 夏である。完璧な夏である。
 白いジョギング用のランニングシャツが汗で濡れている。

 ジョギングを終え、埠頭の上で上半身裸になって太陽の光を一身に受ける。汗が滴り落ち、ギラギラした光に輝いている。
 しばしの甲羅干し。かなり焼けた。水が途轍もなく美味しい。
 生きている。

 帰宅して、家のシャワーを浴びずに、そのまま西部地区にある大型SCエリアの露天風呂付き大浴場へ。
 気持ちいいっ! 露天風呂に浸かり、またまた夏の太陽の陽を浴びる。備え付けられているプラスチックの長椅子に、裸で仰向けになって肌を焼く。
 極楽である。肉体を苛め抜いたあとの露天風呂。これを極楽と言わずして何と言おう。
 空は青空。風も気持ちいい。疲れた躯体を露天の湯気が駆け抜けてゆく。

 夕暮れの爽やかな風に揺られて本を読んでいたらそのまま眠ってしまった。
 早めの夕食を採り、NHKハイビジョンで「風林火山」を観る。

 明日からの仕事の事が、またふと頭を過ぎる。
 いわゆる日曜日の夕暮れの憂鬱、「サザエさんシンドローム」、あるいは「笑点シンドローム」というやつだ。
 会社勤めの人間ならほとんどがそう思うだろう。月曜日は厭だなあ。仕事に行きたくないなあ・・・。

 なので、夕暮れの街中を、半ズボンを穿いてサンダル履きで自転車に乗って散歩としゃれ込んだ。
 夕焼けに染まる海に往く。
 空には半月がくっきりと浮かんでいる。何て美しいお月様なんだろう。

 さてと。帰ろうか。



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「エターナル・サンシャイン」のミシェル・ゴンドリー監督の映画「恋愛睡眠のすすめ」を観る。

2007年07月21日 | Weblog
 平康頼が書いたと言われている「宝物集(ほうぶつしゅう)」という書物がある。
 平康頼は平氏と源氏の時代に生きた人で、平家討伐の密談を企てた罪で3年間の流刑を負わされて人物である。

 その「宝物集(ほうぶつしゅう)」の中に、「この世の中で一番の宝物は何か」ということが書かれた箇所があるのだとか。
 ある人は言う。「隠れ蓑(つまりは透明人間になれちゃう衣のことね)があれば、他人から自分が見えないので何だって出来るのではないか。だからこの世で一番の宝物は隠れ蓑に違いない」

 またある人は言う。「打ち出の小槌(こづち)ではないか。これがあれば、欲しい時に何でも欲しいものが現われるからこんな素晴らしいものはない」

 それから話は延々と続いてゆく。・・・らしい。
 いやいや、子どもこそが一番の宝だ。お金があれば何でも買えるからお金だろう。などなどと色々な意見が飛び交うけれど、どれも一長一短があって中々決められない。
 こどもは確かに宝物かもしれないが、子どものうちは可愛いけれど、大きくなったら親を蔑ろにしたり、あるいは不幸にして先立つことさえあるだろう。
 お金だってそうだ。お金がある事で親兄弟が骨肉の争いをしたり、身を滅ぼす人さえ多い。世の中に言う宝物など全ては不完全極まりない。

 そして「宝物集(ほうぶつしゅう)」は、ある結論に達する。
 これらのものは、人間を幸せにする反面、人を不幸に陥れることもある。とかくこの世は儘(まま)ならぬ。
 やはり最後に縋るのは、やはり御仏だろう。形ないもの、それでいて純粋で揺るぎなきもの。それこそが、この世の中で一番の宝物なのではないか・・・。

 奇才ミシェル・ゴンドリー監督は、これまで「ヒューマンネイチュア」、「エターナル・サンシャイン」と、摩訶不思議でコメディの要素も醸し出しながら、とても純粋な愛の物語を紡ぎ出してきた。

 そして今作の「恋愛睡眠のすすめ」は、これまでタッグを組んできた脚本家チャーリー・カウフマンが不在であるものの、繊細で引っ込み思案の青年の恋愛妄想をコミカルかつファンタジーに描いている。

