淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

河瀬直美監督「殯(もがり)の森」がカンヌ国際映画祭グランプリ! 早速観た!

2007年05月31日 | Weblog
 5月29日付けの「朝日新聞」と「読売新聞」の両紙は、何れも27日夜(日本時間28日未明)に行われた「第60回カンヌ国際映画祭」授賞式と閉会式における、河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」が最高賞「パルムドール」に次ぐ審査員特別大賞「グランプリ」を獲得したニュースを掲載していた。

 そして、「カメラ・ドール」(新人監督賞)対象作品として日本からエントリーしていた、「大日本人」を撮ったダウンタウンの松本人志監督と、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の吉田大八監督は、いずれもその賞を逃してしまったようだ。

 それにしても、河瀬直美は凄い。まだ38歳にしてこの快挙である。
 河瀬直美は10年前の第50回カンヌ国際映画祭においても、「萌(もえ)の朱雀(すざく)」で新人監督賞「カメラ・ドール」を受賞しており、邦画でのグランプリ受賞は、何と1990年に作られた小栗康平監督による「死の棘」以来となった。

 そして、それにもまして驚いたのは、その29日の夜8時からNHKの衛星BSハイビジョンで、そのカンヌ国際映画祭グランプリ作品、「殯(もがり)の森」がオンエアされたということである。
 これには本当にびっくりした。勿論、とても嬉しい驚きではある。

 だって、「殯(もがり)の森」がグランプリを受賞したその翌日に、テレビで本編そのものが放映されるのである!
 それも映画の封切りは、来月の6月29日土曜日から。つまり、まだ一ヶ月も先のロードショー公開だ。まずは東京のみの公開で、続く7月7日から大阪、その後各都市へと順次公開されてゆくという日程だから、これは快挙!

 これまでも、例えばWOWOWなどでプレミア・ロードショーと称し、映画公開される前に事前TV公開された事も多々あるけれど、河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」は、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した、出来立てほやほやの話題性に満ち溢れた最新作映画である。

 これは絶対に見逃す事は出来ない。
 速攻で帰宅し、NHK衛星BSハイビジョンにチャンネルを合わせる。

 河瀬直美監督にとって、劇映画4作目ともなる「殯(もがり)の森」は、日仏合作映画であり、河瀬直美自身が初めてプロデュースも手掛けた作品である。
 新聞報道で初めて知ったのだけれど、河瀬直美は「萌(もえ)の朱雀(すざく)」で新人監督賞「カメラ・ドール」を受賞して以来、結婚、出産、離婚、介護、再婚と、様々な出来事に見舞われたようだ。

 その事が、今回の「殯(もがり)の森」にも色濃く反映されている。
 映画は、河瀬直美本人の育ての母の介護体験を基に、認知症の老人が、33年前に亡くした妻に対する「喪の仕事」をドキュメンタリータッチで描いている。
 
 「殯(もがり)」の意味を調べたら、「貴人が死んでから本葬するまでの間、遺体を仮に納めて置いたこと。また、その場所。もがり。」とあった。「喪の上がり」から「もがり」になったらしい。その意味については、ラスト、画面の中で綴られる。

 冒頭の、田園を含めた神秘的な森をカメラが俯瞰するシーン。それから、映画の随所に挿入される鬱蒼と茂った緑の森や風にそよぐ穂を鳥瞰するシーン。流れる雲の陰が濃い緑の草原を早いスピードで這ってゆくシーン。樹木が生い茂る暗い森を地面から仰ぐように見上げるシーン・・・。
 それらが、映画の文体を区切る句読点のように、美しく挿入されてゆく。

 物語自体は単純だ。
 妻を亡くし、認知症で施設に入っている老人。彼はまだ妻の面影を追い続けている。
 そして、その老人福祉施設で働く若い介護師の女性。彼女は幼い子どもを亡くしていて、それも自分のせいだと悔やみ、心に深い傷を負っている。
 2人はある日、森の中に入ってゆく。
 認知症の老人は、深い森の中で眠る妻の墓を探すために、彼女を振り切り、神秘的で深淵な森深く入り込む・・・。

 静かな映画である。仏教的、日本的な思想性も映画の奥に流れている。自然、森、生きるものと死するもの、喪失と再生。
 ただ、期待した以上の驚きや衝撃は、この「殯(もがり)の森」には、はっきり言ってない。心の中に深く刻まれるほどの素晴らしさが伴わないという程度の意味だ。

 7月には早くも次回作、長谷川京子が主演する「世界中がわたしをすきだったらいいのに(仮題)」の撮影に入るらしい。勿論、「殯(もがり)の森」に続くその映画にも期待を掛けてみたいけれど・・・。




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井筒和幸監督「パッチギ! LOVE&PEACE」を観る。確かに内容は濃いけれど・・・。

2007年05月30日 | Weblog
 1974年。
 この数字だけを眺めてみても、とても懐かしく、しかも感慨深いものがある。

 1974年。少年チャンピオンで連載していた山上たつひこの漫画「がきデカ」が大ヒットし、テレビではショーケンの「傷だらけの天使」がオンエアされ、若者たちはブラウン管に釘付けとなった。
 音楽界では、井上陽水のアルバム「氷の世界」が大ヒットを飛ばし、それに釣られるように彼の過去のアルバムも軒並みベストテンに食い込み、よしだたくろうが作曲をした「襟裳岬」は、その年のレコード大賞を受賞した。
 政界では、「文藝春秋」に掲載された「田中角栄金脈研究」に端を発し、それが大激震となってスキャンダルは日本中を駆け巡り、「青天の霹靂」でお馴染みの三木内閣が発足した。

 井筒和幸監督の映画「パッチギ! LOVE&PEACE」は、前作「パッチギ!」に続く第2弾で、前回の舞台1968年の京都から1974年の東京へと移し、親子3代に渡って在日朝鮮人として生き抜く、その一家の姿を描く。

 井筒和幸監督の「パッチギ!」1作目は、大ヒットした。
 そして、数々の映画賞を総なめ、その年の様々な邦画ベストテン第1位を獲得するに至り、映画自体の評価を不動のものとした。

 ただ、僕は個人的に「パッチギ!」が、それほど素晴らしい作品とは思えない。
 井筒和幸としてメガホンを取った映画なら、「のど自慢」とか「ガキ帝国」のほうが好きだし、年間の第1位となるとちょっと首を傾げざるを得なかったというのが、その偽ざる心境だった。

 そして今度の「パッチギ! LOVE&PEACE」が、続編。
 ところがこの「パッチギ! LOVE&PEACE」、本編の話題よりもその周辺の盛り上がりが激しい。

 まずは今回の公開に先立ち、井筒和幸が、石原慎太郎の「俺は、君のためにこそ死ににいく」を映画化した同作品について、「戦争を美化」していると批判を展開したのである。
 今度は「俺は、君のためにこそ死ににいく」の記者会見の席上において、映画に出演していた窪塚洋介が、「右と左両方に翼があるから鳥は飛べる。この映画を見て戦争美化という方がおかしい。見る前にいう奴はアホだ」と、猛烈に反論。
 すると、またまたこれに対して井筒和幸が、「おれは忙しいから都知事の映画は観てない!」とのコメント。物騒をかもし出した。

