淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「Sun In Your Eyes」

2012年09月30日 | Weblog
 村上春樹が、今年の「ノーベル文学賞」の最も有力な候補らしい。
 それはそれで素晴らしいニュースなんだけど、ちょっと複雑な気分もしないわけじゃない。それを上手く表現出来ない、何とも言えないもどかしさが残る。
 本当に村上春樹が獲るのだろうか、ノーベル文学賞。

 それにしても、日中「尖閣諸島」問題はこの先一体どうなってゆくのだろう?
 日本の対中国貿易量は国全体の約2割を占めている。仮に、このまま経済的な断交状態が続くとして、確かに日本経済は大打撃を受けることにはなるだろうけれど、中国のほうがそれよりも経済的失墜が大きいのではないか。

 日本経済新聞を読んでいたら、対中国に対する企業M&Aも大幅な縮小を強いられているのだとか。
 暴徒で破壊した日本企業への補償だってこれから出て来る。新聞の記事によると、ほとんどの企業が中国国内の世論を配慮して泣き寝入りするらしい。

 中国国内の日本企業は、現在約2万2千社。
 そこでの雇用数は、関連企業等も含めたら凄まじい数になる。そして、最近の中国での実質成長率は鈍化傾向にあって、8%台まで落ち込んでいる。
 中国なくして日本の経済発展はないとしても、日本国内の産業空洞化対策をも含めて大きな外交政策転換する時期に来ていると思う・・・。

 そして、今日で9月が終わる。明日から10月。
 クールビズもなくなり、明日からはきちんとネクタイを締めて仕事しなければならなくなる。これも億劫だ。

 10月の声とともに、台風17号も日本を縦断する気配が濃厚だ。
 折角の日曜日だというのに、この街も朝から愚図ついている。
 日曜日の朝は、雨音で目が覚めた。でも、お昼前にはその雨も上がってしまった。
 今朝も、また眠い。

 昨日もまた、夜更かししたからだ。
 黒澤明監督の映画「蜘蛛巣城」―シェイクスピアの「マクベス」を下敷きにした、三船敏郎主演の戦国時代劇―を観て、そのあとロック・ドキュメンタリー映画「パール・ジャム20」を観る。
 眠くなったら途中で止めようと思って観たのだけれど、案の定、そのまま映画の中に引き込まれてしまい、最後まで一気に観てしまう。

 ドキュメンタリー「パール・ジャム20」は、90年代を席巻した「グランジ・オルタナティヴ・ロック」の雄、「パール・ジャム」の20年間を追った映画である。
 監督は、ローリングストーン誌のジャーナリストで出発し、その後映画作家として「ザ・エージェント」、「あの頃、ペニーレインと」、「バニラ・スカイ」、「幸せへのキセキ」を撮って来た、あのキャメロン・クロウ。

 カート・コバーン率いる「ニルヴァーナ」と「パール・ジャム」は常に比較され続け、結局「ニルヴァーナ」はカートの自殺を持って終焉を迎える。
 しかし、「パール・ジャム」だけはロック界で生き続けた。
 苦悩の人、ヴォーカルのエディ・ヴェダーが、このバンドの魅力を更なる高みへと押し上げてきた。
 実は「パール・ジャム」のアルバムって一枚も持っていなかった。これから、彼らのアルバムを揃えなくては・・・。

 朝、納豆と海苔とお味噌汁というとても質素な食事を摂り、バナナを一本食べ、熱い珈琲を飲んでいたら、「アマゾン」から宅配便が届く。
 ボブ・ディランのニューアルバム「テンペスト」である。
 今年でディランは71歳。デビュー50周年。それにしても凄い人だ。

 「テンペスト」を聴きながら、いつものように窓の外を眺める。
 どんよりと曇った日曜日の空が広がっている。
 ディランの「ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ」という曲が、部屋の中に流れ出す。

        わたしたちの行ける場所があるのだろうか?
        わたしたちが出会える誰かがいるのだろうか?

 台風が本州に上陸するとのニュース。このままの勢いを保ちながら北上するらしい。やがて、街にも雨が激しく降り出すことだろう。

 昼近くになる。
 市内東部方面に所用があって、出掛けることに。
 今日も車がないので、仕方が無いから自転車を引っ張り出して、約5キロの道のりを向かう。
 今にも雨が降って来そうな曇り空。
 海辺に出たら、陸奥湾内に中小のタンカーらしき船が何艘も停留していた。台風から緊急避難しているのだろう。

 道路を自転車で走っていても、人影や車がほとんど見当たらない。どこか、のんびりとした9月最後の日曜日だ。
 広い合浦公園内に入っても、とても静かで、ここでも人の姿を見掛けない。

 つい先日までの、あの30度を超す炎天下でのランニングが脳裏を過る。
 ぎらぎらと、眩しいほどの太陽だけが、この公園内に燦々と降り注いでいた。

 もう、あの熱波が嘘のようだ。
 ひんやりとした秋の海風が、誰も居ない砂浜に吹いている。
 すべては過ぎてゆく。終わってゆく。去ってゆく。

 あの真夏の太陽が愛おしい。
 もう一度、あの灼熱の時間へと還りたい・・・。







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「Dazed And Confused」

2012年09月29日 | Weblog
 大型で非常に強い台風17号が日本に接近している。
 それに先行するかたちで台風18号も太平洋側を北上していて、その影響なのか、今日の青森市内、一面曇り空が広がっている。

 山下達郎の「OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~(初回限定盤))[Limited Edition] のDISC3を聴きながら、シャワーを浴びて濡れた身体をバスタオルで拭き、灰色の空を窓から眺める。

 時計は午後2時15分。
 静かな土曜日の午後。
 雨が落ちて来ても不思議じゃない。

 曲は「世界の果てまで」から「ドリーミング・ガール」へと変わる。この曲も大好きな1曲だ。さとう珠緒が真夏の海岸で戯れる「ドリーミング・ガール」のPVは、「YouTube」で何度も何度も繰り返し観てきた。

 さっき、自転車に乗って家から数キロ離れた「平和公園」まで行って、ジョギング・コースを10周ほど走って来た。
 公園の周りのジョギング・コースは一周でちょうど700メートル。
 100メートルごとに距離を示す標識が立っていて、コナラ、ポプラ、アオギリの巨木がコースの脇にすくっと聳(そび)えている。

 ひっそりとして、とても静かな公園のジョギング・コースをゆっくり走った。
 小石を踏む音だけが聴こえて来る。何人かの老人がウォーキングをしていた。
 まだ木々の葉はしっかりと緑色に輝いていて、中に少しだけ色づいている葉が、まるで勝ち誇ったように、時々曇り空から差し込む秋の弱い太陽の光に揺れている。

 去年散った落ち葉だろう。今年はまだ紅葉さえなく、鮮やかな緑色の葉で覆われているのだから。
 その、去年の秋に落ちた茶色の枯れた葉の群れが、コースの周りに一定程度の塊となって積もっている。

 灰色の雲が一瞬途切れる。
 そこから少しだけ青い空の切れ端が覗いた。
 ここぞとばかり、太陽の光が地上目掛けて注ぎ出した。

 木漏れ日が美しい。
 からからに乾いた落ち葉に、ゆっくりと陽が落ちる。
 小豆色、赤銅色、それから栗色をした落ち葉もある。それらがみな、秋の明るい陽射しに美しく照っている。

 秋だ。
 秋の色だ。
 秋の色を纏った風景が土曜日の午後の静かな公園の中を静かに満たしてゆく・・・。

 走り終え、家に帰って、今こうして山下達郎のベストアルバム「OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~(初回限定盤))[Limited Edition]を聴きながら過ごす、こんなまったりした時間もまた、中々いい。
 曲は「2000トンの雨 [2003 NEW VOCAL REMIX]」へと移り、今にも雨が降って来そうな空模様をまたちらっと眺める。

 昨日の夜は、前から楽しみにしていた「アメトーーーーーーク!勉強と部活と女の子で秋の陣・・・そこは逆SP 」を観て、すぐさま予め録画予約していた裏番組「幸せ!ボンビーガール 家賃も食費も全部込み!月7万円で暮らそうスペシャル4」も観た。

 観終わって時計を見ると0時を周っていた。
 でも、また眠れそうにない。
 WOWOWでオンエアされていた、イギリスのロック・グループ「ザ・フー」のドキュメント「四重人格」を観て、その後やっと電気を消して眠りについた。

 本当は、今日の土曜日の午後は「特殊講義Ⅲ」という授業が入っていたのだけれど、突然の延期となる。
 なので、ぽっかり時間が空いてしまったのである。
 それはそれで嬉しいのだが、そうなると後半の授業がかなり窮屈になってくる。それもまた辛い。

 時計の針が3時を周った。
 半分開けた北の窓から、ひんやりした涼しい風が部屋の中へと入って来る。
 青森県庁の一角が見える。
 その先に、銀鼠色した雲と薄青色が微妙に混じり合ったような、奇妙な混合色の空が広がっている。