 メキシコから母親のいるパリに引っ越してきたばかりのステファンは、母親のコネで小さな会社に勤め、パリのアパートメントの一室に引っ越すのだが、たまたま隣に引っ越して来たステファニーに恋心を抱く。
 ところが元来の引っ込み思案でシャイな性格が災いし、自分の造ったスタジオの中で自分とステファニーの夢ばかり見ることになる。
 ステファニーは、ステファンに対して何の感情も抱いていないのだが、彼の感情は暴走を始め、夢と現実が曖昧になり、妄想だけが突出してゆく。

 前作の「エターナル・サンシャイン」と似てなくもない。
 現実の苦しさや煩わしさから逃避し、非現実的な「隠れ蓑」や「打ち出の小槌」に頼りきることだけを試みる。
 本当はそんな魔法の機械は存在しないし、たとえそんなマシンが現実にあったとしても、それを使って夢を実現する事など不可能なのに・・・。
 人の心を変え、自分の思うままになど出来ないのである。
 仏教でも言うではないか。「思うがままに出来ない事を、思うがままにしようとするから、悩み、苦しくなる」のだと。

 しかし、それはそれとして、この映画悪くない。
 ただし、毛嫌いする人や、途中で飽きが来る人も多分いるかもしれない。夢と現実が交錯し、ステファンの優柔不断さや恋愛に対する執着が鬱陶しいと感じる向きもあるだろう。女性が特にそういう感情に見舞われるのではないだろうか。

 でも一人の男性として彼の行動は深く理解出来る。
 恋愛なんて、ある意味、妄想と執着と嫉妬と独占と葛藤以外、一体何があるというのだろう。別に居直るわけではありませんが。

 この映画、少し捻くれたラブ・ストーリーである。
 幻想シーン、つまりステファンが夢の中でステファニーと戯れるシーンが美しい。ミシェル・ゴンドリーって、よっぽど切ない恋愛経験が過去にあったのだろうか。これまでの作品を観ると、そうとしか思えないような台詞がたくさん出て来る。

 「エターナル・サンシャイン」のような息苦しいほどの愛の形態はここにはない。ないけれど、何処か懐かしく、誰もが抱いた感情は「恋愛睡眠のすすめ」から見て取れる。

 愛って孤独だよね。



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「干物女(ひものおんな)」の生態を描いたコメディTVドラマ「ホタルノヒカリ」が面白い!

2007年07月20日 | Weblog
 夏のTV新番組が一斉にスタートした。
 個人的に期待していたドラマが、フジテレビ系の「山おんな 壁おんな」と、TBS系「肩ごしの恋人」だった。
 「山おんな 壁おんな」「肩ごしの恋人」、両方ともに原作があるけれど、過去の例からみても、やはり小説の原作よりコミックの原作に基づいたTVドラマ化のほうが圧倒的に面白かった。

 ただし今回のTVドラマ「山おんな 壁おんな」と「肩ごしの恋人」、期待が大きかった分、今のところその失望も大きい。
 勿論、両番組とも、それなりのアヴェレージはキープしているし、まだまだ3回だけのオンエアなので現時点で即断は出来ないけれど、第1話はそれなりに興味を惹かれたものの、どちらも、これまで過去に放映された輝かしき傑作TVドラマの一本とまでは至っていない気がする。

 その中にあって、ちょっと意外に面白かったドラマが、日本テレビ系列で水曜日夜10時から放送されている「ホタルノヒカリ」だ。
 主演の綾瀬はるかにとっても、単独での連続ドラマ初主演となる。

 日本テレビの水曜夜10時台は、これまでも中々良質なドラマがオンエアされていた。
 前回が「バンビーノ」(これも面白かった)。その前が大ヒットした「ハケンの品格」(これもまた面白かった)。それから「anego」もあった。
調べてみたら、この新番組ドラマのスタッフの一部は、「anego」、「ハケンの品格」のプロデューサーや演出者たちによって構成されているらしい。

 例えば、北海道でブレイクしている俳優の安田顕。
 彼は「ハケンの品格」においては一ツ木という苗字の役だったのに対し、このドラマでは「二ツ木」という苗字で出演している。
 それから、二ツ木の名である「昭司」も、「ハケンの品格」の登場人物である「東海林」にかけているらしく、「anego」、「ハケンの品格」に続く、女子のリアルストーリー第3弾という触れ込みなのだとか。