 そして次は、井筒和幸が「映画を愛している」と公言していたことに、北野武、ビートたけしが自分の記者会見で触れ、「映画なんて愛さなくていい。映画をやる人は愛するどうこうの問題じゃない」と切り返し、これもまた波紋を投げかけている。

 という具合に、何かと賑やかな「パッチギ! LOVE&PEACE」の周辺だけど、一番大事なのはその出来映え。

 1974年、主人公の在日韓国人アンソン(井坂俊哉)が、一人息子の病気のため、家族で東京へと引っ越して来る。
 そんなある日、駅のホームで右翼系の大学生たちと大乱闘しているところを、東北出身で訛りの抜けない国鉄職員(藤井隆)に助けられ、それ以来2人は親しくなる。
 その一方で、芸能プロダクションからスカウトされた妹のキョンジャ(中村ゆり)は、兄の最愛の一人息子の治療費を稼ぐために芸能界入りを決意する。
 そしてそこで、先輩俳優の野村(西島秀俊)という人気俳優と出会ったキョンジャは、激しい恋に落ちるのだが・・・。

 キャストは前作と一新。
 2人の兄弟と、兄の息子の難病を軸に、東京での波乱に満ちた生活が綴られてゆく。
 しかし井筒和幸監督はストレートである。直球勝負にこだわっている。バカ正直と言ったらいいのだろうか。
 台詞の随所に、マジで実名の有名人がボンボン飛び出す。例えば「にしきのあきらは在日」だとか「誰々はどうだこうだ」と、真正面から当時の人物を批判する。

 それが、物語自体をリアルで生臭いものに変えてはいる。そこは確かに素晴らしい。濃い内容だけど、真っ向勝負を挑んでいる、あるいは自分の思いをぶちまけている、そんな感じがする。

 ただし、映画自体が、彼が望むような、何かいいようのない怒り、苦しみ、フラストレーション、時代への反抗、政治的なるメッセージ。それらが渦巻き、観ている者たちを挑発して燃え上がらせる。そこが希薄なのだ。
 映画が空回りしている。
 残念。





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「ポール・ウェラーにもなりたいっ!! NO.29」

2007年05月29日 | Weblog
 快晴。気持ちのいい五月晴れの火曜日。

 それにしても、松岡農林大臣とZARD坂井泉水の訃報には驚いた。
 特にZARDの坂井泉水。別に彼女の音楽的なファンでも何でもなく、アルバム一枚さえ持っていない。個人的に言えば、「負けないで」という曲などを含め、ZARDはどうも肌に合わなかった。歌詞もメロディも、どこか安直過ぎる気がしていたし・・・。

 でも、40歳になり、しかも癌に侵されながら再起を期していたという報道に何故か胸が締め付けられる。
 いつかは誰もがこの世から去ってゆく。人生は儚い。全ては一瞬の淡い夢でしかない。

 それでも僕たちは、今日を、そして明日を生き続けてゆく・・・。



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鈴木雅之「Champagne Royale」ライブに行ってきた。1曲目から全員総立ち!

2007年05月28日 | Weblog
 鈴木雅之が、ここまで長きに渡って日本のミュージック・シーンの最前線で活躍し続ける事が出来た、その理由は何なのか?
 それは、ひとえに戦略の上手さにある。

 鈴木雅之は、これまで「シャネルズ」、それから「ラッツ&スター」で、リード・ヴォーカルを担当し、実質的な牽引役としての担いを勤め、70年代から80年代にかけて、「ランナウェイ」や「め組のひと」、それから大滝詠一がプロデュースした「Tシャツに口紅」などなど多数のヒットを放ってきた。

 顔を黒く塗り、黒人に対する純粋無垢な憧れを抱き、日本の音楽のある一つの形態を体現化したのが、まさしくシャネルズであり、ラッツ&スターであったといえる。

 ドゥー・ワップやソウルを基底に据え、ポップで新鮮な/音楽に仕上げるセンスは抜群で、その中にあってリーダーであった鈴木雅之は1986年にソロ・デビューを果たし、コンテンポラリーで歌謡曲っぽいソウル・ミュージックにのせ、大人の男女の物語を切なく歌い上げることで、熱狂的なファンを獲得することになったのである。

 しかし、鈴木雅之は上手い。
 その戦略性、プロデュース力、先見性、マーケティング等々、この浮き沈みの激しい音楽界にあって、それらを駆使し、順風満帆に泳ぎ切って来た才能たるや恐るべし。
 そしてそれが、今回のコンサートにも如実に表われていた。

 リニューアルされた青森市文化会館での、鈴木雅之「Champagne Royale」ライブ2007公演は、当日券も完売ということで、結局、満員御礼ということになった。

 先月発売されたニューアルバム、「Champagne Royale」からの曲が中心の、約2時間半に及ぶコンサートは、のっけから大狂乱!
 1曲目から全員総立ち状態。最後まで一気に駆け抜ける。

 「My Sweetness」、島谷ひとみとのデュエット曲「ふたりでいいじゃない ~album ver.~」( TBSテレビ系ドラマ、結婚式へ行こう!の主題歌)、 「いびつな夜」、 「53F」、「六本木慕情」、「NOTHING'S GONNA CHANGE MY LOVE FOR YOU」(スバルのレガシィ ツーリングワゴンのCMソング)など、新作からの曲が、そのほとんどを占めた。

 わざと、というより確信犯的に自らを非日常、「ハレ」の世界へと導き、気障でコテコテで夜の世界を煌びやかに演出してゆく。
 そこがウォーター・フロント、水商売系の圧倒的な支持を得ている原因なのかもしれない。

 バックバンドは、リード・ギターにベース、それからドラムに、パーカッション兼ピアノ、そして電子オルガンによる5人編成。
 それと、鈴木雅之の実の娘を含めた3人によるバック・コーラス隊が加わる。

 とにかく、MCが上手い。笑わせるツボを心得ていて、観客の爆笑を誘い、次の曲へとスムーズに入ってゆく。
 ただし、往年のヒット曲を聴きたくて来た観客はちょっと面食らったかも。アンコールでやった「恋人」や、「夢で逢えたら」は、熱狂的な声援で迎えられたけれど、新曲は当然に聴きなれていない客も多く、少し面食らったのではないだろうか。

 でも、今回のニューアルバム「Champagne Royale」もそうだけれど、鈴木雅之は起用する作詞・作曲家のセレクトが天才的に上手い。
 これまでも、竹内まりや、山下達郎、小田和正など、様々な有名アーティストに曲を提供してもらい、鈴木雅之は生き延びて来た。

 今回も、ゴスペラーズを初めてして、様々な作曲家を起用し、新たな鈴木雅之を演出しようと貪欲に挑戦し続けている。ここまで貪欲に生き延びようとする試みは、すこぶる小気味いい。
 
 コンサートのアンコールは一回こっきり。勿論、数曲歌ったけれど。
 この点は、ちょっと興ざめした。ただし、観客も2度めのアンコールにこだわることなく、さっさと席を立ってしまったのにも少しガッカリしたけれど。

 鈴木雅之は、トリック・スターであることを自覚している。道化師であり、仮面を被っていることにも自覚的である。そこがいい。
 そして鈴木雅之の歌う曲は、そのどれもが深い夜のイメージで、セクシーかつ艶っぽい。
 好きだなあ。鈴木雅之。




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「さみだれ」

2007年05月27日 | Weblog
 朝から雨が降っている。
 昨日の夜はコンサートに行き、その帰り、独りでいつもの行きつけのパーへ。

 朝食を食べたきりで、あとは何もお腹に入れていなかったので、冷えた生ビールを呷り、リキュールのサザン・コンフォートをロックで続け様に飲み干したら、酔うのなんの・・・。
 マスターと話が弾み、BGMのジャズを聴いているうちに帰宅は12時を過ぎてしまった。
 小雨が降り注ぐ真夜中を街を、独り酔いながら帰る。

 今朝はゆっくりと朝寝坊。
 軽めの朝食を済ませ、前にも観た、成瀬巳喜男監督、昭和30年作品「浮雲」をまたビデオで。
 林芙美子の原作を、高峰秀子、森雅之の共演で撮った、恋愛映画の傑作である。

 しかし、何度観てもこの映画は素晴らしい。
 観るたびに新しい発見がある。
 農林省のタイピストとして仏印に渡ったゆき子(高峰秀子)という女性が、現地で富岡(森雅之)という男性と出会い、激しい恋に落ちる。
 ところが富岡には妻がいた。
 富岡という男性は、どこか投げやりで虚無的なところがあり、しかも優柔不断でブレイホーイ。自分勝手で、自身だけを愛しているエゴイスト。
 その曖昧な恋愛に対する態度が、彼女を困惑させ、苦悩の中に身を投じさせてゆく。

 高峰秀子が秀抜である。
 愛くるしく、一途で、しかも内に凄まじい愛の炎を燃やし続けている。
 逢瀬を交わす際の、その眼差しと仕草。色気の極地というか、艶かしさの究極形態というか。
 別に肌を露出するとか、姿態を見せ付けるとか、そういうことではなく、醸し出す雰囲気、目線、態度そのものが艶(なまめ)かしくて、しかも美しい。
 愛がぷんぷんと匂っている。

 それから、森雅之。
 男の持つ優柔不断、いい加減な態度、女性への母性的願望、目移りと果て無き女性愛。突然、醒めたかと思うと、いきなり愛を求めて、乞い、嘆願する。
 なんという、だらしなさ。傲慢さ。自堕落さ。
 そんなどうしようもない男を熱演する。

 これこそが、日本映画史に残る傑作の中の一本だろう。

 映画を観終え、某デパートで今日まで開催している「おめざフェア」で買い求めた、スイーツを堪能。
 名物「舟和」の芋羊羹に、餡だまに、名店「清月」のイタリアン・ロール。そして美味しいエスプレッソ。

 食べ終えて、3階の部屋から外を望む。
 雨が降っている。五月雨、5月の優しい雨。
 音が欲しくなり、この頃聴き狂っている、竹内まりやの「デニム」を聴きながら、またイタリアン・ロールをバクリ。

 日曜日の静かな午後。
 さあ、これからお出掛けしますか。
 映画館で映画を一本観て、そのあとは・・・。
 うーん、どうしよう。






 

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今、音楽は「Fried Pride」がいい。6作目のアルバム「Musicream」が素晴らしい!

2007年05月26日 | Weblog
 最近はよく独りで飲みに出掛ける。
 行きつけの飲み屋が2件ほどあって、どちらも古くからの友人が経営しており、互いに過去のアレやコレや、酸いも甘いも知っているから、こちらとしては安心して飲んでいられる。

 先日は、異業種の仲間たちと、そのうちの1軒に繰り出した。
 そこで、店のマスター、つまり友人から、このアルバム凄くいいぞと渡されたのが、「Fried Pride」という男女2人組ジャズ・ユニットの最新アルバムだった。

 「Fried Pride」のこと、実は全然知らなかった。
 過去に発表した5枚のアルバムは全てジャズを扱っているらしく、今回始めて聴いたその6枚目のアルバムが、初めて日本語で歌ったものなのだとか。

 いやあ。これがまたいいのである。
 お酒も入っていたし、お店のハイグレードなスピーカーで聴いたからよけい心に響いたのかもしれないけれど、オリジナルはごく僅か、そのほとんどの曲が他人の曲のコピーである。でも、アレンジがまた上手くて、ジャジーな雰囲気を一層際立たせている。それから「Fried Pride」の選曲がいい。

 1曲目が必殺の「君の瞳に恋してる(Boys Town Gang)」。
 ディスコブーム時代にヒットした代表曲のうちの1曲である。一体これまで何人がこの曲カバーしたことだろうか。
 そして、2曲目以降も怒涛の如く、往年のメガ・ヒット曲のカバー・バージョンが続いてゆく。
 「リバーサイド・ホテル(井上陽水)」、「.接吻 KISS(Original Love)」、「.Nightbirds(Shakatak)」、「.Midas Touch(山下達郎)」、「永遠に(The Gospellers)」、「Higher Ground(Stevie Wonder)」、「La La Means I Love You (The Jacson Five)」。

 途中、数曲の「Fried Pride」オリジナル曲が挿入されるけれど、おおよそはカバー曲が占めていて、しかもそのどれもがジャズ風にアレンジされているのである。
 ただ、原曲がどれも素晴らしい名曲ばかりなので、その原石が持っている輝かしさを損なう仕立てにはしていない。さすがである。

 女性ボーカルが中々にディープかつソウルフルで、アレンジがまた濃い。でも何度も言うように、その濃さをちゃんと調和させているのが、オリジナル曲の持つ素晴らしい力である。
 「Fried Pride」自身も、原曲をちゃんと優しく扱っていて、オリジナルの美しさをきちんと表現しているところが嬉しくなる。

 「Fried Pride」のファースト・アルバムは、その年の「スイング・ジャーナル」誌の新人賞を取ったそうで、彼らの実力の高さも計り知れるというもの。
 聴きながら、よもや山下達郎やオリジナルラブの曲が流れるなんて思わなかった。ちょっと衝撃的ではありました。

 ゴスペラーズの名曲「永遠に」もまた素晴らしい。
 っていうか、俺、この「永遠に」を聴くためだけに、ゴスペラーズのアルバムを買った覚えがあるくらいなのだ。
 「Fried Pride」のアレンジでこんなにも解釈が違ってくるのである。音楽は凄いね。

 僕は、お酒を飲むとき、BGMが良かったりすると、ほんと酒のピッチが進み、気持ちがハイになる。
 だから、ロックがBGMで流れる店だとか、音楽をちゃんと重視している店には目がない。

 今通っている2件の店も、勿論友人が経営しているということもあるけれど、どちらの店も音楽にこだわっているところが頻繁に通っている理由の一つといっていい。1件はジャズ、もう1件はロックを含めた種々のポピュラー音楽・・・。
 一時期、そういう独りで飲みに行ける隠れ家探しに奔走したことがあったけれど、探そうと思ってそういう店が見つかるというわけでもない。そこが難しいところ。

 余談はさておいて、このアルバム、ジャズはちょっとと毛嫌いしている人たちにも、「Fried Pride」はすんなりと入っていけると思う。
 なんといっても、スタンダード化した過去の名曲がずらりと並んでいる。この辺からジャズの世界に浸かってみるのも一考かも。
 「Fried Pride」お勧めだ。




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「金曜の夜、雨の街を独り泳ぐ」

2007年05月25日 | Weblog
 とても疲れている。
 体が重い。体が重いと何をするにも億劫で、集中力も散漫になってくる。まるでやる気が起こらない。
 やっと金曜日まで辿り着いた、忙しかった5日間が終わった、これで一休み出来る。そんな感じがする。へとへとになってゴールまで辿り着いた、そんな感じ。

 朝からの愚図ついた天気が、とうとう午後になって雨に変わった。土曜日も日曜日も雨模様。折角の休みなのに晴れ渡った青空を望めないのは残念だ。

 結局、図書館から借りた本も、DVDも、ビデオも、貸し出し期限が過ぎてしまい、返却する羽目になってしまった。読むことも観ることも出来なかったし、「八戸うみねこマラソン」を走ってからは、ほとんど体を動かしていない。

 後輩のYから、新しく短編映画を作るということで脚本をお願いされていて引き受けはしたものの全然進んでいないし、「原稿見ていいよ(勿論、出来が悪かったら掲載は無理というのは当たり前ですが)」と言われた「津軽学」への論文も遅々として進まず、当初6月末締め切りの「某新人文学賞」への応募予定作品も、現在、半分程度書いたまま宙に浮いている。
 やれやれ。
 
 仕事というか、重い宿題というか、諸々の課題整理というか、特命事項というか、日中あれやこれやで忙殺され、帰宅する頃にはもう何にもする気が起こらず疲れ切り、ダラダラと無駄な時間を費やしてゆく・・・。
 と弁解しつつ、深夜の映画館に駆けつけたり、お酒を飲みに出掛けたりするから、自分で自分が解らなくなるのだが。

 しかし眠い。
 浅い眠りがずっと続いていて、いつもぼんやりとしている。
 雑誌「エスクワィア」最新号が本屋さんから届いたので読んでいたら、「ようこそ 眠りの王国へ」という特集記事。

 「睡眠負債」という言葉があるらしい。
 スタンフォード大学で、睡眠障害を研究している学者が提唱した言葉なのだとか。
 長年にわたる臨床実験の結果、例えば毎日8時間寝ている人が、5日間続けて6時間しか寝ないとしたら、6日目には2×5=10時間多く寝ないと睡眠不足が解消された事にはならないらしい。

 でもそうなると、ある程度、寝ダメしないと益々睡眠負債が膨らんでゆくわけで、寝不足感がずっと続いてしまうことになる。

 それにしても眠い。疲れている。
 ゆっくりと温泉にでも浸かってのんびりしたい。

 今日も早めに退庁。
 思考がもう働きません。結局、仕事が先延ばしされるだけなんだけど。
 つまりは、睡眠負債ならぬ「懸案負債」が溜まってゆく・・・。いつになったら清算出来るんだろう?

 夜の帳が降り始めた。
 疲れた体を引き摺るように、夜の街を徘徊する。
 ここで何とか、溜まった疲労を回復しないとね。




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速攻で観た「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」。キース・リチャーズもカメオ出演!

2007年05月24日 | Weblog
 今夏の全米映画ボックス・オフィス前半戦のキーワードは「3」なのだとか。
 まず、全米週末興行成績の新記録を打ち出したのが「スパイダーマン3」。ところが、2週目辺りからちょっと観客動員数が失速気味で、このまま推移した場合、シリーズ中の最低観客動員数となる模様だ。
 映画自体の評価もあまり芳しくない。僕は面白かったと思うんだけどなあ・・・。
 でも全世界では軒並み大ヒット。日本でもいまだ第1位を驀進中で、各国でも記録更新中、やはりスパイダーマンは強かった。

 次に2週間遅れで全米公開されたのがCGアニメの「シュレック3」。
 これもアメリカ本土で大ヒット。1週目でトップの「スパイダーマン3」を蹴落とし、いきなり1億ドル以上を稼いでしまった。
 ところがこの「シュレック3」の評価もすこぶる悪い。シリーズ最低との下馬評である。

 そして全米サマーシーズン前半戦のラストを飾るのが、シリーズ3作目となる「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」だ。
 この怪物シリーズ、海賊もの映画は絶対にヒットしないというジンクスを覆し、メガヒット。前作は次々とこれまでの過去の興行収入記録を塗り替えた。
 そのお化け映画の最終作(巷の噂では、またまた続編も製作される予定らしいが)となる本作は、異例の金曜日公開、しかも前夜祭と称して木曜日夜の上映も決定し、全世界同時公開を謳い文句にしている。

 このように「3」をキーワードに、現在、熾烈な映画興行バトルが繰り広げられているわけだけれど、今のところ、この「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」の力がとても強そうな気がする。

 早速、前夜祭である木曜日の第1回目上映に行って来た。
 海の中へ消え去ってしまったジャック・スパロウの行方や、強大な陰謀に立ち向かう海賊たちの戦いが今回のメインとなる。前回のラスト、巨大な怪物に戦いを挑み、その中に消えていったジャック・スパロウ。そして彼を巻き込んだ三者三様の恋の結末や如何に・・・。

 出演者も、ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイといったおなじみの主要俳優陣に加え、アジアのチョウ・ユンファが新たに登場した。

 物語は、デイヴィ・ジョーンズの心臓を手中に収め、そのことから絶大な支配力を得た東インド会社のベケット卿が、今度は次々と海賊たちを撃破し続け、海賊の時代は終焉を迎えようとしていた。
 そこで海賊たちは、起死回生を試み、「伝説の海賊」9人を一堂に招集し、世界中の海賊たちによるベケット卿との全面対決に挑むことになるのだが、その9人のうちのひとりが前回ラストで生死不明となってしまったジャック・スパロウだということが判明し・・・。

 何と、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが、ジャック・スパロウの父親役で「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」に特別出演している。
 当初、出演交渉をしているというニュースを聞いていたものの、本人が映画出演に難色を示していて、最終的に出演不可能となったとの噂だったので、実際スクリーンの中に登場したキース・リチャーズを観てビックリ。
 主演のジョニー・デップが役作りの上で、そのイメージ・キャラクターとしてキース・リチャーズを模倣したというのは有名な話。
 確かに、こういう独特でユニークなキャラクターに設定していなかったら、映画そのものもこれだけ大ヒットしただろうかと疑問に思えてくる。それほど、この映画におけるジョニー・デップの海賊キャラは嵌っている。

 僕としては、第1作は全く期待はずれだった。
 全然乗れずに、何でこんな映画が面白いのかマジで理解に苦しんだ。ヒットする意味さえよく解からなかった。
 ところが第2作は前作とは打って変わり、面白い出来映えになっていて、第3作目への期待も大きく膨れ上がっていたというのが正直なところ。

 そして、今作の「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」の出来栄えは?
 まず、「伝説の海賊」9人を一堂に招集し、最後の一大決戦に立ち向かうというのは中々いい。こうなると、ラストの山場に向かって映画自体が猛スピードで加速するからだ。
 ジョニー・デップとオーランド・ブルーム、そしてキーラ・ナイトレイを巡る、恋の三角関係も一応の結末を見せる。

 でもなあ。
 「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」、前置きが長すぎる。最終編ということで全てを纏め上げなければならないという事もあるのだろうけれど、少しイライラしてしまう。中盤にちょっとしたアクションの山場でもあったら、もっと楽しめたのに。
 それともう一つ。エンドロールが始まっても絶対に席を立たないこと!
 最後の最後に、次へと続くエピソードが挿入されているから。席は立っちゃ駄目!




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竹内まりや、オリジナル・スタジオ・アルバムとしては何と15年ぶりの新作「Denim」を早速聴いてみた

2007年05月23日 | Weblog
 僕の中で、日本人ミュージシャンが発表するその新作アルバムのうち必ず買い求めようと心に決めているのは、まず松任谷由実、それから山下達郎、浜田省吾、サザン・オールスターズ、吉田美奈子、ドリームズ・カム・トゥルー、鈴木雅之、ケツメイシ、角松敏生、ICE、そして、竹内まりやである。

 1978年に出したシングル「戻っておいで、私の時間」と、アルバム「Beginning」でデビューした頃や、1979年での日本レコード大賞新人賞を獲得した頃の竹内まりやは、はっきり言ってバカにしていた。

 当時、彼女はよくテレビの歌番組に露出していたし、よくあるルックス重視の女子大生シンガー程度にしか認識していなかったのである。何れは泡の如く消え行く歌手の一人ぐらいにしか思っていなかった。

 聴き狂ったのは、やはり1984年に発表した「VARIETY」からだろう。
 このアルバムは傑作である。
 竹内まりやがムーン・レーベルへの移籍第一弾となった記念すべきアルバムで、全ての楽曲の作詞・作曲を手掛け、プロデュースが山下達郎。2人初の全作コラボレーションとなった。

 「VARIETY」は、毎日のように聴き狂った。
 当時は、ウォークマンが全盛だったこともあって、レコードからテープに全曲ダビングをしていつでもどこでも聴いていた。特に行ったのは、海である。
 家から直線で1キロも歩かない場所に海がある。そこは今でも、絶対なくてはならない場所なのだ。今でも1週間に最低でも1回は海を見ないと落ち着かない。
 よく聴いたのが、「もう一度」、「プラスティック・ラブ」、「とどかぬ想い」。

 勿論、初期の「ドリーム・オブ・ユー」や「不思議なピーチパイ」なども、今改めて聴いてみても、全く色褪せないエヴァーグリーンな名曲ではある。
 相前後するけれど、1982年に竹内まりやは山下達郎と結婚している。
 その後、家庭に入った彼女はソングライターとして、河合奈保子「けんかをやめて」、薬師丸ひろ子「元気を出して」、中山美穂「色・ホワイトブレンド」や、名曲である「駅」、「シングル・アゲイン」、「告白」などの曲を世に送ってゆく。

 そして、アルバム「REQUEST」と「Quiet Life」と「Impressions」が超メガヒットを記録、邦楽のトップ・アーティストとしての地位を確立した。
 今回の最新アルバム「Denim」は、新作としては4年ぶり、オリジナル・スタジオ・アルバムとしては実に15年ぶりとなった。

 もしも、これから「Denim」を買おうとしているなら、絶対に初回限定盤を買うことをお勧めする。
 何と、初回限定盤にはボーナス・トラックがおまけで付いているからだ。これがまた凄い。
 これまでに出したシングル盤のB面として収録されていた曲ばかり4曲を集めた、超レアなトラックなのだ。

 今作の「Denim」。全部で12曲。
 まだそれほど聴きこなしたわけじゃないので、まだまだ胸を張って語れないけれど、やはり彼女が50路を迎えた事が曲にも反映されていて、それは例えば「みんなひとり」や「Never Cry Butterfry」などにはっきりと現れている。

 特にラストを飾る「人生の扉」という曲。
 自ら50歳を迎えたことを正直に告白し、これからの人生への意気込みを歌っている。でもそれは、決して気張ったり力を込めたというようなものではなく、悟りというか諦念というか穏やかな境地を淡々と語っているのだ。

 個人的に好きな曲は、「みんなひとり」。そして、「クリスマスは一緒に」。それから「明日のない恋」。「終楽章」。「哀しい恋人」。
 その中でも「クリスマスは一緒に」! この曲いい! 凄くいい!
 往年の竹内まりや節が復活。何度も聴いている。まだ全然クリスマスじゃないけれど。いやあ、いいよお、この曲。
 ミディアム・アップテンポなのに、切なくて甘いメロディ・ライン。ハマる。イブの夜に、もしもこの曲をたった独りぼっちで聴いたとしたら、多分、胸が張り裂けてしまうかもしれない。前向きでマイナーな曲調ではないだけに、よけい悲しくなりそうだ。

 よしっ!
 明日も早起きして、ランニングして、熱いシャワーを浴びて、このアルバムをまた大音響で聴こうっと!
 これで、1ヵ月はパワーを貰ったね!




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「スローラブ」

2007年05月23日 | Weblog



   あせらなくていいさ ゆっくり歩こうよ
 

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ウィル・フェレル主演の映画「主人公は僕だった」の脚本ってハリウッドで争奪戦となったらしい

2007年05月22日 | Weblog
 毎日の単調な暮らし。
 朝起きて顔を洗い、歯を磨く。朝食を食べて仕事に出掛ける。1週間のうちの何日かは残業をして、あとの残りは同僚と飲みに出掛け仕事の愚痴をこぼす。週末だけを楽しみに仕事の日程をこなし、1週間後も1ヵ月先も2カ月先も、極端に言い切れば1年先の自分だって安易に想像出来てしまう。
 それくらい平凡で、明日が解ってしまう、予定調和な日々。

 ところが、これが禅語では「日々是好日」という事になって、平凡で穏やかな一日一日を素晴らしい日と考え、しっかりと楽しんで生きる事が重要なのだと説く。何もないからこそ毎日が凄いのだと。

 映画「主人公は僕だった」の冒頭、ナレーションは次のように語ってゆく。
 ―過去12年間、ハロルドは毎日32本の歯を合計76回磨いた。過去12年間、ハロルドは毎日平均7,134件の会計書類を調べた。仕事以外は人と関わらない生活だった。1人で歩いて帰宅し、夕食も1人。そして毎晩11時13分きっかりに1人で床についた。しかし、そんな生活も水曜日までだった・・・。―

 「チョコレート」「ネバーランド」を撮ったマーク・フォースター監督が、新人脚本家のザック・ヘルムのオリジナル脚本を映画化したのが、この「主人公は僕だった」である。
 脚本は、ハリウッドで話題騒然となり、その権利を巡って大争奪戦が繰り広げられたらしい。確かに、よく捻った、面白いストーリーではある。

 几帳面に、そして誰とも接触を持たず、独り平凡に、毎日同じ生活を送る国税庁の会計監査官ハロルド(ウィル・フェレル)は、ある日、自分自身の人生が小説家によって執筆されている、自分自身が主人公として登場する小説の中で生かされているのだと知ってしまう。

 その寡作な女性小説家は、物語の結末で必ず主人公を死なせてしまう悲劇作家として知られていて、その新作小説のストーリーをタイプライターに打ち込むたびに、ハロルドの頭の中にも同時にその言葉がナレーションのように響き渡ってしまうのである。

 自分の人生はもうすぐ終わってしまう。
 俺は一体何のために生きているのだろう? この平凡な生活を変えて、何かを今生きている世界に残す術はないのだろうか? 
 ハロルドは苦悩する。

 共演は、「ワールド・トレード・センター」に出ていたマギー・ギレンホールに、ダスティン・ホフマン、そしてエマ・トンプソン。中々渋い脇役陣である。
 それに、主役をはるウィル・フェレルは、アメリカで凄い人気を誇るコメディアン俳優であり、主演作は何れも大ヒットを飛ばしているし、監督もこれまで佳作を何作も生み出しているマーク・フォースター。話題性は十分だ。

 この映画は、哲学者ハイデガーのいうところの「死への先駆的決意性」を語っている。
 人間は、自分の人生だけは未来永劫続いてゆくとさえ本気で思っているフシがある。いつかは誰でも必ず死ぬとは解っていても、自分だけは長生きして、未来への可能性がまだたっぷりと残されていると思っているのだ。
 
 しかし。ここで仮に突然「癌の宣告」を受け、あと余命幾ばくもないという現実を知ったとしたら、そこからいきなり世界は反転する。これまでの怠惰な人生さえ愛しく、あの時もう少し充実した時間を過ごせたらと嘆くのだ。
 その意味でも「主人公は僕だった」は示唆に富んでいる。
 アイロニーも交えながら、ユーモアのセンスを持って、この主人公のもがきや苦しみをなぞってゆく。

 ただ、少し期待し過ぎたようだ。
 前評判も高く、かなり先入観を持って臨んでしまった。そういう場合、たまに拍子抜けする事がある。今回もそんな感じである。
 勿論、ユニークで新鮮味もあって悪くはない映画だと思うけど、妙に淡々としていてメリハリがない。
 ラストももう一捻り欲しかった。

 でも、何度も言うように、この映画、中々示唆に富んでいて、僕たちの前に様々な命題を提示してくれる。そこがとてもいい。




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イ・ジュンキと宮崎あおいが共演した日韓合作映画「初雪の恋 ヴァージン・スノー」を観た

2007年05月21日 | Weblog
 それなりに、これまでの人生において人並み程度には様々な恋愛なるものをしてきたわけだけれど、何と言っても新鮮で純粋な思い出として今でも胸に焼き付いているのは、高校時代における恋愛、恋じゃないだろうか。

 勿論、誤解しないで欲しいのは、その当時に好きだった対象となる特定の女性の事が今でも胸の中に焼きついて離れないという意味ではない。
 つまり、その若さを含め、まるで真っ白いキャンバスに初めて絵の具を塗り付けるみたいに、あらゆることが純粋で真っ直ぐで、明るく輝いていた美しい季節だっただけに、今でも懐かしさを伴って、今でも当時の状況が新鮮に蘇って来るという程度の意味だ。

 待ち合わせをした日曜日の朝・・・。
 映画を観て、何処かで昼食を採る。2人に大したお金があるわけじゃないし、そんな洒落た食事じゃなかったけれど、それでも2人で食べる事、それ自体が楽しくて仕方がない。
 そのあとは2人で街をぶらつき、たまには海を眺めに行く。
 話す事がたくさんあって、会話が途切れる事もない。携帯なんてなかった時代だから、別れたあともすぐに家に電話して、また今度の約束を取り付ける。
 改めて思う。あくまでも純で、一切のしがらみがなかったような気がする。

 映画「初雪の恋 ヴァージン・スノー」は、「王の男」のイ・ジュンギと、「NANA」や「ただ、君を愛してる」の宮崎あおいが初共演した、日韓合作ラブ・ストーリーだ。
 日本の京都と、韓国のソウルを舞台に、韓国から京都に転校した男の子と、その転校先の女子高生との、純粋で切ない恋愛模様が綴られる。
 監督は韓国の新人である。ハン・サンヒという人。勿論、全く知りません。

 陶芸家である父が日本の大学で陶芸を教えることになり、日本の学校に転校することになった韓国高校生の男の子が、京都のとある神社の境内で見かけた女の子に一目惚れしてしまう。
 偶然にも、その女の子は転校した高校の同じ教室の生徒だった。2人は言葉と文化の違いによる壁を乗り越え、毎日のように京都市内でデートを重ねる。
 「初雪の日にデートした恋人たちは幸せになれる」という、韓国ソウルの若者たちの言い伝えを、いつか必ず実現しようと2人は微笑みながら約束を交わすのだが、女の子は、他人には言えない辛い家庭の事情を抱えていた・・・。
 

 別に特段、新しい要素を含んだ斬新なラブ・ストーリーというわけではない。
 他愛のない、「ボーイ・ミーツ・ガール」の何処にでもあるような恋愛模様が綴られてゆく。
 脇の物語として女子高生の悲惨な家庭環境が語られ、それが2人の純愛を引き裂く引き金へとなるのだが、それとて深く掘り下げたわけでも、テーマ性に則った家族問題として観客に大きく提示したというわけではない。

 その意味でも意外だったのが、韓国と日本という、過去の戦争を介在とした悲劇や問題性を、何某かの形で露呈させるとか、日韓という深くて大きな河によって引き裂かれざるを得ない悲劇的な「愛」を、その基底に据えながらこの物語を進行することをしなかった事である。

 今の時代の恋愛って、深刻なイデオロギーや、国家間の過去の怨念や、文化や生活や言語の違いから発生する違和感などを、あえて吹き飛ばしてしまうほど、強くて激しいものだと言っているのか、そんなもんは前時代的な遺物でしかないと高笑いを決め込んでいるのか。
 その辺りがよく分からない。

 肯定的に捉えると、確かに「愛」とはそういう困難性をも打破する素晴らしい力を持っているわけだけれど、ここまであっけらかんと能天気に「純愛」のみを語られてしまうと、過去に作られた、悲劇と苦悩に彩られ、日韓の壁を題材とした数々の文学や映画などは一体なんだったんだろうと思ってしまう。
 時代は変わったのだと言い切れば、それまでの事だけど・・・。

 でもこの映画、ピュアな純愛物語だと割り切りさえすれば、わりと楽しく観る事が出来る。映画を観ながら、高校時代の様々な思い出が浮かんでは消えていった。
少しベタな展開に終始しているけれど、素直でストレートなラブ・ストーリーだともいえる。

 僕はラブ・ストーリーなら、どんな映画でも10点プラスなのである。




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「明日に流れるー」

2007年05月20日 | Weblog
 昨日の土曜日は、所属する組織とその周辺団体組織の方々との親睦を兼ねた野球大会が、雨が降ったため市の郊外にある某室内運動場で開催された。
 こちらは午後に所用が入ったため、夕方6時から行われた親睦会にのみ出席する。

 金曜日も夜3件の飲み会が入ってしまい、1件は事前に断ったものの、あとの2件には結局時間差で出席。
 最初の飲み会はとても楽しかった。ホーム・パーティ形式で、気の合う仲間たちとのくだけた会話や、美味しい心のこもった手作り料理にお腹が一杯になってしまった。
 先に帰る事で他のみんなを白けさせてしまうのも忍びなく、仲間の一人にそっと帰る事を告げ、小雨降るひっそりとした街を次の待ち合わせ場所へと向かった。

 土曜日もお昼過ぎまで所用を済ませ、そのまま映画館「シネマ・ディクト」で続けざまに映画を2本観る。途中たった15分間の合間に、トイレに駆け込み、缶珈琲を飲み、急いで次の映画へと向かった。

 映画を観終え、今度はブラブラと街中を歩きながら、2キロほど離れた飲み屋街の一角にある宴会場まで。
 こうしてゆっくり雨上がりの街並みを歩くのも悪くない。出勤前のウォーター・フロント関連の女の子たちが行き交い、曇った空が静かに暮れてゆく。

 飲み会に顔を出し、途中で退席。
 色んなものが処理しきれずに溜まっている。いつも何かに追い掛けられているような気がする。焦る。
 図書館から借りた本が5冊。同じく借りているDVDにビデオの計3本。日曜日までの返却なのに、まだ全く読んでいないし、観ていない。

 買ったばかりの新作CD。新刊本。雑誌。読まずに溜まった一週間分の新聞。撮り溜めしているビデオ。途中で止めている任天堂「wii」のゲーム。
 そして、半分まで書いてそこから全く進んでいない、初めての長編小説。後輩と始動したばかりの「短編映画」プロジェクトの脚本。朝日新聞の原稿。マラソン大会に向けての走り込み。

 仕事で残業をこなし、映画館に通い、テレビを見て、本を読み、スポーツを続け、ジムに行き、原稿を書き、ゲームをやる傍らで、仲間と飲みに出掛ける・・・クタクタになる。無理である。
 このままだと全部食い散らかしになってしまう。何とかしないと。

 日曜日も疲れが抜けずに遅い目覚め。
 土曜日に封切られた新作映画があって、それを観る為に10時過ぎ映画館に到着。ついでに「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」の初日の指定席を予約する。

 遅めの昼食は、そこから東方面に8キロほど離れた「佃地区」にある回転寿司屋さん。
 友人から聞いた、少し高いけれど今一番美味しい回転寿司屋さん。
 確かに混んでいる。従業員のマナーもいい。ほかの回転寿司屋よりは高めの値段ではある。でもネタがいい。具も大きめ。美味い。評判店だけのことはある。

 家に帰るともう午後3時を回っている。
 結局、走れなかった。
 部屋を掃除してストレス解消。掃除機をかけながら大音響で「マルーン5」。窓をいっぱいに開け、春の風を部屋中に入れる。
 珈琲を沸かし、図書館で借りた、1956年のポーランド映画、イエジー・カワレロウィッチ監督の「影」を観る。

 早めの夕食を採り、BSハイビジョンで始まる大河ドラマ「風林火山」を観て、今度はビデオ「影」を図書館に返却するため、夕闇迫る中心市街地まで自転車を飛ばした。

 日曜日の夕暮れ。
 明日からまた始まる仕事への漠然とした不安、ひっそりした休日の繁華街、夕焼け雲、涼しげな風、車の悲しげなクラクション、色んな思いや音や景色が混ざり合って、ほんの少しだけ心が乱れた。
 道端に、かなり遅咲きの桜が満開に咲いている。

 変えないと。この硬直した心を変えないと、次のステップには進めない。
 何かを捨てなければ、荷物だけが増えてゆく。そして他人をまた傷付けてしまう。

 夜の7時に帰宅。
 某デパートで開催されている「おめざフェア」(超満員でした)で買ってきた、「甘夏ジュレー」に、「手作り笹巻」に、「角煮まん」を、美味しいお茶を啜りながら食べる。

 ああー。
 また月曜日かあ!




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「Maroon 5」の「It Won't Be Soon Before Long」。カッコいいぞ!

2007年05月19日 | Weblog
 最近、ほとんどアメリカやイギリスのヒット・チャートとは無縁な状態が続いていて、たまにTVで小林克也の「ベスト・ヒットUSA」を観るか、「MUSIC ON TV」や「スペースシャワーTV」なんかのビデオ・クリップ番組を眺める程度で済ませている。

 その昔、アメリカの「カウントダウンUSA」を短波放送で欠かさず聴いていた時期があって、贔屓のアーティストの動向や好みの音楽を探し出すのに一喜一憂したものだった。
 ところがここずっと日本の音楽シーンにばかり興味がいっていて、アメリカやイギリスの音楽最新動向にはほとんど心が動かなかった。

 勿論、60年代、70年代、80年代等々に活躍し、今も現役で活動しているロック・ミュージシャンたちとか、古い名盤アルバムなんかは今でも常に蒐集して聴いていて、コンサート会場にも足を運んでいる。
 ただ、ヒット・チャートとなると話は別だ。
 たまに最新USAチャートなるものを眺めても、知っているアーティストは皆無に近い。ベテラン勢が復活登場したりすると、それなりに嬉しくなる事はあるけれど。

 「Maroon 5」なるアメリカの5人組ロック・バンドを知ったのは、つい先日の事である。
 TVの「MUSIC ON TV」でのビデオ・クリップだった。「メイクス・ミー・ワンダー」という曲。

 いやあ、カッコいい!
 ボーカルの顔立ちはそんなに美形というわけではないけれど、黒系の素敵なスーツに胸元まで開けた白っぽいシャツ。5人ともクールでハイ・センス。洗練された大人の雰囲気。
 ブライアン・フェリーのいた「ロクシーミュージック」が思わず頭に浮かんだ。1980年代でいけば、「トゥルー」の「スパンダー・バレイ」のイメージかな。
 何れもイギリスのバンドなので、この「Maroon 5」も最初イギリスのバンドだと思ってしまった。調べたらアメリカのそれもLAと知って、ちょっとビックリ。

 ネットで調べたら、「ソングス・アバウト・ジェーン」というデビュー・アルバムが世界中で大ヒットを記録しているのだとか。知らなかった。
 日本の様々なCMにも「Maroon 5」の曲が何曲か使われているらしい。それも全く知らなかった。

 それぞれのメンバーが、ヒップ・ホップやR&Bなどの黒人音楽に影響を受けているようで、それが上手い具合に濃厚なグルーヴ感を与えている。
 レニー・クラヴィッツを思わせるようなファンキーでソウルフルなノリ、そしてポップでキャッチーなメロディ・ライン。
 何処かで聴いた覚えがあるクールなサウンドと、ヴィジュアル的にもハイソな雰囲気を醸し出していることも○。

 やっぱり個人的な嗜好として、どうしてもこういう音にそそられてしまう。
 基本は、R&Bを含めたブラック・ミュージック、ディスコっぽくてダンサブルでリズムの刻み方がシャープで尖がっている。それでいてメロディアス。ちょっと貪欲だけど、それでいながら洗練されていてクール。
 こういう音が流れると、一瞬で引き込まれてしまう。

 今回初めて聴いてみた、「Maroon 5」の最新アルバム「It Won't Be Soon Before Long」。
 全曲ポップで、確かにソウルや黒人音楽が下敷きとして横たわっている。
 ライナー・ノーツを読んだら、何とこれが5年振りのセカンド・アルバムだとか。日本でもファースト・アルバムはかなり売れたらしい。
 メンバーたちのインタビュー記事も載っていて、その箇所を読むと、マイケル・ジャクソンとかトーキング・ヘッズとかの名前が出て来る。

 1970年代や1980年代のディスコ・ブームに対しても好意的に眺めている様で、そういう味付けがこの「It Won't Be Soon Before Long」の中にも随所に見られる。
 来日も決定したみたいだし。
 それに日曜日の夜11時からは、TVの「MUSIC ON TV」で彼らの特集が組まれるらしい。絶対に観ないと。

 ロックはある意味、70年代でほとんどの手法をやり尽くしてしまった。それから以降は、確かにパンク・ムーヴメントとかテクノとかニュー・ウエーヴとか様々なジャンルが飛び交ったものの、本質的な音とか展開策とかの方法論は変わっていないと言っていいだろう。

 「Maroon 5」。
 音楽的な嗜好が似ている人なら、当然買いである。




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松田龍平主演、グ・スーヨン監督の、映画「THE焼肉 MOVIE プルコギ」を観る

2007年05月18日 | Weblog
 プルコギとは、韓国料理のひとつで(当然知っているとは思いますが)、「プル」が「火」の意味で、「コギ」が「肉」の意味である。
 つまり、日本でいうところの「焼肉」のことだ。

 かなり落ち込んでいた時期、去年の秋から冬にかけて、よく独りで焼肉屋に入って、生ビールとハラミやタン塩なんかを頼み、寂しく網に乗せて焼いた事を思い出す。
 これがまた嵌るのである。一種のナルシズムだろうか。
 周りの客が家族連れだとか、カップルだったりすると、一層その寂しさが募り、ビールが2倍に冷たくなる。
 よく金曜日の夜など、駅前近くの焼肉屋に入ったものだ。たまに、同じように独りで焼肉を焼きながらビールをあおっているサラリーマンがいたりして、お互い伏し目がちに照れたりして。
 でもやっぱり、こういうものは大勢でワイワイガヤガヤやりながら食べるのが一番だろう。焼肉って、そういう意味では家族団欒的な王道とも言えるのではないか。あるいは、親密になった恋人同士が楽しそうに食するものとか・・・。

 映画「THE焼肉 MOVIE プルコギ」は、焼肉をテーマにした、コメディ・エンターテインメント・ムービーである。
 主演が松田龍平。それから共演者に山田優とARATA。監督は「偶然にも最悪な少年」のグ・スーヨン。

 個人的に、松田龍平ってイマイチ乗れない役者だし、ARATAも「ピンポン」は確かによかったけれど、何かいつも同じテイストでワンパターンな感じが拭えない。
 それから監督のグ・スーヨン。前作の「偶然にも最悪な少年」が余りにも酷くて、今回も不安が募る。
 救いは唯一つ。山田優ぐらいか。

 で、観ました。
 不安は的中。キツイでしょう。この映画も。
 何をしたいのかよく解らない。まあ別に、主張とか語りたい事とか一切ないんだと主張する映画も、当然アリである。そういう映画だって一向に構わない。

 ところが、グ・スーヨン。
 前作の「偶然にも最悪な少年」もそうだったけれど、何かを語り掛けてウズウズしているように見えて、結局、その語りたい部分が拡散し、投げっぱなしになる。

 映画自体は、究極の焼肉を目指して繰り広げられる赤肉派と白肉派の本格料理対決と、幼い頃に離れ離れになってしまった兄弟のその後の顛末が語られる。
 九州で、伝説と呼ばれている焼肉屋の老主人。そしてそこで働く主人公の青年と、幼い頃から青年と一緒に育てられた孫娘。
 青年は、小さい頃に母親を亡くし、仲のよかった兄とも離され、独り道端で倒れていた所を焼肉屋の老主人と孫娘に助けられたのである。

 一方、テレビの料理バトル番組で連戦連勝を続けている天才料理家がいる。
 彼は、母親が経営する焼肉屋チェーン店の御曹司でもあり、そのチェーン店は、伝説の焼肉屋「プルコギ」食堂が営業する北九州地区への進出を図ろうとしていた・・・。

 笑いが空回りする。
 大袈裟で過剰な演技をする脇役たち。
 特に酷いのが田口トモロヲと桃井かおり。勿論、2人は悪くない。非難を浴びるべき人間は監督だろう。
 余りにも笑いがベタ過ぎて白けるといったらもう。

 何度も繰り返すけれど、グ・スーヨン、何をしたいのが全くわからん。
 素材は悪くないのに。食い散らかしが目立つのである。
 肉の質も、タレも申し分ないのに、肉が半生というか焼き過ぎで焦げてしまったというか。

 監督のグ・スーヨン。
 仮に次作を撮るつもりなら、よっぽど気を引き締めてかからないと。
 って、人の事なんて言えた義理じゃないけどさ。




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