 晴れていたいのか、曇っていたいのか、それとも雨になりたいのか。どっちなんだ?
 とても不思議で曖昧な空。
 これも、また秋なんだ。

 曲は、アルバムのラストを飾る「希望という名の光」へ・・・。

 明日で9月も終わる。








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期待はずれ。全世界の興行収入が6億ドルを超えたという、映画「ハンガー・ゲーム」。

2012年09月28日 | Weblog
 映画「ハンガー・ゲーム」、全米で公開されるや、いきなりの初登場第1位。
 とにかく凄まじいまでの観客動員数で、なんと4週連続で首位をキープし続けるという快挙を達成してしまった。

 いくらなんでも、未曾有の大記録を打ち立てている、ジェームズ・キャメロン監督の「アバター」(この監督、「タイタニック」も撮ったんだから凄過ぎる)は超えられないかもしれないが、それでも全米で4億ドル、全世界では7億ドルに迫る立派な興行収入を樹立した。
 凄いというしかない。

 ここまで「ハンガー・ゲーム」が大ヒットを記録したのには、当然それなりの根拠がある。
 まずは原作だろう。
 アメリカ国内で、なんと2,000万部以上にも上る脅威の大ベストセラー小説が、この「ハンガー・ゲーム」の原作となっている。読まれているのだ。

 スーザン・コリンズという作家(読んだことも、聞いたこともありませんでした。でも最近、本屋さんで日本語訳の小説がかなり平積みされてますね)の、人気ヤングアダルト小説を映画化したものらしい。

 ただ、「ウィキペディア」なんかを見てみると、アメリカ国内では日本映画の「バトル・ロワイアル」と内容が酷似しているとして、メディアやネット上でパクリじゃないかとの論争まで勃発した。

 これに対して原作者であるのスーザン・コリンズは、「『ハンガー・ゲーム』を書き終えるまで、『バトル・ロワイアル』も高見広春(バトル・ロワイアルを書いた小説家です。こうしゅんと読みます)も聞いた事さえなかった」と主張しているのだとか。

 別にスーザン・コリンズを擁護するわけじゃないけれど、この手のサバイバル・ゲームを題材にした映画や小説って、手を替え品を替え、結構たくさんあったような気がするんですけど・・・。
 確かに、両方の映画を観たものとしての感想を言えば、よく似てはおりますが。

 戦争が勃発し、ひとつの文明が崩壊した後の近未来アメリカは、「パネム」と呼ばれる独裁国家となり、僅かな富裕層が住む都市と、貧困層だけが暮らす地区とに大きく分離されていた。

 裕福な階層の人間たちは「ハンガー・ゲーム」と呼ばれる大掛かりな殺りくイヴェントに熱狂していて、そのゲームとは、貧困層で暮らす12歳から18歳の男女の中から抽選で1人ずつを選び出し、選出された24人を原野に放って互いに殺し合いをさせるという、狂気のサバイバル・ゲームだった。

 その第12地区で「第74回ハンガー・ゲーム」の出演者の抽選会が開催され、妹の代わりに手を挙げたのが、弓の使い手である若き女性の主人公カットニス(ジェニファー・ローレンス、確かに面構えだけをみても性根がすわっている)だった。
 彼女は、第12地区で選出されたもう一人の青年とともに、たった一人だけが生き残る「ハンガー・ゲーム」に出場すべく、目的地である「パネム」の首都へと向かう・・・。

 上映時間2時間22分。
 その前半、ハンガー・ゲーム開始までのイントロ部分で、ここがまず、ちょっとダラける。
 長々とゲームの内容説明や周辺の人物を追っかけるのだが、こっちとしては早く本番のサバイバル・ゲームが見たいわけで、ここに1時間も時間を取られてしまうのでは少し辛過ぎる。

 そして、物語の山場ともなる後半の「ハンガー・ゲーム」そのもの。ここをどう描くかが、この映画を評価する分岐点ということになるだろう。
 一斉に野に放たれた若者たちが過酷なサバイバル・ゲームを強いられ、最後にたった一人だけが勝ち残る壮絶な戦いへと後半は突入するわけだが、これがまた余りにもあっさりし過ぎている。
 つまり平凡で、どこにでもあるような戦闘シーンに終始している。

 アメリカ国内では日本映画の「バトル・ロワイアル」と内容が酷似しているということで、国内メディアやネット上で論争が勃発しているということを前段で書いたけれど、両方の映画を見た上で簡潔に論評してしまえば、「バトル・ロワイアル」のほうが数倍面白い。

 それほど手に汗握るようなアクション・シーンもないし、全編を通じてハラハラドキドキする場面もほとんど見当たらない。
 それぞれの参加者の表面を簡単になぞっているだけの演出なので、戦いの中に感情を移入することが難しく、主人公と仲間との恋愛や友情に関するエピソードもあるにはあるものの、予定調和で、これもよく散見するパターンに終わっている。

 ラストは当然のごとく、次回へ続く展開を見せながら終わる。
 その続編のタイトルは、「キャッチング・ファイア/Catching Fire」。

 映画「ハンガー・ゲーム」は3部作ということなので、それに期待するしかないのですが・・・。







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「ウソでっしゃろ!?TV」、「テルマエ・ロマエⅤ」、「マッドメン」シーズン4、風が強い東京。

2012年09月27日 | Weblog
 もう、この街に何の感慨も思い入れもなくなってしまった。

 もちろん、東京的なものに対する憧憬とか漠然とした都市生活への渇望感はまだまだたくさん残っている。それはそれで、今でも消えずに厳然と燻(くすぶ)ってはいるけれど・・・。

 水曜の夜、ホテルのベッドに入るも全然眠れず、深夜、テレビ朝日「マツコ&有吉の怒り新党」を観て、続けて日本テレビの「ウソでっしゃろ!?TV」に突入し、その後もあちこちチャンネルを弄(いじ)り回していたらもう夜中の2時を周っていた。

 「ウソでっしゃろ!?TV」、この深夜ヴァラエティ番組面白い。
 水曜日9時からオンエアしている「ホンマでっか!?TV」のスピンオフ番組で、ゴールデンではちょっとディープ過ぎるネタを深夜ならではのノリで笑わせるという企画である。
 MCがブラックマヨネーズ、もちろん明石家さんまを筆頭に島崎和歌子やマツコ・デラックス、それに加藤綾子アナも参戦している。
 完全に「ウソでっしゃろ!?」というようなトンデモ情報を濃い目の各界評論家たち(これがまた怪しげな面々なのだが)が情報提供するのだが、ひとりホテルのベッドの中で何度も笑ってしまった。
 是非、レギュラー化を!

 結局、中々眠れず夜明けの5時過ぎには起きてしまった。
 どうせ、眠れないんだし。そういえば3時間も眠ってないなあ。

 渋谷の街が静かに明けてゆく。
 くすんだ空。ホテルのちょうど真向かいのビルが、誰も居ない廃墟化していることを初めて知った。
 始発電車がホテルの真下を通り抜け、プラットホームには少しずつ人が溜まり始める。

 テレビを点けて早朝のワイド番組を観ながら、またウトウトと浅い眠りに落ちた・・・と思ったら、いきなり携帯が鳴って、出ると上司からの朝一の指示だった。
 えーん。まだ朝の7時なんですけど・・・・。

 朝方7時、スタッフに電話するわけにもいかず、出勤時の8時過ぎを待って、それまでバスタブにお湯を溜めて眠気をはらう。
 午前中、何度か遣り取りを交わし、疲労と睡魔が襲って来るのを何とか振り切って、何とか風が強い東京の街を歩き、少し早めに到着した東京駅の新幹線待合室で買い求めたヤマザキマリの漫画「テルマエ・ロマエⅤ」を一気に読む。

 漫画家ヤマザキマリの描く「テルマエ・ロマエ」、「Ⅳ」辺りから俄然面白くなってきた。
 温泉街のマドンナ「さつき」と、ルシウスとの恋愛が絡んでからだ。
 今回の「Ⅴ」も絶好調である。

 やっと午後5時56分東京駅発「はやて35号」に乗り込むと、今度は、座席の簡易テーブルを広げて、全米TVドラマ「マッドメン」シーズン4を第1話から次々と観ていった。

 そういえば新幹線から外の景色をぼんやり観続けるという、これまでの習慣が最近はまったくなってしまった。
 本を読むか、映画を観るか、でなけりゃ寝ているか。これも、東京に対する見方が変わってきたからだろうか。よくわからん。

 それにしても、全米ドラマ「マッドメン」もやっぱり面白い。
 第1話が終わると、すぐに次の回が観たくなってすぐに続けて観てしまうのだ。それほど面白い、このドラマ。
 殺人事件が起こるとか、複雑な恋愛関係が示されるとか、地球滅亡までのカウントダウンが始まるとか、そういう類いの波乱万丈、この濃密な人間ドラマにはまったくない。
 単に、1960年代アメリカ・ニューヨーク広告業界の人間模様が重厚に綴られてゆく、ただそれだけだ。
 ところが、そんな地味なテーマなのに「マッドメン」滅茶苦茶面白いのである。
 
 そしてなんと、全米で放映された「マッドメン」シーズン5の最終話、シリーズ最終話としては過去最高の全米270万人の視聴者数を記録したのだとか。
 アメリカの場合、ドラマのシリーズが長くなるにつれて視聴者数が減少していくのが常らしく、逆に尻上がりで視聴者数を増やし続ける「マッドメン」は、極めて異例の現象らしい。
 さすが、全米大人気TVドラマ「マッドメン」は凄い!

 そうこうしているうち、「新青森駅」に着いたのが夜8時過ぎ。
 眠い、ひたすら眠い。
 でも、眠れない。不眠症だろうか・・・。

 青森駅行きの普通電車に乗り換え、数分後、駅前へと降り立つ。
 満月が秋の夜空にぽっかりと浮かんでいる。
 夜闇に浮かぶ白い雲を、満月の緩い光が、ぼんやり照らしている。

 夜風が疲れた肌を刺す。
 ひっそりとした街中を、家に向かって急いだ。

 疲れたなあ・・・。
 お腹、空いたなあ・・・。

 眠いよお、すんごく・・・。







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蓮實重彦「映画時評」、森山未來「モテキ」、くるり「坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)」、東京は秋。

2012年09月26日 | Weblog
 東京出張。
 9月26日水曜日と27日木曜日の1泊2日。

 前回の東京出張帰りの新幹線で、真っ暗な車窓に映る疲れた顔を眺めながら、「今度来る時は一体いつになるんだろ・・・、秋だろうな多分、長いなあ」なんてことをぼんやりと考えていたのに。
 もうあれから数カ月経ってしまった。

 あれから、ねぶた祭りやお盆を過ごし、数日間の夏休みを貰い、暑い夏を暮らし、9月の大きな会議を何とか終わらせ、そしてまたこんなふうに東京行きの新幹線に乗って、ひとり車窓から晴れた空を眺めてる・・・。

 月日はあっという間に流れゆく。

 新幹線の車内では、ひたすら読書に耽(ふけ)る。
 蓮實重彥の「映画時評2009-2011」をずっと読んでいた。

 ここ10年ぐらい、映画を観続けている年ってないのではないか。
 音楽もそうだと思う。とにかく、ひたすら聴き続けている。
 昔は、仮に週末2日間、ずっと映画館に通い詰めたとしても、あとは地上波でたまに放映される、見逃した映画を観るぐらいだった。
 年間どんなに頑張って観ても、100本前後だったと思う。

 ところが、今は情報量というか、本数というか、映画自体の露出度が半端じゃないくらいに多い。
 映画館自体は少なくなったといえ、テレビではBSやCS、WOWOWを含めた洋画・邦画の専門チャンネルが凄まじい数で存在する。
 それに低価格のDVDレンタル屋さんが加わるから、観たい映画を次々とストックしてしまい、中々追いつけずに完全グロッキー状態だ。
 観ても、観ても、また圧倒的な数が上映され続け、見逃した映画も、DVDやテレビで次から次へとオンエアされてゆくので追い切れない。
 
 そんなことがあるので、最近、「映画」を観るというより、ただ単に片付けているだけなのではないか。そんな気がして、もう少し丁寧に、そしてきちんと観直そうと、放り投げっぱなしだった「映画」を本でおさらいしている(そんな大袈裟な事でもないんだけど)。

 そして、さすが蓮實重彥。
 映画の見方が深い。
 映画を読むことで、色々と解ることがある。再発見がある。そういう視点もあったのかと、目から鱗なことがたくさんある。神は細部に宿っている。

 蓮實重彥「映画時評2009-2011」を読んでいたら、あっという間に東京駅。
 涼しい。うす曇りの空。
 スーツを着ていても、それほど暑さは感じない。

 ・・・今日の仕事を終えて、渋谷駅近くの定宿。
 その前に、ちょっとだけ今話題の「ヒカリエ」に立ち寄る。
 うーん。そんな素敵な複合ビルってわけでもないなあ。ガッカリした。

 ホテル10階のシングル・ルーム。
 見逃していて、ずっと観たかった映画「モテキ」を観る。
 久保ミツロウの同名コミック(読んだけれど、漫画はまあまあの出来)を、TV版(テレビ東京で深夜にオンエアされていた番組は何度か観ていた)で監督を務めていた大根仁が映画化した作品。

 原作者久保ミツロウが、映画に合わせてオリジナルストーリーを書き下ろしたらしい。
 この映画が、また面白い。
 主演の森山未來も良かったけれど、女優陣が特に晴らしい。
 長澤まさみも、麻生久美子も、仲里依紗も、真木よう子も、最高にイケている。
 もうかなり前にDVD化されたんで、観たのが完全に遅かったのだが、さすが「キネマ旬報」年間邦画ベストテンに入っただけはある。
 「モテキ」、良かった(もう遅いだろうけど・・・)。

 東京にパソコンを持参して来たので、「くるり」の最新アルバム「坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)」をホテルのシングル・ルーム内に流しながら、お風呂にお湯を入れる。

 このアルバム、各音楽雑誌でいずれも大絶賛!
 で、期待に大きく胸を膨らませながら聴いてみたのだが、「そうかなあ?」。
 「くるり」なら、もっと素晴らしいアルバムほかにあったと思うんだけど。事前に新曲のPVも何度か観ていたけれど、そこまでいいとはどうしても思えない。

 「くるり」の「ニューアルバム「坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)」を聴きながら、テレビ朝日の「報道ステーション」を無音で流す。

 自民党総裁選が投開票され、石破茂が1位、安倍晋三が2位。
 ところが1回目の投票で、当選に必要な過半数へと誰も届かなかったため、石破、安倍両氏の決選投票が国会議員だけで行われ、結局、第25代総裁に安倍晋三が逆転選出されたらしい。
 つまり、以前に首相を務めて以来、安倍晋三が5年ぶりにまた総裁に返り咲いたのである。

 なんじゃ、こりゃ?!
 何処に行くの? ニッポン・・・。

 そんな水曜日、東京はもう秋。








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「ザ・ビーチ・ボーイズ デビュー50周年ライブ・イン・ジャパン」をWOWOWで観た。

2012年09月25日 | Weblog
 すっかり秋である。

 それにしても速過ぎない?
 だいたい先日の9月の18日の火曜日なんて、青森市内36.1度という、とんでもない真夏日の最高記録を出していたというのに、その一週間も経たない日曜日は完全なる秋日和。
 風が冷たくて、半袖ではちょっと寒いくらいの天候だった。おまけに、夜には秋特有の冷たい雨がしとしと降って来るし・・・。

 そういう意味じゃ、今年はとんでもない夏だった。
 そしてこの急激な気温の落差! 余りにも激し過ぎないか。

 そんなとんでもない猛暑を記録した今年2012年夏。
 「ビーチ・ボーイズ」が来日を果たした。

 本当はコンサートに行こうかと真剣に考えたのだが、仕事で時間が取れなかったので泣く泣くパス。
 9月23日の日曜日、夜9時からWOWOWでオンエアされた、「ザ・ビーチ・ボーイズ デビュー50周年ライブ・イン・ジャパン」を観て、その悔しい思いを紛らすことに。
 たぶん、もう来日はしないだろうなあ・・・ビーチ・ボーイズ。

 この度のテレビ中継は、ジャパン・ツアーの中で2012年 8月16日「千葉 QVCマリンフィールド」で行われたライブの模様を独占オンエアしたものだ。

 今年の6月に、ブライアン・ウィルソンが参加したビーチ・ボーイズとしては、23年ぶりとなるニュー・アルバム「ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ」を発表したばかり。4月から既にスタートしていたワールド・ツアーも、マスコミ等で話題を振り撒いていた。

 その「ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ」、とても素敵なアルバムだったと思う。
 まだ彼らにはこんなパワーがあったのかと、心底驚いた。
 さすが、天才ブライアン・ウィルソンである。

 WOWOWの「ザ・ビーチ・ボーイズ デビュー50周年ライブ・イン・ジャパン」、一言で言い切ると、とても素晴らしかった。
 テレビを観ながら、何度も「行きたかった・・・」と呟いた。

 まず、前半が凄い。
 初期のヒット・ナンバーのオンパレード!

 曲の順番はメモしたわけじゃないので違っているかもしれないけれど、「キャッチ・ア・ウェイヴ」に「リトル・ホンダ」に「リトル・デュース・クーペ」と、軽快でキャッチ―なナンバーが続いてゆく。

 特に「ドント・ウォリー・ベイビー」。
 この曲には、少し涙ぐんでしまった・・・。
 やっぱり、凄いよブライアン・ウィルソン。このひとの創り出す音世界は、神がかり的といっても過言じゃない。

 コンサートの中盤は、ニュー・アルバム「ゴッド・メイド・ザ・ラジオ~神の創りしラジオ」から、シングルカットされた「今がその時」と「ゴッド・メイド・ザ・ラジオ ~ 神が創りしラジオ」を披露する。
 「英雄と悪漢」を歌ったブライアン・ウィルソンも、結構声は出ていたように思う。

 そして、コンサートはいよいよ後半戦へと突入する。
 ここからがまた凄い。
 相変わらず、ブライアン・ウィルソンだけは飄々とした表情でキーボードを叩いているけれど、ほかのメンバーたち、特にヴォーカルのマイク・ラブは、老体に鞭打って激しく身体をくねらせて歌いまくる。

 コーラスもきちんと決まっていて、この人たち本当に70歳を過ぎているの? 
 「ロックン・ロール・ミュージック」に「素敵じゃないか」、「グッド・ヴァイブレーション」と、怒濤の一斉射撃状態。「サーフィン・USA」も当然歌ってくれました。

 アンコールは「ココモ」からスタートした。
 最後は「ファン・ファン・ファン」できれいに締める。
 なんと、クリストファー・クロスと「アメリカ」のメンバーたちもステージに登場して(アメリカは前座で登場したらしい。このバンドも生で観たかった)、全員で大コーラス。

 「ミュージック・マガジン」最新号のコンサート評を読んだら、全部で33曲を演奏したらしい。
 たぶん、ブライアン・ウィルソンが加わっての「ビーチ・ボーイズ」はもう日本じゃ観られないだろう。

 ちくしょう・・・行きたかったよ・・・。








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高野史緒のミステリー小説「カラマーゾフの妹」を読む。第58回江戸川乱歩賞受賞作だ。

2012年09月24日 | Weblog
 お恥ずかしい話をひとつ。
 あまりに恥ずかしい話なので直前まで書かないと思っていたけれど、嘘はつけないから勇気を出して書きます。

 実は、ドストエフスキーの「罪と罰」も「カラマーゾフの兄弟」も今まで読んだことがない。
 いや、トルストイの「戦争と平和」も読んでいないし、「アンナ・カレーニナ」もまだ読んだことがない。というか、これまで読んで来なかった。
 映画は全部観てるんですが・・・。

 もちろん、買って持ってはいる。
 ずーっと前から買ってはいるのだが、未だに手を全くつけていないというのが本当のところなのだ。

 それで、よく小説を書くなんて言えるもんだ・・・そんな非難があるのも当然のことだろう。でも、居直るわけじゃないけれど、読んでいないものは読んでいない。

 でも、今ちょっと安心しているのである。
 第58回江戸川乱歩賞受賞作での選考委員のコメントを読んで、少しほっとしたのだ。
 なんと、江戸川乱歩賞選考委員の一人である東野圭吾が、「僕はまだ原作の『カラマーゾフの兄弟』を読んだことがない」と、選考評の中で正直に書いていたのである。

 そうかあ・・・。
 有名な小説家の中にも、「カラマーゾフの兄弟」を一度も読んでいない人がいるんだねー。よかった、よかった。んなわけ、ないか。

 ということで、今回の第58回江戸川乱歩賞受賞作は「カラマーゾフの妹」。
 高野史緒というプロの女流作家が見事に受賞した。

 本の宣伝によれば、「『カラマーゾフの兄弟』で描かれる父殺し。その真犯人は別にいる。歴史的未解決事件の謎が今ここに解かれる。興奮度超級のミステリー!」とある。
 そしてこうも謳っている。
 「あの世界文学の金字塔には真犯人がいる!」。

 最初、超有名な文学作品「カラマーゾフの兄弟」を読んでいない事から、買うのを少々躊躇った。
 でも、選考委員である東野圭吾も、未読なのに堂々とこの本を推薦しているのだから、原作を読まなくたって大丈夫と勝手に思い込み、即買ってしまったのだ。

 つまり、この「カラマーゾフの妹」という小説は、ドストエフスキーの書いた世界文学の金字塔「カラマーゾフの兄弟」の、未だに書かれていない「第二部」ということになるのだろう。

 「カラマーゾフの妹」を読んでから解った事だけれど、仮に原作を読んでいなくても内容自体はよく理解は出来るし、これはこれで一つのミステリー小説なのだと割り切れば、それなりにすんなり読み進むことが可能だ。
 
 ただし、原作を読んだ人が改めてこの本を買って読んだとしたら、読まない人と比べて、それぞれの登場人物に関する「見方」には、かなりの大きな開きがあるだろう。

 でも複雑でしょうね。
 「カラマーゾフの兄弟」に対する、深い尊敬と感銘を受けたドストエフスキー好きな人にとって、この「第二部」と称するミステリー小説は。
 中には、激怒する人間もいるのではないだろうか。ドストエフスキーを馬鹿にするなと。

 なので、これはあくまでも原作を借りたミステリー小説と割り切って読むことをお勧めする。
 それ以上でも、それ以下でもない。

 カラマーゾフ家の父殺し事件の真犯人が別にいることは、第一部(原作)を詳細に読めば明らからしい。
 この小説は、その事件から13年後、カラマーゾフ家の次男であるイワンが、特別捜査官としてモスクワから数百キロ離れたスコトプリゴニエフスクという町に戻ったところから始まる。

 彼は、カラマーゾフ家に起こった殺人事件の真相を暴くために、この街へと帰って来たのである。
 13年前に犯人として有罪を宣告され、シベリア送りとなり、刑期途中の落盤事故で死んだ兄のドミートリーのほかに父殺しの犯人はほかにいる。ここからカラマーゾフ家の次男であるイワンの殺人捜査が始まってゆく・・・。

 殺された地主フョードル・カラマーゾフの息子たち、性格がお互いにまったく異なる3人の兄弟、ドミートリー、イワン、アレクセイ(アリョーシャ)、事件当時この3人に一体何があったのか?

 ネタバレになるので、これから読む人のために最後まで書けないけれど、高野史緒は確かに巧い。
 原作の概要を上手にまとめて読者に提示したり、宇宙旅行の蘊蓄(うんちく)を傾けたり、サービス精神旺盛である。
 これだと、賞をとるでしょう。

 ただ、ページを捲る手ももどかしい・・・とまでは、いかなかった。
 世界文学の名作中の名作、その続編と呼ぶにはあまりにも中途半端だし(未だに読んでないのに申し訳ありませんが)、ミステリー小説として読むのであれば、超一級の推理小説とは到底言えません。

 つまり、上手にブレンドされているというのだろうか。味付けも含めて。
 着想とアイデアの勝利。
 そう呼びたい作品ではある。







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「悲しみの中枢」

2012年09月23日 | Weblog
 日曜日の憂鬱が、また襲って来た・・・。

 いつもいつも、日曜日の午後辺りから気分は少しずつ落ち込み始め、暗くなってゆく。
 だんだんと周りの風景が灰色へと変わり、月曜日からの仕事の事を思うと気が滅入ってくる。

 それでも、土曜日はまだそんなことがない。
 昨日の土曜日の夜も、それなりに気分は落ち着いていた。むしろ、ウキウキしていたくらいだ。

 ランニングしたあとの心地よい疲労感が夜まで続いていて、TBS系でオンエアしていた、コントの日本一を決める「キングオブコント2012」を、笑いながら観ていた。
 「キングオブコント2012」5代目キングに輝いたのは、お笑いコンビ「バイきんぐ」(「バイきんぐ」という名前、実はまったく知らなかった)。
 苦節16年で掴んだ、初の栄光だとか。

 売れなくて、害虫駆除のバイトをずっと続け、収録当日も徹夜でその作業に追われていたらしい。
 それが夜には一転、コント日本一の座と賞金1,000万円を勝ち取った。まさに、9回裏代打満塁サヨナラ逆転ホームラン!
 人生にはあるのだ、こういうことが。

 それから、嬉しいニュースがほかにもいっぱいあった。
 まず、「レッド・ツェッペリン」が「祭典の日(奇跡のライヴ)デラックス・エディション(2CD+DVD+ボーナスDVD)」をリリースするというニュース。
 2007年12月、イギリスのロンドンO2アリーナで行われた、一夜限りの再結成コンサートの模様を収録したものだ。
 すぐに「アマゾン」で先行予約した。

 そして「ビートルズ」もまた、「THE BEATLES 50th Anniversary CD-BOX」を来月に緊急リリースするというニュースが流れた。
 イギリスBBCの音源から日本初公開の音源を含む25曲と、アップル・スタジオでのリハ音源。ほかに115曲を再収録した「アルティメット・コレクション」と、ベスト盤「LOVE SONGS」と「ROCK&ROLL」の2枚、合計10枚組に及ぶCD-BOXの発売である。

 さらに、さらに。
 これもまた「ローリング・ストーンズ」結成50周年記念として新たに発売される「GRRR! ザ・ローリング・ストーンズ・グレイテスト・ヒッツ スーパー・デラックス・エディション」。
 なんと全80曲収録で、新曲2曲もそこには収録されるらしい。
 全部持っているのにね、哀しいサガです。

 「レッド・ツェッペリン」、「ビートルズ」、そして「ローリング・ストーンズ」。
 かなり出費が嵩(かさ)むけれど、これも仕方が無いだろう。
 それにしても、音楽業界、売り手って本当に上手い。手を替え品を替え、ファン心理をこれでもか、これでもかと突いてくる。

 そんなこんなで、土曜日まではとても気分が良かったのに・・・日曜日に日付が変わると同時に少しずつ気持ちが萎えて来て、最悪の夕暮れどきを迎えることとなる。
 毎週、毎週、こんなことの繰り返しだ。

 人間の脳には「悲しみの中枢」という部位があるという。
 心の中に嵐を起こす「CG25」という場所。それを悲しみの中枢と呼ぶ。
 最新脳医学によって、鬱の中枢、心配の中枢が発見されたのだ。
 その悲しみの中枢を破壊しさえすれば、途端に鬱の嵐が止んでしまい、重度の鬱病でも治ってしまうのだという。

 ということは、我々の果てしない苦悩だとか、絶え間ない心配ごとの雨や嵐だとか、凍えるような孤独や絶望や切なさだとか、そういう類いの感情も、脳にある「悲しみの中枢」を破壊しちゃえば、もうそれだけでいいんだってことになってしまうのだろうか。

 勿論、脳科学・医学の分野ってそれほど単純明快なわけもなく、まだまだ解明されていない複雑怪奇な脳機能って、沢山あるのだろうけれど。
 それにしてもなあ・・・。

 ・・・日曜日の夕方になる。

 食事を済ませ、午後6時から始まるNHK大河ドラマ「平清盛」を観る。
 それにしても最近の「平清盛」という歴史ドラマは、平重盛役の窪田正孝(この若い役者、凄く巧くなった)と、源頼朝役の岡田将生の2人で何とか保っているようなものだ。
 まあ、別にどうでもいいんですが・・・。

 テレビの向こう側の窓から、ちらりと外を眺める。
 真っ暗だ。完全なる闇だけが街を覆っている。

 つい最近まで「平清盛」を観ていた時間帯って、部屋中、まだ眩しいくらいの光が降り注いでいたというのに・・・。
 今はもうそれもない。
 すっかり秋になっちゃった。

 「平清盛」が終わり、部屋に籠って、独り音楽を聴きながらパソコンに向かう。
 俺の頭の中にある、その「悲しみの中枢」ってやつを壊したい。

 いつの間にか、真っ暗な外に雨が降ってきた。
 暗い日曜日の夜の、冷たい雨だ・・・。

 






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NHK、草間彌生とユーミンのコラボは良かった。フジTV新ドラマ「ゴーイングマイホーム」も凄そう。

2012年09月22日 | Weblog
 金曜日の夜、大きな会議がひとつ片付き、ほっと一息つく。
 こういう夜は、とにかくのんびりと何も考えずに、ゆっくり部屋で寛いでいたい。暑さもやっと一段落したみたいだし・・・。
 ということで、熱い珈琲と甘いスイーツを食べながら、独り寝転んでぼんやりTV三昧。

 TBSの夜10時からのドラマ「黒の女教師」最終回は何としても観なくちゃね。
 で、観ました最終回。
 榮倉奈々主演の、ダークな学園ドラマである。
 学園内に蔓延る悪を、榮倉奈々を含めた3人の女教師たちが「課外授業」と称して、報酬を受け取ることを条件に解決してゆくという、「必殺仕掛人」の現代学園ドラマ版という感じでしょうか。

 特に素晴らしい学園ドラマというわけでもなく、強引で無理のある脚本がちょっと辛い。
 でも、こういうドラマだと割り切って観れば、それなりに楽しめます。トリンドル玲奈が学校の売店のお姉さん役で出演していて、これがまた中々可愛い。
 ラストは、どのドラマにも必ずある、「はい、最後はみんなこれまでの事、全部水に流して笑ってさよならしようね」的な、予定調和な終わらせ方。
 まあ、これも最初から織り込み済みですが。

 「黒の女教師」を観終え、番組表を眺めていたら、NHKで「ユーミンのSUPER WOMAN」がやっているではないか。
 それも、今回のゲストはあの草間彌生!
 これは絶対に観ないと。

 いやあ、今回の「ユーミンのSUPER WOMAN」には感激しました。
 それにしても草間彌生ってキュートだ。
 すんごくキュートだ。可愛いっていってもいい。
 彫刻家であり、画家でもある草間彌生、すでに83歳である。

 このひと、雰囲気というか匂いというか、佇まいそのものが、棟方志功や岡本太郎やスペインの画家であるサルバドール・ダリと似ている。
 草間彌生から発している凄まじいまでのパワーが、テレビを観ているこちら側まで伝わって来るのだ。ビンビン伝わって来る。

 草間彌生の作品は、彼女の生まれ故郷である長野県松本市の「松本市美術館」でも観てきたし、十和田市内中心部の商店街にある彼女の赤い水玉が幾つも描かれているストリート沿いもよく通る。

 草間彌生は幼いころ、総合失調症と診断され、幻覚をよく見たようだ。
 初期のデッサンに母親を描いたものがあるけれど、そこにも雨のような点々が幾つも絵を覆っている。
 「マンハッタン自殺未遂常習犯」を含めて、彼女は数多くの小説も発表していて(僕はまだ一篇も読んだことがないのだけれど)、これもいつかは読んでみたいと思っている。

 何度も繰り返すけれど、草間彌生、ほんと可愛い。
 仕草も話す言葉も、とにかくピュアで濁りがないのである。心の綺麗な人なのだろう。
 こういう83歳になれるなら、歳をとってもいいかなあって思う(もしもこの先、生きていたらだけれど・・・)。

 草間彌生、凄いっ!

 「ユーミンのSUPER WOMAN」を観終え、一夜明けて、土曜日になる。
 清々しい朝だ。気温もそんなに高くない。
 いい塩梅に晴れている。

 午前中、オフィスに行って書類の整理。
 それを終え、余りにも気持ちのいい天気なので、午後から外をランニングすることに。
 暑くもなく、寒くもない。ちょうどいいコンディション。

 浜辺を走ったら、もうひっそりとしていて、当然泳いでいる人たちもいない。
 遠く、海原を一艘の白いヨットが滑っている。

 夏が終わった。
 暑い、熱い、あつい夏が、終わったのだ。

 家に帰って、中心市街地へと出る。
 それでも午後の陽射しはそれなりに強い。
 いつもの本屋さんに立ち寄り、半藤一利の「昭和史」上下を買う。昔からずっと読みたかったのだけれど、最近、もう一度現代史というものをちゃんと洗い直してみたくなったのだ。

 ついでに「CUT」を立ち読みしていたら、面白い記事にぶつかった。
 な、なんと、あの是枝裕和監督(「幻の光」、「ワンダフルライフ」、「DISTANCE」、「誰もしらない」、「花よりもなほ」、「歩いても 歩いても」、「空気人形」を監督した、あの是枝裕和監督である!)が、テレビドラマの監督をするらしい。

 阿部寛、山口智子、宮あおいらが出演するテレビドラマ、火曜夜10時からの「ゴーイングマイホーム」である。
 山口智子が10数年振りに連続テレビドラマに出演するという話は、ニュースで聞いていたけれど、これだったのね。

 このドラマだけは絶対に観ないと!
 なんか、今回は「!」がやたらと多いけれど、これは観ないとダメでしょ。
 10月9日、夜10時のスタート。

 いやあ・・・是枝裕和がテレビドラマを演出するんだあ・・・。







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ひさびさのピーター・ウィアー監督による、映画「ウェイバック 脱出6500km」。かなり壮絶です。

2012年09月21日 | Weblog
 秋田内陸縦断ウルトラ・マラソンという競技がある。
 秋田県の内陸縦貫鉄道、角館から鷹の巣とほぼ同じコースを辿る、100キロに及ぶ過酷なマラソン大会のことである。

 午前5時に角館を出発し、途中に幾つもの時間制限が設けられ、日没6時までにゴール地点である鷹の巣まで辿り着かなくてはならない。
 これが相当キツイ。

 一度、完走したのだが、終わって何日か後、足の親指の爪がペロリと剥がれてしまった。
 とにかく、走っても走っても先が見えないのである。
 過酷な山越えもあって、これもまた辛い。

 50キロ辺りを過ぎると、今度は登り坂よりも下り坂がしんどくなって来る。膝に疲れが来ているから、ブレーキを踏むような力が入って、膝に痛みが集中する。
 80キロ付近では、ランニング・シューズの底も剥がれてしまい、歩いているのか走っているのか、よく分からなくなっていた。

 それともうひとつ。悪魔の囁きが絶えず繰り返される。
 リタイアした人を途中で拾ってゆく、大型バスのことだ。
 このバスが、走っている間、何度も横をゆっくりと通り過ぎ、マラソンを諦めたランナーたちをピックアップして行くのだ。

 乗りたい・・・完走したからって何なんだ・・・今から走るのを諦めて、ゆっくりと終点までバスに乗って早く気持ちのいいお風呂に浸かりたい・・・そんな囁きが頭の中で鳴り続ける。

 まあ、そういう意味では、いつだって何処でだって白旗を上げることが出来るわけで、過酷と言ってもそれなりに限度がある。
 今でも戦火に見舞われ、本当の戦いを強いられている人たちは別として、所詮、平和な世界に暮らしている現代人の「過酷さ」なんて高が知れているのだ。

 それに比べると、この映画は実話に基づいて作られているから凄さがまったく違う。
 映画「ウェイバック 脱出6500km」のことだ。

 ハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック 目撃者」、それからラッセル・クロウの「マスター・アンド・コマンダー」、ジム・キャリーによる「トゥルーマン・ショー」など、過去に素晴らしい名作を撮ってきたピーター・ウィアー監督が、久しぶりにメガホンを取った。

 実在した兵士、スラヴォミール・ラウイッツ(初めて聞く人ですが)による手記というか自伝小説というか、「脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち」という本を映画化したもので、約2時間余り、過酷で厳しい脱出劇が描かれてゆく。
 主役がジム・スタージェス。ほかに、エド・ハリス、コリン・ファレル、「つぐない」のシアーシャ・ローナンも登場する。

 妻が拷問にあって無理やり自白されたことから、思想犯としてシベリアの収容所に連れてこられたポーランド人ヤヌス(この人物をジム・スタージェスが演じる) は、同じ収容所に送られたアメリカ人(これがエド・ハリス)に脱獄を持ちかけられ、凶暴なロシア人のワルカ (コリン・ファレルが怪演している)らと、厳寒の大平原へと脱走を図る。

 ここからが凄い。
 途中でポーランド人の少女(「つぐない」のシアーシャ・ローナン、素晴らしい女優へと成長しました) が加わって、モンゴル、中国、そして灼熱のゴビ砂漠、世界の屋根と呼ばれているあのヒマラヤ山脈を越えようとするのだ。
 彼らは、共産圏域からの脱出を図って、インドへ渡ろうと計画を立てる。

 サバイバルと言っちゃえば、それはそれで終わってしまうのだけれど、真冬の凍てつくシベリアの大平原も凄まじいが、熱波で水も何もないゴビ砂漠の飢えと太陽と砂嵐もまた凄まじい。

 食べる物も、水も、衣類も、ありとあらゆるものを自分たちで調達しなければならないのである。
 飢え、喉の渇き、疲労、病気、寒さ、野生動物や毒を持った生物。そして共産圏での逃亡という死を伴う危険・・・。
 着の身着のままで6500kmを歩くのだ。過酷なんてもんじゃない。

 ただし、この映画、原作であるスラヴォミール・ラウイッツの「脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち」そのものに、疑義がかかっているのだとか。
 その辺は、ちょっと分かりようがないけれど・・・。

 でも、6500kmかどうかは別として、こういう過酷な状況下に置かれていた人間は過去の歴史の中でもたくさんいたわけで、収容所や監獄から必死の脱出を図って過酷で苦しいサバイバル生活を強いられ、運悪く亡くなった人たちも多かったに違いない。

 それに比べたら、今の人生の過酷さなんて・・・。









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浜田省吾「ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”」。遂に出ました、最高ですっ!!

2012年09月20日 | Weblog
 「J.Boy Mix 2011」のインストが流れる。
 凄まじいまでの「うおーっ!!」という大歓声があがり、ドーム全体が異様な雰囲気に包まれる。
 ドームが、揺れている。本当に揺れている。

 すると突然、「On The Road」のイントロが流れ始め、超満員の観客たちが咆哮し、さらなる熱い大気の波が押し寄せてくる・・・。

     この道の彼方 約束された場所があると 信じていきたい もう一度

 このフレーズが聴こえてきたその瞬間、何故か目頭が熱くなって、もうそれだけで全身が震え出した。
 自分のちっぽけな人生とともに聴き込んできた楽曲ほど、強くて愛しいものはほかにない。
 これが最強である。
 数分間の中に込められた、歌詞、メロディ、リズム、それらのすべてが、頑強で揺るぎ無い。
 永遠に愛することが出来る、とても確かなものだ。

 2011年5月21日土曜日、横浜スーパーアリーナ。
 浜田省吾にとって約6年ぶりとなるアリーナ・ツアー「ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"」を観た。

 その時の興奮が、また蘇って来た。
 あれからもう、一年以上が過ぎてしまった。
 たった独りで横浜まで観に行ったあのコンサートから、一年以上が過ぎたのだ・・・。

 ・・・そして今日は、2012年の9月19日、水曜日。
 昨日は、この青森市で9月の観測史上最高となる36.1度を記録した。
 9月だというのに夏がまだ居座るそんな日、浜田省吾の、全国12ヶ所37公演、延べ約35万人を動員したツアーのライブが、遂に僕のもとに届いた。

 とても待ち遠しかった。
 この人は僕にとっての栄養剤である。それも凄まじく効く、パワーの源になる素晴らしいカンフル剤である。

 いったいこれまでの人生で、何度この浜田省吾に助けられて来たことだろう。
 もちろん、浜田省吾を嫌いな人間だって沢山いるだろう。でも、そんなこと全然俺には関係ない。
 世界中の誰ひとりから支持されなくたって構わない。俺だけが好きなら、あとはどうでもいい。

 ただ、一番嫌なのは、「浜田省吾が好きなんです」と言うと、短絡的に「ああー、『片思い』ね、『もうひとつの土曜日』ね」と言い切るひと。
 確かにそういうメジャーな曲もあるけれど、彼の真髄はそこにはない。もっと奥が深い。

 浜田省吾の歌詞には、生きることへの諦念と無常とが存在している。
 浜田省吾には、過ぎゆく青春への憧憬と、愛への観念と好悪が静かに流れている。
 浜田省吾の歌には、諸行無常と、ペシミズムと、義侠と、寂寞が、緩やかに混在している。

 もしも今、無人島に流される直前で、神のお慈悲で3枚だけアルバムを持っていくことを許されるのなら、迷わず(本当は相当迷っていて、明日になるとまた、まったく別の選択をするだろうけど・・・)、ビートルズ「アビーロード」、ローリング・ストーンズ「スティッキー・フィンガーズ」、そして浜田省吾の「その永遠の一秒に」に決まりである。

 とても辛くて苦しかった時、僕は浜田省吾のアルバム、「その永遠の一秒に」に救われたのである。
 本当に、心から救済されたのである。

 そして、去年のアリーナ・ツアーの模様を余すことなく収録した、「ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"」がこの度遂にリリースされた。

 この時のコンサートは、約4時間に渡って展開された。4時間である、4時間!
 凄まじいまでの熱狂と、シンガロングの雨あられ。
 観客が、みんな浜田省吾の曲を聴き込んでいるので、あらゆる楽曲が共有され、連帯感や連帯感もまた心地よいほどの快感となって襲って来るのだ。

 メガヒットした「悲しみは雪のように」、「愛のかけひき」(大好きな曲)、「詩人の鐘」、「J.Boy」(ひとつのサラリーマン・ソングの完成形でしょうね)、「僕と彼女と週末に」、「ラストショー」(何万回聴いただろう)、「路地裏の少年」、「家路」(ミスチルの桜井氏とコラボしたステージは素晴らしかった)が怒濤の如く歌われ、そしてDISC3の「日はまた昇る」でコンサートは大団円を迎える。

     今日まで何度も厄介な事に 見舞われてきたけれど
     今もこうして暮らしてる
     これからも 生きていけるさ

     わからぬことを わずらうよりも
     今日 この時を 生きていたい
 
 素晴らしいコンサート、そして素晴らしいアルバム、素晴らしいDVD。またまたヘビーローテーション。
 「ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"」、いいね。
  ああ、また元気貰っちゃった!

 それから、追伸
 さっきちらっと「オリコン」のDVD売上ランキングを見たら、な、なんと「ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"」が、総合第1位。
 それも、マイケル・ジャクソンの「ライヴ・アット・ウェンブリー」を抜いての堂々第1位である。


 日本最強の50代、浜田省吾はいまだに健在である!








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「『善人』のやめ方」

2012年09月19日 | Weblog
 数年前、苦しくて苦しくて、何かに縋(すが)りたくて、片っ端から「仏教」や「禅」の本を読み漁った時期があった。

 その本の多くは、図書館で借りた。
 もちろん、買って読んだ本もいっぱいある。
 中でも「禅語」には心が洗われた。
 本当に、心がすーっと静まった。どんな薬よりも効いた気がする(別に病院にも行かなかったし、その手の薬は一切飲まなかったけれど・・・)。

 例えば・・・
 『日々是好日 (にちにちこれこうじつ)』という禅の言葉。
 ―どんな日だって新鮮で最高に良い日だという意味で、雨の日も風の日も嵐の夜だって、その時の感情や状態を大いに味わって過ごせば、かけがえのない日になるということ―。

 それから例えば・・・
 『本来無一物(ほんらいむいちもつ)』という禅の言葉。
 ―悩ませ、煩わせ、その心を曇らせているのは、単なる自分の妄想でしかないのだということ。もともと何もないのだと知ること。一切は無だということ―。

 その時、心底思ったものだ。
 世の中には古今東西、これまで人類悠久の歴史の中で語り継がれて来た、数多の著名な書物が存在しているという、その厳然たる事実である。

 簡単に言っちゃえば、何千年もの間、色んな人が悩み苦しみ、そしてその解決法だったり処方箋だったり生き方だったりを、説き、解明し、紐解き、書物として残し、簡潔な言葉として留め、今の時代へと引き継いでいるということだ。
 これほど貴重なものがあるだろうか?

 勿体ないと思う。
 そういう種類の名著を読まない手はない。
 折角、過去の偉人たちが私たちに生きるための「処方箋」を授けてくれたのだ、そんな素晴らしい書物を読まずに見逃すなんて実に勿体ない。

 そして、図書館にあったその類いの本の中で、よく読み漁ったのが「ひろさちや」だった。
 この人が書いた「般若心経」には心底感動した。
 今でも時々、図書館で読んでみることがある。
 素晴らしい本だったと思う。何人かの仏教家たちが「仏教シリーズ」として書いていた、その中の一冊だった。既に絶版しているとは思うけれど・・・。

 「ひろさちや」は、東京大学の印度哲学科を卒業してから、大学教授などを勤め、「仏教」関係の本を数多く世に送り出している。
 とにかく、読みやすい。
 簡潔で分かり易い文章で、親切丁寧に「生きてゆく困難さ」から解き放される「方策」を説いてゆく。

 その「ひろさちや」が、新書で「『善人』のやめ方」という本を出した。
 この本の事は知っていたのだけれど、買うまでには至らなかった。
 そしたら、たまたまソウルメイトの一人から「読んでみない?」と勧められたこともあって、直ぐに読んでみた。

 「ひろさちや」はいつも、「世間」なんて信用するな、「世間という物差し」ではなくて「自分の物差し」で自分の人生を見ろと説く。
 常識なんてものを疑え、「社畜」になるな、「組織に奉公」なんてしちゃダメだと訴える。
 自分が好きなように、自分勝手に、その日その日を生きろと言う。

 この本の中でも、彼の主張は変わることはない。
 「人生になど、意味はない」。「人生は空である」。そして「善人なんかになるな」。

 人生に意味はないとは言っても、「ひろさちや」は決して人生は無価値だとは言っていないし、生きるに値しないなどとも言ってはいない。
 彼はこう言っているのである。

 「世間」などという、得体の知れない霞みのようなものが、「これが人生だ」とか「人生の目的はこうだ」とか、基準=物差しを持ち出して叫んでいる。
 しかしそんな「物差し」に惑わされてはいけないんだ。こう言っているのである。

 そして、人生は空であるとも言っている。
 しかしこれも短絡的に、「空しい」とか「空っぽ」とか、安直に解釈してはいけないとも「ひろさちや」は言う。

 「空」とは「般若心経」の中で述べている「色即是空」の「空」のことだ。
 物体や精神には実体がなく、あらゆるものは空であるということである、簡単に言い切れば。
 あらゆるものは、やがて無くなり、すべては移ろい、その姿を変えてゆく、そういうことである。

 だから、今この時を、楽しく笑って過ごすしかない。
 「ひろさちや」はそれを言っている、この「『善人』のやめ方」でも。

 そんなことは重々判ってはいるんです・・・。
 でも中々、今もってそれが実践・実行出来ません。

 まあ、確かに俺なんて、「善人」だなんて思ったこと、これまで只の一度もないけれど・・・。







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ジュリア・ロバーツ&リリー・コリンズ主演映画「白雪姫と鏡の女王」。これはちょっと辛いなあ。

2012年09月18日 | Weblog
 その昔、新聞に原稿を書くために、どうしても子ども向けアニメ映画を観に行かなければならなくなって、一人で映画館まで出掛けていったことがある。

 これは、相当辛かった。
 まず、その手の子どもアニメ映画って、当然のことながら土日ともなるとほぼ満員状態で、館内は大混雑していて、その大半を親子連れが占めている。

 その中に、たった一人だけ大人が混じっているのである。不審者以外の何者でもない。
 当然、若いお母さんやお父さんたちから変質者の如き眼差しを注がれることとなる。
 これがまたキツイ。

 そりゃあ、そうだろう。
 「エヴァンゲリオン」とか「ガンダム」なら、マニアックな大人たちの間でも熱狂的なファンが存在していて誰も文句を言う人間などいないだろうが、小学生や幼稚園向けのアニメ「ドラえもん」クラスだとそういうわけにはいかない。
 もちろん、大の大人でも熱狂的マニアはいるだろうが、わざわざ映画館まで足は運ばないだろう、それもたった独りでなんて・・・。

 実際、映画館では完全に浮いていた。
 周りの好奇の目が耐えられないほど辛かった。奇妙な大人の男がたった一人、子どもたちが大勢座っている席の真ん中に、無言で俯(うつむ)き加減に座っているのである。
 変態としか言いようがないではないか。まるで、幼児嗜好をもった大人?

 それから、もっと赤面してしまうのは、子どもたちがタイトルバックに流れる主題歌を、大声でみんなで一斉に歌い出すことだ。
 楽しそうに、館内のこどもたち全員がスクリーンに向かって歌い出すのは観ているほうも微笑ましいけれど、手持ち無沙汰と、圧倒的なこどもたちの熱気に圧(お)され、どうしても引いてしまう自分がいたりする。

 映画「白雪姫と鏡の女王」も、どちらかというと子どもにも楽しめるファンタジー娯楽作品といえるかもしれない。
 ただ、子どもが観る映画というより、配給会社としては、若いカップルや女性たち、それから大人たちまでと、その客層ターゲットを大きく広げているようにみえる。

 監督が、「ザ・セル」(この映画はまあ面白かった)「インモータルズ -神々の戦い-」(この映画は少しガッカリした)のターセム・シン。
 主演がジュリア・ロバーツで、白雪姫にはリリー・コリンズ。

 ちょっとびっくりしたのが、白雪姫に抜擢されたリリー・コリンズのこと。
 この人、プログレッシブ・ロックの大御所「ジェネシス」のドラマーであるフィル・コリンズ(後半はソロに転向して、もっとポップな音作りになりましたが)の娘さんなのだとか。
 なかなか可愛い女優さんです。

 映画「白雪姫と鏡の女王」も、当然グリム童話の「白雪姫」をベースにしているのだが、この「スノーホワイト」もの、結構これまでにも何本か映画が作られていて、最近も女王役にシャーリーズ・セロンを据えて、そのものずばり「スノーホワイト」というタイトルで上映されたばかりである。
 こちらの「スノーホワイト」は、アドベンチャー映画仕立てではありましたが・・・。

 そうなると映画自体かぶってしまうことになるのだけれど、「白雪姫と鏡の女王」は、ジュリア・ロバーツを悪女役にすることで新味を出し、そこにコメディタッチをまぶすことで「スノーホワイト」との差別化を図ったようだ。

 で、映画自体の出来映えなんですが・・・。
 これが、ちょっと辛い。
 すべてが中途半端なのである。

 ジュリア・ロバーツの意地悪女王も徹底していなくて煮え切らないし(どうせ、悪女役を買って出たんだから、もっと徹底的に悪役を演じればよかったのに)、物語も一本芯がなく、最後までだらだらと進んでゆく。
 折角のCGも巧く活かし切れていないし、最後のモンスター登場も迫力がなく、盛り上がりに欠ける。
 これで最後まで楽しめっていうほうが無理。

 救いは、ラストのエンドロールでリリー・コリンズが中心となって、出演者たちがミュージカル仕立てで歌って踊る場面だろうか。
 でもなあ。本編が終わったところから面白くなっても、それじゃあ映画が成り立たない。

 アメリカでも、シャーリーズ・セロン版「スノーホワイト」(全米初登場第1位)が、ジュリア・ロバーツ版「白雪姫と鏡の女王」に、興行成績では圧勝したようだ。

 ・・・だろうなあ・・・。








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「反日デモ、夏の余白、リッチマン、プアウーマンの最終回、PRICELESS~あるわけねぇだろ、んなもん!~」

2012年09月17日 | Weblog
 中国では85都市で反日デモが広がっていると、月曜日「朝日新聞」に大見出し。
 「日本経済新聞」でも、工場停止や店舗休業拡大、外資誘致から自国優先へと大きく経済の舵を切っているとの記事が載っている。
 それから一面に小さく、「日本 65歳以上 3000万人以上」との囲み記事が掲載されている。

 そんな休日の月曜日。今日は敬老の日。
 日本の総人口に占める高齢者割合が、遂に24.1パーセントになった。
 若者の数が減り続け、終身雇用は完全に瓦解し、我が国における完全なる社会保障制度も、既に今は望めない。

 どうなってゆくのだろう? この日本は・・・。

 2050年代になれば、中国はGDPでもあの世界最強のアメリカを抜くという。つまり世界最大の経済国へとなるわけだ。
 それに比べて我が日本、政治も経済もそれから文化も、疲弊の一途を辿っていて、一体これからどこまで下降し続けてゆくのか皆目見当もつかない。

 今日は朝の8時に起きて、ぼんやりフジテレビの「とくダネ!」を眺める。
 中国の反日デモと、上戸彩と「EXILE」リーダーHIROの結婚ニュースで湧き返っている。

 昨日の夜に注文した「テン.フォー」のピザの残りを食べながら、午前中は出張中に溜めておいたテレビドラマを片っ端から観まくった。

 それにしても今日もまた暑い。
 完全に30度は超えている。
 黙っていても汗が湧き出て止まらない。

 昼近く、ちょっとだけ仕事をしに仕事場まで。
 誰も居ないと思っていたら、一人後輩が真剣にパソコンを叩いている。
 「おっ」と一言声をかけ、こっちも机に向かって雑務をこなす。オフィスの4階には、痛いくらいの陽射しが降り注ぐ。
 