 で、今回の新番組「ホタルノヒカリ」の第1回視聴率は、なんと17.3%! 大健闘している。
 綾瀬はるかの演じる雨宮蛍というOL、仕事はバリバリこなすくせに家に帰ると全くの正反対。ジャージに着替え、長い髪は適当に束ね、缶ビールを呷りながら乾き物を齧る。
 そして、部屋は散らかし放題、服は脱いだら脱ぎ放題。恋愛にも無頓着で、休みの日はただグダーっと寝転がっているだけ・・・名付けて「干物女(ひものおんな)」。
 渇き切っているのである。

 少し「のだめカンタービレ」と似てなくもない。
 雨宮蛍と、ひょんなことから同居する羽目に陥る、会社の上司である高野誠一(藤木直人)との関係が笑わせる。
 まあ、この凸凹コンビの笑いってこれまでも数限りなくあったパターンだけれど、カッコよくて几帳面で清潔好きである上司の高野誠一と、雨宮蛍との掛け合いが抜群に面白い。
 
 少女漫画コミックが原作なので、早速本屋に駆け込んでコミックを探したけれど、第9巻だけは平積みにしてあったものの、そのほかの巻は全て売れ切れ状態。それだけ人気のある漫画なのだろう。

 物語のメインは、「干物女」綾瀬はるかがイケメン同僚に恋をして、それに、会社の上司で秘密にしたまま同居を余儀なくされている藤木直人が絡んでゆくもので、ラブコメの一種なんだろうけど、そのドタバタ劇が笑いを誘う仕立て。

 そしてこのドラマで特筆すべきは、安田顕だろう。
 藤木直人と会社の同僚という設定なのだが、お互い妻に去られて現在は男やもめということで慰めあっていて、どこか藤木直人に対してホモ的な愛情を感じているという、結構難しい役柄を演じている。

 これがまた笑いを呼ぶのだ。
 マスクは二枚目半で、主役をはる役者ではないけれど、この男優、映画やテレビでいい役を貰えさえすれば、性格俳優としても中々伸びそうな予感がする。
 安田顕、いいかも。

 夏のTV新作ドラマの中では「ホタルノヒカリ」、最後まで上位に食い込むかもしれない。ただし、「ホタルノヒカリ」というタイトル、漫画が原作なので仕方ないとはいうものの、「電車男」のブレイクもあったのだから、ズバリ「干物女」でよかったのでは。

 いずれにしても、水曜の10時台のドラマについては、「ホタルノヒカリ」で決まりである。



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「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」NO.40

2007年07月19日 | Weblog
 今日は少し暑かったけれど、明日も明後日も雨模様。まだ梅雨は明けてない。
 もう木曜日、そして明日の金曜日が終わるとまた週末がやって来る。時間の速さにあきれ返る。

 昨日、某委員会に参加した際、久しぶりにお会いした作家のS氏と暫しの懇談。
 S氏の「書いてますか?」に、「ここ数年間、全く書けないんです。仕事を辞めて、もっと自分をギリギリまで追い込まないと駄目なんですかね」。

 それに対して、1,000枚の小説を脱稿し、余り寝てないというS氏、平然と「いや、書けない人は、仮に仕事を捨てて執筆に専念しても絶対書けませんよ」。

 確かに・・・。
 甘いんだよなあ、まだまだ。



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浜崎あゆみ「glitter/fated」、ケツメイシ「また君に会える」、倖田來未「FREAKY」。

2007年07月18日 | Weblog
 浜崎あゆみと長瀬智也の破局にはびっくりしたなあ。
 「距愛」のタイトルで自分自身のホームページにおいて、長瀬智也との破局発表以来、3度目のコメントを発表したらしい。

 ネットで見たら、自分で書いた「winding road」の歌詞を引用して、「長かったような短かったようなそんな道のりを今振り返って眺めてみて、少しも悔やんでいない」と自ら告白したのだとか。

 まあ別に誰が恋愛しようと失恋しようと、他人がとやかく言う事でもないのですが、長い恋愛期間になればなるほど、その反動としての寂しさが募るだろうなあ、などと余計な事を考えてみたりする。

 そしたら何と、オリコンでいきなり浜崎あゆみの新曲「glitter/fated」が初登場第1位。さすがである。
 個人的に、浜崎あゆみって好きでも嫌いでもないんだけど、今どんな心境だろうなんてふと思う。恋愛を、自分の人生の最上位に置かない人間だけが最高の恋愛が出来る・・・。うーん。

 最近は、家に帰って、ぼんやりTVのベストヒット100なんかを眺めている。
 現在、日本でヒットしている曲は当然たくさんある。気に入った曲もあれば、首を傾げたくなるような酷い曲もある。このチャンプルー状態こそがまた、音楽の面白いところでもあるのだけれど・・・。

 まずは「倖田來未」の「FREAKY」がいい。
 今まで余り倖田來未には食指は動かなかったんだけど、この新曲には不思議なグルーヴ感がある。サビの部分が乗れて、リピートするリズムが心地よいのだ。売れる筈だ。

 その意味においては、3人のユニット「w-inds」の新曲「LOVE IS THE REATEST THING」もまた、新しさを伴ったリズムやメロディを打ち出しているにも係わらず、心地よくて懐かしさが漂う楽曲に仕上がっていて、何度も聴きたくなる。

 そして大好きな「ケツメイシ」の新曲「また君に会える」。
 もう何回もこのビデオ・クリップを観たけれど、さすが「ケツメイシ」、ちゃんと夏を意識した爽やかなナンバーに仕上げた。上手いとしか言いようがない。
 無骨で暑苦しい4人組(ごめん)から、こんな素晴らしいメロデイラインが生まれるなんて信じられない。この曲も売ヒットして当然。

 しばし唖然として言葉も出なかったのが、アルフィの「高見沢俊彦」が出したソロ・シングル「千年ロマンス」。
 しっかし。52歳だよね、高見沢俊彦。確かにユニ・セックス的というか、ベルばら的というか、女性漫画に出て来る男性的というか、そういうキャラクターを演じてきたことは十分理解できる。

 ところが今作はさらにそれがグレードアップ!
 ロール・プレイング・ゲームに必ず登場する、長髪で女性的な容貌をした男性騎士と言ったらいいか、中世を舞台にした白馬に乗った美男騎士と言ったらいいか。
 画面にクローズ・アップされた薄化粧の剣士、高見沢俊彦の流し目が凄い!
 ここまで来ると、参りましたと叫ぶしかない。曲も70年代にまでタイムスリップしたような前時代的な曲。そこまで計算して作ったのなら脱帽するほかありません。

 久しぶりの「MISIA」。新曲は「ANY LOVE」。
 長い間低迷期に入っていたMISIAだけれど、ここに来て活動を再開したらしい。全国ツアーも行っている。
 新曲の「ANY LOVE」は、大方の予想を裏切ってスローで美しいナンバー。いいんじゃない?

 そして遂にブレイクしたのが「中川翔子」。新曲の「空色デイズ」がチャート・イン。
 彼女の「MUSIC ON TV」でオンエアされている番組「ユメレジ」は、本当に面白い。
 この番組は、中川翔子がナビゲーターを務める音楽番組なんだけど、彼女のお喋りがとにかくいい。頭がよくて、オタクっぽいところが彼女の魅力。アキバ系の話題も豊富だし、知識が物凄い。それでいて可愛いから人気がある。

 ヒットチャートなんて、泡沫に消えてゆくこの世の仇花のようなものである。束の間の泡のように儚い、夏の夜にあがる美しい花火のようなものである。
 だからこそ素晴らしいのだ。

 でも何と言っても今月のイチオシは「竹内まりや」の新曲「チャンスの前髪」だろう。
 この曲、何百回聴いても元気が出る! うん。



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全てはここに帰る。「般若心経」、そして仏陀。人生に意味などない、あらゆるものはただ過ぎ去る。

2007年07月17日 | Weblog
 諺(ことわざ)で、こんな話がある。
 ある無人島に3人の男性が漂流した。そこは食料も豊富にあり、それなりに生きてゆく事が出来る。しかしたった3人しかいない無人島生活である。人恋しくなったり、家族のもとに帰りたいという思いは日増しに強まってゆく。

 ある日、そこに神が降臨する。
 神は孤独な3人に向かって、このように告げる。1人につき一つだけ、全部で三つの願いを叶えてあげよう。何なりと言うがよい。

 一人の男が願い事を告げる。
 「家に帰してください。私には愛する妻と愛しい子どもたちがいるのです。今すぐにでもここから抜け出し、家族のもとに私を帰してください」と。
 神は、瞬時に彼を家族のもとへと帰してやった。

 今度は二人目の男が、神に願い事を告げる。
 「私は家などに帰りたくありません。妻とは不仲だし、子どもたちとて私の言う事は聞かず馬鹿にするばかりです。そんな薄ら寒い家庭に帰るくらいなら、私を美女が何十人も住むようなハーレムに行かせてください。私はそこで面白可笑しく一生暮らしたいのです」
 神は、その2番目の願いにも即座に頷いた。

 2人が無人島を去って、たった一人だけがその淋しい孤島に取り残された。
 3人だけこの無人島で暮らす事を余儀なくされた直後は、それなりに鬱陶しさや煩わしさが襲っていたけれど、こうして今、他の2人がいなくなってみると、圧倒的な孤独感が彼を襲い始める。この豊かな自然に囲まれた静かな生活も悪くないとさえ思えてくる。

 取り残された最後の男は、神に対してこう願う。
 「お願いです、神様。居なくなった2人をこの無人島に戻していただけないでしょうか? そうすれば、また3人で仲良くここで暮らす事が出来ます。ここは食べるものが豊富です。世俗の辛い出来事もここまで襲って来る事もありません。3人ゆっくり自然の中で仲良く生きてゆきたいのです。お願いします!」
 
 当然、神は最後の願いも叶えてやった。
 先にこの地を去ることを願った2人は、また以前のように無人島に戻されてしまったのである・・・。

 人は何かに執着する。何かに固執する。何かを求めて止まない。欲望は限りなく、一つの願いが叶うと、それに満足することなく更なる欲望に執着し、それは果てしなく続いてゆく。
 仮に願いが叶い、夢が実現したとしても、それさえいつまで続くのか誰も解らない。そして必ず人は死ぬ。生老病死の4大苦は、全ての人間に付き纏うのである。今の状況を維持しようとありとあらゆる努力を続けたとしても、永遠には続かない。
 人の世は儚い。無常である。

 「般若心経」は、たった262字の文字で成り立っている。
 そしてそのたった262文字の中に、人生のヒントが数多隠されている。この文字の群れは、ある意味お経の範疇を超えた、とても深遠な仏教思想が息づいている。

 「般若」とは、パーリ語、いわゆるサンスクリット語の「パンニャー」を音写した言葉で、「知恵」、すなわち「智慧」という意味である。
 つまり、仏さまが説いた「生きるための素晴らしい智慧の言葉」が、この「般若心経」に詰まっているのだ。たった262の文字に。

 仏教では、自己が所有するものなど一切ないと説く。あらゆるものは「縁」によって成り立ち、人間はしがらみの中で生きているのだと。
 私たちは過去を悔やみ、未来を煩う。明日は未だ見ぬ霧の中におぼろげに浮かんでいるだけだし、過去の失敗は頭の中に巣食ったまま決して離れる事はない。

 「ローマ人の物語」を書いた作家の塩野七生さんによると、日本人が、「忙しいでしょう?」と挨拶をすると、必ずその返事は「幸いなことに、そうなんですよ」という趣旨のものがほとんどなのだとか。
 ところが、それが欧米人の場合、「忙しいでしょう?」に対する返事は、大部分が「ええ、不幸にして」ということになるのだとか。忙しさは不幸な事なのだ。
 忙しいという字は、「心を亡くす」と書く。時間に追われるということは悪なのである。豊かな時間を持つ事こそ、欧米人にとっての美徳なのだ。

 「般若心経」を読んでいるからといって、悟りがひらかれるわけではない。人生は複雑で、絡まった糸のように解れる事はない。僕のような凡人なら尚更だ。悟る事など無理だ。

 それでも、僕は仏教に帰ってゆく。「般若心経」に帰ってゆく。そして、仏陀、釈迦の説く素晴らしい言葉の中に帰ってゆく・・・。




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