淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「追憶」

2007年08月31日 | Weblog
 過去なんて記憶の中から消えてくれたらいいのに・・・。
 何故、こんなにも過去に縛られ、過去に悪さをされるんだろう。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「子供」

2007年08月30日 | Weblog
 何でこう子供なんだろう。
 何事にも甘え、責任回避を繰り返す。



 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「一切」

2007年08月29日 | Weblog
 一切は空である。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「暮夏」

2007年08月28日 | Weblog
 夏が終わる。
 そして、秋がやって来る。変わり映えのしない、淋しい秋が・・・。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「回帰」

2007年08月27日 | Weblog
 何が吹っ切れたような気がする。
 でも、これだってまた、いつもの自分に戻ってしまうんだろうな。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「12月26日に会いましょう!!」

2007年08月26日 | Weblog


 お酒をやめて、体を鍛え、3食きちんと食べ、早寝早起きをする。
 本を読み、物語を書き綴り、音楽を聴き、たまには映画も観る。
 静かに、そしてゆっくり落ち着いて物事に対処することを心掛け、いらないものを削ぎ落とす・・・。
 
 4ヶ月間休みます。
 12月26日に、ここでまた会いましょう!


 こうなったら、もう一切の過去を肯定してやるっ!
 




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「good vibrations」

2007年08月26日 | Weblog
 昨日のコンサートの余韻がまだ醒めず、体の中が火照ったままだ。
 やはり、プロは違う。
 削ぎ落とすものは削ぎ落とし、エネルギーに変えるものだけを即座に取り込んでいる。余計な事は考えず、いまここにある大事な事だけに集中する。
 ドリカム吉田美和、恐るべし!

 結局、数時間の睡眠を取っただけで朝の7時半ちょうどに起床。
 知り合いの女性の引越しの手伝いのため、市内東部方面までトラックを借りに自転車を漕ぐ(別におかしな関係じゃありませんから)。
 朝は気持ちがいい。爽やかな風が街を走っている。

 歓楽街を通ったら、朝方まで営業している飲み屋から出て来た酔っ払いたちに遭遇。ぐでんぐでんに酔っている。
 雑居ビルの片隅で寝転がっているサラリーマン風の男性。それから店を退けたウォーター・フロントのケバイ御姉ちゃんたちが缶ビール片手にお喋りに興じている。夜の歓楽街の狂乱が、日曜の朝まで引き摺っている。
 おいおい、美しい夏の朝だぜ。
 清々しい朝の空気とは正反対の世界。まあ、俺にもそういう愛と快楽の時期があったけどさ・・・。

 午前中は、その引越しの手伝いと、別な所用であっちこっち。
 午後にやっと独りの時間。
 ランニング用の衣服に着替え、海へと急ぐ。
 中心市街地の一角に備え付けられた温度掲示板を見たら、なんと32度! まだまだ暑い。でも今日で最後かもね。
 次の土曜日は9月1日だ!

 約10キロを走る。
 汗でTシャツはびっしょり濡れている。薄曇の空から時折り痛いほどの日光が照り付け、まるで最後の抵抗を試みているよう。
 ランニングを終え、青森発祥の地、善知鳥神社の境内にある湧き水をゴクゴク。美味い! 

 家に帰ってシャワーを浴び、髭を剃って、観終えた北野武監督のDVD「菊次郎の夏」を返しに駅前の市民図書館まで。
 やはり映画「菊次郎の夏」は、これまでの北野武監督の作品の中でもベスト5に入る佳作だと思う。ちょっと後半部、息切れするけれど・・・。

 返すついでに、フランコ・ゼフィレッリ監督の「ブラザーサン、シスタームーン」のDVDと、本を一冊「しみじみ読むアメリカ文学」(何て安直なタイトルなんだ!)借りて、そのまま青函連絡船「八甲田丸」の先まで。

 350mlの缶ビールを一本、駅前のコンビニで買い求め、海を見渡すベンチに腰掛け、独りハッピーバースデイと洒落込んだ。
 美味しい。

 海風が心地よい。
 青森ベイブリッジを渡る車の騒音が微かに流れてくる。目の前の空を青森空港に着陸する飛行機が横切った。東京発だろうか、それとも札幌発だろうか。
 曇った空なのに、なぜか優しい。さざ波が湾をゆっくりと走っている。

