淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「八戸横丁探索」みろく横丁、サバの串焼き、最終電車、そして自転車のパンク・・・。

2010年09月30日 | Weblog
 仕事を休んで病院に行って、背中の痛みの原因を知りたいのに、今日も朝から仕事が続く。
 中々、そう簡単には誰も休ませてくれません。

 10時から、新聞紙上を賑わしている某施設に関する重要な会議。
 真摯に、正直に、そして真剣に受け答えをしてゆく。安易な態度だけは許されない。

 その会議が終わり、駆け足で何人かの執務室を訪ねて補足説明をこなし、次の会議へとまた雪崩れ込む。
 お腹が空いていたけれど、中心市街地の某施設で、これも大変重要な案件を説明しなければならず、結局、ひと便、列車を遅らせることに・・・。

 今日は、八戸市の駅前「ユートリ」で県南のVIPの方々が一堂に集う大きな会議があるのだ。
 怒声が飛び交う中を中座して、青森駅のプラットホームへと走った。

 スタッフたちはひと便前の列車で既に八戸入りしている。
 ひとり取り残された僕は、函館からの列車に乗り込み、所要1時間の小さな旅へと向かった。

 午後の光が眩しく照らす住宅街を切り裂くようにして、列車は浅虫温泉から野辺地、そして三沢方面へと軽やかに疾走する。
 山々の緑が、綺麗な青空を背に輝きを増している。

 ぎりぎりセーフ。
 八戸駅を降り、隣の複合施設「ユートリ」の8階へと駆け込んだ。
 報道機関も既に待機している。
 資料をそれぞれの机に配り、こちらも所定の位置に座った。

 会議は無事に終了。
 地元の関係者が、僕たち全員を、今度は八戸三日街にある「八戸屋台村」みろく横丁へと案内してくれた。

 美味しいビールの前に、地元スタッフの一人が、近辺の有名な横丁を歩いて丁寧に由来を説明。
 「ハーモニカ横丁」、「長横町れんさ街」、「たぬき小路」、そしてミステリアスでディープな「五番街」へ。
 どの横丁も独特の雰囲気があって、一軒一軒を覗きたくなる。
 
 探索を終え、賑やかな三日町へと戻り、「サバの駅」というサバ料理の店で全員乾杯。
 ビールが美味い。
 ついついおかわり。
 美味なのがサバの串焼き。
 塩で焼き鳥のように焼いて串に刺す。これがとても美味しいのである。

 そこから今度は「みろく横丁」。
 最後にカラオケまでしちゃいました。
 なので、結局しこたま酔っ払い、こっちは最終便で帰る事となってしまった。

 酔っ払って、頭も痛く、青森駅に着いた頃は既に0時を回っていた。
 駅前に停めていた自転車はパンクしていて、酔っているのでそれに乗る事も出来ないので、てくてくと千鳥足で家までの道を歩く。

 眠りたい・・・。
 ただ何も考えず、ひたすら眠りたいよ。



 
 

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「最終回」

2010年09月29日 | Weblog




   終わりだなんて 言わないでほしい
   まだ これからさ

   最終回の中身は自分で決める



                            「KREVA」






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「銀鼠色の街」

2010年09月29日 | Weblog
 風が冷たい。
 激しい風が朝の街を吹き抜けている。

 家を出て、中心市街地を抜け、海に出る。
 今日の朝の海はとても荒れている。
 銀鼠色の海が、激しく上下に揺れている。

 今日は、午前中に二つの会議。午後に、大きな三件の会議。その五件の会議のうちプレス関係者が入る大会議が三件。
 テレビカメラが嘗め回すように会場を映してゆく。

 いつまで続いてゆくのだろう・・・。
 緊張感を強いられる。発する言葉に神経を使う。
 少しでも逸脱した発言や、間違った回答をしないように、絶えず気を使う。
 会議が終了するたびに、どっと疲れる。

 いつまで続いてゆくのだろう・・・。
 解放されたい。俺が求めているのはこんな仕事じゃないはずだ。
 すべてを投げ出したい。俺が欲しいものはこんなものじゃないはずだ。
 新しい会議が始まると、少しだけ心臓の鼓動が速くなる。

 昨日の夜、お風呂に入ってバスタブに背中を委ねたら、軽い痛みが走った。
 風呂から上がって背中を鏡に映して見たら、大きな瘤のようなものが・・・。かなり赤く腫れて、しかも盛り上がっている。

 なんだろう?
 悪性の腫瘍?
 悪いほう、悪いほうへと考えが転がってゆく。

 このまま死んじゃっても、別に悔いは残らないんじゃなかったっけ?
 今、この世からオサラバしても、それはそれで良かったんじゃなかったっけ?

 すると、また別の自分がこんなふうに弁解してみる。
 死ぬ事は別に構わない。
 構わないけれど、それはばったり死んだって別に構わない、特に走っている最中に倒れてそのまま死んだら最高だよねって言う、ただそれだけのことで・・・。長い闘病生活を強いられたり、大がかりな手術を施して満足に身体を動かせないくらいなら、死んだほうがましだって言うことで・・・。

 それにしても俺はどうしようもない人間だ。
 単に死ぬのが怖いだけじゃねえか。臆病な軟弱者じゃねえか。
 認めろよ。
 こうして慌てて弁解をし、命乞いをする、最低な人間なのだ、この俺は。

 最後の会議が終わって外へ出たのが夜の9時前。
 その場所からタクシーを捕まえ、疲れた躯体をシートに倒す。
 疲れている。かなり疲れている。
 持つのかな。

 コンビニ寄って、お酒のツマミを買い求め、そのまま家へと直行する。
 冷蔵庫を開け、冷えた缶ビールを飲み干し、買って来たツマミを食べる。
 また今日もこうして終わってゆく。

 背中が痛い・・・。
 昨日よりも腫れが酷くなっている。

 死を想え。
 いつ、いかなるときも、ひたすら死を想え・・・。



 

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「リンキン・パーク」最新アルバム「ア・サウザンド・サンズ」。まさしくミクスチャー!

2010年09月28日 | Weblog
 遂に出ました。
 待ちに待った「リンキン・パーク」の3年半振りともなる、4枚目のニューアルバム、「ア・サウザンド・サンズ」。

 かなり前からアマゾンで予約していたのに、通常版はもうとっくに発売されていて、こっちが予約していた「CD+DVD, Limited Edition」は、それよりかなり遅れて発売されることになった。
 凄くショック。
 そんなら、最初から通常版を頼んだのに・・・。

 というわけで、今日(10月28日火曜日)、仕事を終えて帰ったら―実は今日の夜、某ライオンズ・クラブで『新幹線開業に関する講話』を頼まれまして、そのあとの乾杯でビールを飲んでちょっとだけほろ酔い気分―、アマゾンから「ア・サウザンド・サンズ」が届いていたというわけでして・・・。
 もう、即、聴いてみた。

 「リンキン・パーク」というグループは、ジャンルで語るととてもややこしいことになる。
 まあ別に、ロックでもブルースでもソウルでも、無理やりジャンル分けをする虚しさってあるわけで、ようは好きな音楽を好きなだけ拘らずに聴けばいいだけの話なのだが、彼らの音楽もまた、色んなネーミングで語られてきた。

 オルタナティブ・ロック、ミクスチャー・ロック、ラップ、メタル、ヘビィ・ロックなどなど・・・。
 でも、その基本は、武骨で、一直線で、実直で、男臭さに塗れている。

 だから、「リンキン・パーク」を聴くと元気になる。
 力が漲(みなぎ)り、明日への活力源になる。
 勿論、僕とは真逆の聴き方をしている人もいるだろう。でも僕はそうだ。そういう意味では、日本でいうと浜田省吾を聴くのと、同じようなカンフル剤となっている。

 日々、ストレスは溜まってゆく。
 煩わしい事や、片付けなければならない億劫で面倒な事。
 まるで、雪が少しずつ地上を埋め尽くすように、心の中にそれらは溜まり、こびり付いてゆく・・・。

 そんな澱(おり)を払拭してくれるもの、それが音楽だ。
 音楽だけが、溜まったストレスを掃き出し、綺麗さっぱり洗い流してくれる。

 通算4枚目となるオリジナル・アルバム「ア・サウザンド・サンズ」は、リック・ルービン(U2、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ等)とマイクの共同プロデュース作品で、全15曲が入っている。

 賛否両論あるかもしれない。
 今回は、インストゥルメンタル2曲を加え、1曲1曲の完成度を競うというよりも、トータル・アルバムの趣きが強いように感じられる。

 曲調もバラエティに富んでいて、当然ヒップ・ポップな曲や美メロもある。
 僕はU2っぽい、「イリディセント」や、続く「フォールアウト」が好きっ。
 まるで、厳冬の大草原に独り立ち尽くしているようなイメージ・・・。


       寒さと絶望で呆然としているのか
       希望を抱こうとしても、お前は失敗しかしらない
       悲しみと失意をすべて記憶にとどめて

       あきらめろ
       あきらめろ
       あきらめろ
                            「イリディセント」


 リンキン・パーク!
 いいぜ!





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NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」、尾田栄一郎の漫画「ワンピース」、そして秋晴れ。

2010年09月27日 | Weblog
 見事な秋晴れとなった月曜日。
 ほんとなら、一番憂鬱で、一番億劫で、一番足取りが重い月曜日なのに、こんなにいい天気だと、自然と足取りも軽くなってくる。

 それに今日から、NHKで朝の連続テレビ小説「てっぱん」が始まる。
 実は、先週の土曜日、朝から仕事ということもあって、松下奈緒と向井理の「ゲゲゲの女房」最終話を見逃してしまうという大失態を演じてしまい、ちょっと落ち込んでいたのである。

 まあ、別にそれほど凄いドラマだから真剣に観続けていたということではなくて、ただ単に、朝の出勤前にぼんやり「ゲゲゲの女房」を眺めながら朝食を摂っていたという程度の事なんだけど、それでも習慣のように観続けていたこともあって、最後の回ぐらいはちゃんと観ておきたかった・・・。

 この朝の連ドラ、何といっても7時30分からBSハイビジョンでオンエアされ、そのあと今度はすぐに、7時45分からBS2で同じ番組が始まり、その後またまたNHKテレビで8時から流れるという、物凄い展開へとなだれ込むのである。

 さすがNHK。
 って、そこまでするか? ふつう。

 そして今日から新しく始まった「てっぱん」。
 まだ第1回目なので深い検証なんて無理だけど、中々出だしは好調のようだ。

 主人公は、尾道の女子高生。
 僕も、一度だけ尾道を訪れたことがあったけれど、寂れてひっそりとした駅前から続く商店街がとても印象的だった。

 今回の第1回は、その尾道で鉄工所を営む両親と、長男・次男と仲良く暮らしている主人公の家に、突如、初老の女性が訪ねて来るところまで。
 当然そこには伏線があって、吹奏楽部でトランペットに熱中する17歳の主人公あかりが、トランペットを海に投げ捨てる女性(その人が初老の女性ということになるのだが)を目撃し、自ら海に飛び込み、投げたトランペットを拾い上げるという事件があった、その夜の突然の訪問だった。

 また、この連続ドラマ、来年の3月まで観続けることになるんだろうな。たぶん。

 NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」を観終え、自転車に乗って出勤。
 ほんと、気持ちいい天気。
 雲ひとつない青い空。朝の空気がとても美味い。

 そして今日も、会議が続く。
 すべての日程をこなし、疲れた体を引き摺ってオフィスを出た頃は、もうすっかり日が暮れていて外は真っ暗。

 長い電話のやりとりをしながら家路を急ぐ。
 スポーツジムに行こうと決めていたのに、体が重くて結局パス・・・。
 家に帰って寝転ぶと、もうそこから起き上がれない。重い重い鉄球を体の周りに括り付けたような感じがする。

 先日、奮起して、尾田栄一郎の漫画「ワンピース」全巻を買い揃えたので、その第1巻を手に取り、読み始める。
 何処に行っても、誰に聞いても、この「ワンピース」の漫画の事を褒めまくるので、それなら全巻読んでやろうと、枕元に全部積んで置いたのである。

 よし。
 今日は「ワンピース」第1巻を読むぞ!

 しっかし、いいのだろうか。
 こんな体たらくで・・・。





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「悩まない練習」

2010年09月26日 | Weblog
 今日は日曜日。
 でも午後からオフィスで仕事の打ち合わせが入っている。
 だから午前中だけの僅かな休日。

 朝の9時に起床した。
 昨日の夜は、映画館で観るのを見逃した映画をDVDで借りて来て、それを観ていて夜更かししてしまった。
 眠い・・・。
 「アンナと過ごした四日間」、「タイタンの戦い」、それから「ニューヨーク・アイラブユー」を観た。

 朝食は、ごはんにお味噌汁、鮭に納豆、それから熱いお茶を一杯。
 外を見る。
 いい天気だ。ぽかぽか陽気の日曜日。
 昨日のあの肌寒さは一体何だったんだろう?

 車を出して、スポーツ・ジムへ。
 走る気にはなれないので、ジムの自転車を漕ぎ、腹筋を少々だけ。
 あとはジムのお風呂に浸かって、髪と体を丁寧に洗った。

 ジムを出て、秋の高い空を見上げた。
 本当に気持ちのいい秋晴れだ。日差しが燦々と降り注いでいる。
 車に乗り込み、ローリング・ストーンズの「ヴードゥー・ラウンジ」を聴きながら家までの道を走る。
 やっぱりストーンズ、元気が出るなあ。

 まだ時間があったので、今度は自転車に乗り換え、中心市街地のN書店で「LEON」創刊9周年記念号を買い(特集は、スーツとコートの遊び方だってさ)、市民図書館へと向かう。
 図書館で、「通貨で読み解く世界経済(中公文庫」、「佐藤一斎『言志四録』を読む~最強の人生指南書(祥伝社)」、「ベスト・アメリカン・ミステリ ハーレム・ノクターン(ハヤカワ・ミステリ)」、「世界文学全集 短編コレクションⅠ(河出書房)」の四冊を借り、ついでに新聞各紙を眺め、その場をそそくさと退散する。

 午後も相変わらず気持ちのいい秋晴れが続く。
 オフィスに向かう途中で、昨日と今日の2日間開催されている「青森駅前産直市」に立ち寄った。
 関係者と少しの間、立ち話。結構、混んでいた。

 そこから、自転車を漕ぎ、青森駅を跨いでヨットハーバーを横目に見ながら仕事場へ。
 水面がキラキラと秋の緩い太陽の光に揺れている。
 青森ベイブリッジ付近の公園では、近くの団地に住んでいる子どもたちだろう、一生懸命かけっこをしながら奇声をあげている。

 こういう長閑な昼下がり、仕事に向かうのって、本当に心が荒(すさ)んでゆく。
 秋の陽ざしを浴びながら、木製ベンチに腰を降ろしてのんびり寛いでいたいのに・・・。

 オフィスに到着し、守衛さんから鍵を貰い、誰もいない執務室の鍵を開け、机の上に置かれている書類に目を通し、パソコンを開いて来週のスケジュールをチェックする。
 そうしているうちに、一人のスタッフが入って来て、関係書類を付き合わせながら2人で今後の打ち合わせ。

 仕事の最中、何度も携帯に電話が鳴る。
 執務室から出て、オフィスの横を流れている川辺まで出向き、歩きながら電話の対応。
 夕暮れが近い。
 海からの風が、少し冷たく感じられる。

 やっと仕事の打ち合わせを終え、夕暮れ迫る街を抜け、自宅へと急いだ。
 夕食を終えて「龍馬伝」も観終え、何気に寝転ぶと、雑誌「プレジデント」が目に飛び込んできた。
 そうだあ。
 東京出張の際にキオスクで買い求め、そのまま読むのを忘れてたんだ。

 特集は「悩まない練習」。
 サブタイトルに「解明! 負の感情に陥るメカニズム」とある。そういえば、このタイトルに惹かれて買っちゃったんだ、「プレジデント」。

 雑誌の特集の中に、「悩み発生パターン」を知る診断というのがあって、それに書き込み、自分の「悩み発生パターン」を確認してみた。
 ズバリ。
 僕は、悩みに対して「独り相撲型」であり、「決めつけ型」であり、「不安増殖型」ということが判明。

 確かになあ。
 「解決困難な問題を自分で引っ張り出して、自分で作っている」のだとか。それから「実体のない問題を悩みの種」にして、「心配性で物事を悪い方に考える傾向」もあるのだとか。

 ごもっとも!
 そうでーす!

 で、どうしたらいいのか?
 色々と解決法が書かれていて、ここでは詳細は省くけれど、ようするに「思考を変えること」、「切り替える力を身につけること」、それから「思い込みを正す練習をすること」などなど。

 そんなこんなで、「プレジデント」を捲っていたら、テレビで尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件のニュースの続報。
 なんなんだ? この日本という国は。
 矜持というものがないのだろうか、まったく・・・。





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「My Ever Changing Moods」

2010年09月25日 | Weblog
 金曜日の夜中、日付はもうとっくに土曜日になっているけれど、午前1時に帰宅。
 なんか、遠くまで毎日のように車を飛ばしている。

 それでも数時間は寝たのだろうか。
 とにかく、すぐに布団に入って目を閉じても眠りに落ちるまで数十分は掛かるし、眠り自体がとても浅い。
 なので、熟睡をしたという感覚はほとんどない。

 9月25日土曜日。
 7時に起床。
 肌寒い天気だ。
 あの猛暑日は一体何だったんだ?
 ここまで、一気に乱高下するものなのだろうか。

 朝食も摂らず、眠い目を擦りながら、青森港、青函連絡船「メモリアルシップ八甲田丸」前で8時からスタートする「クリーン大作戦」なるイベントに参加する。
 そこから青森駅前を通り、中心市街地をぐるりと回って、煙草の吸殻や捨てられた空き缶などをボランティアたちと集めて周るイベントである。

 今にも空から雨が落ちて来そうな天気。
 燃えるごみと燃えないごみとを識別しながら、それぞれのビニール袋に拾い集めたごみ類を次々に放り込んでゆく。

 そのイベントが終了したので、青森駅前公園で今日の土曜日と明日の日曜日の2日間開催される「駅前産直市」に顔を出す。
 見慣れた顔の面々が、テントを張ったり屋台を準備しながら大忙しで駆け回っている。

 時計を見ると10時30分前。
 10時から、今度は大規模な「防災訓練」が始まる。
 急がないと間に合わない。遅刻は厳禁でしょう。
 ところが、いきなり雨が強くなる。
 仕方がないので家まで全速力で戻り、車を出して現地へと急いだ。

 友人の歯医者さんの駐車場に車を停めてもらい、そこから駆け足で現地の小学校へ。
 青森港が近いので、岸壁付近での避難作業も当然組まれている。
 肌寒いのを通り越して、かなりの冷え具合。
 海からの冷たい風に雨まで降って来た。何度もクシャミが出て、震えるほどだ。

 やっと正午で「防災訓練」が終了。
 でも寒さが抜けない。
 それにしても極端な・・・。だんだん、気まぐれな天候に腹が立って来る。あの暑さの半分だけでも返してほしい! 今、ここに!

 家に戻り、熱いお茶を啜り、貰ったお赤飯をぱくついた。
 パソコンを点け、4日間ほったらかしにしていた「ブログ」をひたすら書きこむ。ごめんね、4日間も待たせちゃって・・・。

 厚い雲が流れてゆく。
 風が激しく窓硝子を打っている。
 いつの間にか夏は去り、すっかり街は様変わりしてしまった。

 しーんとした部屋で、ぼんやりと窓から空を眺める。
 来週は、本州最北端の下北半島に行く日もあれば、南下して南部の八戸市での会議と夜の飲み会も待っている。
 それから、「新幹線開業」の講話も任され、それに続くホテルでの懇親会、日中の様々な会議も連続して続いてゆく。

 そして次の週末から、今度は東京でのイベントが待っている。
 名古屋もあるし、東京へはまた12月まで何度も出張しなければならない・・・。

 変えなければ。
 このままだと、忙しさにただ埋没してゆくだけだ。

 それにしても寒い。寒過ぎる。まだ夕方4時なのに手の指が凍えてる。
 尋常じゃない、この異常気象・・・。

 これからまた仕事の打ち合わせが。
 寒いから外出たくないんだけど・・・。
 やだなあ。





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俺は好きだなあ、ジュリア・ロバーツ主演映画「食べて、祈って、恋をして」。癒される。

2010年09月24日 | Weblog
 先日、オフィスの廊下ですれ違った某課のシングル・ウーマン。
 「最近、なんか映画観てる?」に対して某女史、「食べて、祈って、恋をして」を観ましたと笑顔で答えたまでは良かったけれど、それに引き続いて「でも、映画の途中で体調壊してそのまま最後まで観ずに帰ったんです」。

 「ええーっ!? そうなんだあ。それはお気の毒さま。で、観た前半はどうだったの? 面白かった?」
 「・・・あんまり期待していたのと違ってたなあ・・・」とのお答え。
 
 エリザベス・ギルバートが、自らの体験をつづった世界的ベストセラー「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」を、ジュリア・ロバーツ主演で映画化した作品の評判、ネットや週刊誌などの評価だけでいうと、それなりの満足度はみんな得ていたようだけれど、「素晴らしい!」と絶賛するほどではないようだ。

 僕が挨拶代わりに評価を聞いた某女史も、アクシデントで前半だけを観ての評価だったけれど、それほど絶賛するものではなかったこともあり、実は、余り期待することなく映画館へと足を運んだのである。

 ニューヨークで暮らすジャーナリストのエリザベスは30代に突入し、優しい夫にも恵まれ、自分の人生をエンジョイしていたのだが、ふと、自分が平穏な結婚生活や子供を望んでいないことに気づき、悩み抜いた末に離婚を決意し、それを夫に告げる。

 突然の離婚話に夫は激怒し、離婚調停にまで発展するが、その辛い時期に恋した年下の若者とも僅かの期間で終わりを迎え、そういう恋愛依存症に心底嫌気がさしたエリザベスは、すべてを捨てて、イタリア、インド、インドネシアの3カ国を巡る1年間の旅に出ることを決意する。

 アメリカの女性作家が自らの経験を書き、全世界40カ国以上で翻訳された自伝的小説の映画化である。
 最初に訪れたイタリアでは、現地で知り合った仲間たちと「食」を追求し、次に訪れるインドではヨガと瞑想に励みながら新しい仲間たちと触れ合い、そして、最後に訪れたバリ島では、激しい恋に落ちて人生を大きく変える出来事に遭う・・・。
 
 2時間20分程度の映画だけれど、大きく3章に分かれている。
 「イタリア編」、「インド編」、そして「バリ島編」。
 主演は、今回プロモーションで来日も果たし、「エリン・ブロコビッチ」でアカデミー賞主演女優賞を受賞した、ジュリア・ロバーツ。若い俳優で恋人役になるのが「スパイダーマン」のジェームズ・フランコ。

 そして、アカデミー賞俳優のハビエル・バルデムも後半に出てくる。
 名優ハビエル・バルデムがスクリーンに現れると、さすがに映画が引き締まる。役は、それほど難儀を強いられる難しいものではないけれど、やっぱりカッコイイ。

 映画自体も僕は好きだ。
 あんまり期待しないで観たせいかもしれないけれど、とても楽しめた。
 映画の中のイタリア、インド、バリの風景も美しかったし、食べ物もとても美味しそうに撮っている。

 監督はテレビドラマをずっと手掛けていたライアン・マーフィという人らしいのだが(全然知りません)、これがまた巧い演出をしている。
 次回作もとても楽しみだ。

 確かに、離婚にまつわるエピソードや若い俳優との別離に少し説得力を欠くところがあったり、ラスト数十分間における主人公の心の変化が、ちょっと説明不足で性急に終わってしまったという悔いも残らないではない。

 でも、全体を通して、どこまでも温かい視線に溢れ、優しくストーリーが流れてゆくから、とても気持ちが和らぎ、癒される。

 俺は好きだなあ、ジュリア・ロバーツ主演映画の「食べて、祈って、恋をして」。
 音楽もいいんだよね。
 ニール・ヤングの名曲が効果的に流れる。
 音楽がいいと映画自体も盛り上がる。

 お勧めですよ。




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「週刊文春」と「アエラ」が今一番面白い。今週号の「文春」も思い切り飛ばしてるなあ。

2010年09月23日 | Weblog
 男性週刊誌にも色々と特徴があって、昔から贔屓にしている雑誌、余り心が躍らない雑誌、立ち読みはたまにするけど多分一生買わないだろうなあと思っている雑誌と、そのスタンスはそれぞれだ。

 僕が買い求める男性週刊誌は、「アエラ」、「週刊新潮」、そして「週刊文春」、この3誌である。
 「ポスト」や「現代」は本屋さんで立ち読みするだけだ。

 「ポスト」と「現代」は、これまで数回程度しか買い求めたことがない。それも、新幹線に乗り込む際、ほかに読む雑誌がなかったりハードカバーの本を読み終えた直後で、あと何も読むモノがないという場合に限られる。

 「週刊大衆」や「週刊実話」は、さすがにない。
 でも、本屋さんで立ち読みする時って、こういう系統の本って一番いいんだよね。なんか「東京スポーツ」と同じテイストで、そのノリ具合も似通っているし。
 僕は結構好きなのだ、「大衆」や「実話」って。

 ただし、この2誌から何らかの情報を引き出そうとは思わない。
 それは「ポスト」、「現代」にも言える事で、余りにもセンセーショナルに煽っている見出しを見るだけで、とてもゲンナリしてしまうのだ。

 その点、「文春」や「新潮」って、シニカルでいながら真面目なところがあって、そのバランスがたまらないのである。
 「アエラ」も、他の雑誌と比べ、読ませる記事においてはやっぱり群を抜いている。

 その「週刊文春」。
 今週号も飛ばす、飛ばす。
 なので、結局今週号も躊躇わずに買ってしまった。
 
 トップ記事が、また凄い。
 スクープだろう。『民主美人公設秘書 ソープ嬢兼業疑惑』。

 なんと、公設第一秘書が(その後、第二秘書に戻ったみたいだけれど)、川崎の超有名ソープで働いていたというものだ。
 記事では直接本人にもインタビューしているのだが、これがまた二転三転。自分自身で関係者たちに告白メールを送っていたらしく、それがまた不可解極まる。詰めが甘い。
 ところが記事を読んだだけでは、その謎が全く解けない。

 別に過去にどんな職業に就いていようがそんな事はどうでもいいんだけれど、こっちとしては、そこに至る人間としての心の変遷が知りたいのである。
 でも、週刊誌にそこまで期待するのは無理なのだろう。しかし、せめてもうちょっと記事を掘り下げて欲しかった気がしないでもない。
 次号にも後追い記事で載るんだろうか?

 「文春」のキモは、何と言っても今ちょうど旬の人物たちを追いかける『スーパーワイド』特集だ。
 これを読むために「文春」を買っているといっても過言ではない。
 今週は、『ガケっぷちの「男と女」』特集。

 『押尾 学「日本一のサイテー男」デタラメな父と愛憎32年』、『田代まさしと「ヤク地獄」に堕ちた注射100本「ミニスカ女」』、『亀田父「永久追放」でもメキシコではやりたい放題 』、『向井 理に敗れた水嶋ヒロ、小栗 旬「芸能界やってられないよ」』、『名門聘珍樓 債務超過と元編集者元「美味しんぼ」担当「嫁」の挫折』、『浅田真央 わずか3カ月でクビ寸前 コーチを直撃!』、『輝いていたおバカタレントはいま ユッキーナ結婚にスザンヌの焦り』などなど・・・。

 読んでいて、ちょっとコジ付けじゃない?というような記事や、別にそんなのたいした事でもないでしょ大袈裟な、というコメントを呟きたくなる記事もたくさんある。

 所詮、マスコミなんてこんなもんでしょう的なスタンスで読むべきなのだと思う。
 醒めた視点で読まないと、マスコミのダークサイドに吸い込まれてしまうからだ。

 でも。
 それにしても、『ガケっぷちの「男と女」』のような記事を読んでいると、心底、人間って哀しい生き物なんだということを実感する。

 所詮、人生バカ騒ぎ・・・である。
 あとには何も残らない。冷たい風だけが人生という荒野を駆けている。





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映画「バイオハザードIV アフターライフ」。ポール・W・S・アンダーソン監督巧いね。

2010年09月22日 | Weblog
 最近、漫画を読んでいない事もそうだけど、TVゲーム、これも全くやってない。
 ドラクエの新作もファイナル・ファンタジーの新作も(もうここまで経っちゃうと新作って言わないか)、買って何時間かはプレイするんだけど、忙しさにそのまま放置状態となっている。
 ゆっくりと部屋の中でTVゲーム(それもRPG)を一日中プレイする・・・そんなことが無くなってしまった。
 
 僕が大好きなゲーム・ソフトは、「ファイナル・ファンタジー」、「ドラゴン・クエスト」、「ファイアー・エンブレム」の各シリーズだ。
 これらのソフト、本当に面白い。全部やり尽くしてきた。

 そして、お気に入りのシリーズがもうひとつ。
 「バイオハザード」である。
 このソフトだけは、プレイステーション3でも最新作をやりこんだ。

 アクション・ゲームって苦手なんだけど、「バイオハザード」は謎解きの面白さにハラハラ・ドキドキ感が加わるから、最後までプレイヤーを飽きさせない。
 それに、グラフィックが途轍もなく素晴らしいので(特にプレイステーション3版は)、映画を観ているような臨場感に包まれる。

 当然、ミラ・ジョボビッチ主演で映画化されたシリーズも、これまでの3作すべてを観て来た。
 そして、どの映画もそれなりに楽しめた。

 その4弾が「バイオハザードIV アフターライフ」である。
今作は、シリーズ初となる3Dでの映画化で、第1作で監督を務めたポール・W・S・アンダーソンが再びメガホンをとった。

 物語は東京の渋谷から始まる。
 ウイルス感染によって荒廃してしまった世界。
 主人公のアリスは、生存者を探して、独りゾンビが至る所で闊歩する世界中を旅している。
 ウイルスに支配されていない安全な場所を探し、アリスは小型飛行機を操りながらロサンゼルスにある高層刑務所の屋上へと不時着する。
 そこには、まだ何人かの生存者が残っていて、迫り来るゾンビたちから必死で建物を守っていた。
 アリスは、彼らと団結してその場所からの脱出を図るため、決死のシナリオを試みるのだが・・・。

 冒頭の、東京渋谷のスクランブル交差点におけるゾンビ誕生シーンは、何と中島美嘉がメイクを施しゾンビを演じている。
 そして、そこから後は、ラストまでノンストップでアクション劇が続いてゆく。

 上映時間も1時間40分程度で、観客を飽きさせない仕掛けがてんこ盛り。
 さすが、第1作を撮ったポール・W・S・アンダーソン監督、巧い。

 それに、ポール・W・S・アンダーソンとミラ・ジョボビッチが実生活でも夫婦だということもあるかもしれない。
 スムーズに、違和感なく画面の中に没頭出来るのだ。

 一難去ってまた一難というパターンは、アクション映画における最低必須条件だけれど、この映画もそれをしっかり踏襲していて小気味いい。
 勿論、結末なんて誰にでも予想がつくわけで、そうなると、そこまでを如何に退屈させることなく引っ張るかが監督の力量・才能として問われるわけだ。

 映画「バイオハザードIV アフターライフ」。
 別に、今年度のベストテン入りを狙うような映画ではないけれど、週末のストレス解消策としては十分楽しんでいただける内容になっていると思う。





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かわぐちかいじ×藤井哲夫、漫画「僕はビートルズ」の第一巻を読んだ。

2010年09月21日 | Weblog
 最近、漫画をほとんど読まなくなってしまった。
 漫画週刊誌を買って読む暇(いとま)がなくて、一時期、巷の評判を聞いてコミックを揃えて一気にまとめ読みしていた事もあったのだけれど、それも近ごろは全くしなくなってしまった。

 なので、きちんと毎週、最新の漫画週刊誌を読み漁り、そこから自分で気にいった作品を見つけ出せたなら、それがベストなんだろうけど、それさえ久しくしていないので、今の漫画界の状況もよく解らない。

 先日、何気なく本屋さんに入って、ぶらりと漫画コーナーを覗いたら、「僕はビートルズ」というタイトルのコミック第一巻が平積みで置かれているのを発見した。

 「ふーん」。
 かわぐちかいじが、新作書いてるんだ。
 でも、ビートルズと、かわぐちかいじが上手くリンクしないよなあ・・・。

 帯を読んでみると、そこにはこんなふうに書かれてある。
 『漫画史上初!! 新人賞受賞原作をかわぐちかいじが完全漫画化!』

 それから『それはビートルズへの裏切り』
 『──2010年から1961年にタイムスリップしたビートルズのコピーバンド。自分たちのきた時代がビートルズのデビュー前年だと知ったメンバーは、ビートルズになり代わることを決意する。もし、僕がビートルズより先に「イエスタデイ」を発表したら、僕はビートルズになれるかもしれない』

 ちょっと面白そう。
 久しぶりに漫画でも読んでみっか・・・。

 物語は現代。
 ビートルズのコピーバンドである「ファブ・フォー」は、東京のライブハウスで「本物のビートルズよりも巧いテクニック」を合言葉に人気を博していたのだが、メンバーの一人であるレイ(ジョン・レノンのパートを担当している)が突然の脱退宣言をし、その夜をもって最後のステージを迎えることとなってしまった。

 ステージ終了後、メンバーのマコト(ポールのパートを担当している)が、地下鉄構内でレイを引き止めようとした際に、誤って、メンバーのショウ(主人公で、ジョージのパートを担当している)と3人、ホームに飛び込むように落ちてしまう。
 そして、ちょうど反対側のホームにも、駆けつけたメンバーのコンタ(リンゴのパートを担当している)がいた・・・。

 覚醒したショウが目を覚ますと、何故かそこは、1961年の日本だった。
 ショウとマコトの2人は、ちょうど49年前の過去へとタイムスリップしていたのだ。
 実質的な物語は、ここから始まってゆく・・・。

 1961年といえば、まだビートルズがレコード・デビューする前である。
 つまり、この物語、タイムスリップした4人は(今のところ、1961年の世界では離れ離れなのだが)コピー・バンドとしてビートルズの213曲を全部知ってる訳で、本物のビートルズよりも早く同じ曲を引っ提げてデビューすることが可能だということにもなる。
 ところが居る場所は日本。さて、この先物語はどのような展開を見せるのか?

 漫画かわぐちかいじ、原作が藤井哲夫、「僕はビートルズ」の第一巻だけを読んだ、その感想を言えば、出だしは中々好調だということだろうか。

 でもなあ。
 どうも納得いかないのは、所詮こいつら「ズルじゃん」ってことなんだよね。やっぱり。
 まあ、確かに主人公も、自分を偽ってまでビートルズの曲を世に送り出していいのかと、迷いや葛藤はするのだが・・・。

 その辺りの結着を、かわぐちかいじ×藤井哲夫、今後どうつけるか、ちょっと興味はあるけれど。






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「秋田と岩手、そして月曜日」

2010年09月20日 | Weblog
 仕事でスタッフたちが、今日もまた全国各地に散らばっている。
 3連休だというのに、本当に申し訳ない。

 ある者は、神奈川県厚木市で開催された「第5回B-1グランプリ」へ、そしてある者は七戸町で開かれた「東北新幹線全線開通」に伴う某イベントへ、そしてまたある者は視察を兼ねての九州熊本と鹿児島へ・・・。

 毎週のように全国各地で開催している「祭り」に繰り出し、東北新幹線開業に関するPRのためのブース作りだったり、仮装してのグッズ配りだったり。
 どこのイベントも、土日祭日の開催なので、それに合わせてこちらも参画となると、結局、平日普段の仕事と残業をこなし、そのまま休日に駆けつけるということになってしまうから辛い。

 あと、「東京・新青森間 東北新幹線全線開通12月4日」まで、75日!
 もう少し。もう少しの頑張りだ。

 ちなみに、厚木市で開かれたB級ご当地グルメの祭典、「第5回B-1グランプリ」は、甲府市の「甲府鳥もつ煮」が優勝した。
 青森県内では、「八戸せんべい汁」がブロンズグランプリ(第3位)、「黒石つゆやきそば」が第7位、そして「十和田バラ焼き」が第8位となったようだ。

 こちらは土日、秋田と岩手を跨いだ。
 東北自動車道をあっちへ行ったり、こっちへ来たり。
 宿泊は、岩手県側。
 それも夜の9時過ぎになって、やっと宿へと落ち着くありさま。

 山々は、もうすっかり秋の衣を身に纏っている。
 まだまだ緑が濃いけれど、それでもほんの少しだけ赤みを帯びた葉が、鮮やかな緑色をした樹木に隠れるように潜んでいたりする。

 宿泊場所の近辺は、リゾート地ということもあってなのか、夜にはもう何処も閉まっていて、仕方がないから、離れた場所に1件だけあったスーパーでステーキ用の肉と電子レンジで温めるだけのご飯を買って来て、施設に備え付けてあった器具を駆使して、俄か料理と相成った。

 日中だと、付近の高原を散策したり、近くにある(たぶん、あると思う)温泉にでも浸かって、のんびりと初秋の太陽を浴びて過ごせるのだろうが、こっちは明日の午前中にはこの場所を出発しなければならないときている。
 だいたいにして周りが真っ暗なので、何処になにがあるのかすら、ほとんど分かんない。

 結局、お風呂に入って、それから眠りにつく。
 でも、案の定、朝までほとんど寝なかった・・・。

 日曜日。
 やっと窓を開けて、付近の状況が掴めて来る。
 雨が降ったらしい。
 広々とした緑の草原と、雨に煙る山並みが見える。
 でも時間がないので、何処にも寄らず、今度は盛岡市を目指して車を走らせた。

 市内に入ると大渋滞。
 市内中心部の駐車場を探し、車を停め、少しだけ滞在。

 最後は、視察も兼ねてスター・バックスへ。
 そこから今度は東北自動車道の下りへと入った。

 やっとの思いで青森市内へと辿り着き、そのままオフィスへと直行した。
 日曜日の夜のオフィスには、もう誰もいない。
 でも日直カードを見たら、日中、スタッフたちの何人かが出勤していたようだ。

 誰も居ない執務室の一角で、パソコンを点け、書類に目を通し、そして仕事の整理をした。
 しーんと静まりかえった日曜日の夜のオフィスに、キーボードを叩く音だけが響く。
 仕事を終え、疲れ果てて家へと帰った。

 そして月曜日。カレンダーでは一応祭日ということになっている。
 空も晴れている。清々しい休日の朝の風景だ。

 でも、こっちは今日も出番が待っている。
 今日は「敬老の日」。
 なので、代理で某敬老会に出席し、そこで祝辞の挨拶をしなければならないのだ。

 のどかな午前中の街を、スーツにネクタイを締め、目的地を目指した。
 結構、気温が上がっている。
 少し時間があったので、広々とした「平和公園」のベンチに腰掛け、噴水の近くで遊んでいる親子連れの遊ぶ姿を目で追い掛けながら、携帯でのやりとり。

 日差しが眩しい。
 とても気持ちのいい天気だ。

 携帯での会話を終え、まだ少し時間があったので、敬老会会場近くの、ソウルメイト・アンジェリーナ・ジョリー・T建築士のオフィスをアポなし訪問。
 あらあら。
 やっぱりT女史も、休日関係なしで辛いお仕事なのね・・・。

 「敬老会」では、代理挨拶と乾杯の音頭。
 終わって、やっとお役目から解放される。
 午後から、久しぶりの半日間だけの自由時間が与えられることに。

 当然、スポーツ・ジム!
 何日ぶりだろう、汗を流したのは。

 と、思っている間に、もう宵闇が訪れた。
 ああ・・・。
 結局、このまま平日の火曜日へと突入じゃん!





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「女は男の指を見る」

2010年09月19日 | Weblog
 この新書、滅茶苦茶面白いっ!
 お勧めである。

 京都大学理学部で動物行動学を専攻した竹内久美子氏による新潮新書「女は男の指を見る」。
 いやあ。久しぶりに一気に読んだ。
 この本、目から鱗のトリビアネタが満載である。
 「へえーっ! そうだったんだあ」と何度も呟いてしまうこと、受け合いだ。

 ロンドンのシティーで働く、株のトレーダー男性44人の指を調べたところ、薬指が人差し指に対してどれだけ長いか(測定法としては人差し指の長さを薬指の長さで割った値がどれだけ低いか)で大きな差が出ることが分かった。

 この指比が低いグループ(平均で0.93)と高いグループ(平均で0.99)とでは、年収に約7,800万円もの開きがあったのだとか。
 つまり、指比の値が低いトレーダーがよく稼いでいるという結果が出たのである。

 と、ここまで書くと、思わず自分の指を眺める人が何人かいるはずだ。
 「女は男の指を見る」によると、手の甲ではなくて、手のひらの側を測るらしい。
 それも、右手の手のひらと指の境目にある皺の真ん中から指の先までを測ること。そして、薬指だったら手のひらに近いほうの皺を測ること。

 女性は男性を見るとき、顔や胸板などより指に注目していると筆者はいう。
 体の末端に位置する部位は共通の遺伝子からつくられていて、指を見れば、胴体の先端、いわゆる生殖器の善し悪し(まあ何と言いますか、何をもっての『善し悪し』かはご想像にお任せします)も見抜くことができるとも述べている。

 そして、人さし指に比べて薬指が長い人ほど、男性ホルモンのレベルが高く、スポーツや音楽の才能に恵まれているのだという。
 また、指比の値が低い男性は精子の数も多く、質もよいという調査結果もあるらしい。

 つまり、薬指の長い男性は、胎児期のテストステロンというホルモンの働きによって、男性らしさが強い傾向にあるため競争心が強く、自信や集中力、ねばり強さやリスクを好む性質も強い。
 なので、女性が特に気になる男性の部位としては、「手」が第1位になるのだと解く。

 「初対面で、女は男の顔よりも指を見る」。
 「ハゲの男は病気に強い」。
 「自分と違う免疫の型の持ち主ほど匂いがいい」。
 「ピルは女の勘を鈍らせる」。
 「浮気で得をするのは女である」。
 この新書の各項目を追うだけでも面白い。

 そして、竹内久美子氏によるデータの裏付けや、動物行動学そのものを易しく解いてゆくから、スラスラ読めて、しかもタメになる。
 数々の実験や最新データをもとに読み解く「色気」や「魅力」や男女の「相性」と、「利己的な遺伝子」の壮大な企みが徐々に明らかになる。

 ここに挙げたのは、新潮新書「女は男の指を見る」の中のほんのワン・ピースでしかない。
 まだまだ興味を惹いて止まない話題が、この本にはてんこ盛りで綴られている。

 利己的な遺伝子・・・。
 我々は、単なる遺伝子のコピー、遺伝子の乗り物に過ぎない。
 膨大な時間を経ながら、我々は単に遺伝子が自ら増やそうとしているその「目論見」の中で生かされているに過ぎない。

 じゃあ、「自己」って何?
 自分探しって一体何なの?

 「女は男の指を見る」を読むと、そんな事まで考えてしまう。
 




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「マッチョになりたいっ!」

2010年09月18日 | Weblog
 しっかし。
 痩せるために血の滲むような努力を繰り返し、食事にも細心の気を配り、絶えず体を虐め抜く。
 それでも、一か月頑張って数キロの減量と、ちょっとお腹が凹むぐらいが関の山だろう。

 ところが。
 太るのは早い。途轍もなく早い。
 一週間程度、多めの食事を摂ったり、お酒を飲みに行く回数を若干増やすだけで、あっという間に数キロ体重が増えてしまう。

 数年前は、ほぼ毎日のようにジョギングしたり、スポーツ・ジムでエアロビクスやランニングを欠かさず行っていたのに、最近はそれもめっきり減ってしまった。

 そういえば、10月に開催される「弘前~白神山地」を走るフルマラソンへのエントリーをすっかり忘れていて、結局申し込み締切日が過ぎてしまい、不参加となってしまった。
 それに、9月26日は「秋田内陸縦断100キロウルトラマラソン」がある。
 これにも今回申し込みをしなかった。
 友人が独りで参加することに・・・。ほんと、ごめんなさい・・・。

 なんか、近ごろ段々走るのが億劫になってきたような気がする。
 どうしたんだろう?
 いつか、アメリカ大陸縦断マラソンに出ると誓ったんじゃなかったっけ?
 仕事を終えて家に帰るとクタクタに疲れてしまい、そこからジムに行くのが面倒になってしまうのだ。
 
 といいつつ、スリムで鋼のような身体になることを今でもずっと夢見ていたりする。
 体は心を現わしている。
 心身ともに鍛えている人間は、やはり自分自身に対してそれなりの努力を課し、高みの目標に向かって一生懸命頑張っている。
 そしてそれは、躯体に必ず現れる。

 雑誌「Tarzan」って、永遠のワンパターン雑誌だと思う。
 だって、扱っているのが「健康」、「スポーツ」、「トレーニング」だから、ほとんど同じような内容を年中繰り返しているに過ぎない。

 「腹筋の鍛え方」だったり、「ランニングの方法」だったり、「痩せるためのトレーニング」だったり、「健康食品」だったりと、ある意味で、マンネリズムの極致を歩んでいる雑誌なのだ。

 それなのに、読者が飽きちゃっただとか、マンネリで部数が落ち込んでいるだとか、そういう話は余り聞こえて来ない。
 いつも、本屋さんには最新号が並べられ、それなりに売れているから不思議である。

 ということは、僕と同じように「今年こそはお腹を割ろう」とか、「よしっ、五キロ減量して体も同時に絞り込むぞ」とか意気込み、雑誌「Tarzan」も買って実践するのだけれど、いつのまにか挫折してしまい、それを何度も繰り返している人間が世の中には多いという事の現れなのかも。

 その「Tarzan」。
 最新号のテーマは「細マッチョ」。
 「ちょいポチャ克服プログラム」に、「細くてしなやかな筋肉を作る、初めてのプロテインQ&A」に、「細マッチョこそが、ファッションの似合うカラダだ」などなど、いつものパターンではある・・・。

 こうして今日もまた、日本中の三日坊主がこの雑誌を買い求め、みんながみんな、今度だけは本気で鍛え抜くと宣言しているのである。
 やれやれ。

 よーしっ!
 俺も、明日から月15日は絶対スポーツ・ジムに通い、今年中に絶対腹を割ってみせるぞっ!
 ・・・って、これで何度目の宣言かしらん。





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「事実などない。ただ、認識があるだけだ」

2010年09月17日 | Weblog
 朝起きて、トイレに入り、歯を磨いて、半分眠ったままパンと紅茶を交互に飲み干す。
 白いシャツとストライプのスーツ。ネクタイを締めながら外を眺める。

 どんより曇った秋の空。
 金曜日の朝。
 体も心も疲れ切っている。

 自転車に乗って、中心市街地を横切り、海へと向かう。
 青森駅から多くの通勤客が降りて来る。みんな、憂鬱そうな顔を浮かべている。

 そこから、八甲田丸の手前の青い海公園連絡通路を抜けて、駅西口ヨットハーバー。もうすぐオフィスが見えて来る。

 このまま引き返し、一切のしがらみを断ち、新しい別の人生を歩むことも出来る。
 人事に辞表を提出し、退職金を貰い、自分の好きな、自分のやりたい事をやるだけの人生を送ることだって出来る。

 簡単なことだ。
 たった一度きりの人生じゃないか。
 嫌な事、煩わしい事、理不尽な事、納得出来ない事、それらを全部投げ出して、まっさらな自分に戻れるかもしれないじゃないか。

 でも、全てをリセットしたとしても、その新しい人生とやらの前には、別な形の嫌な事、煩わしい事、理不尽な事、納得出来ない事は、必ずまた降りかかって来る。
 人生は、不合理で不寛容で不都合な事で満ち溢れている。

 ボトルの中にちょうど半分入っている水。
 多いと見るか? 少ないと見るか?

 そこにあるのは、少ないと認識するのか、多いと認識するのか、ただそれだけである。
 事実などない。それは事実ではない。単なる認識である。
 あなたが、あなたの脳の中で思考している、ただその認識だけなのである。

 一日が終わり、また日が暮れてゆく。
 夜が駆け足でやってくる。
 またこうして一週間が過ぎてゆく。
 何も生み出さず、何の感慨もなく、時間だけが過ぎてゆく。

 スポーツ・ジムへと向かい、余りに疲れていたので途中で引き返した。
 走る気になれない。筋トレもボディ・コンバットも億劫だ。
 なんにもヤル気が起こらない。

 不幸だという事実はない。
 不幸だと、単に認識している・・・たぶん、ただそれだけのことだろう・・・。




 

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