淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

苦しいときの浜田省吾頼み。ということでFairlife名義の楽曲を再編集したミニ・アルバム「In the Fairlife」を聴く。

2020年12月31日 | Weblog
 真夜中、悪夢にうなされて目が覚めた。12月30日の午前4時ぐらいだろうか。もちろん、外は真っ暗闇だ。
 なんでこんなおかしな夢を見るのか皆目見当がつかない。
 学生時代に付き合っていた女性が突然目の前に現れて、「別れましょう」といきなり切り出し、こっちが絶望の淵に突き落とされるという摩訶不思議な夢だったからだ。なんで、ずっと思い出したこともなかった昔の彼女が夢に出て来るのかよく分からないけれど、「別れましょう」と切り出された途端、身体を真っ二つに引き裂かれるような衝撃を受けて深い絶望感に襲われるということもまたよく分からない。

 とにかく、夢を見て凄いショックを受け、そのまま目が覚めてしまったのである。
 夢の中にまで現れるのかよ、この得体の知れない黒い怪物って奴は・・・。
 また厭な気分が襲ってきて朝まで眠らせない気かと、少し焦ったけれど、そのあとはなんなく眠りに落ちた。
 やれやれ。

 朝、起きて、軽い朝食を摂って、すぐさま防寒着に着替えて「雪片付け」をした。
 全部で3か所あるので、費やした時間は2時間半。汗が噴き出る。
 時々、凄まじい猛吹雪に襲われた。
 正月の3日辺りまで続くという「数年に一度の大寒波」、こうなったら毎日雪片付けをして抗うしかない。
 厳寒のなかで雪を片付けながら、ひとり妄想をしてモチベーションを上げてみる。「3月になったらランニングシューズを履いて『合浦公園』までランニングするぞぉ。何を聴いて走ろうか、青空の下。あと2か月、あと2か月だ。それまで耐えよう」

 午前中に雪片付けを終わらせ、お昼を抜いて音楽を聴く。11月にリリースされたミニ・アルバム「In the Fairlife」だ。
 苦しいとき、辛いときには、浜田省吾と決まっている。
 何度、浜省に救われてきたことか。

 でも人間とは勝手なもので、聴き手とはいい加減なもので、心が安定していてそれなりに凪の時期は、ほとんど食指が動かない。浜田省吾を聴きたいとは思わない。
 勝手なもんだ。
 もちろん、大好きですよ、浜省は。

 今回のミニ・アルバム「In the Fairlife」は、浜田省吾と春嵐、そして水谷公生による音楽ユニット「Fairlife」のこれまでの楽曲の中から、アルバム冒頭を飾る「みちくさ」をはじめ(「みちくさ」を浜田省吾自身が歌っている)、インスト1曲を含め「Fairlife」名義の曲全8曲で構成されている。

 うーん・・・。
 確かに1曲目の「みちくさ」と8曲目の「ソウルメイト」はいいと思う。でも全体を通して聴くと、イマイチこころに響いてこない。
 穏やか過ぎる。
 仕方がないとは思う。浜田省吾自身の楽曲というより、ユニット「Fairlife」が生み出した曲を浜田省吾が拾い上げて歌い直しているといったほうが正解だろうから。
 
 本当は、ズシンと胸に響く、あの刹那の浜田省吾が欲しかった。
 こういう優しさに満ち溢れた浜田省吾も悪くはないのですが・・・。











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テレビ朝日「ノブナカなんなん?」の600万のバーキンの中に2000万円の現金を入れてる元キャバ嬢、漫画「ワンピース」、NHKTV「進撃の巨人」ファイナル・シーズン。

2020年12月30日 | Weblog
 12月29日の東京株式市場の日経平均株価が大幅続伸して、1990年8月以来となる約30年4カ月ぶりの高値で取引を終えたという。
 まるで90年代バブルの再来じゃないか! えっ? そうなの? 今の世の中?
 しっかし。なんなんだこれ?
 東京都じゃあ、新たに856人が新型コロナウイルスに感染したというニュース速報もあったというのに・・・。30年ぶりの高値って。

 昨日の夜のテレビ朝日「ノブナカなんなん?」もかなり凄かった。というか、溜息しか出てこなかった。千鳥のノブと弘中綾香アナがMCを務める番組の年末1時間スペシャル「億稼ぐ女」である。
 