 8月最後の土曜日。晩夏。秋がもうすぐやってくる。
 ほろ酔い加減で目を閉じた。
 先週、某女史に言われた一言が蘇る。「少し落ち着きなさいよ」。そうだ、落ち着こう。余りにも狂乱な私生活を送り過ぎた。特にこの一年間は・・・。
 地に足をつけよう。目標をきちんと定めよう。

 もう、自堕落で放蕩な生活には飽き飽きした。真っ当に生きたい。

 夕飯は、海の近くにある老舗の鰻屋、「Kよし」。
 白焼に、漬物、それと冷えたビール。
 最後の晩餐だと思うと、ビールの美味さも半端じゃない。わさび醤油に鰻の白焼を少し浸して口に運ぶ。美味い。
 お店はかなり混んできた。本当は「う鍋」を食べたかったけれど、予約だけなのだとか。残念だ。

 瓶ビール2本で、お酒を封印。もう飲まないぞ。4ヶ月間!

 夜の帳(とばり)が降りて来る。
 コンビニで若干の買い物をして、千鳥足で家路を急ぐ。夜の風は初秋の予感がする。この前向きな気持ち、高揚感、久しぶりの感覚だ。

 グッド・バイ! ブレーション・・・じゃなかった、good vibration!
 4ヶ月間、酒も絶って、あれもこれも封印して、それでも何も産み出す事が出来なかったとしたら?
 いいじゃん。それはそれで。

 ビーチ・ボーイズの名曲じゃないけれど、グッ、グッ、グッ! グッ、ヴァイブレーション!
 
 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

07.8.25、DREAMS COME TRUE「ドリカムの夕べinつがる」野外コンサートを観た!

2007年08月25日 | Weblog
 快晴の土曜日。
 夏ももう終わろうとしている8月最後の土曜日は、まだ夏全開。
 仲間と車2台に分乗して、つがる市「つがる地球村 円形劇場」で開催される、「DREAMS COME TRUE」の夏野外コンサートに行くためアクセルを強く踏む。

 ソウル・メイトであるS女史にお願いをして、ブラチナ・チケットをなんとか2枚ゲット(一生恩にきます!)。
 喜び勇んで、某飲み屋を経営する友達と2人で行くことにしたのだけれど、友人繋がりでチケットを持った便乗者が増えてゆく。
 なので、男女混合でワイワイガヤガヤとコンサート会場を目指す。

 会場まで大渋滞が続くと踏んでいたのに、わりとスイスイ車は流れていてびっくり。
 五所川原市を抜け、旧森田村にある「つがる地球村 円形劇場」まで約1時間の小旅行。
 駐車場に車を停めて、そこから数百メートル先の会場まで歩いてゆくと、会うわ、会うわ、同じ組織で働くあの人、この人。
 「おおーっ!」とか「あんたも来てたの?」とか、歓声が上がる。狭いね、あおもり。

 コンサートが始まる午後5時ちょっと前にギリギリセーフ!
 会場は超満員。太陽はまだ燦々と照りつけている。
 森の中にある円形劇場は、中々いい雰囲気を醸し出している。蝉の声が聞こえてきた。

 5分程度の遅れで、いきなりドリカム登場!
 バックバンドの数も半端じゃない。20人近い大所帯。全員総立ち! 大歓声が森を揺らす。

 1曲目が「うれしい!たのしい!大好き!」。そう来たか。
 「JET!!!」に「go for it!」に、そして「マスカラまつげ」も歌う。おいおい、随分早くから飛ばしてない? 大丈夫なの?

 前半、スローナンバーは一切なし! サックスにエレクトリック・ピアノ、バック・コーラスも3000人ものオーディションで選ばれた男女2名が加わり、音の厚さもドーム・コンサート級の凄さだ。

 MCで、吉田美和が「現在日本の主要ドームで行っている『ドリカム・ワンダーランド』の曲はほとんど全て今回のコンサートでもやるからねーっ!」に、観客全員、感激の雨あられ。
 吉田美和、青森でのコンサートが8年振りだと言う事もさり気無く話す。僕は、去年の「横浜ドーム」でのコンサートにちゃんと行ったもんねえ。
 別に自慢にもなんないけど・・・。

 「大阪LOVER」に「うれしはずかし朝帰り」もやってくれた。「大阪LOVER」は、少し異色だけれど、ドリカムらしいノリのいい曲。多分、次のアルバムに入るのだろう。

 時間はもう1時間過ぎている。飛ばし過ぎだよなあと、ベースの中村正人が呆れ顔で笑っている。確かに飛ばし過ぎ。っていうか、フル・スロットル!

 夕闇が迫ってくる。
 西の空が赤く燃え、透明な空が少しずつ色を変えてゆく。
 ここで、曲はスローなバラードへとその色彩を移す。「空を読む」、「星空が映る海」、「悲しいKiss」。
 完全に夕闇を意識しての選曲だろう。上手い演出だ。

 空にはぽっかりと半月が浮かび、一番星が濃い青色の中に光っている。
 ライト・アップされたステージで、今度はまたまた一転、アップテンポの曲調。
 「HAPPY HAPPY BIRTHDAY」はちょっと嬉しかった。だって、明日俺の誕生日だし・・・。何か、本当に俺だけのために吉田美和が歌ってくれているような錯覚に襲われた。

 「未来予想図Ⅱ」を熱唱すると、何人かの女の子が目頭を押さえている。これは感激するよなあ。
 ついにラスト。「あの夏の花火」だ。
 コンサート会場の後ろから大きな花火が打ち上がって、コンサートは最高潮!
 ウオーという地響きのような大歓声だ。

 アンコールでは、「きみにしか聞こえない」と新曲ホヤホヤの「ア・イ・シ・テ・ルのサイン~わたしたちの未来予想図~」。つまり未来予想図第3弾ね。この曲も名曲の予感。
 そして、アンコール最後は、必殺「決戦は金曜日」!

 何10回ものウエーブが繰り返され、感激した吉田美和が思わず涙する場面も。
 これで3時間だぜ! 
 天才は知力だけじゃないね、体力も凄い!!



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」最終回

2007年08月24日 | Weblog
 今日の日中も暑かった。
 週間天気予報を見てみたら、土日も最高気温は30度。まだまだ暑い日が続いてゆく。
 今夏、久しぶりに暑い季節を謳歌したような気がする。

 あと2日、日曜日をもって、ブログ日記「キース・リチャーズになりたいっ!!」とも暫しのお別れ。
 やはり、毎日原稿用紙4、5枚分の日記を、連続1,000日以上書き続ける作業は楽しいと言え、さすがに疲れてくる。
 何度も止めようと思ったけど、毎日たくさんの人が読んでくれるのでついつい頑張ってしまうのだが、最近ちょっとマンネリ気味だし、どうしてもやらなければならないこと(って、いつもこればっかりで、全然やりませんでしたが)があり、今回だけは4ヶ月間休筆させていただきます。
 そのまま止めちゃったら、その時はごめんなさい。
 しっかし、何で俺ってギリギリまで追い込まれないと動かないんだろう。嫌な性格だよ、まったく。

 それはそうと、なんとイーグルスが28年振りにオリジナル・スタジオ・アルバムを発表するらしい。10月29日全世界一斉発売だとか。
 うーん・・・。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」NO.46

2007年08月23日 | Weblog
 連日連夜、飲み会が続く。
 毎晩午前様なので、睡眠時間もよく取れない。読み掛けの本も机の上に乗っけたまま。疲労感と倦怠感だけが募ってゆく。

 猛暑はその後も続いているけれど、朝晩は涼しい風が部屋の中まで入って来る。
 日曜は誕生日。
 その日は、夕方近くいつもの岸壁に腰を下ろし、冷えた最後の缶ビールを呷り、それでお酒もジ・エンドにしよう。ずっとそう思ってきた。だから、独り静かにそうするつもり。

 持たなくてもいい荷物を持ち過ぎた。いらない荷物はその場に下ろし、身軽に道を辿って行きたい。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新作「SOUL電波」を聴いた。ああーっ。「クレイジーケンバンド」って何でこんなにいいんだろう?

