淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

雑誌「LEON」を久々に読む。「モテるオヤジ」、「ちょい不良(ワル)オヤジ」には辟易だけど。

2010年08月31日 | Weblog
 「メンズ・ノンノ」の創刊号や、「ポパイ」の創刊号は今でも大事に取ってある。だけど、それは別に男性ファッションに特別興味があるとか、オシャレが大好きだからというわけじゃない。

 単に、雑誌の創刊号を集めるのが趣味なだけで(というよりも、雑誌を読むのが大好きで、期待に胸膨らませながら色んな創刊号を買い求めてきたら、自然とそうなってしまったというだけですが)、どちらかというと男性ファッション誌にも特段の思い入れはない。

 でも、東京なんかで「ジョルジョ・アルマーニ」銀座店なんかを覗いたりすると、やはり「ファッションって、一種の芸術であり、思想である」ということを実感する。

 大袈裟ではなく、ファッションは、アートであり、哲学であり、文化である。

 僕は、とにかく服装に対して無頓着なので、今までは、市内某デパートにある男性ファッション店に赴き、春夏秋冬の4回(実際はもっとかな)、お店の店長さんにコーディネートしてもらった季節ごとのスーツやシャツ、それからカジュアルなどを買い求めて着ているに過ぎない。

 今回、たまたま本屋で雑誌類を次々に立ち読みしていた際に、「LEON」を衝動買いしてしまった。

 「LEON」といえば、何と言ってもパンツェッタ・ジローラモである。
 ちょいモテオヤジという言葉は、その年の流行語大賞トップテンにも選ばれた。

 でも、この言葉だけは嫌いだ。
 チョイワルおやじに、チョイモテおやじ?
 ちょっとだけワルで、ちょっとだけモテるという、その中途半端が癇に障るし、軽薄そうで(軽薄自体は大歓迎なのだが)、絶対に踊らされたくないと意固地にさえなる。

 それに、雑誌のマニュアルどおり、それを完璧に実行したからといって、モテる男になんてなれるわけないし。
 そういう、カタログ化された男って、気持ち悪いでしょう、実際。
 真にモテる男とは、そういう場所から少し離れた位置にあるのではないのかなあ。
 ・・・負け惜しみだけど・・・。

 今月号の「LEON」に惹かれたのは、特集が面白そうだったから。
 それに、読んでみると、嫌いな、チョイワルおやじやチョイモテおやじというフレーズ、ほとんどない。いいことである。
 編集長が代わったからだろうか。

 ただし「モテ」るという言葉だけは、異常に出て来る。
 余りにも「モテ」るが雑誌の中で踊っているので、ちょっと笑ってしまった。

 「オヤジのレザーはちょいシック」、「まず買うべきは『ダブルで黒のライダーズ』」、それから、「使い勝手がいいのはニット×レザーのコンビもの」などなど、中々面白いファッション記事が満載だ。

 こうしてみると、確かにパンツェッタ・ジローラモ、カッコいい。
 着こなしも巧い。
 ひとつだけ難点は、「LEON」に掲載されている洋服やアイテム類がちょっと高価なことだろうか。

 年収3000万円ぐらいあって、六本木や赤坂や松濤に住んでいるオヤジたちなら、この程度の出費は軽いのだろうが、ごく普通の生活を送っているオヤジたちにとって、そんな簡単に買える代物ではない。

 最後のページに、「LEON編集部員が身銭切って買ったモノあれこれ」という記事が載っていて、これもまた凄い。
 例えば、編集長は、今後、乗馬・船・ゴルフを強化していこうと宣言し、しらっと、約80万円の「エルメスの鞍」(乗馬用)を衝動買いしたことを告白する・・・。
 はいはい、そうですか。

 呆れながら、表紙に目をやると、「必要なのはお金じゃなくてセンスです」と書いてあった。
 好きにしたら?

 でも、また買っちゃいそう、「LEON」。





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秋田県小坂町康楽館「創建100年記念式典・松井誠特別舞踊ショー」を観に行った。

2010年08月30日 | Weblog
 土曜日の駅伝での激走からなのか、ちょっと軽い筋肉痛。
 日曜日も暑さはまったく収まらない。どうなってるんだ、今年の夏は。

 午前中、青森駅前公園で昨日から始まっている「産直市」へと出掛けた。
 結構、混雑している。
 関係者の皆さんに挨拶を済ませ、しばしの雑談。
 朝市、B級グルメ、それからバザーと、たくさんの出店で埋まっていて、メロンやトウモロコシや様々な果物を買って帰った。
 安い!

 午後、3回目となる、日本最古の国重要文化財芝居小屋「康楽館」へと、車を飛ばす。
 今日は、夕方4時から「創建100年記念式典・松井誠特別舞踊ショー」があるのだ。

 別に松井誠のファンでも何でもない。
 ただ、この木造建築の芝居小屋、独特の風情があって、とても惹かれるのである。

 松井誠は、大衆演劇の役者を両親に、芝居小屋で生まれたらしい。
 僕は、NHK大河ドラマ「風林火山」で初めてこの役者を知った。その程度の知識しかない。

 松井誠は、女形や歌もこなし(浅岡ルリ子とデュエットしたCDも出している)、大衆演劇界の世界ではトップクラスであり、現在は「下町かぶき組」の弟子を率いて、全国を回っている。

 残暑(というより夏真っ盛りとしか思えないけど)の午後、高速道路に入り、小坂を目指す。
 今日はFMを聴きながら、軽快に独りドライブ。
 ユーミンのDJ番組を聴き、続く山下達郎の「サンデー・ソングブック」。

 高速道路は、空いていて、とても気持ちがいいドライブ日和。
 約1時間で小坂町インター。
 そこを降りて、10分ほど走ると、日本最古の国重要文化財である芝居小屋「康楽館」が見えて来た。

 明治百年通りを抜け、広い駐車場に車を停め、少し付近をぶらぶらと散歩する。
 まだ開演までたっぷり時間がある。
 少し歩くと川が見えた。小坂川だ。
 幅10mもあるだろうか。せせらぎの優しい響きに目を閉じて、少しの間、石畳に座り込む。
 夏の太陽が、衰えることなく照り返す。

 小坂鉱山事務所に行ってみた。
 1階のショップで、冷たい缶珈琲と地元の特産物で作られたというクッキーを買い、表の公園のベンチに腰掛け、食べながらぼんやりと周囲を眺める。

 公演の時間が近づいた。
 チケットを買って「康楽館」の中へ。
 館内は超満員。
 独り、1番奥の席に座り、開演を静かに待った。

 第1部が、松井誠による口上と祝いの舞い。
 初めて観る、松井誠の女形だ。まあ、綺麗なんだろうなあ。というか、妖艶といったほうが正しいのか。

 第2部は、町のPRソングのお披露目。
 昭和歌謡のテイスト。こういう楽曲が似合うんだよなあ、「康楽館」は。

 そして第3部。
 いよいよ、松井誠特別舞踊ショーの開幕。
 これには少しガッカリ。だって、松井誠自身の舞踊はたったの2曲程度。
 これだけなの?