 「億稼ぐ女」としてテレビに登場したのはエンリケという33歳の女性。
 元No.1キャバクラ嬢で、シャンパンを瓶から直接飲む動画なんかが話題を呼び、前にもこの「ノブナカなんなん?」に出ていた。
 キャバ嬢の時代にも最高月収が2億円ぐらい稼いだらしいのだが、引退した今の方がもっと稼いでいると豪語する。

 月300万円稼ぐYouTube、それから銀座の一等地にある「シャンパン サロン エンリケ」の売り上げが月6000万円。でもこれらは単なる趣味の領域らしい。
 この日、テレビに見せたファッションや車を合わせると総額約7000万円。600万のバーキンの中には100万円単位で束ねた総額2000万円の現金が入っていた。

 ほんと、なんなんだ?
 もう中流なんて階層は存在しない。600万のバーキンの中に2000万円の現金を入れている人間か、ポケットの中に数千円のクチャクチャになったお札を無造作に押し込んだ人間か。富める人間と貧しい人間、その格差はますます大きくなる。
 もちろん、これはひがみに過ぎない。単なる嫉妬である。ただ、大金持ちが羨ましい、それだけのことだ。

 それにしても、こころがずっと荒んでいるというのに、年の瀬の世の中の動きはそれに反して華やかさに包まれてる。
 まあ、いいか。
 ムシャクシャする。漫画でも読もうっと・・・。

 今更ながらのことではあるけれど、漫画「ワンピース」のコミックを全巻丁寧に読み始めている。
 20巻ぐらいまではあまりその面白さが感じられず(絵があまりにもごちゃごちゃし過ぎて見ずらいという欠点がある)、「これがあの誰もが熱狂したという名作漫画?」と思いながら読み進んでいたのだが、30巻を過ぎたあたりから俄然面白くなって、ニコ・ロビンをめぐる最強cp9戦とロビンの救出劇を描く40巻前後からは、ページを捲る手が止まらず、ルフィとルッチの激闘を含め、その熱き思いに、不覚にも泣いてしまった(これって、まだこころが深い闇の中で彷徨い続けているってこと?)。
 「ワンピース」97巻までの道はまだまだ遠い。
 
 そして。
 「進撃の巨人」ファイナル・シーズンである。
 最終シーズンの第1話を観た時はいきなりの展開に少し戸惑ってしまったけれど、「マーレ」の視点だということで思わず納得した。良いと思う。こういう両サイドから語られる物語というのは面白い。

 個人的に好きなのがリヴァィ兵長だ。
 YouTubeで、リヴァィ兵長が巨人たちをバッタバッタと倒すシーンだけを編集した映像が公開されていて、いったいそれを何回観続けただろう。
 リヴァイ、カッコいい。エレンの数倍好きだ。

 ところが、12月27日オンエアされた最新作(NHKテレビ)を観ていたら、ラストのラストにアッと驚く衝撃の展開が待っていた!
 もう、アニメと漫画だね。気分が晴れるのは。
 これしかないな。
 この荒んだこころをときほぐしてくれるものといったら・・・。








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「君の不幸は、なにが不幸であるかについて判断を下す、君の能力の中にある」

2020年12月29日 | Weblog
 28日の月曜日は仕事納め。
 午前8時には「研究室」の鍵を開けた。

 薄っすらと雪が積もっているけれど、今日は4度ぐらいまで気温が上がるらしい。それでも問題は、年末の30日から日本列島を直撃する数年に一度の大寒波のことだ。
 大雪になるとのニュースが飛び交っている。そうなると、年末年始、一日中雪掻きを覚悟しなければならない。駐車場の雪片付けは結構辛い。それでもやらなければみんなに迷惑が掛かってしまう。
 乗り越えなければ・・・。

 部屋はまるで冷凍室のようだ。
 すぐに暖房を点け、コートを羽織ったままパソコンを開く。幾つも入っていたメールを次々に処理して、22日に行われた「地域計画論」と「演習Ⅱ」と「演習Ⅵ」の試験を採点する。
 それが終わって、部屋の中を片づける。溜まった書類を処分して、抽斗を開けて処理済みの書類を裁断した。

 4階の部屋の窓から12月終わりの寒空を眺めた。相変わらずの憂鬱な空。でも雪は落ちてこない。
 大学も冬休みに入ったので学生は誰も歩いていない。ひっそりと静まり返ったキャンパスに融け掛けた雪が残っている。
 こうしてコロナの2020年が終わってゆく。閉塞感だけが世界を包んでいる。
 新しい年は、いったいどんな年になるのだろう?
 