2007年08月22日 | Weblog
 「クレイジーケンバンド」がデビューしたての頃、僕はボーカルの横山剣の歌う癖のある独特の声や、彼らの少し中年っぽい醒めたスタンス、それから崩れたようなコミックバンド的パフォーマンスに、どこか際物臭さを感じ取ってしまい、それからしばらく敬遠状態が続き、音楽自体もほとんど聴くことがなかった。
 僕が改めて彼らの音楽に触れたのは、2004年に発売されたアルバム「BROWN METALLIC」からだ。

 当時(2004年当時のブログ日記を見てもらえば一目瞭然だけど)の僕は、酷い落ち込みようが続いていて、連日連夜、夜の街に繰り出すか、すがるように心理学や哲学関連の本を読み漁っていた。
 毎日が耐えられなかったのである。
 今改めて考えてみると、よく持ったものだと自分ながら感心してしまう。仕事も忙しく、プライベートも最悪で、いいことなど何一つ無かった。

 特に、仕事が終わる夕方から夜に掛けてが酷かった。
 もうなんて言ったらいいのだろう。圧倒的な重圧感を伴って、胸の辺りから様々な負の感情が入り混じった「どろどろとした塊」が這い上がってくるとでも表現したら理解してもらえるだろうか。
 淋しさとか虚しさとか敗北感とか挫折感とか劣等感とかが、怒涛の如く襲って来る。そのままその場に立ち竦み、歩けなくなる。

 仕事場では極力明るく何事もなかったように平然と振舞っているから、仕事が終わるとそれまで溜まりに溜まっていた感情が、どっと体の中から噴出してくる。
 勿論、本当は仕事中でも、その耐え切れないほどの「塊」は次々と涌き出ていて、忙しさがそれらを隠しているに過ぎない。
 
 秋の夜は長い。
 やがて来る憂鬱で寒い冬。
 街はひっそりと静まり返り、自分だけが世界の片隅に取り残されているような感覚。このまま時間だけが無情に進んでゆき、やがて俺も死んでしまう。そこには一切何も残らない。空しい。ただ空しい。俺には何もない・・・。

 最終的にそれらの負の感情を伴う暴風雨から救ってくれたのは仲のよい何人かの友人たちである。僕は多くの友達から助けられた。それは今でも心から感謝している。
 そしてもう一つ。
 それは音楽だった。

 2004年の秋。とても苦しかった秋。今でも時々思い出す、あの壮絶な日々。
 僕はいったい何度、クレイジーケンバンドの「BROWN METALLIC」を聴いたことか。
 何遍も何遍も繰り返し彼らの曲を聴くことで、僕のボロボロに砕けた心は少しずつ穏やかに変わり、そしてまた大きくひとつへと静かに固まっていった。

 決して上手いとは言えない横山剣の声。でも、そこには、とても懐かしい雰囲気と前向きな力が漲っている。
 黒人音楽や、R&Bや、日本の歌謡曲だけではなく、世界各国で息づく素晴らしい音楽のいいところを素早く取り入れたチャンプルーな音の群れ。
 男の強がりや男の弱さ、女々しさ、それから大いなる遊び心が、聴いている人間にもきちんと伝わってくる。
 彼らはとても正直で真面目なのだろう。

 そしてここに、クレイジーケンバンド9枚目となるアルバムが発売された。
 「SOUL電波」。
 今回も全21曲というてんこ盛り。よくもまあ、毎回20曲前後の曲を取り入れられるものだと感心する。

 シングル発売された「タオル」や、「RESPECT!OTOSAN」、それから「てんやわんやですよ」など、ヴァラエテイに富んだ楽曲がたくさん詰まっていて、決して一本調子にならないところがまた、クレイジーケンバンドの凄さである。

 「タオル」という曲を聴くと、真夏の海に飛び込んだような爽快感に襲われる。
 歌詞の中に繰り返し出てくる、「考えるな! 感じろ!」。中々いい言葉だ。そしてこれこそが、クレイジーケンバンド自体を巧く表している言葉だと思う。

 クレイジーケンバンドは、今年で結成10周年だそうな。
 僕は、前段でも述べたように「BROWN METALLIC」からマジで聴き始めた後発ファンなので、それ以前の作品は余り知らない。

 今度は、ファースト・アルバムから順番に聴いてみようと思っている。
 クレイジーケンバンド。
 ほんと、和む。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8人の映画監督たちが綴った子どもへの優しい眼差し。映画「それでも生きる子供たちへ」を観た。

2007年08月21日 | Weblog
 「世界中の子供たちの窮状を救うために」とイタリア女優マリア・グラツィア・クチノッタ(よく知らない人ですが)という人の呼びかけに対して、ユニセフと国連世界食糧計画が賛同、世界7ヵ国から7組8人の映画監督が参加したオムニバス形式の映画が「それでも生きる子供たちへ」。

