淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「麦秋の雨、五月最後の日曜日の朝に降る、その激しい雨」

2015年05月31日 | Weblog
 麦秋(ばくしゅう)は、秋の季節を指しているのではない。
 麦の穂が実る、収穫期を迎えた初夏の季節を指す言葉である。
 梅雨が始まるその少し前の、雨が少なく、乾燥した季節のことだ。

 五月最後の日曜日の朝も、そんな雨が激しく降っている。
 午前中、何もしたくなく、ただぼんやりとテレビを観る。いや、観てないな、ただ画面を眺めている、そんな感じだろうか。

 お昼になったら、朝の雨がぴったり止んで日差しが強くなる。
 ラーメンが食べたくなり、問屋町にある「はちもり」まで車を飛ばす。
 あっさりとした味でいつも店は混んでいるんだけれど、今日は日曜日だからか、すんなりと座れた。

 帰り、美味しいシェイクが欲しくなり、ここも大混雑している浅虫トンネルに入る直前のバイパス沿いにある沿道の店に遠回りして立ち寄る。
 バニラ・シェイク、絶品です。
 引っ切り無しに車が車道の脇に停まっては、ソフトクリームやシェイクを次々に買ってゆく。

 午後4時半からは、本当に久しぶりなスポーツ・ジムで、「ボディ・コンバット」のエクササイズ。
 出来るかどうか不安だった。
 身体が鉛を呑んだみたいに重く、精神的にもかなり疲れてる。最後までやれるんだろうか?

 それでも、スタジオに入ってグローブを着け、ストレッチをして水素水を飲んで深呼吸を繰り返し、時間が来てスタジオが暗くなると、気分は少しずつ高揚してくる。
 あとは大音響に身を任せ、必死に身体を動かし、目の前の仮想敵を想像して、ストレートやフックやキックを使ってひたすらノックダウンさせるまで打ち続ける。

 激しい運動量だけれど、その分、ストレスは綺麗さっぱり流されてゆく。
 これが肉体を動かすことで得る喜びだ。
 滝のような汗が出て、終わっても止まらない。

 それでも、流れる汗を何度も拭きつつ駐車場に赴くと、案の定、携帯にたっくさんの着信履歴が・・・。
 どれもこれも、シリアス過ぎる内容のもので、夕暮れ迫る穏やかな日曜日の駐車場で笑いながら話すような、そんな心躍る内容じゃない。

 さっきまでの汗をぶったらして得た、あの高揚感はいったいなんだったんだ?

 ああ、疲れる。
 逃げたいっ。








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「罪のない世界に生きるなら独りがいい 嘘の無い言葉を声に出すこともない」浜田省吾が歌ってる。

2015年05月30日 | Weblog
 下痢が止まらない。
 何度もトイレに駆け込む。
 夜もなかなか眠りにつけなくて、真夜中とか明け方近くに浅い眠りから醒めてしまう。

 土曜日、ランチを、郊外にある「サブウェイ」で摂っていたら、また急にお腹が痛くなって、たまらずに近くにある「スポーツジム」に駆け込んで「トイレだけ貸して下さい」と懇願してトイレに入った。もちろん、ただそれだけのために。

 今日も、朝から引っ切り無しに、メール、ライン、電話の類いが、何度も何度も何度も掛かって来る。
 なので、直ぐに充電。携帯電話が火照っている。

 みんな、テレビの前に横になってビールを飲みながら「箱根駅伝」を観ている。
 レースは抜きつ抜かれつの大混戦で、ランナーは死ぬ気で懸命にその地獄の苦しみに耐えて次のランナーへとタスキを渡すべく血反吐を吐きながら走っている。

 観客は冷えたビールを飲みながら、ランナーに向かってこう叫ぶ、「もっと頑張れ! ここを必死で頑張るんだ! 何やってんだ? まだまだそんなもんじゃ勝てないぞ! 死ぬ気で走れ! 負けるな! ここを凌ぐんだ、馬鹿野郎!」と。

 自分の不甲斐なさだけはここでは棚に上げる。
 自分が頑張って出来なかった事は別の場所にそっと置いて、他者には感情移入して「頑張れ、なにやってんだ」と叫ぶ。

 もちろん、オレもそうだ。
 自分の不甲斐なさや努力不足を棚に上げて、スポーツ選手や巷に溢れるヒーローや映画の中で歯を食い縛って耐え抜いている主人公たちに向かって、自らを投影して、激しい感情移入して、擬似体験をする。

 じゃあ、てめえはどうなんだよ!