 昨日、読み返したマルクス・アウレリウスの「自省録」の一節を思い浮かべてみる。
 この箴言に救われた。


    君の不幸は、他人の指導理性の中に存するわけではない。
    また、君の環境の変異や変化の中にあるわけでもない。
    しからばどこにあるのか?
    なにが不幸であるかについて判断を下す、君の能力の中にある。
    ゆえに、その能力をして判断を控えさしめよ。
    しからば、すべてがよくなるであろう。

    君が、何か外的の理由で苦しむとすれば、
    君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、
    それに関する君の判断なのだ。
    
    今日、私は、あらゆる煩労から抜け出した!
    というよりも、むしろ、あらゆる煩労を外へ放り出した!
    なぜならそれは外部にはなく、内部に、私の主観の中にあったのである。

                     マルクス・アウレリウス「自省録」


 やはり、自分を徹底的におとしいれ、こころを引き裂き、奈落の底に落とそうとしているのは、自分自身なのだ。自らのこころが生み出しているものは、自分で勝手に創った「真っ黒な塊」なのである。すべて、自分が考えたもので、いまの自分を造っているすべては自分自身であり、ほかの誰でもない。

 自分の不幸は、なにが不幸であるかについて判断を下す、おのれの能力の中にある。








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「こころの冬」④

2020年12月28日 | Weblog
 スポーツジムのスタジオに入って、午後2時から始まる「ターゲット・アブス」のエクササイズを座って待っている間、スタジオの窓から見える久しぶりの青い空をちらちらと眺めていた。日曜日の午後だった。

 ジムで汗を掻き、身体を鍛え、熱い湯船に浸かり、それなりの充実感を得る。数十年間勤めた組織を辞め、そこから新しい職を見つけ、学生たちに教えるという喜びを覚え、それなりの達成感を得る。特に重い病気に苦しめられることもなく、亡くなった友人も何人かいる中で、フルマラソンを走ったりジムに通って、それなりの健康体を得る。飢えることもなく、寒さを防ぐ家もあり、友人や同僚にも恵まれ、音楽を聴き、本を読み、映画を観て、本も2冊出版し、書いた小説は何篇か書籍化され、それなりの満足感を得る・・・。
 それでもまだ、何処かに辿り着いたというような、何かを掴み取ったというような、そんな清々しい気分になれない。

 六本木のヒルズに住んだら、ニューヨークのマンハッタンに住んだら、それで一切治まるのか。小説が権威ある賞を獲ったら、ベストセラー作家になったら、それで一切治まるのか。絶世の美女に囲まれ、彼女たちと世界中を豪遊し、億単位の金が毎年入ってきたら、それで一切治まるのか。いつまでも歳を取らず、腹筋が割れて絞った躯体を維持することが出来たなら、それで一切治まるのか。

 そういう生活を送ることが出来たのなら、夜になったらすとんと眠りに落ち、真夜中目覚めることもなく、一切の不満や不平が無くなり、雨の日も豪雪の日も心は常に穏やかで、悩み事など綺麗さっぱり消え去ってくれるのだろうか・・・。

 45分間の「ターゲット・アブス」が終わり、ジムのお風呂に入る。
 風呂場の時計は午後の3時ちょうどを示している。久しぶりに、淡い太陽の光が湯船に優しく差し込んでいた。

 気持ちはいい。確かにちょっとした充実感もある。熱いお湯に浸かっていると確かに気分は落ち着く。
 でも、その隙間を縫うようにして、小さな何かがこころの中で蠢いている。まだ俺は完全に復活してない気がする。

 着替えてジムの外に出た。
 寒空に雲が流れている。夕暮れ前の弱い冬の日差しが、広い駐車場に降り注ぎ、積もった雪を溶かしている。

 丸坊主にしようか、また。
 それとも完全断食してみようか。
 凍てつく夜の街を年末年始毎晩10キロ走ることにしようか。
 しっかし。そんなことしたって、単なる付け焼刃に過ぎない。自分自身を根本から変えなきゃ、何の意味もない。また、いつか必ずあの、焦燥感と寂寥感と空虚感が混ざった圧倒的な闇が襲って来るに違いない。

 じゃあ、どうやって、ここから脱出する? じゃあ、どうやって、前向きでポジティブな自分自身を掴み取る?

 やっぱ、敵は強いわ。
 ・・・って、オレ自身か。








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「こころの冬」③

2020年12月27日 | Weblog
 クリスマス・イヴの夜は心が揺れなかった。乱れなかった。
 スポーツジムに行って汗を流そうかとも考えたけれど、思い直し、部屋で竹内まりやのブルーレイ「souvenir the movie ~MARIYA TAKEUCHI Theater Live~ (Special Edition)」を聴いて(観て)過ごした。
 年末年始、数年に一度だという大寒波が日本列島を襲うとTVのニュースが流れている。やれやれ。次から次へと・・・。

 25日も、それなりに心は穏やかだった。
 夕方、青森商工会議所の相談役会に出席して、17時前には終わったので、凍えるような夜道を、肩をすぼめて歩いて家までの道を歩いた。
 途中、「ボクシング・ジム」の前を通って硝子越しに中を覗く。リングで馴染みの二人が激しいスパーリングをしていた。サンドバッグに何発も重いパンチを打ち込んでいる男性もいた。
 そういえば、ボクシング・ジムからハガキが来ていたな。「早くボクシングやりに来てください」って書いてあった。

 街はクリスマス。
 みんな楽しそうだ。
 でも、クリスマス・ケーキを買えない家庭だってあるんだ。年越し出来るか出来ないか、そんな瀬戸際に追い込まれている家族だっているはずだ。コロナで離職を余儀なくされた人間もたくさんいる。今この時間、空腹にのた打ち回り、寒さに震えながら寝床を確保しようと必死のホームレスだっているだろう。

 ちくしょう。
 なんでこうも世界は理不尽で不寛容で残酷なんだ。
 そしてこの俺もまた、傍から見たらどうでもいいような寂しさに塗れて、12月の師走のなかで右往左往している情けない男に成り下がっている。
 ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。

 家に帰って夜をやり過ごす。
 12時過ぎにはなんとか眠れたものの、明け方、目が覚める。それでも、あの圧倒的な喪失感のような感情は湧き上がってこなかった。
 そこからまた眠気が訪れ、知らず知らずのうち眠ってしまった。

 26日土曜日。
 朝起きて、下の階に降りると、床が水浸しになっているではないか。
 なんなんだ?
 天井からまるでシャワーみたいに水が漏れている。慌ててバケツを持ってきて、雑巾で床を拭くも、漏れてくる水が半端な量じゃない。すぐに業者に電話した。
 なんで、年末になってこういうことが起こるんだ?
 やれやれ。次から次へと・・・。

 結局、来てもらった業者いわく、「年末年始は材料屋が休みに入るので今日は応急処置しかできない。来年の5日以降の工事になるので、それまでお湯は一切出ないのでなんとか耐えてください」。
 そうかあ。ということは、風呂にも入れないし、食器も洗えないということね。それも今日から10日間以上も!
 でも、家を無くして途方に暮れている人間だって世の中にはいる。それに比べたらどうってことはない。
 それにしても。
 やれやれ。次から次へと・・・。

 仕方がないので、スポーツジムへ行く。
 外はいつもの暗雲が覆っていて、時々吹雪いている。今日もまた憂鬱な冬の空だ。
 この街に青空なんてないのかよ!

 午後2時15分からの「ボクシング」のエクササイズをやった。
 きつかった。汗が滴り落ちて止まらない。
 家では風呂に入れないので、ジムのお風呂にゆっくり浸かった。でも、ジム自体、年末年始は休みときてる。こんな時に限って・・・。

 髪を洗おうとシャワー室に入ろうとした瞬間、あの数日前の悪夢が蘇って一瞬入るのを躊躇った。どうしよう、シャワーを浴びた瞬間、またあの圧倒的な「真っ黒な塊」が沸き上がってきたら・・・。
 恐る恐る、シャワーのノズルを捻って熱いお湯を浴びてみた。ああ、何もなかった。よかったー。

 しっかし。
 だんだんと腹が立ってきた。もちろん自分自身に対してだ。
 自分自身の不甲斐無さに。このどうしようもない心の弱さに。心底楽しめない悲観主義者の権化に。
 自分自身の最大最強の敵、それはまさに自分自身だ。その言葉を何度も心の中で繰り返して自分を鼓舞した。

 ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。
 俺はアンダードッグなんかじゃねえぞ。このままじゃ終わんねえぞ。
 俺が幸せになれずに、他人を幸せになんかできるわけ、ねえだろ絶対。








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「こころの冬」②

2020年12月26日 | Weblog
 12月12日の夜、真夜中の1時に突然目が覚め、そこから圧倒的な虚しさのようなものが襲ってきて、耐えられそうになく、パニックになってしまったという話の続きである。

 その12日の夜から、辛く苦しい日々が始まった。
 つまり、2004年と2015年に続く、3回目となる、圧倒的な負の感情の決壊である。爆発である。
 それも、最悪な冬が始まったその直後と来ている。最悪だ。

 真夜中がとにかくキツイ。まず、眠れない。というか、眠るのがとても怖い。
 また真夜中に突然目が覚め、あの圧倒的な力で襲って来る耐えがたき負の感情に対して、俺は勝つことが出来るんだろうか?
 そんな恐怖に怯え、悶々としながら何度も蒲団に丸まって寝返りを打つ自分がいる。

 いきなり襲って来る、圧倒的な寂寥感と空虚感に心が張り裂けそうになるのだ。世界が反転したようになるのだ。白黒の映像だけが頭の中で映し出されるのだ。
 真っ暗闇を見つめながら、その感情に激しく抗って、抵抗したり暴れてみたりするのだけれど、もがけばもがくほど苦しさにのた打ち回る。

 そんな耐えられない状況が何日間か続いた。
 街は、毎日毎日、うんざりする憂鬱な空が広がっている。雪も激しく降り続いている。とても息苦しい。
 青空が見たい。太陽が恋しい。どこか暖かい場所へ行きたい。東京にはもう一年半も行っていないし、世界は何処も彼処もコロナが蔓延しているから海外に脱出することも不可能だ。

 なんたる閉塞感!
 せめて夏だったら。

 仕事が終わって家に帰ると、食事をしたあと直ぐに蒲団を引き、中に潜ってひたすら自分の過去のブログを必死で読んでいった。何もしないでいると、虚しさに潰されそうになるからだ。
 それにしても酷いもんだ。
 永い間書いてきたブログはそのどれもこれも、苦悩とマイナス思考の雨あられである。自分自身を呪い、日々の生活を嫌悪し、辛い、苦しいと心情を吐露している文章で埋まっていた。

 よくまあ、ブログを始めた2004年11月から今の2020年12月までの17年間、ここまで落ち込んでいられたものだ。
 楽しいことだってあっただろうに(まあ、そういう前向きなこともたまには綴っているのだけれど・・・)。
 俺の人生って、いったいなんなんだ? ただ苦しむだけの人生か?
 それも、考えてみると、単なる独り相撲をしているように見えなくもない。っていうか、完全なる独り相撲じゃないか。
 風に揺れている柳を、幽霊だと勘違いして怯えている子どもみたいだ。勘違いなのに。

 脱出したい。こころからこういう状況から逃げ出したい。もう嫌だ。こういう思考に溺れるのは・・・。
 死ぬ前に一度ぐらいは「ああ、愉しい! ああ、生きてる!」というような、心から弾けるそんな気分に包まれてみたい。そう心から願った。

 人間というのは、やはりよく出来ているというか、極端に片方にブレると、そこから「揺り戻し」をしようと試みる別の感情が働くようだ。極端な場所に行くところまで行っちゃうと。

 何とかしようと、本棚から哲学者アランの「幸福論」を取り出して1ページから丁寧に読んでいった。
 【最大最強の敵は自分自身である】、【まず自分が微笑まなくて、誰が微笑むのか】、【不安とは無意味な動揺である】、【幸せになると誓う】・・・。

 たぶん、普段の凪の状態の時だったとしたら、こういうシンプルで飾り気のない言葉を聞いても、ただ右から左に受け流していただろう。「ふーん」と、特に気を止めることなく。
 でも、心に深い空洞が出来ていて、生きていることに疲れ切っていると、こういう真っ当な箴言に心が落ち着いてゆく。

 しっかし。それにしてもである。
 いい歳した男が、未だに道に迷って人生をひたすら彷徨っているって、これ、一体なんなんだろう?
 いい大人が無様すぎる。いい加減、悟らないと・・・。

 ふと、真っ暗闇の天井を見つめながら考えた。
 そうだよな、アランが言っているように、こういう自分自身を苦しめているもの、身体の中から這い上がって来る「真っ黒な塊のようなもの」、それって全部、自分が作り出したものに過ぎない。つまり、自分で自分を徹底的に傷つけているだけなんだ。
 自分にとっての最大最強の敵は、やっぱり自分自身だ。自分が思った自分にしかならない。
 ちょっとだけ、心が穏やかになってきた。

 俺だって穏やかで幸せだと感じる瞬間を生きていたい。
 それを阻止しているのは、もう一人の自分である。
 どうしたら、自分の人生に納得できるんだ?

 ああ・・・。







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「こころの冬」①

2020年12月25日 | Weblog
 昨日は、2020年、12月24日。クリスマス・イブだった。そして今日がクリスマス当日。
 昨日、約4か月振りのブログ再開ということになった。まあ、クリスマス・イブだろうが、何だろうが、そんなことはどうでもいい。

 12月に入ったら、去年とは180度変わっていきなり大雪に見舞わられた。毎日、毎日、雪掻きに追われた。駐車場が、除雪作業で置いていった雪で高い壁が出来てしまい、仕方がないので、知っている業者に頼んで急遽除雪車に来てもらい駐車場を除排雪してもらった。一人ではとても無理だった。ほかの車がまったく駐車できないからだ。苦情も来た。
 もちろん、それなりの除排雪料を取られてしまった。
 ほんと、雪のない街に引っ越したいと心底思う。

 実は先日、あの数年前に突然襲って来た、言いようのない「真っ黒な塊」がまた胸の奥から湧き上がり、精神的に追い込まれて吃驚した。
 真夜中1時に突然目が覚めた。そして、突然そこから、圧倒的な虚しさのようなものが襲ってきたのである。
 とても耐えられそうになく、どうしたらいいのかオロオロしてしまい、ちょっとパニックになってしまった。
 暫くの間、枕を二つ重ねて真っ暗闇を見つめながら、早くこの言いようのない恐怖感が去ってくれるように祈った。

 そこから、毎日ずーっと、そんな感じが続いていった。言いようのない寂しさ、空虚感、不安と焦燥が心の底から湧き上がって来るのである。耐えられないほどの負の感情だ。心がクタクタになって、朝まで眠れないから身体も持たない。

 またである。
 最初にこれと似たような、虚しさ、切なさ、寂しさ、生きていることの苦しさが襲ってきたのは、2004年のことだった。ちょうどこのブログを始めた2004年の10月である。
 そして次に襲ってきたのが、2015年の初夏、6月15日の日曜日だった。なぜ、そんなことまでちゃんと覚えているのかというと、そのあたりのことをブログで詳細に書いているからだ。
 今回も同じような感覚だったので、昔書いたブログを探して読んでみたら、吐きそうになった。
 あえて、ここにそのまま引用してみる(んなもん、読みたくなんかねーという人がいるなら読み飛ばして欲しい。単なる個人的なマスターベーション的駄文である)
 タイトルが「凄まじいまでの憂鬱の渦に巻き込まれて、気が狂っちゃったかと思ったよ」、2015年06月15日 のものだ。
 ブログはこんな具合で始まる・・・。

【2週間ぶりのスポーツジムで、45分間の「ボディコンバット」をやっている間も、汗を大量に掻きながら、憂鬱な気分に塗れていて、身体を激しく動かすことで得ているそれなりの高揚感と、それとはまったく真逆の落ち込む気分との葛藤がずっと続いていた。
 伏線は前からあった。
 今日も朝からまたいつものように電話が鳴りっ放しで、精神的にかなり参っていて、もう俺はこの先、何をやっても絶対無理なんじゃないかと心は思いっ切り挫け、精神的にも激しく落ち込んでいたから、そういう兆候は既にあったのかもしれない。
 ジムでの45分に及ぶ激しいエクササイズが終わって、吹き出る汗を流そうと、ジムのお風呂に入った時だった。
 まずはシャワーを浴びようとシャワーのノズルを回して熱い湯を頭から被り、目を瞑ったその瞬間、それまで胸の中に溜め込んでいた数多のドロドロした重苦しい暗鬱な感情が突然ゴーっとダムが決壊するみたいに湧き上がって来て、凄まじいパニックに陥ったのである。びっくりした。
 慌てて手で流れ出るシャワーを止めようとしたのだけれど、何故か焦って、まるでプールの中で溺れているような感覚に襲われる。
 パニックになった。
 ああ、これって10年ほど前、ブログを初めて書き始めた頃に味わった、あの凄まじい焦燥感と寂寥感と空虚感と絶望感とがごちゃ混ぜになって、胸の辺りから這い上がってきた時に近い。
 そう思ったら、身体を洗うことすら出来なくなって、急いで湯船に入ったのだけれど、そこも落ち着かなくてすぐに上がり、身体を濡らしたまま、一気にバス・ルームを飛び出してしまった。
 周りの風呂場にいた多くの人たちも、その慌てふためきぶりに、何事かと不思議に思ったことだろう。
 でも、そんなことは構っていられなかった。
 心がいきなりぎゅっと塞ぎ込んできて、どうしていいか分からない。誰か助けて欲しい。対処出来ない。
 さっきまで一緒に「ボディコンバット」を行っていた、親しいジム仲間のひとりがまだストレッチを続けていたのを見つけたので、「助かった・・・」と思ってその場所まで駆けつけ、ちょっと数分間だけ話を交わした。
 何事だと思ったに違いない。びっくりしたに違いない。でも、縋るしかない。
 この激しい気分の落ち込みを、心のパニックを、まずは鎮めないと気が狂うんじゃないか、本気でそう思った。
 ありがとう。
 本当にありがとう。
 何のことだか分からずに吃驚したと思うけれど、本当に助かった。
 会話するだけで人間って動物は、少しは気が落ち着くものなのだということがよく解った。
 外に出たら、夕暮れが迫っている。
 まだ明るかったのがせめてもの救いだと思った。これが真っ暗闇だと、たぶんもう耐えられなかっただろう。
 それじゃなくても日曜日の夜は憂鬱なのに・・・。
 何人かの友人にラインを送るも、なーんの返事もない。電話をしても誰も出ない。
 さっきのジムでの会話で、ちょっとは心穏やかになったけど、これから先の時間、さっきの凄まじい負の感情がまた湧き上がってきたらどうしよう・・・。
 不安になる。
 対処できるのだろうか?
 急いで家に帰って汗まみれのスポーツ用ウェアを洗濯機の横に投げ込み、財布を持って、車を出して遠出することに決めた。
 耐えられないのだ、家の中にただじっと籠もっているのが。
 10年前も同じだった。外に出ていないと息苦しくなって切なくなる。あの時は、逃げ込む友達のバーがあったから救われたけれど、今はそのバーもない。
 避難場所がない。
 とにかく、車を飛ばして街を出た。
 ヴォーカルの入った曲は聴きたくなかったので、インストルメンタルの曲だけをセレクトして流すことにする。
 4時間ほど、車を飛ばしていたら、気分はちょっとだけ穏やかになった。
 どんな人間にもある、このダークサイドに陥ってしまったら、そこから抜け出すのは、かなり辛いし難しい。
 苦しいし。きついし。切ないし。心底めげるし・・・。
 ドライブを終え、家に帰って、急いでブログを書く。
 書くことでしかこの心の闇は回避できない。誰かと話すことでしか、このどうしようもない辛さからは脱出できない。
 それにしても・・・なんて俺という人間はこんなにも弱いのだろう。
 すぐに崩れてしまうんだろう。
 激しく心を傷付けるんだろう。
 もっと強くなりたいよ。
 もう、悩んだり悲観の渦に巻き込まれることに飽き飽きしちゃったよ。
 全然、ロックじゃねえじゃん。
 助けてよ、キース。】
                                〈原文のまま〉

 今、改めてその日のブログ読み返してみると、ウンザリしてゲンナリする。心が萎える。心底、自分が嫌んなる。
 いつもこうなんだ。自分の人生を心の底から楽しむということがない。何をしても満足しない。エエカッコシイで、自己顕示欲が強くてプライドが高い。当然、その反動は倍返しで襲って来る。

 そしてまた、2015年6月15日日曜日に起こったこととほぼおんなじようなことが、また起こったのである。
 正確にいうと、今月12月6日の日曜日だ。

 これまた前回とほぼ同じ、12月6日日曜日も、スポーツジムで激しいエクササイズを終え、ジムのお風呂場のシャワーを浴びていた、ちょうどその時だった。
 シャワーを浴びようとシャワーのノズルを回して熱い湯を頭から被り、目を瞑ったその瞬間、それまで胸の中に溜め込んでいた数多のドロドロした重苦しい暗鬱な感情が突然ゴーっとダムが決壊するみたいに湧き上がって来て、凄まじいパニックに陥ったのである。

 参った。これには、心底、参った。
 地獄がまた始まったのかと思って目の前が真っ暗になった。
 こんないい歳になって、何なんだよ、いったい。いい加減にしてくれよ。

 もうこんな真っ黒の感情の嵐に耐えてゆく自信なんてない。
 どうしよう?
 確かに、こうなるその切っ掛けはあった。理由はあった。

 そしてそのあとすぐ、いやな夜がやって来た。
 ここからが地獄だった・・・。










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今年2020年に観た日本映画の中でダントツ第1位! この映画は凄いっ。「アンダードッグ」、胸が熱くなる!

2020年12月24日 | Weblog
 みんな、辛いんだ。みんな、苦しいんだ。誰にも打ち明けられない、誰にも話せない、そんな苦悩や重い荷物を抱えながら、みんな何とか歯を食いしばって生きているんだ。
 挫けそうになることがある。もう勘弁してほしいと空を仰ぐことだってあるだろう。それでも生きてゆくしかないじゃないか。この、どうしようもない世界の中を・・・。

 コロナ禍の真っただ中、それでも3密を出来るだけ避け、除菌をマメに行い、映画館に映画を観に行く。
 最近観た日本映画は、劇場版「鬼滅の刃」無限列車編だった。
 まあ悪くはなかった。でも、漫画の「鬼滅の刃」の、あの凄まじいまでの後半の闘いが脳裏に焼き付いてしまっているので、まだまだ物足りなさは残る。「鬼滅の刃」、こんなもんじゃない。

 そして、次に観た日本映画は「アンダードッグ」だ。日本語にすれば「かませ犬」という意味になるのだろうか。
 この映画、「百円の恋」を撮った武正晴監督の作品である。
 映画「百円の恋」もまた素晴らしい映画だった。主役の安藤サクラがすんごく良かった。
 自堕落な生活を送る三十路の女性(安藤サクラ)がボクサーに恋をして、そこから女性プロボクサーを目指す姿を追ってゆくのだけれど、だんだんと引き締まってシャープになってゆく安藤サクラがとにかくカッコよかった。
 
 そして今回もまたボクシング映画である。
 3人の男たち、森山未來、北村匠海、勝地涼が、リングの上で激しく、そして熱く交錯する。
 「百円の恋」でも武正晴とタッグを組んだ足立紳が原作と脚本を担当し、なんと前編と後編、別々での上映なのだ。つまり、2本続けて観るのなら、2本分の映画料金を払って観なければならないということになる。
 それも、前・後編あわせると、約5時間の大作である。

 観ました、「アンダードッグ」。
 前編と後編、一気に!
 でも、全然飽きなかったです。全然ダレるということがなかったです。次のシーンが早く観たくて仕方がなかったです。
 つまり、あっという間の5時間弱!

 主役の森山未來を含めた北村匠海と勝地涼の3人が、とにかくいい。
 チャンピオン戦で敗れたあとも「かませ犬」としてプロのリングに上がり続け、妻に愛想をつかされ、離婚を迫られている男が森山未來。
 児童養護施設に育ち、暴力に明け暮れていたのを、同じ施設で育った妻の献身的な愛に支えられ、今では破竹の快進撃を続ける天才ボクサーに北村匠海。
 大物俳優の2世タレントで、芸人として生きるもまったく評価されず、テレビのヴァラエティー番組の企画でボクシングの試合に挑むことになってしまった軽薄男に勝地涼。

 3人それぞれ、苦悩と秘密を抱え、ボクシングのリングへと引きずり込まれてゆく。
 その3人と、それに絡む女性たちや家族や仲間たちの動向も深く静かに描くからこそ、この映画は、深い味わいに満ち溢れた素晴らしいボクシング映画へと昇華されてゆくのである。

 ラスト1時間の、ボクシング・シーンを含めたクライマックスが素晴らしい。
 月並みで陳腐な言葉しか浮かばないけれど、本当に胸が熱くなる。グッとくる。女性が観ても高揚感は半端ないものがあるだろうけれど、男がこの映画を観終えてなんの感慨も湧かないというのだったら、そういう人間とは話をしたくない。いや、ほんと。

 今年2020年に観た日本映画の中でダントツの第1位だ。
 映画「アンダードッグ」は、今年絶対に観ておかなくてはならない邦画の中の一本である。
 たぶん、「キネマ旬報」の2020年日本映画ベストテンにも入るだろう。

 映画「アンダードッグ」、煮えたぎってます!
 必見です!
 観るべし!








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