淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「えい ままよ! 落ちなば浮かぶ瀬もあらん」

2015年06月30日 | Weblog
 東海道新幹線で今日30日昼に発生した火災事故で、死亡者2人、重傷者3人、軽傷者23人にまでのぼった。
 報道では、原因は車内での焼身自殺だという。71歳の男性らしい。
 とても痛ましい事件だ。いったい何があったのだろう・・・。

 それにしても、世知辛い世の中である。
 でも、いつもいつの時代にも、必ず常套句でつくのがこの世知辛い世の中であるというフレーズ。
 ということは、どんな時代も必ず世知辛く、つまり、いつも暮らしにくい世の中だけは変わらないという、そういうことなんだろうな、たぶん。

 そんな今日も朝から夜まで忙しかった。
 暇なら暇で色々それを考え悩み、忙しいなら忙しいで悩み嘆く。結局、どっちに転んでも、悩み、そして嘆いている。

 禅の名言集を読んでいたら、剣の極意について書かれていた。
 こういう内容である。
 「振り下ろす剣の下こそ地獄なれ 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。

 つまり、敵が剣を振り下ろしてきてもそのままじっとしていたら、ただ切られるだけだと。ならば、一瞬の隙を突いて敵の懐に飛び込むか、捨て身覚悟でこちらも剣を振るって活路を見出すか。
 それしかほかに道はないのだと。

 またこんな言葉も添えられていた。
 「えい ままよ! 落ちなば浮かぶ瀬もあらん」。
 かならず道は開けるのだと居直って、その奈落の底に飛び込んでゆくしかないのだと。限界を突き抜けるには、この身を捨て去って全力疾走する、そこにこそ活路は見出せるのだと。

 いわゆる、「アクセル理論」である。
 ぶっち切るならば、中途半端な踏み込みはやめて、行くところまで一気に加速する(実際の公道でそうしろというのではなくて、そういう心構えで何事にも対処しろということですが)。

 なんか、こういう禅の本とか仏教の本をむさぼり読んでいる自分が今いる。
 ブログを書き始めた10年前とおんなじ自分がここにいる。
 この歳になってもまだ、迷い、戸惑っている自分がいる。

 数日前まで、読んだり思い浮かべたりしても、心にすーっと入り込まなかった箴言の数々が、今は、読むと確かに心がすーっと落ち着いてくる。そのことが自分でもよく分かる。
 先人たちの言葉は尊い。そして深い。

 禅語もまた、胸に迫る。
 仏教の教えも(もちろん、未だ表面的にしか読み込めていない愚かな自分がいるのだけれど)素晴らしい。
 心が洗われる。

 中国は唐の時代の高僧、無業禅師の言葉にも救われる。
 「莫妄想」(まくもうぞう)。
 妄想するなかれ!

 過去のことは忘れよ。考えるな。思い煩うな。苦しむな。
 妄想するな。
 今この瞬間のみを生きよ。

 莫妄想!






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絶賛されてるミューズ最新作「ドローンズ」を聴くも、まるで醤油のつけない冷奴を食べてるよう。

2015年06月29日 | Weblog
 考えるな、感じろという。
 今起きているすべては正しいという。
 小さいことにくよくよするな、しょせんすべては小さなことという。

 日日是好日という。
 色即是空といい、空即是色という。
 
 過去は引き出さなければ存在しないという。
 我ありと執着するところに一切の迷いありという。
 恨みは忘れるべしといい、人の小過を責めずという。

 分かってはいる。分かってはいるけれど、それでも悟れない。
 惑う。苦悶する。うちひしがれる。

 今日も仕事が終わって何処にも寄らずに家に帰って、そのまま着替えて外を走った。
 身体を動かしていないと、汗を掻いて身体を苛めていないと、色んな思いが次から次へと現れてくるので、とにかくひたすら走る。

 10キロ走って、シャワーを浴びて夕食を摂る。
 今日もお昼を摂らずに済ませた。お腹が全然空かないのである。
 体重も減り続けている。

 夕食を終え、音楽を聴く。
 イギリスの3ピース・ロックバンド、「ミューズ」だ。
 彼らの7枚目となる最新作「ドローンズ」をターン・テーブルに乗せ、パソコンを見ながら聴く。

 今年のフジ・ロックへの参加も決まり、最新作の「ドローンズ」、なんとアメリカ・イギリスでチャートの1位まで獲ってしまった。
 前作の「ザ・セカンド・ロウ~熱力学第二法則」も、世界21ヶ国でNo. 1を記録していて、それから約3年振りとなるスタジオ作がこの「ドローンズ」だ。

 ロック雑誌「ロッキング・オン」でも、ミューズの「ドローンズ」はこれでもかというくらいに大絶賛されている。
 確かに、ミューズはいい。
 ドラマティックで、サウンドスケープも壮大で、凝ったサウンドと圧倒的なテクニックと美しいメロディ、そしてキャッチーな上に知性が感じられる。

 最新作「ドローンズ」にはコンセプチャルなテーマ性がある。それはアルバム・ジャケットを見るだけですぐに理解できる。
 
 ところが聴いていて、特に何も感じない自分がいる。
 悪くはない。いいと思う。でも、さっきの食事とおんなじように、味がしない。美味しく食べているのかいないのかさえ、まるで曖昧なのだ。

 冷奴を、醤油も薬味も何もつけずに食べてるみたい・・・。
 「ミューズ」は全然悪くない。
 「ミューズ」にまったく罪はない。
 本当はすんごくいいんだろう、そう思う。

 ただ、オレがおかしいのだ。








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「Summer Soul」

2015年06月28日 | Weblog
 日曜日。今日も雨だ、うんざりする。そして気が滅入る。

 また、真夜中の2時に突然目が覚めてしまった。
 真っ暗闇に独りぼっち取り残されたような不安感に襲われて、結構辛かった。
 このままどうしようか、起きちゃおうか、それとも目を瞑って嵐が去るのを待っていようか。鬱々と考えているうちに自分なりの答えを何とか見出したら、また自然と眠りに吸い込まれていった・・・。

 日曜日の午前中は、なのでまったく起き上がれなかった。
 睡眠不足でぼーっとしていて、最近食事もちゃんと摂っていないので、何もする気が起こらない。

 お昼近く、何件もの仕事の電話が入る。
 お腹は減っていなかったけれど、食べないわけにもいかず、青柳にあるラーメン屋さんへ。
 ラーメンを注文するも、ほとんど味の感覚がない。無理して全部なんとか食べ終える。普通ならそれなりに美味しいラーメンなんだろう。お店自体も混んでるし。
 でも、美味しく食べているという感覚がまるでないのである。

 結局、仕事の電話の遣り取りに時間だけが過ぎてゆく。
 外は相変わらず肌寒い。
 憂鬱な雨だけがひたすら降っている。

 来週の日曜日、「青森マラソン」だということをすっかり忘れていた。どうしよう。
 ということで、久しぶりにスポーツジムへと向かった。
 体重を量ったら3キロ落ちている。
 ここ数日間で、3キロも!
 鏡を見たら、頬がこけていて、かなりゲッソリ。

 それでもジム仲間と話をしたら、気持ちが幾分和らいだ。
 全部のパンチをまともに受けるんじゃなくて、適当にかわしていればいいんじゃないの? 
 それは言える。

 それにしても、心というものは恐ろしい。
 何かの切っ掛けで、いきなりダークサイドへと吸い込まれてしまうからだ。
 そうなったら、もう最後。負の連鎖が凄まじい勢いでその心という奴に襲い掛かる。
 世界が反転して見える。
 過去も現在も未来も、そのすべての色がオセロで一気に変わっちゃうみたいに塗り替えられる。暗く、悲惨で、ジメジメしていて、暗鬱なものに・・・一瞬で!
 
 ああ、もう夏だというのに・・・。
 来週から7月が始まるというのに・・・。
 夏の魂がきれいさっぱり抜けちゃってるよ。










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「今日は一日中、激しい風と雨。仕事の合間ふと思う。偉人たちの尊い言葉も実践では何にも響かないと」

2015年06月27日 | Weblog
 朝から強い雨。
 気温も低い。

 朝9時から仕事。
 帰って来て、昼の12時過ぎからまた仕事が待っている。
 その間、だいたい2時間くらい時間があったので、家に帰って少し眠った。

 朝から下痢が止まらず、何度もトイレに駆け込む。
 激しい下痢である。
 食欲もまったくない。

 頬がこけてきた。
 体重も減って、微熱もある。

 本当は、もしも今日晴れてたら、久しぶりにその空いた時間をランニングに充てたいと思っていた。
 いつもランニングでUターンする「合浦公園」で、組織のみんなのソフトボール大会が開かれるはずだったのに、こんな雨降りじゃあ今日はたぶん延期だろう。
 ランニングしながらソフトボール大会を覗き、そこからまた帰ってこようなんて思っていたのに・・・。

 お昼からの別の仕事に行くため、独り、激しい雨降る中を歩いて中心市街地へと向かう。
 肌寒い。
 風を伴った雨が降っている。

 午後の仕事が終わったのが夕方の4時過ぎだった。
 帰り際、いつも通っている床屋さんの前を歩いていたら、お客が誰もいなかったので、久しぶりに髪を切ることに。

 それが終わっても、まだ外は明るい。
 もちろん、雨と風は相変わらず強いけど・・・。

 昨日の夜、とても恥ずかしい話だけれど、仕事の会合に出席して少し酔って帰り、真夜中、いつもラインをしている4人組の仲間からの書き込みを何気なく開いて読んだら、その内容の温かさに、いきなり涙が止めどなく流れて、マジで嗚咽してしまった。

 その仲間たちがマンションに集って今日の土曜日、焼肉パーティを開いているらしく、「今から、よんなよ?」とラインがあったので、車でちょっと覗きに出掛ける。
 30分もいただろうか。
 でも結構、みんなに向かって色々と吐き出した。
 ちょっぴり、スッキリした。

 炭酸水だけ飲んでそのままマンションを出る。
 帰りは浜田省吾を大音響で流す。

 色んな偉人たちが言ってきた、尊い箴言や名言を想い浮かべ、独り呟いてみる。
 でも、救われない。
 力なんて、全然湧いてこない。

 だよね。
 つまりは、平穏な人生の中にいたときにこそ言葉を磨き続け、それらを普段から真剣に心に刻みこんだ者にのみ、それらの箴言やアドバイスは生きるのだ。そうやってこそ、苦しくて辛いときになって、今は亡き先人達が苦しい人生の中で見つけた箴言が活かされるのだ。

 いいことじゃないか。
 歓迎すべきじゃないか。
 今ここから、新しい自分を造ればいいじゃない。

 苦難のときにだけはっきりと見えて来る何かが必ずあるはずだ。







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「もう、いいんじゃない?」

2015年06月26日 | Weblog
 「ぼくは人生に必要な能力を、なにひとつ備えておらず、ただ、人間的な弱みしか持っていない」

 カフカの言葉だ。

 人間は弱いと思う。完膚無きまでに弱い動物であると思う。
 でも生きてゆくしかない。
 そういう意味では、滑稽な、そして惨めな、喜劇的な、それから悲劇的な、そんな動物なんだろう。

 ということで、個人的なことを言えば、「もう、いいでしょう」。この言葉しか浮かばない。
 それでも人生は続いてゆく。

 そういえばカフカにはこういう箴言も残っている。
 「孤独さが足りない。寂しさが足りない」と。

 わかりました。
 もう、いいでしょう?
 許してください。

 すいませんでした。
 もう、ほんとにいいでしょ。



















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「6月終わりかけ、水曜日の夜の淋しいランニング」

2015年06月25日 | Weblog
 目茶苦茶走りたくなって準備万端整えていたのに、あまりにも身体も心も疲れていて、「やっぱ今日はやめーた」と、いったんは部屋にこもって「ドリアン」を聴いていたのだけれど、思い直して夜の9時過ぎ、ランニングシューズを履いて真っ暗な外へと飛び出した。

 約2週間ぶりの運動だ。
 夜道を走っていても、足が重く、どたんどたんと地面を踏んでる感覚があって、ランニングのキレがまったくない。

 気が滅入っている。
 怒りもある。
 無性に腹が立ってくる。

 でも、今ある自分は、すべて自分がしてきたこと、行動してきたこと、考えたこと、それらの帰結として存在する。
 だから、誰も責められないし誰も怒れない。すべては自分に帰ってくる。

 いま起こっていることはすべて正しい。

 責任転嫁してんじゃねえよ。女々しいふりしやがって・・・。
 いろんな感情が頭の中で渦巻くので、走っていても全然楽しくない。
 でも、走りたい。
 汗を掻いて、くたくたになるまで走っていたい。

 八甲田大橋の下をくぐり、広い操車場跡地に出た。
 ただっぴろい敷地の外周をなぞるようにして走る。
 ベンチに、カップルが一組だけ寄り添って座っている。隣接する駐車場に何人かの若者がたむろしている。細い月が真っ暗な空に浮かんでいる。

 時間を有効的に使い切るしかない。
 来月からは、東北地方全体を網羅している某新聞での連載も始まるし、なんか、書いて吐き出すことでギリギリのバランス保っている自分がいたりする。

 帰り路、誰もいない、静かなコンビニエンス・ストアの前を走りながら通ったら、どことなく淋しげに佇むその夜のコンビニエンス・ストアの外景が、20世紀を代表するアメリカの画家、エドワード・ホッパーの絵「ナイト・ホークス」と少しだけ重なった。










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ドリアンの「メロディーズ・メモリーズ」はトロピカルでキラキラしたディスコティックなサウンド満載だ。

2015年06月24日 | Weblog
 結構、傷ついた。
 というか、かなり傷ついた。

 そういうもんなんだろう、世間というものは。不寛容で無慈悲で、ここぞとばかりに他人を完膚なきまでに押さえ込む。
 あまりにも納得いかなくて、ムシャクシャしてきて、久しぶりに夜の街を思いっ切り走りたくなったのだけれど、一度横になってしまったらそこからもう動き始めること自体が億劫で、結局走るのをやめてしまった。

 疲れてる。

 仕方がないので、部屋に籠もって音楽を聴くことに。
 今夜は気持ちが異常にささくれ立っているので、明るくて夏向きなアルバムがいい。

 「ドリアン」のファースト・アルバム「メロディーズ・メモリーズ」だ。

 「ドリアン」は、ミュージシャン仲間である「七尾旅人」や「やけのはら」と一緒にユニットを仕組んだり、ひとり「ドリアン」名義で、打ち込み満載の80年代ディスコ・テイストな楽曲を発表してきた人物で、このファースト・アルバム「メロディーズ・メモリーズ」は2010年にリリースされた。

 とにかく、軽快なインスト曲と歌ものが上手に同居している。
 高中正義をもうちょっと軟弱にしたといったら、高中ファンには失礼だろうか。

 トロピカルで夏全開という感じで、真夏の海辺やドライブ中に聴いたら最高にテンションが上がるだろう。
 あまりにも能天気なサウンドが最高に素晴らしい。

 アルバムの中で光っているのは、なんといっても「Natsu no Owari feat. G.RINA」と「Shooting Star feat. TAVITO NANAO&YAKENOHARA」だろう。
 どちらもヴォーカル曲で、キャッチーでメロディアス。

 「ドリアン」のファースト・アルバム「メロディーズ・メモリーズ」を聴いてたら、少しは気分が落ち着いてきた・・・けど。
 それにしても、ほんとに疲れる。

 オレはマジで傷ついてる。






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「All Things Must Passなんだよ人生は、オール・シングス・マスト・パスなんだって」

2015年06月23日 | Weblog
 不本意なことを言われたら誰だって腹が立つ。
 誤解のある発言や悪意のある陰口を叩かれたら、心底メゲるし、かなり傷もつく。

 周りには7人の敵がいるらしく、人生は過酷で辛くて厳しいことのみで満たされている。
 それでも、なんとか今この時を生きていけるのは、明日なにかいいことがあるかもしれない、明日になればきっと楽しいことが待っているはずだ・・そう思うことでなんとか今を、歯を食いしばりながら凌いでいる、誰も皆そういう感じで懸命に生きているのではないだろうか。
 そう思う。

 今日の朝もまた突然5時に目が覚めてしまった。
 胸の辺りがおもっ苦しくなってきて、数十分間ずっと目を瞑ったり明けたりしながら天井を睨んでいた。
 暫くの間、悶々として寝返りをうっていたら、そのうち眠気が襲ってきて、それからまた1時間程度眠りに落ちた。

 人生なんて苦難の連続である。
 矢沢の永ちゃんはこう言っている、「人生というものは、失うものを増やしてゆくゲームなんだ」と。
 それから、画家の岡本太郎はこうも言っている、「人生は、意義ある悲劇だ」と。

 今日も朝からいろんなことがあった。
 この数ヶ月間のあいだで、まったくそれまでとは思っても見なかった方向へと様々なことが動いている。

 しんどい。
 とても、しんどい。

 ビートルズのジョージ・ハリスンが、初めてのソロアルバムにつけたタイトルが一番好きだ。
 All Things Must Pass・・・。

 オール・シングス・マスト・パス。
 すべては過ぎてゆくのだ。







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柴田元幸編集「MONKEY」最新号の特集は「音楽の聞こえる話-猿の一ダース 音楽篇」。

2015年06月22日 | Weblog
 「MONKEY」という、新しい海外文学を紹介する文芸誌がある。
 お洒落な体裁で、これまでに5冊が不定期に刊行されてきた。

 編集人は、柴田元幸だ。
 柴田元幸は翻訳家で、これまでも数多くの英米文学の翻訳を手掛け、村上春樹との対談集「翻訳夜話」という新書も2冊出している。

 その柴田元幸責任編集「MONKEY」の最新号が出た。
 特集は「音楽の聞こえる話-猿の一ダース 音楽篇」である。
 「聴く」ではなくて「聞く」としたのには、何か深い意味があるのだろうか? その点に関しては本を読んでみてもよく解からなかった。

 今の土日、仙台に行った際にも、この「MONKEY」を持って行き、暇があるとよく読んでいた。
 日本の作家、海外の作家と、音楽にまつわる小説が満遍なく取り上げられていて、いずれも短編なのですぐに読める。

 まずは、レベッカ・ブラウンの「80年代前半プレイリスト」と、スチュアート・ダイベック「ヒア・カムズ・ザ・サン」、それから「あなたの好きなアルバムの、ライナーノーツを書いてください。」という、小説家や美術家や文学者たちに実際に存在する好きなアーティストのアルバムのライナーノーツを書かせる特集記事を読んでみた。

 「あなたの好きなアルバムの、ライナーノーツを書いてください。」が面白かった。
 みんな、かなり肩肘を張った解説文を書いているのが、なんとなく微笑ましかった。

 それと、この「MONKEY」には村上春樹が創刊号からずっと「職業としての小説家」という講演録を連載していて、楽しみにしてしたのだけれどそれが今回で終了してしまった。

 ただし、大幅な書き下ろしを加え、「職業としての小説家」は今年の9月に書籍化されるらしい。
 これはこれで期待して読まないとね。
 









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「夏至の前の日、そんな日もまた雨が降ったり止んだり落ち着かない。俺の心とおんなじだ」

2015年06月21日 | Weblog
 ホテルのチェックアウトを済ませて外に出たら結構きつい日差し。
 今日は天気がいいといいんだけど・・・。

 ホテルでは、疲れていたのか、わりとぐっすり眠ることが出来た。久しぶりだった。
 仙台の東口は歩道もかなり広くとっているので、歩いていても気持ちがいい。
 人工の小川がきらきらと太陽の光を浴びて輝いている。

 新幹線の時間まで遠出して「三井アウトレット・パーク」に行く。
 タクシーの運転手さんに聞いたら、この辺りも3.11の大地震で大きな津波がいきなり押し寄せ、車で逃げようとした人たちによって道路は大渋滞を引き起こし、逃げ切れずに多くの人が犠牲になったのだとか。
 それが今は周りの建物すべてが新しく立て直され、その悲劇の断片さえまったく見当たらない。

 あらゆる物事は、やがて閉ざされ、封印される。
 あとには何も残らない。
 記憶の片隅に追い遣られ、やがて人々の記憶の中からも消えてゆく・・・。

 かなり疲れていたので、何処も見る気になれず、珈琲ショップの中で数時間、買って来た週刊誌と雑誌を読んで過ごす。
 結局、今回の仙台行きはなんだったんだろう?

 ああ、いつもこんなふうだ。
 いつもこんなふうに、旅は達成感を迎えず最後の日になってしまう。いつもいつも、フラストレーションに塗れたままで旅が終わってしまう。

 満足出来ない。
 消化不良だ。

 何件か仕事関連の電話が入る。
 夜の7時前には新青森駅に着くことを知らせると、「そこからすぐに仕事場まで来て欲しい」とのお達し。

 ショック!
 日曜日の夜、旅先から帰って来てその余韻に浸る時間もないまま、打ち合わせの仕事が待ってるなんて・・・。
 平日ならまだしも、2週連続で日曜日の夜かよ。

 心とおんなじように、午後になってから仙台の街にも雨が降って来る。
 行くところ、行くところ、必ず雨になる。

 新青森駅に着き、すぐさまタクシーに乗り込み、家に荷物を置いて、そこから直ぐにオフィスへと向かう。
 青森は穏やかな天気だ。
 雨もまったく降らなかったらしい。

 仕事の打ち合わせが終わったのが夜の10時前。
 帰って風呂に入ってパジャマに着替え、布団に入ったら、またいいようのない不安が襲って来た。

 また、眠れない。







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「せっかくこうして仙台までやって来たというのに、ここもまた雨が降っていた・・・」

2015年06月20日 | Weblog
 土日は耐えられずに青森脱出。
 新幹線に乗って仙台へ。

 朝、青森市内はそれなりにいい天気。
 新幹線から眺める外の景色も明るくて気持ちがいい。
 仙台に着いても、最初は天気がよくてかなりの暑さだ。

 ところが、その後、午後になって急に雨が降って来た。
 ちょうど仙台駅前からバスに乗って、青葉山の丘陵にある伊達政宗62万石「青葉城」跡を見に行こうとしていた矢先だった。

 こんな雨じゃ「青葉城」跡はとても無理だと断念して、街をぶらつくことにする。
 でも、仙台の街は何度も何度も来ているので、特に目新しいものは何もない。
 ほとんど知ってるし。

 しかたがないので、駅前の「さくらの百貨店」にある「ブックオフ」でCDを物色する。
 しっかし、「ブックオフ」ならどこにでもある。
 別に仙台まで来なくたって・・・。
 ああ、ついてないよ。

 珈琲ショップに入って珈琲を飲みながらぼんやり過ごす。
 また色々考えごとをしてしまう。

 何もかも、煩わしいことは全部忘れるために仙台までわざわざやって来たというのに・・・。
 でも悩みの種はまったくお構い無しに、そんな弱り切った自分の中へと忍び込んでくる。

 そうなんだよ。
 何処に行こうと何しようと、自分の心がちゃんと立っていないと、結局はなんにも変わらないんだ。
 
 

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村上春樹が訳した、ノルウェイの作家ダーグ・ソールスター「NOVEL 11,BOOK 18 」を読む。

2015年06月19日 | Weblog
 村上春樹が重訳という冒険を犯してまで翻訳したという小説、「NOVEL 11,BOOK 18」を読む。

 まず、本のタイトルである「NOVEL 11,BOOK 18」の意味がまったく理解できなかった。
 小説を読み終えて、村上春樹が書いている「訳者あとがき」を読んで初めてその意味が分かった。

 つまり、「11作目の小説、18作目の著作」、そういう意味だったのである。
 なんというか、人をおちょくった様な、それでいてシンプルで中々上手いタイトルではある。

 ノルウェイの作家だというダーグ・ソールスターという人間についてもまったく知らなかった。
 これも「訳者あとがき」によれば、日本に紹介されるのはこの作品が初めてだということだ。
 ただし、本国ではかなり著名な作家であり、これまで様々な文学賞を受賞しているらしい。

 主人公はビョーン・ハンセンという中年男性。
 物語は、主人公が妻とひとり息子を残して離婚し、ツーリー・ラッメルスという女性と暮らすために、コングスベルグというオスロから離れた街に降り立ちそこで収入役の職に就くのだが、結局、恋人のツーリー・ラッメルスとも別れてしまうというところから始まってゆく・・・。

 しっかし、不思議な小説である。
 恋人ツーリー・ラッメルスとの甘い思い出、2人が関わるアマチュア演劇仲間たちと交流、ひとり息子との短い出会いとその関係などが語られてゆくのだけれど、最後はどこに到達しようとしているのか、読んでいてもまったく分からない。

 主人公のビョーン・ハンセンの複雑な魂の遍歴というか、心の変遷というか、孤独への深い憧憬というか、そういう独りの男性の人生譚を静謐で透明感溢れる文体で静かに綴られてはゆくのだけれど、まわりくどい部分が多々あって、最後には、とても奇妙な読後感だけが残るのである。

 読み終えて、「なんじゃこりゃ?!」と思った。
 ところが、訳した村上春樹自身も「よくわけがわからない」と書いていたので、その点だけはちょっと安心してしまったけれど・・・。

 うーん。
 それにしても、とても奇妙な小説だ。
 
 まあ、不思議な魅力に溢れた小説だとも言えますが・・・。








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「表参道を歩いてたら、道行く人たちがみんな楽しそうに見えてきて、思わず小路のベンチに隠れてしまった」

2015年06月18日 | Weblog
 今日もまた東京は愚図ついた天気。
 降るなら降れよ、晴れるなら晴れろよ、ばかやろう。

 新幹線の時間まで頑張って都内の企業を周る。
 原宿駅で降りて、目指す企業が建つ表参道246までの道を歩く。

 明治通りに入り、原宿ラフォーレ前を通り過ぎ、学生時代によく通った「ペニーレイン」があった付近を横目で追いながら歩く。
 今にも雨が降り出しそうな暗鬱とした空。
 ムシムシと汗ばむような、初夏の暑さが纏わり付く。

 少し早くその企業がある場所まで来てしまったので、南青山に初進出を果たした今話題の「Blue Bottle Coffee」へ行ってみることに。
 そういえば、ちょうどお昼だったんだ。
 軽くなんか口にいれないと。

 オープン当初は長蛇の列が出来て超満員が続いたらしい「Blue Bottle Coffee」。
 でも今日は何故かお昼なのに、お客の数が少ない。
 ちょうど店の隣がお洒落なパサージュになっていて、その近辺一体を再開発して、かなり尖がったお店を何件も展開している某空間プロデューサー氏に聞いたら、「Blue Bottle Coffeeのブームはもう去りましたね」という一言。

 確かにお昼なのに空きがある。
 ドリップ珈琲を頼み、ついでにサフランスニッカークッキーを選んで、庭を臨むテラスに独り陣取る。

 たまに風が吹いてきて、ちょっと心地よい。
 珈琲の味もそんなに悪くはないと思う。

 珈琲を飲み干し、また表参道に出た。
 道行く人たちがみんな楽しそうに見える。
 自分だけが惨めに思えてきて、気がひける。

 もちろん、誰も赤の他人のオレなんかに目配せしているわけでもないのに、不幸なのは自分ひとりだけで、ほかのみんなは人生の素晴らしさを謳歌しているみたいに見えて気恥ずかしい。

 なんとなく耐えられなくなって、隠れるように狭い小路のベンチに腰を降ろし、追っ手から逃れる犯罪者みたいに身を縮めた。

 ああ、オレはここでいったいなにしてんだよ?








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中森明菜も、光GENJIの山本淳一も、中山美穂も、国生さゆりも、加護亜依も、みんな辛いんだよなあ。

2015年06月17日 | Weblog
 いきなりのドシャ降りである。
 半蔵門の近くの焼き鳥屋さんで飲んで、所用があったので電車を乗り継ぎそこから高円寺へと向かい、駅に着いた瞬間、いきなり雨が降ってきた。

 それにしても、東京に来ると雨が降る。
 ほとんどそうだ。

 慌てて駅前のホテルに入り、チェックインして部屋に入ってベッドに倒れる。
 なーんにもしたくないので、本を読んだり、買って来た週刊誌を眺めて過ごす。

 ホテルの窓から「高円寺純情商店街」のアーチが見えた。
 もうすっかり夜は更けていて、そのアーチもまた雨に晒されている。

 週刊誌の芸能ネタをベッドに横になって読んでいたら、気が滅入ってきた。
 芸能人も、みんなそれぞれ色々あるんだなあ。辛いんだなあ。そんなことがよく分かる。
 
 まずは中森明菜の近況だ。
 昨年はベストアルバムがヒットして復活の兆しが見え、紅白でもかなり頑張ったらしいのだが、今年1月にリリースされたシングルとアルバムがまったく振るわず、また精神的に落ち込んでしまい、ダークサイドへ入っちゃったのだとか。
 これで復活はまたまた遠のいた。

 苦しいだろうなあ・・・。
 心の闇に悶え苦しむことほど辛いものはない。

 それから中山美穂もなんか凄い。
 離婚直前から新しい恋人が出来ていたらしいけれど、渋谷で酔ったその彼氏に蹴りを入れられているところを週刊誌記者に目撃されたらしい。
 国生さゆりも加護亜依も、パートナーが逮捕されたり暴力沙汰を引き起こしたりと、色々大変な状況なのだとか。
 漫画家の柴門ふみは、夫で「島耕作」を書いてる弘兼憲史の女癖とご乱交の数々を「婦人公論」に暴露しちゃうし・・・。

 そして今回の週刊誌ネタで一番凄かったのが、元アイドルグループ光GENJIの山本淳一だ。
 な、なんと、妻から金をしこたませびり、挙句の果てに風俗で働けと迫ったのだとか。どこまでが真実でどこまでが虚構なのかはよく分からないけれど、ほんと、男ってやつはどうしようもない生き物である。

 しかし、みんな色々と修羅場を潜って生きているんだなあ。
 凄まじいんだなあ、人生の荒波って。

 こんなに苦しいことしか起こらないのに、それどもなんで人間は必死で生き続けようとするんだろ?









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「こういしょう、みたいな」

2015年06月16日 | Weblog
 月曜日、仕事が終わったのが夜の10時過ぎ。
 もう、クタクタで、家に帰って遅い食事を摂ってから、録画しておいたフジテレビの月9ドラマ「ようこそ、わが家へ」の最終回を観る。

 原作よりも確かに面白かった。
 テレビ版では二重三重の伏線が張られていて、模倣範を何人も登場させたのは長い尺を考えると正解だったかも。
 でも、最後の最後の「思わせぶり」は少しあんまりでは?

 あれをやっちゃうと、結局なんでもアリということになっちゃわないだろうか。だって、あのラストの「思わせぶり」をしちゃうと、もう何だって永遠に物語は続いてしまうからだ。
 ちょっとそこだけが残念だった。
 どんでん返しやるのなら、ちゃんとしたヒネリをみせてほしかったのにと思う。

 で、フジテレビの月9ドラマ「ようこそ、わが家へ」の最終回を観終えたのが夜の12時。
 さあ、寝ようと思うのだけれど、これが眠れない。

 怖いのだ。
 前日の、あのスポーツジムでの凄まじい負の感情の湧き上がり方が尋常じゃなかったので、完全にトラウマ状態に陥っている。
 また、あの凄まじい負の感情が真っ暗闇の中で突然出てきたら・・・。
 そう考えると、怖くて眠れない。

 完全に、後遺症みたいな・・・。
 そんな感覚に襲われる。

 そこからが地獄だった。
 眠れない。全然、眠れない。

 1時になり、2時になり、3時になる。
 何度も何度も時計を見てしまう。
 焦れば焦るほど眠れない。

 結局、朝方の浅い眠りを通過して、出勤時間になってしまう。

 火曜日は、一日中、ぼーっとしていた。
 でも仕事だけは待ってくれない。
 そこだけ気合を入れ直す。

 午後、A大学の社会学部3年生のゼミ生たちに「まちづくり」の講義を行った。
 とってもいい学生たちで、議論が進んで楽しかった。

 夕方からは某協会の懇親会が某ホテルで開かれ、それに出席するも、別件があったので30分で退散。
 所用を終えたのが9時前で、そこからまた仕事関連の某氏と会うために、郊外のSCの駐車場へ。

 家に帰ったのが夜の10時。
 完全にグロッキー。

 ふと日曜日のスポーツジムでの悲劇が過る。

 酷い後遺症、みたいな・・・。







 

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