 クーラーもないし、余りにも暑いので、仕事を早めに切り上げ、さっさと退散。
 今日は夕方から、後期課程の授業が始まるのだ。
 これで2カ月近くに及んだ夏休みも終わってしまった(仕事は延々と続いてますが)。
 これから来年の1月まで、仕事が終わってからの授業が続いてゆく。
 やれやれ・・・。

 空は晴れ、眩いばかりの日光が燦々と午後の街に降り注ぐ。
 こんな長い夏は初めてだ。
 これまでの残暑記録を更新するのではないか。9月17日なのに、30度を超えるなんて・・・。
  
 夕方4時から2コマの授業があるので、参考書とメインの文献を揃えてノートを鞄へ入れる。
 教科書と参考書だけで3万円近くになってしまった。結構、出費が嵩むんだよねー。
 今日は「社会保障論」と「経営思想論」。それが終了したのが午後7時30分。
 授業を終えて「アウガ」の外へ出ると、もうたっぷりと日が暮れている。

 家に帰っていつもより遅い夕食を摂り、シャワーを浴びて、さあ準備万端!
 じっくりと夜の9時を待つ。
 そうなのだ、今夜は月9ドラマ最終回なのである。
 「リッチマン、プアウーマン」、小栗旬と石原さとみ共演によるラブ・コメディだ。

 このドラマ、結構面白い。
 これまでの月9のベストテンに入るとか、傑作ドラマの一本だとか、そこまで素晴らしいドラマというわけじゃないけれど、これがまた中々いい味を出している。

 今回は、「NEXT INNOVATION」に戻った小栗旬が、石原さとみのブラジル行きを知り、勇気を振り絞って彼女に愛を告白するまでを描く。
 当然、最終回なので、いつもこの手のドラマのラストにあるような予定調和の展開ではある。

 でも、そこがいい。
 小栗旬と石原さとみが今日の朝の「めざましテレビ」に番宣で出演していて、石原さとみ自身、「本来の月9ぽくって、凄く良かったです」みたいなコメントを発していたけれど、まさにその通り!

 こういう偉大なる月9ワンパターンを、本当は心から期待していた。
 だって、それしかないでしょ。

 美男美女同士の恋愛に、ちょっとしたすれ違いに、恋のライバル出現に、降りかかる不幸に、王道をゆく主題歌に・・・ここには、それらが全部詰まっているんだもん。
 まあ、「水戸黄門」の恋愛版っていうのかな。

 月9って、こうでなきゃ!

 こうなると、次なるキムタクのフジテレビ月9ドラマ、「PRICELESS~あるわけねぇだろ、んなもん!~」に対する期待感も膨らんでゆく。
 ローリング・ストーンズが主題曲っていのが、若干引っ掛かりますが・・・。「ジャンピング・ ジャック・フラッシュ」っていうのがよく解らんのです。

 ただし「PRICELESS~あるわけねぇだろ、んなもん!~」、脚本はいけるかも知れない。
 なんてったって、「任侠ヘルパー」の古家和尚だからなあ。









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「中国DAYS」ファイナル

2012年09月16日 | Weblog
 9月16日。
 中国を去る。

 日曜日、夜明け前の4時に起床。
 まだ外は真っ暗闇だ。
 大連のホテルの24階の窓から、外を眺める。
 がらんとした広い道路を、ヘッドライトを点けた車が時折通ってゆく。それだけだ。

 起きるというよりは、1時間ごとに目を覚ましていたから、ほとんど眠っていないのと同じかもしれない。
 テレビを点けたら、何処も彼処も「反日デモ」のニュースで占められている。
 でなければ、日中戦争を描いた映画だろうか、日本語に成ってない片言の日本語を話す日本軍役の役者が冷徹に中国軍兵士をいたぶるシーンとか、中国の古い歴史絵巻を描いたドラマが、まだ夜が明けぬ部屋のテレビ画面に映し出される。

 昨日の土曜日は夜も食べずに、ひたすら大連のホテルに籠っていた。
 誰かから電話が入って夕食でも誘われるのかなあなんて思っていたのに、結局誰からも電話は来ず、朝のホテルで摂った朝食以外、1日、水以外何も入れてない。

 おかしいと思って携帯電話を開いてみると、「圏外」と出ていた。
 まったく携帯が繋がっていなかったのだ、昨日の土曜日は。
 何なんだ?

 中国全土を襲っている「反日デモ」と何らかの関係でもあるのだろうか?
 誰とも会わず、誰ともまったくコミュニケーションが取れていない。誰からの電話も来なければ、メール一件もない・・・。
 完全に孤立状態。
 ちょっと不安になって来る。

 そして日曜日を迎える。
 ホテルでは、朝の5時から朝食を用意するということだったので、午前4時50分にはロビーへと降りる。
 やっと、知り合いの一人と顔を合わせ、ほっとした。
 帰れる。日本に帰れる。

 出迎えのバスが朝靄煙る大連市内を駆け抜け、やっと「大連空港」へと到着。
 出国手続きを終え、機内へと入る。
 出国できなきゃどうしようと、内心ビクビクしていたのだけれど、何とか日本へと飛び立つことが出来る。
 大連空港午前7時15分発、青森空港到着が午前11時5分。1時間ちょうどの時差だ。

 ほとんど寝てなかったけれど、機内で、持ってきたハードカバーのミステリー小説を読み終える。
 中国滞在中、映画を4本、本を2冊。なんとかこなす。

 機内から青森の湾内が見え始めると、ようやく一安心。やっぱり日本がいい。
 青森空港で入国手続きを済ませ、タクシーに乗り込んで仕事場があるオフィスまで向かう。
 それにしても、暑い。
 まだこの地は、夏が終わってないじゃないか!

 キャリーバッグを転がしながら、市内中心部、仕事場のあるオフィスへと入る。
 4階の課内には誰もいない。
 それもそのはずだ。
 9月15、16の両日は、青森県内10市が連携しての「お祭り」が開催される日だ。
 「弘前ねぷた」、「青森ねぶた」、「五所川原立佞武多」など、県内各地の祭りや地域伝統芸能、B級グルメやご当地の食などを一堂に会した、「あおもり10市(とし)大祭典~本気!まるだし!さらけ出し!~」が、青森市のJR新青森駅周辺で行われ、それにスタッフ全員が行っているのである。

 ひとり暑苦しい部屋の中で、仕事用のパソコンを開き、決裁とメールとスケジュールを確認し、溜まった資料を見て、またそこからキャリーバッグを引き摺りながら、歩いて自宅へと向かう。

 暑い。
 道中、汗が噴き出て止まらない。
 寝ていないので疲労度も増している。

 やっと帰宅。
 帰った来たんだ・・・日本に。

 朝日新聞と讀賣新聞に目を通すと、どちらも一面大きく、「日系企業襲われる」、「抗議数万人」、「中国50市に拡大」の文字が躍っている。
 特にショックだったのが、「朝日」の一面に大きく載っているカラー写真である。

 笑っている・・・。
 日系デパートが燃え上がっているそのまん前で、若者たちが全員、歓喜の表情を浮かべて、楽しそうに笑っているのである。
 まるで、中国のサッカーチームがゴールを入れた瞬間、みんなで大歓声をあげているみたいに・・・。

 憤りと、モヤモヤした気分がどうしても抜けず、そのままランニング用のシューズを履いて、炎天下の外へと飛び出した。
 走ろう。
 それしかない。
 かなり、疲れ切っているけれど・・・。滅茶苦茶、走りたい。

 まだ、夏は終わっていなかった。
 青森銀行新町支店前のデジタル温度計が、31度を示している。日陰でもこうだから、陽射しが差す場所ならもっと暑いかもしれない。

 いつものコースを10キロ走る。
 何となく、不思議な気分に陥った。
 ついさっきまで中国本土に居たというのに、その日の午後には、もう日本の青森でこうして炎天下の海辺を汗を滴らせながら独り走っているのだ。

 汗まみれで自宅へと戻り、シャワーを浴びて、また別の仕事場へ。
 今度は、市内の西側地区にある執務室。
 ここも誰もいなかった。だよね、日曜日だもんね。

 木曜日と金曜日に開催される大きな会議の資料を読み、ここでも溜まった決裁に目を通す。
 仕事をしていても、汗がぽたぽたとディスクの上に落ちて止まらない。我が社にはクーラーなんていう高級なもの、ございません・・・。

 仕事を済ませ、そこから今度は「新青森駅」へと駆けつけた。
 今日は車が使えないので、自転車を漕いで数キロの道のりを走る。これまた汗が止まらない。

 これから「あおもり10市(とし)大祭典~本気!まるだし!さらけ出し!~」、最終日なのだ。

 いつになったら、終わるんだろ。この忙しさ・・・。







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