今というこの限られた時間を、真剣かつ思い切り充実させて生きているという実感がない。もちろん、移り変わる日々の暮らしの中で見つけたり感じたりするものは確かにあるとは思う。いや、ある。それはある。海沿いをウォークマン聴きながらランニングしたり、ジムでひたすら汗を掻いたり、映画館で大好きな映画を観たり、学生たちに学問の一端を教えたり、気の合う仲間と他愛のない話に興じたり、仕事を終えて帰宅して飲む冷えた缶ビールだったり(たまにだけど)、その時々でふと感じる、些細な充実感やちょっとした幸せ時間というものは当然にして存在する。ないとはいわない。でもなんなんだろ? 時々心の底から思うのだ。たぶん、このままの心の状態を維持して生きていったとしたら、そのうち絶対どこかでどん詰まる。必ず、どん詰まる。保証する。にっちもさっちも行かなくなって右往左往し、結局そんな自分自身に耐え切れなくなって、最後には窒息してしまうんじゃないか? そう思うと、凄まじいまでの恐怖感に襲われる。それほどまでに、強い見栄と、ひん曲がったプライドと、他者に対するルサンチマンを抱いて生きているということなのだ。これまでにも何度か襲って来た、あの得体の知れない、「真っ黒な塊」の何十倍もの巨大な塊が怒涛の如く全身を覆い尽くし、たぶん、そこで終わってしまうに違いない。絶対そうなる。でも、終わってしまうそのこと自体は別に怖くない。誰もが辿る道で、誰もその先を知らないからだ。しかし怖いのは、空虚や焦燥や孤独や孤立や絶望なんかの負の感情が、一気に「塊」となって降りて来る時の、あの耐え切れない痛みを伴う負の感覚だ。これが辛い。処理するなんて不可能だ。だから、準備が必要だ。それは、いずれ訪れる「死」だとか、肉体を蝕む「病」だとか、一切の関係性が遮断されてしまった「独りぼっちの居場所」だとかに抗うためのしたたかな戦略だ。方法論の確立だ。勝つための心構えだ。負けないための鍛錬だ。それこそが、このどうしようもない世界を生きるための唯一の道である。ロックだけじゃ向かって来る巨大な敵には戦えない。そこにはロールも必要だ。誰もがそうだろう。
あなたを心配させるもの、それが、あなたを支配する。
昨日は夜の7時45分から始まるジムでのエクササイズ「Z180」で汗を流した。
終わって熱いお風呂に入る。髭を剃って、髪と体を洗い、終わって外に出たらもう9時を過ぎていた。
ジムの駐車場に停まっている車の数も少ない。
ひっそりと静まり返った街区を車飛ばして家に帰る。10分もかからずに着いた。
歯を磨いて蒲団に入る。
まずはテレ朝「報道ステーション」を観る。
最近は腹がたつニュースばっかりなのでストレスが溜まり、あんまり観たくはないのだけれど、仕方がない。授業でも言わなきゃならないし・・・。
それにしても、イスラエルとパレスチナの衝突には心底気が滅入る。
昨日時点で、パレスチナ側では子どもを含めて217人もの死者が出ているという。もちろん、数は少ないけどイスラエル側にも・・・。
圧倒的に軍事力ではイスラエル側に分がある。しかし、ガザ地区をも含め、戦後からジワジワと住居エリアを理不尽に侵食され続けてきたパレスチナ人にも不満は大いにあるだろう。好き勝手にアメリカを含めた超大国に翻弄されてきたのだから。
でも子どもに罪はない。
そんな悲惨すぎる悲劇を、オレは蒲団に潜って安全な場所からただ眺めている。ジムで汗を流し、美味しい珈琲を飲み、明日の予定を頭の中で組み立てながら・・・。
そしてそんな心境を文章にしたためることで、後ろめたさを払拭したのだと、確信犯的に安心する。最低だ。
壁の時計の針が午後11時を指した。
「報道ステーション」が終わって、「ロンドンハーツ」。
お笑いの4人組(現在は、子育て中の一人を除いて3人)「ぼる塾」のあんりが登場するというので観ないわけにはいかない。
「ぼる塾」が好きなのだ。そのなかでも、あんり。あの辛口ツッコミが癖になる。
「ぼる塾」は、「しんぼる」と「猫塾」の2組が合流して、新たに「ぼる塾」として再結成したお笑いカルテットである。
今回は、「ロンハー」お得意のドッキリ企画に出た。
前半は「食レポ」ドッキリで、まあこれも笑ったけれど、後半の「奇跡の1枚」(化粧メイクや撮影技術を徹底的に駆使して、まったく別人のように大変身させる企画が「奇跡の1枚」)、これが面白かった。
「ぼる塾」のあんりには、ハリウッド女優のエマ・ワトソンに限りなく近づけるメイクを施すと説明しながら、実際には女子プロレスラーの極悪ダンプ松本に変身させてしまうというドッキリだった。
隠しカメラに映されているとも知らず、思わずメイク中に「ロンハーやアメトーークは本当に現場が重くて簡単には笑ってくれないの。テレ朝を笑顔で帰ったことないよ」と嘆いていたのが可笑しかったし、エマ・ワトソンじゃなくてダンプ松本になっていると気づいたあんりが、マジにキレて、「ホントにむかつく、マジでムカつく。だからロンハー嫌いなんだよ」と怒り、「今までやってきた仕事で1番ムカつく! マジで一生、ロンハーには出られなくていい」と苦笑していたシーンも楽しかった。
「ロンドンハーツ」を観終え、もう夜中の0時過ぎ。
眠れるわけがない。
そのまま続けて「ぼる塾の煩悩ごはん」へと突入した。ああ・・・また寝不足かよ(って、自分が悪いんですが)。
同じテレ朝の「ぼる塾の煩悩ごはん」は、「ぼる塾」のあんりが、レストラン「Musavor(ムサボール)」に毎回ゲストを招いて、凄まじい高カロリーな煩悩ごはんでもてなすというトーク番組で、昨日は(もう今日だけど)、これまたお笑い芸人「納言」の薄幸がゲストだった。
薄幸の本音トークがまた凄かった。
Hの時は「です、ます」調で男にひれ伏すのだという性癖まで告白してくれた。
これなんて、深夜番組だからこそなせる企画で、これまた「ぼる塾」あんりの面目躍如!
「ぼる塾」、好きだなあ。
終わって熱いお風呂に入る。髭を剃って、髪と体を洗い、終わって外に出たらもう9時を過ぎていた。
ジムの駐車場に停まっている車の数も少ない。
ひっそりと静まり返った街区を車飛ばして家に帰る。10分もかからずに着いた。
歯を磨いて蒲団に入る。
まずはテレ朝「報道ステーション」を観る。
最近は腹がたつニュースばっかりなのでストレスが溜まり、あんまり観たくはないのだけれど、仕方がない。授業でも言わなきゃならないし・・・。
それにしても、イスラエルとパレスチナの衝突には心底気が滅入る。
昨日時点で、パレスチナ側では子どもを含めて217人もの死者が出ているという。もちろん、数は少ないけどイスラエル側にも・・・。
圧倒的に軍事力ではイスラエル側に分がある。しかし、ガザ地区をも含め、戦後からジワジワと住居エリアを理不尽に侵食され続けてきたパレスチナ人にも不満は大いにあるだろう。好き勝手にアメリカを含めた超大国に翻弄されてきたのだから。
でも子どもに罪はない。
そんな悲惨すぎる悲劇を、オレは蒲団に潜って安全な場所からただ眺めている。ジムで汗を流し、美味しい珈琲を飲み、明日の予定を頭の中で組み立てながら・・・。
そしてそんな心境を文章にしたためることで、後ろめたさを払拭したのだと、確信犯的に安心する。最低だ。
壁の時計の針が午後11時を指した。
「報道ステーション」が終わって、「ロンドンハーツ」。
お笑いの4人組(現在は、子育て中の一人を除いて3人)「ぼる塾」のあんりが登場するというので観ないわけにはいかない。
「ぼる塾」が好きなのだ。そのなかでも、あんり。あの辛口ツッコミが癖になる。
「ぼる塾」は、「しんぼる」と「猫塾」の2組が合流して、新たに「ぼる塾」として再結成したお笑いカルテットである。
今回は、「ロンハー」お得意のドッキリ企画に出た。
前半は「食レポ」ドッキリで、まあこれも笑ったけれど、後半の「奇跡の1枚」(化粧メイクや撮影技術を徹底的に駆使して、まったく別人のように大変身させる企画が「奇跡の1枚」)、これが面白かった。
「ぼる塾」のあんりには、ハリウッド女優のエマ・ワトソンに限りなく近づけるメイクを施すと説明しながら、実際には女子プロレスラーの極悪ダンプ松本に変身させてしまうというドッキリだった。
隠しカメラに映されているとも知らず、思わずメイク中に「ロンハーやアメトーークは本当に現場が重くて簡単には笑ってくれないの。テレ朝を笑顔で帰ったことないよ」と嘆いていたのが可笑しかったし、エマ・ワトソンじゃなくてダンプ松本になっていると気づいたあんりが、マジにキレて、「ホントにむかつく、マジでムカつく。だからロンハー嫌いなんだよ」と怒り、「今までやってきた仕事で1番ムカつく! マジで一生、ロンハーには出られなくていい」と苦笑していたシーンも楽しかった。
「ロンドンハーツ」を観終え、もう夜中の0時過ぎ。
眠れるわけがない。
そのまま続けて「ぼる塾の煩悩ごはん」へと突入した。ああ・・・また寝不足かよ(って、自分が悪いんですが)。
同じテレ朝の「ぼる塾の煩悩ごはん」は、「ぼる塾」のあんりが、レストラン「Musavor(ムサボール)」に毎回ゲストを招いて、凄まじい高カロリーな煩悩ごはんでもてなすというトーク番組で、昨日は(もう今日だけど)、これまたお笑い芸人「納言」の薄幸がゲストだった。
薄幸の本音トークがまた凄かった。
Hの時は「です、ます」調で男にひれ伏すのだという性癖まで告白してくれた。
これなんて、深夜番組だからこそなせる企画で、これまた「ぼる塾」あんりの面目躍如!
「ぼる塾」、好きだなあ。
憂鬱な月曜日も、仕事の忙しさのなかに埋没しているとそれなりに忘れてしまう。
昨日も午後から「ZOOM」と「対面」とのハイブリット講義を行った。ほぼ全員が「ZOOM」での参加だったので、がらーんとした教室にたった独りだけポツンと取り残されているような気分に襲われる。
今日の火曜日は朝から晴れている。いい天気だ。
出勤時、郊外の南北を貫く直線道路に出たら、真正面に残雪を被った雄大な八甲田連邦がすぐそこまで迫って来た。
美しい眺めだ。周りの木々が暖かい朝の光に萌えている。
午前中、打ち合わせと準備を行い、午後から始まる2コマの「ゼミ」に備える。今日は、バスを借り切って「浅虫温泉」地区のフィールド・ワーク。ゼミ生20名と一緒に調査をするためだ。
お昼は学内にあるコンビニエンスストアで、カロリー少なめなカップ・スープを買って少食に徹した。先日、ジムで体重計に乗ったら2キロも増えているではないか!
リバウンドしてる・・・。
そういえば、最近ちょっと食べ過ぎているな。控えないと。
「ゼミ」生を連れた「浅虫温泉」地区の調査を終え、バスに乗り込んでまた大学へと戻る。
出欠を取り、次までの課題を投げて、解散した。時間は午後の4時。
「研究室」に戻ってパソコンを開いたら、仕事関連のメールと決済がたくさん溜まっていた。一件一件、処理し、退勤時間が来たので家へと帰る。
今夜は何を観ようか?
昨日の夜、WOWOWで観た日本映画、「名も無き世界のエンドロール」が面白かった。
岩田剛典と新田真剣佑が初共演した映画で、「小説すばる新人賞」を受賞した行成薫という作家の同名小説を映画化してのだとか。行成薫の小説は読んだことがない。
映画は、過去と現在を交互に描いてゆく。
岩田剛典と新田真剣佑はそれぞれが複雑な家庭環境で育った幼なじみで、とても仲がいい。岩田剛典のほうはどちらかというと理知的で冷静にものごとを捉え、新田真剣佑は悪戯好きでヤンチャな性格だ。
そこにある日、転校生の女の子がクラスメイトとなって2人の前に現れる。両親がいないという同じ境遇から3人はすぐに仲良くなり、大きくなっても互いに支え合って生きていくことまで誓い合う。
ところが20歳になったころ、突然、新田真剣佑がそれまで勤めていた自動車修理工場を辞め、目の前から不意に姿を消してしまう・・・。
ここから物語は急展開してゆく。
楽しかった過去の時代と今いる現在の大人になってしまった時代が激しく交錯して、ラストの衝撃的な展開へと突き進む。
監督の佐藤祐市が巧い。日本映画にしてはカメラワークや映像も美しいし、小説そのものの影響なんだろうけど、脚本もいい。
セリフが研ぎ澄まされていて、印象的なフレーズがたくさん出てくる。
映画のポスターに、大きく【ラスト20分の真実】と書かれているように、確かにラストはみせる。
「ああ・・・そういうことなのかぁ」と、観ながらネタはそれなりに分かってしまうのだけれど、それでもラストはビターで切なく、よく出来ていると思う。
映画「名も無き世界のエンドロール」、ネットの書き込みを見ると賛否両論があるようだけど、まったく予備知識もなく、素のままで観たら、ほんと面白かった。
これだけ観続けても、まだまだ尽きないんだなあ、映画っていう芸術は。
あっ。そうだった。
映画「名も無き世界のエンドロール」のことをパソコンに打ち込みながら、ふと、気づく。
映画を観ている余裕なんて、本当はもうないんだった。
今年中に出版する予定の「キース・リチャーズになりたいっ!【日本映画編】」の原稿を、そろそろ書き始めなきゃいけないんだ。
やっと、100枚の小説だけは書き上げ、「青函考路」最新号への掲載が決まったし。
小説のタイトルは「さよなら、ライク・ア・ローリングストーン」。校正も終わり、あとは、その「青函考路」発売日を待つだけだ。
昨日も午後から「ZOOM」と「対面」とのハイブリット講義を行った。ほぼ全員が「ZOOM」での参加だったので、がらーんとした教室にたった独りだけポツンと取り残されているような気分に襲われる。
今日の火曜日は朝から晴れている。いい天気だ。
出勤時、郊外の南北を貫く直線道路に出たら、真正面に残雪を被った雄大な八甲田連邦がすぐそこまで迫って来た。
美しい眺めだ。周りの木々が暖かい朝の光に萌えている。
午前中、打ち合わせと準備を行い、午後から始まる2コマの「ゼミ」に備える。今日は、バスを借り切って「浅虫温泉」地区のフィールド・ワーク。ゼミ生20名と一緒に調査をするためだ。
お昼は学内にあるコンビニエンスストアで、カロリー少なめなカップ・スープを買って少食に徹した。先日、ジムで体重計に乗ったら2キロも増えているではないか!
リバウンドしてる・・・。
そういえば、最近ちょっと食べ過ぎているな。控えないと。
「ゼミ」生を連れた「浅虫温泉」地区の調査を終え、バスに乗り込んでまた大学へと戻る。
出欠を取り、次までの課題を投げて、解散した。時間は午後の4時。
「研究室」に戻ってパソコンを開いたら、仕事関連のメールと決済がたくさん溜まっていた。一件一件、処理し、退勤時間が来たので家へと帰る。
今夜は何を観ようか?
昨日の夜、WOWOWで観た日本映画、「名も無き世界のエンドロール」が面白かった。
岩田剛典と新田真剣佑が初共演した映画で、「小説すばる新人賞」を受賞した行成薫という作家の同名小説を映画化してのだとか。行成薫の小説は読んだことがない。
映画は、過去と現在を交互に描いてゆく。
岩田剛典と新田真剣佑はそれぞれが複雑な家庭環境で育った幼なじみで、とても仲がいい。岩田剛典のほうはどちらかというと理知的で冷静にものごとを捉え、新田真剣佑は悪戯好きでヤンチャな性格だ。
そこにある日、転校生の女の子がクラスメイトとなって2人の前に現れる。両親がいないという同じ境遇から3人はすぐに仲良くなり、大きくなっても互いに支え合って生きていくことまで誓い合う。
ところが20歳になったころ、突然、新田真剣佑がそれまで勤めていた自動車修理工場を辞め、目の前から不意に姿を消してしまう・・・。
ここから物語は急展開してゆく。
楽しかった過去の時代と今いる現在の大人になってしまった時代が激しく交錯して、ラストの衝撃的な展開へと突き進む。
監督の佐藤祐市が巧い。日本映画にしてはカメラワークや映像も美しいし、小説そのものの影響なんだろうけど、脚本もいい。
セリフが研ぎ澄まされていて、印象的なフレーズがたくさん出てくる。
映画のポスターに、大きく【ラスト20分の真実】と書かれているように、確かにラストはみせる。
「ああ・・・そういうことなのかぁ」と、観ながらネタはそれなりに分かってしまうのだけれど、それでもラストはビターで切なく、よく出来ていると思う。
映画「名も無き世界のエンドロール」、ネットの書き込みを見ると賛否両論があるようだけど、まったく予備知識もなく、素のままで観たら、ほんと面白かった。
これだけ観続けても、まだまだ尽きないんだなあ、映画っていう芸術は。
あっ。そうだった。
映画「名も無き世界のエンドロール」のことをパソコンに打ち込みながら、ふと、気づく。
映画を観ている余裕なんて、本当はもうないんだった。
今年中に出版する予定の「キース・リチャーズになりたいっ!【日本映画編】」の原稿を、そろそろ書き始めなきゃいけないんだ。
やっと、100枚の小説だけは書き上げ、「青函考路」最新号への掲載が決まったし。
小説のタイトルは「さよなら、ライク・ア・ローリングストーン」。校正も終わり、あとは、その「青函考路」発売日を待つだけだ。
世界でトップの大富豪62人の資産の合計は、全人類の下位50%にあたる36億人と同程度の資産を有していると言われている。
もうここまで来ているのだ、超格差社会という巨大で凶暴な怪物は。
たとえば、韓国。
韓国成人のうち、100万ドル(約1億円)以上の資産を保有している「百万長者」は74万1000人いるらしい。「百万長者」とは、不動産や金融資産などの資産を合わせ、100万ドル、すなわち約11億8000万ウォン以上保有している人たちのことだ。
韓国は凄まじいまでの学歴社会である。
幼児のころから塾に通い、夜遅くまで自宅に帰れない小学生は珍しくない。そんな韓国社会を「ヘル(地獄)朝鮮」と呼ぶものもいる。
過去には「7放世代」という言葉も流行った。
恋愛、結婚、出産、マイホーム、人間関係、夢、就職、この7つを放棄するしかない、全部諦めた世代のことを「7放世代」と自虐的に呼んだのだ。
韓国にはまた、「金のスプーン」「土のスプーン」という言葉もある。金のスプーンを持って裕福な家庭に生まれた人間は死ぬまで贅沢三昧な暮らしが約束され、貧しい家に生まれた人間は、努力をしても絶対に報われず、死ぬまで貧乏から抜け出せない・・・。
こうなると、絶望するしか術がない。希望など一切見出すことが出来ないからだ。
アカデミー賞作品賞をとった韓国映画「パラサイト 半地下の家族」を観た人なら分かると思う。
韓国では、約36万4000世帯が、映画のような半地下の家に住んでいる(2015年の統計による)。
その一方で、ソウル市内にある高級住宅街には豪華な家が立ち並び、有名韓国の大企業である「サムスン」や「ヒョンデ」「LG」などの10の財閥だけで、韓国全体の富の4分の3を占め、所得上位10%の層が国民総所得の45%を占めている。45%だ!
そして韓国では、先進国中、自殺者の割合がとても多い。なかでも高齢者の自殺が多く、80歳以上で3倍以上にもなる。
韓国は物凄い競争社会であり、格差社会なのだ。そしてその一番の犠牲者が、若者であり、高齢者ということになる。
厳しい受験戦争を勝ち抜くために幼い頃から塾へと通い、一流大学を出ても大企業には就職できない。ところが、大きなスキャンダルにもなった、あのパク・クネ前大統領やチョ・グク前法相の事件のように、有力者のコネクションがあれば裏から一流大学や一流企業に入ることができる。こうした不満が韓国社会全体に渦巻いているのだ。
いま、韓国ドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」にハマっている。
数年前から、すでに日本でもテレビで何度か放送されていたドラマらしく、そのことは今までまったく知らなかった。
タイトルの「SKYキャッスル」とはドラマに登場する高級住宅街の名称なのだが、実際に「SKY」は韓国で最難関だと言われている「ソウル大学(S)」、「高麗(コリョ)大学(K)」、「延世(ヨンセ)大学(Y)」の頭文字を合わせた言葉で、韓国の上流社会ではこの「SKY」でなければ人間として認めないという暗黙知さえあるのだとか。
それにしても、このドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」は面白い。
もう途中で止められない。ひたすら観続けている。
韓国ドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」の舞台は、韓国上級国民だけが住むことを許された高級住宅街、「SKYキャッスル」。ドラマの主人公もまたこの高級住宅地に住んでいる。
ある日、隣に住んでいる仲のいい住人の息子が、はれてソウル大学医学部に合格したということを知り、自分の娘もまた同じ医学部に入学させようとの思いから、情報収集を兼ねた合格記念パーティーを主催する。
彼女は、隣の住人から100%の合格率を誇る凄腕入試コーディネーターを紹介されるのだが、なぜだか突然、隣人の女性が謎の猟銃自殺を図ってしまう・・・
とにかく、初回を観れば、あとはもう寝るのを惜しんで観続けてゆくしか、ほかに選択肢はない。
なんなんだ? この韓国ドラマ(映画もだけど)の最後の最後まで飽きさせないという絶妙な巧さって!
いやあ、韓国社会における格差と競争の一面を知るだけでもこのドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」は観る価値がある。
ただし、徹夜必至ですので、その点だけは切にご配慮を!
もうここまで来ているのだ、超格差社会という巨大で凶暴な怪物は。
たとえば、韓国。
韓国成人のうち、100万ドル(約1億円)以上の資産を保有している「百万長者」は74万1000人いるらしい。「百万長者」とは、不動産や金融資産などの資産を合わせ、100万ドル、すなわち約11億8000万ウォン以上保有している人たちのことだ。
韓国は凄まじいまでの学歴社会である。
幼児のころから塾に通い、夜遅くまで自宅に帰れない小学生は珍しくない。そんな韓国社会を「ヘル(地獄)朝鮮」と呼ぶものもいる。
過去には「7放世代」という言葉も流行った。
恋愛、結婚、出産、マイホーム、人間関係、夢、就職、この7つを放棄するしかない、全部諦めた世代のことを「7放世代」と自虐的に呼んだのだ。
韓国にはまた、「金のスプーン」「土のスプーン」という言葉もある。金のスプーンを持って裕福な家庭に生まれた人間は死ぬまで贅沢三昧な暮らしが約束され、貧しい家に生まれた人間は、努力をしても絶対に報われず、死ぬまで貧乏から抜け出せない・・・。
こうなると、絶望するしか術がない。希望など一切見出すことが出来ないからだ。
アカデミー賞作品賞をとった韓国映画「パラサイト 半地下の家族」を観た人なら分かると思う。
韓国では、約36万4000世帯が、映画のような半地下の家に住んでいる(2015年の統計による)。
その一方で、ソウル市内にある高級住宅街には豪華な家が立ち並び、有名韓国の大企業である「サムスン」や「ヒョンデ」「LG」などの10の財閥だけで、韓国全体の富の4分の3を占め、所得上位10%の層が国民総所得の45%を占めている。45%だ!
そして韓国では、先進国中、自殺者の割合がとても多い。なかでも高齢者の自殺が多く、80歳以上で3倍以上にもなる。
韓国は物凄い競争社会であり、格差社会なのだ。そしてその一番の犠牲者が、若者であり、高齢者ということになる。
厳しい受験戦争を勝ち抜くために幼い頃から塾へと通い、一流大学を出ても大企業には就職できない。ところが、大きなスキャンダルにもなった、あのパク・クネ前大統領やチョ・グク前法相の事件のように、有力者のコネクションがあれば裏から一流大学や一流企業に入ることができる。こうした不満が韓国社会全体に渦巻いているのだ。
いま、韓国ドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」にハマっている。
数年前から、すでに日本でもテレビで何度か放送されていたドラマらしく、そのことは今までまったく知らなかった。
タイトルの「SKYキャッスル」とはドラマに登場する高級住宅街の名称なのだが、実際に「SKY」は韓国で最難関だと言われている「ソウル大学(S)」、「高麗(コリョ)大学(K)」、「延世(ヨンセ)大学(Y)」の頭文字を合わせた言葉で、韓国の上流社会ではこの「SKY」でなければ人間として認めないという暗黙知さえあるのだとか。
それにしても、このドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」は面白い。
もう途中で止められない。ひたすら観続けている。
韓国ドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」の舞台は、韓国上級国民だけが住むことを許された高級住宅街、「SKYキャッスル」。ドラマの主人公もまたこの高級住宅地に住んでいる。
ある日、隣に住んでいる仲のいい住人の息子が、はれてソウル大学医学部に合格したということを知り、自分の娘もまた同じ医学部に入学させようとの思いから、情報収集を兼ねた合格記念パーティーを主催する。
彼女は、隣の住人から100%の合格率を誇る凄腕入試コーディネーターを紹介されるのだが、なぜだか突然、隣人の女性が謎の猟銃自殺を図ってしまう・・・
とにかく、初回を観れば、あとはもう寝るのを惜しんで観続けてゆくしか、ほかに選択肢はない。
なんなんだ? この韓国ドラマ(映画もだけど)の最後の最後まで飽きさせないという絶妙な巧さって!
いやあ、韓国社会における格差と競争の一面を知るだけでもこのドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」は観る価値がある。
ただし、徹夜必至ですので、その点だけは切にご配慮を!
ジムで午後2時からの「ターゲット・アブス」を終え、お風呂で汗を流して外に出た。
時計を見たら3時半。空はどんよりと曇っている。それでも火照った身体にひんやりとした風が当たって気持ちがいい。
まだ髪の毛も濡れている。
車に乗って、海に往く。
「青森ベイ・ブリッジ」を登り、石森橋の手前を左にハンドルを切ってそのまま岸壁の先端へと出た。
大勢の太公望が釣り糸を垂れている。凪の穏やかな海だ。
くすんだ空が遠くの半島を隠していて、いつもの、青森港を一望できる広い雪捨て場には巨大な機械とドでかい円筒の配管が幾つも置かれ、中に入れないようになっている。
仕方がないので公園脇のスペースに車を停めて、独り、海を眺める。
運転席側の窓を全開にして潮風を吸っていたら、バックミラーに一羽の小さな鳥が止まった。全然、逃げる気配がない。
藍鼠色した穏やかな海と、鉛白色の空と、湿った海風と、そして車のバックミラーに止まっている小さな鳥と・・・。
これはいい写真になるなと、助手席に置いていたスマホをそっと持って撮ろうとしたら、小鳥はさっと飛んでいってしまった。
ふと、飛び去ったその跡を見ると、可愛らしい白色をしたフンが付いていた。やれやれだ。まあ、可愛かったからしょうがないか・・・。
時計を見たら時刻は4時を回っている。
言いようのない寂しさが襲ってきた。掴みどころのない、とても曖昧な感情が沸き上がる。
どうしたものか?
気持ちを鎮めよう。楽しいことを考えよう。邪悪な塊を遠くの海へと投げ捨てなければ・・・。
こうして、いつもいつも神経をピリピリ尖らせて、他人を四六時中意識していたら、体が持たなくなるよ。
馬鹿になればいいのに、でもその馬鹿になり切れない。ええかっこしいを思い切り破り去ったら、どんなにか心が軽く穏やかになるだろう?
無様でもいいじゃないか。高田純次とかバカボンのパパになったらいいじゃないか。アホの坂田になったらいいじゃないか。
もう、こういう生き方にはウンザリだ。
ブログを書くこと自体が駄目なのかもしれない。まだまだ着飾っている自分がみえる。
まだまだ虚勢をはっているからだ。評価されるだとか、褒められるだとか、知性を磨くだとか、肉体を鍛えるだとか、小説を書くだとか、んなもん、全部綺麗さっぱり捨て去って、楽になれってば。
車から降りて、白色した小鳥のフンをティッシュで拭き取り、岸壁のギリギリのところまで歩み寄る。
夕暮れに霞んだ青森市内のビル群が見えた。海の波はゆったりと上下に揺れて、穏やかなままだ。
家に帰ったって、こんな気持ちを引き摺るだけだろう。
あともう少し、こうして海風に吹かれていよう。
どうしてこう、いつまで経っても幼いままなんだろ?
時計を見たら3時半。空はどんよりと曇っている。それでも火照った身体にひんやりとした風が当たって気持ちがいい。
まだ髪の毛も濡れている。
車に乗って、海に往く。
「青森ベイ・ブリッジ」を登り、石森橋の手前を左にハンドルを切ってそのまま岸壁の先端へと出た。
大勢の太公望が釣り糸を垂れている。凪の穏やかな海だ。
くすんだ空が遠くの半島を隠していて、いつもの、青森港を一望できる広い雪捨て場には巨大な機械とドでかい円筒の配管が幾つも置かれ、中に入れないようになっている。
仕方がないので公園脇のスペースに車を停めて、独り、海を眺める。
運転席側の窓を全開にして潮風を吸っていたら、バックミラーに一羽の小さな鳥が止まった。全然、逃げる気配がない。
藍鼠色した穏やかな海と、鉛白色の空と、湿った海風と、そして車のバックミラーに止まっている小さな鳥と・・・。
これはいい写真になるなと、助手席に置いていたスマホをそっと持って撮ろうとしたら、小鳥はさっと飛んでいってしまった。
ふと、飛び去ったその跡を見ると、可愛らしい白色をしたフンが付いていた。やれやれだ。まあ、可愛かったからしょうがないか・・・。
時計を見たら時刻は4時を回っている。
言いようのない寂しさが襲ってきた。掴みどころのない、とても曖昧な感情が沸き上がる。
どうしたものか?
気持ちを鎮めよう。楽しいことを考えよう。邪悪な塊を遠くの海へと投げ捨てなければ・・・。
こうして、いつもいつも神経をピリピリ尖らせて、他人を四六時中意識していたら、体が持たなくなるよ。
馬鹿になればいいのに、でもその馬鹿になり切れない。ええかっこしいを思い切り破り去ったら、どんなにか心が軽く穏やかになるだろう?
無様でもいいじゃないか。高田純次とかバカボンのパパになったらいいじゃないか。アホの坂田になったらいいじゃないか。
もう、こういう生き方にはウンザリだ。
ブログを書くこと自体が駄目なのかもしれない。まだまだ着飾っている自分がみえる。
まだまだ虚勢をはっているからだ。評価されるだとか、褒められるだとか、知性を磨くだとか、肉体を鍛えるだとか、小説を書くだとか、んなもん、全部綺麗さっぱり捨て去って、楽になれってば。
車から降りて、白色した小鳥のフンをティッシュで拭き取り、岸壁のギリギリのところまで歩み寄る。
夕暮れに霞んだ青森市内のビル群が見えた。海の波はゆったりと上下に揺れて、穏やかなままだ。
家に帰ったって、こんな気持ちを引き摺るだけだろう。
あともう少し、こうして海風に吹かれていよう。
どうしてこう、いつまで経っても幼いままなんだろ?
土曜日。
朝から雲一つないいい天気。
今日は大学の「オープン・キャンパス」。でも、コロナ禍のさなか、すべてオンラインでの参加対応となってしまった。
学部の「模擬講義」をやれというお達しなので、50分間の「模擬講義」を遠隔で行った。講義のタイトルは「都市(まち)のつくりかた」。
アメリカの黒人音楽の歴史やら和辻哲郎の「風土論」やら世界の主要都市のピックアップやら日本の自治体の概要やら青森県の状況やら、とにかくてんこ盛りに取り上げる。もちろん、きちんと系統立てて面白く仕立てたつもりですが・・・。
参加してくれた高校生のみなさん、いかがでしたか?
「模擬講義」が終了して「オープン・キャンパス」の第一回目が終わった。
どっと疲れが出た。
帰り、T女史が運営しているアート・ギャラリー(オシャレで素敵な異空間だ)に立ち寄って、今日から始まった展示会を見る。
アーティストの方をT女史に紹介され、展示物を一通り眺めて帰った。
家に着いたのが午後1時。
身体が疲れ切っていて、動くことも億劫で、暫くの間お菓子を食べながらグダグダとテレビを眺めて過ごす。
それでもあまりの天気のよさに、意を決して、散歩としゃれ込んだ。
久しぶりに「昭和通り」の「ナリフリ」へ。夏物の素敵なTシャツがたくさん入荷していた。
そこから今度は「青森駅前」までの通りをぶらぶらと歩く。
太陽が眩しい。空も青く澄んでいる。歩いているだけで汗が流れてきた。
夕食に食べようと、駅前の「ラビナ」で美味そうな総菜を幾つか買って帰る。
家に戻って、新聞各紙を拾い読み。ついでにネットでニュースを覗いた。
地方紙に大きく一面で「青銀、みち銀 24年合併」記事。統合協議入り基本合意とあった。
それから市内の「某すし店」で発生したコロナによる大型クラスターの記事が。
友人の情報によると延べ約数百人近い客が対象になっているという話も・・・。確かに、流行っていたすし屋さんだったよなぁ・・・。
もう完全に市中感染だ。
それにしても、日本各地の自治体の首長が高齢者に先んじて新型コロナワクチン接種をしていることが判明して賛否両論を巻き起こしているけれど、別に医療関係者だからとか、ワクチン接種のキャンセルが出て仕方なく接種したとか、そんな姑息な言い訳しなくたっていいのにと思う。
いえばいいじゃん、正々堂々と。医療行政を含めすべての行政を取り仕切る自治体の長として打ちましたと。
包み隠さず、自分から積極的に発言したらそれでよかったのに。なんで隠すの? 後ろめたさがあるからだろうか。
しっかし。
なんなんだ? このどうしようもない閉塞感と、的外れで生産性のない議論の果てにあるものの姿は?
重箱の隅を突いたような似非スクープの数々と、本音と建て前の確信犯的な使い分けでやり過ごすやりかたは、ほんと、何とかならないんだろうか。
ああ。
息苦しい。
なんという世の中なんだろう。
朝から雲一つないいい天気。
今日は大学の「オープン・キャンパス」。でも、コロナ禍のさなか、すべてオンラインでの参加対応となってしまった。
学部の「模擬講義」をやれというお達しなので、50分間の「模擬講義」を遠隔で行った。講義のタイトルは「都市(まち)のつくりかた」。
アメリカの黒人音楽の歴史やら和辻哲郎の「風土論」やら世界の主要都市のピックアップやら日本の自治体の概要やら青森県の状況やら、とにかくてんこ盛りに取り上げる。もちろん、きちんと系統立てて面白く仕立てたつもりですが・・・。
参加してくれた高校生のみなさん、いかがでしたか?
「模擬講義」が終了して「オープン・キャンパス」の第一回目が終わった。
どっと疲れが出た。
帰り、T女史が運営しているアート・ギャラリー(オシャレで素敵な異空間だ)に立ち寄って、今日から始まった展示会を見る。
アーティストの方をT女史に紹介され、展示物を一通り眺めて帰った。
家に着いたのが午後1時。
身体が疲れ切っていて、動くことも億劫で、暫くの間お菓子を食べながらグダグダとテレビを眺めて過ごす。
それでもあまりの天気のよさに、意を決して、散歩としゃれ込んだ。
久しぶりに「昭和通り」の「ナリフリ」へ。夏物の素敵なTシャツがたくさん入荷していた。
そこから今度は「青森駅前」までの通りをぶらぶらと歩く。
太陽が眩しい。空も青く澄んでいる。歩いているだけで汗が流れてきた。
夕食に食べようと、駅前の「ラビナ」で美味そうな総菜を幾つか買って帰る。
家に戻って、新聞各紙を拾い読み。ついでにネットでニュースを覗いた。
地方紙に大きく一面で「青銀、みち銀 24年合併」記事。統合協議入り基本合意とあった。
それから市内の「某すし店」で発生したコロナによる大型クラスターの記事が。
友人の情報によると延べ約数百人近い客が対象になっているという話も・・・。確かに、流行っていたすし屋さんだったよなぁ・・・。
もう完全に市中感染だ。
それにしても、日本各地の自治体の首長が高齢者に先んじて新型コロナワクチン接種をしていることが判明して賛否両論を巻き起こしているけれど、別に医療関係者だからとか、ワクチン接種のキャンセルが出て仕方なく接種したとか、そんな姑息な言い訳しなくたっていいのにと思う。
いえばいいじゃん、正々堂々と。医療行政を含めすべての行政を取り仕切る自治体の長として打ちましたと。
包み隠さず、自分から積極的に発言したらそれでよかったのに。なんで隠すの? 後ろめたさがあるからだろうか。
しっかし。
なんなんだ? このどうしようもない閉塞感と、的外れで生産性のない議論の果てにあるものの姿は?
重箱の隅を突いたような似非スクープの数々と、本音と建て前の確信犯的な使い分けでやり過ごすやりかたは、ほんと、何とかならないんだろうか。
ああ。
息苦しい。
なんという世の中なんだろう。
ミステリー小説「ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ」は、A・J・フィンのデビュー作だ。
ところがこの小説、デビュー作だというにもかかわらず、「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーリスト初登場1位の快挙を成し遂げた。
そのことはコアなミステリー・ファンの間で広まり、日本語訳も直ぐに発刊され、当然ミステリー小説ファンの自分もまた、Amazonで予約して速攻で読み終えた。
主人公は女性の精神分析医。
しかし彼女は広場恐怖症のために一歩も外に出ることが出来ず、夫と娘との生活を別にしてまで、ニューヨークの高級住宅街にたった一人で籠っている。
そんなある日、彼女は家の窓から、隣に越してきた女性が刺されている残虐な現場を偶然目撃してしまう・・・。
小説自体はまあまあの出来栄えだった。別に悪くはなかったし、スラスラと最後まで一気に読み切れる。どんでん返しも効いている。
でも、ミステリー小説史上における、傑作の中の一冊としてエントリーされるほどの作品かと問われたら、そこまでは到達していない。
これまでも数多く描かれてきた(映画や小説やドラマなどで)「イイトコ取り」のパッチワークとも言える小説だからだ。
ヒッチコックの名作映画「裏窓」にも少しシチュエーションが似ているし、殺人事件を目撃したのに誰にも信じて貰えないという設定もまた、これまで何度も何度もミステリーのジャンルでは語り尽されてきた。
その「ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ」が、今度は映画となって「Netflix」で制作された。
本日5月14日が一斉配信日だ。
そうなると観ないわけにはいかない。というか、観るしかない!
しかも、監督がジョー・ライト!
あの、アカデミー賞にノミネートされた「つぐない」や、「プライドと偏見」や、名優ゲイリー・オールドマンとタッグを組んだ「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」や、「つぐない」で起用したシアーシャ・ローナンをメインに据えた「ハンナ」(この映画も面白かった)を監督した、ジョー・ライトだ。
ますます期待は大きくなる。
午前中、講義が入っていたのでそれをこなし、夕方4時過ぎから行われた重要な会議に出席したあと、すぐさま車を飛ばして家へと帰り、さっさと夕食を済ませてこの映画に取り掛かった。
テレビを点けて「Netflix」にカーソルを合わせ、あのいつもの「ダダダン」という音とともに幾つもの映画やドラマが画面上に現れる。ありました、ありました、「ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ」。
今回映画化された作品、それなりに原作をなぞってはいた。
主人公は、演技派のエイミー・アダムスが演じている。
家の外に出るのが怖いという「広場恐怖症」を抱え、独り引き籠りの生活を送っている心理学者(エイミー・アダムス)。向かいの家に越してきた女性(ジュリアン・ムーア)と仲良くなり、その夫(ゲイリー・オールドマン)との生活 を家の窓から覗き始めるようになる。
ところがある日、女性(ジュリアン・ムーア)が暴力にあっている瞬間を目撃してしまった主人公は、すぐに警察に通報するも、向かいの女性ジュリアン・ムーア)は「そんな暴力なんて受けてない」と主張する・・・。
ラストの意外な犯人を含め、ネタバレになっちゃうので、ここから先は書けないけれど、さすがジョー・ライト監督、エイミー・アダムスが味わうことになる恐怖と広場恐怖症の息苦しさを上手にスクリーンに投影していて、重苦しいほどのスリルとサスペンスを観ている側へと投げかけてくる。
そういう部分は、原作より映画のほうが面白かったかも…。
ところがこの小説、デビュー作だというにもかかわらず、「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーリスト初登場1位の快挙を成し遂げた。
そのことはコアなミステリー・ファンの間で広まり、日本語訳も直ぐに発刊され、当然ミステリー小説ファンの自分もまた、Amazonで予約して速攻で読み終えた。
主人公は女性の精神分析医。
しかし彼女は広場恐怖症のために一歩も外に出ることが出来ず、夫と娘との生活を別にしてまで、ニューヨークの高級住宅街にたった一人で籠っている。
そんなある日、彼女は家の窓から、隣に越してきた女性が刺されている残虐な現場を偶然目撃してしまう・・・。
小説自体はまあまあの出来栄えだった。別に悪くはなかったし、スラスラと最後まで一気に読み切れる。どんでん返しも効いている。
でも、ミステリー小説史上における、傑作の中の一冊としてエントリーされるほどの作品かと問われたら、そこまでは到達していない。
これまでも数多く描かれてきた(映画や小説やドラマなどで)「イイトコ取り」のパッチワークとも言える小説だからだ。
ヒッチコックの名作映画「裏窓」にも少しシチュエーションが似ているし、殺人事件を目撃したのに誰にも信じて貰えないという設定もまた、これまで何度も何度もミステリーのジャンルでは語り尽されてきた。
その「ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ」が、今度は映画となって「Netflix」で制作された。
本日5月14日が一斉配信日だ。
そうなると観ないわけにはいかない。というか、観るしかない!
しかも、監督がジョー・ライト!
あの、アカデミー賞にノミネートされた「つぐない」や、「プライドと偏見」や、名優ゲイリー・オールドマンとタッグを組んだ「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」や、「つぐない」で起用したシアーシャ・ローナンをメインに据えた「ハンナ」(この映画も面白かった)を監督した、ジョー・ライトだ。
ますます期待は大きくなる。
午前中、講義が入っていたのでそれをこなし、夕方4時過ぎから行われた重要な会議に出席したあと、すぐさま車を飛ばして家へと帰り、さっさと夕食を済ませてこの映画に取り掛かった。
テレビを点けて「Netflix」にカーソルを合わせ、あのいつもの「ダダダン」という音とともに幾つもの映画やドラマが画面上に現れる。ありました、ありました、「ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ」。
今回映画化された作品、それなりに原作をなぞってはいた。
主人公は、演技派のエイミー・アダムスが演じている。
家の外に出るのが怖いという「広場恐怖症」を抱え、独り引き籠りの生活を送っている心理学者(エイミー・アダムス)。向かいの家に越してきた女性(ジュリアン・ムーア)と仲良くなり、その夫(ゲイリー・オールドマン)との生活 を家の窓から覗き始めるようになる。
ところがある日、女性(ジュリアン・ムーア)が暴力にあっている瞬間を目撃してしまった主人公は、すぐに警察に通報するも、向かいの女性ジュリアン・ムーア)は「そんな暴力なんて受けてない」と主張する・・・。
ラストの意外な犯人を含め、ネタバレになっちゃうので、ここから先は書けないけれど、さすがジョー・ライト監督、エイミー・アダムスが味わうことになる恐怖と広場恐怖症の息苦しさを上手にスクリーンに投影していて、重苦しいほどのスリルとサスペンスを観ている側へと投げかけてくる。
そういう部分は、原作より映画のほうが面白かったかも…。
誰もがみな、いま働いているその「組織」の中で最上階まで登り詰められるわけじゃない。
入社した人間たちは激しい出世競争に巻き込まれ、一人ひとり脱落してゆく。もちろん、そういうレースには初めから加わらず、組織内リタイヤを決め込む人間だっているだろう。それでも過酷な出世競争の渦の中には、否が応でも組み込まれ、何らかの影響は受けるはずだ。返り血を浴びるはずである。
たとえば、キャリア官僚への道を選ぶという場合がある。
キャリア官僚として省庁に採用されると、その省庁のトップ(主に事務次官)への凄まじいまでの出世レースがそこから始まってゆく。
大学を卒業して20代で採用されたその後は、同期の中で激しく出世を競い合い、50代後半で最終ゴールとなる事務次官が誕生するまでそれは続いてゆく。事務次官になるための出世レースに敗れた者は、順次「天下り」をして官庁を早期退職して、別の民間企業や関連団体へと再就職する。
そして、その新しい組織の中でもまた、同じような壮絶なトップ取りゲームは延々と繰り返されてゆく・・・。
玉木宏が主演するテレビ朝日系ドラマ「桜の塔」は、警察官僚たちの派閥や出世レースを描く警察ミステリー・ドラマだ。
「桜の塔」とは、桜の代紋を掲げる警視庁をイメージしているのだろう、警視総監の座をめぐる激しい出世バトルが描かれてゆく。
幼少期、憧れていた警察官の父親の不可解な死を切っ掛けに、警察権力をその手に収めようと警視庁に入った理事官を玉木宏が演じていて、前回第4話のラスト、警視庁の押収品横流し事件の真相を告発しようとしていた警察官の父を自殺に追い込んだ犯人が、自らが所属する「外様派」派閥のトップである(このドラマでは「外様派」、「東大派」、「薩摩派」と、それぞれキャリアたちが属する派閥が描かれる)刑事部長の椎名桔平だったと知る、衝撃的な場面でドラマは終わった。
ドラマ「桜の塔」は、東京都を管轄する警察組織である「警視庁」を舞台にしたドラマだけれど、日本全国47都道府県の警察官たちを指揮しているのは、「警察庁」の警察キャリア官僚たちである。
キャリアは「警察庁」に勤務する国家公務員であり、ノンキャリアは都道府県警察に勤務する地方公務員という違いがある。
キャリアになるためには、難関中の難関である「国家公務員総合職採用試験」を受けることが必要だ。
そしてそれだけではなく、「国家公務員総合職採用試験」合格者だけが行える「官庁訪問」で、警察庁での複数回の面接試験をすべてパスした者だけが「警察庁」へ採用され、それらの警察官が「警察官僚」と呼ばれているのだ。
普通であれば、「巡査」、「巡査部長」、「警部補」、「警部」、「警視」、「警視正」、「警視長」、「警視監」、「警視総監」を経て、警察のトップである「警察庁長官」まで辿り着く。
長い長い道のりだ。
ところがキャリア組は、採用後いきなり警部補からスタートする。その4年~5年後にはもう警視に昇進。ストレートにキャリア官僚になったら、20代後半で警視に昇進することになる。
都道府県採用の警察官が40歳以上にならないと昇進できない警視に、キャリア組なら20代後半にはもう昇進してしまうのだ。
つまり、ほんの一握りの者だけが、警視総監、警察庁長官のポストへとたどり着ける。
ちなみに、省庁のトップ、事務次官の年収は約2300万円。退職金は5500万円程度だといわれている。そこからまた、引く手あまたの「関係機関」や「民間企業」へと「天下り」したりすると、その都度、高給とボーナスが約束され、「上級国民」として世の中を闊歩できる。
ドラマ「桜の塔」も、醜い出世欲に駆られた男たちが相手を裏切り、相手を蹴落とし、罠にかけまくるという、エリート官僚らしからぬ(あっ、らしいのかもね)行為を頻繁に繰り返し、ひたすら上を目指すことだけを姑息に考える。
こういうシーンを観ていると、なんか、ドラマを観ているこっちまで淋しくなる。
でも、これが現実だし、どこにでもゴロゴロ転がっている真実だ。
男って生き物は、嫉妬深くて、浅はかで、愚かで、他者を蹴落としてでも登り詰めたい、そんな哀しい動物なのである。
入社した人間たちは激しい出世競争に巻き込まれ、一人ひとり脱落してゆく。もちろん、そういうレースには初めから加わらず、組織内リタイヤを決め込む人間だっているだろう。それでも過酷な出世競争の渦の中には、否が応でも組み込まれ、何らかの影響は受けるはずだ。返り血を浴びるはずである。
たとえば、キャリア官僚への道を選ぶという場合がある。
キャリア官僚として省庁に採用されると、その省庁のトップ(主に事務次官)への凄まじいまでの出世レースがそこから始まってゆく。
大学を卒業して20代で採用されたその後は、同期の中で激しく出世を競い合い、50代後半で最終ゴールとなる事務次官が誕生するまでそれは続いてゆく。事務次官になるための出世レースに敗れた者は、順次「天下り」をして官庁を早期退職して、別の民間企業や関連団体へと再就職する。
そして、その新しい組織の中でもまた、同じような壮絶なトップ取りゲームは延々と繰り返されてゆく・・・。
玉木宏が主演するテレビ朝日系ドラマ「桜の塔」は、警察官僚たちの派閥や出世レースを描く警察ミステリー・ドラマだ。
「桜の塔」とは、桜の代紋を掲げる警視庁をイメージしているのだろう、警視総監の座をめぐる激しい出世バトルが描かれてゆく。
幼少期、憧れていた警察官の父親の不可解な死を切っ掛けに、警察権力をその手に収めようと警視庁に入った理事官を玉木宏が演じていて、前回第4話のラスト、警視庁の押収品横流し事件の真相を告発しようとしていた警察官の父を自殺に追い込んだ犯人が、自らが所属する「外様派」派閥のトップである(このドラマでは「外様派」、「東大派」、「薩摩派」と、それぞれキャリアたちが属する派閥が描かれる)刑事部長の椎名桔平だったと知る、衝撃的な場面でドラマは終わった。
ドラマ「桜の塔」は、東京都を管轄する警察組織である「警視庁」を舞台にしたドラマだけれど、日本全国47都道府県の警察官たちを指揮しているのは、「警察庁」の警察キャリア官僚たちである。
キャリアは「警察庁」に勤務する国家公務員であり、ノンキャリアは都道府県警察に勤務する地方公務員という違いがある。
キャリアになるためには、難関中の難関である「国家公務員総合職採用試験」を受けることが必要だ。
そしてそれだけではなく、「国家公務員総合職採用試験」合格者だけが行える「官庁訪問」で、警察庁での複数回の面接試験をすべてパスした者だけが「警察庁」へ採用され、それらの警察官が「警察官僚」と呼ばれているのだ。
普通であれば、「巡査」、「巡査部長」、「警部補」、「警部」、「警視」、「警視正」、「警視長」、「警視監」、「警視総監」を経て、警察のトップである「警察庁長官」まで辿り着く。
長い長い道のりだ。
ところがキャリア組は、採用後いきなり警部補からスタートする。その4年~5年後にはもう警視に昇進。ストレートにキャリア官僚になったら、20代後半で警視に昇進することになる。
都道府県採用の警察官が40歳以上にならないと昇進できない警視に、キャリア組なら20代後半にはもう昇進してしまうのだ。
つまり、ほんの一握りの者だけが、警視総監、警察庁長官のポストへとたどり着ける。
ちなみに、省庁のトップ、事務次官の年収は約2300万円。退職金は5500万円程度だといわれている。そこからまた、引く手あまたの「関係機関」や「民間企業」へと「天下り」したりすると、その都度、高給とボーナスが約束され、「上級国民」として世の中を闊歩できる。
ドラマ「桜の塔」も、醜い出世欲に駆られた男たちが相手を裏切り、相手を蹴落とし、罠にかけまくるという、エリート官僚らしからぬ(あっ、らしいのかもね)行為を頻繁に繰り返し、ひたすら上を目指すことだけを姑息に考える。
こういうシーンを観ていると、なんか、ドラマを観ているこっちまで淋しくなる。
でも、これが現実だし、どこにでもゴロゴロ転がっている真実だ。
男って生き物は、嫉妬深くて、浅はかで、愚かで、他者を蹴落としてでも登り詰めたい、そんな哀しい動物なのである。
仕事場の窓から夕暮れの赤色に染まる街並みを見降ろす。まだ遠くの山々の頂上には白い雪が被っていて、そこもまた、淡い赤色に照らされている・・・。
昨日はゼミ。学生たちを大学専用バスに乗せて市内の「中心市街地」を視察。
冷たい風が吹いて少し雨も落ちて来た。女子の学生が寒そうに震えているので、ちょっと早めにフィールド・ワークを終えて、大学へと戻った。
今日も朝から次々と連続して会議が続く。
お昼休みも「ZOOM」を使った会議が行われ、お昼を食べる時間がない。まあ、ダイエットにはなりますが・・・。
最後のトリは「教授会」。これが一番キツイ。
議論が白熱して終わったのは4時過ぎだった。
「研究室」に帰ると、今度は何件かの電話が次々に鳴り出した。やるべきことの優先順位をつけ、一個ずつ片づける。もちろん、後回しにする案件だってある。
夕暮れの赤色に染まる街並みを見降ろしながら、部屋を見まわし、鍵を閉めてエレベーターに乗り込んだ。
駐車場までとぼとぼ歩き、車に乗り込んで家へと帰る。
ああ、今日もまたこうして終わってゆくんだね・・・。
昨夜は、一本のドキュメンタリー映画を観た。
WOWOWの、ザ・ビートルズ「メイド・オン・マージ―・サイド」である。
ザ・ビートルズのイギリス・リバプール時代。つまり、彼らが世界的に大ブレイクするその前夜に焦点を当てたドキュメンタリー・フィルムだ。
これがまた、貴重なインタビュー・フィルム満載で、ビートルズ・ファンにはたまらない。ただし、ビートルズのメンバーたちに深く食い込むというよりは、前身バンドだった「クオーリーメン」のメンバーや、1962年にリンゴが加入する前のドラマーだったピート・ベストのインタビューが中心だ。
なぜ、ドラマーのピート・ベストはビートルズからの脱退を迫られ、その後釜としてリンゴ・スターが加入することとなったのか?
それが今でも大きな謎となっている。
公式には、ピート・ベストのドラムのテクニックがイマイチで、他のメンバーや天才マネージャーであるブライアン・エプスタインから突然解雇を言い渡されたということにはなっているけれど、諸説いろいろあるようだ。
因みにビートルズの成功はブライアン・エプスタイン抜きには語れないが、彼の突然の死に対してもいろいろと諸説が飛び交っていて、その真相は未だによく分からない。
彼は同性愛者で、ジョン・レノンを深く愛していたのだという話もよく飛び交っているし、自殺だったという説もまことしやかに語られる(公式にはアスピリンの過剰摂取による死亡である)。
とにかく今回のドキュメント・フィルム「メイド・オン・マージ―・サイド」のキモは、ピート・ベストによるドラマー解雇に関する本人自らの告白だろう。
「メイド・オン・マージ―・サイド」では、ピート・ベストの母親による異常なまでのバンドへの介入行為が、マネージャーのブライアン・エプスタインを悩ませ続け、最終的に解雇の決断に至ってしまったとしていた。
それに加え、ジョンとポールとジョージとも肌が合わず、3人から孤立していたのだとも。
「メイド・オン・マージ―・サイド」は90分に満たないとても短い作品だけれど、随所に挿入される、古いリバプールの街並みや、デビュー前にひたすらライブを重ねたドイツ・ハンブルグの猥雑な夜の街など、とても貴重な映像が頻繁に映し出される。
ある意味、ビートルズは、ハンブルグでの過酷なステージ経験が彼らの演奏の基礎を築いたともいわれているけれど、これらの映像も一見の価値があるものばかりだ。
「メイド・オン・マージ―・サイド」、ビートルズ・ファンなら是非一度は観るべきだ。
昨日はゼミ。学生たちを大学専用バスに乗せて市内の「中心市街地」を視察。
冷たい風が吹いて少し雨も落ちて来た。女子の学生が寒そうに震えているので、ちょっと早めにフィールド・ワークを終えて、大学へと戻った。
今日も朝から次々と連続して会議が続く。
お昼休みも「ZOOM」を使った会議が行われ、お昼を食べる時間がない。まあ、ダイエットにはなりますが・・・。
最後のトリは「教授会」。これが一番キツイ。
議論が白熱して終わったのは4時過ぎだった。
「研究室」に帰ると、今度は何件かの電話が次々に鳴り出した。やるべきことの優先順位をつけ、一個ずつ片づける。もちろん、後回しにする案件だってある。
夕暮れの赤色に染まる街並みを見降ろしながら、部屋を見まわし、鍵を閉めてエレベーターに乗り込んだ。
駐車場までとぼとぼ歩き、車に乗り込んで家へと帰る。
ああ、今日もまたこうして終わってゆくんだね・・・。
昨夜は、一本のドキュメンタリー映画を観た。
WOWOWの、ザ・ビートルズ「メイド・オン・マージ―・サイド」である。
ザ・ビートルズのイギリス・リバプール時代。つまり、彼らが世界的に大ブレイクするその前夜に焦点を当てたドキュメンタリー・フィルムだ。
これがまた、貴重なインタビュー・フィルム満載で、ビートルズ・ファンにはたまらない。ただし、ビートルズのメンバーたちに深く食い込むというよりは、前身バンドだった「クオーリーメン」のメンバーや、1962年にリンゴが加入する前のドラマーだったピート・ベストのインタビューが中心だ。
なぜ、ドラマーのピート・ベストはビートルズからの脱退を迫られ、その後釜としてリンゴ・スターが加入することとなったのか?
それが今でも大きな謎となっている。
公式には、ピート・ベストのドラムのテクニックがイマイチで、他のメンバーや天才マネージャーであるブライアン・エプスタインから突然解雇を言い渡されたということにはなっているけれど、諸説いろいろあるようだ。
因みにビートルズの成功はブライアン・エプスタイン抜きには語れないが、彼の突然の死に対してもいろいろと諸説が飛び交っていて、その真相は未だによく分からない。
彼は同性愛者で、ジョン・レノンを深く愛していたのだという話もよく飛び交っているし、自殺だったという説もまことしやかに語られる(公式にはアスピリンの過剰摂取による死亡である)。
とにかく今回のドキュメント・フィルム「メイド・オン・マージ―・サイド」のキモは、ピート・ベストによるドラマー解雇に関する本人自らの告白だろう。
「メイド・オン・マージ―・サイド」では、ピート・ベストの母親による異常なまでのバンドへの介入行為が、マネージャーのブライアン・エプスタインを悩ませ続け、最終的に解雇の決断に至ってしまったとしていた。
それに加え、ジョンとポールとジョージとも肌が合わず、3人から孤立していたのだとも。
「メイド・オン・マージ―・サイド」は90分に満たないとても短い作品だけれど、随所に挿入される、古いリバプールの街並みや、デビュー前にひたすらライブを重ねたドイツ・ハンブルグの猥雑な夜の街など、とても貴重な映像が頻繁に映し出される。
ある意味、ビートルズは、ハンブルグでの過酷なステージ経験が彼らの演奏の基礎を築いたともいわれているけれど、これらの映像も一見の価値があるものばかりだ。
「メイド・オン・マージ―・サイド」、ビートルズ・ファンなら是非一度は観るべきだ。
「いわて銀河100キロウルトラマラソン」で100キロを完走した時の、あの心地よい達成感たるや、今でも忘れることが出来ない思い出として脳裏に焼きついている。それほど嬉しかった。
100キロウルトラマラソンはとても過酷なレースで、まだ暗い朝の4時に秋田県の「角館」をスタートして、夕方の4時過ぎにはなんとか100キロ先の「鷹ノ巣」のゴール地点に到着するのだけれど、ゴール直後、もう一歩たりとも歩くことが困難という状態だった。
まず、70キロ地点辺りでトイレに入ったら、オシッコが真っ赤になった。体内に組み込む水分量に血液の流れが追い付けないのだろう。血豆は出来るし足裏の皮はペロッと剥がれて激痛が走るしで、走りながら何度リタイヤしようと思ったか分からない。
でも80キロを過ぎた辺りで覚悟が決まったというか、ここまで来たらあとは這いつくばってでもゴールに辿り着くしかない、そう思ってひたすら足を前に出した。
やはり人間、最終地点がその先に見えてくると、それまでと違う、何か別の大きな力が湧き上がってくるものらしい。
完走してからの数日間は、階段の昇り降りだけでもきつかった。足の親指の爪も剝がれてしまった。しかし、それらを大きく超えていたのが、言いようのない「達成感」や「充実感」、それから「満足感」だった。
昨日(5月10日月曜日)のテレビ朝日系「激レアさんを連れてきた。」を観た。いつものように眠れず、深夜番組を観ることで時間を潰していたのである。
昨日の「激レアさんを連れてきた。」には、2人の激レアさんが登場した。
最初が、「朝キャバのアフターで客と草野球をしていたら時速240kmの剛速球を捕れるようになった人」。
面白かった。
朝キャパに勤めているキャパ嬢が、店に通うお客さんと野球の話題で盛り上がり、勤務明けに一緒に都内の河川敷へ行って草野球に加わってプレーしたところ、キャッチャーの才能に気づき、国内最速の時速240kmのキャッチング・マシンに挑戦してみたら見事に成功してしまったという話だった。
最後に司会の若林正恭(オードリー)が激レアさんにつけたラベリングが、「客引きしない伝説のキャッチの人」。これには笑った。
そして2番目に登場したのが、キタダさんというマラソンランナーだった。
この人がとにかく凄い。
「いわて銀河100キロウルトラマラソン」に完走したなんて、まだまだ甘い。っていうか、月とスッポン、砂の一粒と地球ぐらいの差がある。
タイトルに、「世界一過酷な『アドベンチャーマラソン』の為に奇想天外なトレーニングを続けている人」と謳っているように、とにかく常識はずれなランナーなのだ。
「アドベンチャーマラソン」は、数百kmに及ぶ長い行程を走り抜くという、過酷で、死と隣り合わせな壮絶マラソン競技でもある。
たとえば、気温50℃の砂漠地帯を寝ずに走り抜いたり、アマゾンの奥深いジャングル地帯を、数日間ぶっ通しで走ったりする。
実際、競技の最中、亡くなってしまったランナーもたくさんいるらしい。
そんな「アドベンチャーマラソン」に自費で出場し続け、結局キタダさんは、2017年、日本人初となる五大陸完走の偉業を成し遂げた。
呆れかえってものも言えない。賞金なんて一切出ないとも番組で話していた。
キタダさんの初マラソンはゴビ砂漠を走る250kmのレースで、結果は113人中51位だった。それなのに、普通のフルマラソンもトライアスロンも、どちらも途中で頓挫してしまったのだという。
えっ? なんで?
キタダさんはいう。
「このキツさが楽しい」のだと。
走りながら朦朧として、幻覚をみることもあるらしい。数十日間、ただただ厳寒の凍土を走り続けることも。
しっかし。どういうメンタルしてるんじゃい。
こういうすんごいランナーもいるんですね・・・。
100キロウルトラマラソンはとても過酷なレースで、まだ暗い朝の4時に秋田県の「角館」をスタートして、夕方の4時過ぎにはなんとか100キロ先の「鷹ノ巣」のゴール地点に到着するのだけれど、ゴール直後、もう一歩たりとも歩くことが困難という状態だった。
まず、70キロ地点辺りでトイレに入ったら、オシッコが真っ赤になった。体内に組み込む水分量に血液の流れが追い付けないのだろう。血豆は出来るし足裏の皮はペロッと剥がれて激痛が走るしで、走りながら何度リタイヤしようと思ったか分からない。
でも80キロを過ぎた辺りで覚悟が決まったというか、ここまで来たらあとは這いつくばってでもゴールに辿り着くしかない、そう思ってひたすら足を前に出した。
やはり人間、最終地点がその先に見えてくると、それまでと違う、何か別の大きな力が湧き上がってくるものらしい。
完走してからの数日間は、階段の昇り降りだけでもきつかった。足の親指の爪も剝がれてしまった。しかし、それらを大きく超えていたのが、言いようのない「達成感」や「充実感」、それから「満足感」だった。
昨日(5月10日月曜日)のテレビ朝日系「激レアさんを連れてきた。」を観た。いつものように眠れず、深夜番組を観ることで時間を潰していたのである。
昨日の「激レアさんを連れてきた。」には、2人の激レアさんが登場した。
最初が、「朝キャバのアフターで客と草野球をしていたら時速240kmの剛速球を捕れるようになった人」。
面白かった。
朝キャパに勤めているキャパ嬢が、店に通うお客さんと野球の話題で盛り上がり、勤務明けに一緒に都内の河川敷へ行って草野球に加わってプレーしたところ、キャッチャーの才能に気づき、国内最速の時速240kmのキャッチング・マシンに挑戦してみたら見事に成功してしまったという話だった。
最後に司会の若林正恭(オードリー)が激レアさんにつけたラベリングが、「客引きしない伝説のキャッチの人」。これには笑った。
そして2番目に登場したのが、キタダさんというマラソンランナーだった。
この人がとにかく凄い。
「いわて銀河100キロウルトラマラソン」に完走したなんて、まだまだ甘い。っていうか、月とスッポン、砂の一粒と地球ぐらいの差がある。
タイトルに、「世界一過酷な『アドベンチャーマラソン』の為に奇想天外なトレーニングを続けている人」と謳っているように、とにかく常識はずれなランナーなのだ。
「アドベンチャーマラソン」は、数百kmに及ぶ長い行程を走り抜くという、過酷で、死と隣り合わせな壮絶マラソン競技でもある。
たとえば、気温50℃の砂漠地帯を寝ずに走り抜いたり、アマゾンの奥深いジャングル地帯を、数日間ぶっ通しで走ったりする。
実際、競技の最中、亡くなってしまったランナーもたくさんいるらしい。
そんな「アドベンチャーマラソン」に自費で出場し続け、結局キタダさんは、2017年、日本人初となる五大陸完走の偉業を成し遂げた。
呆れかえってものも言えない。賞金なんて一切出ないとも番組で話していた。
キタダさんの初マラソンはゴビ砂漠を走る250kmのレースで、結果は113人中51位だった。それなのに、普通のフルマラソンもトライアスロンも、どちらも途中で頓挫してしまったのだという。
えっ? なんで?
キタダさんはいう。
「このキツさが楽しい」のだと。
走りながら朦朧として、幻覚をみることもあるらしい。数十日間、ただただ厳寒の凍土を走り続けることも。
しっかし。どういうメンタルしてるんじゃい。
こういうすんごいランナーもいるんですね・・・。
もう今更どうにもならないのだろうけど、このあまりにも強すぎる自己顕示欲、何とかならないものだろうか・・・自分で自分が嫌になってくる。
承認欲求が強く、自分のことを認めてもらいたいという感情が強すぎるのだ。たぶん。
そのことが心をヘトヘトにさせる。心底、疲れる。ウンザリする。休まるということが一切ない。
一体全体、どうしてほしんだ? 自分で自分のやり場に困る。こんな歳になっても、こういうどうしようもない「欲の塊」が体の中に巣くっていると、毎日生きていて本当に疲れ果ててしまう。
いっつも、疲労困憊だ・・・。
で、そういう時は、ゆったりとした時間が静かに流れるような、ただひたすら漂っているような、そんな緩めのドラマや音楽に浸って、自分自身をまったく別の場所へと放り込んでみたくなる。
でないと、持たなくなる。
爆発しそうになってしまうのだ。あっちの世界に引き摺り込まれてしまいそうになるのである。
マジで限界に近い。
それを鎮める治療薬として存在するドラマの中の一本が、毎週土曜日の夜11時30分からテレビ朝日で放送されている30分ドラマ、「コタローは1人暮らし」である。
ジャニーズの「関ジャニ∞」の横山裕が主演していて、彼は売れない漫画家を演じている。そして彼が住むアパートの隣に引っ越してきたのが、5歳児のさとうコタロー(川原瑛都という子役)で、なんとそれが1人暮らしときている。
この同じアパートには、ほかにも若いキャバクラ嬢(山本舞香)やヤクザもん(生瀬勝久)も住んでいて、その住人たちとコタローとのほのぼのとした交流が、ドラマでは優しく描かれてゆく。
つまり、ハート・ウォーミング・コメディなのだ、「コタローはひとり暮らし」は。
ドラマ「コタローはひとり暮らし」には原作があって、「ビッグコミック・スペリオール」に連載しているらしいのだが、最近「ビッグコミック・スペリオール」なんてまったく手にしたことがないので(昔はよく買って読んでましたが)、そんな漫画があることさえ知らなかった。
まず、5歳児の男の子がたった1人でアパートに住むという設定自体、荒唐無稽だし、まず有り得ない。
それに、コタローが普段喋る日常会話が昔の「殿様ことば」で、―「とのさまん」というアニメが大好きなことから、心の支えであり唯一のヒーローでもあるアニメ「とのさまん」が話す言葉をそっくり真似して喋るという、その設定自体まではいいとして―、ちょっと大人でも中々言わない難しい語句をコタローがスイスイ使うところがドラマでは多々あって、ちょっとそれも有り得ないと思う。
でも、そういう小さな部分に目くじら立ててもしょうがない。
ドラマとして(あるいは漫画として)、そこは割り切るしかないと思う。
それでもほんと観ていて和むんだよなあ・・・。ホッコリするんだよなあ・・・。精神安定剤になるんだよなあ・・・。
確かに単なる30分ドラマで、そこに人生の何たるかが凝縮されて描かれているわけでもないし、素晴らしい感動をもたらしてくれるわけでもないけれど、観ていて心が癒される。
体の中に巣くっている、どうしようもない「欲の塊」が少しずつ溶けていって、軽くなってくる(少しの間だけど・・・)。
そして、コタローの支えとなるアニメ・キャラクター「とのさまん」の声を担当しているのが、俳優の滝藤賢一だった。
よくまあ、これだけのために出演してくれたものだと感心してしまう。恐るべし、滝藤賢一。
とにかく、いい薬になります。まるで上質な漢方薬のようです。
テレ朝系深夜ドラマ「コタローはひとり暮らし」。
効きます。わたしには。
承認欲求が強く、自分のことを認めてもらいたいという感情が強すぎるのだ。たぶん。
そのことが心をヘトヘトにさせる。心底、疲れる。ウンザリする。休まるということが一切ない。
一体全体、どうしてほしんだ? 自分で自分のやり場に困る。こんな歳になっても、こういうどうしようもない「欲の塊」が体の中に巣くっていると、毎日生きていて本当に疲れ果ててしまう。
いっつも、疲労困憊だ・・・。
で、そういう時は、ゆったりとした時間が静かに流れるような、ただひたすら漂っているような、そんな緩めのドラマや音楽に浸って、自分自身をまったく別の場所へと放り込んでみたくなる。
でないと、持たなくなる。
爆発しそうになってしまうのだ。あっちの世界に引き摺り込まれてしまいそうになるのである。
マジで限界に近い。
それを鎮める治療薬として存在するドラマの中の一本が、毎週土曜日の夜11時30分からテレビ朝日で放送されている30分ドラマ、「コタローは1人暮らし」である。
ジャニーズの「関ジャニ∞」の横山裕が主演していて、彼は売れない漫画家を演じている。そして彼が住むアパートの隣に引っ越してきたのが、5歳児のさとうコタロー(川原瑛都という子役)で、なんとそれが1人暮らしときている。
この同じアパートには、ほかにも若いキャバクラ嬢(山本舞香)やヤクザもん(生瀬勝久)も住んでいて、その住人たちとコタローとのほのぼのとした交流が、ドラマでは優しく描かれてゆく。
つまり、ハート・ウォーミング・コメディなのだ、「コタローはひとり暮らし」は。
ドラマ「コタローはひとり暮らし」には原作があって、「ビッグコミック・スペリオール」に連載しているらしいのだが、最近「ビッグコミック・スペリオール」なんてまったく手にしたことがないので(昔はよく買って読んでましたが)、そんな漫画があることさえ知らなかった。
まず、5歳児の男の子がたった1人でアパートに住むという設定自体、荒唐無稽だし、まず有り得ない。
それに、コタローが普段喋る日常会話が昔の「殿様ことば」で、―「とのさまん」というアニメが大好きなことから、心の支えであり唯一のヒーローでもあるアニメ「とのさまん」が話す言葉をそっくり真似して喋るという、その設定自体まではいいとして―、ちょっと大人でも中々言わない難しい語句をコタローがスイスイ使うところがドラマでは多々あって、ちょっとそれも有り得ないと思う。
でも、そういう小さな部分に目くじら立ててもしょうがない。
ドラマとして(あるいは漫画として)、そこは割り切るしかないと思う。
それでもほんと観ていて和むんだよなあ・・・。ホッコリするんだよなあ・・・。精神安定剤になるんだよなあ・・・。
確かに単なる30分ドラマで、そこに人生の何たるかが凝縮されて描かれているわけでもないし、素晴らしい感動をもたらしてくれるわけでもないけれど、観ていて心が癒される。
体の中に巣くっている、どうしようもない「欲の塊」が少しずつ溶けていって、軽くなってくる(少しの間だけど・・・)。
そして、コタローの支えとなるアニメ・キャラクター「とのさまん」の声を担当しているのが、俳優の滝藤賢一だった。
よくまあ、これだけのために出演してくれたものだと感心してしまう。恐るべし、滝藤賢一。
とにかく、いい薬になります。まるで上質な漢方薬のようです。
テレ朝系深夜ドラマ「コタローはひとり暮らし」。
効きます。わたしには。
やはり、Netflixは凄い。
とにかくNetflixオリジナルの映画やドラマの完成度があまりにも高すぎるのだ。それに加えて、独占的に配給している映画やドラマの数も半端ない。
アカデミー賞の候補となるNetflix制作の作品も最近かなり多くなっているので、映画館で数週間だけ上映して、そのあとすぐにNetflixで独占的に配信される作品もたくさんある。
つまり、映画館に出掛けて行かなくても家でホッカホカの最新映画を観ることが出来るという、そんな時代に突入しているのだ。
先日もここで取り上げたけれど、NetflixジャパンのTOP10リストの第1位を、ここ最近ずっとキープし続けているドラマがある。
韓国ドラマの「ヴィンチェンツォ」だ。
このドラマ、今年の2月に韓国で放送されたのとほぼ同時にNetflixで配信されていたドラマで、その最終話である第20話が先日遂に流された。
韓国って有料チャンネルを視聴している人が大半で、この「ヴィンチェンツォ」最終話もまた、韓国のケーブルチャンネル「tvN」で、歴代6位となる高視聴率を獲得したらしい(Netflixiにおいても世界ランキング第4位を記録した!)。
たとえば、今この超話題の韓国ドラマ「ヴィンチェンツォ」を、レンタルビデオ店に駆け込んだとしても観ることは不可能だ。それはレンタル開始日がまだだからとか、そういう意味ではない。
「愛の不時着」もそうだけど、Netflixとの独占配信契約があるため、あと何年間かはDVDや他の有料ケーブルTVで放映出来ない仕組みになっているからだ。
つまり、Netflixで観るしかほかに方法がないのだ。
今回の「ヴィンチェンツォ」、全20話ということで一話だいたい1時間20分程度、トータルで観ると結構長い。
そういうこともあってか、前半から中盤にかけてはハイテンションでハイスピードな展開で、いっときも目が離せないのだけれど、後半になると少しダレる部分が出て来てしまう。
もう少し削ってもよかったのでは?
ただそれにしても、全体を通して観ると、かなり面白いドラマに仕上がっているのは否定できない。
ポスト「愛の不時着」、ポスト「梨泰院クラス」だと断言できる。
主演は、ちょっと見、童顔に見えるソン・ジュンギ。
韓国ドラマ通のある女性に聞いたところ、「ソン・ジュンギを観るんだったら、まずは『太陽の末裔~Love Under The Sun~』を観なさいよ! 徹夜必至の面白さだから!」と言われてしまった。
相手役の敏腕弁護士役のホン・チャヨンを演じたチョン・ヨビンがまたいいのである。美人じゃないけど、ツンデレでハチャメチャなところもあり、なかなか魅力的だ。
それからやっぱり、敵役のオク・テギョンの素晴らしさだろう。人気アイドルグループ「2PM」のメンバーであるオク・テギョン、実はオク・テギョンまったくしらなかったのだが、このドラマを観てから、「YouTube」で「2PM」のライブ映像を何度も観ながら大いに堪能している。
考えてみたら、最初にハマった韓国ドラマは「冬のソナタ」だった。ここから日本の「韓流ドラマ」ブームは始まったのだ。
個人的に現在の「韓国」という国に対しては色々複雑な思いはあるけれど、まあドラマや映画の世界はそれとは違って来る。これまでも、多くの傑作ドラマや映画や音楽をこの国は産み出してきたのである。
今日でやっと「ヴィンチェンツォ」を観終え、一息入れてふとネットを覗いていたら、タレントのイモトヤスコが、お勧めの韓国ドラマを紹介している記事が出ていて、「愛の不時着」や「梨泰院クラス」よりハマったという韓国ドラマを紹介していた。
イモトヤスコ曰く、【Netflixで配信されている「SKYキャッスル〜上流階級の妻たち〜」というドラマ。韓国のお受験戦争を題材にしたサスペンスで、コメディ要素が一切無い全36話なんですけど、これ、ヤバい!ほんと寝不足!ほんとにお休み期間じゃないと見ちゃいけないです!これを仕事が続く中で見ちゃったらあぶないあぶない!ずーっと寝不足よ!それくらい面白いし、わたし的にはぶっちゃけ、「愛の不時着」「梨泰院クラス」より好きかも!】なのだとか。
そう言われたら、観るしかないでしょう。
ということで、今日の夕方から観始めてます、「SKYキャッスル〜上流階級の妻たち〜」。
今のところ、第3話まで観た。
くっそぉ。
また、寝不足かよ!
とにかくNetflixオリジナルの映画やドラマの完成度があまりにも高すぎるのだ。それに加えて、独占的に配給している映画やドラマの数も半端ない。
アカデミー賞の候補となるNetflix制作の作品も最近かなり多くなっているので、映画館で数週間だけ上映して、そのあとすぐにNetflixで独占的に配信される作品もたくさんある。
つまり、映画館に出掛けて行かなくても家でホッカホカの最新映画を観ることが出来るという、そんな時代に突入しているのだ。
先日もここで取り上げたけれど、NetflixジャパンのTOP10リストの第1位を、ここ最近ずっとキープし続けているドラマがある。
韓国ドラマの「ヴィンチェンツォ」だ。
このドラマ、今年の2月に韓国で放送されたのとほぼ同時にNetflixで配信されていたドラマで、その最終話である第20話が先日遂に流された。
韓国って有料チャンネルを視聴している人が大半で、この「ヴィンチェンツォ」最終話もまた、韓国のケーブルチャンネル「tvN」で、歴代6位となる高視聴率を獲得したらしい(Netflixiにおいても世界ランキング第4位を記録した!)。
たとえば、今この超話題の韓国ドラマ「ヴィンチェンツォ」を、レンタルビデオ店に駆け込んだとしても観ることは不可能だ。それはレンタル開始日がまだだからとか、そういう意味ではない。
「愛の不時着」もそうだけど、Netflixとの独占配信契約があるため、あと何年間かはDVDや他の有料ケーブルTVで放映出来ない仕組みになっているからだ。
つまり、Netflixで観るしかほかに方法がないのだ。
今回の「ヴィンチェンツォ」、全20話ということで一話だいたい1時間20分程度、トータルで観ると結構長い。
そういうこともあってか、前半から中盤にかけてはハイテンションでハイスピードな展開で、いっときも目が離せないのだけれど、後半になると少しダレる部分が出て来てしまう。
もう少し削ってもよかったのでは?
ただそれにしても、全体を通して観ると、かなり面白いドラマに仕上がっているのは否定できない。
ポスト「愛の不時着」、ポスト「梨泰院クラス」だと断言できる。
主演は、ちょっと見、童顔に見えるソン・ジュンギ。
韓国ドラマ通のある女性に聞いたところ、「ソン・ジュンギを観るんだったら、まずは『太陽の末裔~Love Under The Sun~』を観なさいよ! 徹夜必至の面白さだから!」と言われてしまった。
相手役の敏腕弁護士役のホン・チャヨンを演じたチョン・ヨビンがまたいいのである。美人じゃないけど、ツンデレでハチャメチャなところもあり、なかなか魅力的だ。
それからやっぱり、敵役のオク・テギョンの素晴らしさだろう。人気アイドルグループ「2PM」のメンバーであるオク・テギョン、実はオク・テギョンまったくしらなかったのだが、このドラマを観てから、「YouTube」で「2PM」のライブ映像を何度も観ながら大いに堪能している。
考えてみたら、最初にハマった韓国ドラマは「冬のソナタ」だった。ここから日本の「韓流ドラマ」ブームは始まったのだ。
個人的に現在の「韓国」という国に対しては色々複雑な思いはあるけれど、まあドラマや映画の世界はそれとは違って来る。これまでも、多くの傑作ドラマや映画や音楽をこの国は産み出してきたのである。
今日でやっと「ヴィンチェンツォ」を観終え、一息入れてふとネットを覗いていたら、タレントのイモトヤスコが、お勧めの韓国ドラマを紹介している記事が出ていて、「愛の不時着」や「梨泰院クラス」よりハマったという韓国ドラマを紹介していた。
イモトヤスコ曰く、【Netflixで配信されている「SKYキャッスル〜上流階級の妻たち〜」というドラマ。韓国のお受験戦争を題材にしたサスペンスで、コメディ要素が一切無い全36話なんですけど、これ、ヤバい!ほんと寝不足!ほんとにお休み期間じゃないと見ちゃいけないです!これを仕事が続く中で見ちゃったらあぶないあぶない!ずーっと寝不足よ!それくらい面白いし、わたし的にはぶっちゃけ、「愛の不時着」「梨泰院クラス」より好きかも!】なのだとか。
そう言われたら、観るしかないでしょう。
ということで、今日の夕方から観始めてます、「SKYキャッスル〜上流階級の妻たち〜」。
今のところ、第3話まで観た。
くっそぉ。
また、寝不足かよ!
大阪府では今日8日の土曜日、新たに1021人の新型コロナウイルス感染が確認され、 1日の感染者数が1000人を超えるのはこれで2日連続。感染者41人の死亡も確認された。
そして、同じ8日の東京都。
新型コロナウイルスの新たな感染者は1121人。1週間ぶりの1000人超え。ニュースを見たら、20代が最も多くて286人、30代が216人、重症化リスクが高い65歳以上の高齢者が132人。重症患者の数は昨日から2人増加して71人となった。
愛知県も凄いことになっている。
愛知県では8日、新たに575人の感染が確認された。愛知県の1日あたりの感染者数が500人を上回ったのはこれが初めてで、過去最多を更新した。。
それから北海道。
8日、新型コロナウイルス感染者は過去最多を更新して403人に。入院中の患者が3人も死亡している。札幌市は過去最多で277人。そのうち変異ウイルスの疑いがある陽性者は97人もあった。
我が青森県も酷い状態になってきた。
青森県では今日43人の感染者が出た。
青森市内は完全に市中感染である。青森市は8日の午後4時半現在、市内で新たに11人の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。また、コロナに感染していた青森市内在住の80代以上の2人が、それぞれ7日と8日に死亡したとも発表している。
なかでも、市内の50代男性が新型コロナウイルスに感染し、しかも市内の医療機関勤務の医師だった。50代男性が発症したのはゴールデン・ウイーク5月3日だったのだが、繁盛している病院だったということで、その医師が診察を担当したことで感染の恐れがある受診患者87人のPCR検査を、現在急遽行っているとも発表していた。
今朝の日テレのニュース番組を観ていたら、今年の夏までの感染予想数シミュレーションが出ていて、もしもこれまでと同様程度の対応をするだけで今後も推移したならば、たとえワクチン接種が進んだとしても、7月と8月が、感染者のピークを迎えることになると告げていた。
夕方のTBSテレビ「報道特集」でも、コロナ禍における生活困窮者たちの姿をカメラが追っていたけれど、それまでの仕事を突然失ってしまったシングルマザーやシングルファザーたちの、「このままだと死ぬしかない」という切実な叫びが真に迫っていて、観ていてとても辛かった。
それでもやるんだろうか? 東京オリンピック・・・。
それまでに日本国内のワクチン接種がどんどん進めばいいのだろうけど、世界の先進七か国のなかで日本と韓国が最低で、日本の1回目の接種率なんて、まだ2%、2回目までの完了率はなんと0.8%にとどまっているのである。
ただ、累積感染者数と死亡者数については、ワクチンの接種率と逆の結果になっているようで、そこだけは救いなのだが・・・。
とにかく、世界の中で、イスラエルとイギリスは新型コロナウイルスのワクチン接種がもっとも進んでいて、イスラエルなんて、すでに1回目の接種率は62.5%、2回の接種を終えた完了率は58.9%となっているじゃないか。
まあ、イスラエルは、かなりの高額をはたいて、ワクチンを買い取ったらしいけれど・・・。
アメリカのニューヨーク市でも、7月1日から全面的な経済開放政策に移行するらしい。
ニューヨーク市長が、「トンネルの先にやっと光が見えた!」と満面の笑みを浮かべてカメラに向かって話していた。
それに比べて、昨日の国会の論戦を聞いていると絶望的な気分になってしまう。
野党の、緊急事態宣言に関して、もう過去になってしまった宣言日のことなんかを、「ああだ、こうだ」とひたすら詰めてゆくだけの論法にも、心底ウンザリしてくる。
確かに過去のコロナ対策は万全だったわけではなく、非もいっぱいある。だったら、まず今は、速攻で打ち出すべき政策をちゃんと提案しろよ。
いったい何処に向かっているんだ?
そして、同じ8日の東京都。
新型コロナウイルスの新たな感染者は1121人。1週間ぶりの1000人超え。ニュースを見たら、20代が最も多くて286人、30代が216人、重症化リスクが高い65歳以上の高齢者が132人。重症患者の数は昨日から2人増加して71人となった。
愛知県も凄いことになっている。
愛知県では8日、新たに575人の感染が確認された。愛知県の1日あたりの感染者数が500人を上回ったのはこれが初めてで、過去最多を更新した。。
それから北海道。
8日、新型コロナウイルス感染者は過去最多を更新して403人に。入院中の患者が3人も死亡している。札幌市は過去最多で277人。そのうち変異ウイルスの疑いがある陽性者は97人もあった。
我が青森県も酷い状態になってきた。
青森県では今日43人の感染者が出た。
青森市内は完全に市中感染である。青森市は8日の午後4時半現在、市内で新たに11人の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。また、コロナに感染していた青森市内在住の80代以上の2人が、それぞれ7日と8日に死亡したとも発表している。
なかでも、市内の50代男性が新型コロナウイルスに感染し、しかも市内の医療機関勤務の医師だった。50代男性が発症したのはゴールデン・ウイーク5月3日だったのだが、繁盛している病院だったということで、その医師が診察を担当したことで感染の恐れがある受診患者87人のPCR検査を、現在急遽行っているとも発表していた。
今朝の日テレのニュース番組を観ていたら、今年の夏までの感染予想数シミュレーションが出ていて、もしもこれまでと同様程度の対応をするだけで今後も推移したならば、たとえワクチン接種が進んだとしても、7月と8月が、感染者のピークを迎えることになると告げていた。
夕方のTBSテレビ「報道特集」でも、コロナ禍における生活困窮者たちの姿をカメラが追っていたけれど、それまでの仕事を突然失ってしまったシングルマザーやシングルファザーたちの、「このままだと死ぬしかない」という切実な叫びが真に迫っていて、観ていてとても辛かった。
それでもやるんだろうか? 東京オリンピック・・・。
それまでに日本国内のワクチン接種がどんどん進めばいいのだろうけど、世界の先進七か国のなかで日本と韓国が最低で、日本の1回目の接種率なんて、まだ2%、2回目までの完了率はなんと0.8%にとどまっているのである。
ただ、累積感染者数と死亡者数については、ワクチンの接種率と逆の結果になっているようで、そこだけは救いなのだが・・・。
とにかく、世界の中で、イスラエルとイギリスは新型コロナウイルスのワクチン接種がもっとも進んでいて、イスラエルなんて、すでに1回目の接種率は62.5%、2回の接種を終えた完了率は58.9%となっているじゃないか。
まあ、イスラエルは、かなりの高額をはたいて、ワクチンを買い取ったらしいけれど・・・。
アメリカのニューヨーク市でも、7月1日から全面的な経済開放政策に移行するらしい。
ニューヨーク市長が、「トンネルの先にやっと光が見えた!」と満面の笑みを浮かべてカメラに向かって話していた。
それに比べて、昨日の国会の論戦を聞いていると絶望的な気分になってしまう。
野党の、緊急事態宣言に関して、もう過去になってしまった宣言日のことなんかを、「ああだ、こうだ」とひたすら詰めてゆくだけの論法にも、心底ウンザリしてくる。
確かに過去のコロナ対策は万全だったわけではなく、非もいっぱいある。だったら、まず今は、速攻で打ち出すべき政策をちゃんと提案しろよ。
いったい何処に向かっているんだ?
若い頃、珈琲が大の苦手だった。
仕事の関係で訪れた先で珈琲のもてなしを受けるときがあっても、礼儀として一口ほど口につけるだけで、あとはほとんど飲まなかった。美味しいなんてまったく思わなかったのだ。
当時、そのほとんどがインスタント珈琲だったので、それが合わなかったのかもしれない。今でもインスタント珈琲だけはちょっと苦手である。
そんな珈琲を頻繁に飲むように、いや毎日欠かさず飲めるようになったのは、30歳を過ぎた辺りからの事で、そこから少しずつ珈琲を飲むようになり、今では、1日に5~6杯は飲んでいる。
まず、朝の出勤前に一杯。出勤して、勤務先の部屋へと向かうためのエレベーター横に備え付けられている自動販売機で無糖の缶珈琲を一缶。ランチの際にコンビニで淹れたての珈琲かあるいは缶珈琲。午後にも一度珈琲ブレイク。仕事が終わって家に帰ってから食後の一杯。そして夜、部屋の中で音楽を聴いたり映画を観たりする際に飲む至福の一杯・・・。
スポーツジムの帰りによく立ち寄る、「スターバックス」で飲む一杯もまた格別だ。
スタバの珈琲って少し苦みがあるのだけれど、ひとり店内のソファーに腰掛けて、持ってきた新聞や雑誌を読みながら飲む珈琲は、たまらなく美味しい。ジムで思い切り汗を流したという充実感もそこに重なって来る。
先日もここで書いたけれど、いずれいつか、小さなお店を開いた時には、自らが淹れた珈琲を提供しながら、あとは店内で、これまで集めて来たアルバムCDを流そうと決めている。
もちろん、大音響は店の雰囲気に似合わない。
その日の雰囲気や季節や天候に合わせ、静かなヴォーカルものだったり、古いブルースやR&Bだったり、ロックやポップスものだったり、あるいは日本のミュージシャンだったりと、アルバム一枚一枚ずつ、紹介も兼ねながら丁寧にかけていこう、そう思っている。
まあ、お客さんは、ほんとマジで来ないでしょうけど・・・。
というわけで、本格的に珈琲の勉強をしようと思っていたその矢先、とても興味のひく一本のテレビドラマがこの4月から始まった。
テレビ東京、「珈琲いかがでしょう」だ。
このテレビドラマ「珈琲いかがでしょう」は、コナリミサトによる原作があるらしい(あの「凪のお暇」を書いた人ね)。でもこの漫画はまったく知らなかった。読んだこともなかった。
ドラマのほうは、月曜日の夜、11時6分から放送されている。
夜の10時からが経済ニュース「WBS(ワールドビジネスサテライト)」なので、ちょうどそれを観た後ということで、流れもいい。
僕は、部屋の電気を消して、蒲団の中に入ってこの「珈琲いかがでしょう」をゆっくり観ることにしている。
主演は中村倫也。これがまた原作の主人公に瓜二つなのだ。最初から中村倫也をモデルにして書いたのだろうか。
そしてドラマの脚本と監督を担当しているのが、な、なんと、あの名作「かもめ食堂」や「めがね」を監督した荻上直子なのだ!
これにはまたまた吃驚した。
確かに、このドラマ、荻上直子の描き出す世界観とピッタリだからだ。
主人公(中村倫也)は、車で移動する珈琲屋「タコ珈琲」で美味しい珈琲を提供している。しかし、絶えず笑顔を絶やさないそんな彼にも、誰にも語れない秘密となる、ある暗い過去が隠されていた・・・というのが、これまでのザクっとしたストーリーだ。
そして、今週5月3日に放送された回で、その昔のダークな黒歴史と、何故それほど珈琲に拘るのかが解明されるのだが、この辺の描き方には個人的に少し異論が残る。
磯村勇斗と中村倫也との絡み方と過去の過激で暴力的な描写が、このほんのりとした緩いドラマの流れにそぐわない気がして、違和感さえ覚えてしまうのだ。
過去の黒歴史はあっさり流して、あくまでも、美味しい珈琲を提供する、過去ある主人公とその移動珈琲屋「タコ珈琲」に集う客との交流だけを静かに描いて欲しかった。
次週の放送では、主人公(中村倫也)と彼の珈琲の師匠であるホームレス(光石研)が絡んで来るので、その辺りに期待してみたい。
まあ、中村倫也が静かに珈琲を淹れているシーンだけ観ても、それだけですんごく癒されはするんですけどね。
仕事が始まったばっかりの月曜日の夜だしさ・・・。
仕事の関係で訪れた先で珈琲のもてなしを受けるときがあっても、礼儀として一口ほど口につけるだけで、あとはほとんど飲まなかった。美味しいなんてまったく思わなかったのだ。
当時、そのほとんどがインスタント珈琲だったので、それが合わなかったのかもしれない。今でもインスタント珈琲だけはちょっと苦手である。
そんな珈琲を頻繁に飲むように、いや毎日欠かさず飲めるようになったのは、30歳を過ぎた辺りからの事で、そこから少しずつ珈琲を飲むようになり、今では、1日に5~6杯は飲んでいる。
まず、朝の出勤前に一杯。出勤して、勤務先の部屋へと向かうためのエレベーター横に備え付けられている自動販売機で無糖の缶珈琲を一缶。ランチの際にコンビニで淹れたての珈琲かあるいは缶珈琲。午後にも一度珈琲ブレイク。仕事が終わって家に帰ってから食後の一杯。そして夜、部屋の中で音楽を聴いたり映画を観たりする際に飲む至福の一杯・・・。
スポーツジムの帰りによく立ち寄る、「スターバックス」で飲む一杯もまた格別だ。
スタバの珈琲って少し苦みがあるのだけれど、ひとり店内のソファーに腰掛けて、持ってきた新聞や雑誌を読みながら飲む珈琲は、たまらなく美味しい。ジムで思い切り汗を流したという充実感もそこに重なって来る。
先日もここで書いたけれど、いずれいつか、小さなお店を開いた時には、自らが淹れた珈琲を提供しながら、あとは店内で、これまで集めて来たアルバムCDを流そうと決めている。
もちろん、大音響は店の雰囲気に似合わない。
その日の雰囲気や季節や天候に合わせ、静かなヴォーカルものだったり、古いブルースやR&Bだったり、ロックやポップスものだったり、あるいは日本のミュージシャンだったりと、アルバム一枚一枚ずつ、紹介も兼ねながら丁寧にかけていこう、そう思っている。
まあ、お客さんは、ほんとマジで来ないでしょうけど・・・。
というわけで、本格的に珈琲の勉強をしようと思っていたその矢先、とても興味のひく一本のテレビドラマがこの4月から始まった。
テレビ東京、「珈琲いかがでしょう」だ。
このテレビドラマ「珈琲いかがでしょう」は、コナリミサトによる原作があるらしい(あの「凪のお暇」を書いた人ね)。でもこの漫画はまったく知らなかった。読んだこともなかった。
ドラマのほうは、月曜日の夜、11時6分から放送されている。
夜の10時からが経済ニュース「WBS(ワールドビジネスサテライト)」なので、ちょうどそれを観た後ということで、流れもいい。
僕は、部屋の電気を消して、蒲団の中に入ってこの「珈琲いかがでしょう」をゆっくり観ることにしている。
主演は中村倫也。これがまた原作の主人公に瓜二つなのだ。最初から中村倫也をモデルにして書いたのだろうか。
そしてドラマの脚本と監督を担当しているのが、な、なんと、あの名作「かもめ食堂」や「めがね」を監督した荻上直子なのだ!
これにはまたまた吃驚した。
確かに、このドラマ、荻上直子の描き出す世界観とピッタリだからだ。
主人公(中村倫也)は、車で移動する珈琲屋「タコ珈琲」で美味しい珈琲を提供している。しかし、絶えず笑顔を絶やさないそんな彼にも、誰にも語れない秘密となる、ある暗い過去が隠されていた・・・というのが、これまでのザクっとしたストーリーだ。
そして、今週5月3日に放送された回で、その昔のダークな黒歴史と、何故それほど珈琲に拘るのかが解明されるのだが、この辺の描き方には個人的に少し異論が残る。
磯村勇斗と中村倫也との絡み方と過去の過激で暴力的な描写が、このほんのりとした緩いドラマの流れにそぐわない気がして、違和感さえ覚えてしまうのだ。
過去の黒歴史はあっさり流して、あくまでも、美味しい珈琲を提供する、過去ある主人公とその移動珈琲屋「タコ珈琲」に集う客との交流だけを静かに描いて欲しかった。
次週の放送では、主人公(中村倫也)と彼の珈琲の師匠であるホームレス(光石研)が絡んで来るので、その辺りに期待してみたい。
まあ、中村倫也が静かに珈琲を淹れているシーンだけ観ても、それだけですんごく癒されはするんですけどね。
仕事が始まったばっかりの月曜日の夜だしさ・・・。