 最初、この映画を観ようかどうしようか暫く迷った。
 どうも子どもたちをテーマにした映画を観ると、涙腺が弱くなってしまうからだ。映画館で観るよりも、もう少し待ってDVDで観ようかなどとも考えたのである。
 結局、観ようと意を決し(って、それほど大袈裟な決意でもないけれど)、映画館へと直行した。

 しかしこの映画も、観客は全然いなかった。
 やはりみんな、「オーシャンズ13」とか「西遊記」とか「ポケモン」を観に行くんだろうなあ。
 世界の子どもたちがそれぞれ直面している困難や疎外、差別、貧困・・・。そんな事を深く考え、あえて直視しなくても、日々の生活はそれなりに厳しく、誰もが息苦しさを感じているわけで・・・。
 ならば、せめて休日ぐらい、そんな現実に戻されて深刻に考え込むような映画を観るよりは、豪快に、ストレスを解消するアクション映画とかお笑い映画を観るほうが当然いいに決まっている。よく解ります。
 ただ、だからといって、今ここにある問題をちゃんと把握する事さえも拒否してはいけない。世界を知らないことは、自分自身を知らないことへも繋がってゆく。

 この映画は、子どもの目線を借りながら、それぞれの国が抱える社会的な問題や現実そのものもまた描写する。
 大体一本の上映時間が約20分程度。それを各監督たちが自らのテーマに則って造り上げてゆく。

 まず第1話は、メディ・カレフ監督の「タンザ」という作品。
 ゲリラ部隊の一員として戦闘にかり出されているルワンダの少年の物語である。
 何人かが徒党を組み、銃を背負ってジャングルを彷徨っている。全て子どもたちだ。多くは語られないが、反対勢力との熾烈なゲリラ戦が行われていて、彼らはある日、敵側の村に出くわしてしまう。
 ところが、村の中の忍び込んだ場所は、子どもたちが通う粗末な学校の教室だった。そこで少年は、ふと机に座り、自分が通っていた頃の学校を懐かしく思い出す・・・。

 第2話は、エミール・クストリッツァ監督の「ブルー・ジプシー」。
 窃盗団の家族として生まれ、両親から盗みを強要されている少年が、窃盗で入った少年院での暮らしを忘れられず、過酷な社会での生活を拒否して、またその場所に舞い戻ってゆく話・・・。

 このように、映画は子どもを取り巻く苛酷な状況をも付加し、ある限られた時間を切り取りながら、わたしたちの前にその断片を提示する。
 
 第3話は、HIV感染者を両親に持ち、生まれた時からHIVに感染して、「エイズの子」と同級生たちから虐められている少女を真正面から堂々と描くスパイク・リー監督作「アメリカのイエスの子ら」。

 それから、カティア・ルンド監督の「ビルーとジョアン」は、廃品を集めて小銭に換え自活するブラジルの兄妹の物語。
 続く、ジョーダン・スコットが父リドリー・スコットと共同で監督した「ジョナサン」、この短編映画は、戦場体験ショックから精神的な変調を来たしてしまったフォトジャーナリストが体験する、子ども時代へのタイムスリップを幻想的に綴る。
 さらには、イタリアのステファノ・ヴィネルッソ監督作「チロ」。これは、大窃盗団の一員として生きる少年の物語。

 そして最後を飾ったのが、「フェイス・オフ」や「ミッション・インポッシブルⅡ」を撮ったジョン・ウー監督。
 この小品が、一番完成度が高かったように思う。
 それに続くのが、スパイク・リー監督による直球ど真ん中、「アメリカのイエスの子ら」だろうか。

 ジョン・ウー監督の「桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)」は、裕福な上流階級に暮らしながら、父親と母親の不仲によって愛のない家庭を強いられる少女と、その一方で、母親に生み棄てられ、ふとしたことから貧しい老人に拾われた足の不自由な少女との一瞬の出会いと別れを描いていて、感動を呼ぶ。

 僕はオムニバス映画が大好きだし、今回の小品集もいい出来映えに仕上がっている。
 心が少し洗われる。そんな感じかな。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルゼンチン映画「ボンボン」を、観客が僕以外誰もいない映画館で観た。

2007年08月20日 | Weblog
 映画の宣伝文句が「世界一ツイていないオジサンがある日、幸せを呼ぶ犬ボンボンと出会った・・・」というようなもの。
 これには、ちょっとカチンときた。

 何なんだ? 世界一ツイないって。
 そういう、安直な言葉で遊ばれると腹が立つ。まあ、たかが誇張されたPR用だろうとは思う。思うけれど、ツイてないとか不幸とかの文字に、オジサンを付けさえすれば何とか謳い文句になるだろうという、その映画会社側の見え透いた姿勢がいやなのである。

 自分は高みから見物し、少しだけ人生に戸惑っている人間を単に「世界一ツイてないオジサン」と見た目のインパクトで花火をあげる。
 やだなあ、そういうスタンスって。
 でも映画自体に責任はない。監督だって、そんなことを望んでいるわけじゃないだろう。

 それに、このアルゼンチン映画「ボンボン」に出て来る冴えない中年オジサンは、決して世界一ツイていないオジサンではない。
 どこかハニカミ屋で、世間とちゃんと対峙出来ずに戸惑う姿は、愛しいくらいだ。
 とても愛すべき男性なのである。

 映画を観てから知ったことだけれど、この映画の主人公を含め、出演者のほとんどが演技をしたこともない全くの素人なのだとか。
 やっぱり。
 だって、この「ボンボン」の主役を演じている中年男性の顔の表情、半端じゃなく素晴らしいのである。名演技である。
 少し照れくさそうに話す時の何ともいえない表情。自分に降りかかって来る様々な不幸を受け止める際の、達観したような淋しい笑み。とにかく凄い。
 悲しみを底に据えながら、あえて笑いを繕うような、そんな複雑な表情と言ったらいいのか。
 最初、アルゼンチンを代表する演技派俳優なのだと本気で思ったくらいだ。
 
 「ボンボン」は、主役の一人と一匹、つまり淋しい中年のオジサンと名犬ボンボンによって成り立っている映画である。
 主人公の中年男性は、寂れた郊外のガソリンスタンドで20年間働いてきたが、ある日突然スタンドが売却されて、あっけなくクビになってしまう。

 途方に暮れた彼は、娘夫婦の住む貧しい家に転がり込む。
 しかし娘の夫は、腑抜けにも引き篭もっていて家計は苦しく、幼い子どもたちの世話で、娘も疲労困憊し切っている。肩身が狭い。

 仕方なく、彼はオンボロ車に乗り込み、手彫りのナイフを売って生計を立てようとするが、それも中々うまくいかない。
 ある日、仕事の途中で車が故障して困っている女性を見つけ、修理を手伝ったお礼に、彼は白い犬を貰い受ける。

 その犬はドゴ・アルヘンティーノという血統書付の名犬で、ふと知り合った銀行員の紹介で犬の訓練師を紹介してもらい、ボンボンという名前を付けてドッグ・ショーに出場させることに。そこで賞金を稼ごうと考えたのだ。
 ところが、そのドッグ・ショーに、初出場ながらいきなり第3位という好成績を得て、彼は有頂天になってしまう・・・。

 映画「ボンボン」は、ヨーロッパで大ヒットしたらしい。
 幸福そうな犬のボンボンと、冴えないおじさんとの、新しい人生を探してゆく旅の物語である。アルゼンチン版「わらしべ長者」という文句も予告編では踊っていた。

 監督は、カルロス・ソリンという人らしいが、全く知りません。日本で上映された映画もあるらしいけれど、観ていない。
 この監督、「演技よりも、その人自身の言葉や表情を映画にしたい」と語っているが、確かに無名の人たちによる自然の演技がこの映画を支えている。
 俳優ではなく実際にパタゴニアで出会った一般の人を監督が気に入り、説得して映画に出演してもらったことが、「ボンボン」を成功に導いたのだろう。

 何度も繰り返すけれど、「世界一ツイていないオジサンがある日、幸せを呼ぶ犬ボンボンと出会った」ことから突然ツキ始める物語では決してない。
 そうではなくて、何処にでもいる、人生の後半期を迎え、明日への希望や幸福を見失いそうになった一人の人間の、再生への旅を描く、とても温かい映画が「ボンボン」なのだ。

 それにしても、映画館に入ったら、観客は僕ひとり。
 まあ、誰にも邪魔されずに貸し切り状態で観る映画というのも悪くはない。
 この映画を観ている間、独りでこんな旅が出来たらなあって、ずっと考えていた。

 あーあ。遠くへ行きたい・・・。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「BANKA」

2007年08月19日 | Weblog



     ふるさとは 深いしじまに輝きだす

                          





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「晩夏ーひとりの季節ー」

2007年08月19日 | Weblog
 静かにゆったりとした時間が流れる夏の午後、冷蔵庫から取り出した冷えた缶ビールの美味いことといったら、もう・・・。

 ステイーブン・ハンターのミステリー小説をベッドに横になりながら読み、少し眠くなるとそのまま眠り、また浅い眠りからゆっくり解かれ、本の続きを読んでゆく。そんな事を繰り返している。
 昨日、デパ地下で買い求めた鰊(にしん)の甘露煮を頬張りながら、とても冷たい缶ビールをあおる。今日はアサヒの「PRIME TIME」。
 鰊(にしん)の甘露煮が美味しい。

 今日は風も涼しく、どこかに秋の香りが含まれているよう。
 映画も観に行く気が起きず、ジョギングもしたくない。
 少しだけお昼近く、歩いて中心市街地まで歩いてお散歩。ちょうど今日は歩行者天国で、出店や自衛隊の展示車両や祭囃子のライブが執り行われていた。
 何人かの知人にばったりと会い、近況を語り合い、また別れてゆく。
 マックに入って、いつもの「マックフルーリー」を注文。2階のカウンターから日曜日の賑やかな街を頬杖ついて眺める。

 家に帰って、屋上にビーチ・チェアを持ち出し、しばしの日光浴。勿論、海水パンツ一丁で。
 で、そのあとはミステリーを読みながら缶ビールをちびちびと飲み、それから若干のお昼寝と相成った次第。

 冷蔵庫には、缶ビールが残り2本、そしてワインが1本と黒糖梅酒のボトルが1本。それで底をつく。これらを全て飲み終えたら断酒することに決めた。
 誕生日の来週日曜日から、酒は一切断つつもり。
 ブログも暫くの間、中断する。そのまま止めるかもしれないけれど・・・。でも一応12月26日までの4か月間は閉じるつもりでいる。

 夕方。
 またいつもの、何とも表現し難い感情が胸の奥辺りから湧き上がってくる。
 幾分、酔いも回っているからかもしれないけれど、切ないような淋しいような苦しいような、あらゆる負の感情が詰まった塊が、ぬーっと現われて来るのだ。
 でも、去年の秋から冬に襲って来た、あの圧倒的な耐え難い感情とは少し違うけど・・・。

 ちょっとほろ酔い加減のまま外に出て、いつもの指定席、青函連絡船「八甲田丸」の先の海を一望出来るベンチに腰を下ろす。
 釣り人がいる。孫を連れた老人がいる。観光客らしい女性2人組が、八甲田丸の前にある歌碑から流れる、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を聴いている。

 夏が終わる。

 青森駅の線路脇からプラットホームを眺めると、東京方面行きの列車は超満員。人でごった返ししている。東京かあ。東京・・・。
 街中はいつもより人が多い。行き交う人々は何故かみな楽しそうに見える。

 テレビでは日本テレビ「24時間テレビ」。
 しかし、なぜ萩本欣一を炎天下70キロも走らせなければならないんだ? これだとまるで拷問だろう? 
 第一、愛が地球を救ったことなんてあったのか? 地球は愛で救われた事など一度もない。勿論、救えるものなら救って欲しいが。

 虚構である。偽善である。
 莫大な放送費を投入して、愛などと平気に語って欲しくない。視聴率が欲しいだけなんじゃないの? などと、ひねくれ者のニヒリストとしては一瞬穿った見方をしてしまう。
 確かに、善意の募金はきちんと使われていくのだろうが、その純粋なボランティア側に対する非難ではなく、放送局の「反論出来ない善意」の姿勢が妙に腹立たしいのである。

 明日からは、5連続で飲み会が続く。
 アフガニスタンではまだ不安定な治安が続き、ペルーでは大地震で多くの人が亡くなった。子どもたちの犠牲者もたくさんいる。
 それなのに、この俺は、仕事が厭だ、飲み会が続く、人生なんて、などと瑣末な小さいことで喘いでいる。
 日本テレビを、俺は笑えない!

 ようは肝が据わっていないのである。度胸がないのである。腑抜けなアホなのである。単なる現状回避をしているだけの大馬鹿野郎なのである。

 いっつも、ぐだぐだと・・・。


 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする