淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

ポジティヴって案外有効なのかも。映画「逆境ナイン」の能天気は人生でも使えるね。

2005年06月30日 | Weblog
 漫画が原作である。島本和彦がサンデーで連載していた漫画を映画化した。
 それが「逆境ナイン」。
 配役も濃い。主演の玉山鉄二も、藤岡弘も、そのほかの出演者も、判で押したような過剰演技。まるで昔の大映テレビの乗りである。
 でもはっきり言って、この映画にはそこまで過剰に演ずるしか道はないようにも思える。
 兎に角、「カンフー・ハッスル」ではないけれど、「ありえねー!」破天荒な作りに徹しているのである。

 藤岡弘の熱血校長のもと、負けは絶対に許されない高校で野球部だけが連戦連敗を続けていて、廃部の危機に瀕している。
 キャプテンの玉山鉄二は校長の前で「甲子園に必ず行ってみせる!」と豪語してしまい、やる気のないナインは猛練習に励むことを強いられる。
 2時間の間、画面いっぱいに、叫び続ける男たちが何度も何度も大写しされ、漫画のような在り得ない展開が、これでもかこれでもかと描かれる。
 でも、館内では、何度も笑いが湧き上がっていた。
 そうなのだ。たかが、映画である。愉しんだもん勝ちなのだ。
 観客は貪欲である。何せ自腹を切って映画を観るのである。面白がって払った分だけ楽しめたらそれでいいのである。
 それもまたアリではないか?

 ポジティブで在り続ける事。
 その方が悲観主義で生き続けるより、本当は何倍ものエネルギーを要するのかも知れない。
 楽しいことは正しい。それでいいんじゃない?
 

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スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の話題作「宇宙戦争」を観る!

2005年06月29日 | Weblog
 「宇宙戦争」は、全世界同時上映である。
 裏を返せば、それだけ各国間で上映にタイムラグが生じると、海賊版がすぐ世界市場に出回ることを意味している。
 「バットマン・ビギンズ」のプレミア上映の際も過剰なボディチェックだったし、それだけハリウッド・メジャー各社は、海賊版の普及に神経を尖らせているわけだ。
 そして、2005年サマーシーズンの映画界。
 「スター・ウォーズ」対「宇宙戦争」の本命興行戦争は、間に割って出た「バットマン・ビギンズ」、CGアニメ「マダガスカル」、ニコール・キッドマンの「奥様は魔女」などの話題作を挟んで、熾烈な興行バトルを展開することになった。

 で、その「宇宙戦争」の出来栄えなのだが・・・。
 うーん。
 確かに、スピルバーグ、前半からヘビーな展開。
 異星人が有無を言わせず、突然、非情な侵略を開始するシーンは、圧倒的な迫力である。ダコタ・ファニングが子役という枠を完全に超えちゃっていて、鬼気迫る演技を見せるから、緊張感も倍増する。
 巨大ロボットの「トライポット」も存在感があるし、視覚効果を担当するデニス・ミューレンの実にリアルな創りが素晴らしく、迫力が半端じゃない。
 トム・クルーズも悪くはない。
 ギクシャクしていた親子関係が、映画の展開とともにその絆が深まってゆくさまを、感情の変化とともに丹念に演じ切っている。
 勿論、スピルバーグの演出はそれなりに上手く、エイリアンを徹底的に冷血な侵略者として描く。

 でもなあ。スピルバーグである。そこは期待する度合いも普通の監督より上がろうというもの。
 恐怖感はあるけれど、ラストが消化不良。
 えっ? これで終わっちゃうの? っていう感じ。
 ロック・コンサートに行ったら、素晴らしい演奏で盛り上がったのに、アンコールもなく突然幕が下りてしまったようなもの。
 終わりよければ全てよし。っていうじゃん。
 

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「まだ間に合うのだろうか、まだやり直せるのだろうか」

2005年06月28日 | Weblog
 近頃、雨の音が妙に心地よい。

 梅雨とか曇天の空がこれまでずっと嫌いだった。朝起きると、とても憂鬱で一日中気分が悪かった。僕は夏とか快晴とか春とかが大好きなのである。

 最近眠れない夜を過ごしていた。
 真夜中に突然目が覚めて、ふと仕事の事を考えたり、寝ようとして眠れなかったり。そんな日がずーっと続いていたのである。
 一番キツイのが日曜日の夜だった。
 真っ黒な得体の知れないものが、胃から肺の方に向かって這い上がってくる。重苦しくて息が苦しくなった。
 夕暮れ時からそれは始まる。
 月曜日からの仕事の事を考えて鬱になってゆくのだ。だから日曜日の夜が一番嫌いだった。

 今日、キレた。あることで。本当にぷつんと音がした。
 少し醜態を晒したけれど(詳しい内容は恥ずかしいから言えないけれど)、やがてそれは落ち着いた。
 そうしたら・・・。
 
 自分でもよくそれを言葉で説明出来ないのだけれど、何故かすーっと気持ちが落ち着いたのである。まるで、一週間苦しんだ便秘が収まった様な(そういう経験はないけれど)、熱いシャワーを浴びた後のような、そんな感じである。
 とてもハイな気分だ。居直ったとも、開き直ったとも少し違うような気分。
 初めての経験。憑き物が落ちたとでも言えばいいのだろうか?

 ある意味、もうどうでもいい。なるようになればいい。好きにすればいい。
 何でもありだ。
 雨もいい。それから晴れも。曇りだって。
 はははは。
 
 

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「若大将的憂鬱-僕の偽日記」そのⅦ

2005年06月27日 | Weblog
 夜明けの5時。あなたは目覚める。
 隣では、柔らかな寝顔の彼女が静かな寝息をたてて眠っている。
 あなたは、熱いシャワーを浴びて眠気を覚まし、素早くランニング用のパンツに着替えると、そっとマンションの重いドアを開く。
 新聞受けに挟まった朝日新聞と日本経済新聞をちらりと眺め、あなたはマンションのエレベーターまでの通路を、ゆっくりと軽いストレッチを繰り返す。
 東京タワーが朝靄の中に霞んでいる。
 その卒塔婆のように揺らめく横を、一羽の大鳥が横切る。それはまるで一枚の美しい絵画のようだ。
 高速道路を何台かの自動車が淋しそうに行き交い、街はまだ半分眠っている。
 あなたは走る。
 赤坂見附の駅を抜けて、青山通りへ。
 坂道を登る。人気のない路を下る。青山墓地の中に入ると、静謐で透明な大気にあなたは包まれる。ランニングシューズの、キュッキュッと擦れる音だけがあなたの耳に飛び込んで来る。
 やがて、汗が真っ白なトレーニングシャツを染める頃、あなたはキラー通りに入り、そのまま絵画館前で引き返す。
 梅雨入りした街は、それでも思ったほど湿気は少ないけれど、あなたは彼女の待つ高層マンションへの帰り道を急ぐ。
 今頃、あなたの彼女は目覚め、やがてランニングから帰って来るあなたのために、美味しい朝食の準備に取り掛かる頃に違いない。
 珈琲を沸かし、薄いパンを焼く。それから沢山の具が入った野菜のサラダも。あなたのためだけに、心を込めて。
 
 あなたは彼女の笑った顔を思い浮かべる。そして彼女の優しくて思いやりの籠もった言葉の全てを。
 全身の筋肉が、あなたの美しい肉体を誇示するように張り詰め、激しく鼓動する。あなたは生きている。あなたは、生を躯体の全てに刻み、絶えず内部を奮い立たせる。
 今、あなたの中に息づいている確かなもの。それだけをあなたは信じている。

 とても美しい朝だ。

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「禅的生活」

2005年06月26日 | Weblog
 何もしなかった。日曜日なのに。
 ほとんど一日中、部屋の中から出なかった。本も読まなかった。音楽も聴かなかった。ちょっと所用があって車を出した以外、ずーっと部屋にいた。
 こんなこと、今までなかったような気がする。風邪を引く以外では。
 外は暑く、お日様が照っている。いつもなら、ジョギングパンツに着替え、颯爽と表に飛び出すのに。
 MIXIも開く気が起こらず、ひたすらゲーム・キューブ版の「ファイアー・エムブレム」をやりまくり、飽きてくるとぼけーっと天井を仰ぐ。
 鬱になる。
 夕方になって、ようやく立ち上がり、MIXI仲間の書き込みを眺める。
 何でこうも、みんな、強い意志と孤独にめげない力を持っているんだろう。思わず「あなたは何でそうも強いの?」と、打ち込んでしまった。
 ああーっ。俺は本当に弱い。どうしてこういつも、グダグダと落ち込んでいるんだろう。

 「一切唯心造」。
 一切は、ただ、心が作るに過ぎない。
 世界の在り様など、心が世界を創っただけのことなのだ。「華厳経(けごんきょう)」からの引用である。
 所詮は、心が悪戯しているだけじゃん! 心が、なんやかんやと捏造しているだけじゃん!
 現象学のフッサールじゃないけれど、世界なんて意識の在り様でどうにでも変わるのだ。だから、自分の周囲について様々考えることを一時停止する。つまり、エポケーする・・・。
 なんて言うのは簡単なんだけど、それが中々難しいんだよなあ。

 こうして夜になる。あっという間に夜になる。
 すべては、自己の内側にある。本来無一物。悟りの境地。うーん。わからん!
 しっかし、俺、いつまでこんなこと繰り返してんだろう?

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「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」は、シリーズ6作品の中で最高傑作!!

2005年06月25日 | Weblog
 これは面白い!

 これまで、僕の中での「スター・ウォーズ」は「帝国の逆襲」だった。
 やはり、あの暗さや悲劇性は捨て難い味がある。
 そういう意味では、「ロード・オブ・ザ・リング」もやはり、第二作なんだよなあ。関係ないけど。
 そして遂に「スター・ウォーズ」の最終章。知っての通り、ジョージ・ルーカスは最初、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、を作り、その後で、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、を作った訳で、今回の「シスの復讐」、つまりⅢが、そのままⅣに繋がっていくわけだ。
 僕は映画の上映中、腕時計を見るのに2つのパターンがある。
 ひとつは、面白くなくて、早く終わんないかなと時計を見るパターン。そして、もうひとつのパターンが、余りの面白さに、まだ終わんないでくれ!時間よ止まってくれ!っていうものである。
 兎に角、怒涛の如く物語が展開する。
 興味はたった一点! どのようにしてアナキン・スカイウォーカーは暗黒面に陥り、ダース・ベイダーとなるのか。
 さすが、ジョージ・ルーカス監督。到達点は観客の誰もが知っているのに、畳み掛けるようなバトル・シーンの連続で、息つく暇も与えてはくれない。
 悪は善で、善でも悪に成り得る。
 暗黒面に落ち込むアナキンがいい。誰もが納得してしまう。スターウォーズが、ダース・ベイダーを中心に周っていることがこれで解る。
 それからヨーダ。カッコいい!! チューバッカも出るし。
 2時間30分、観終わった後、全てを納得する。そうか、そういうことね。じゃあ、またⅣから観ようか。っていう感じ。
 のっけから、30分に及ぶ大バトル・シーン。それから、ラストのふた組による壮絶なチャンバラ。
 「USAトゥデイ」のコメントが一番的確にこの映画を語っているような気がする。
 「全6作の中で一番暗い! でも、シリーズ最高傑作!!」
 大正解。
 
 

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「週末に時間は流れる」

2005年06月24日 | Weblog
 暑くなってきた。
 一番好きな季節がやってくる。夏。

 今日は、朝から上司に怒られる。
 対等じゃないっていうのは本当に辛い。○か×かで語れない、とても複雑な経過というものがこの世の中には存在していて、一方的に高圧的な態度で迫られても、抗弁するだけの時間も与えられる訳ではないから、結局沈黙せざるを得ない場合が多々ある。
 そうして、今日もまた、雪のような灰汁(あく)が少しずつ溜まってゆく・・・。
 やれやれ。
 でも今日は金曜日。もう少しの我慢だ。と、自分に言い聞かせ、缶コーヒーを飲み干した。

 夜になってもそのムシャクシャは消えず、車を出して独りでドライブ。
 山下達郎の「ライブ」を大音響で聴きながら、猛スピードをあげる。
 今日は山だな。行ける所まで行って戻って来る。ようし。それがいい。
 体が石のように重く、そしてだるい。
 こんな性格じゃなかったのに・・・。
 学生の頃は、自分で言うのもなんだけど、明るくて前向きで楽観主義者だったのに。
 いつから、こんなふうになっちゃったんだろう。
 これも、みーんな仕事のせいだ! 人間という生き物を信じられなくなったのも、全ては仕事のせいだ! などと、独りごちてみた。何も変わらないけどね。

 でも。
 明日からは二連休。
 走って、読んで、映画を観て、ゲームをする。
 何たって「スター・ウォーズ」が観れるのだ! これくらい、どうってことはない。
 うん!

 

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映画「サイドウェイ」は極上のワインの香り。少しぐらい「寄り道」をしたっていいじゃない?

2005年06月23日 | Weblog
 大人になる。
 恋をしたり別れたり、それから仕事で成功したり失敗したり。
 たまには、とても疲れることがある。ふーっと一息入れて休みたい。何処か遠い所に旅をしたい。あるいはまた、誰かと二人でゆっくりと過ごしたい。
 誰にでもある、本当の自分に戻る瞬間だ。

 映画「サイドウェイ」は、アカデミー賞5部門にノミネートされた。そして、ゴールデン・グローブ賞の作品賞と脚本賞も受賞した。なんと全部で84の映画賞に輝いたのである。
 監督は、ジャック・ニコルソンが主演した「アバウト・シュミット」のアレクサンダー・ペイン。
 主人公は、離婚のショックから立ち直れない中年男性。
 何事にも消極的で、全てを悲観的に考える。小説家を目指しているが、中々出版にまで漕ぎ付けない。
 友達がいる。大学時代からの親友で、一週間後に結婚を控えている。プレイボーイで、結婚するまでに、何とか他の女性とアバンチュールを愉しみたいと思っている。
 そして二人は、ワイン三昧の旅をすることに決める。ちょっとお互いの思惑は違っているのだけれど・・・。

 カルフォルニアの二人旅。
 ワインへの薀蓄を語る。時にはユーモラスに。そして時には恋愛に絡めて。
 実在のビンテージ物がたくさん登場する。
 ワインのピノ・ノワールについての語りが素晴らしい。飲みたくなる。映画を観ながら、何回、喉がゴクンと鳴った事か・・・。
 今月号の「ミュージック・マガジン」をペラペラと捲っていたら、評論家の今野雄二がこの映画に何と「満点」をつけていた。
 うーん。そこまでではないけれど・・・。

 後半、俄然面白くなる。
 少し笑わせ、少しほろりとさせられ、そして胸が熱くなる。
 「寄り道」をしたっていいじゃないか。人生、少し休んだっていいじゃないか。そんなふうに思えてくるのである。
 ラストもいい。
 でもそれは、実際映画館で味わっていただきたい。
 そのあとに、二人で美味しいワインでも飲んだなら、この映画の良さは何倍にも膨らむことだろう。

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「がんばって、いきまっしょい!」

2005年06月22日 | Weblog
 腰痛に、寝不足に、仕事場の引越しに・・・。
 疲れが溜まっている。このまま何処かの温泉にでも逃げ込んでぐっすりと眠りたい。
 それに昨日は無理して10キロ近く走ったから、乳酸が溢れ出ている。って、勿論、単なる比喩ですが。
 久しぶりに古本屋さんに顔を出し、本を5冊買い込む。
 これがまた貴重な掘り出し物で、狂気乱舞。
 「世界文学全集 ジョン・オハラ『サマーラの町で会おう』」、高橋和己「我が心は石にあらず」(懐かしい! 全共闘のバイブル!)、庄司薫の「バクの飼主めざして」(しっかし、「赤頭巾ちゃん、気をつけて」の庄司薫は今何処にいるんでしょう?)、椎名麟三の「懲役人の告発」(この小説を学生時代に読んでぶっ飛んだ!)、それからそれから、福永武彦の「海市」(大好きな作家だった)。
 これらの名作、たったの200円! いやはや・・・。
 週末、じっくりと読み直そう。

 夜、眠れなくて、絶えず目を覚ます。
 色々な事を考え、結論が出ないままで拡散してゆく。その繰り返しである。
 うとうとしながら迎える朝は、清々しさとかから大きく乖離していて、心の底に溜まった膿が、ずっと沈んだままで残っているのだ。
 1998年の日本映画で「がんばっていきまっしょい!」という、なかなか良く出来た映画があった。
 「シャル・ウイ・ダンス?」の周防正行が製作を務め、監督は磯村一路。
 確か、田中麗奈のデビュー作だったと思う。高校のボート部を描いた瑞々しい青春映画だった。
 
 僕は仕事帰りの路を自転車に乗っかって、独りぽつりと呟いてみる。
 「がんばっていきまっしょい・・・」。
 でもその呟きは、6月の初夏の夕暮れの中にゆっくりと溶け出して、やがて跡形もなく消え去ってしまった・・・。
 

 
 

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映画「サハラ 死の砂漠を脱出せよ!」。これが全米ボックス・オフィス第1位?ちょっと信じられない。

2005年06月21日 | Weblog
 アメリカの全米ボックス・オフィスで初登場第1位に輝いた「サハラ 死の砂漠を脱出せよ!」。
 ところが、二週目からは失速、結局1億ドルには届かなかったのではないだろうか。
 映画そのものよりも、話題は、この映画で競演したマシュー・マコノヒーと、トム・クルーズの前の恋人ペネロペ・クルスとの熱愛だったというのも皮肉な話ではあるけれど・・・。
 
 原作はクライヴ・カッスラーの冒険小説「死のサハラを脱出せよ!」。
 この小説は全世界で大ベストセラーを記録したものだが、そこはやはり、原作がよくても映画も素晴らしいとは限らない。
 兎に角、前半の30分、何のアクションシーンもなく、淡々と進む。
 まあ別にそれは構わない。それなりの緊張感と伏線がありさえすれば・・・。
 ただ、観客は、この映画、アドベンチャーとかジェットコースター的展開を求めて観に来ているのである。
 実際、前に陣取っていた若いアンチャン二人組、途中で痺れを切らしたのか、席を立って最後まで戻ってこなかった。
 ようやく、後半からアクションシーンの連続とはなる。
 ても、話そのものも平坦で、特にひねりを効かせたものでもなく、環境問題とかアフリカの独裁政治体制とかを散りばめ、それなりに工夫をしているのは解るのだが、何となくチグハグに最後まで進んでしまう。
 全体の流れも明るく肯定的に描かれていて、どちらかと言えばスカッと爽やか系統アクション映画なのだが、余りにも濃淡が有り過ぎた。
 
 お宝探しとサハラ砂漠という小道具は揃っているのに、それを使い切ることが出来なかった、脚本と監督の責任ですね。はい。
 

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鈴木雅之コンサート・ツアー「EVONY&IVORY SWEETS25」はこれまでのベスト・ライブだ!

2005年06月20日 | Weblog
 シャネルズからラッツ&スター、そしてソロ・アーティストに。
 鈴木雅之の音楽の変遷には、常に黒人音楽が寄り添っている。
 彼が25年の長い年月、音楽業界の中でその地位を築いてこれたその理由はたくさんあるだろう。
 まずはその歌唱力。鈴木雅之の声はソウルがよく似合う。
 そして、次に挙げられるのが、やはり企画、プロデュース力ではないか。
 彼は、様々なアーティストとのコラボレーションの成功によって、これまでの25年間の長きに渡るレコードセールスをキープし続けてこれたのである。
 大沢誉志幸、小田和正、井上大輔、山下達郎、竹内まりあ、大滝詠一、吉田美奈子、槇原敬之、ゴスペラーズなどなど。
 この超一流のアーティストたちとの楽曲の競演で、アルバム自体の完成度を上げ、様々なヒット曲を生み出してきたのだ。

 そして今回の25年目を迎えた鈴木雅之のコンサート・ライブ。
 これがまた素晴らしい出来栄え。
 満員の観客も一曲目から総立ちで、彼の歌やパフォーマンスを煽る。
 バックはコーラスを入れて9人編成。ステージの奥に2つの巨大スクリーンをあつらえ、曲ごとにそのイメージを喚起させる映像を流すのだが、それがまたソウルでメロウな雰囲気を大いに高める効果を倍増させる。
 圧巻はアンコール。
 シャネルズとラッツ&スターのヒット曲メドレー・オンパレード。
 観客が全員踊り出す! 
 ライブそのものも、2時間30分にも及んで、日本の1980年代音楽シーンの一旦を再現しているよう。

 スイートでソウルフルで、それでいて深い部分を謳い上げる。
 鈴木雅之はまだまだ健在だ。

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「夏の気配」

2005年06月19日 | Weblog
 日差しが夏を感じできた。
 もう6月も後半に突入、来月はいよいよ7月だ。
 個人的に関わっている様々なイベントも本格的に動き出す。
 
 青森市古川にあるビルを借り上げて行う「空間実験室」の長期に及ぶイヴェント。その中の「映画ウイーク」が8月中旬から実施される。
 「LOVELESS」という、仲間たちと製作中の短編映画もそこでは上映される予定だ。
 
 それから「シカゴ・ブルースライブ」。これが7月21日と22日の二日間。
 21日は浪岡の道の駅。22日はアスパムの青い海公園。
 何といっても、今回は超大物。
 ブルース・ハーモニカのマスターでもある「ビリー・ブランチ&ザ・サンズ・オブ・ブルース」の面々である。
 ビリー・ブランチは、過去に、BBキングやエリック・クラプトンらとも「グラミー賞」を最後まで争った大物である。
 真夏の夜に野外で聴く、というよりも一緒に踊る、熱いライブになるのではと期待している。
 それに、先日、シカゴから帰ってきた知り合いによれば、来年からはもっと凄いことになりそうな気配。それはまた次ぎの機会に。
 
 「あおもり草子」のねぶた特別号に載せる原稿が完成。
 「ねぶたー祝祭と蕩尽の喪失、そして、あらかじめ失われたトリックスター」という題で送付。
 「日本雪氷学会」へ応募する論文の原稿締め切りも迫っているし・・・。
 本当に時間が欲しい。

 MIXIでの、見知らぬ仲間たちとの会話のキャッチボールがとても楽しい。
 って言うか、顔見知りもたくさん参加しておりますが。
 そのコミューンで、hulotさんという女性の方と知り合い、何度かやりとりしていたんだけど、その人の「ブログ日記」、これが凄い。
 音楽、特に黒っぽいジャンルに造詣が深く、日記そのものもとても清潔で美しい文章を紡ぐのである。
 ところが何と、「このたび諸事情でMIXIを退会します」とのメッセージが。
 悲しいなあ。ああ、「ブログ日記」、お気に入りに追加しておくんだった!
 だってまさか退会するなんて思っていなかったし。
 いやしかし、世の中にはホント素晴らしい人間がいっぱいいるんですね。

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「橋本尚恣版画展、夜の雨音、ファイアー・エムブレム、熱い珈琲、そして永井龍男の短編『蜜柑』のこと」

2005年06月18日 | Weblog
 金曜日の夕暮れ。
 僕は自転車を飛ばして中心市街地に向かう。「画廊あるち」で開催されている「橋本尚恣版画展」に行くためだ。
 螺旋階段を登ると、見慣れた顔がいっぱい。
 全員がMIXIの仲間たちだった。
 突然、何故か「新バトミントン部」が結成される。マジっすか? 

 橋本さんの版画をじっくりと鑑賞。
 「雨月と物語」、「寂しい広場」、「イイワケ」、「音楽になる」という作品が心に響く。
 自分の中に根付く、とても暖かなもの。自分の中で漂う、とても穏やかなもの。そして、自分の周りをゆっくりと回っている、とても揺ぎの無いもの・・・。
 それらを、掻き混ぜ、篩(ふるい)落とし、小さく凝縮したあとに残った何か。その何かがここには確かに存在する。
 焙(あぶ)り出すこと。削ぎ落としてゆくこと。
 僕は、そんな心の染みの群れをこの作品群の中に見つけるのだ。
 人肌のような優しい火照りと一緒に・・・。

 家に帰って、ゲーム・キューブ版の「ファイアー・エムブレム」。
 しっかし、シミュレーションRPGって何でこんなに面白いんだろう! 仲間を一人も死なせる訳にはいかないから、仲間が死んじゃうと、また最初からやり直すためにもう何十回となくリセットボタンを押している。このゲーム。やはり名作!

 外は雨。
 珈琲を飲む。静かな夜だ。
 僕は、本棚から分厚い本を一冊取り出す。「戦後50年の作家たち 短編小説傑作選」という、1995年に出された「文藝春秋」の別冊である。
 ここに収められた日本を代表する作家たちの作品に目を通すことが僕の楽しみの一つなのだ。
 その中でも特に素晴らしい短編がある。
 永井龍男の「蜜柑」という作品である。
 僕は、この小説を一体何百回繰り返して読んだだろう。それほど素晴らしい短編小説である。
 
 男と女は不倫をしている。
 男はもうその女に飽きがきている。別れようと思っているのだ。二人で箱根のホテルに一泊して、二人は別れることで決着する。最後の逢瀬である。
 朝が来て、二人はタクシーに乗り込み、それぞれの家まで一緒に帰ることにする。
 風が強い。まだ寒さの残る三月である。
 タクシーの運転手が話し掛ける。女は「今度はいつ会えるの?」と甘い声で囁いてくる。もう別れる事に決まっているのに・・・。
 そして、ここから最後の蜜柑が現れる箇所まで、無駄なものなど一切ない。

 とても静かな小説だ。朝方の強い風の響きが目に浮かんでくる。タクシーの中での二人の会話がいい。震えが止まらないほど美しい文体。
 あらゆる余計な描写を削ぎ落とし、簡潔でしかも透明感がある。それから、凄まじいまでにエロティック。枚数にして数枚の小説なのにである。
 しかし、その中に濃縮されている心の襞(ひだ)と言ったら・・・。

 野間文芸賞や芸術院賞も受賞している、日本文学界の巨星。凄い!
 

 

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「バットマン ビギンズ」。マーベル・コミックのヒーローたちは、その誰もが心を病んでいる。

2005年06月17日 | Weblog
 ティム・バートン監督の「バットマン」は、それなりに、ゴッサム・シテイの暗さと対を成す形でバットマンの苦悩を捉えていたように思う。
 ちょっと異質で異形なものたちの悲しみを、そこに的確に映し出していた。
 ところが、それを引き継いだ監督のジョエル・シュマッカーから、バットマンは迷走を始める。ジョエル・シュマッカーは割りと好きな監督だけど、そこはやはり向き・不向きがある。
 少し大味のアクション映画になってしまい、コミカルな要素が増してしまった。
 それから今日に至るまで、ずっとバットマンは封印されてきたのである。

 そして、ここに満を持して、ワーナー映画は監督にクリストファー・ノーランを起用した。
 正解である。
 「メメント」もよかった。それから「インソムニア」も。
 「メメント」では、すぐに今ある記憶を失ってしまう男が、殺人事件を解き明かしてゆく姿を、時間をぶった切ってバラバラにばら撒く形式で撮った、その斬新なスタイルが受けたし、「インソムニア」も、偏執狂の殺人者の罠にハマってゆく一人の刑事を乾いた文体で捉えていた。
 暗いトーンで、しかも冷たい色彩。
 これとバットマンが混じり合わない訳がない。
 主役もクリスチャン・ベールである。一筋縄でいくはずもない。そして、なんと善人側にはゲイリーオールドマン。
 硬質で暗色で冷たい質感。
 これこそがバットマンにはよく似合う。

 しかし、マーベル・コミック恐るべし!
スパイダーマンしかり、Xメンしかり、デアデビルしかり。
 誰もが闇を抱え、悪の世界に絶望している。誰からも受け入れられず、苦悩と絶望の世界に生きている。
 これも、またひとつのアメリカである。



 

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「誰か故郷を想はざる」

2005年06月16日 | Weblog
 若い頃、ずっと東京に憧れていた。
 高校生の時は、アルバイトをして金を貯め、夏休みと冬休みは必ずと言っていいほど東京に行った。板橋と大船と蕨の親戚の家を転々と泊まってあるいた。
 高校を出たら、こんな憂鬱な街は飛び出すのだと、毎日それだけを考えていたのである。
 都会は、僕にとって「約束の地」であった。
 あそこに行ったら、僕は輝くことが出来るという、ただそれだけを想って生きていたのだ。何の根拠もなかったのだけれど。
 僕の中に息づく東京は、いつも快晴で、そこは何故か暖かい空気が漂っている。それから、上手く言えないけれど、恋の匂いも・・・。
 
 寺山修司は、「私は、『東京』という言葉を聞くだけで、胸が熱くなった」と言っている。
 凄く解る気がする。
 でも寺山修司は、東京という街に暮らすと同時に、今度は逆に猛烈な望郷の念に駆られた。それは彼の映画や前衛劇や言葉の隅々に流れている(「戦後60年の透視図ー朝日新聞」)。
 
 僕もそうだったから。
 僕は、東京の板橋区大山という街の8畳の木造モルタル造のアパートの2階に住み、今度は激しい望郷の念に囚われたのである。
 そして毎月のように青森の街に帰った。
 夜の11時30分(だったと思う)の上野発青森行きの最終急行列車に乗り込むのだ。
 車内はがらんとしていて、懐かしい津軽弁が聞こえてきた。僕は、四人掛けの座席を一人で占領して、そこで眠った。いつも荷物は持たなかった。
 青森駅には11時半ごろに着いた。約半日の旅。
 浅虫温泉が見え、高架線を上ると街が覗いた。そこから僕の家が少しだけ見える。
 がらんとした、そしてのんびりとした風景。
 僕は、そこで朝方まで地元の仲間と遊び呆け、金が無くなると、友達の家でアルバイトをし、飽きるとまた東京に戻った。いい加減な生活。
 勿論、学校へはほとんど行かなかった。

 僕は今、青森駅までの道を走っている。ジョギングするために。プラットホームと平行する道路を青函連絡船まで走り、海沿いに抜けるのである。
 今でも時々、胸がきゅんとなる。ここを走るたびに。

 でも、そのまま駅の改札口を抜け、列車に乗り込むことはもうない。
 東京の街は、僕の中で、前よりもずっとずっと遠くなっている・・・。
 

 

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