 結局、1時間20分程度で「創建100年記念式典・松井誠特別舞踊ショー」は終了。
 まあ、安価なチケットだし、この程度で良しとしなければならないのかも・・・。

 帰りも、高速道路を北へと走る。
 淡い橙色の夕暮れが、とても美しい。

 明日は月曜日か・・・。





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国内映画興行成績第1位に躍り出た、新垣結衣・生田斗真主演「ハナミズキ」を観る。

2010年08月29日 | Weblog
 一青窈の名曲、「ハナミズキ」。
 彼女の作る曲って、確かに映画のバックに流れると効果抜群だ。

 黒土三男監督による映画「蝉しぐれ」の時もそうだった。
 ここでもイメージ・ソングとして、一青窈の「かざぐるま」が使われていた。
 僕は「蝉しぐれ」の予告編で流れた「かざぐるま」が、余りにも画面の流れとぴったり一致していて、観た時、ちょっと涙ぐんだほど。
 ただし、とても残念だったのは、この「かざぐるま」、本編では残念なことに全然流れなかったことだ。
 とにかく一青窈の曲って、映画にとてもフィットする。

 今回の新垣結衣・生田斗真主演映画「ハナミズキ」もまた、彼女の名曲「ハナミズキ」からインスパイアされ、映画化にまでこぎ着けたらしい。
 何となく解る気がする。

 新垣結衣と生田斗真という人気若手俳優の共演、そして一青窈の名曲、それらがプラスの方向に作用して、スタジオ・ジブリの「借りぐらしのアリエッティ」を抜いて、何と国内映画興行成績第1位に躍り出た(8月23日発表ランキング分)!

 僕の周りで観て来たひとたちがいうには、「泣けた」との評価が多かった。
 公開された時は、特に観たいとも思わなかったのだけれど、それなら観て見ようかと思い、忙しい時間を遣り繰りして映画館へと足を運んだ。

 確かに「ハナミズキ」、満員というわけではないけれど、それなりに混んでいる。
 一番後方の席に腰を降ろし、少しだけ期待に胸を弾ませる。
 恋愛映画だからなあ。いつもこの手の映画は、10パーセント増しの甘い評価になっちゃうんだよね。

 映画は、新垣結衣、生田斗真のほか、松重豊、木村祐一、向井理(最近ついにブレイクしましたが)、薬師丸ひろ子らが脇を固める。
 監督が「涙そうそう」と「いま、会いにゆきます」を撮った土井裕泰(のぶひろ)。

 ここだけが、ちょっと不安材料。
 なんか、「涙そうそう」や「いま、会いにゆきます」を観ても、深く感動出来なかったんだよなあ。
 イマイチ、ぴんと響かないのである。この監督の映画って。
 表層的になぞっているだけというか、濃淡がないというか、淡泊過ぎるというか・・・。

 北海道が舞台。
 母と2人暮らしの高校3年生紗枝は、病死した父が庭先に植えたハナミズキの木に見守られ、東京の大学(早稲田大学)を目指している。
 ある日、彼女は、漁師になって父親と一緒に海に出ることを望んでいる同じ学年(高校は違うのだが)の康平と、ふとしたことで出会い、2人はすぐに恋に落ちる。
 やがて紗枝は早稲田に合格し、2人は北海道と東京という遠距離を余儀なくされ、少しずつ心にズレが生じてゆく・・・。

 ニューヨークやカナダ、そして東京、北海道と、舞台は目まぐるしく変わってゆく。
 2人が出会う高校時代、遠距離恋愛時代、そして紗枝の海外生活時代と、物語は、2人の様々な試練とともに次々変化する。

 ただし、色んな試練や、仲違いや、2人の心の変化を描いているというのに、映画そのものは、ゆっくり流れる河の如く、きっちりと観ている側まで届いてこない。

 大河小説のあらすじだけを聞かされているような感じなのだ。
 2人は、ああして、こうなって、そういうことが起こって、それでこうなっちゃいました・・・それだけで2時間が終わってしまう。
 そこに、濃密な瞬間や、はっとするような科白まわしや、ときめくように美しいシーンや、2人の苛立ちや葛藤は、まったく見えてこない。

 せっかく、北海道での出会いを描いた前半が、淡々としている分だけ輝きを放っていたのに、中盤からは2人の愛の歴史を表面的に描くだけ・・・。

 愛する2人の永きに渡る「恋愛の行方」を描いたからといって、そこに同様の波乱万丈が生まれるわけじゃない。
 たった一日の恋人たちの風景をスケッチしただけの映画であったとしても、そこに濃厚で、深遠で、永遠が垣間見える場合だってある。

 なんか、腹が立ってきた。
 お醤油をかけないで食べる、冷ややっこみたい・・・。









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「路面温度45度、気温は30度。八戸~新青森間新幹線開業記念100キロ駅伝走る!」

2010年08月28日 | Weblog
 友人と飲んでいたら、いきなり言われたことがあった。
 「お前さあ、多分、長生き出来ないと思うよ」
 「なんで?」
 「だって、体鍛えてスリムになってかなり痩せたかと思うと、次会った時にはいきなり太ってるしさあ。あんまり体重の変化が激しいひとって、短命何だってよ」
 「ふーん」

 別にそんなにこの世界に未練はないから、短命でも全然構わないんだけど、とにかく闘病生活を送って生き延びる事だけは、絶対に御免こうむる。
 もちろん、生きる希望があるのだったら、どんな手術でも試練でも、何とか歯を食いしばって耐えてみせるけど(自信はないです。蚤のような心臓だから)、やっぱり理想は、走っている最中に突然そのまま遠い世界へと旅立つのが理想である。

 でも、こんな事を書いたって、所詮は机上の空論でしかない。
 現実なんてもっともっと悲惨だろう。こんな絵空事を言ったって、実際に余命幾ばくもないと診断されたら、絶叫するし取り乱すだろう。

 今日も朝から暑さはフルスロットル。
 そして今日は、恒例の「八戸駅~新青森間 東北新幹線全線開業記念100キロ駅伝」。
 去年は、八戸から下田ジャスコ付近を走ったけれど、今年は、青森市内、「浅虫温泉」の道の駅から海沿いを走り、二つの山を越え、「野内駅」の近くまで走る事に。

 ほとんど走り込みをしていない(いつもの事ですが・・・)ので、今回も不安が募る。
 3時には組織の先輩に車で現地まで送ってもらい、若干のウォーミング・アップ。

 「八戸駅~新青森間 東北新幹線全線開業記念100キロ駅伝」は、僕が所属する組織で結成している陸上部恒例の儀式で、新幹線が八戸駅まで開通したことを切っ掛けに、朝の始発の新幹線が八戸駅に滑り込んで来るのを合図に、八戸駅の改札口からスタートして、タスキを渡し合いながら青森までの約100キロを激走するという試みだ。

 僕がタスキを受けるポイントが、今年は「浅虫温泉」道の駅なのである。
 それにしても暑い。
 かなり日が照っている。
 予定の時刻は3時30分。

 ストレッチをしていると、テレビ局が2社やって来て、走っている様子を撮りたいのでよろしくとのこと。
 ええーっ!?

 青森放送と青森テレビのカメラマンが、早速、ハチマキをしている所を嘗め回す。
 いやーっ。緊張するなあ。
 っていうか、カメラが走っている最中回っているということは、ダラダラ走れないってことじゃん!
 俺、ほとんど練習してねえし・・・。

 同行している記者が、「今日は24時間テレビ」なんで明日のお昼のニュースで流しますから。
 「24時間テレビ」をオンエアしてないもう一局は、じゃあ今夜のニュース?
 緊張してきたなあ。絶対、途中で歩けないよな。

 タスキを渡され、遂にスタート。
 浅虫温泉から見る海が素晴らしい。
 国道沿いをたくさんの車が行き交う。それに並行する歩道を全力で走った。

 前方で、テレビ局の車に乗ったカメラマンが、ずっと僕を映してゆく。
 かなりしんどい。ピッチも当然速くなる。

 さっき仲間に聞いたら、なんと路面温度45度、気温が30度だとか。
 まるで巨大なサウナの中で全力疾走している気分。
 目まいがして、吐きたくなる。

 坂を登った。
 これが地獄の苦しみだ。
 大声で「おーっ!」と声を上げてしまった。呼吸が乱れて苦しいのだ。

 やっと地獄の炎天下を走り抜け、次のランナーにタスキを渡した。
 草むらに寝転び、空を仰いだ。
 もういいでしょう。こういう自分の虐め方は・・・。

 でも水が美味い。100万円の価値はある。絶対ある。





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「金曜日の感情」

2010年08月27日 | Weblog
 今日は、仕事が夜中になるだろうと思っていたのに、なんと重要会議が夜の6時過ぎで終わってしまった。
 嬉しい誤算である。
 儲けたような感じがして、ちょっと幸せな気分になる。

 なので、残務整理を終えてオフィスを出たのは夜の7時ちょっと過ぎ。
 すっかり日は暮れている。

 周りから虫の鳴く声が聞こえて来る。
 まだまだ日中は暑いけれど、夜になると、少しずつ秋の気配が忍び寄っていることが実感できる。

 今日は金曜日。
 国道沿いの高層ホテルの窓に幾つかの灯りが点り、ホテルの2階のバーは沢山の人で埋まっている。

 金曜日の夜は、いつも二つの感情で揺れ動く。
 ひとつは、とてもウキウキと心が躍り、週末を控えた高揚感に包まれるような幸せな気分・・・。
 そしてもうひとつは、無性に寂しくて、行き交う人々がとても幸せそうに見え、自分だけが週末の楽しさから独り取り残されてしまったような切ない気分・・・。

 オフィスを出て、いつものように繁華街へと入り、そこからまた北に進んで、海へと出た。
 青森港北防波堤。

 海に、ウオーター・フロント沿いのビル群の灯りが照らされる。
 青森ベイ・ブリッジの煌めくひかり。青森駅のプラットホームの眩しさと青函連絡船の薄ぼんやりした灯り。そして、来年の1月5日にオープンする「ねぶたの家 ワ・ラッセ」工事現場の人工的な光・・・。

 しばらくその、夜を美しく混濁させている美しい光のコントラストを眺め、また中心市街地へと踵を返した。

 N書店は夜の8時までの営業なので、ぶらりと覗いてみた。
 青森市在住の新鋭作家のハード・カバーの小説が、メイン置き場に高く平済みされていた。
 ファンタジー・ノベルらしい。

 こうして、また差をつけられた。
 勝者だけが美酒を飲む事が出来る。敗者には何もない。
 というか、こっちはその作品すらまだ完成していない。戦う前から、武器自体を持っていないのだ・・・。

 目を逸らし、余りそのコーナーを見ないようにして、雑誌コーナー。
 新しい「週刊文春」を捲っていたら、またまたショーケンと富田リカの記事が載っている(何度も弁解するけど別に2人の記事を追っかけてる訳じゃないんです)。

 ええーっ!?
 富田リカ、もう既に離婚してたんだあ。じゃあ、「女性セブン」の夫へのインタビュー記事はなんだったの?
 今度は「女性セブン」の最新号を探して、同様の記事を見つけ、また読んでみた。

 両誌とも、富田リカの離婚とショーケンとの熱愛を報じていて、既に彼女がバツ2で、ショーケンのほかにも付き合っていた男性の存在と、その男性への取材記事も「女性セブン」ではスクープしていた。

 男と女は不可解だ。実に不可解だ・・・。

 このまま何処かに飲みに行こうか、それとも帰ろうか。
 結局、帰ることに。

 また今日も終わっちゃったな。






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「今日は僕の誕生日。だから夜は独り、静かに飲みに出掛けよう。そう決めたんだ」

2010年08月26日 | Weblog
 8月26日、木曜日。
 まだまだ夏の残骸が至る所に燻(くすぶ)っている。

 今日はさすがに真夏日にはならなかったようだけど、いつもの夏とは違い、尋常じゃない猛暑がこの北の街でもいまだに続いてる。
 でも、暑い夏は、猛烈な寒波を伴う冬を連れて来るというのが定説だ。今年の冬はいつもの年より、かなり寒くなるかもしれない。

 こうしてまた年を重ねる。
 月日は流れ、暑い夏もまた過ぎ去ってゆく。
 そして、僕はゆっくりと老いてゆく・・・。

 同じ職場の先輩だったひとが、京都に移り住むらしい。
 尊敬する先輩だった。
 よく、お酒を奢って貰った。
 そのひとが、京都の四条河原町の近辺にマンションを借りて何年間か住むのだという。
 ゆっくりと京都の四季を堪能し、お寺をじっくり巡り歩くのだという。

 暮れからお正月にかけての京都も静かでいいらしい。
 静謐で、薄墨色の冬の街・・・。
 雪がちらつき、観光客も少ない。
 京都錦市場にも四条からだと歩いて行ける。
 ひっそりと静まり返ったお寺に立ち寄り、宵闇が迫り出したら、独り静かに先斗町あたりで熱燗をいっぱい・・・いいなあ。

 今年の年末年始、また独りでぶらりと気儘な旅がしたいと思っているから、今回は久しぶりに京都にでも行こうかなあ。
 ついでに、大好きな大阪にも寄りたいし。
 道頓堀を散歩して、法善寺横町を歩きたい。難波花月もまた観てみたい。

 無性に旅がしたい。
 この街を離れ、携帯電話の電源をOFFにして、一切の煩わしい情報とサヨナラしたい。

 本当は、誕生日という節目の日、また丸坊主にしちゃおうかなとも考えた。
 断ち切りたかったのだ。それが何かといわれても返答に困ってしまうけど・・・。

 そして、また今日も忙しい。
 日程がびっしりと埋まってる。

 あと、東北新幹線新青森駅開業まで、ちょうど100日。
 それを記念するイベント参加と、某団体の東北大会レセプションでの挨拶と、某大企業VIPの来青が重なってしまい、分刻みの対応を迫られ四苦八苦。
 やっとすべてが終わり、時計を見たら、もう夜の8時を回っていた。

 いつもなら、ソウルメイトが経営しているJAZZ・BARに寄って、愚痴を聞いて貰いながら、冷たいビールでも呷るのだけれど、その店も今はもうない。
 なので、もう一人の友人が経営するBARへと独り向う。

 陽気なバツイチのマスターが、満面の笑顔で迎え入れてくれるはず。
 カウンターに腰掛け、冷えたグラス・ビールを頼み、自分で自分に「ハッピーバースディ」と心の中で囁きたい。

 目的のBARの前まで辿り着き、扉を開けようとしたら、中から大きな嬌声が聞こえてきた。
 団体客でも居るのか、かなり盛り上がっているような雰囲気だ。凄く混んでそう。
 なんか、独りリラックスしながらカウンターで独り悦に浸るなんてこと、出来そうにもない。賑やか過ぎる店には入いたくない気分。
 そのまま店に入らず、結局近くのコンビニエンス・ストアで缶ビール「サントリー秋楽」を買い求め、「青い森公園」のベンチに腰を下ろし、独り、夜空に向って誕生日おめでとうの乾杯。

 ・・・結局、お前は一編の小説さえ書けずに喘(あえ)いでいる。
 生きてゆくことの煩わしさだとか、日々の仕事の忙しさだとか、お前は書けない屁理屈を頭の中で並べ立てるけど、単に自堕落で、逃げ回ることで楽をしたい、ただそれだけだろう?

 ブログを書き始めた2004年から、既に6年もの月日が流れている。
 無為に過ごす日々・・・放蕩し続ける日々・・・現実から目を背ける日々・・・。
 時間だけが、ただ無常に過ぎてゆく。
 ええ格好しいの、自分が好きなだけのダメ人間に乾杯! ハッピーバースディ!

 缶ビール一缶で、もう酔っちゃったわけ?





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「ショーケン的恋愛」

2010年08月25日 | Weblog
 役者であるショーケンこと萩原健一が、モデルの富田リカとの熱愛で週刊誌を騒がせている。
 別に、誰と誰が恋愛しようが、誰と誰が別れようが、日本経済における株価下落にも、円高にも、ギリシャ経済破綻問題にも、ほとんど然したる影響はない。
 たぶん。

 でも、そこにだって、確かな人間としての営みにおける様々な喜怒哀楽や浮き沈み、人が人を愛することから派生する、哀しみや切なさは当然の如く漂っている。
 古今東西の歴史を見よ!
 為政者の、単なる恋愛のもつれや、些細な嫉妬や略奪愛が遠因となって、果てには国家間のトラブルや戦争にまで及んだ例は数え切れないほどたくさんあるではないか。
 愛だけが、人間を生かす、その大いなる源なのだ。良いも悪いも。
 
 ・・・って、萩原健一とモデルの富田リカとの熱愛報道を、そこまで拡大解釈してしまうことも別にないんですが・・・。ごめんなさい。

 「女性セブン」を立ち読みしていたら(そうなんだよね、俺って、たまに女性週刊誌も立ち読みしちゃうんだよね)、二人のツーショットが掲載されていた。
 記事を読むと、富田リカは最新号の「美・STORY」でヌードも披露したらしく、このひと、完全に吹っ切っているということがよく分かる。

 それにしても、こういう女性の恋愛に関する開き直りの素晴らしさには、脱帽してしまう。皮肉でもなんでもなく、心底そう思う。

 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言ったのは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールだけれど、この言葉も日本では歪曲されて伝わっていて、本来は、女性が社会的に「女性として作られてゆく」ことへの批判であり、ジェンダー的なアプローチから発せられた言葉ではある。

 玉置浩二、石田純一、三田村邦彦と、なんか最近、中高年男性たちが元気いい。
 老いてゆくことへの苛立ちなのか、死を意識し始め、最後の恋に我が身を焦がしているのか、その辺はよく解らないけど・・・。

 そんな事を漠然と考えていたら、富田リカのヌードが掲載されているらしい最新号の「美・STORY」が無性に見たくなり、中心市街地のN書店まで出掛けてしまいました。

 でもなあ。
 女性ファッション雑誌が並んでいる領域って、絶対に男子を寄せ付けないオーラがあって、少しでもその近辺を覗き込むものなら、鋭い視線に威圧されてしまい、近づくことさえままならない。

 勇気を出して、「美・STORY」を探し当て、食い入るようにページを捲った。
 誤解しないで頂きたいのですが、別に男の欲望としてのヌードが見たくて立ち読みしてるわけじゃないからね。
 まあ、同じようなもんか・・・。

 で、見ました。富田リカのヌード。
 うーん。確かに綺麗に撮ってはあるんだろうけど、ちょっと無残だよなあ、正直言っちゃうと。

 「女性セブン」で富田リカの旦那様にもインタビューしていて、それを読んでいたら、ちょっとまた悲しくなってしまった。
 まだ、彼女の事を愛してます。離婚はしてません、したいとも思ってません。彼女の事を信頼し、信じてます・・・等々の言葉が並んでいる。

 沢尻エリカの旦那様もそうだけど、一方的に三下り半を突き付けられたら、そりゃあ男として深く傷つき、対処の仕方に戸惑ってしまうよ、確かにさ。
 別れを切り出すほうと、切り出されたほうとでは、悲しみの深さって全然違うもん。

 それにしてもショーケン。
 この人を見ていると、その余りの恋愛依存度に思わず溜息が出てしまう。
 男って絶対そういうところあるよね。
 幾つになっても子どもなんだよ、男って奴は・・・。




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甘くとろけるようなスイート・ソウル・ミュージック。それって、レイ・パーカー・Jrだ!

2010年08月24日 | Weblog
 高揚感溢れるようなストレートで無骨なロックもいいし、リラックスしながらクラシックのアルバムを引っ張り出し、BGMで流すのもいい。

 ジャズが無性に聴きたくなり、ジャズを流す市内の店に入って本を読みながら珈琲を飲むことも、夜、心の置き場に困って、車を出して独りドライブに出掛け、日本の大好きなミュージシャンの曲を大音響で聴き続けることも大好きだ。

 黒人音楽も奥が深くて、捨て難い。
 でも、心の按配や、季節によって、その聴きたい黒人音楽のジャンルって微妙に違ってくる。
 そんなに黒人音楽のアルバムをたくさん持っているわけではないけれど、ブルースだったり、ソウルだったり、ブラック・コンテンポラリーだったりと、聴くべき範囲だけは果てしなく広い。

 ストロベリー・ショート・ケーキのように、甘くとろけるブラコンが無性に聴きたくなるときも、あったりする。
 胸がきゅんと締め付けられる、切なくほろ苦いラブ・ソング。ストレートでキュート、ちょっとセクシーで都会的なラブ・バラード・・・。
 
 となると、レイ・パーカー・Jr(一部、レイ・パーカー・Jr&レイディオ)だろう。
 突然、なぜか急に聴きたくなって、ネットでアマゾンを覗いたら、「ベスト・オブ・レイ・パーカー・Jr」というベスト盤が目に留まり、早速購入した。
 最近、頻繁に聴いている。

 レイ・パーカー・Jr(一部、レイ・パーカー・Jr&レイディオ)には、何枚かベスト盤が出ているんだけど、ほとんど、あの「ゴースト・バスターズ」が入っていて、ちょっと怯んでしまうのだ。

 「ゴースト・バスターズ」は、誰でも知っているとは思うけれど、1984年に大ヒットを飛ばしたアクション・コメディ映画の同名主題歌で、ビルボードにおいて第1位を獲得した。
 近く、また映画「ゴースト・バスターズ」がリメイクされるらしいけれど、この曲に限っていうと、レイ・パーカー・Jrとしてそれまで長年に渡って提供してきた名曲・佳曲とは、ちょっと一線をかす曲であり、彼の一連の音楽路線とは若干異なる曲なのだ、困ったことに。

 なので、「ゴースト・バスターズ」がエントリーされていないベスト・アルバムを意識的に探したら、今回の「ベスト・オブ・レイ・パーカー・Jr」に辿り着いたというわけだ。

 まず1曲目。
 「ウーマン・ニーズ・ラブ」である。
 名曲である。
 この曲は、全米第1位を獲得。
 まじで、心も体も解けそうになる・・・。

 続く6曲目、これがまた素晴らしいビター&スイートな名曲。
 「2人のラブ・アフェア」というラブ・ソングだ。
 六本木の東京ミッド・タウンにある「ザ・リッツ・カールトン東京」なんかの最上階にお泊りして、美しい煌めくような夜景を見ながらルーム・サービスで頼んだ高級ワインを飲み、この曲がBGMで流れ出したなら、ほんと卒倒しちゃうよなあ。

 それと、超お勧めが11曲目の「プリーズ・Mr.DJ」。
 この曲、いったい何回繰り返して聴いたか分からない。それほどいい。
 青山通りから少し入った場所にある隠れ家的バーで何杯か引っ掛け、そのまま彼女と2人、ぶらぶらと夜の帳が落ち切った華やか過ぎる街を歩く・・・。
 遠くに東京タワー、煌めくビル群の灯かり、涼しげな夜風が少し酔った頬を優しく撫で付ける。
 そこに、どこからとも流れてくる、レイ・パーカー・Jrの切なく甘いラブ・ソング「プリーズ・Mr.DJ」。

 しっかし。妄想も、ここまでくると、ほとんど病気だよね。
 俺、やっぱ、病んでるのかも・・・。
 
 でも、いいよ。
 レイ・パーカー・Jr。
 ジャケットだけは最低最悪だけど・・・。





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リーアム・ニーソン主演のアクション映画「特攻野郎AチームTHE MOVIE」。○でしょ。

2010年08月23日 | Weblog
 な~んにも考えたくない。
 ただ、面白い映画が観たい。
 荒唐無稽だろうが、辻褄があっていなかろうが、そんな事は気にしない。

 冷房の効いた映画館の椅子に座り、キャラメル味のポップコーンを頬張りながら、独り呆けたように映画を観ていたい。

 じゃあ、何がある?
 よしっ。
 「特攻野郎AチームTHE MOVIE」がいいんじゃない。

 1980年代、アメリカで人気を博したTVドラマ「特攻野郎Aチーム」を映画化。
 葉巻をふかしながら冷静沈着な行動で信頼感抜群のリーダー、ハンニバル。女には全くもって目がない、プレイボーイのフェイス。怪力で怖いもの知らずなのに、何故か高所恐怖症の黒人B.A。ヘリの操縦なら天才的なテクニックを持っているのに、ちょっと抜けているマードック。
 この個性的な4人組の元特殊部隊の男たちが、深い友情と信頼感で困難なミッションをやり遂げてゆく姿を描いている。

 製作が、数々の名作を撮ってきた、リドリー&トニー・スコット兄弟。
 ということが起因したのか、結構スタイリッシュで、見た目のB級映画という先入観をきっぱり払拭していて、小気味いい出来映えになっている。

 輝かしい戦歴を誇る、元特殊部隊員で編成されたハンニバルことスミス大佐率いる「Aチーム」の面々。
 彼らはふとした事件が切っ掛けで、仲間として行動を共にすることになるのだが、イラクでの米ドル紙幣原版強奪事件の犯人という汚名を着せられ、それぞれ別々の牢獄で監禁生活を余儀なくされてしまう。

 しかし4人は濡れ衣を着せられたことから知力を尽くして脱獄に成功し、罠にはめた人間たちへの復讐へと乗り出してゆく・・・。

 とにかく観る前は、安っぽい低予算(あくまでも、巨大なアメリカ映画の中では低予算かなという意味ですが)アクション映画だと、先入観を抱いていた。
 つまり、B級映画。
 でも、僕はそんなB級っぽいテイストの映画が大好きだし、多額な予算を掛けたから良質の映画になったなんてバカな事、これっぽっちも思っちゃいない。

 ただ、何となくチープな作りなのかなあと、漠然と考えながら映画館に向かっていたのは事実だけど・・・。
 館内は、意外と混雑していた。
 な~んも考えずに、キャラメル味のポップコーンと熱い珈琲を飲みながら、映画の始まりを独り待つ。
 こういう肩肘張らない映画っていいんだよね。

 ところが、「特攻野郎AチームTHE MOVIE」のっけから飛ばす、飛ばす。
 ノンストップ・アクション・ムービーで、しかもしっかりとした作りなので、ちょっとビックリしてしまった。

 そりゃあ、戦車が空中戦始めたり、窮地を難なくクリアしたりと、絶対主人公たちは死なない前提での安易な展開に終始しているけど、これはこれでアリでしょう?
 理屈抜き、深く考えない、楽しければそれでいい。

 それに、この映画、オチャラケの一歩手前でしっかりと踏ん張り、中々武骨な部分を見せているのは、監督が、ちゃんと真剣に映画を真正面から見詰め、それをきちんと撮っているからだ。

 監督が、「スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい」のジョー・カーナハンである。
 やっぱりね!




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「山下達郎が、僕に向かって、RIDE ON TIME!と確かに叫んだ」

2010年08月22日 | Weblog
 相変わらず、今日の日曜日も気温は30度をゆうに超えている。
 昨夜の「山下達郎コンサート」の熱い余韻が、まだ心の中に深く残っている。

 「山下達郎が、僕に向かって、RIDE ON TIME!と確かに叫んだ」というタイトルは、勿論単なる言葉の綾(あや)である。
 比喩である。
 別に、深い苦悩から精神が壊れ、幻想を見たのでも、虚言癖があるわけでもない。
 当たり前でしょ、山下達郎がステージから僕に向かって言うわけないじゃん!

 でも、音楽で、あるいはコンサートで、敬愛するミュージシャンから多大なるパワーを貰い、大いなる救済を受けた経験は誰でも一度はあるはずだ。
 僕も、これまでに、ローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、浜田省吾、佐野元春など、数え切れないほどのライブ・コンサートに通い、多くの力や、明日から生き続けてゆく「糧(かて)」のようなものを貰って来たように思う。

 「RIDE ON TIME」。
 時流に乗れ! 
 僕たちは、今この瞬間だけを生きている・・・。

 前日ほとんど眠っていなかったので、昨日の夜は山下達郎コンサートの帰り道、コンビニで缶ビールを買い求め、帰宅してから「ピザ・ハット」でピザを注文し、ビールを飲みながらWOWOWで「コールドケース」を観ていたら、突然、猛烈な睡魔に襲われ、そのままぐっすり寝てしまった。

 10時に起床。
 無理やり朝食を詰め込み、車でスポーツ・ジムへと向かう。
 ランニング・マシンで走り込み、そのあと腹筋と胸の筋肉をつけるマシンを数クールこなした。汗びっしょり。
 ジムのお風呂に浸かって、着替えを済ませて表に出たら、猛烈な熱波に包まれた。
 駐車場に停めていた車を開けた途端、完全なるサウナ状態。暑い。とにかく暑い。

 家に戻って、早速黒いビキニの水着に穿き替え、いつものようにビーチ・チェアとバスタオルを出し、屋上でじっくり疑似「渚」。疑似「夏の湘南海岸」。

 盛りを過ぎたのに、依然衰える気配が見えない夏の太陽が、青空に煌(きら)めいている。
 肌を思い切り焦がす。
 風が強くて、逆に気持ちがいい。
 北の方角から吹く、強い夏風が暑さを少しだけ和らげてくれる。

 2時間ほど太陽の下で寛ぎ、今度は着替えて青森駅前の市民図書館まで。
 まだ時刻は午後3時。
 経済関連の専門書を5冊借り、手当たり次第に新聞を眺め、「ドトール」で冷たいドリンクをテイクアウトして、溶けないうちに家へと急ぐ。
 あとは部屋で冷たいドリンクを飲みながら、のんびり読書に勤(いそ)しんだ。

 日曜日のメイン・イベント「龍馬伝」は、夕方6時からBSハイビジョンで。
 今日も、飛ばす、飛ばす。
 「龍馬伝」、滅茶苦茶面白い。当然、若干史実と異なる部分もあるけれど、別に構わない。ようは、作品から発光する力の強さである。それでいいんじゃない?

 大いなる感動に浸りながら、部屋に戻ると携帯に着信アリ。
 掛け直して、そのまま涼しくなった外に飛び出し、宵闇迫る町内をぶらぶらと歩きながら話し込んだ。

 部屋に戻って独りパソコンに向かっていると、開け放した窓の外から涼しげな虫の音が聞こえて来た。
 それから、近くの高架橋を走って通り過ぎてゆく電車の悲しそうな響き・・・。

 また一人旅に出たいなあ。
 一昨年の年末年始のような、気儘(きまま)な旅に。
 何もかもを捨て去る事が出来たらいいなあ。何もかも。
 辛い過去も、重い荷物を背負っている今も、一切合財を放り投げて何処かに行きたい・・・。

 地位なんて虚構でしかない。名誉や業績なんていつかは忘れ去られる。
 でも、そういうところに、お前もまた必死にしがみ付いているじゃないか!
 地位や名誉や業績に塗れる事に、お前だって安穏(あんのん)としてきたじゃないか!

 捨て去る覚悟があるんだったら、本当に今すぐ全てを棄ててみやがれ、馬鹿野郎!




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山下達郎「performance2010」コンサート青森公演を観た! 凄いっ!

2010年08月21日 | Weblog
 最近、ずーっと心が荒んでる。
 仕事も忙しいし、プライヴェートでも色々辛い事が重なってる。
 特に金曜日は最悪で、結局、金曜日の夜から土曜日の朝方に掛けて、ほとんど眠れなかった。

 朝方、少しだけ眠りに落ちたけれど、またすぐに目覚め、ホテルのお風呂を沸かし、髪を洗ってベッドに横になってぼんやり窓から表を眺めていた。
 1時間も寝ただろうか?
 今日も暑くなりそうだ。
 でも、心はどっぷり落ち込んでいる。どうしたものか・・・。

 そして今日8月21日は、青森文化会館で夜の6時から、山下達郎「performance2010」コンサート青森公演が控えてる。
 当然、即行でチケットを買い求め、準備は万端だ。でも心だけがブルー。
 こんな気持ちのままじゃ、コンサートも楽しめそうにない。

 チェック・アウトを済ませ、ホテルの専用駐車場の屋上に停めていた車に乗り込み、家へと帰る。暑い。茹だるような暑さだ。
 お昼頃には帰宅。

 ほとんど寝てなかったけれど、スポーツジムで少し汗を流し、夕方を待って「青森文化会館」へ。
 山下達郎「performance2010」コンサートは、去年に引き続いて、連続2年観る事に。

 もちろん、青森市で行われた山下達郎のコンサートはすべて観ている。
 古い青森市文化会館でのコンサートも観ているから、もう何度目になるだろう。

 自慢ではないけれど(といって、完全に自慢してますが)、僕は当時エレック・レコードから最初にリリースされた「シュガー・ベイブ」のアルバムから買い続けていて、全ての達郎アルバムを持っている。
 それに加え、山下達郎と竹内まりやの結婚式の際に身内だけにプレゼントされたという(真偽のほどはよく解りません)超レアなCDとか、昔のアナログ盤でブートレックとして都内のレコード屋さんで発売された貴重な「シュガー・ベイブ」のライブ盤まで持っている(えへん!)。
 僕はそれほどの山下達郎オタクなのである。

 そして遂にコンサート会場に到着。
 コンサートは、6時少し過ぎに始まった。
 会場は当然に満員。しかも年齢層は高い。40代から60代までいるだろうか。確かに山下達郎が「シュガー・ベイブ」でデビューしたのが1976年頃、そうなるとその頃からの熱狂的なファンはもう既に50代になっている。

 今回も、タツロー氏、ステージで「皆さんの中にはブログや書き込みをやってる方も大勢いると思います。でも出来れば今回のステージの内容、それなりの配慮をお願いします」と嘆願しているので、具体的な楽曲まではちょっと控えたい。

 でも少しだけヒントをあげると、最初は「キンキ・キッズ」にも提供したあの曲でスタート。
 あとは、往年のヒット曲の乱れ撃ち!
 山下達郎は、今年でデビュー35周年ということらしく、過去の名曲を次々と歌いあげてゆく。

 新しいアルバムが、当初の9月から大きくずれ込む事が決定したこともあってか、その中からピックアップされた曲は、シングル発売の数曲のみだった。
 あとは、「シュガー・ベイブ」の懐かしい曲や、「クリスマス・イヴ」を含めたメガ・ヒットの雨あられ。

 これだけは鳥肌ものだったので、書いちゃいますが(ごめんなさい!)、中盤、名曲「ウエンディ・レディ」を歌い終えた瞬間、な、なんと、引き続いて流れるように歌い始めた曲は、あの鈴木茂の超名曲「砂の女」!
 「砂の女」を、山下達郎がステージ上で歌ってる!
 嘘でしょう?
 カッコよ過ぎるよ、タツローさん!

 コンサートは、今回も3時間を超えた。
 57歳の山下達郎が一度も舞台裏に引っ込まず、出ずっぱりの3時間!
 さすがである。元気を貰った。

 今回のコンサート、去年のコンサートより勝っていた。それもまた凄いよね。





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「FOOL TO CRY」

2010年08月20日 | Weblog
 圧倒的な孤独の塊が、胸の中から湧き出て来るような感じ・・・。
 余りの切なさに胸が張り裂けそうになり、気が滅入って、じっとしていると淋しさと空虚感に巻きつけられ、心が滅茶苦茶に壊される・・・。

 そんなことが、これまでの人生の中で何度かあった。
 寂寥感、孤独感、焦燥感、倦怠感、そんな負の感情が大きな塊となって、胸の辺りからじわじわと湧き上がって来るのだ。
 寂しくて、寂しくて、寂しくて、切なくて、切なくて、切なくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて、家の中にじっとしていられない。

 片っぱしから、知人、友人に電話を掛けまくり、とにかく外へ飛び出し誰かと会う。そうしなければ、身悶えしたまま死んでしまいそうになる・・・。

 さすがに最近は、そこまでの辛さはない。
 そこまでの辛さはないけれど、時々、心の奥底に潜んでいる黒い巨大な魔物が、ぬーっと現れ、またこの俺を喰いちぎってしまうのではないかという恐怖に駆られる事があったりする。

 ・・・金曜日。
 こうして今日も、いつもの夜が明ける。
 薄い眠り。
 夢を見ているような、浅い睡眠の中でただ考え事をしているような、そんな不思議な気分。

 相変わらず、今日も30度を超えている。
 昨日は、夜の6時半から市内某所で、ちょっとした説明会的懇話会。約2時間。オフィスから、バスに揺られて20キロほど掛かる某小学校が会場だ。
 終了したのが9時少し前。
 そこからまたバスに揺られてオフィスへと戻った。どっと疲れが襲って来た。
 まるで、重い鉛をグルグル体に巻き付けられたような気がする。

 その疲れは翌日になっても消えなかった。
 何件かの上司へのレク。部内の懸案事項の説明。外部組織との幾つかの折衝・・・これらをこなし、昼食抜きで午後から出張へ。

 毎日、本当に毎日考える。
 しつこいくらいに考える。
 このままでいいのだろうか?
 このまま、歳をとってゆくだけで本当にいいのだろうか?

 やるべきことがほかにちゃんとあるだろう?
 今すぐ、この場を離れ、そのやりたい事、やるべき事に全神経を集中しろよ!
 別の自分が、別の自分に向かって問い掛ける。毎日、毎日、がなり立てる。毎日、毎日、非難する。

 出張先での用務をこなし、夜になった。
 ホテルにチェックイン。
 いつまで、こうして漂っている? いい加減、もう落ちつけよ。
 何をそんなに焦ってる? 全部投げ捨て、自由気ままに生きたらいいだろう?

 また、あの心の中に巣食っている、巨大な怪物が襲って来そうな予感がして来た。
 圧倒的な悲しみ、圧倒的な孤独、圧倒的な寂寥感、圧倒的な虚しさが、また俺を喰いちぎっていくような予感がして来た。

 居酒屋に入って、軽い食事を摂った。
 食欲がない。
 生ビール、梅酒のオンザロック、それからレモン・チューハイを二杯。あとは枝豆に蛸わさ。

 繁華街は、金曜日の夜という事もあって、大勢の人で賑わっている。
 みんな楽しそうに飲んでいる。みんな、幸せに見える。

 ああ。
 俺は何処に行きたいんだ?
 すべてのしがらみから解放されたい! 
 こんな息苦しさ、もう嫌だ!

 ああ。
 なんで何年もこう、おんなじ状況が変わらないで続いてるわけ?




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「あなたの目の前で起きている事はすべて正しい」

2010年08月19日 | Weblog
 今日(8月19日木曜日)も、雲ひとつない快晴!
 当然30℃は超えていると思うけど、昨日同様、とても爽やかに感じられるのは湿度が低いからだろう。

 余りに気持ちのいい天気なので、またまたお昼休み、オフィスから1.5キロほど離れたところにある海へと向かった。
 一点の雲さえ見当たらない。太陽が燦々と輝いていて、水面を優しく照らしている。
 完璧な夏の青空だ。

 独り、夏の流行(はやり)歌をメドレーで口ずさむ。
 海風がちょっと強めだけれど、夏のど真ん中で愛を叫ぶ・・・そんな感じが堪らなく心地よい。

 それでも、オフィスに戻ると現実の様々な荒波が押し寄せてくる。
 それから、ほんのちょっとした煩い。
 あるいは、「ちっ!」と舌打ちをしたくなるような、凡ミスやトラブルや滅入るアクシデント・・・。
 些細で、どうでもいい、米粒みたいなこと。

 たとえば・・・
 そう。家の車庫に車を入れたら、隣に置いていた自転車と軽く接触して、ボディにスーッと一直線のキズが付いてしまったこととか。
 そう。映画を観に行って、うっかりスタンプを押して貰わなかったこととか(有効期限が残り少なく、もしその場でスタンプを押して貰っていたら、一本ただで映画が観れたのに・・・)。

 そう。携帯と鍵を同じポッケに入れてたら、携帯のディスプレイに大きなキズが付いちゃったこととか(僕の携帯はディスプレイが剥き出し型なのだ)。
 そう。こっちのうっかりミスで、所属組織に支払う額が間違っていて、多額の返金を強いられたこととか。

 大きな悩みより、こっちの小さな煩わしさのほうが、ボディブロウのように効いて来る。
 些細な煩い、ちっちゃなトゲのような落ち込み、そんなものが少しずつ溜まってゆくと、苛々が募り、雪だるまのように膨れ上がる。

 そんな苛々のさなか、たまたま本屋で見つけた「勝間和代・上大岡トメの目うろこコトバ」 (朝日新書)を読んだ。
 これは、朝日新聞の土曜日に別刷りで折り込まれている「be」のコラムで、勝間和代が書いていた「勝間和代の人生を変えるコトバ」を、漫画家の上大岡トメと新書版としてリメイクしたものだ。

 僕も毎週、朝日新聞の「勝間和代の人生を変えるコトバ」を楽しみにしていて、いつか一冊の本にならないかなあと待ち望んでいたので、すぐさま買い求め、一気に読み終えた。
 「目うろこコトバ」と謳っているように、目からうろことなる人生の教訓や格言を、上大岡トメの四コマ漫画とコラボさせ、楽しく読みやすく綴っている。

 『やる気に頼るな、仕組みに頼れ』だとか、『迷ったら、やってみる』だとか、『やることより、やらないことを決めよ』だとか、『事実などない。認識だけだ』とか、なかなか刺激的な言葉が躍っていて、生きる上での指針となりうる言葉が満載だ。

 そして、その中でひときわ輝いている、名言中の名言がこれ。
 『起きていることはすべて正しい』

 この言葉は、朝日新聞の「be」で知った。
 鋭い、そして刺激的で凄い言葉だと思った。起きていることはすべて正しい・・・。

 自分が主張している事、自分が思っている事、自分が判断した事、それだけが正しいのだと想い込むと、仮にそれが否定され、無視され、あるいは自分の思惑と真逆の方向に進んだ場合、今度は「相手が悪い」、「相手が間違っている」と短絡的に即断し、全ての責任を回避してしまうことがある。

 また、今目の前で起こっている事、今進んでいる状況、それらの本質に目を瞑り、そこから逃げ出したいがために、自らを正当化して、理屈を並べ立て、本質から避け続けることもよくある。

 しかし、結局、あなたの目の前で起きている事はすべて正しいのだ。
 たとえそれが、重くても軽くても、あなたはそれをまずは受け入れるしかない。

 でも、言うのは簡単だけど、かなりきついよね、それって・・・。





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ハラルド・ズワルト監督、ジェイデン・スミス+ジャッキー・チェンの映画「ベスト・キッド」を観た

2010年08月18日 | Weblog
 今日の水曜日も、とても暑かった。
 空には雲ひとつなく、何処までもアザーブルーな空が広がっていた。

 湿度も低く、暑いけれどカラッとした天候なので、30度は超えていたようだけど、爽快で最高に気持ちがいい一日だった。
 なので、お昼休み、食事を摂らずにまた海へと向かってしまった。

 独り、青森港を海側から見ることが出来る「新中央埠頭」まで出向き、誰もいないデッキに腰掛け、いつまでも、晴れ上がる空と輝く太陽を見上げていた。

 こういう天気の日は、気分も普段より30%は高まって来る。
 映画でもそうだ。
 僕は、スポーツ系の映画と恋愛映画だけは、ほかの映画よりも30%ぐらいその評価が甘くなってしまう。快晴の日とおんなじだ。
 特に、スポ根系の映画となると尚更である。

 「ロッキー」シリーズなんて、シリーズ後半になるほど映画自体の評価も下降し続けたけれど、マンネリ気味ではあったものの、僕の涙腺は最後まで緩みっぱなしだった。

 駄目なのだ、こういう映画を観ると。
 とにかく、今は落ちぶれ、自暴自棄な生活を送っているボクサーだとか、誰かにことごとく打ちのめされ(試合でも喧嘩でも)、人生のどん底の屈辱感を味わった弱者が、何かの切っ掛けで奮起し、辛いトレーニングに打ち勝ち、最後には、復讐戦を挑んで人生の勝利を掴む・・・こういうドラマに目がない。

 映画の導入部から目頭が熱くなり、映画の主人公たちに感情移入してしまい、まるで自分が戦っているような気分になってしまうから始末に負えない。

 そういう意味で、ハラルド・ズワルト監督、ジェイデン・スミスとジャッキー・チェンが共演した、映画「ベスト・キッド」を観るのがとても楽しみだった。
 だって、「ベスト・キッド」の予告編を映画館で観ただけで、ウルウル来てしまったほどだから、その期待の高さも理解していただけるものと思う。

 12歳になった黒人少年のドレは、父親が亡くなり、母の転勤によって、中国北京へ移り住む。
 中国に渡る事が嫌だったドレは、それでもメイというバイオリンを弾く中国人の女の子と友だちになる。
 ところが、それを不快に思っている地元の少年たちから公園で徹底的に打ちのめされ、次の日からも学校で少年たちのいじめが続いてゆく。

 そんなある日、自宅のアパートでいつもの少年たちから虐められていたドレは、偶然アパート管理人のハンという中年男性に助けられ、その事が切っ掛けとなり、中国の武術トーナメントに出場しなければならなくなってしまう。
 そして、その武術トーナメントには、虐めている少年たちも出場していた・・・。

 世界中で大ヒットを飛ばした、1984年製作された映画「ベスト・キッド」のリメイク版である。
 今回のリメイクは、「幸せのちから」で親子共演を果たしたウィル・スミスの息子であるジェイデン・スミスが主演していて、彼にカンフーを手ほどきするマスター役をジャッキー・チェンが演じている。

 ジェイデン・スミスが素晴らしい。
 カンフーも凄いけれど、彼の澄んだ目がまた何とも言えない。
 ジェイデン・スミス、映画スターの道を邁進することになるだろう。約束できる。

 そして、ジャッキー・チェン。
 落ちぶれた、アパートの管理人という役がとてもよく似合う。侘しさと男の哀愁も漂う、抑えた演技が映えている。

 ただなあ。
 いつのまにか後半の盛り上がりへと突入してしまい、幾らか平坦な映画になってしまったようだ。前半は抑えに抑えることで、後半がその分生きて来るんだけどなあ、こういうパターンの映画って。
 及第点はクリアしてはいるのですが・・・もう一歩及ばずでした。

 でも、映画のラスト、観ていた観客の一人が思い余って拍手をしていたのにはビックリ。
 いるんだねえ、完全に映画の世界にのめり込んじゃう人って・・・。僕もそうだけど。





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寺島しのぶ主演、若松孝二監督の映画「キャタピラー」。確かに壮絶ではあるけれど。

2010年08月17日 | Weblog
 第60回ベルリン国際映画祭で、寺島しのぶが最優秀女優賞を受賞した、今年最も話題となる邦画「キャタピラー」。
 監督も、あの若松孝二である。
 見逃す手はない。というより、観なければならない映画の一本であるはずだ。

 映画館は、ほぼ満員状態。
 確かに大きな会場ではなかったけれど、それほどメジャーな映画でもないわけで、そこを考えると、これだけ観客が集まった事に対して、興行的に見たら大成功の部類に入るのではないだろうか。

 観客のほとんどが中高年層。
 寺島しのぶが、ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞したという話題性に加え、戦争を扱った映画である事からして、年齢層は高いのかもしれない。

 監督の若松孝二。
 60年代にセンセーショナルを巻き起こした、「胎児が密猟する時」や「犯された白衣」、それから70年代から80年代に掛けての「餌食」(この映画はよかったなあ)、「水のないプール」、そして90年代に突入してからの「われに撃つ用意あり READY TO SHOOT」、「エロティックな関係」(この映画も好き)など、常に話題性を振り撒くだけではなく、彼は、その時代の中で蠢く人間たちをリアルに描写し、観る者たちを絶えず挑発し続けて来た。

 第2次世界大戦最中の日本。
 ある小さな村でも次々と召集令状が届き、男たちは戦場へと駆り出されてゆく。
 シゲ子(寺島しのぶ)の夫である久蔵にも、ついに赤紙が届き、村人たちに万歳三唱で送られながら、激戦地中国へと出向いて行った。

 ところが、やがて久蔵は日本へと戻される。
 中国戦線から戻った久蔵の顔は、無残にも焼けただれ、両手・両足も切断され、声さえも失っていた。

 その現実を目の当たりにして、シゲ子は狂ったように泣き叫ぶのだが、久蔵の両親はシゲ子一人に久蔵を預けるだけで、村中からは、逆に勇敢なる「生ける軍神」として崇められ、英雄として迎えられる。

 彼女は四六時中、下の世話から食事に至るまで久蔵に尽くし、そのことで村人たちから素晴らしい妻だと次第に尊敬されてゆく。
 しかし、内実は、そんな美談の世界とは大きく違っていた。

 久蔵の、果てのない食欲と性欲が、毎日毎晩シゲ子を苦しめてゆく。
 「生ける軍神」として村人たちから崇拝されながら、ひたすら貪るように飯を喰らい、何処でも構わず狂ったように性欲を満たし、あとは呆けたように寝るだけの男・・・シゲ子は、ただ耐え忍ぶほか術がない。

 やがて日本に敗戦の影が色濃く迫る。
 久蔵は、実は中国本土で現地の女性を犯し、民家に火を点け、何人もの民間人を惨殺していたのだった。そして、彼は自分が犯した悪行に少しずつ苦しみ始め、罪の意識に苛まれてゆくのだが・・・。

 元気が出る映画ではない。
 明日からまた頑張るぞと、勇気や感動を貰うような映画でもない。
 延々と、荒ぶような、それから心が萎えるような場面が続いてゆく。

 でも、そこに不思議と明るさもあったりする。
 寺島しのぶの演技力の賜物だろう。
 女の業と、したたかさ。女の狡さと居直り。そういう感情を、彼女は何の衒(てら)いもなくスクリーン上に曝け出す。
 そして、まさに裸になってシゲ子に乗り移る。凄まじいまでに。

 食欲と性欲だけの、外見は芋虫のようにグロテスクな姿を曝け出す、夫久蔵を見るだけで、もうお腹が一杯になってくる。
 確かに、久蔵とシゲ子の関係性のみを見据えることで、その奥底にある、国家だったり、戦争だったりをも露呈してはいるのだろうが、中国での残虐行為や2人の性行為描写が余りにも表層的で、その先に見え隠れする、もっと「おぞましいもの」、もっと「悲惨なもの」、もっと「絶望するもの」(その絶望感は、諦観したあとのあっけらかんだって、いっこうに構わないわけだけれど)が迫って来ないのだ。

 観終わって、もっと僕たちを苦しくさせたっていいじゃない。





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