淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

アラン・クレイソン著「ミック・ジャガーの成功哲学」を読む。やっぱり違うね、凡人とは。

2009年01月08日 | Weblog
 その昔、日本の伝説的なロックバンド「キャロル」が解散した後、メンバーだったジョニー大倉が、同じメンバーだった矢沢永吉について、言っていたことをふと思い出した。
 ソロのロック・アーティストになって大成功を収め、著書の「成り上がり」が大ベストセラーになった頃、ジョニー大倉に対して行ったインタビュー記事だったと思う。

 「永ちゃんは、別にロックでなくてもよかったんじゃない? 彼は何でも良かったんだと思うよ、音楽でなくたって成功さえしたら。実業家でも何でも、彼はてっぺんに上がりさえすれば特に何だっていいんだって」。

 まあ、矢沢永吉に比べ、ジョニー大倉はソロになってからそれほど爆発的な人気を勝ち得たわけではなかった。
 でも、僕は個人的に彼の作る音楽が大好きだった。ソロアルバムも、激しいロックンロールというよりは、甘くメロディアスで、とても聴きやすく、彼の歌作りの才能に心底驚嘆したものだ。
 しかし、アルバム・セールスはダントツに永ちゃんのほうが上で、いつのまにかジョニー大倉自身も音楽の世界から消え、転機を図った役者の世界からもいつのまにかいなくなってしまった・・・。

 ロックの世界に限らない。
 どんな世界に身を置いてみても、答えは同じだろう。
 才能があるだけでは、トップにまで上り詰めることなど不可能だ。そこに、商才や、根回しの上手さや、人間関係に対する絶妙なサジ加減や、体力や、精神力などが加わって、そのトップまでたどり着けるのである。
 勿論、才能がなければ、何事も始まらないのは当然だけど。

 ローリング・ストーンズのヴォーカリスト、ミック・ジャガーもそうだ。
 彼は、何度かのバンド解散危機も、パンクの嵐も、乱高下の激しい音楽業界の荒波も、そのすべてを乗り越え、40年以上の長きにわたってロックの頂点に君臨してきた男である。

 アラン・クレイソンというロック評論家が書いた「ミック・ジャガーの成功哲学」を読むと、ミック・ジャガーが、単に悪たれで女好きの不良の成れの果てではないことがよく解る。

 そりゃあ、そうだろう。
 能天気に「サティスファクション」をステージで叫び、日夜狂乱パーティを開いて数多の女たちと楽しんではいても、彼は驚くべき冷静さと沈着さを持って巨大ロックビジネスの世界を駈け抜けてきたのである。
 生半可な体力と知力だけでは生き残ることなど出来ないはずだ。

 「ミック・ジャガーの成功哲学」によると、彼は大学で経済を学び(バンドが忙しくなって中退はしたけれど)、学業もずっとトップクラスだったらしい。
 そして、ローリング・ストーンズを維持してゆく上においても、収支面で音楽会社と渡り合い、きちんと数字上の論拠を示し、搾取しようとする経営層と戦ったのだとか。

 頭がよくなければ、トップには立てない。
 それは、有名大学を出たとか高等数学がスラスラ解けるということだけでは決してない。

 大酒を飲み麻薬に溺れても、何百人もの女の子と浮名を流しても、放蕩の限りを尽くしても、ミック・ジャガーは、何が今求められ、何を今ファンが欲しているかを絶えず考えていた。

 強い人間だけが勝ち残ってゆける。
 勿論、勝ち残らなくても全然かまわない。
 それはそれで別にいいんじゃない?
 いや、ほんと。




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