 無性に走りたくなって、1週間ぶりに海沿いを10数キロ走る。
 海に靄がかかっていて、今日は八甲田連邦もまったく見えない。
 でも、空は薄いヴェールを包んだ白っぽい青空だ。

 ウォークマンで浜田省吾の「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」を聴きながら走る。
 苦しいときの浜田省吾!
 「罪のない世界に生きるなら独りがいい 嘘の無い言葉を声に出すこともない」と、浜田省吾が歌ってる。

 家に帰ると、親友からメール。
 大事な用件があるから家まで来て欲しいとのメールだった。
 少し休んでその数ヶ月前まで同じ職場だった無二の親友の家へと赴く。

 友は、最近、色々と周りを騒がせていることには何にも触れてこない。
 「おお、来たか」座れよとソファへと誘い、「実は、○○さんから緊急でメールが入って、お前に対して謝りたいってさ」。

 謝る? なんで? えっ? オレ、なんか○○さんに、したっけ?
 
 よくよく聞いたら、なんということはない、完全なる誤解だった。
 「フェイスブック」を昨日突然閉じてしまったことでの、単なる誤解から生じたものだった。
 プッツンしたのは、まったく別のことに対してであり、○○さんは全然関係ないのに。
 っていうか、逆に、色々真剣にアドヴァイスしてくれて、心の底から本当に救われたと思っているのに。

 ○○さん、ほんといい人だ。
 いつもなんかあると、直ぐに「フェイスブック」で励ましたりアドヴァイスを寄越してくれる。
 優しいなあ、今回もそこまで気遣ってくれていたのか。
 涙が出そう・・・。
 ありがとうございます。何かあったら何でも言ってね。絶対、駆けつけるから。

 それにしても、困難にぶち当たって、心底メゲそうになったとき、周囲のひとたちのこっちに対する接し方や言動で分かることって、やっぱりある。
 いい人生の勉強になりました。
 別にいいのである、辛らつな助言だろうが批判だろうが怒りだろうが。そんなの全部、甘んじて受けるでしょう。
 ただ、あったまにくるのは、そして真から傷つくのは、上目目線で茶化したり、屈折した目線で小馬鹿に交わしてくる人間である。

 夕方になってその友の家を出たら、またしても電話が入る。
 駅前にある某施設の人たちからだ。
 いわく、「今すぐ、地下のRに来い!」。

 「すいません。疲れきっていて、今日は勘弁を・・・」と懇願しても意に介さない。
 恐る恐る地下を降りて行くと、なんと、食べきれないほどの新鮮な刺身に豪華な料理で、心のこもった、感涙のおもてなし。
 具合が悪くて胃も痛むので、ノンアルでお付き合い。

 みんな、いいひとたちなんだよね、ほんとに。

 沁みます・・・。








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「よーくわかったよ。出る釘は打たれ、昨日の友は今日の敵、男は閾を跨げば七人の敵ありということが」

2015年05月29日 | Weblog
 まずは、フェイスブックを退会した。

 プッツンした。

 大人気ないといえばそうかもしれない。
 どうせ人間なんてそんなもんだろ。軽い気持ちで書き込んでるんだ誰もみな。

 他人がふと漏らした言葉や言動だって、それがどれほど他者を傷付け苦しめているのかなんて、そんなもんほとんど無自覚だろう。
 交流と情報のコミュニケ? ふーん。
 自分が思うほど他人なんて深刻に物事を捉えているわけじゃない。

 他人の不幸は蜜の味である。
 オレだってそうじゃねーか。批判なんてできねーだろ。

 人様のことなんて批判できるほど偉くもないし善人でもないし・・・。
 人間なんて、嫉妬と、そねみと、やっかみの塊りでしかないのだから。

 携帯電話もついでに破棄しちゃおうかと真面目に考えたけれど、それはちよっと今回ばかりは躊躇した。
 なんだかんだ言っても欠かせないコミュニケーションの大事なツールである、止めちゃうとそこはやはり差支えがある。なので、携帯電話の契約破棄だけは思い留まった。

 苦しいとき、逆境に晒されたとき、どうしようもないピンチに襲われたとき、そんなときこそ、普段から友人だとか仲間だとか言っている人間たちの、それまで付き合って来た良き一面とはまったく別の姿が現れる。
 はっきりと見える。
 そういうときに起こす、行動、逃げ、無視、干渉、批判、言葉がけ、それがはっきりと見えて来る。

 それが人間のすべての本質だなんてことは言わない。
 人間はそういうダークで暗い部分、息苦しいほどの悪や残酷さだけで成立しているわけじゃない。いくらペシミストのオレだってそんなことぐらいは分かる。

 決心した。
 はっきりと自覚した。

 今まで、それでもちょっぴりは、それでもほんの少しは、生きることや生活をしてゆくことに対して、僅かばかりの夢とか希望は抱いていた。それは認める。
 遠く、遥か遠くに、微かに光っている小さな蝋燭の揺らめきはちゃんと見つけていた。
 でなきゃ、音楽や映画やアートに縋ったりしないでしょ、こんなに異常に。
 でなきゃ、こうして歯を食い縛って生きていないでしょ、日々の苦しみに悶えないでしょ。

 いま、猛烈に怒っている。
 怒りに震えている。
 でもそれは特定の誰かにではない。
 自分自身に対して猛烈に怒っているのである。

 だから、オレはいますんごく生きているという実感がある。
 久しぶりに、本当に久しぶりに生きている実感に溢れている。

 そうか、そういうことなのか。アクセル全開にして前の車をぜーんぶ追い越せってことは。
 やるなら、徹底的にやらなければってことなのね。中途半端な追い越しじゃ、抜いた車に対して失礼だもんね。

 やられたら、やり返しちゃ駄目なんだ。
 やられたら、やられた相手の前でニコッと爽やかな笑顔を見せないといけないんだ。心から笑わないといけないんだ。
 徹底的に勝たなきゃ、いつか必ず負けちゃうんだ。

 好きなように生きる。
 他人を意識するから失敗する。お前らなんてもうどうでもいいよ。

 天上天下唯我独尊である。
 「百円の恋」の安藤サクラである。
 マジでまたボクシング習おうかな。
 ちゃんとグローブ持ってるんだし。

 こうなったら、まずは明日と明後日、徹底的に肉体を苛めてやる!

 負けねえぞ、お前らなんかに。








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このアルバムいいと思う! マムフォード&サンズ「Wilder Mind」は疾走感に溢れている!

2015年05月28日 | Weblog
 マムフォード&サンズがこれまでにリリースした2枚のアルバム、実はちゃんと聴いてきたというわけじゃない。
 テレビで彼らのライブを観たり、何曲かを聴いたに過ぎないのだけれど、それほどいいとは思えなかった。

 バンジョーとかマンドリンだとかが多用され、カントリーっぽくてフォークのテイストが満載で、音楽雑誌が大絶賛するほど素晴らしいとはどうしても思えなかったのである。

 ところが最新作である「Wilder Mind」、このアルバムが素晴らしい!
 ファーストとセカンドの路線が大好きでマムフォード&サンズを支持してきた音楽ファンにしてみたら、方向転換した、路線変更した、政策転換した今回のアルバムに対しては、きっとガッカリして失望感に塗れているのだろう、たぶん。

 よく「コールドプレイ」とか「U2」みたいな路線だという人たちが多いけれど、確かにキャッチーで見栄えがする楽曲が「Wilder Mind」にはたくさん詰まっていて、その疾走感、スピード感たるや凄まじい。

 スタジアム・バンドとしての自覚というか決心というか、とにかくパワーに溢れてエッジの効いた躍動感がこのアルバムには宿っている。

 聴かず嫌いってやっぱりヤバイ。
 先入観で音楽を聴いちゃいけないんだってことが改めてよく分かった。

 バンドって化けるんだなあ・・・。










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やっぱ、春のTVドラマ、消去法でTBS「マザー・ゲーム~彼女たちの階級」ということになるんだろうか。

2015年05月27日 | Weblog
 テレビドラマが軒並み不振らしい。
 春期のドラマも全体的に覇気がない。視聴率もよくない。

 でも今回のシーズン、前評判はそれほど悪くなかったように思う。

 NHKの「連続テレビ小説 まれ」に始まって、佐藤健と黒木華によるいかにもTBSって感じの「天皇の料理番」。
 そしてフジ月9ドラマが「ようこそ、わが家へ」。TBSでは、木村文乃が主役をはるという「マザー・ゲーム~彼女たちの階級~」。
 AKB渡辺麻友と稲森いずみ共演のフジテレビ「戦う!書店ガール」、日本テレビ「Dr.倫太郎」は堺雅人に蒼井優に吉瀬美智子。

 「心がポキッとね」はフジテレビで阿部サダヲと水原希子。
 それから今期最大の目玉が、なんといっても木村拓哉が始めてテレビ朝日の連続ドラマに主演する「アイムホーム」。
 TBSでは大島優子と北村一輝で、「ヤメゴク~ヤクザやめて頂きます~」。

 今、最も旬な男優である斎藤工主演ドラマは、フジテレビの「医師たちの恋愛事情」。   「アルジャーノンに花束を」が、TBSで山下智久と栗山千明。
 夜11時台では、テレビ朝日で剛力彩芽「天使と悪魔-未解決事件匿名交渉課-」、などなど・・・。

 こう並べると、結構多彩な布陣である。
 しかしながら、この中で最も視聴率が高いのがキムタク主演「アイムホーム」で、これとて視聴率は20パーセントを超えられないという体たらくなのである。
 
 そんな中、視聴率自体は悪いけれど、内容がそれなりに充実していて面白くみせているドラマといったら、やっぱり連続ドラマ初主演となる木村文乃の「マザー・ゲーム~彼女たちの階級~」だろうか。
 まあ、あくまでも消去法でいったら、ですけど・・・。

 バツイチでシングルマザー、お弁当屋さんを切り盛りしている低所得者の主人公が木村文乃で、なぜかふとした切っ掛けから、ひとり息子が都内の名門幼稚園に入園してしまう。
 そしてそこから巻き起こる親と子どもたちの騒動を、シリアスとコメディ・タッチ半々で毎週描いてゆくというドラマなのだ。

 名門幼稚園に通う子どもたちの裕福なセレブママには、長谷川京子、貫地谷しほり、安達祐実、そして檀れい。

 まあ、この、セレブの世界に蔓延る格差と嫉妬と愛憎がシニカルかつ滑稽に描かれてゆくのだけれど、それなりに肩肘張らずに観ていられるところがいいんでしょうね、この「マザー・ゲーム~彼女たちの階級~」っていうドラマに関していえば。








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「週刊文春」、小野一光氏によるノンフィクション「殺人犯との対話」を読むと凄まじい絶望感に襲われる。

2015年05月26日 | Weblog
 2010年7月30日に発覚した、当時、大阪市の風俗店に勤務していた下村早苗23歳が起こした惨たらしいネグレクト(育児放棄)。
 ゴミだらけで、エアコンも作動していなかった真夏の閉ざされた部屋で、長女の桜子ちゃん(当時3歳)と長男の楓ちゃん(当時1歳)が放置されて餓死した事件である。
 いわゆる「大阪二児虐待死事件」だ。

 ノンフィクションライターの小野一光氏による渾身のルポルタージュ連載「殺人犯との対話」を「週刊文春」で読んで、言葉に出来ないほどの衝撃と絶望感に襲われた。
 この連載は、様々なケースによる悲惨極まりない事件を掘り下げてゆくルポルタージュで、今回の「大阪二児虐待死事件」はその前篇である。

 下村早苗は、男性との間に二児を産んだもののまもなく離婚し、幼い子どもを抱えてキャバクラ勤めで生計を立てるのだが、いつしか子どもたちを部屋に残したまま職場で知り合った客たちと遊び呆けるようになる。
 子どもたちに与える食事は、コンビニで買い与えたパンやお菓子やジュースのみだ。

 警察官が部屋に踏み込んだときは、足の踏み場もないゴミで部屋中が溢れかえっていて、空の冷蔵庫には、必死で食べ物を探し回る小さな手形がたくさんついていたという。
 この箇所を読んだだけで、胸が苦しくなった。
 怒りが込み上がって来た。
 誰にぶつけたら納得出来るのか分からない、そういう類いの、押さえ切れない激しい怒りと悲しみである。

 彼女はホストクラブ通いを続け、そこのホストに入れ揚げ、多額の借金を作ってしまう。
 そして、より多くの収入を得るために風俗嬢となった彼女は、別の新しい恋に落ちる。

 彼女は大好きな彼への愛の言葉を「ミクシィ」にこう残している。

 空を見たトキ
 きっとすごくシアワセなの
 あなたとわたし
 あぁ また涙がでる
 大好きで大切な人

 そういう感情に浸り、そういう愛しいひとを想い焦がれていたその瞬間、彼女の二人の幼い子どもたちは、茹だるような地獄の部屋の中で凄まじい飢餓に泣き叫び、苦しんでいたのである。
 そして、そんな相反する行動を、誰がみてもおかしくて矛盾するような行動を、ある一部の人間は何故かしてしまうのだ。

 哀しいことに。
 愚かなことに。

 人間はみな原罪を負っている。
 少なからず、誰もが負っている。

 小野一光氏によるルポルタージュ連載「殺人犯との対話」は、読むと、元気には絶対ならない。
 むしろ激しく落ち込む。激しく怒る。激しく絶望する。

 それでも読まずにはいられないのである。

 もっと、もっと、もっと、もっと絶望しなければ!







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早く聴きたいっ!今月号「レコード・コレクターズ」はR・ストーンズ「スティッキー・フィンガーズ」特集。

2015年05月25日 | Weblog
 いよいよリリースされる。
 ローリング・ストーンズ「スティッキー・フィンガーズ」のスーパー・デラックス・エディションである。

 それと、もうひとつ。
 「ストーンズ ザ・マーキー・クラブ ライヴ・イン 1971+ブラッセルズ・アフェア 1973」完全生産限定盤3500セットである。

 どちらも6月上旬のリリースだ。
 わたくしめは、「スティッキー・フィンガーズ」のほうは17,000円のCDとDVDがついた5枚組のスーパー・デラックス・エディションの初回限定盤と、「ストーンズ ザ・マーキー・クラブ ライヴ・イン 1971+ブラッセルズ・アフェア 1973」のほうは、ブルーレイとCDとの4枚組を予約した。

 まあ、そのリリース直前の予備知識を得るにはぴったりだと思う、雑誌「レコード・コレクターズ」最新号が発売された。
 とにかく、この「レコード・コレクターズ」という雑誌、そのマニアックな記事でその右に出るものはいないだろう。

 こっちのような生半可な音楽知識では、返り討ちに遭うのが必至である。
 それだけ、音楽好きにはたまらない雑誌でもある。
 音楽知識の宝庫だ。

 それにしても、ストーンズもそうだけれど、豪華ボックス・セットの数たるや凄まじい。
 お金がいくらあっても追いつかない。
 しかたがないから、なんとかほかを切り詰めて買うしかない。
 これがまた、音楽好きの哀しいサガなのだけれど・・・。

 ただ今回のリリース、1971年における「ザ・マーキー・クラブ」でのライブが、リマスタリングを施したステレオ・ミックス&5.1ch。
 さらに新たにCD化される「ブラッセルズ・アフェア 1973」も追加しての、日本盤限定仕様スペシャル・エディションなのである。

 それに、名盤「スティッキー・フィンガーズ」のほうも、オリジナル盤リマスターに、ディスク2にはエリック・クラプトンが参加した「ブラウン・シュガー」が入っているボーナス・ディスクが、そして超目玉なのが、1971年のリーズ大学におけるコンサート全曲がコンパイルされたディスク3。

 これは必聴!

 早く、聴きたい。








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「もうどうだっていいんじゃない?」

2015年05月24日 | Weblog
 「スターバックス」の入り口に設えてあるお客用の小さなテーブルの上に足を乗せ、ソファに深く身体を沈めて眠っている一人の中年女性。
 しかも、スタバで注文した商品ではない自販機の缶珈琲が、足を上げたテーブルの脇にのっかっている。
 座ろうとしてスタバで買い求めた商品を持ちながらうろうろしている何人かの客が、その中年太りの図々しい女性の態度に呆れ返った表情を浮かべ、そこから離れてゆく。

 それにしても、店の人は誰も注意しないんだろうか。
 確かに、一番入り口の前の席なので気付きにくい場所ではあるんだけれど・・・。

 こっちはこっちで、苛々していて、日曜日の穏やかなお昼過ぎだというのに、仕事で某施設まで行ったそのついでに、「スタバ」で少しの間、珈琲を飲みながら新聞でも読もうとやってきたというのに・・・。
 ああ、こういう光景を目の当たりにすると、ぶつけようのない怒りがますます増殖する。

 今日こそは、午後からジムに行き、「ボデイ・パンプ」と「ボデイ・コンバット」を連続してやろうと思ってたのに、それも仕事で潰れてしまった。
 このあと、夕方5時から重要な打ち合わせ会議が組まれていて、それにも出席しなければならないからだ。

 最近、ストレスがまた溜まり始めているのか、ちょっとしたことに腹が立ってしょうがない。
 それなのに、よりによって、寛ごうとやってきたその場所でもこういう光景を見せ付けられるとたまったもんじゃない。

 苛々したまま、夕方を迎える。
 日曜日の午後5時からの打ち合わせ会議というのも、いやーなものだ。
 それも、前向きで楽しい打ち合わせならば何の問題もないのだけれど・・・。

 自転車に乗って仕事場へと向かう。
 夕暮れ前の淡い青空が覆っている。
 運動会でひいた白線がまだくっきりと残っている長島小学校のグランドで、何人かの小学生がサッカーに興じている。

 まだ、こんなにも外は明るい。

 途中で、同じ組織に勤務する同僚夫婦が仲良く車に乗り込む直前に出会う。
 「いいねー、ラブラブで!」と軽く茶化すと、「そんなんじゃありませんよ」と照れ笑いされた。

 あーあ・・・。
 海に行きたい・・・。







 

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「The Magic Whip」

2015年05月23日 | Weblog
 朝から仕事。
 資料を整え、事前の打ち合わせをして本番を迎える。
 椅子に座って資料を眺め、議論を交わし、ふと顔を上げて南側の硝子窓越しに晴れ渡った土曜日の空を眺める。

 身体が重い。
 会議が終わって、関係者に電話を入れて次の打ち合わせの予定を確認して執務室の鍵をかける。
 心も重い。

 午後の予定まで時間があと2時間ほどある。
 走ろう。
 家に帰ってすぐに着替え、準備運動もそこそこに、いきなりランニング。

 10日ぶりに身体を動かすことになる。
 折角走り込んで身体が徐々に絞れてきたというのに、また10日も運動をサボっていたのだ、元の木阿弥である。

 それでも何とか10キロ走った。
 外の気温は25度以上だというのに、それほど汗が吹き出てこない。湿度がないのでカラッとしているからだろうか。

 午後はショッピング・モール。
 「翁屋」という甘味処に入って「御膳じるこ」を食べながら「週刊文春」と「讀賣」と「スポーツ報知」を丁寧に読み漁る。

 明日の日曜日も仕事だ。
 次の日の月曜日もそのまた次の日の火曜日も、水曜日も木曜日も金曜日も、ずっとずっと仕事だ。
 
 その先に、いったい何が待っているんだろう?









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この本は面白いっ!100の歴史エピソードの薀蓄も凄い、山崎智之「ロックで学ぶ世界史」。

2015年05月22日 | Weblog
 ちゃんと世界史をもう一度学びたいとは思うのだけれど、これも常套句、時間がない。
 それに、日本史すら、まだきちんと全体像を掌握しているとは言えないほど、歴史に対する知識は浅はかだ。

 でも、この本「ロックで学ぶ世界史」はなかなか面白かった。
 音楽としてのロックという一種これまでとは少し毛色が異なる視点から、世界史を捉え直すというコンセプトで書かれた画期的な歴史書である。

 ロックと世界史がどういうふうにシンクロしてゆくのだろう?
 この、山崎智之氏による「ロックで学ぶ世界史」を読むまで、そこがよく理解出来なかった。
というか、懐疑的ですらあった。

 「ロックで学ぶ世界史」は、100の歴史的事件、大きな歴史的エピソードをピックアップして、その歴史的な事象と、ロックの中で歌われ綴られ主張されてきたこととをドッキングさせるという、これまでにはない画期的なアプローチでロックと歴史を合体させている。
 そこがユニークで面白いのである。

 イエス・キリスト磔刑、ジャンヌ・ダルク火刑、スペイン異端審問、フランス革命、クリミア戦争、南北戦争、タイタニック号沈没、第一次世界大戦勃発、世界大恐慌発生、スペイン内戦など、世界史の中で重要だった出来事と、それに対してロック・ミュージックは、どのようにそれらの歴史的事実を歌にして、歌詞として落としていったのだろうか? 
 それがこの本では詳細に述べられている。

 それにしても、作者である山崎智之の薀蓄・博識たるや凄まじい。
 オタクとか評論家のレベルを遥かに超えている。
 宇宙の果てまで飛んでいる。

 凄い。
 参りました。
 いるんだよねえ、上には上が。

 ただ、仕方が無いというか当たり前というか、ロック音楽と歴史がコミットする部分といったら、どうしても1950年代からそこは始まってゆくわけで、本では50年代からの記述がその大半を占めてしまう。
 そこだけは、しょうがない。

 それと、この山崎智之・著「ロックで学ぶ世界史」、ロックに関する知識がないと、本を最後まで読み進めて行くにはかなり辛いかも。

 いずれにしても、この歴史的な大事件って、ロックの世界では、こういうふうに解釈して曲として成立させていたのかということが、よく理解できる。

 これまでの世界史に関する文献や音楽論を扱う書物とは、些かその趣旨が異なっていることだけは確かだろう。

 山崎智之「ロックで学ぶ世界史」、面白かったです。









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ポップなプログレみたい。デンマークのロックバンド「MEW」(ミュー)のニューアルバム「+-」。

2015年05月21日 | Weblog
 今日も仕事が終わった。
 果たしてこれが仕事と呼べるのかどうか、なんかもうよく解らなくなって来た。
 言語がまったく通じない異星人と毎日朝から晩までコミュニケーションをとっているみたいだ・・・。

 疲れ切っていて、到底これから外に出て走るなんて気分にならない。かといって、これからスポーツ・ジムに行く、そんな気力も全然湧いてこない。
 「八戸うみねこマラソン」辺りまでは、かなり充実した日々だったのに、その後は色々とあって疲労感と徒労感が半端じゃない。

 これで1週間、ジムに行っていないことになる。
 折角ここまで身体を頑張って絞ったのに。

 ここ数日もほとんど眠れてないし・・・。

 無理やり夕食を摂り、鉛のように重くなった身体を沈める。
 音楽、音楽、音楽を聴かないと。
 まるで精神安定剤を探すみたいにして、積み上げられたCDの中から一枚だけピックアップしてターンテーブルの上に乗せる。

 デンマークのロックバンド「MEW」(ミュー)のニューアルバム「+-」だ。
 前作の「Frengers」があまりにも素晴らしいアルバムだったので、今回の新作「+-」もすんごく期待していた。

 ミネラル・ウォーターを冷蔵庫から取り出して、それを飲みながら、ぼけーっと「MEW」(ミュー)のニューアルバム「+-」を聴いてゆく。

 どのナンバーも、ファルセット・ヴォイスの透明で美しいヴォーカルが、肯定的なギターやバックの煌びやかでキャッチーなメロディラインと重なって、多層的で幻想的な音楽を奏でてゆく。

 北欧的な匂いがする。
 透徹でドラマティック。

 良質なプログレ・アルバムを聴いている、そんな感覚に襲われる。
 疲れ切った心と身体に染み込んでゆく、透明で冷たいミネラル・ウォーターみたい。
 
 ああ・・・。
 それにしても・・・。

 まったくもって、どん詰まり!








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「海峡の7姉妹」。畑澤聖悟の演出に流れているセンチメンタリズムこそが正義である。

2015年05月20日 | Weblog
 だいたいにおいて、小説や映画や演劇や音楽を表現媒体として自ら創り出し、それを公けに向かって発表するという行為それ自体、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、ある意味、狂気の沙汰としか思えない行為である。

 それは、虚構だろうが想像の産物だろうが、現実の写生だろうが真実の吐露だろうが、なんら変わりはない。
 どれであれ、結局は自分自身を曝け出すことであり、焙り出すことであり、恥ずかしさを大衆の面前に露にする行為にほかならないからだ。

 たとえばそれは、私小説だから曝け出していて、フィクションだから曝け出していないという、そんな短絡的なことでは勿論ない。
 公衆の面前で、精神のおちんちんを見せるという行為、これは徹底的な恥ずかしさと、それと同じくらいの快感を得る、とてもアンビバレントな行為なのである。

 だからこそ、プロの芸術家は命懸けなのだ。
 死さえ賭している。
 心が粉々に破壊される。

 だからこそ、日々苦しくて、日々悶えていて、日々楽しくて、日々醒めていて、日々淋しくて、日々怒っていて、日々哀しいのである。

 畑澤聖悟作・演出による「海峡の7姉妹~青函連絡船物語~」は、津軽海峡を跨いで青森と函館との間を、80年間にわたって日々往復していた青函連絡船の物語だ。
 津軽丸や八甲田丸や十和田丸など7隻を7姉妹に見立て、その物語は進んでゆく。

 畑澤聖悟の「海峡の7姉妹~青函連絡船物語~」は傑作である。

 青森市新町にある「渡辺源四郎商店しんまち本店2階稽古場」、5月19日火曜日夜7時半からの回を観た。
 観客席が舞台をぐるりと囲んでいる。
 もちろん、場内は満員である。

 時間にして約1時間30分。
 青函連絡船を演じる女性たち7人が圧倒的に素晴らしい。
 ラスト近く、観客席からすすり泣く声が聞こえて来た。

 清々しいくらいにセンチメンタル。
 女優たちの瑞々しさが観る側にも伝播する。

 畑澤聖悟の演出に流れているセンチメンタリズムこそが正義である。
 それから、ドラマターグ、演出助手である工藤千夏に流れているセンチメンタリズムもまた、正真正銘の正義である。

 「海峡の7姉妹~青函連絡船物語~」は、痛々しくて、儚くて、とてもセンチメンタルな物語だ。
 そして、それは絶対的に正しい物語だ。

 言葉も、日本の近代史も、デフォルマシオンされた青函連絡船も、すべては時間の経過とともに壊されてゆく・・・。

 美は乱調にのみ存在している。








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これってエロなんだろうか? テレビ朝日系の深夜スポット番組「全力坂」は摩訶不思議。

2015年05月19日 | Weblog
 テレビ朝日の深夜番組「全力坂」って、なかなかディープな番組である。

 東京都内の坂を、その日ご指名のグラビアアイドルが全力疾走で走るという、ただそれだけの番組なのだ。
 青森地区は深夜帯の中でも、わりと早い11時台にオンエアされるケースが多いみたいだけれど、各局それぞれ放映時間帯は若干異なっているようだ。
 
 番組ナレーターの吹越満の喋りが、まず緩い。
 その緩さがまたなんともいえない雰囲気を醸し出している。

 短い番組なので、坂下のスタートから一気にその坂を駆け上がる女の子たちをカメラは捉え、最後に坂の上のゴール地点で「はあはあ」と苦しげな息を吐く彼女を舐めるように映し出して、そのまま終わってしまう。

 そして、表面上は様々な坂と、そこを全力疾走する可愛い女の子を撮るという体裁を取りながら、そこに隠れている淫靡でエロい「萌え具合」をそこはかとなくあぶり出すのである。
 そういう意味では、確信犯的にとてもズルイ番組だと思う。
 上手な方法論でもある。

 それにしても・・・。
 この「全力坂」、熱狂的な隠れファンってたくさん日本中にはいるんだろうなあ。
 なんたって、こうしてDVDまで出ているくらいだから。

 これは果たしてエロなのか?
 はたまた、凄く健全性を伴った明るく前向きなアイドル番組なのか?

 不健全な精神しか持ち合わせていない自分としては、前者としか見られないんですけど・・・。






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疲れ切った心に効く音楽がある。ブルース・スプリングスティーン「アルバム・コレクションVol.1」。

2015年05月18日 | Weblog
 土曜日は仕事だった。
 そして日曜日もまた朝から一日、仕事があった。

 気が滅入るような、そんな内容の仕事が終わったのが夕方の6時過ぎ。
 まだ明るい外を、自転車を漕ぎ、俯きながら帰る。

 日曜日は朝から青空が広がっていた。
 風が強く吹いていたけれど、澄み切った青空が気持ちよかった。でも仕事があったので、太陽の下を走ることさえ出来なかった。
 結局こうしてまた、身体を動かすことの出来ない日々が重なってゆく。

 その日は横浜町で「菜の花マラソン大会」があって、職場の同僚たちの何人かもエントリーしていると聞いていた。
 「ああ、今頃、みんな走ってんだろうなあ・・・」、仕事場のオフィスの窓から澄み切った空を眺めながらそんなことをふと思う。
 あとで聞いたら、現地は風が吹いていて、お世辞にもいいランニング・コンディションじゃなかったということだったけど・・・。

 今日の月曜日もまた、朝から忙しい。
 色んな対応に追われて、クタクタに疲れ果てる。
 ここずっと、風邪らしい風邪をひいたことなんて無かったのに、久しぶりに咳が止まらない。
 疲れてるんだろう。
 踏んだり蹴ったりだ。

 仕事が終わり、逃げるように家に帰って音楽を聴く。
 疲れた心と身体を癒してくれるそんな音楽。
 明日からまた何とか歯を食い縛って生きてゆくために、必要な音楽。
 それがいま、聴きたいんだ。

 ブルース・スフリングスティーンの「アルバム・コレクションVol.1 1973-1984」を聴こう。

 ブルース・スフリングスティーンは1973年にデビューした。
 第2のディランと呼ばれたその年のデビュー・アルバム「アズベリー・パークからの挨拶」から、驚異的な大ヒットとなった1984年「ボーン・イン・ザ・USA」までの、全7作品(2枚組があるのでCDにすれば8枚ですが)スタジオ・アルバムをリマスターしたボックスセット、それが「アルバム・コレクションVol.1 1973-1984」だ。

 完全生産限定盤である。
 「アズベリー・パークからの挨拶」、「青春の叫び」、「明日なき暴走」、「闇に吠える街」、「ザ・リバー」(このアルバムが2枚組)、そして「ネブラスカ」、「ボーン・イン・ザ・USA」。

 そのボックスを、ファースト・アルバム「アズベリー・パークからの挨拶」から順番に聴いてゆく。
 力強い音である。
 歯を食い縛って耐えている音である。
 拳を強く握っている音である。


 いったい、いつになるのだろう、あの場所にいつ到達できるのかさえ分からない。
 あの場所は、俺たちが本当に辿り着きたいと思っている場所、太陽の当たる場所だ。
 でもそこに辿り着くまで、俺たちのような放浪者は、ただひたすら突っ走るしかないんだ。
 ただひたすら突っ走るしかないんだ!

 ブルース・スプリングスティーンが叫んでる。










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ちょっぴり憂鬱な日曜の夜はTBSTV「旅ずきんちゃん」で癒されながら眠るのがいい。

2015年05月17日 | Weblog
 日曜日の夜って、憂鬱になる。
 だって、明日が月曜日だから。だって、明日からまた仕事が始まるから・・・。

 個人差はそれぞれあるだろうけど、僕の場合は日曜日の午後辺りから少しずつその予兆が現れてくる。
 そして、夕暮れ時になり、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が終わる頃には、その憂鬱さの度合いはさらに増すことになる。

 胸の辺りがざわつき始める。
 何を見ても何を考えても、その色はひたすらブルーに滲んでゆく。

 お風呂に入り、ちょっと居間で寛ぎ、夜の11時には蒲団に潜り込む。でも、勿論すぐに寝るわけじゃない。
 蒲団に入って、ぼんやりとテレビを観るのである。
 眠れないのだ、色々と頭の中で考えが回ってしまって・・・。

 決まって観るのがTBS系23時30分から始まるヴァラエティ旅番組「旅ずきんちゃん〜全日本のほほ〜ん女子会〜」だ。

 特に、ずば抜けて面白い番組というわけではない。
 まあ、女芸人やグラビアアイドルや女性タレントたちが集まって、日本全国各地をワイワイガヤガヤ言いながら旅して歩くという、ただそれだけのヴァラエティ番組である。

 でもいいんだなあ、これが。
 部屋を暗くして、テレビのボリュームを下げ、ぼんやりとその画面を眺める。それだけでいいのだ。

 番組のメインの進行役が大久保佳代子。
 たとえば、東京近郊の街で酒場を回りながらはしご酒に興じたり、女の本音を語り合ったり、有名地の温泉の露天風呂に女同士で浸かりながら恋愛話に花を咲かせたりする。

 観光地を巡って地元のグルメを堪能したり、ちょっとしたゲームをしながら美味しい料理を食べ歩いたり・・・とにかくそれだけで30分の番組は終了する。

 そこが、いいんだなあ。
 難しいことは何にもない。
 笑って、食べて、ハイおしまい!
 単純明快なのだ。

 そんなふうにして「旅ずきんちゃん〜全日本のほほ〜ん女子会〜」は終わる。
 すると、心がすーっと穏やかになってゆく。

 そうしているうちに、時間は午前零時を回る。
 睡魔が少しずつ襲って来る・・・。

 まあ、それだけなんです。
 それでも、そんなどうでもいいような旅番組に、何故か心は癒されるんですよ。

 ってことは、裏を返せば、それだけ心がどうしようもなく荒んじゃってる、そういうことなんだろうか・・・。

 やれやれ。






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