淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「TOMORROW NEVER KNOWS・・・」

2006年06月30日 | Weblog


        この次会える頃は、もう木枯らしの季節だね。

        元気でね。 

        また、笑顔で会えたらいいけど・・・。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「それではみなさん、さようなら!」

2006年06月30日 | Weblog
 突然、ごめんなさい。

 淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」を、一応、7月1日から10月31日までの4か月間完全休載します。
 
 約2年間にわたって毎日更新してきて、少しずつ訪問者も増え、今ではかなりのアクセス数を記録するまでになりました。本当にありがとうございます。
 地元だけでなく首都圏や関西方面などからも、いつもこのブログに対する暖かい励ましの言葉をもらい、そのことが一日も休まずに書くことが出来た原動力になったものと思います。
 
 黙ったまま、ひっそりと休載しようと考えたのですが、これまでも、MIXIなんかにほとんど毎日のようにメッセージ、そして「キース・リチャーズになりたいっ!」自体の感想をいただきますし、落ち込んだ日記を綴ったりすると、心配して、真剣に気遣うメールをいただくことも多々あり、たかが「ブログ日記」と嘲笑されるのを覚悟で、こうしてお礼と若干の弁明をしている次第です。

 どうしても10月末までにやり遂げたい事があり、「ブログ」そのものも毎日そんな多い分量でもないので、やり遂げたい事と同時並行で進めることは可能なのですが、普段から、食い散らしだの、落ち着きがないだの、すぐに目移りするだのと言われ、たまには集中して一点だけ見つめ、全力投球をしたいという思いがあります。
 別に休載宣言するような人間でもないし、まあ、どうって事ないと言えば、どうって事のない私的で瑣末なことではありますが・・・。
 
 4か月間、みなさまの前から消えますが、11月1日には元気な姿をまたお見せしたいと思っています・・・たぶん・・・明言は出来ないけど・・・。
 でももし、このまま永遠にここから消えちゃうことになったら、それはそれでご免なさいね。

 その時はまた、自分好きで、止まると死んじゃう回遊魚で、何にでも首を突っ込みたがる食い散らかし屋で、悲観主義者で、肉体虐めのスポーツおたくの、そんな馬鹿な人間が一人いたということを、どこか心の片隅にでも刻んでおいてくださいませ。
 いつかは永遠の別れが訪れるんだしさ。

 それではみなさん、さようなら!





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫画誌ジャンプ「DEATH NOTE」の映画化。前・後編にしたのは成功かも。さすが金子修介。

2006年06月29日 | Weblog
 米ハリウッドのメジャー映画制作会社であるワーナーも映画の出資に加わり、大宣伝を展開した、日本映画「DEATH NOTE」。しかも、今回は前編だけを上映して、今年の秋には後編を独立させて全国公開するという手法を取った。

 監督は金子修介(この監督大好き!)、主演が藤原竜也、それに「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」の曲をテーマ曲に据えるという豪華版。原作でもある、「週刊少年ジャンプ」に連載された漫画も大ベストセラーだし、そういう意味では、あらかじめ映画のヒットは約束されたようなものだった。

 当然、映画は初登場第一位。
それも怪物「ダ・ヴィンチ・コード」を押し退けての興行成績ナンバーワン。さすがである。
 主人公と、それに対峙する名探偵Lの松山ケンイチを含めた若手演技派らが、壮絶な頭脳戦を繰り広げることになるのだが、様々な話題性が重なり合い、その辺りが若い層の観客動員に結び付いていったようだ。

 前にもこのブログで書いたとおり、漫画の「DEATH NOTE」はかなり面白い。
 「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」。
 死神が落とした“死のノート=デスノート”を拾ったのが、頭脳明晰なエリート大学生・夜神月。彼は、自分にとっての理想世界を築くため、自らの手で世界中の犯罪者を裁き始める。
 そこに、その連続殺人事件を解決するために動き出す警察当局と謎の名探偵L。虚々実々の駆け引きが、緊張感をもって描かれていて、早く次が読みたくなってしまうのだ。
 そして、金子修介監督によって映画化された、その「DEATH NOTE」の捌(さば)き方だけど・・・。

 この漫画の面白さは、“死のノート=デスノート”を拾った大学生・夜神月が、いかにLや警察の疑惑を潜り抜け、凶悪犯を抹殺するかという、スリルとサスペンスにある。
 「ガメラ」を蘇らせた職人肌の金子監督、前半、予め語っておくべき事項をサクサクと描いてゆく。とにかく、出来るだけ基本的なところはサッサと片付け、本筋に導きたい本音が垣間見て微笑ましい。

 前半から中盤、後半にかけて、ほぼ原作を忠実に模倣する。
 漫画を読んでこの映画に臨んでいる人たちは、多分ちょっと物足りなさを感じるかもしれない。その点に関してはこちらも同様だった。漫画と同じじゃんと思いつつ、漫画そのものの面白さが当然映画にも漂っているから、なんなく観続けてしまうけれど・・・。

 しかし、ラストに至って、原作の道を少しずつずれてゆくのである。
 そこからが、俄然面白くなる。さすが金子修介。後半を期待させるような最後の終わり方もまたいい。そして、エンド・ロールに流れるのは、我が愛しの「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」!
 ここで席を立たないほうがいいかもしれない。最後の最後に、次回のプチ予告がチラッと入るから。

 「DEATH NOTE」の後編は、今年の11月に全国一斉上映。
 観ないとね。漫画のラストとどう違うのか? 今からとても楽しみ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Musik! Musik! Musik!」

2006年06月28日 | Weblog
 今日の夕焼けはとても美しかった。
 それを眺めながら、10キロの道を1時間かけてゆっくりと走った。
 ずっと音楽の事を考えて走っていた。
 何故だろう。別に深い意味などないのだけれど・・・。

 「米米クラブ」が再結成した。
 解散当時ボーカルの石井竜也が、何かのインタビューで「仲間から、今後の信頼関係を継続し難い裏切り行為を受けた」という趣旨の発言を聞いた記憶がある。
 だから個人的に、再結成はないと思っていた。 
 ただ、今年限定の再結成だということで、夏あたりから主要都市でドーム・ツアー・も随時開催されるようだ。
 実質的な第一弾MAXIシングルともなる「WELLCOME2」に収められている、ヒップポップ・グループ「HOMEMADE家族」とコラボした「アイコトバはア・ブラ・カダブラ」にはちょっと驚いた。
 こういう姿勢は大好きだ。絶えず、新しい血を自分たちの中に取り入れること。それも物怖じせず。そして前向きに。

 新人バンド「マキシマム ザ ホルモン」がいい。
 過激でハード・コアなロックだけれど、ベースともなる楽曲自体のメロディがいいからとても聴きやすくて、音の洪水にもストレスがない。
 一見、「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」に似てなくもない。
 ドラムの女の子も激しいけれどソリッドなリズムを刻んでいるし、ボーカル男性もなかなか衝撃的なパフォーマンスで魅せる。
 シングル「恋のメガラバ」。
 こういう曲が売れれば、ちょっと世の中変わるんだろうけどなあ。

 2年ぶりの来日コンサートも大盛況だったらしいポール・ウェラー。
 「キャッチ・フレーム!」というタイトルの2枚組アルバムも発売され(まだ聴いてないけど)、インタビュー記事が「ミュージック・マガジン」に掲載された。
 これがいい。泣けてくる。
 「ずっと若い頃は、25歳まで続くとは思ってもいなかったから、47歳なんて想像を超えてるよ。ただ、人生はあっという間に過ぎるものなんだ」
 「俺は、誰のシーンにも加わりたくはなかった。自分のシーンを作りたかったんだ」
 「25歳で死ぬほうが簡単だ。でもそれは、音楽の世界だけじゃなくて、全ての人生について言えることだと思う。歳を取れば取るほど物事は難しくなる」
 ポール・ウェラー。
 モッズの生き方、文化を自分の中に深く刻み込み、ポール・ウェラーは孤高の道を堂々と前向きに歩んでゆく。
 憧れる。

 そういう意味では、ニール・ヤング。彼も老いることを知らない。
 絶えずロックしている。ロックン・ロールしている。生きること。発言すること。行動すること。そう。あらゆることに対してだ。
 新作「リヴィング・ウィズ・ウォー」。若いなあ。真摯だなあ。反ブッシュを歌いこんだ、プロテスタント・アルバム。
 錆び付くぐらいなら、燃え尽きたほうがましだ! この言葉は忘れまい。

 走り終わって、シャワーを浴び、冷たいカルピスを飲む。
 音楽は、自分の生き方さえ変えてしまう。そういう力を持っている。
 もしも、ローリング・ストーンズと無縁だったら、もしもポール・ウェラーを知らなかったら、もしもロックのシャワーを浴びることがなかったら・・・。

 多分、僕はもっと捻れて乾いた生き方をしていただろう。そう思う。


 ※(何か、Musikに対して、英語のMusicのスペル間違いではというご指摘が   多数寄せられておりますが、わざとドイツ語で、音楽という言葉を表現しただけで   すので・・・。参ったな・・・。)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Knockin’ On Heaven’s Door」

2006年06月27日 | Weblog
 いやあ、もう本当に疲れが溜まっていて、いつまで経っても抜けることがない。
 普通、楽しい事をたくさんしていれば、それなりに相乗効果で仕事も充実し始め、最終的には人生そのものも上昇気流に乗るはずなのに・・・。

 もちろん、加齢とともに体力自体は衰えてゆくわけで、それに仕事の重責やストレスが加算され、人は下り坂を転がるように落ちて行くのだろう。それはそれで構わない。

 ところがである。
 ところが、この自分ときたら、元来の几帳面と神経質的な性格(ほんとだってば! 誰も信じないけどさあ)が禍(わざわい)してか、何事もきちんとしてないと満足出来ない性格なのだ。
 ある側面においては物凄くいい加減でズボラなくせして、別の面では中途半端な処理が出来ず、片っ端から整理しないと居ても立ってもいられないほど苛立つ。
 すこぶる居心地が悪いのだ。

 たとえば。
 たとえば休日を例にとる。
 とにかく休日は予定をビッシリ入れる。当然それは仕事以外の、自分のためだけのプライベートな予定という意味でだ。分刻みなのだ、何もかも。いやマジで。
 スケジュール表を埋めることが一つの生きがいと勘違いしているアホだから、どうしようもない。普通、休日なんて、のんびりと好きな事だけを手掛けるというのが相場なはずなのに。
 もちろん、そういう日もある。何もしない日とか、ゆっくりと寛ぐ日も。確かに。
 でも、そういうダラーっと過ごした日は、何故かイライラする。奇妙な違和感というか、居心地の悪さというか・・・。
 そしてそれは、別なストレスとなって自分自身に襲いかかる。
 「いいのか? そんなに無為な日々を過ごして!」「今日は随分と無駄な一日を過ごしてしまったなあ、おい。あとで後悔するぞお!」などなど。

 前にも書いた事があったけど、異常なほどの情報収集オタクである。
 常に、新聞、漫画、雑誌、週刊誌、テレビ、ラジオ、インターネット、ビデオ、DVDの類(たぐい)を取り寄せ、絶えず確認しないと落ち着かない。

 ほとんど病気である。いつも強迫観念に苛まれる。
 忙しいと解っているのに、図書館で本を借りまくり、CDとDVDもついでにピックアップし、何冊も雑誌を定期購読して(新刊は今年一冊も買わないと決めたからまあいいけれど)、止せばいいのにレンタル・ショップでもDVDとCDを借り続けるから、もう完全に暴走超特急である(どういう意味やねん)。

 未読の新聞は積み上がり、読むべき漫画は横に置かれ、今日中にMDに落とすCDはまだ残っていて、夜の9時の図書館閉館までに返さなければならないDVDやビデオも、観ないままで並んでいる。
 焦る。あせる。アセル。
 時間がない。時間が欲しい。
 あれも読まなきゃ、これも観なきゃ、それからあの音楽もコピーしなきゃ!!
 間に合わない!

 結局、それで何が残っていくんだろう?
 言いようのない疲労感と、流されてゆくだけの日々がそこにある・・・。
 もうこんなことは終わりにしないとなあ。
 終いには死ぬぞ、マジで。

 あっ! 忘れてた!
 走らなきゃ! 来週の日曜日、ハーフマラソン大会だったんだ!
 じ、時間がないっ! 早速、着替えないと!
 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掘北真希、黒木メイサのホラー映画「着信アリ Final」。不評の嵐の中で観ることが何とも・・・

2006年06月26日 | Weblog
 最近は、インターネットの発達で、上映された映画の評判も瞬時で分かるようになった。
 それが観る者にとって、プラスなのかマイナスなのか一概には言えないだろうけれど、やはりそこは人間、全く世評に動ずることなく観ること自体、かなり至難の業なのではないだろうかと思う。情報過多にも限度がある。

 話題の映画で、しかもその封切りをずっと心待ちにしている場合、観ようとする直後に「期待はずれ」だとか「失敗作」だとかの評価を聞き及んだりすると、まだ観ていないにも係わらずガッカリしてしまうことが多々あったりする。
 それでも、そんな評価を振り切って映画館に足を運んだら、素晴らしい傑作だったというのもたくさんあるわけで・・・。
 まあそういう意味では、自分の目でちゃんと観て、感じて、それを自分の中で正直に評価するという、ごく当たり前の事が一番大事なのかもしれない。

 で、「着信アリ Final」。
 この映画、ほとんどというか、全くもって興味がなかった。
 基本的には、「すべての映画を観切ってやる!」という究極の願望は当然にして持ってはいるものの、そんなことは物理的に不可能だし、絶対ありえない。
 なので、映画館で観る映画はセレクトして行かざるを得ない。今週のリストに、この「着信アリ Final」はなかったのである。

 ところがその一方で、隔週で「映画評」を書き上げなければならないという仕事が待っている。金曜日の朝刊に掲載されるものなので、出来るだけ週末に新しく封切られる映画を取り上げたいし、加えて、前回とはなるべく異なるジャンルで、しかも話題作を中心に、邦画と洋画を満遍なく交互に取り上げるのがベターなのだ。
 しかし、これがまたなかなか難しい。

 そうして今回、試行錯誤、紆余曲折、規矩準縄、苦心惨憺、思案投首、熟慮断行の末に選んだのが「着信アリ Final」だった。
 だって、もうあと無いんだもん。
 封切り後、何週間か経った映画はたくさんあるんだけれど。

 行きましたよ。深夜のレイト・ショーを観に。メチャメチャ眠かったけど。疲れた体に鞭打って。ひっそりと静まり返った夜の街を車飛ばして。
 
 「着信アリ Final」は、圧倒的に不評を買っている映画でもある。
 ネットの映画の書き込みがこれまた凄くて、中には「数年後に、テレビの深夜帯で眺めりゃ十分!」というのもあって、何か観に行くこと自体が罪悪であると考えてしまうくらいだ。とほほ。

 場内は若いネエチャンやアンチャンたちで、意外と混んでいる。
 しっかし、うるさい。上映中、携帯でメール見るわ、お喋りはするわ。朝、起きられるんだろうか? こんな夜中に映画なんか観ちゃって。あっ! 俺もか。

 なんて言ったって、「転送スレバ死ナナイ!」というキャッチフレーズのとおり、虐めにあった女子高生が、虐めた同級生たちに呪いをかけて、次々と着メロとともに携帯電話に着信し続けるという怖いストーリーである。
 着信とともに誰かにメールを転送しないと、送らなかった人間は必ず死ぬ!

 最初から一切の期待もせず、いいところだけをひたすら見つけ出そう、色眼鏡で観るのはよそうと、素直な気持ちでスクリーンに向かったら、何となくそれなりには楽しめた。
 どんな映画にだって、必ず素晴らしい部分はある。全否定なんて出来ない。
 ただし、この映画を観に行く時間と暇があったら、現在たくさん上映されている、これよりももっと面白くて心に残る映画を選んで観に行ったほうがいいとは思うけど。

 監督の麻生学、2000年に撮った水野美紀主演の「千里眼」は、なかなか面白い映画だったのになあ。
 でも、黒木メイサと掘北真希は、すげえ可愛かったッス!



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これはメチャメチャ面白い! 全米を熱狂させたTVドラマ「LOST」が遂にDVDレンタル開始!

2006年06月25日 | Weblog
 しかしアメリカという国の底力は凄いものがある。
 今でもビデオレンタル屋さんで借りて行く人がいるらしい、キーファー・サザーランド主演のアクションドラマ「24」シリーズや、絶対政治TVドラマは当たらないという神話をあっさり覆してしまった「ザ・ホワイトハウス」シリーズ。

 何れも、映画制作費と同じぐらいの費用を掛けているのではないかと思われるほど、ドラマの規模も内容も素晴らしい。
 そして、TVドラマ「24」も「ザ・ホワイトハウス」も、それぞれ全米での評価を受け、結果としてエミー賞やゴールデン・グローブ賞にその名を連ねることになったのである。

 ところがここに、それらを上回る超怪物TVドラマが誕生した。
 その名は「LOST」。
 アメリカにおける評判は当然日本のマスコミにも知れ渡り、CSテレビでの上映が決定された。勿論、観る事の出来ない地方やCSを持っていない視聴者だって沢山いるわけで、DVDレンタルでの発売が待ち望まれるこことなったのである。

 そして遂に6月21日。
 全国一斉にレンタル開始!
 行きましたよ、当然。やっとの思いで観る事が出来ましたよ、でも3巻までしかレンタルされていないけれど。
 4巻からは7月7日に発売され、これも「24」と同じように次々と小出しにレンタルされてゆくらしい。まあ、仕方ないか。

 監督は、トム・クルーズの「M:i:3」で劇場用映画の第1回監督作品として華々しいデビューを勝ち取った、J・J・エイブラムス。
 そしてこの「LOST」、何と、エミー賞とゴールデン・グローブ賞のダブル受賞という、途轍もない快挙をあっという間に成し遂げてしまったのである。
 まさに怪物ドラマの面目躍如である。

 まだ第1シーズン全25話を観た訳ではないので(だって何度も言うように、まだ3巻まで、つまりドラマで言うところの第6話までしかレンタルされていないんだもん)、言い切ってしまうことは出来ないけれど、マジで面白い。
 このドラマ、ハッキリ言って癖になる!

 ドラマはいきなり飛行機事故で墜落した場面からスタートする。
 どこかの南の島に墜落した旅客機は、炎上し、人々はパニックになって逃げ惑う。機体の周りには死んだ人間がごろごろと転がり、怪我をした人、泣き叫ぶ人で砂浜は大混乱に陥っている。
 結局、生存者は48人。
 落ち着きを取り戻した乗客たちは、とりあえず救助隊が到着するのを待つことにする。
 ところが2日経ち、3日過ぎても一向に救援隊は現れる気配がない。底をつく食料と水。生存者の中には妊婦もいる。

 それに、山のジャングルから聞こえて来る奇妙な音・・・。
 トランシーバーを受信したのはいいけれど、そこからは奇妙フランス語で助けを求める女性の声が・・・。
 突然襲って来た動物を捕まえてみると、何とそれはシロクマだった。何故、こんな南海の島にシロクマが居るのだろう?
 謎・・・謎・・・謎・・・。
 生き残った48人にも、それぞれ何か秘密があるようだ・・・。

 衝撃のラストに向かって物語は一気にスピードを上げる。
 まだ3巻だぜ。収まりが付くんだろうか? こんな物凄い展開で。

 まずは第1巻だけでも観る事をお勧めする。
 絶対、次が観たくなる。
 「24」より面白いかも。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全米TVドラマ「LOST」の監督J・J・エイブラムスが初演出、トム・クルーズ「M:i:3」を観る

2006年06月24日 | Weblog
 映画ミッション・インポシブルは、第1作目がブライアン・デ・パルマ、第2作目がジョン・ウーという、時々の旬の監督を起用してそれぞれに大ヒットを飛ばして来た。
 そして今回の第3作目の監督に起用されたのが、J・J・エイブラムスである。劇場用監督作品としては、この「M:i:3」が1作目となる。

 そう、全米で一大センセーショナルを巻き起こしている、あのTVドラマ「LOST」を監督して超有名になってしまった、J・J・エイブラムスなのだ。
 さすがトム・クルーズ。プロデュースの手腕も天才的である。

 全米では、もうとっくに公開された「M:i:3」だけれど、期待以上の成績は残せなかったようだ。
 勿論、全米ボックス・オフィス初登場第1位だったし、興行収益1億ドルも簡単にクリア。そういう点では見事である。ただこの映画、他の映画と違って余りにもハードルが高いわけで・・・。

 しかし映画自体は、アクションに次ぐアクションの連続で、2時間の上映時間を全く飽きさせることが無い。
 J・J・エイブラムス。こういうモンスター映画の監督を引き受けながら、全然プレッシャーに動じる様子もなく、最初からアクセル全快で、飛ばす飛ばす。
 「LOST」で鍛えた力は伊達じゃなかった。

 ファースト・シーン、いきなりイーサン・ハント(トム・クルーズ)が拉致されている場面が飛び込んで来る。
 そして、悪役のフィリップ・シーモア・ホフマン(この人もまた凄い演技。今秋日本で上映の主演映画「カポーティ」がますます楽しみになる)が、同じ人質として捕らえたイーサン・ハントの妻の頭部に向けて、突然、銃をぶっ放すのである!

 そう来たかと思った瞬間、映画は、あの懐かしいタイトルとともに、これもまたあの懐かしいテーマ曲が流れ始めるのだ。
 上手い! J・J・エイブラムス!

 ストーリーはこれまで同様、不可能なミッションを遂行して、世界に蔓延る悪の組織を壊滅させるべく立ち向かうIMFという組織と、その一員であるイーサン・ハントの物語。
 今回は、第一線の現場から退き後輩の指導に当たっているイーサン・ハント(トム・クルーズ)が、潜入先で突然を絶ったエージェントの救出を依頼されるところから物語は始まる。
 その冒頭で、さっきの衝撃シーンが挿入されるのである。

 カーチェイスは勿論の事、部下の救出に伴う大銃撃戦、超高層ビルでのスリル満点の潜入シーン、ハラハラドキドキの白昼拉致劇など、定番の美味しいおかずがテンコ盛り。
 ラストのちょっとしたどんでん返しも愉しい。
 夏の暑い日に、クーラーの効いた映画館で観る「M:i:3」は気分爽快かも。

 確かに、今回のJ・J・エイブラムスの起用は正解だったようだ。
 でも「Ⅰ」と「Ⅱ」と「Ⅲ」を観比べて、どれが一番よかったか?
 僕はやはり、ジョン・ウーが撮った第2作目が一番好き。
 単なる、好みの問題だけどね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夜明けの歩き方」

2006年06月23日 | Weblog
 朝の4時に起床。
 言わずと知れたFIFAワールド・カップドイツ大会の日本VSブラジル戦を観るためだ。

 昨日も仕事が終わったのが9時過ぎで、遅い食事を採ってお風呂に入り、寝床に潜りながらのサッカー観戦。
 なので、実質ほとんど寝ていない。

 もうほとんど日本の二次リーグ通過は不可能だということは知っている。
 知ってはいるけれど、残りの1%に微かな望みを託すのが男である。応援するしかない。

 乳白色の空。
 雨上がりの朝の、静かな風景。とても静かな金曜日の夜明けだ。
 早速、NHK総合テレビにチャンネルを合わせる。眠い。

 試合は、いきなりの日本先制点! 玉田のシュートが決まった。
 もしかして勝てるかも。そう思ったのも束の間。前半終了間際にロナウドがヘディング・シュートを決めて1対1。
 その後は、もうブラジル怒涛の攻め! 結局4対1で大敗。
 中田は、しばらく立てずに芝の上で天を仰いでいるし・・・。ショック。

 しばし呆然とテレビ画面を眺め、一息ついて珈琲を淹れた。
 まあ、こういう朝の迎え方もまたあるだろう。人生は勝つ時ばかりじゃない。気を取り直して深呼吸。
 俺の人生だって、負け続けているわけで。それでも、いつの日にか逆転のゴールを狙っているわけで。

 朝のひんやりとした空気を吸いたくて、窓を開けてみる。
 気持ちのいい風が部屋に入り込んで来る。少し冷たいけれど、眠気を覚ますにはちょうどいい。
 時計は6時を回る。
 ちょっとだけれど、太陽の光が朝の街を照らし出した。

 音楽、音楽。朝にぴったりとくる音楽。
 スティーブ・ウインウッドでしょう。ソウルフルで前向きで。これしかない。
 次々と日本選手がインタビューに応じている。みんな俯いている。脱力感でいっぱいだろう。

 勝つこともあれば、負けることもある。
 勝者には何もやるな! と言ったのはヘミングウェイか。敗者にしか解らない感情というものは確かにある。
 でも誰だって勝ち続けたいのだ。
 俺も一生に一度でいいから勝ってみたいよ。

 朝。
 いつもと変わらない6月の静かな朝。
 色んな出来事が今日も続いてゆく。そして、それは積み重なり、また何処かへと飛ばされてゆく。

 一日が始まる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョージ・クルーニー監督の映画「グッド・ナイト&グッド・ラック」は重厚でサスペンスフル。いいね。

2006年06月22日 | Weblog
 第二次世界大戦後におけるアメリカ合衆国は、大国の栄華を最大限に享受し、文化的な部分でさえ他国の追従を許さなかった。
 もちろん、自国の文化そのものを、巨大な力を背景に据え、大量に他国に対して輸出し続けたという視点に立ってのことであり、粗悪な文化はおのずと駆逐され淘汰されて行くわけで、アメリカ文化そのものを全否定する議論はちょっと乱暴過ぎると思うけれど。

 そのアメリカにも、暗部と呼ばれる歴史の裏面は当然存在する。
 そのひとつが、マッカーシズム、いわゆるアメリカ全土を襲った「赤狩り」の悪夢である。1950年代に起こった、大きなアメリカの悲劇といっていいだろう。

 事の発端は、アメリカ共和党上院議員であるジョセフ・マッカーシーによる議会発言である。
 つまり、アメリカの中枢部にも「共産主義者」が多数潜んでいて、密かに共産主義国と連絡を取り合い、アメリカの共産主義化を目論んでいるという趣旨の衝撃発言だった。

 当時、世界は異なるイデオロギーによって二極化が進められていた。いわく、アメリカを中心にする自由主義・資本主義国家群と、社会主義を経由して理想とする共産主義国家を目指すソビエトなどの国家群がそれである。
 そういう冷戦状態の中で、当然アメリカから出るべくして出てきたのが、国内の共産主義者粛清を狙ったレッド・パージ、「赤狩り」のうねりだった。

 この魔女狩りは、映画の都であるハリウッドにも及んだ。
 密告者として名を連ねていたのが、ウォルト・ディズニー、後の大統領にもなるロナルド・レーガン、名作「エデンの東」を監督した名匠エリア・カザンなどであり、最後まで抵抗し、反抗を続けた映画人としては、フランク・シナトラ、ハンフリー・ボガード、グレゴリー・ペックたちだったと言われている。
 暗い歴史のひとコマである。

 俳優であるジョージ・クルーニーの、2本目ともなる監督作品が、この「グッド・ナイト&グッド・ラック」だ。
 全編が白黒画面で描かれ、それが1950年代当時の雰囲気を醸し出していると同時に、締まった雰囲気と緊張感もまた喚起させる。

 実在したTV人気キャスターのエドワード・R・マローを描くことで、当時のマッカーシズムの愚かさを告発し、ジャーナリストとしての正義と自由を謳い上げる。しかしその主張は、決してお仕着せの理想主義ではないし、声を荒げて恥部を曝け出しているわけでもない。
 だからこそこの映画は、重厚で、サスペンスに溢れながらも、どこかスタイリッシュで、風格さえ漂わせる映画になったのだと思う。

 後半、エドワード・R・マローとジョセフ・マッカーシー上院議員が、テレビを通じて戦うシーンがあるのだが、様々な当時の実写シーンを挿入させながら、息詰まるような緊張感で観ている者を圧倒する。
 何度も組み入れられる、ジャズボーカル。絶えず煙草の煙が、映画の中を横切ってゆく。CBSというテレビ局の葛藤と、それぞれの地位にあるからこその苦悩と反発。男臭さが映画全体を支配する。役者たちがみんな素晴らしい。

 ただ、焦点をCBS局内に絞り込んで、マッカーシー上院議員の弾圧に対する抵抗と告発を描いてゆくことから、少し平板で一直線過ぎるという批判はあるかもしれない。

 ジョージ・クルーニーって、脚本は書くし、監督はするし、演技はするし、格好いいしで、神様は不公平だと本気で怒りたくなってくる。
 「グッド・ナイト&グッド・ラック」。なかなかいい映画だ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「WEARINESS」

2006年06月21日 | Weblog
 昨日は、インタープリターS女史からメールが入り、オフィス近くの珈琲ハウスで、建築家アンジェリーナ・ジョリー女史と孤高の理想主義哲学者S氏と4人で久しぶりのお茶。
 魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する魔界から抜け出し、やっとの思いで下界の村里に辿り着き、そこで久しぶりに飲む美味しくて冷たい井戸水のよう。
 セレヴリティでリッチな3人の話す、とても前向きな会話の数々に、皮肉ではなく、マジに和んで来る。

 いよいよ始動する、7月30日から10月15日までの3カ月間に及ぶ「あおもりアート商店街」プロジェクト。御三方は、その主要メンバーでもある。
 つまり、コンパクト・シティを標榜する青森市の中心市街地商店街において、「アート」を切り口に、連続的なプロジェクトを展開してゆこうとする試みだ。
 
 オープニングは、7月30日(日曜日)による青函連絡船・メモリアルシップ「八甲田丸」での「青春劇場」。
 写真家の一ノ瀬泰三のドキュメンタリー映画「TAIZO」上映と、あのビートたけし「その男、凶暴につき」を始めとする数々の日本映画の傑作をプロデュースしてきた奥山和由氏本人と、「TAIZO」を監督した中島多圭子さんによるトーク・イベントを開催するのだけれど・・・僕もナビゲーターで出演しますので。
是非、多数のご来場を!

 そして、そこから連動するかたちで、「キッズ・アート・ワールド」、若手アーティストやクリエーターたちが実際に中心商店街に住み、そこから新しいアートを紡ぎ出してもらうことで街そのものも変えてゆこうとする「上を向いて歩こう!」、「アート井戸端会議」などが期間中に開催されることになっている。

 しかし、それにしても疲れている。
 疲労困憊である。次から次へと怒涛の如く押し寄せてくる、様々な懸案事項。投げ出したくなる自分と、それを醒めた目で俯瞰しているもう一人の自分。
 やれやれ。まったく。

 NHKのハイビジョン放送でサッカー中継を観ながら、何気なくチャンネルをテレビ朝日「報道ステーション」に替えたら、光市母子殺害事件における、最高裁での二審への「無期」破棄差し戻し判決が流れていて、遺族の本村洋さん本人が生出演されていた。

 胸に深く刺さって来る。
 言葉も出ない。

 突然失われた二人の命。それも暴行の果ての殺人と、子どもを床に投げ捨てた後で首を絞めて殺すなんて・・・。そのあと、18歳の被告が友人に送った手紙の内容も報道されたけど、余りにも反省の色が無さ過ぎる、呆れた文面に終始していた。

 妻と子どもを失った本村洋さんは、30歳ということだけれど、これまでの7年余りの月日は、想像を絶するほどの苦しさと憤りと憎しみによる葛藤の日々だったと思う。
 でも、その発する言葉の数々は、どれもが冷静でしかも凛としていた。
 「悔い改めても、なお命を落とさなければならない罪がある」という、木村洋さん本人の言葉が重い。

 最近は、余り眠れない。
 眠らなければというプレッシャーが、また眠りを妨げてしまう悪循環。
 仕事の最中も、絶えず疲労感が襲って来る。
 7月2日の日曜日は「青森マラソン」で、またハーフ・マラソンを走らなければならないっていうのに・・・。疲れ切っているので走る気力も失せる。
 
 数日前、言いようの無いほどの高揚感に包まれていたかと思うと、あっという間に、真夏のアスファルトに投げ出した氷の破片みたいに、急激に萎んでしまうのである。

 明日はもう木曜日かよ。
 って、6月も終わりじゃん!
 夏がやって来たと喜んでいるうちに、またすぐ秋が顔を出す。
 うーむ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Kiss」連載中の二ノ宮和子「のだめカンタービレ」第十五巻が発売、ほんとこの漫画って面白い!

2006年06月20日 | Weblog
 女性漫画家による漫画作品が今圧倒的に面白い。
 前までは、「少年ジャンプ」や「少年マガジン」の少年誌の類から始まって、「ビッグコミック」や「モーニング」などの青年漫画誌まで、ひたすら読み漁っていたのだけれど、もう追い着く事が出来なくて、今は新刊コミックで出たものだけをセレクトして読んでいる。

 第一、すべての漫画誌を完読するなど不可能である。
 大体、几帳面な性格も手伝って、漫画雑誌を買い込むと、きちんと最初のページから順々に最後まできちんと読んでゆくので、一冊を読み通すのにとても時間が掛かる。
 なので、最近は本屋さんで予めペラペラと漫画雑誌を捲ってみて、目に付いた漫画を改めてチェックしたり、あるいは、「ダ・ヴィンチ」などの本に関する情報雑誌を読んで、話題になっている漫画をチェックしておくなどの方法をとっている。

 女性漫画誌「Kiss」に連載している、二ノ宮和子の「のだめカンタービレ」。その第十五巻がついに発売された。
 前にも書いたことがあるけれど、この「のだめカンタービレ」、クラシック音楽を題材にしていて、野田恵、約して「のだめ」と呼ばれる少し変わったピアノを弾く女の子と、若き天才指揮者である千秋真一との、ある種、掛け合い漫才的なラブ・ストーリーが展開される。

 主人公である野田恵のキャラクターが、また強烈である。
 こう書くと、まるで破天荒な女性キャラというイメージを想像するかもしれないけれど、そうではなくて、二ノ宮和子の漫画そのものが醸し出す、暖かみのある描き方も相俟って、漫画の中に何とも味のある個性が浮かび上がってくるのである。
 
 のだめは、大好きな千秋真一を脇目も振らずにただ一途に追い掛け回すのだが、どこかヌケた部分と適度な楽天性が愛くるしい印象を読者に与え、微笑ましささえ呼び起こしてくれる。
 そういう意味で、漫画家二ノ宮和子のキャラクター作りの巧さによるところが大きいし、脇役たちも個性的で一人一人がそれぞれ輝きを放っている。

 漫画で野田恵は、表面的に、何日も同じ服を着込み、ピアノのレッスン自体もいい加減、弱肉強食の音楽という世界(最初は、音大を舞台にした学園生活ドラマとして描かれるのだが)における欠落者として描かれてゆく。
 ところがその反面、天才的な素質と天性の音楽的才能を持った女の子という一面もまた、漫画の中で小出しにされる。そこがすこぶる面白い。そして一種の爽快感をもって描かれる。

 たとえば物語中盤で、新人ピアノコンテストが開催され、それに野田恵が何を思ったか(もちろん、愛する千秋真一がらみなのだけれど)突然エントリーを決め込むというところがある。
 野田恵の隠れた才能に着目した担任教授の猛特訓の成果もあって、結果、コンテスト会場で衝撃的なデビューを果たすことになるのだが、最終選考で突然即興演奏を披露し、それ自体は大反響を巻き起こすことにはなるものの、規則を曲げたということで落選の憂き目にあってしまう。
 つまり、やれば出来るのに努力をしない。いい加減にこなす。適当に食い散らかす。

 しかし、このいきなりのアップダウンが漫画を極めて楽しいものにしている。
 ちょっと理屈っぽく書いたけれど、ストーリーはいたってシンプルで、思わず噴出してしまう。この「のだめカンタービレ」を読んで何度笑ったことだろう。
理屈抜きで面白い。講談社漫画賞も受賞したし。

 女性の漫画作家による作品を読んで、いつも思うことなのだが、そこに描かれる人間の微妙な心の揺れや葛藤や表現の巧みさには心底感服する。
 凄い。白旗を揚げざるを得ない。

 そして今日もまた漫画を読み耽る。
 漫画の世界は、途轍もなく、深い。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デビッド・クローネンバーグは苦手な映画作家だけれど「ヒストリー・オブ・バイオレンス」はかなり面白い

2006年06月19日 | Weblog
 苦手な芸術家って誰にでもいる。
 それは小説家だったり、画家だったり、音楽家だったり。
 たとえば映画作家でいうと、「確かに優れた映画だと思うけど、何となく自分とは波長が合わない」とか、「この人の描くテーマや主張って、自分の中にあるものとかなりズレている」とか、「コイツ何考えてんの? 頭の中がさっぱり解らん」とか。

 身近な例で、音楽を挙げてみるともっと解りやすいかもしれない。
 僕は個人的に「クイーン」(もう解散してるけど)と、日本の「アルフィー」。
 まず、楽曲のどこがいいのか全く理解できないのである。彼らの歌がヒット・チャートの上位を占めたりすると、正直戸惑ってしまう。俺だけがおかしいの?
 好き嫌いなら話は簡単だ。
 そういう歌い手やアーティストならたくさんいる。曲自体がつまんなかったり、その人本人が生理的に受け付けなかったり。
 でも「クイーン」と「アルフィー」の曲は、醤油をかけないで豆腐を食べてるような感じなのだ。まったくもって困ってしまう。
まあ、だから何なんだって言われても返す言葉はないけれど・・・。

 デビッド・クローネンバーグもまた、その思考や主張がちょっと特異な印象を受ける映画監督の一人だ。
 映画によって、とてもフィットすることもあるのだが、自分が見ている視点と何処かがズレている。そしてそれは、好き嫌いというレベルでは決してない。

 これまでも、「ザ・フライ」や「ビデオドローム」や「裸のランチ」はなかなか面白かったと思っている。でも「クラッシュ」(今年度アカデミー作品賞を採った映画とは違う作品ですが)や「戦慄の絆」は、観ていてちょっとついていけない。辛い。
 何考えてんの? この人・・・っていう感じが絶えず付き纏うのである。

 しかし、今回の「「ヒストリー・オブ・バイオレンス」はかなり面白かった。いい出来栄えに仕上がった、お勧めの映画である。
 ちゃんと冷えた豆腐に極上のお醤油がかかっていて、その上、薬味まで載せてある。

 ストーリーはいたって単純だ。
 ある男(ヴィゴ・モーテンセン)が経営する小さな町の食堂に強盗が押し入る。客が撃たれそうになったところをとっさの機転で救い出し、強盗の二人を射殺してしまったその経営者は、逆にマスコミや町の住人たちから英雄扱いされてしまう。
 やがてその店に、見知らぬ3人の男が尋ねて来る。
 その中の一人は片目が潰れていて、一躍有名になった男に対し、「お前に復讐するためにやってきた」と突然不可解な言葉を投げ掛けるのだ。
 そして、そこから物語は、怒涛のバイオレンスへと一気に雪崩れ込む。

 映画を一貫して貫く静かな緊張感。息苦しさ。重く暑苦しい空気。
 台詞は簡潔で、下手な小細工を排した画面展開に終始する。極上なハードボイルド小説を読んでいるようだ。ひんやりとした質感。クールな視点。
 暴力シーンはそれほど凄まじいわけではないのだが、そこに辿り着くまでのプロセスが圧倒的に素晴らしいから、俄然、映画そのものが生きて来る。

 個人的には、これまでのデビッド・クローネンバーグの作品の中で一番好きかもしれない。
 主役のヴィゴ・モーテンセン(ロード・オブ・ザ・リング)もいいけれど、脇を固めるエド・ハリスとウィリアム・ハートが、また何とも言い難い味を醸し出している。
 
 当然、今年度の洋画ベストテン上位に食い込むのは確実でしょう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夏に時間は流れるー」

2006年06月18日 | Weblog
 今朝も起きたら青空が広がっていた。
 気持ちのいい朝。梅雨の真っ只中にいる人たちには気の毒だけど。

 カリカリに焼いたパンにたっぷりとピーナツバターを塗りこみ、ジャガイモや玉葱や人参などの野菜を一日掛けて煮込んだスープと一緒に頬張る。
 それから、日刊スポーツと日本経済新聞と朝日新聞にゆっくりと目を通す。

 日刊スポーツの一面に、でっかく「信じてる!見せてくれ! ジーコ日本の底力」の文字が躍っている。
 いよいよ今夜10時からクロアチア戦が始まる。負ければ一次リーグ敗退は決定的だろう。

 でも何か、自分の人生の頑張り不足や不甲斐なさや欠落部分を、スポーツや他の媒体に余りにも過剰に託して過ぎる姿に、ふと違和感を感じてしまう時がある。
 もちろん、日本には勝って欲しいし、負けると物凄く悔しい気持ちになるのは誰でも同じであり、日本人として至極当然の事ではある。
 ただ、極度の感情移入をして入れ込み過ぎる自分自身を見ていると、つい皮肉な視点でおのれを捉えちゃうのである。
 そういう自分は、ここまでギリギリ極限に自分を追い込んでいるわけ? 自らの仕事や人生に対して、例えばプロサッカー選手たちのように想像すら不可能な重圧に耐えたり、真摯に向き合ったりしているわけ?
 すいません。してません。

 午後は久しぶりに昼寝をしてしまった。珍しい。
 でも気持ちよかったなあ。

 夕方起き出し、日曜日の街を走る。
 家から、国道4号線と国道7号線の分岐点を跨ぎ、青森県庁を横目に陸奥湾を望む海沿いに出た。
 遠く、津軽半島が優しい陽光に揺れている。
 大型客船が停泊する、北海道に向かうようにしてまっすぐ伸びた埠頭の先端まで走ってUターン。
 水面がキラキラと光っている。海風が汗を奪って逃げてゆく。

 海に向かって置かれた木製のベンチで、独り文庫本を読んでいる若い女の子。手をしっかり握って微笑み合いながら歩くカップル。
 自転車で旅をしている若者だろうか? 大きな荷物を枕にして津軽海峡の先を眺めている。
 青空に、太陽が初夏の光を撒き散らしている。

 青森ベイブリッジの下を抜けて、青函連絡船の前を通り、青森駅のプラットホームに並行して続く道路をひたすら走る。
 東北新幹線に接続する、八戸までの特急の出発を告げるアナウンスが風に乗って聞こえて来た。

 約1時間の小旅行。
 家に帰り、ほとばしる汗をタオルで拭きながら冷たいミネラル・ウォーターを飲み干す。
 スティーブ・ウインウッドの「ABOUT TIME」をフル・ボリュームで。
 いいよなあ。このアルバム。
 黒っぽくて、しかも前向きで。
 スティーブ・ウインウッドのソウルフルなボーカルが、6月の夕暮れの空に舞い上がってゆく。

 さあ、サッカーだ!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夏の頬杖」

2006年06月17日 | Weblog
 青空が広がっている。
 6月の澄み切った朝。爽やかな土曜日。
 
 遅い朝食を済ませ、車で郊外の大型ショッピング・センターまで食料の買い出しに出掛ける。
 帰りは、これも郊外の大型書店。
 「文春」に「新潮」に「アエラ」に「日経エンタメ」に「週刊プロレス」に「キネマ旬報」にリニューアルした「SIGHT」に。全部まとめて立ち読みする。

 ところが、ひっきりなしに携帯が鳴る。
 とても重い話。とても暗くてメゲる話。何なんだ、これは?
 でも6月の空は、どこまでも高く、そして青い。
 そう。まるで世の中の動きなど関係ないとでも言うように、平然と取り澄ましている。

 気持ちを切り替え、ジョギング・パンツに着替え直し、街なかを抜けて海まで走る。午後の3時の晴れ渡った空。
 青い空に、絵の具を塗りたくったような白い雲が張り付いている。
 夏と呼ぶにはまだ早い。そうかと言って春とも違う。

 夏が頬杖をついたまま、僕たちを意地悪そうに焦らしているみたい。

 東からの風が強い。
 アスファルトに影が映る。ハアハアという音だけが、午後の海沿いの道に洩れてゆく。Tシャツが汗で滲む。

 約60分間のジョギングを終え、シャワーを浴び、半ズボンとタンクトップに着替え、溜まった雑誌を整理する。
 「CUT」、「文藝春秋」、「SWITCH」、「ロッキング・オン」、「わしズム」、「群像」、「文学界」、「すばる」、それから色んな週刊誌。
 全部まとめて捨てることに。

 何気なく、整理しながら雑誌の束から何冊か取り出してぺらぺらとページを捲る。
 小林よしのり編集の「わしズム」を読んでいたら、止められなくなってしまった。「大人のための恋愛論」という特集号がまた面白い。
 買った当時も勿論読んだと思うんだけれど、もうすっかり内容は忘れている。
 やれやれ。近頃ほんとに忘れっぽくなってしまった。

 日本の中年女性が牽引している「韓流ブーム」。
 何かもう、一時のブームは去ったような気もするけれど。
 その「韓流ブーム」は、男性を尊敬するということが無くなってしまった日本女性による、男性を調教したい願望へと向かう、いわゆる「女性の自意識の肥大化」こそが原因なのだとか。
 当然、20代や30代の未婚女性は、現実の「恋愛」に夢中なわけで「純愛」どころの騒ぎではない。
 となると、干乾びた「夫」よりは、幻想の世界で「純愛」に戯れるほうが手っ取り早いということにもなってゆく。
 うーむ。

 などと取り留めのない事を、ぼけーっと考えていたら、いつの間にか夕暮れが迫って来た。

 そうかあ。
 不自由で不平等なのが「恋愛」なのかあ。
 「恋愛こそが、現実世界を超えた『観念の王国』である」と言ったのは、明治の詩人、北村透谷だったっけ?




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする