淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「 1月 4日」日曜日曇り時々雪

2009年01月04日 | Weblog
 青森に帰ったその土曜日の夜は、駅前の友人宅へ。

 実は、恥ずかしい話ながら、まだ年賀状も書いていなくて、頂いた年賀状を見ながらひたすら書き上げるという最悪の状況に・・・。
 アクシデントは重なるもので、パソコンのプリンターが壊れ、仕方がないので速攻で郵便局まで出向いて、そこにある「謹賀新年」のゴム印を押すはめに。
 ごめんなさい!

 友人宅には2時間ほどお邪魔する。
 日本酒にワインにビールにと、色んなお酒が次々と現われ、全部飲んだので酔っ払ってしまった。
 その友達は家人が出かけているということで、2人だけで突っ込んだ話にまで行き着いてしまった。

 「やっぱり、哲学者の須原一秀の『自死という生き方』は凄い本だよね。絶望したり、世をはかなんだり、希望をなくして死ぬんじゃなくて、痴呆になったり、病気になって闘病生活を強いられたりして、他人に多大な迷惑を掛けるということを回避する意味からも、老いてもまだ幸せの絶頂のうちに自らを閉じる・・・これってかなり難しい行為だと思うけど、そういう考え方も少しは理解できるようになってきたんだよね」
 「俺も何となく解るよ。確かに若い人間はそういう自らを閉じるというような行為は絶対しちゃいけないと思う。可能性があって、生きるということに敏感な時代は、そんなことをしちゃ本当にいけないよね。家族や親もまだいるわけで。でも年を取って、やるべきことをやり、自分の夢を叶え終わったとしたら、元気なうちに幸福のままでこの世を去りたいという思いも、何となく解るんだよね・・・。でもまだ結論じみた事なんて言えないけどさ」
 「ただ・・・言葉では解るれど中々それを実行するなんてこと出来ないでしょう?」
 「まあ、それはそれとして、あの本が一石を投じたことだけは確かだよ」
 酔いが回り、その話で2人だけの宴会は終わってしまった。

 そして日曜日。
 今日も憂鬱な空が街を覆っている。
 郵便局で年賀状を出し、新聞社に提出する3編の最終原稿を仕上げ、東京に行っていたため挨拶出来なかった親類縁者の家に寄り、幾つかの所用を済ませた。

 時間が余ったので、久しぶりに海へゆく。
 青森港は少し波が高くて荒れている。遠くの山々の山頂には薄っすらと雪が被っていて、真冬の荒涼とした風景が広がる。

 今年は暖冬のようだ。雪も少ない。
 勿論、まだまだ冬はこれからだけど。

 本屋さんに寄ったら「津軽学」の第四号が平積みで何冊も置かれていた。
 何か照れくさい。
 今回は、「ジャワメク磁場 津軽その深層」というタイトルで、僕の「厳寒の風土が生み出す負の力 ルサンチマン」-『ルサンチマンたる演歌は電気羊の夢を見るか?」も連載されている。
 表紙に、評論家の三浦雅士氏や、「東北学」の赤坂憲雄教授と一緒に名前を連ねていることは、やっぱりちょっと嬉しいものだ。
 勿論、内容は月とスッポン、余りにも激しい落差がありますが・・・。

 明日からはまた仕事が始まる。
 まあ、こなすしかないだろう。
 でも、虚勢をはるわけじゃないけれど、実生活の煩わしさや生きてゆく上での苦しさや切なさに比べたら、仕事の苦しさなんて、蚊に刺された程度の痒さでしかない。
 いや、ほんと。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする